僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

TCI を失ってしまった 

2010年11月30日 | 心と体と健康と

先週は妻も僕も、風邪を引いて熱を出したモミィにかかりっきりだった。
といっても、モミィの相手はもっぱら妻がして、僕は周辺のお手伝いである

妻も、自分の子どもなら、もう少しおおらかに接していたはずである。

しかし、モミィは「人の子」である。 すべてのことを慎重に運んでいる。
その分、心労も大きく、あれだけ食べるのが好きな妻なのに、食欲がガタッと落ちた。
「シェフ」 の僕が  「何を食べたい?」と言っても 「何でもいいわ」  としか答えがない。

モミィは先週月曜日に初めて幼稚園を休み、火曜日は祭日だったが、
水曜日には40度を超す熱が出て、別の医院に行って、強めの抗生物質をもらってきた。

木曜日には熱は7度台に下がったが、相変わらず咳やハナが出る。
熱も、測るたびに7度台だったり8度台だったりする。
体温計が1つでは心もとないので、2つの体温計で熱を測った。

金曜日にやっと、熱が6度台の平熱に下がった。
もちろん、この間、幼稚園はずっと休んでいる。 つまり、1週間休んでしまった。

風邪とはいえ、家の中でお絵かきや塗り絵、ままごとなどをするモミィは楽しそうだ。
寝屋川の幼稚園で登園拒否したように、今回も1週間休んだら幼稚園が嫌にならないか…
どうも、そのへんのことが、心配だった。

心なしか、明日から幼稚園…という日曜日は、なんとなくグズグズ言っていた。
僕たち夫婦は、再び、9月の緊張を思い出し、身体をこわばらせた。

しかし、昨日の月曜日は機嫌よく行って、幼稚園でもお友達と楽しく遊んだという。

あぁ、よかったなぁ~

………………………………………………………………………………

僕のほうは、昨日、月一度の徳州会病院松原へ検査と診察に出かけた。

持病の不整脈は、薬がうまく効いてくれていて、最近はまた調子がよくなってきた。

そのほかにも、いろいろ検査する。

不整脈で血流が乱れたときに固まった血液のかけらが、脳に飛んでをつまらせる…
いわゆる脳梗塞を防ぐためのワーファリン
という薬を飲んでいて、毎月チェックする。
効きすぎていると血液がサラサラになりすぎて脳内
出血の危険が出てくる。
効かないと、不整脈の際、血液が滞留して血が固まりやすくなり、血のかけらが脳に飛ぶ。
そのワーファリンの、血中濃度を、毎月チェックするのである。

僕が4年前に脳梗塞の一種「一過性脳虚血発作」に襲われたのも、不整脈が原因だった。
本格的な脳梗塞にならなかったのは、血の塊が、脳の細い血管に詰まったからだという。
太いところに詰まっていたら、半身不随は免れなかったみたいだ。
「ラッキーでしたね」 と、医者が僕のMRIの写真を見ながら言った。

それと、糖尿病の数ヶ月の平均血糖値である HbA1c の検査も重要だ。
今のところ、基準値範囲内に収まっており、医師から 「優秀ですね」 と言われている。
一時飲んでいた糖尿病の薬は、ここ数年は全く飲んでいない。

「優秀でない」 のが、肝臓の数値だ。
γ(ガンマ)GTPという、お酒による肝臓のダメージ度をあらわす数値が、高い。
基準値範囲は12~49ということだが、昨日は131だった。
まあ、酒の好きな僕なので、この数値は2ケタと3ケタの間を行ったり来たりしている。
今年1月の検査で、ガンマが159にまで上がった。 3ケタは、やはり、具合が悪い。
これではいかん…と、禁酒して臨んだ次の検査では65にまで下がった。
これは、酒さえ飲まなければ肝臓は回復する…というあかしである。
…と、油断していると、次は87、その次は…とだんだん数値があがり、
とうとう、今日はまた3ケタの131に戻ってしまったのである。

これは、思い当たるところがあるだけに、言い逃れはできない。
僕は、不整脈や耳鳴り、糖尿病、腰痛、それと高尿酸値症もあり、
毎日、ワーファリン4錠をはじめ、不整脈の薬、尿酸値を下げる薬、
安定剤のデパス、寝る前には睡眠薬のマイスリーをせっせと飲んでいる。

これ以上、酒のダメージによる肝臓の薬などを処方されるようになると、やばい。
そうならないうちに、節酒 (あるいは断酒) を心がけようと思うが、ダメだ~。
僕は自分を律するということができない、意志の弱い人間なのです。

話のついでですが、実は耳鳴りに関して、大変なことが起こりました。

3年前、大手前病院で購入したTCI (補聴器形の耳鳴り治療器) を、紛失しました。

26日の金曜日です。
やたらに耳鳴りがうるさいので、最近TCIの電池を入れ替え、装着していたはずです。
さあ、それからですが…

家の中のどこかで外したのだと思うのだけれど…。 覚えていない。

いや、ほんとに、どこで忘れたのだろうか…

ケースに入っているものとばかり思っていたのだが、中は空っぽ。

このごろ、ボケ症状が出始めているのか、ところかまわず、置いてしまいます。
そして、そのまま忘れて、あとから大騒ぎして探すのです。
それでも最後は必ず出てきたのですが、今回は、ちょっと違います。
26日から4日間、どこを探しても出てこない。 狭い家の中なのに。
めぼしいところ、心当たりのところはしらみつぶしに探したけれど、見当たらない。

当日は外出していないので、外で落としたということはないと思う。
まして、カレーやラーメンの中に落とすこともしなかったし(笑)

やっぱり酒を飲んで、途中で耳から外してポケットに入れてそれがどこかに落ちたのか、
とんでもないところになおし込んだのか…
永遠の謎になりそうである。

そこで僕は考えた。

耳鳴り苦痛を緩和するTCIに、僕はずっと頼ってきた。
でも、その頼りのTCIを紛失してしまった。
あれは、6万円もしたんですよ (まあ、お金の問題だけでもないけれど)。

もう一度購入するか…といえば、いちおう耳鳴り歴3年ですからね
無くても生きていける、という気概を持つべきではないだろうか。
てつおさんの奥様の哲学を、自分も学ばなければならない。

よ~し。
僕は決意しました。
大手前病院とは、ここで卒業かな、と。 (もしかして、中退?)

