僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

石田純一は完全解禁…? ~不信のとき~

2016年08月30日 | 映画の話やTVの話など

   


7月8日に「消えたテレビドラマ 原因は石田純一か?」
というブログをアップしたところ、それからず~っと、
このブログの下のほうに出ている「このブログの人気記事」
のベスト10に入り続け、今日も1位にランクされている。

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/c1c2520395de84c036bc3d8281067326

この記事が、今でも多くの方々に読まれているのか~
…と、改めて思っているところである。

このブログで書いた話は、つまり…
7月に石田純一が東京都知事選への出馬を希望し、
記者会見を開いたことが発端で、ちょうどその時、
関西テレビでお昼に再放送されていた「不信のとき」
というドラマを、たまたま僕が面白いと思って見ていたが、
そのドラマに石田純一が脇役で出演していたので、それが…
テレビ局が自主規制したのか、放送をいきなり中止したのだ。

10年前のドラマの再放送ながら、毎回次のストーリーが気になって、
自分としては、初めて、午後の再放送ドラマに興味を持ったのに、
石田純一のおかげで、第5話をもって、急に中止されてしまった。

本当にガッカリだった。

レンタルビデオ店に行っても、やはり同じような人が沢山いるのか、
「不信のとき・第6話」からのDVDはいつも貸し出し中だった。

そしてそのことも忘れかけていた先週の23日(火)のこと、
ふと新聞のテレビ欄を見ると、「不信のとき」が出ていた。
この日から、改めてその再放送が第1話から始まったのだ。
しかし、それを知ったときはすでに放送時間を過ぎていた(泣)。
僕は第3話~5話しか見ていないので、
第1話から見たかったんだけどなぁ。

早速、翌日の24日の第2話からずっと番組予約をした。
そして昨日が第5話で、今日が第6話。
今日からの分を見ていないので、楽しみだ。

それにしても、石田純一はハタ迷惑な人である。
都知事選に出ても、小池百合子さんに勝てるはずないし。

「不信のとき」の彼の役は、主人公の石黒賢の知人で、
妻や成人した子がありながら、18歳の少女と不倫をし、
子どもまで孕ませる…という役柄である。


  

石田純一に東京都知事というのは似合わないが、
こういう役柄なら、まさにピッタリだよね。

ともあれ、彼のせいで楽しみにしていたドラマを中断されたが、
無事、また再放送が始まったので、楽しみがひとつ戻ってきた。

…といっても、東京都知事選はとっくに終わり、
小池知事はリオで五輪旗を受けとって日本に帰ってきた。

今頃になって石田純一の「解禁」で再放送の再開というのは、
ちょっと遅すぎるんじゃない?…と思ったりしますけどね。

 

*おまけ  ~番組キャンセル賠償金~

高畑淳子の息子が、卑劣な犯行で逮捕された件で、
息子の出演番組のキャンセルや出演者差し替えなどで、
TV局等への膨大な賠償金のことが取り沙汰されています。
一説では、億単位に上がる…とも。

これを見て、石田純一が都知事選出馬を諦めた一番の理由が、
やはりTV局や企業への膨大な賠償金の負担だったことがわかります。
そんな巨額の賠償金を払ってまで都知事選に出馬するのは、
さすがに妻の東尾理子さんたちが許さないと思いますね~。

 

 

 

 

 

 

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夏の思い出 ~南部(みなべ)~

2016年08月27日 | 旅行

今日は8月の27日。
40日以上あったモミィの夏休みも、今日を入れてあと5日。
学校が始まるまで、もう少しのがまんですかね~ (笑) 。

さて、夏休みにはモミィを2回旅行に連れて行く…
…というのがここ数年のわが家の慣例になっています。

でも去年はひどい目にあいました。

まず7月下旬に行くはずだった和歌山県・白浜への旅行は、
台風11号で、特急「くろしお」の線路上に土砂崩れがあり、
復旧工事のため1週間運休。結局キャンセルとなりました。

次に、8月下旬に計画していた沖縄県石垣島への旅行は、
台風15号の直撃で飛行機が飛ばず、これもキャンセル。

両方とも計画していた旅行が中止になるというチョー不運。
で、急きょ、近場の遊び場や海水浴に変更しました。

その点、今年は7月の鳥取旅行が素晴しいお天気だったし、
今回の和歌山県の南部(みなべ)も晴天で、よかったです。

今回はもう一人、次男の息子で小学校1年生のケイも一緒でした。
2人はとても仲が良く、モミィはしばしば次男宅に泊まりに行き、
先日は、ケイが、初めてひとりでわが家に泊まりました。


さて、21日。大阪の天王寺から特急「くろしお」に乗車。

南部(みなべ)というのは白浜の手前にあり、
大きな梅林で有名な景勝の地です。
(ホテルの売店にはズラリと梅干が並んでいました)

この日、僕たち4人は天王寺を午前9時50分に出発し、
約2時間列車に揺られ、南部に11時44分に到着しました。

これまでは3人の旅行なので、妻とモミィが一緒に席に座り、
僕は通路を隔てて1人で座る。隣に誰が来るかわからないし、
弁当を広げてビールを飲んでいても、何となく落ち着かない。
(新幹線なら3人並んで座れますけどね~)

…が、今回は4人なので、シートを回転させて、
みんなで向かい合わせに座ることができたので、
僕自身もリラックスできました。

車内で、モミィとケイはずっとしゃべりっ放しで、
窓の外の景色には目もくれませんでした。 


 
さあ、出発。 天王寺で。ケイは大きなリュックを背負っています。 


   

南部駅には初めて降りたのですが、小さな駅でした。
駅には売店もなく、駅前も閑散としていました。

南部駅に、迎えのバスが来てくれていたので、
それに乗って、南部ロイヤルホテルへ向かいました。
 


 
ミニバスの助手席に座って運転手さんと話しながらホテルへ。
右のほうに、僕たちが泊まる南部ロイヤルホテルが見えてきました。

ホテルに到着したのがちょうど12時だったので、
フロント前にあったティーラウンジで、昼食をとりました。
ケイはホットケーキを、モミィはスパゲティを食べていました。
 


