僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

バチカン美術館ネット予約 その結果は?

2019年07月24日 | 旅行

前回の続きです。

わが家からパソコンでローマのバチカン美術館の公式ホームページを開けて入場券の予約購入をし、カードで支払いも終えたのに、向こうから来たメールの添付ファイル(PDF)を開けてみると、全11ページ中、第1ページ目だけが白紙だった。2ページ目からは美術館の宣伝資料なんだけど、それは全部入っていた。しかしそんな資料なんかはいらないんです。肝心なのは「予約を受け付けました」という1ページ目の確認書なんです。

別のサイトで日本語で解説されているページを見ると、添付のPDFファイルの1ページ目には申し込んだ日時や人数、支払い金額などの詳細が載っていて、QRコードもついていた。それをプリントして、当日見せたらそのまま入れます、とその解説ページには書かれていた。なのに僕に来たメールの添付ファイルには、その部分に何も書かれていなかった

と、ここまでは前回に書きました。

そこで、僕たちは翌17日、旅行を申し込んだアベノのJTBへ行って事情を話しました。相手をしてくれた女性係員は少し年配の方だったけれど、最初、僕が説明すると、 「そうですねぇ。お客様個人で予約されたことですからね」 と、丁寧だけど、やはり予想通りの答えが返って来た。しかし、親身にはなっていただいていたようで、「一度、その画面を見せてもらえますか?」と言われたので、僕は自分のスマホを取り出し、Yahooのメール欄を開け、バチカンから送られて来たメールを見せた。

メールの内容はイタリア語と日本語の両方で書かれていて、係員さんは英語の方を声を出して読まれた。「なるほど、当日はこの添付ファイルを入口で示してください、ということが書かれていますね」


 
これがメールの最後に添付されていたPDFファイル。

そし女性係員は「では、この添付のPDFファイルを開けてください」と言ったので、僕は添付ファイルをタッチし、次に「ダウンロード」をタッチした。するとやはり例のごとく、予約に関することが何も書かれていない1ページ目の画面が出た。


 
前回にも載せましたが、何も記載されていませんよね

「これです」と見せると、 「ふ~ん。ホントですねぇ。おかしいですね」と女性はつぶやく。 と、その女性係員は少し考えてから 「もしかすると、開け方によるのかも知れませんね」 と言った。「えっ?開け方?」 その意味がわからない。

「アドビ(Adobe)で開けられましたか?」
それでも何のことかわからないので、スマホを彼女に渡した。

今度は彼女が「添付ファイル」をタッチしたあと「ダウンロード」をタッチ。その時、いつも「〇〇(何だったか覚えていない)で開ける」という文字が出る。僕は深くは考えず、いつも「これで開く」の部分を押していたのです。それで、常に1ページ目が白紙で出てきたのです。それを伝えると彼女は、なるほど、と納得の表情でスマホを改めて僕らに示しながら、
「ここを見てください。画面の下に『他のアプリで開く』というのもありますよね」
「あ、ありますね。触ったことはありませんけど」
「ここを押すと、Adobeという名前が出てきます」
なるほど、「Adobe」というのが出てきた。 そして彼女が、「Adobeで開く」をポチンと押すと

なんとまぁ!

これまでずっと白紙だったところに、僕たちが申し込んだ詳細が記載され、QRコードもついており、サンプルとまったく同じ画面が出てきたのです。


 
出ました。僕たちの予約確認書が!

「わっ。出たぁ」

僕たち夫婦は思わず両手をパチパチ叩きました。すると係の女性もパチパチと叩き「よかったですね~」と言ってくれました。そして 「Adobe Acrobatというのは、世界でもっとも広い範囲でPDFファイルを開くのに利用されていますから。やはり、支障になっていたのは開け方だったのですね~。よかったですね」

いやぁ、さすがによく気がついてくれました。パソコンやネットの知識に弱い僕たちだけでは、おそらく解決できなかったと思います。

僕たちは何度もお礼を言い、その女性係員の方も嬉しそうな表情を浮かべていらっしゃいました。「来てよかったねぇ」と妻と話しながら、もうお昼も過ぎていたので、近くにあるイタリア料理店に入って昼食を取りました。といってもサイゼリアですけどね(笑)。