TCIを失っても、○○先生は 「それだけじゃないですよ」 と、
きっとおっしゃってくれるでしょう。

TRT療法は、必ずしも耳鳴り緩和をTCIだけに限っていないですよね。
現に僕は、先生から、アイポットとかなんとかいう器具に音を入れてもらいました。
TCIと同じように、ザーザーという音がして耳鳴りが楽になるのです。

もうひとつ。
さっきのは、ザーザーという音だけですが、yukariさんが素敵なのをくれました。
「耳サプリ」 というCDです。
僕はさっそく、愛用のウォークマンに入れて、聞きました。
モーツァルトの曲を始め、なごむ曲の数々。
そして、雨の音や滝の音など、自然の音が入っているのです。

27日から、僕はこれを耳につけはじめました。
モミィが、「なに聞いてるのん」 と聴きます。
「気持ちのいいお歌とか、気持ちのいい波の音とか」 と答えます

耳鳴り発症、3年。

最近は、あまり装着はしていなかったけれど、無ければ寂しいTCIでした。

それがなくなってしまった今、ここが正念場かな、と思っています。

TCIに変わるものもいろいろ出ているという学会の発表も聞かされてきました。
それは、yukari さんにいただいた、耳サプリのような 「音感」 だと思います。

もしも、耳鳴りが永遠に消えないものだったら、逆にサプリで耳を楽しませる…
そういう方法も、あるのですよね。

ユーモラスに書かれていたてつおさんの 「パチンコ」 療法ですが、
これも、耳鳴りという得体の知れないヤツを無視する最良の方法かもしれません。

考えたら、耳鳴りという 「気になるヤツ」 を無視するには、ヒマだったらダメですね、
何か、打ち込むこと…それは趣味的楽しみもあれば、切羽詰った状況もある。
そういうことに集中していれば、耳鳴りは出番を失います。

僕はこれまで3年間頼ってきたTCIと、お別れをします。
…というか、相手が消えてしまったんで、まあ、ふられたということですが…

TCIなしで、生活をします。

な~に、代用はありますよ。
yukariさんにいただいた 「耳サプリ」 は、モーツァルトの曲もあるし、
自然の音も入っています。
要するに、常にそういうものを聴いて、耳を肥やせばいいのですよね。

3年間悩みぬいてきたことが、TCIを失ったことで、局面が変わりました。
もう、逃げ場所はない。
あとは、「耳サプリ」を聴いて…
耳鳴りになったから、こういうものが聴けるのだなぁ…という幸せ。
そう感じて生きていきましょう。
聴くと、耳鳴りそのものも、気にならなくなるのでは。

そんなことを思いました。

まあ、理想は、てつおさんの奥さんのように、
忙しい主婦業をしながら、反抗期の子どもたちの教育もして、
パチンコから帰ってきた婿さんに 「諭吉を持って帰れ~」 と叱咤激励して、
自分の耳鳴りは、「忙しいから、いちいち気にしてられませ~ん」
という、そういう生活が、耳鳴りを封じ込めるベストの生活かもしれませんね。
てつおさんは、「鬼嫁」 とか言っておられますが、わざとそんなことを言っちゃて~
ほんとうに、いい奥さんですよね。

…ということで、TCIをなくして、次に大手前に行くのもどうかと思います。
1月に予約はしているのですが…
行って 「なくしました」 と言ったら、いつも奥に控えているトーシンの社員の方が、
新しいものを出してきてくださるのだと思います。

でも、また新たに6万円払ってTCIを買おうとは思いません。

TCIなしの生活をやってみたい…と思います。
「耳サプリ」 がありますから、いざというときの用意もあるし。

大手前の○○先生は、ご自身も、音は小さいですけど耳鳴りを持っておられます。
だから、僕らの悩みは十分理解していただいているわけで…、

大手前には行かなくなっても、○○先生とは、お付き合いしたい…

う~ん、そんな気持ちですけどね。

それと、大手前病院だったこそ、yukari さんとお母さんとも知りあえたし。

大手前の 「めぐりあい」 は、楽しい出会いでした。

いや、別に、これが yukari さんとのお別れではないですよ。

私たちは、これからも、なるべく会いましょうね。

 

 

  * 深夜、目覚めて眠れないまま、起きてこのブログを書きました。
   お酒をグビグビ飲み、酔った状態で書いたので、誤字脱字だらけ。
   おまけに、関係のない文章まで最後尾についていて、
   先ほど、ブログを読まれた方からメールをいただきました。
   あわてて、いま、修正しました。
   海老蔵さんではないけれど、大酒はいつか人生を狂わせます。
   肝臓の数値も高いし、そろそろお酒を辞める…ということも考えなければ。

 

 

 

 

 

 

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「 ゴースト 」 で思い出したこと

2010年11月27日 | 映画の話やTVの話など

昨晩、テレビの金曜ロードショーで  「ゴースト ニューヨークの幻」 があった。
20年前の映画である。

この映画は、日本中を感動の渦に巻き込んだ話題作であった。 

ところで、その20年前だけれど…
初めてこの映画を見たとき、主演男優のパトリック・スウェイジを見て…

あ、この顔、この表情。 これって、誰かに似ているぞ、と思った。

そして、すぐに友人の○○さんの顔が浮かんだ。

そうだ、○○さんに似ているんだ。 
顔や表情の雰囲気が、本当によく似ている。

その○○さん、というのは、実は…

いつもコメントをいただいているアナザービートルさんである。

当時、僕はそれをアナザーさんに言ったのかどうかは覚えていない。

でも、本当に、よく似ていたなぁ。

昨夜、アジア大会ソフトボールで日本が金メダルを獲ったのを見届け、
そのあと、チャンネルを変えて 「ゴースト」 を見た。

やっぱり、パトリック・スウェイジは、アナザービートルさんに似ていた。

う~ん。 似ている。 20年ぶりに、改めてそう思った。 

そして…

同じチャンネルで  「ゴースト」 の次の番組が、なんと…

「 アナザー 」  という題名の番組だったので、びっくりした。  

 

  

 

 

 

 

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いつになったら耳鳴りは…

2010年11月23日 | 心と体と健康と

このブログによくコメントを寄せていただいているてつおさんは、
耳鳴りが発症してから約9ヶ月くらい経過しているということです。

耳鳴り治療に関するいろいろなネット情報を、てつおさんに教えてもらっています。

ネラメキサンという耳鳴り治療新薬の開発状況から、耳鳴りで悩んでいる人は全国で200万人以上いる、な~んてことまで、耳鳴りに関するいろんなことがネットでわかるんですね。

最近のてつおさんのコメントを拝見して、ゲェ~っと驚いたことがあります。
実はてつおさんの奥様も、耳鳴りだったそうで、しかもそれが25年も前からだと…
しかも、しかも、それをつい最近奥様が告白をされたということでした。

ご主人に心配をかけてはいけない、ということで耳鳴りのことは黙っておられた。
そして、ご主人が耳鳴りになっても、そんな話で耳鳴りを余計に気にさせてはいけない…
ということで、最近まで黙っておられたのだろうという由。 優しい奥様です。

しかし…
25年間も耳鳴りと付き合ってこられた…という方には初めてお目にかかりました。
…いや、お耳にかかりました。

奥様がてつおさんに言われた言葉は…

   発症は20歳くらいの時で、2~3年は気になってしょうがなかった。
   5年過ぎた頃か10年過ぎた頃か、よく覚えていないけど、
   耳鳴りが、気づいたら当たり前になってた。