 
 ホテルの部屋から海が見える。
 手前の左側のほうにプールがあり、
 そこからこの海岸へ下りて行けます。
 


 
  チェックインをして、さっそくホテルのプールへ。
 ケイは背が届かないので、浮き輪があるとはいえ、
 目が離せません。モミィもケイにピッタリと。 


 
 そのあと、プールから階段を下りて、海岸へ来ました。
 ホテルへの送迎バスの運転手さんが、
 「今日は少し波が高いようです」
 と言ったとおりの波の状態でした。
 (上に見えているのがホテルです)



 
 強い波にザザーッと打ち上げられて喜ぶケイでした。 

 

  
  プールと海を楽しんだ後、部屋に戻り、お風呂に入り、
 バイキングの夕食のあとは、ゲームを楽しみました。
 

翌日もプールへ行き、そのあと海へ行って遊んだ後、
午後1時過ぎにチェックアウトして、送迎バスで駅へ。

 

 
小さな駅で特急「くろしお」が来るのを待つ2人でした。

 
またひとつ、夏休みのいい思い出ができましたね~

まあ、僕たち大人2人は、少々疲れましたけど…



*追伸

実は5年前、ケイが2歳になったばかりの頃、
今回と同じ4人で1泊旅行をしたことがありました。

その時のブログ(20011年11月22日)をご紹介します。 

              

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/029e84b952822fff25f25b202b03df8f


この当時、モミィは6歳でした。

 

 



 

  

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オリンピックと不整脈

2016年08月23日 | 日常のいろいろなこと

リオ五輪も終って、寂しくなったけれど、
もう一方で「やれやれ…」という気持ちもある。
生活リズムが乱れると不整脈が出やすくなるが、
大会期間中は、いつにも増して多く不整脈が出た。

中でも先週の17日~18日にかけては、約36時間、
つまり丸1日半もの間、不整脈が止まらなかった。
比較的軽いめの不整脈だったけれど、この10年間で、
これほど長い時間続いたのは、初めてのことである。
(軽いめでなければ、もっと早く病院へ行きましたけど)

で、もうこれは病院へ駆け込むほかない…と、
行く前にシャワーを浴びて身体を拭いていた時に、

36時間続いた不整脈が、す~っと収まった…というわけで、
どうも、なんのこっちゃ?…というような話でした(笑)

まあ、本当のことを言うと、生活リズムが乱れただけではなく、
深夜のオリンピック中継を見ながらビールや缶チューハイを飲む
…という「飲み過ぎ」が実際の不整脈の多発原因でしょうね(泣)


さて、そのリオ五輪も、いろんな感動のシーンが生まれましたが、
特にバドミントン…モミィの仲良しのお友だちと顔がそっくりな、
松友選手が、高橋選手と組んだダブルスで、金メダルを獲りました。
このバドミントンの金メダルが、最もうれしかったことの一つです。

それと陸上男子400mリレーも「世界の2位」とは、大したものです。
北京大会の銅メダルは、ライバルチームの失格が多く、
向こうから転がり込んで来た銅メダルでしたが、
今回は、実力でもぎ取った銀メダルでした。

レスリングの吉田沙保里選手は残念でしたが、
彼女の功績は、はかり知れないものがありますよね。
本当にこれまでよく頑張ってきたと、拍手を送りたいです。

吉田選手は今大会の日本の選手団長でしたが、
これが影響したのではないかとの声もあります。
実は以前「吉田、選手団長に決まる」のニュースを見たとき、
一抹の不安を感じました。選手団長は金メダルを獲れない…
…というジンクスがあると言われていたからです。

あの柔道の井上康生も、団長の時は金メダルを獲れなかったし…
やはり、選手団長というのは、それなりの重圧があるのかも。

ある評論家は、
「選手団長など必要ない。東京五輪では廃止すべき」
…とネット上で述べていました。


…と悲喜こもごもだったリオ五輪も、昨日終りました。

僕たちはおととい・昨日と、家族で小旅行をしてきました。
今回は妻とモミィに加え、次男の息子ケイ(小1)も一緒。
4人で、和歌山県の南部(みなべ)というところへ行きました。
(南紀白浜の少し手前にあります)

ホテルにプールがあり、そのプールの横の階段を降りて行くと、
海岸があって、プールと海との両方を子供たちが楽しみました。

関東から北の方では台風で大荒れの天気だったようですが、
こちらは、少し海の波が高かった程度で、いいお天気でした。

だから、この両日はオリンピック中継も見ずじまい。
21日の夜は早い目に寝て、アルコールも少し控えて、
不整脈が出ないように注意したのが功を奏したのか、
体調はとてもよく、僕自身もプールや海を楽しめました。


次回は、その様子を報告します。

 

 

  

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伊藤美誠(みま)選手のコーチが“あの人”だったとは…

2016年08月18日 | スポーツの話題

下手をすれば3つとも銀メダルになっていたかも知れない…

そんな、今朝の女子レスリングの決勝戦。
登坂、伊調、土性の3人がそろって金メダルを獲った。

いずれも大逆転の勝利だった。

登坂はリードされたまま、残り10秒。
絶体絶命の状況から、ものの見事に逆転した。

伊調も同様、リードされた土壇場で逆転した。

2人続けて金メダルの快挙。
よくまあ、最後の最後にあんな力が出せるものだ。

3人目の土性も、最後に逆転して勝った。

ホント、3人とも劇的な逆転勝ちだった。すごいなぁ。
これで日本の金メダルは10個と、2ケタに乗りましたね。

  ……………………………………………………

さて、昨日、話題になった卓球女子団体に関して…

その中の最年少の伊藤美誠(みま)選手のことだけど、
この、まだ15歳の伊藤選手は、静岡県磐田市の出身だが、
3年前から大阪市に移り、今は高校に通いながら練習に励んでいる。
練習は「関西卓球アカデミー」というところで行なっているそうだ。


昨日の朝日新聞の夕刊に、こういう記事が載っていた。


 


この文章の中に、関西卓球アカデミーのコーチの氏名が出ていた。
それを見て、僕はびっくり仰天したのである。


   