そこで僕はいつもの辛味チキンやプロシュート(生ハム)などを注文し、赤ワインのデカンタ(500㎜)を飲んでいい気持になりました。そのあと帰宅してすぐに、パソコンを開け、女性に教えていただいたとおり「Adobeから開く」で予約確認書を画面に出し、それをプリントしたのです。

やれやれ。これを持って行けば、ローマのバチカン美術館には、長蛇の列に並ばなくても入れそうです。よかった、よかった。


 

あ、ところで話は変わりますが… 


おととい、病院へ心臓の検査に行きましたが、1年前の状態と変わっていないということで、ホッとしました。もし入院なんて言われたら、バチカン美術館どころではありませんものね~

 

 

 

 

 

 

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ローマ・バチカン美術館をネットで予約したら…

2019年07月20日 | 旅行

海外旅行というのも、添乗員付きの団体ツアーであれば楽なのですが、個人旅行となると、やはり事前の準備や何らかのトラブルへの備えなど、十分な「予習」をしておくことが大事かなぁと思っています。

モミィの夏休み中に、ローマとパリへ旅行する予定があることはすでに書きましたが、事前にいろいろやらねばならないことがあり、なかなか忙しいです。

パリには僕は過去4回(妻とは3回)旅行し、ローマには2人で一度行ったことがあるのですが、かなり以前のことです。それと、今回は2人だけの旅行ではなく、モミィと義姉(妻の姉)を加えた4人の旅行なので、しっかりと準備しておく必要があります。2人だったら旅行中も行きあたりばったりで行動できますが、4人となればなかなかそうもいきません。で、妻は毎日ガイドブックを見ながら、どういう順序でローマとパリの街を巡るのか、どんな点に留意すべきなのか、などと、詳しくメモをとりながら、あれやこれやと思案しているようです。

で、観光地巡りのコースや食べ物などのことは妻に任せ、僕は、その場その場での対応を少しでもスムースにできるようにカタコトのイタリア語を勉強したり、英会話もまた昔のテキストを引っ張り出したり、歩きながらウオークマンを聴いたりして、主に2か国語の勉強をしています。(フランス語は昔から苦手なので、パリではカタコト英語で乗り切らなければ)。

そんな時、先日、妻から、ローマのバチカン美術館は世界中の観光客にすごく人気が高く、たぶん2時間以上も並ぶことになるので、予約をしておいたほうがいいのでは? と持ちかけられました。

バチカン美術館は、ご承知のように「世界で一番小さい国」として知られるバチカン市国にある有名な美術館で、特にミケランジェロによって描かれたシスティーナ礼拝堂の天井画などは、よく知られていますね。

実は前回(20年前)ローマを旅した時、バチカン美術館にも行ったのですが、切符売り場で少しは並びましたが、そんな大して混雑はしていませんでした。でも今はものすごい観光客数であふれかえっているという妻の言葉を聞いて、ほんまかいな、と思いながらネットで調べると、たしかに長蛇の列の画像が写っていましたし、どのガイドブックにも、並んでいる時間がもったいないのでチケットを予約しておいたほうがいい、ということが書かれていました。

でも、予約を旅行社に頼んだり、ネットで業者に依頼したりすると、すごく高いんですよね。自分でネットで予約をすると、正規の入場料と予約手数料で済むのですが、業者に頼んだらその2倍近いお金がかかります。僕たちは4名ですからね、旅行社やネット業者に頼むと金額がメチャ高くなります。

2年半前にロサンゼルスに行った時も、渡米時にはエスタ(ESTA)という、アメリカにビザ無しで90日以内の旅行の際に必要な「電子渡航認証システム」というものを申請しなければならなかったのですが(むろんすべて英文です)、それも業者に頼むと驚くほど高い。なので、自分で苦労しながらもパソコンから申請した経験があるので、今回も頑張って自分で予約してみよう、と思ったわけです。