これは、耳鳴りというものの本質をよく表している言葉だと思います。
僕はまだ発症後3年ですけれど、まさに「時間が解決する」という好例でしょうね。

僕も耳鳴りが発症した頃は、このまま気が狂うのではないか…
と思ったほど、絶望的な苦悩を味わいました。
なにせ、24時間休みなく、頭の中がキーンという音に支配されるのです。
本も読めない。眠れない。集中できない。イライラする。
この先の人生の楽しみは、すべてこの耳鳴りのせいで捨てなければならないのか。

治るとは言わず 「そのうち慣れます」 などと平然と言い放つ医師を恨みました。
そして、 「そのうち」 というのは、どれくらいの期間なのだ…と考えました。
1年か…? いや、まさかそんな長い間、この耳鳴りに耐えられるわけがない。
…と、そんなことを思っていたのに、なんともう3年が経ってしまいました。
時間というものは不思議です。

発症当時は冗談でなく、わが人生で最大のピンチだと感じました。
市販の薬を飲んだり、「耳鳴りエクササイズ」 といったDVDを取り寄せたり、
「耳鳴りを治す本」というのがあれば即座に買ってむさぼり読んだり、
マインドコントロールや自律神経訓練というのをやったり、
目につくあらゆるものを片っ端から試していきました。
…が、ぜんぶ、効果なく終わりました。 耳鳴りは変わらず鳴り続けます。

それで、年月が経ってくると、あきらめの心境になってくるのですよね。

現在、唯一の治療として、大手前病院でTRT療法を受けています。
それで、不安感を取り除きながら、徐々にあきらめの境地を待っています。

耳鳴りの音は、3年経ってもほとんど変わらず、むしろ大きくなったとも思えます。
しかし、耳鳴りの音質や音量が同じでも、感じ方はその時によって異なるそうです。
気持ちの持ちようで、苦痛の度合いが変わってくるのだと思います。
ストレスや疲労で心身のバランスが崩れた時、耳鳴りはいっそうひどくなります。

そういうことを身体が覚えるのに、一定の年月が必要だということなのでしょうね。

新聞や雑誌で、時々耳鳴りについての記事を見かけます。
そんなときは、切り抜いて保存しておくのですが、

ある週刊誌では、

   慢性的な耳鳴りは自律神経が関係しており、
   肩こりや腰痛などの症状を伴うことが多く、
   これは耳の異常というより、精神的ストレスが
   影響を与えているものと考えられます。
   となれば、ストレスという名の虫が、
   頭の中で暴れているのが耳鳴りといえるかもしれません。

また、ある新聞では、

  残念ながら確実な治療法はないが、気にならない程度に症状を軽くする方法はある。
  …ということで、マスカー療法、TRT療法、ステロイド注入、ビタミン摂取、
  などを紹介しているが、いずれも知っているいることばかりだった。
  それぞれ、決め手となるものはなく、結局は…

  「耳鳴りは、治すより付き合う」ことが大事なのです」 …という結論である。

また別の新聞にも、

  耳鳴りを治そう一生懸命になるほど、耳鳴りに注意が向き、逃れられなくなります。
  耳鳴り治療のポイントは、治そうとは思わないこと、なのです。

…と、そんなことが書いてある。

いずれも、耳鳴りについては、
「残念ながら、薬物を含め、根本的な治療法はありません」 が大前提なのだ。
耳鳴り療法に関する文章を読むと、いつも「残念ながら」がついている。 とほほ。

僕が受けているTRT療法というのは、音響療法(器具をつけて雑音を長時間聴く)と、
カウンセリング(耳鳴りに注意を向けないようにする)を組み合わせた治療法だ。

しかしこれも、最近、器具(TCI)をつけるのをサボったりしている。
なんだか、つけるのが億劫になったりするのだ。

「器具に頼らなくなるのは、いい傾向です」ということであるが、
僕の場合は、ただ面倒なだけで、器具がなくても気にならない、ということではない。
だったら、なぜ付けておかない? と言われても、自分でもわけがわからない。
たしかに、雑音を聴いていると、少しは楽なのだけど、付け続ける意欲が湧かないのだ。

まあ、そんなふうなことで、何年か経っていくうちに、てつおさんの奥様のように、
ふと気がついたら耳鳴りが当り前になってきた、という状態になるのでしょうね。

てつおさんの奥様の言葉をもう一度繰り返しますが…

   発症は20歳くらいの時で、2~3年は気になってしょうがなかった。
   5年過ぎた頃か10年過ぎた頃か、よく覚えていないけど、
   耳鳴りが、気づいたら当たり前になってた。

「気がついたら当り前になっていた」というのは…
5年過ぎた頃なのか、あるいは、10年過ぎた頃なのか。
どっち…? よく覚えておられない、とのことですけれど。
あ~、知りたいなぁ。
5年と10年はずいぶん違いますものね。

知りた~い(笑)。

 

 

 

 

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耳鳴りに春は来ないのか

2010年11月18日 | 心と体と健康と

昨日は2ヶ月に一度のTRT療法(耳鳴り治療)の日で、大手前病院へ行った。

ブログでこの耳鳴りの話題に触れるたびに…
「耳鳴りは相変わらずです」…と書かねばならないのが残念だ。
「少しマシになりました…」と書きたいのだが、鳴りを潜める様子はない。
暑い夏はとっくに過ぎたというのに、頭の中では常にジージーとセミが鳴いている。

最近は、耳鳴りの音が、ピーという焼き芋屋さんの音に似た感じになってきた。

それを yukari さんに伝えると、やっぱり焼き芋屋さんの音がするそうで、
「頭の上くらいからピポーーと鳴ってます」 ということであった。

昨日、TRT療法の部屋で、前○先生にもそのことを話したら、
「僕の耳鳴りも、焼き芋屋さんの音がするのですよ」 とおっしゃった。
前○先生も、微音だけど、静かな場所ではピーっという耳鳴りを感じるそうだ。

耳鳴りの音をたとえるのに、よく 「セミが千匹鳴いている」 と言うけれど、
「焼き芋屋さんが百軒押し寄せた」 という表現も、当てはまりそうだ。

しかしなぁ…

セミの季節が過ぎたと思ったら、今度は焼き芋の季節かぁ…。

♪ 春は~いつ来る さざんかの宿 ~ 

な~んていう大昔のヒット曲の一節が頭に浮かぶ。

耳鳴りのない春は、いつ訪れるのだろうか…? 