ここに出てくる「コーチの大内征夫さん」という方は、

僕の高校時代の体育の先生だが、それ以上に縁の深い方なのだ。

僕は近畿大学附属高校を卒業して、そのまま近畿大学へ進んだので、
学生になってからも同じ敷地にある高校の職員室へよく遊びに行った。
中でもこの大内先生とは、特に親しく話をさせていただいた。
先生が、卓球では大阪でもかなり有名な人だとは聞いていた。

そして僕が大学3年生の20歳の時、
「北海道まで自転車で往復走ってきます」と先生に伝えると、
「うちの嫁さんが網走出身なのでその実家に寄って行けよ」
と言い、その網走のお家の方に手紙を送ってくださった。
そして、網走では先生の奥様のご家族に大歓迎を受けた。
アポロ11号の月面着陸もこのお宅で見た。昭和44年7月のことだった。

そしてそれから数年後、僕が結婚するとき、
大内先生宅にお邪魔して、仲人をお願いした。
「仲人なぁ…それはちょっと荷が重いわ」
と、当時はまだ30歳前だった先生は、そう渋ったあと、
「司会だったら、してもいいけどなぁ」とつぶやかれた。
「では、司会をお願いします」と僕は即座にお願いした。


先生は、結婚披露宴の場を、実に楽しい司会で仕切ってくれた。

それ以来、ずっと年賀状のやり取りは続いているが、
最後にお目にかかったのは、もう40年以上前になる。

でも、年賀状で近況を詳しく書いてくださるので、
大内先生が卓球で活躍しておられることは知っていた。

ロンドン五輪の翌年の年賀状には、
「やってくれました!」と、
卓球女子が団体で五輪初のメダルを獲得した祝賀会場で、
大内先生が写っている写真が印刷されていた。

僕はその時、
「へぇ、先生も日本の卓球界で活躍されているのか」
…と、感心したものである。


それが、昨日の新聞記事で
「伊藤美誠(みま)選手のコーチ」
として紹介されていたので、またまたビックリした。

去年、うちの母が亡くなって、喪中だったため、
今年はお互い年賀状のやりとりがなかったので、
先生の近況について詳しくはわからなかったが、
今回の記事で、益々お元気で活躍中なのを知った。


さっそく、先生に残暑お見舞いのハガキを書き、
卓球女子団体銅メダルと、伊藤選手の活躍ぶりに対して、
「おめでとうございました」とお祝いの言葉を送ろうと思う。

 

 

 

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やかましいわ!

2016年08月16日 | 日常のいろいろなこと

バドミントンの女子ダブルスは、世界ランキング1位だそうである。
(…ということは、金メダルに一番近いわけですよね)

高橋選手と松友選手で「タカマツ・ペア」と呼ばれているが、
実は松友選手の幼さの残る顔が、モミィの親友とそっくりなのだ。
よくわが家にも遊びに来ていた子で、まるで瓜二つである。
だから、テレビで競技を見ていても、常に松友に目が行く。

昨日の夜、その「タカマツ」がマレーシアを破り、
準決勝進出を決めた試合を見た。
ふだん、バドミントンはあまり見ないので、
興味深く観戦させてもらった。なかなか見ていて面白い。

2人はぜひ世界一の実力を発揮して、優勝して欲しい。


さて昨日は8月15日。お盆の真っ最中である。

お盆だから、母の納骨先である天王寺の一心寺へ、
供養参りに行かなければならない。

ところが、7時半から卓球女子団体の準決勝のドイツ戦があって、
これがまた、伊藤が破れ、石川が勝ち、福原・伊藤のペアが負け、
石川が再び勝ちと、一進一退で2対2のタイになるという大接戦。
最後に福原が登場して、これに勝てば決勝進出となる究極の勝負。
追いつ追われつの激しい戦いが続く。しかし、もう11時になった。

後ろ髪を引かれる思いで家を出て、
3人で天王寺の一心寺へ向かったのだった。

JR天王寺駅から一心寺へ行く道は、人でごった返していた。
この方向は、四天王寺もあり、他にもお寺が多い。
特に一心寺へ行く人たちが多くて、
お寺に着いても大変な人の数だった。

雨の天気予報だったけど、結局雨は降らず、暑い1日だった。

去年が母の初盆だったが、あれからもう1年が経った。早い~


それにしても…
オリンピックを楽しんでいる僕が言うのもなんだけど、
テレビは連日、どれもこれもオリンピックばっかりで、
何度も何度も、同じ映像を見せられる日々である。
さすがに「またこのニュースか」と思ったりする。
(スマップ解散のニュースも影が薄くなるほどだ)

ところで昨日、ウダウダ会の先輩から長い手紙が届いた。
この人はスポーツ番組にはゼンゼン関心のない人だ。

関心があるのは、日本酒と全国の秘湯めぐりである。

手紙は、以前から気になっていた大分県別府市内にある
「浜脇温泉」という幻の風呂の存在を突き止めるために旅に出て、

そして、それをついに見つける…

という内容の、楽しい手紙だった。

ついでに、先輩は、その手紙の中で、

「このごろテレビは、どこをひねってもオリンピックと甲子園。ようやく日が暮れると今度はプロ野球ナイター。いずれのアナウンサーも絶叫に次ぐ絶叫で、これでは隣の北朝鮮放送のあのおばさんのほうがまだマシ、と思いたくなりますね」

というようなことも書かれていた。

そう思っている人も、多いのでしょうね。

それでも僕は、今日もオリンピックネタで終ります。

今日の未明に行なわれた体操種目別・跳馬の決勝で、
白井選手が新しい技を成功させ、銅メダルを獲った。
僕はこの技が成功したら金メダルかなと思っていたけど、
世界にはそれ以上の跳馬の強豪がいて、結局3位だった。

競技が終わり、インタビューに応じた19歳の白井は、
「内村選手の後継者になりたいです」と言ったあと、
「自分の将来が楽しみです」と笑顔で語った。

自分の将来が楽しみ…
…とは、夢のある言葉ですね。

妻に、そのことを伝え、
「自分の将来が楽しみ…と言える人生はいいな~」
とつぶやいたあと、
「それに比べて僕なんか、将来は…」
とそこまで言うと…モミィが横から、

「…真っ暗やなぁ」と、口を出した。


やかましいわ❗  

 

 

 

 

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家と違う、ちゅうねん!