そんなことで、こちらのサイトから予約をしました。ここに順次、必要事項を打ち込んでいきます。

僕のyahooのメールアドレス、訪れる日時、人数(大人3人、18歳未満1人)、4人の氏名、代表者(僕)の生年月日をはじめ、いろんな欄を埋めていきます。

最後にカード番号などを打ち込み、すべて終了。これで予約チケットの購入完了。やったぁ~

が、しかし、その後に問題が起きました。

僕のパソコンに、さっそくバチカンからメールが届いたのですが、本来はそのメールに添付されているファイルを開けると、このような予約確認証が出てくるはずだったのです。


 
 これはネットに載っていたサンプルです

ここには予約者の氏名、予約番号、訪問日時、人数、カードで支払った金額などが記されており、そしてQRコードもあります。これをプリントして、バチカンの予約者専用の入口で提示すればすぐに入場できるということなのでした。添付ファイルは全部で11ページあるのですが、2ページ目以降は美術館の宣伝や地図などの案内文書がついているだけ。つまり重要なのはこの1ページ目だけでした。

ところが僕がその添付ファイルをダウンロードしたら、その大事な1ページ目が、なんとまぁ、白紙だったのです。

こんな画面でした(僕のパソコンの画面です)

 
「NON CEDIBIRE」というのはイタリア語で
「譲渡禁止」というような意味です。そんな 
関係ない字だけが出ているんですからね~

ご覧のとおり、僕がいま予約した事項は何も出ていません。サンプルの添付ファイルには、各項目が出ているのに、なんで僕の添付ファイルはその大事な1ページ目だけが白紙なのだ。たった今、パソコンから4人分の料金をカードで支払ったばかりなのに。いったいどうなってるの? 

僕は今度はスマホを取り出し、yahooのメール画面を出して、もう一度パソコンでしたのと同じように、バチカンから来ていたメールを開け、添付ファイルをダウンロードしてみましたがそれもやはり同じ白紙でした。

何だこれは。わけ、わからへん! どう考えてもその理由がわからない。向こうがきちんとしたファイルを添付するのを忘れたのか? ローマへ電話で問い合わせることもできないしな~

誰に相談すればいいのかわからないまま、その日が終わった。

そして翌日、こんな用向きで行っても相手もたぶんわからないだろうな、と思いつつも、藁にもすがる思いで2人で阿部野のJTBのお店へ向かいました。僕が個人で予約したことだからJTBの人に責任はない。でも、わけを話したら何かアドバイスをもらえるかも知れない。それが3日前の7月17日のことでした。

あぁ。書いているうちに疲れてきました。

では、この続きはまた次回に。

チャオ~

 

 *追伸

明後日の22日(月)午後1時から、BSプレミアムで、映画「華麗なる激情」が放送されます。ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画を描く情熱と苦悩を描いた有名な映画ですが、今日のブログで、バチカンのシスティナ礼拝堂のことに触れましたので、ご参考までに。

 

 

 

 

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心臓弁膜症の検査

2019年07月18日 | 心と体と健康と

先日、3連休が明けた16日の火曜日。
心臓の検査で徳〇会病院へ行きました。

思い起こせば去年の7月、少し階段を登ると足がだるく、心臓ドキドキの息切れもして、これはおかしい、と思って病院で精密検査をしてもらいました。元々心房細動という不整脈の持病を持っていましたので、それと関係があるのか、ないのか、そんなことも調べてもらうため、検査をしてもらったのですが、そのことは、当時のブログにも書きました(結局、心房細動とは直接的な関係はないということでした)。

で、その去年7月の検査の結果では、心臓を流れる動脈の弁が閉じにくくなり、血液が逆流する症状だということで、僕の病名は「心臓弁膜症」ということでした。(最近、テレビで草刈正雄さんが「心臓弁膜症」に関するCMをしていますけどね~)。その時に医師から、今後、1年に一度程度検査をしましょう、と言われたのです。

そういうことで、それから1年経ったこの16日の火曜日に病院に行き、検査を受けました。

検査の待合で順番を待っていると、やがて名前を呼ばれました。検査技師さんは若い女性でした。「どうぞ、こちらへ」と薄暗くて狭い通路を歩き、真っ黒なカーテンで仕切られた検査室の中のベッドの上に仰向けになりました。

 