  ……………………………………………………………………………………

さて…昨日の大手前病院のことに話を戻します。

昨日も、先生と耳鳴りに関する会話を交わし、耳鳴りの音量の検査をしてもらった。
音量だけでなく、耳鳴りの音の高さも検査した。
「音が高ければ高いほど、苦痛度が高くなるようですね」
そうです。 音量ももちろんですが、音階というか、音の高さもかなり問題なのです。
焼き芋屋さん的ピ~~の音は、かなり高い音階に属するので、それだけ辛い。

特に身体のコンディションの悪いときは、耳鳴りがひときわ高く鳴り響く。

それと、yukari さんは、寒くなると耳鳴りもひどくなるということであるが、
そのことも前山先生に聞いてみたら、
「ありますね。 それと、雨の日や、湿気の多い日なんかもひどくなる人がいます」
ということであった。
腰痛や関節痛なども、天候や気温、湿度などで痛みが増したりする、という。
耳鳴りにも、そういう傾向がみられるのだそうだ。

考えてみれば、耳鳴りは、人の弱みに付け込んでくるヤツである。
僕は、前日に酒を飲みすぎた時などは、気が狂いそうになるほど耳鳴りが大きい。
体調が悪い時や気候が悪い時になると、そこに追い討ちをかけるように攻めてくる。
ただでさえ、しんどい、うっとうしい…という時ほど、耳鳴りが強くなる。
それで、あらゆる心身の苦痛が増幅するのである。
タチが悪いにもほどがある。

そんな耳鳴りに対する治療薬の開発などを期待したいが、見通しは不明瞭だ。

やはり、慣れていくしかない…ということだろうか。

TRT療法を終え、前○先生の部屋を出て、書類を持って耳鼻科の受付に行った。
そこで、今回もまた、医師の診察を受けてください、と言われた。
診察を受けてもほとんど意味ないのだけれど、といって拒否するほどでもない。
安定剤(デパス)も処方してもらえるので、まあ、ついでだ、診察ぐらい受けよう。

前回から、担当医が若い女医さんに変わっている。
診察室に入ると、その女医さんが、「いかがですか~、耳鳴りは…?」
と、またやさしい言葉をかけてくれる。
「えぇ、相変わらずです。 体調の悪い時は特にきつい感じがします」
「そうですか。大変ですよねぇ…」 と、これも前回と同じような会話だ。

しかし30秒ほどで、その会話も尽きてしまう。

そして、女医さんは僕の耳の中を覗きこむ。
「あ、最近、耳の掃除をしていないなぁ」 と僕が思っていると、女医さんは、
「耳垢を取りますから」 と言い、
ミニュチュアの掃除機のようなものを持ち、先っぽを僕の耳の中に突っ込んだ。
「びよよょ~ん」 と音がして、ゴロッ、ゴロッと耳垢が吸い取られる音がした。
そのあと、今度はピンセットを使っての手作業で、また耳の中を、くちゅくちゅ。
なん~か、気持ちいい。

ふと、「耳かき店」 という、最近覚えたばかりの言葉を思い出す僕であった。

 

 

 

 

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あカン総理に愛想が尽きた

2010年11月16日 | ニュース・時事

女子バレーが32年ぶりに世界選手権で見事に銅メダルを獲ったり、
尖閣諸島の映像を「公開」した海上保安官の逮捕が見送られたり、
大相撲不滅の大記録、双葉山の69連勝に挑戦中の白鵬が敗れたり、

…と、昨日は 「あ、よかったなぁ」 というニュースが次々と流れた。

まず、横綱白鵬のことである。
9月24日のブログで、白鵬が59連勝をしたときの感想を書いた。

双葉山が不滅の69連勝を記録したのは、僕が生まれる10年前だった。
だから、もう71年が経つ。 これは大相撲の不滅の金字塔なのだ。
白鵬は立派な横綱だけど、この記録だけは破られたくはなかった。
なんとか日本人力士にこの記録をストップしてもらいたい…
その思いで一杯だったけれど、最も期待されていた稀勢の里がそれを実現した。

NHKの街頭インタビューを聞くと、誰もが 「残念ですね~」 と口をそろえて言った。
ひとりぐらい 「双葉山の記録が破られなくてよかった~」 と言う人はいないのか。
やっぱり、僕が偏狭なナショナリスト、ということになるのでしょうか (トホホ)

それと、尖閣諸島映像流出の件で、海上保安官の逮捕見送りのニュースである。

そもそも尖閣映像の問題を、流出だの逮捕だのという議論になるのがおかしい。
船長が逮捕されたときに、国が真っ先に公開していれば何の問題もなかった。
クネクネと中国に身を摺り寄せるような 「非公開」 を頑固に貫くから、こうなる。
いったい、民主党の首脳陣というのは何を考えているのか、さっぱりわからない。
国民の声、というものを、まったく聞こうとしない。
これでは世論調査で内閣支持率が20%台に落ち込むのも当り前である。

仙谷官房長官は、都合が悪くなると 「健忘症になったのか、よく覚えていません」
な~んて、寝言のようなことを言っている。
シャレの得意なじゃいさんは、「仙谷健忘長官」 などと呼んでいる(笑)。
あの手この手の術策を弄すので、「仙谷権謀長官」でもいいけれど(笑)。

今回、もし海上保安官が逮捕されていたら…
悪質な中国人の船長を釈放しておいて、なんでこっちを逮捕するんだと、
日本国中が怒り狂うに違いない。 いくら温厚な日本人でも、これはもう、
「堪忍袋の緒が切れましたわ~!」 ということになるだろう。
そうなれば、内閣支持率は、今の20%台よりさらに下回ること間違いない。もう壊滅だ。
逮捕見送りは、警視庁や地検の判断というより、政府の意向が反映したものと見える。

まあ、それはいいんだけれど、世界中に日本の恥をさらしたニュース映像もあった。

日中首脳会談と称された場で、菅総理が、中国の胡国家主席と向かい合って座った。
そこで、最初のあいさつから菅総理はずっと目を伏せ、原稿を棒読みしていた。
あれを見た人は、あきれ返ったのではないか。
簡単な挨拶すら、原稿を読んでいる。
相手の胡主席は、むろん原稿もメモも持たない。
多少つっけんどんではあったが、背筋をピンと伸ばして、菅総理の目を見て話す。
ところが、菅総理はおどおどした様子で背を丸め、視線はずっと手元の原稿だ。
こんなことで「会談」と言えるのか。 管総理の態度は、あまりにもみっともなかった。

首脳会談は、学芸会ではないのである。

ともあれ、これまで見たこともないような、異様な光景であった。
日本人として、本当に恥ずかしいと思った。

中国がいろいろと物議をかもし出して 「世界に恥をさらした」 というけれど、
この映像は、日本の総理がどれだけアホかを世界に宣伝しているようなものだ。
世界中に、「やっぱり日本はなめられる国なんだ」 と恥をさらしたに違いない。

せっかく気をよくしたニュースがいくつか流れた中で、これは大きな汚点だった。

もう、菅首相にも、仙谷健忘長官にも、民主党全体にも愛想が尽きた。

早いうちに総選挙をして出直さなければ、ほんまにこの国は潰れまっせ。

 

 

 

 

 

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アジア大会や女子バレーのこと

2010年11月15日 | スポーツの話題

上海で万博が終わったと思ったら、今度は広州でアジア大会が始まった。
また中国かいな…と思うと、少々うんざりする。
中国、中国、中国…。 なんでもかんでも、中国である。 どげんかしてちょ~だ~い。