2016年08月13日 | スポーツの話題

今朝は柔道最後の種目、男子100キロ超級の決勝を見たけれど、
残念ながら日本の原沢は、フランスの選手に負けてしまった。

指導の差で負けたのだが、相手は指導を誘うだけの戦術で、
組もうとせず、技も出そうとせず、何となく釈然としない。

…と、まあ、どうしても日本選手が判定で負けると、
その判定に不満を持ってしまうのは「えこひいき」?

柔道と同じ時間帯に、テニスの錦織の準々決勝が行なわれていた。
柔道での悔しい思いから気分を変えて、次は錦織に声援を送った。

試合は後半、追いつ追われつの大接戦を展開したが、
大詰めになって相手がリードして勝利が目前となった。

あぁ、錦織もここまでか…と思っていたら、
最後の最後に信じられない攻撃を見せて、逆転の勝利。
準決勝進出を決め、96年ぶりのメダルへ王手をかけた。

それにしても…
あれだけ追い詰められて、よく盛り返せるものだと、
あらためて、錦織の強靭な精神力には、感服する。

体操の内村もそうだが、本当にすごい粘りと気力だ。
もし僕なら、追い詰められると「あぁ、もうあかん」
…と、すぐにあきらめてしまうんだろうな~。

 …………………………………………………………

さて、昨日の話だけれど…

柔道で男子が銅メダルを獲ったのを見た後、
午前8時半ごろから卓球の3位決定戦を見たが、
水谷が卓球シングルスで日本初の銅メダルを獲得。
卓球界に新しい歴史の1ページを開いた。
試合は、これもハラハラの連続だったけれど、
まさに水谷の精神力には、感服の至りであった。

そのあと、10時頃から始まった水泳は、
スポーツクラブに行って、ジムの中で見た。

ジムの窓際の上に、大きなテレビが並んでいる。
水泳の生中継があるのはMBSテレビだったから、
そのテレビに近いバイクのマシンに座ってペダルをこぐ。
負荷を一番軽くして、ゆっくりと、ペダルをこぐ。
(なにぶん長時間、そこにいるわけですからね)

手元にテレビのイヤホンの差し込み口があり、
そこへ持参のイヤホンを差し、チャンネルを合わせる。

テレビの水泳の中継を見ながら、ペダルをこぐ。
館内は涼しいし、運動しながらの観戦は快適である。

女子200m平泳ぎで金メダルに輝いた金藤さんは、
前回ブログにも書いたように金メダル有力だったが、
なかなか、その通りに行かないのがオリンピックだ。
しかし、見事なレースで、この決勝を制した。感動!

その瞬間、足を止めて、思わず拍手した僕。
音声無しで、テレビだけ見ていた隣の人が、
僕が大喜びで拍手したのでこちらを向き、
「優勝?」と僕の顔を覗き、念を押した。

そのあと、萩野が銀を獲った200m個人メドレーも、
その他の種目も、全部バイクをこぎながら観戦した。

おかげで、水泳の主な種目が終るまで、
2時間近くバイクのペダルを踏み続け、
ふくらはぎに筋肉痛が起きて困った(笑)


おまけ

1週間前の金曜日のお昼前。ジムでのこと。
バイクをこぎながら、男子サッカー予選、
日本対ナイジェリア戦を観戦していた。

隣のバイクにも、男性がイヤホンを差してテレビを見ていた。

そのとき…
リードされた日本が、相手ゴールに迫りシュートを放った。
「やった、入った!」
と思ったら、ボールは、ゴールポストに当たってはね返った。
その瞬間「あっ!」と僕が叫び、隣の男性も同様に叫んだ。

2人とも耳にイヤホンをしていたので、
自分たちの声の大きさがわからなかった。
その直後、まわりを見ると、ほかの人たちが、
「何が起こったのか?」
…というような表情で、こちらを見ていた。
その中には、眉をひそめている人もいた。

他には、そんな一生懸命テレビを見ている人はいなかったようだ。

思わず隣の男性と顔を見合わせ、お互い、苦笑いした。

そして、その男性は、

「家と違う、ちゅうねん!」と言った。

ほんまですね~

一応ここは、公共の場だし、
こんな場所で叫び声を上げたら、
何か事故でも起きたのかと思われる。

恥ずかしいことでした。 

 

 

 

 

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内村航平の大逆転にびっくり

2016年08月11日 | スポーツの話題

今朝は珍しく空気がヒンヤリしていましたが、
オリンピックに関しては、熱い熱い朝でした。

午前5時に起きてテレビをつけると、
女子柔道70kg級の生中継をやっていた。
画面の右上に何やら字幕が出ている。
「ん…? なんだこれ」
寝ぼけ眼(まなこ)でそれを読むと…
「田知本・金メダル」とあった。
「えっ…金メダル?」と目をこすって何度も確認した。
決勝の直後だったらしく、試合後の田知本の姿が映っていた。

今大会、日本柔道女子で初の金メダルを獲得したのだった。
生中継で見ることはできなかったが、よかった~。

続いて男子の90kg級の決勝戦にも、
日本のベイカー茉秋(ましゅう)が登場した。
お父さんがアメリカ人でお母さんが日本人とのこと。

こちらの決勝戦は、生中継で見ることができた。

そのベイカーも有効を取り、そのまま逃げ切って優勢勝ちした。
これまた金メダル。男女とも金メダルという最高の結果が出た。

ベイカーは勝った瞬間、とてもうれしそうに笑っていた。
先日優勝した大野は、勝っても全く笑顔は見せなかった。
柔道は相手を尊ぶのが礼儀だから、勝っても笑わない…
…と、大野が後から語っていた、ということである。
「日本男児」という、今は死後と化した言葉を思う。

で、ベイカーが笑ったのは父親がアメリカ人だから?
(…って、そんなの、関係ないか?)