  
こういう感じの検査室です(ネットの写真です)
検査するときは、この部屋が真っ暗になります。

その女性の検査技師さんは、僕に「おムネを出してください」と言いました。

で、僕はTシャツをまくり上げたのですが、「おムネ」という言葉に、ちょっと笑っちゃいました。

これまでは、「シャツをめくってください」とか「シャツを胸の上まで上げてください」とか言われていたのですが、「おムネ」なんてね。それも「おムネを出してください」なんて。初めて聞きましたよ、こういう言葉。

だいたい体の部分に「お」をつけるのは、「おなか」とか「お尻」だったらわかるけど、「おムネ」とはね~。

ま、そんなこと言ってる場合じゃありませんけど(笑)。

そして検査技師さんは、ゼリーが塗られたプローブ(探触子)という超音波発信器を、僕の「おムネ」つまり心臓のいろんなところに、グリグリときつく押し当てました。途中で「横になってください」とも言われ、それもかなりの時間、グリグリとされました。結構、痛かったです。

そして検査が終わったかな、と思った時、

若い女性技師さんは「終わりますね~」と、語尾を上げ、それだけを言って、その場を去りました。

はぁ、終わり? 

普通なら「ハイ、終わりました」「ハイ、終わりです。お疲れさまでした」みたいに言うでしょ。それが「終わりますね~」なんて言われたら、何かピンときませんわね~(笑)。

ま、そんなことで、最近の若い検査技師さん(に限らず若いお客商売の人たち全般)は物の言い方が「丁寧すぎる」のではな~んて思ったりしましたが、でもまあ、そんなことより自分の症状がどうなのかが大事ですよね。

で、この日は検査だけで、その結果は、来週の診察日に担当医から説明を受けることになっています。

自分の心臓弁膜症が、去年から1年経った今、どれほど進んでいるのか? それほどでもないのか? それとも、手術が必要なほど進んでいるのか?

それは来週にわかることですが、正直なところ、そんな切迫した事態にはなっていないだろうと、信じたいです。

夏休みに計画している旅行が、入院や手術なんてことのために行けなくなるなんてことになれば、あまりにも残念すぎますよね~

 

 

 

 

 

 

 

 

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ブログのアクセス数が急増したその理由は?

2019年07月14日 | 日常のいろいろなこと

このブログをパソコン版で見ていただくとわかりますが、右側のプロフィール欄の次に「アクセス状況」という欄があります。ここに前日のブログ閲覧数と訪問者数が出ており、これで、どれくらいの方々がこのブログを読んでくださっているのか、わかるわけですよね。ちなみに、閲覧数というのは訪問してきた方が閲覧したページ数のトータルであり、訪問者数は訪問してきた方々の数です。

その「訪問者数」が、このところ、今までになかったような増え方をしてきています。例えば今日出ている数字を見ると、閲覧数が 2,693 、訪問者数が859となっています。で、順位が287万5千935ブログ中511位という数字です。

このブログを始めてから12年になりますが、去年ぐらいまでは訪問者数はだいたい250前後で推移してきました。300を超えたら「へぇ、沢山の方が訪れてくれたんだなぁ」と思っていたものです。

それが、今年に入って300を超えることが多くなり、時々400を超えたりして、目立って増え始めました。やがて500とか600とか、これまで考えられなかったような数字が並び始め、さらに最近では700台、あるいは今日のように859というような数字が出たりしています。この1週間の平均も約770となっています。

でもこれは自然に増えてきたものではないだろう、と思いました。何か原因があるはずだと思い、いろいろ考えてみましたが、記事の下のほうに「このブログの人気記事」という欄があり、1位から10位まで出ています。どうやら、そこにヒントがあったようです。

だいたい、一番よく読まれているのは最新記事なのですが、このところ、最新記事は2位になることが多く、ほどんどは去年12月に載せた「イオンモール藤井寺 来年7月にオープン」という記事が1位を占めているのです。つまり、この記事がほぼ毎日、最も多くの方に読まれているということですよね。

前回のブログでもご紹介しましたように、イオン藤井寺のことはこれまでも何度か書いています。でもこの「イオンモール藤井寺 来年7月にオープン」だけが断然1位なのです。

なんでやろ?

昨日まではそれ以上のことは、わからなかったのですが

それがきょう、わかったのです! 