サッカーでは、日本国歌が流れているときに、中国観衆がブーイングをしていた。
相変わらず、行儀の悪い国民であるが、こんな光景にも、腹さえ立たなくなってきた。

ロシアもそうだが、ロクでもない国と国境を接する日本は、不幸中の不幸である。
(無能な民主党首脳に政治を委ねなければならない国民も、不幸中の不幸だけど…)

さてそのアジア大会。 当然のことながらオリンピックよりも活躍できる。
日本は金メダル60個が目標だそうだ (ほんまに獲れるんか…?)。
やっぱりスポーツ中継の好きな僕は、テレビを見てしまう。

昨日の午後6時から、水泳競技の生中継を見た。
この日は決勝が6種目行われた。

日本選手たちの成績は、銀メダルが4つ。銅メダルが1つだった(…と思う)。
女子自由形400メートルリレーは日本新記録が出たが、中国に敗れた。
結局、日本は6種目で1つも金メダルが獲れなかった。
中には日本が勝ったと見えたレースもあったが、ゴールのタッチが流れた。
優勝したのは、ほとんどが中国だった。

1位が中国で、2位と3位が日本、というのもあった。
目の上のたんこぶ、とはこのことか。
ことごとく、優勝を中国に阻まれているのである。 悔しいなぁ…。

昨日の水泳は、そんなわけで、中国選手が大喝采を浴びるシーンばっかり。
銀メダルも、銅メダルも、こういう場合、うれしくも何ともない。
(もちろん、選手たちの健闘には拍手を送りますが)

でもね~、1位でなきゃダメなんですよ、蓮舫さん。

テレビのチャンネルを女子バレーに変えたのは午後8時過ぎだった。
こちらはNHKBS放送のアジア大会と違い、アナウンサーが絶叫モードで大賑わい。
会場全体に、声援が怒涛のように鳴り響いている。

3位決定戦の日本対アメリカは、1対1で、第3セットに入ったところであった。
この試合に勝つと、日本は32年ぶりにメダルを獲得、という大一番だった。

しかし、この時点でインターネットの速報を見ると…
日本がフルセットの末、勝って銅メダルを獲得したことが出ていた。

「お~、勝ったのかぁ。 じゃあ、安心して見ていられるわ」
…と、僕は、ここで初めてテレビの前でくつろげたのである。

僕はすぐ興奮するタチなので、女子バレーのような白熱する競技は苦手だ。
肩が凝るほど全身を硬くして真剣に見つめていると、身体の芯まで疲れてしまうのだ。
その最大の原因は、女子バレー中継はほとんどが生放送でなく、録画だからである。
録画なのに、なぜこんなにハラハラドキドキしなければならんのだ、と思うのだ。

熱戦の末、最後は負ける…というのが日本女子バレーのお決まりパターンだった。

だから、一昨日のブラジル戦で逆転負けを喫した試合も、テレビは見ていない。
熱い試合展開に手に汗握って一喜一憂するのだが、最後は負けてしまう…。
いや~、これほど疲れることはない。 しかも、それは録画放送なのである。

生放送なら、一寸先でどう転ぶのかわからないスリルに満ち溢れているが、
録画放送なのに、不整脈が出るほどカンカンになって応援し、最後には負ける…。
それって、「骨折り損のくたびれもうけ」 そのものではありませんか…?

テレビ局も巧妙で、あたかも生中継のような顔をして中継しているんだもんね。
作戦タイムに入ると、すばやくCMが流される。
CMが終わると、テレビ画面では、すぐに試合が再開される。
作戦タイムがそんな短い時間で終わるわけないのに、視聴者の錯覚を誘っている。

しかし僕は賢明にも、日本の勝利を確認したうえで見たので、よかった、よかった。
テレビ時代劇の「水戸黄門」や「遠山の金さん」を見ている気分だった。

最後には必ず勝つ…

そう
思うと、不整脈が出る心配もなく、見ていて安心で、ゆっくり楽しめた。

おめでとう。 よくやった、ニッポン。

…こういうスポーツ観戦の仕方って、やっぱり邪道ですか…?

 

 

 

 

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泳ぐ楽しみ

2010年11月11日 | 日常のいろいろなこと

「フィットネスクラブ・コスパ」 へ通い始めて1年が経った。
当初はジムでの筋力トレーニングが主であったけれど、最近は水泳ばかりしている。
日常は地上で生活しているので、水の中でゆ~らゆ~ら漂うのはいい気分転換なのだ。

休館日の木曜日以外なら、いつでも行ける。
6日連続行く時もあれば、週に1~2回程度しか行けない時もある。

僕が通うコスパ藤井寺の25メートルプールは全部で8レーンあり、それぞれ、

「50メートルを休まず泳ぐ方用です」
「25メートルを休まず泳ぐ方用です。ターンはしないでください」
「途中で立ち止まっても結構です」
「水中ウオーキング専用です。泳がないでください」

などと決められている。
曜日によっては子どもたちのスイミングスクールも端のほうのレーンで行われている。
(うちのモミィも、毎週土曜日に通っている)。

僕はいつも 「途中で立ち止まっても結構です」 と記されているレーンで泳ぐ。

水泳が苦手な僕は、最初の頃は25メートルをクロールで泳ぎ切ることが出来なかった。
中間地点で一度立ち止まり、一息ついてまた泳ぎ、向こう側にたどりつく。
泳ぎは上達しなくても、運動にはなっているので、それは別に気にしなかった。
しかし、親切な人たちが、いろいろと僕に泳ぎ方を教えてくれるのである。

プールで泳いだり、水中歩行したりしているのは、ほとんどが女性である。
僕が行く時間帯は午前10時~12時頃だから、余計に女性が多いのかもしれない。
だいたい50歳代から70歳代の中高年女性が多い。だから、ますます賑やかである。

「もう、うちの旦那は毎日ゴロゴロして邪魔になるねん。何とかしてほしいわ」 とか、
「孫がおもちゃを買ってくれと言うたので百貨店に行ったら、9,000円もしたわ」 とか、
まあそんな感じで、プールを歩きながら、あるいはプールの隅で、会話がはずむ。

そういう雰囲気だから、同じ時間帯に行くと、やがて僕にも「お友達」ができるようになる。
皆さん、とても親切である。
コスパに通い始めて5年、6年というベテランさんたちが、僕の泳ぎを見て、
「ちょっとバタバタしすぎよね。もう少しゆっくり泳げば…?」
「前のものをつかむように思い切り手を伸ばして、グイっとかいたらいいのよ」
「息継ぎのとき、あごを引いて水中で伸ばしている方の腕に片耳をつけることね」
「息継ぎはね、顔を上げすぎないように、横を向く感じでね…」
「手で水をかくときは、S字型にやれば早く進むのよ」
「力を抜いてね、身体全体が水平に浮かぶのを意識して泳ぐといいわよ」

…などなど。

スタッフによる無料レッスンもあるのだけれど、僕は受けたことがない。
レッスンを受けた人たちが、クロールの泳ぎ方のコツを教えてくれるのである。
それらのアドバイスを頭に入れながら泳いでいると、わずかだけど泳ぎが楽になってきた。