さあ、それから次は、テレビを…
柔道と同時進行していた男子体操の個人総合に切り替えた。
あれもこれも見なくてはならず、まったく、忙しいことだ。

個人総合は、すでにいくつかの演技を終えていて、
意外にもトップは内村ではなくウクライナの選手だった。

そのうち2位の内村が逆転するだろう…と楽観的に見ていたら、
最後から2つめの平行棒で、ウクライナが16点台の高得点を出し、
内村はさらに得点差を広げられて最後の鉄棒に臨むことになった。

この時点で、もうダメだ…と、
ほとんどの人が思ったことだろう。

僕もまあ、銀メダルでもいいし…
と、気持ちを落ち着けようとした。

アナウンサーも「奇跡の逆転なるか」と言った。つまり…
もう99パーセント優勝は無理…という意味の表現だろう。

ところが、ご承知のとおり、内村は鉄棒で快心の演技をし、
一方、ウクライナは、その鉄棒でミスなく演技を終えたけれど…

テレビ画面に、ウクライナの得点が表示される直前、
そのウクライナが肩をすぼめ「オー・ノー」のポーズをした。

僕は一体何が起きたのか、すぐには分らなかった。
そこにウクライナの得点が画面に出て、総得点で、
内村がわずかに上回って優勝したことを知ったのだ。

金メダルは、ほぼ絶望…という状況からの大逆転だった。

ぱちぱちぱちぱち     

7時台のニュースや8時からのワイドショーは、
どのチャンネルも、内村の優勝のニュースで沸きかえり、
柔道の男女同時金メダルも、かすんでしまうほどだった。

さて…7時から始まったサッカーも見なければならない。
日本が、予選最後の試合のこのスウェーデン戦で勝っても、
コロンビアがナイジェリアに勝てば、予選敗退となってしまう。

試合は日本が1対0でリードしたけれど、
コロンビアがナイジェリアをリードしているという情報。
う~ん。決勝トーナメントへの道は、険しくなってきた。

…と思ったりしながら、またチャンネルを変えて、
今度は女子卓球シングルスの福原愛ちゃんの試合を見た。

昨晩、準決勝で負けてしまったので、今日は銅メダル争いだ。
日本人初のシングルスでのメダル獲得なるか…と期待されたが、
相手の北朝鮮のほうが実力が一枚上で、福原は3ゲーム取られ、
1ゲームは何とか取り返したが、そこで力尽き、負けちゃった。

やれやれ…

それから昼まで水泳競技を見ていた。
女子平泳ぎ200mの金藤が準決勝でも強かった。
明日の決勝で、金メダルを期待し、注目しよう。


そんなことで…
どうも生活のリズムが狂ったままだ。

ブログも、これまで早朝に書いていたのが、
その時間帯にテレビを見ているので一定しない。


しかし、あまり熱中していると…
10年前のこともあるので、用心しなければ。

10年前の6月、何度も書くけれど、、
仕事中、突然右半身がしびれて麻痺状態になった。
一過性脳虚血発作という、脳梗塞に近い症状だった。

ちょうどサッカーワールドカップ・ドイツ大会の最中だった。
僕はそれに熱中し、寝る時間も惜しんでテレビ中継を見続けた。

それが影響したのか、不整脈が原因で心臓に血栓ができ、
その血栓が脳の血管まで流れて詰まった状態になったが、
幸いにして細い血管だったので、大事には至らなかった。

オリンピックも気になるけれど、
熱を上げすぎると、また脳の血管が詰まるかも知れない。

抑えて、抑えて…。

 

 

 

 

 

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1着2着はどうでもいい!

2016年08月10日 | 思い出すこと

連日オリンピックで生活リズムが狂う…という人も多いだろう。
夜の競技を見ようと思ったら、午後10時頃から真夜中まで続き、
柔道などの決勝は、朝の3時か4時ぐらいから始まるんだから。

朝まで起き続けているわけにもいかないしねぇ。

僕も昨夜は女子卓球の福原を見てから寝たので、
今朝は5時過ぎまで寝てしまったけれど、
朝一番に見たのは、男女とも決勝に進めなかった柔道だった。
「なんやこれは。早起きすることもなかったなぁ…」
な~んて、ぶつぶつ独り言を言ったりしてました。


世間はそんなオリンピック一色の毎日なので、
このブログで観戦記や結果の感想などを書いても、
他の人たちと同じような話ばかりになるので、
そういうことは、この際、書きません。

ただ、一つだけ、たぶん誰も書かない話があります。
それについて、今日は、ふれてみたいと思います。
(ナンだか、もったいぶっていますけど…)


今日、日本が競泳男子800メートルリレーで3位に入り、
52年ぶりに銅メダルを獲得したことはご承知のとおりです。

この52年ぶり…というのは、これもご承知のとおり、
1964年の東京オリンピック以来…ということである。
東京大会以来の800mリレーのメダルということだ。

その52年前の東京五輪は、僕が高校1年生の秋に開催された。

この時、日本は金メダル16という素晴しい成績をおさめた。
もっとも、銀は5で銅は8。メダル総数は29個だった。
前回のロンドン五輪はメダル総数が38だったので、
メダルの数だけ言えばロンドンのほうが多い。

しかし、ロンドンは金が7、銀が14で、銅が17である。
金メダル数は東京の半分にも達しない。やはり金がいい。

今回のリオも、「メダルラッシュ」とは言うが、
ほとんどが銅メダルで、金は現時点では3つである。

今後、やはり日本選手が金メダルを獲るシーンを見たい。


…さて、話は52年前の東京五輪に戻る。

この時、日本は柔道や体操などで金メダルを量産したものの、
水泳は、まったく振るわず、最終日まで一つのメダルもなかった。
(銅メダルひとつも、獲れていなかったのです)

そんなことで…
陸上に次いで人気競技だった水泳の不振に、僕たちは不満だった。

そして、水泳の最終日、最後の最後に行なわれたのが、
男子の800メートルリレーだった。

ここで、日本は奇跡の銅メダルを獲得したのである。

その時のテレビ中継を、僕は今でもはっきり覚えている。

第1泳者から第2泳者、第3泳者とつなぎ、
先頭はアメリカとどこか(国は忘れた)の国だった。
この2チームが、3位以下を大きく引き離していた。

しかし、3位争いは、まことに激烈であった。

最終の第4泳者につないだとき、
日本はわずかに3位をキープしていた。

会場は日本の応援団で割れんばかりの声援に沸きかえり、
NHKのアナウンサーは「ニッポン、初のメダルなるか!」
と絶叫する。見ているほうも、手に汗を握る。

いよいよ最後の50mになった。
そのとき、アナウンサーがこう叫んだ。
「もう1着2着はどうでもいい!」
そして、ひたすら「ニッポン、ニッポン」と叫び続けた。

それを見ていた僕の両親も、

「そや、よその国はどうでもええねん!」と叫び、日本を応援した。

そしてついに日本が逃げ切って、銅メダルを獲得したのである。

それ以来、水泳の800メートルリレーと言えば、
「1着2着はどうでもいい!」
というアナの絶叫を思い出していた僕である。

そして今日の800mリレー。
アメリカがダントツにリードする中、
日本は最終泳者まで2位をキープしていた。
強豪のイギリスとオーストラリアが迫ってくる。

両者に抜かれたら、日本は4位に落ちる。頑張れ~!