イオンは工事中、看板に『7月15日にオープン』と書かれていたのに、今日はもう7月14日。なのに、明日オープンするような気配は何もない。これはもう、8月ぐらいまで延びるんだろうな、と思いながら、僕はパソコンを開け、yahooの検索で「藤井寺 イオン」と打ち込みました。

すると、検索のトップページの8番目に、

イオンモール藤井寺 来年7月にオープン - 僕のほそ道 ~ のん日記 ~

というのが出てきたのです。

これでわかりました。

「イオン 藤井寺」で検索した人が、僕のこの記事に出会って、それで「訪問者数」が増えたということなんでしょうね。

な~るほど。

なぜこの僕のこのブログ記事がyahoo検索の上位に入っているのかは知りませんが、それが最近のブログの訪問者数に大きく影響していた、ということは間違いないようです。

でも、これは去年の記事で、イオン建設の最新情報が載っているわけではないので、何となく複雑な心境でもあります。

ということなので、イオンがオープンしてしまえば、また訪問者数はガクンと減るのでしょうね。

まぁ、別に構いませんけど(笑)。

 

 

 

 

 

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イオン藤井寺 間もなくオープン

2019年07月12日 | 日常のいろいろなこと

去年から、わが街・藤井寺に建設中のイオン・ショッピングセンターについて、その途中経過を書いてきました。完成するのがホント楽しみだったのです。

僕らが藤井寺市に引っ越してきた年の1年前にできたジャスコ(途中でイオンと名称が変わりましたが)へ、僕たちは約40年間、ず~っと買い物や憩いの場所として通っていました。それが5年前(2014年)に閉鎖され、建物が壊された後、そのまま数年が経ち、淋しい思いをしていたのですが、去年、ようやく建設が始まって、その完成を楽しみにしているということを、このブログに何度か書いてきました。

一応、ご参考までに関連ブログをここに掲載しておきます。

イオンモール藤井寺 来春  (2018年10月09日)

イオンモール藤井寺 来年7月にオープン (2018年12月26日)

イオンモール藤井寺 工事は着々と (2019年02月16日)

イオンモール藤井寺 完成まであと3ヵ月 (2019年04月25日)

それが、いよいよ、という時期にまで来たのです。

それで、イオンはいつオープンするのか?

予定では7月15日オープンということでした。 もしそうなら、今日は12日なので、あと3日後ですよね。でも、外から見たら完全に出来上がっているように見えるのですが、中はどうなっているのかわかりません。

予定通り、この15日にオープンするのか、それとも遅れるのか

もし3日後にオープンするなら、何かそれとわかるような情報があると思うのですが、新聞にチラシが入っているわけでもなく、現場に看板が立っているわけでもなく、わからないままなんですよね。

まぁ、そんなことなんですが、これまで工事中の写真をこのブログで掲載してきましたので、今日は最新の写真を見ていただきます。

昨日(7月11日)の早朝ウオーキング(午前5時半頃)の時に撮った写真ですので、まだ車や人の姿は見当たりません。

 

 
藤井寺駅に向かう方向から撮りました

 

 
そこから少しだけ歩いて、パチリ。上の写真同様、左が藤井寺駅です。

 

 
今度は逆に、藤井寺駅からのアングルです。

 

 
同じ場所を正面から撮影。
駅の方向から来たら、ここが正面玄関ということになりますね

 

予定どおり15日にオープンなのか、それとも遅れるのか、よくわかりませんが、オープンしたらまた報告しますね~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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コアラを抱っこ

2019年07月09日 | 旅行

昨日のブログでゴールドコースト・マラソンに関することを書きましたが、本当はニュースで「ゴールドコースト」という地名を聞いた時、以前そこへ家族で旅行した時のエピソードを思い出し、それを書こうとしたのです。なのに、ついマラソンの話になってしまいました。相変わらず、脱線ばかりで

で、今日はゴールドコーストで体験した「コアラを抱っこ」のお話を。

ゴールドコーストはオーストラリアのクイーンズランド州というところにあるのですが、この州以外では、観光客がコアラを抱くことについて厳しく制限されている、ということでした。まぁ、20年ほど前の話なので、今はどうか知りませんが、当時はそうでした。