最近では、水面も波立たず、ゆらゆらと気持ちよさそうに泳いでいるそうである。
自分の泳ぐ姿は自分では見られないが、「お友達」の面々が、
「上手に泳げるようになられましたね~」と言ってくれるので、嬉しい。
これも、いろいろな人にいろいろなことを教えてもらったおかげである。

昨日も、隣のレーンで歩いている女性から、声をかけられた。
「全然水しぶきがあがってませんね。ほんと、きれいな泳ぎですねぇ」
…と言ってもらったのだけど、実は息継ぎが十分にできていないので、しんどいのだ。
25メートルを泳ぎ終わると、ゼイゼイハアハアあぁしんど、とプールの端にもたれ込む。

「いや、そう見えているだけです。とてもしんどいのです」
と、僕は本当のことを言うのだけれど、他人の目からみると、
「いいえ、そうは見えませんわ。いくらでも楽に泳ぎ続けられるように思いますけど」
ということになるそうだ。

決してそんなことはありません。
25メートルを泳ぐのが精一杯なのです。
しかも、あまり頑張り過ぎると不整脈が出たりするので、それ以上はやりません。

…とまあ、僕も女性陣の中に混じっていろんなお話をするのだけれど、
最近、特に2人の女性と意気投合し、冗談を言い合って楽しく泳いでいる。
お1人は…、たぶん僕と同世代だろうと思うが、明るくて、楽しい人だ。
もうお1人は、30代前半に見える若い女性だが、こちらは素朴で真面目そうな人だ。
お互い、年齢も名前も何も知らないけれど、会うと手を振ってあいさつをする。

2人とも「息継ぎができませんの」と言い、顔を浸けたまま泳ぎ、途中何度か立つ。
しかし、途中で立っているわりには泳ぐペースが速い。一度も立たない僕よりも速い。
泳ぐたびに小休止する僕と違い、このご両人は休まずに泳ぎ続けるからであろう。
それが僕にとっては快調なテンポとなり、この人たちと一緒に泳ぐといいペースになる。

1つのレーンの右側を泳ぐのだが、こういうペースの中に入ると気合が乗ってくる。
しかし、プールを3~4往復しているうちに、ご両人に追いつかれてしまう。
僕がプールの端にたどり着いた時、そのどちらかの人がすぐ後ろから泳いで来ると、
「どうぞ、先に行ってください」と譲って、僕はその場で小休止しようとする。
すると、相手の女性は、
「いや、そんなこと言わんと、センセイが先に行ってください」 と促すので、
「センセイは疲れてるので休憩です。校長センセイが先に行ってください」
と僕が返す。するとその女性はまた、
「何をおっしゃいますやら、大センセイ。どうぞ先に行ってください」
「いやいや、理事長さま、ご遠慮なく、先に行ってください」
まるで漫才である。

お互いにそんなことで譲り合っていると、別の人が泳ぎ着いて、順番を待っておられる。
「あ、すみません。さ、さ、行きましょう」 と、漫才をやめ、女性が泳ぎ、僕があとに続く。
そして3~4往復すると、またその女性がすぐ後ろまで追いついて来る。
再び僕が、「どうぞ、先に行ってください…」と言う。 まあ、そんな具合である。

プールで黙々と泳ぐのもいいけれど、こういう交流があるのも楽しい。

いつかこの人たちを誘って、ビールを飲んで、カラオケにでも行こう…
な~んて下心が芽生え始めている僕なのである。 むはは。

 

 

 

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つい見てしまった日本シリーズ

2010年11月08日 | スポーツの話題

見ないでおこう…と思いながらも、つい見てしまったプロ野球日本シリーズ。
まあ、毎試合見ていたわけではなく、2試合だけだったけれど…
その2試合というのが、一昨日の第6戦と、昨日の第7戦だった。

両試合とも、早寝の習慣のある僕には不都合な、長時間の試合展開となった。
第6戦は、5時間43分。引き分けた終了時は深夜12時になろうとしていた。
昨日の第7戦は、4時間56分。 これも、ロッテの胴上げは午後11時を回っていた。

でも2試合とも、やっぱり最後まで見るほかはなかった。

それにしても、5時間43分というのは日本シリーズ最長時間記録だそうだ。
リーグ3位から日本一へまで到達したのも、今回のロッテが初めてだという。
「史上初」 づくめの、記録に残る日本シリーズとなった。

一昨日のテレビ中継の解説とゲストには、田尾と古田と無口な野茂が出ていた。
アナウンサーが 「いや、もう、歴史に残る最高の試合となりましたね~!」
と、盛り上がる。 解説陣も 「本当に、素晴らしいの一言ですね」
そう言っていたが、中日が拙攻を繰り返していただけの低レベルな試合であった。

昨日は、解説とゲストは金村、江本、そして清原であった。
前日と同じく、延長戦に入ると、アナウンサーは例によって、
「なんという展開。 昨日とまったく同じように、息詰まる大熱戦です」
と絶叫していた。

だが、中日・ロッテのどちらのファンでもない人間の目から見ると、凡戦である。
試合展開に、ピリッとしたところがないのである。

何とかこの試合で胴上げを実現させたいフジテレビは、ロッテを露骨に応援していた。
もし敗れると、翌日、別のテレビ局に 「世紀の瞬間」 をさらわれることになるものね。

「それにしても、ものすごい展開ですね~」
興奮するアナウンサー。 金村も、清原も、すごい、すごい、と褒めちぎる。

しかし、その横で、もう一人の解説者の江本孟紀が、ふとこう言った。

「でもねぇ、延長戦になるのは、だいたいヘタなもの同士の試合に多いんですよね」

おぉ…! なんという単刀直入にして大胆な発言!

…しかし、それはこの2試合を見ながら、僕も感じていたことである。
熱戦イコール延長戦…とは限らない。 要は内容である。
少なくとも、この2試合、脱力感を覚える場面が多すぎた。

江本は、こう続けた。
「だって、この両チームは、ともに決め手がないんだから…」 

さすが~、「ベンチがアホやから」 の名セリフの主である。

本当にそのとおりだったなぁ。

一昨日も中日は毎回サヨナラのランナーを出しながら、あと一本が出なかった。
ロッテも中日も、絶好のチャンスにバントすら出来なかった。
あの延長15回引き分けは、「世紀の凡戦」 …という形容のほうが実態に近い。
あんな試合に夜中の12時まで付き合わされて、翌朝が大変であった。
おまけに、翌日、つまり昨日の夜も、11時過ぎまで付き合わされてしまった。
といって、ここまで見ていて途中で消す…というのもなかなか出来ない。

まぁ、なんとかロッテが勝ってくれて一安心。
先月、巨人の目の前でやられた落合監督の胴上げを、再び見ることは免れた。

最後にひとこと。
リーグ3位から日本一になったロッテは、お見事であった。
「負けて元々。 当たって砕けろ」 の精神が実を結んだようである。

しかし、マスコミはそれを 「史上最強の下克上完成!」 と騒ぐ。

下克上…? なんというどぎつい言葉であろう。 こういうときに使う言葉か…?