このレースの実況を、スポーツジムのテレビで見ていた僕は、
胸を震わせながら、心の中でメダル獲得を祈った。

そして、日本は最終泳者の松田が踏ん張り、
イギリスには抜かれたものの、オーストラリアを制し、
見事に3位に入って、銅メダルを獲得したのである。

「52年ぶりです! この種目、52年ぶりのメダルです!」

と、アナウンサーが叫ぶのを聞いて、
僕の心の中にあった52年の歳月が溶けるような感覚だった。

まさに今回も、1着2着はどうでもいい…の心境だった。
日本が3着にさえ入ってくれたら、という思いしかなかった。

ジムのテレビを眺めながら、「よしよし」
と、一人うなづいていた僕でした。

…という話でした。

それにしても…

52年前のことを、今でも鮮明に覚えているわりには、
最近は、昨日の出来事もすぐに忘れてしまいます(トホホ)。

「そんな話は、どうでもいい!」

…と、言われそうですけどね。

 

 

 

 

 

 

 

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リオ五輪が始まった

2016年08月07日 | スポーツの話題

昨晩は午後8時に寝て、今朝3時に起きた。
テレビでオリンピックを見るためである。
特に、柔道・男女の決勝を見たかった。
ぜひ日本最初のメダル(できれば金)を獲ってほしい。

…ということで、
いよいよ、リオ五輪が始まった。

これから2週間余り、落ち着かない日が続きそうだ。

高校1年生の時に行なわれた東京五輪以来、
オリンピックには、ことのほか熱心である。

8年前の北京五輪、4年前のロンドン五輪の時も、
当時のこのブログを読み返してみると、
自分が
熱くなっているのがわかる。


さて、今日。
午前3時に起きてテレビをつけると、NHK総合では、
ちょうど柔道の女子48キロ級の近藤が出たところだった。
(これは録画だったが、僕はもちろん結果は知らない)

準々決勝だった。
近藤はリードされていたが、後半、逆転で勝った。

そのあと、男子60キロ級の高藤が登場。
しかし、僕がちょっとよそ見している時に1本を取られた。
なんだ、それは? 高藤の弱点と言われる守りの弱さが出た…
と、テレビの解説者が言っていた。

チャンネルを民放に変えると、水泳の生中継をしていた。
見始めたとたん100m平泳ぎ予選で、小関が自己新記録を出した。
北島康介が持つ日本記録にあと100分の1秒という好記録だという。

しかし、その後出てきたアダム・ピーティという選手が、
なんと世界新記録を出した。これには、びっくり。

またNHKに変えたら、エアピストルをやっていた。
ここに、有力な日本選手がいるので注目だ。
テレビを見たとたん、アナウンサーが、
「日本の松田選手は上位8人の決勝には…」
…どうした!?
「残念ながっら、進めませんでした」
ということだった。がっかり。

また水泳に変えると、
水泳女子400mリレー予選で、日本チームが、
日本新記録を更新する記録を出した。
しかし、順位は4位だった。
世界のレベルは高いんだなぁ。

それでも、予選全体の7位で、決勝進出を果たした。

さてそのあと、柔道だ。
これは生中継である。

まず男子の高藤が、敗者復活戦で、
強豪と言われる韓国選手に優勢勝ちした。
高藤はよく攻めるが、ちょっと慌てすぎの感も…。
でも、次に勝てば銅メダルだから、頑張ってくれ~

時計は午前4時15分になっていた。

柔道女子、近藤亜美の準決勝。相手はアルゼンチン選手。
開始早々に、背負い投げをくらってポイントを取られた。
相手はかつぎ技が得意だと言われていたが、その通りだった。
近藤は得意の寝技に持ち込もうとするが、うまくいかない。
「がんばれ」と思っているうちに4分たって、試合終了。残念。

しかしまだ銅メダルの道は残る。
まもなく3位決定戦が始まった。
そして残り時間が10秒になったとき、
近藤が背負い投げを打った。しかし審判は知らん顔。
あぁ、これで延長戦かと思ったら、残り0秒になって、
審判から「有効」が宣告されて、ギリギリで勝利した。

相手のモンゴル選手は納得いかない表情だったけれど。

で、近藤は銅メダル。日本で最初のメダルを獲得した。

続いて高藤が3位決定戦に登場して、がむしゃらに攻めた。
攻めて攻めて攻めまくるが、カラ回りも随所に出る。
しかし相手は防戦一方で、指導を2つ受けた。
そのまま時間が来て、高藤は優勢勝ち。
近藤に続いて銅メダルを獲得した。
あぁ、よかった~

2人とも、銅メダルに「おめでとう」と言われても、
喜びよりも、悔しさのほうが強いような表情だった。
まあ柔道だけに、期待も大きいので仕方ないでしょうね。

今は三宅選手が出ている女子重量挙げを見ているところです。
三宅さんは1、2回目を失敗し、次がダメだと失格のところ、
3回目で、よろけながらも何とか成功し、ホッとしました。

今日はこのあと、数時間後に行なわれる、
水泳の男子400m個人メドレーの決勝が楽しみです。
ぜひぜひ、日本勢最初の金メダルを期待します。
アメリカの選手がずいぶん強そうだけど…
なんとか、萩野か瀬戸に勝ってほしいですね。

では皆さま、よい日曜日を!


 ………………………………………………………

 

その後…


おぉっ!

やりました~
萩野が競泳男子400m個人メドレーで、
見事に金メダルに輝きました! 

日本、金メダル第1号です。 

アメリカの選手が2位で瀬戸は3位でした。
2人が予選で競って好記録を出したのに比べ、
別の組の萩野は、タイムは2人を下回ったが、
楽々1位で予選通過したのがよかったのかも。

 

 

 

 

 

 

 

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鳥取砂丘へ

2016年08月05日 | 旅行

「はわい温泉」のホテル「千年亭」で2泊して、旅行も3日目。
比較的のんびりした旅だったけれど、やはりそれなりに疲れる。
今日が最終日で、夜には帰宅できると思うと、少しホッとする。

ホテルから送迎バスで倉吉駅まで送ってもらったが、
マイクロバスに乗ったのは、僕たち3人だけだった。

そして倉吉発の「特急スーパーはくと」に乗って、
30分ほどで鳥取駅に着いた。列車はガラ空きだった。

で、本日のハイライトは鳥取砂丘である。

いつだったか、長男がまだ独身だった頃、
長男の車で、妻と3人で鳥取砂丘へ来たことがある。
しかしJRで来るのは初めてなので、位置関係がわからない。

鳥取駅の改札を出ると「観光案内所」があったので、
そこで砂丘への行き方を聞き、ついでにリフト乗り場も聞いた。

教えてもらった0番線のバス停へ行き、
鳥取砂丘行きのバスが来たので、それに乗り込んだ。
バスは約1時間に1本しかないので、かなり混んでいた。

バスの終点は砂丘のすぐ入り口だったけれど、
僕らはリフトに乗りたかったので、手前のバス停で降りた。
観光案内所で教えてもらった「砂丘センター」というバス停だ。

http://www.sakyu-daisen.jp/sakyu/lift/index.html


鳥取駅からここまで、約20分程度である。

ここに砂丘へのリフトの乗り場がある。

砂丘センターには大きなお土産屋さんがあり、
その奥に食堂があったので、そこでお昼ご飯を食べた。

窓際のテーブルで、ガラス越しに砂丘を展望しながらの昼食だ。

 
  砂丘センターからリフト乗り場が見える。

そして、リフトに乗った。
「3人一緒に乗れますか?」と係員に尋ねると、
「1台お2人までです」との返事。 ついでに、
「リュックは外して横に置いてください」と言われた。

僕が先に1人で乗り、妻とモミィが次のリフトに乗った。

リフトに乗りながら、後ろを向いて2人の写真を撮る。
「危ないこと、やめてよ」と妻が不安げに声を上げる。 


 
  リフトが砂丘に向かって下りて行く。 

リフトの途中で、砂丘前のターミナルが見えた。
あのままバスに乗っていれば、ここへ着くのだろう。


 



リフトから、砂丘に降りた。

 

観光客の数は思ったほどでもない。
「ポケモンGO」の「解放区」として、
鳥取県知事が宣伝しているのがテレビで写っていたが、
見渡したところ、スマホを見ながら歩いている姿もない。

まあ、わざわざ遠方からそのために砂丘に来る人って、
そう多くはいないだろうし、下は柔らかい砂地である。
よそ見して歩いていると、砂にめり込んでひっくり返るかも知れないし。


  


しかし、砂漠を知らない僕らなどにとっては、
鳥取砂丘の広大な風景は、やはり素晴しい。
モミィも、始めてみる光景に目を細めていた。

そのモミィは、ラクダの姿が目に止まると、
「あ、ラクダや。あれに乗りた~い」と叫ぶ。

そこで「遊覧ラクダ乗り場」へ行き、
モミィは、生まれて初めてラクダに乗ることになった。


僕は昔、息子たちがまだ小学生だった頃、
宮崎県の「子供の国」で、一度だけラクダに乗ったことがある。

乗り心地がどんなだったかは、もう忘れてしまったが、
モミィはうれしそうに、ラクダに、またがった。

そこへ、ス~ッと写真屋が来て、
「ご家族で記念撮影しま~す」
と手にしていたカメラを構えた。

撮影が終わり、モミィはラクダに乗って、
その辺をぐるっと回ってもらっていた。


 


そのあと、しばらく砂丘を散策して、
バスターミナルの方へ降りて行った。

暑いので、エアコンの効いた土産物店に入った。

そこに、先ほどの記念写真の受け取り場所があったので、
引換券を見せて、僕たち3人が写っている写真を購入した。

「必ずしもご購入されなくても結構ですよ」
と、店の人は言ったが、もう出来てしまっている写真を
「いりません」と断ったら、その写真はどう処分されるのか?

そう思ったら、1,100円だったけれど、
買わないわけにはいきませんよね~


 
  これがその写真です。


砂丘からまたバスに揺られて鳥取駅に戻り、
駅前にある大丸百貨店の地下でそれぞれお弁当を買った。

午後4時54分発「スーパーはくと」に乗り、
車内でお弁当をつまみながら缶チューハイを飲み、
「やれやれ。無事に終ったぞ~」と安堵のため息…。

大阪駅に午後7時31分に到着し、
そこから環状線天王寺経由で近鉄電車に乗り、
藤井寺駅に到着。わが家にたどり着いたのは9時前だった。

お風呂の前に体重計に乗ったら、
あぁ、2キロも体重が増えていた!
明らかに、食べ過ぎ、飲み過ぎでしたね~


旅行から帰って今日で6日目ですが、
ジムで水泳やトレーニング量を増やし、
その一方で、飲食の量を抑えたところ、
今朝の時点で、2キロ減っていました。

旅行も無事に終わり、
体重も無事に元に戻り、
まずは、めでたいことでした(笑)。

 

 

 


 

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のんびりと海水浴

2016年08月03日 | 旅行

旅の2日目は「ハワイ海水浴場」へ行きました。
モミィが最も楽しみにしていた海水浴です。


ホテルへ迎えにきてくれたタクシーに乗り込むと、
「どこの海水浴場に行かれますか?」
と、運転手さんから尋ねられた。
「えっ? どこのって?」と僕。
「いくつかありますのでね~」と運転手さん。
「あ、そうなの。ハワイです、ハワイ海水浴場」
「はい。わかりました~」