3位内のチームがCSを経て日本一に輝いた…というルールに沿った上での快挙だ。

「下克上」 に、ルールや秩序はない。

せっかくのロッテの栄光に、ふさわしからぬ粗末な表現と言うほかない。











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紙一重

2010年11月06日 | 日常のいろいろなこと

昨日のブログで、車が殺到する狭い道路の脇を自転車で走った恐怖を書きました。
本当にもう、車が自分を抜いて行くたびに、生きた心地がしませんでした。

ハンドルを支える右腕の肘のわずか数十センチ横を、車が猛然と走り抜けて行くのです。
コン! …と当てられただけでそのままバランスを崩して転倒するか轢かれるかです。

帰宅したその日の夕方、わがメル友のじゃいさんにこのことをメールで送りました。

もう命からがら帰ってきた…という興奮がまだ収まっていなかったこともあり、
まさにあの状況は生きるも死ぬも紙一重ではなかったか…という意味から、
「紙一重」 というタイトルでメールを送りました。

そして…。 じゃいさんから届いた返事は、タイトルは「Re:紙一重」でしたが、

「サイクリングには絶好の季節ですね」 と前置きがされたあと、

「子どもの頃、近所に床屋 『髪一重』 があり、おかみさんが一重といいました」

メール文は、それだけで終わっていました。

一重というおかみさんがいた床屋さんの名前が 「髪一重」…
「紙一重」 と 「髪一重」…。 思わず笑いを漏らしました。
このさりげないユーモアに、僕は脱帽してしまいました。

「荘厳と滑稽は紙一重である」
そう言ったのはナポレオンだそうですが、
まさにその言葉を地で行くじゃいさんの寸言。

こういう視点に切り替えて、自分の恐怖経験を客観視し、笑い話に変える…
そんな姿勢があってこそ、この 「つらくて苦しい人生」 も乗り切れるのでしょうね。

またひとつ、人生の真実を教えられ、賢くなりました。
これ以上賢くなるとどうなるのか…と、自分でも恐ろしいほどです (あはは)。

楽しいメールをくださったじゃいさんに、この場で感謝の意を表します。

このブログにも、また楽しいコメントをくださいね。


追記

上記のブログを書き終えた直後に、じゃいさんからメールがありました。

文面は…
      

    今日は快晴なのでサイクリングで栗拾いに行きます。

    これは 採栗ング でしょうか?

      
参りました。








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一転 恐怖のサイクリング

2010年11月05日 | ウォーク・自転車

昨日11月4日は素晴らしいお天気であった。
雲ひとつない…と思ったら、2つほど浮かんでいましたけど (笑)。

この日、モミィの初めての遠足だった。 絶好の日和に、天を仰いで感謝した。

行く先は、奈良県の二上山という山のふもとにある 「ふたかみパーク」。

正式には、 「二上山ふるさと公園 ふたかみパーク」 という。

園児の年長さん2組と年少さん1組の合計69人が、近鉄藤井寺駅から電車に乗った。

駅までモミィを送っていった妻が帰って来るのを待って、僕は外出の用意をした。
このさわやかな秋晴れの下、家に引っ込んでいるのはもったいない。

それに、毎日10時~12時に水泳に通っているコスパも、木曜日は休みだ。
ちょうどいい。 マウンテンバイクで、奈良方面へ出かけよう…

リュックを背負い、マウンテンに乗った僕がめざした場所は…

うふふ~。 二上山のふもとにある 「ふたかみパーク」 なのであった。
つまり、モミィが今日遠足で行っている場所である。

園児たちの様子を、遠目であってもひと目見たい…という誘惑もあった。
同じサイクリングをするなら、それのほうが楽しみが大きいだろう。

片道で1時間半ほどという手ごろな距離。
僕の家の近くに大和川とその支流の石川という川が流れていて、
そこの河川敷が、美しく整備されたサイクルロードになっている。
むかしマラソンをしていた頃、休日にはこの道を往復40キロ走などをしたものだ。

「ふたかみパーク」 へは、そのサイクルロードを通って行けるので好都合だ。

久しぶりのサイクリングに、ルンルン気分の僕であった。
「♪ サイクリング サイクリング ヤッホー ヤッホー 」 
などと、50年前にはやった流行歌などを口ずさみながら、地図を確かめる。

しかし、地図を見ると、サイクルロードより近道のコースがあった。
国道165号というのがあって、それを走って行くと、道なりで 「ふたかみパーク」 へ着く。

じゃぁ、往路にこの道路を走り、復路にサイクルロードを走って帰ろう。

…という選択が、とんでもないミスだったことに気づいたときは後の祭りだった。

が~~~~~ん。

国道165号線は大阪から山間部を奈良の香芝市の方に抜けて行く道である。
道路は狭い1車線で、しかも車の量が、ダンプカーなど、ものすごく多い。
さらに歩道などという気の利いたものもないし、自転車が走るスペースもない。
危険なこと、このうえもない。
対向車線にも、自転車などが走っている姿はまったく見えない。
誰もこんなところを、自転車では走らないのであろう。 あぁ、これは大失敗だった。

しかも山間部だからカーブが多い。 車から僕の自転車が死角になる恐れもある。

轟音を響かせて後ろから大型車が僕の自転車のすぐそばを追い抜いていく。
大げさではなく、僕の右の肘のすぐ横を、車がビューンと走り抜けるのである。
身体が少しでも右によれると、車にはね飛ばされかねない。
そう思うと、恐怖のあまり、よけいに自転車がぐらつく気がする。

まあ、車から見れば、僕のような自転車は危なっかしくて邪魔なんだろうけどね。

上り坂でハアハアと息切らせながらペダルを踏むが、身体の疲労などどうでもよかった。
僕を抜いていく何十台か何百台かの車の運転手の一人でも、ハンドル操作を誤れば…
その瞬間に大怪我か、最悪の場合、一瞬にしてあの世行きだ。 あぁ…。
体よりも神経のほうが恐怖で縮み、心拍が乱れ始め、不整脈が出る気配もした。

「えらいとこへ来てしもうたなぁ」

トライアスロンをしていた知人が、自転車の練習中に車にはねられ、
片足を切断して、義足になった、ということがかつてあった。 
そんなことが、ふと頭に浮かんだ。

後悔しても遅い。 戻るのも危険である。 この先、進むしかない。
「ヘルメットをつけて来たらよかった」 と、これまた悔んだ。
僕が被っているのは普通の野球帽である。
まさかこんなひどい道路だとは思ってもみなかったもんね。

どれくらい、こんなコースが続いただろう。 長~い、長~い時間だった。

ようやく山間コースから、前方の景色が大きく開けてきて、道幅も広くなった。

やれやれ…
一命を取り留めた…という正直な感想であった。
こんな緊張を覚えたのは、1年半に仕事を退職してから初めてのことである。
考えてみたら、体力は酷使することはあっても、精神的な緊張は今の生活にはない。

さて…
そこから、また道を間違え、あちらをウロウロ、こちらをウロウロ。
二上山を目印に、狭い村の中の道を走っていると、畑に出てしまったり…
ふと気がつくと、二上山が後ろの方に遠ざかって行ったり…
なにせ、道はわかっているものと思っていたから、地図は携帯しなかった。

ずいぶん遠回りしたあと、やっとのことで「ふたかみパーク」へ着いた。

動悸はまだやまず、デパスを飲み、不整脈の薬を飲んだ。

二上山麓の、広い広い芝生の運動場のような場所に、幼稚園児たちが遊んでいた。

一般の人たちも、レジャーシートを広げてお弁当などを食べている。

僕は芝生にぺたんと座り込み、グッタリとなりながら、幼稚園児たちのほうを眺めた。
70人ほどの園児の中に、モミィもいるのだろうけど、遠目なのでむろんわからない。
まあ、どうしてもモミィを見たい、というより、遠足がどんなのものなのか見たかっただけだ。

広場に散らばって走り回る園児たち。
そのうち、「お弁当ですよ~」 という先生の声が響き、園児たちはまた歓声を上げた。

野球帽にサングラスをかけて、じっと園児たちを観察している自分に気がついた。
「あ…。あんまりこんなことをしていたら、怪しげな男に間違われそうだ」

お弁当の時間だから、もう12時である。

モミィたちは2時に藤井寺駅に帰ってくる。
駅前に直接保護者たちが迎えに行くことになっており、今日は僕が迎えに行く。

急いで帰らなければならない。

よっこらしょ…と、重い身体を起こして立ち上がり、僕は園児たちを見ながら、
自転車を置いてある場所に戻って、帰途についた。

今度はよく知っているサイクルロードを走っての帰路だから、問題はなかった。
ただ、長い間サイクリングに出ていなかったので、肩や首のあたりが痛かった。

帰宅したら1時半近くになっていた。
「どうだった…?」 と聞く妻に、「死ぬかと思ったわ」 と答えながら、
あわててシャワーを浴びて身体と髪を洗い、髭を剃って、着替えた。

そして、今度はマウンテンではなく、前後に子どもの座席の着いた自転車を出して、
大急ぎで藤井寺駅に向かった。 あぁ、せわしな。 あぁ、しんど。
まだ、お昼御飯も食べていないやんか。

2時前にギリギリに駅前に着くと、大勢のお母さんたちが集まっていた。
そこへ、電車から降りてきた園児たちが、ぞろぞろと歩いてくる。

その中からモミィを見つけ、担任の先生と園長先生にお礼を言いモミィを引き取った。

「どうやった、ふたかみパークは面白かった…?」と僕。
「うん。駅からねぇ、ず~っと歩いてねぇ、芝生でなぁ、いっぱい遊んでん」

「あぁ、ほんまにあそこはきれいもんね~」
「のんちゃん、知ってんの…?」
「え…? 知らん、知らん。 知らんで。 ふたかみパークに1回行ってみたいわ」
まさか、つい今しがた、こっそり見に行ったとは言えない。

「今日ね、あやしいおじさんがね、ふたかみパークの芝生におったで…」
と、モミィが…な~んて言うはずは、ありませんけどね。 あはは。

まあ、それにしても、行く時の自転車の恐ろしかったこと。
もう、二度とあの道は走らないぞ~。 ほんまに、怖かった


 

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胡散臭い話

2010年11月02日 | ニュース・時事

ロシアの大統領が北方領土の国後島を視察した話とか、
尖閣諸島問題のビデオを一部国会議員だけが見て一般公開されない話とか、
耳かき店女性ら殺害事件の被告が死刑にならず無期懲役になった話とか…

なんとなく気になるようなニュースばかり流れた今日だけど。

そんな中で、わけのわからないニュースが、ひとつあった。

タレントの水嶋ヒロがナントカという文学賞を受賞したそうだ。
そして、その賞金2000万円を辞退した、というのだ。
受賞したのも不思議なら、辞退したのも不思議だ。 不思議だらけの話である。

ワイドショーによると、水嶋ヒロは少年時代をスイスで過ごし、英語とドイツ語が話せ、高校ではサッカーで全国大会に出場し、そのあと慶応大学に進み、イケメン俳優となり、綾香と結婚して、バセドー病の彼女を 「一生守ります」 と言い、ごく最近、芸能界を引退して作家生活に入ると宣言した。

なんとまあ、絵に描いたようなヒーローである。 しかも、まだ26歳だ。

世の中の「カッコいい!」を独り占めしているじゃないか(…と、ヒガんでいる)。

そして、今回の文学賞受賞である。
「作家生活に入る」と宣言した直後の話だ。
宣言したときは、すでに小説は応募していたということである。
それが、見事に(?)大賞を射止めた。
ほんまかいな…? と疑いたくなる。

芸名ではなく、実名に近いペンネームで応募していたので、選考委員たちは、誰もそれが水嶋ヒロの書いたものとは思わなかったそうである。

さらにきょう、賞金の2000万円の受け取りを、水嶋ヒロは辞退した、というニュースが流れた。

なんや、それ。

「私だったらもらいますけどねぇ」と、テレビに出ている人たち。
まあ、普通は、もらうよね。
賞をもらって賞金を辞退するって、あまり例がないだろ。

辞退理由は 「他の人の才能に役立ててほしい」 そうだけれど。
これまたカッコいい~。

でも、受け取ると何かやましいところでも、あるのか…と勘ぐりたくなる。

ちょっと、不思議。 いや、だいぶ不思議。

どんな小説か興味津々だけれど、まだ内容は公表されていない。

マスコミからの 「いつ発売されるのか?」 という問い合わせについても、
この文学賞を主催したポプラ社では、
「作品に手を加えなければならないので、いつ刊行されるか未定」
と言い、それ以上のことはノーコメントとしている。

つまり、選考委員らのほかは、誰もこの小説を読んでいないのだ。
(選考委員がちゃんと読んだのかどうかも不明だが)

村上春樹じゃあるまいし、小説の中身をシークレットにしてどうする…?

この話は、どう考えても報道どおりには受け取れない。
あやしい話だね~、どうも。

ポプラ社の宣伝…としか、考えられないって気がする。

たぶん、何日か後に、週刊誌あたりで真相が暴露されるのではないか。

     ………………………………………………

冒頭のロシアや中国のヤクザまがいの圧力にやられっぱなしの日本。
小沢氏にふりまわされる民主党首脳部。

最近は、摩訶不思議な出来事が多すぎますね。

日本国の官も民も、なんだかガタガタになってきたようで…。

と書いていたら、民主党国会議員・三宅雪子さんが酔って4階から落ちたとのニュース。

しっかりしいや、民主党のセンセイ。 












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