そんな具合だった。

このあたりは、良質な砂浜が多いのだろう。
聞けば、近くにはいくつもの海水浴場があるという。

「いちばん賑やかなのはどこですか?」
と、念のために聞いてみた。
「やはり、ハワイ海水浴場ですかねぇ」
あぁ、よかった。

休憩所や食堂などがあることが、必要である。
何もない、ただの浜辺と海では、昼食もとれないもんね。


そして、その「いちばん賑やかな」海水浴場に着いた。
「お帰りの際は、ここへ電話をしてください」
と、タクシー会社の電話番号のメモをもらった。
そこには「日の丸タクシー」と書かれていた。


さて、いちばん賑やかな海水浴場ということだったが…


 

何枚か写真を撮ったけれど、
これが、いちばん多く、人が写っている写真である。

つまり、パラパラとしか、人がいない。

神戸の須磨や和歌山の白浜などの海水浴場に慣れているので、
これほど人が少ないと、何となく拍子抜けしてしまう。
でも、海水はとてもきれいに透き通っていて、
須磨や白浜の海水とは比べ物にならない。
さすが~、日本海である。

この日は快晴で、風もなく波もほとんどない。
だから浜に波が押し寄せるということもない。
こういうのも、僕などはとても魅力に感じた。

モミィは大喜びで、浮き輪に乗ったり、
バチャバチャと、スイミングで習っている泳ぎをしたり…。

僕も入ってみたけれど、胸の辺りまで浸かると、
「ぎゃっ」と思わず叫んだほど、水が冷たかった。

で、モミィが持っていた浮き輪を拝借し、
そこへ乗ってぷ~かぷ~か、静かな波に揺られていた。


 

 


まぁ、日常のいろんなことも忘れて、
の~んびりと、1日を過ごしました。

 

 

 

 

 

 

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倉吉から「はわい温泉」へ

2016年08月01日 | 旅行

昨日、東京都知事選で、小池百合子さんが当選しましたね。
東京都では初の女性知事ということで意義深い結果でした。
世界に誇れる日本の首都の知事として、活躍を期待します。

 ……………………………………………………… 

さて…
夏休みを利用し、2泊3日で鳥取県へ家族旅行に行った。

去年の夏休みは、計画していた2つの旅行が、
2つとも自然災害で中止になった苦い思い出がある。

ひとつは7月の和歌山県の白浜への旅行だったが、
列車の線路が、土砂崩れで運行不能になったので、
やむなく大阪市内で外国人だらけのホテルに泊まり、
プラネタリウムを見たり、大阪めぐりをしたりした。

そして翌8月の下旬、今度は石垣島へ行くはずだったが、
これがまた、大型台風の襲来で行けなくなってしまった。
代わりに海水浴場のある和歌山県の加太へ2泊で行った。


そんなことで、去年はとんだ災難であったが…
今年の夏休み前半の鳥取旅行は、天気に恵まれ、ホッとした。
(前日、お隣の島根県で起きた地震にはヒヤッとしたが…)

初日は、大阪駅から「特急スーパーはくと」に乗って、
鳥取経由で終点の倉吉駅まで3時間、列車に揺られた。


さて、予約したホテルは「はわい温泉」である。
つまり僕らは「ハワイ」に行って来たのです。へへっ。

旅行前に、モミィに、
「学校の友だちに『ハワイへ行くねん』と言ってやれば?」
と冗談交じりに言ったら、
「ほんまにハワイへ行くと思われたら、嘘つきになるやん」
と、きっぱりと拒否されてしまった(笑)。


はわい温泉は、昔は別の温泉名だったけれど、
羽合町という地名があったので、約40年前に
「ハワイ温泉」という名称に変更したという。
しかし「ハワイ」ではあまりにも紛らわしいということで、
約20年前に「はわい温泉」という、平仮名の名称に変わった。


さて、この「はわい温泉」は、倉吉駅が最寄の駅となる。
倉吉と言えば、岡山県の倉敷と間違えそうだけど、
白壁土蔵群などがあり、趣のある町のようである。

僕たちは、昼頃に倉吉駅に着き、昼食を摂って、少しだけ
そういう町歩きをしたかったけれど、とても暑かったのと、
元々乗り物にあまり強くないモミィが疲れ気味だったので、
エアコンの効いた倉吉駅のお土産物屋さんなどをうろつき、
その後、宿泊ホテルである「千年亭」の送迎バスに乗った。


この「千年亭」というホテルには、2泊した。
東郷湖畔に立つホテルは部屋からの眺望もよく、
ゆったりとした雰囲気が漂い、サービスも手厚くて、
食べ物も、カニやお造り、肉類など全てが美味しかった。

   ……………………………………………………… 

 

 

倉吉駅の北側には、「お倉」と「お吉」の銅像がありました。

真ん中の石版に「打吹童子の昔ばなし」というのが彫られています。
どういう話かと言うと…

 昔、ある狩人が水浴びをしている天女の羽衣を見つけ、
その美しい天女を妻にしようと羽衣を隠してしまった。
天女は泣く泣く狩人の妻となり、やがて2人の娘
『お倉とお吉』が生まれた。しかし…
天女はどうしても天の事が忘れられない。
とうとう娘たちから羽衣の隠し場所を聞き出し、
天女はひとりで、空高く天へと帰ってしまった。
残されたお倉とお吉は、母を呼び戻そうと近くの山へ登り
笛や太鼓を鳴らしたが、ついに呼び戻すことはできなかった…。 

これが、倉吉の地名の由縁なんだそうです。


倉吉駅の南側には、「因幡の白うさぎ」の像がありました。

 

 

ホテルの送迎バスの窓から撮りました。
ほとんど車も走っておらず、のどかな光景です。
電柱には「はわい温泉」の標識が出ていました。

  

 

ホテル「千年亭」の部屋。

 

 

その部屋の窓から見た東郷池の風景。
江戸時代の後期に、この池の底から、
湯が自然湧出しているのを、漁民が
見つけた…と伝えられています。
この向こう側に「はわい海水浴場」があります。

 

 

夕食は、なかなか豪勢でした。
モミィも大人と同じ料理でしたが、
ほとんど平らげていました。よく食べますわ(笑)

 

 

明日は「はわい海水浴場」へ行く予定である。
タクシーで15分ぐらいのところにあるそうだ。

モミィは大いに楽しみにしている。

しかし僕は「暑くてバテそうやなぁ」
と、大いに尻込みをしている。

 

 

 

 

 

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