だからこの地へ来たからにはコアラを抱っこしたい、と僕たちは思ったのです。

この旅行は妻と長男と3人連れだったのですが、ゴールドコーストのドリームワールドという遊園地にコアラを抱ける「コアラ館」というのがあったのでそこへ行きました。2匹のコアラがいて、それを観光客が列を作って順番を待つ。やがて僕たちの番になり、コアラを抱っこする瞬間が訪れました。

ところで、そのコアラの「抱き方」ですが

コアラの「正しい抱き方」というものがあるのですよね。

係の金髪女性が、身振り手振りで抱き方を指導してくれたところによると

まず両手を下で組むように言われる。そこへコアラが乗せられる。つまりコアラのお尻を、組んだ両手で受ける形になる。

大事なのは、このとき、人間は絶対に動いてはいけないということだ。コアラに「これはユーカリの木だ」と思わせなければならない。だから抱いたあと、決して動かず、ユーカリの木になりすますこと。ここがポイントだそうである(ホンマかいな?)。

赤ちゃんを抱っこする時のように軽くあやすようなことはしてはならない。とにかくじ~っとしていれば、コアラは安心してしがみついてくるとのことでした。

そういうジェスチャーで説明があったあと、係の金髪女性がコアラを抱いて近づいて来る。その時、僕は言われたように両手を下で組んだ。そして、そこへコアラがそろりと乗せられた。

むろん、僕はコアラが乗っても両手を下で組んだまま、動かずにじっとしていた。うまく抱き着いてくれたら女性係員は手を放す。コアラは少し体を伸ばし、僕の両肩に爪をグイっと食い込ませて抱き着く。痛い。そんなに爪を立てるなよ、と言いたいけれど、それがまたちょっと可愛くもある。

そこへもう一人の女性係員が写真撮影をしてくれる。

抱いていた時間はだいたい15秒ぐらいだったろうか。ポテッとした生温かい感触を楽しんでいるうちに、撮影が終わり、先の女性がコアラを僕から引き離しにかかった。そのとき、コアラが引き離されまいとしたのか、さらに爪を僕の両肩に食い込ませたので、僕は思わず「痛っ」と声を上げてしまった。自分がユーカリの木になりすましていたことを、もう、すっかり忘れちゃってました(笑)。

コアラというのは、よほどの怖がりなのでしょうか。これだけたくさんの人たちに抱かれていても、犬や猫のペットのように人に慣れるということはないんだろうか? な~んて思いながら、出来たてホヤホヤの写真を受け取って、コアラ館を出た僕たちでした。

 

 
右は「抱っこ指導」をしてくれた女性、左は写真撮影担当です。
うしろに見えるカンガルーたちは絵です。念のため。

 

 
離れる時、コアラに爪を立てられ、「痛っ」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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マラソンランナーの知られざる弱点?

2019年07月08日 | ランニング

昨日、オーストラリアのゴールドコーストで行われたマラソン大会で、日本の設楽悠太(したらゆうた)選手が優勝した、というニュースを見ました。2時間7分50秒の好タイムで、ケニアの強豪選手らを制しての優勝は、日本マラソン選手の久しぶりの快挙であると言っていいでしょうね。

ところで、ニュースの中で、 「設楽選手はユニフォームが擦れて出血しながらも見事に優勝を飾りました」 という説明があったのです。

え? ユニフォームが擦れて出血? どれどれ と、テレビ画面をよ~く見ると


 

これはネットに載った設楽選手のゴールの写真ですが、わかりますか?  両胸が赤く染まっていますよね。

つまり「ユニフォームが擦れて」というのは、具体的に言えば、乳首が(あぁ恥ずかし)ランニングシャツに擦れて血に染まったということでした。でも、それをそのままニュースでは言えないですわねぇ。だから「ユニフォームが擦れて出血しながらも」という遠回しの表現になったんでしょう。

これを見て僕は「ある、ある!」と自分の経験から大いに納得したのです。

何しろマラソンを走っている間は、ずっと両腕を振っているわけですよね。だからどうしてもシャツと乳首が擦れます。擦れて擦れて擦れ続けます。

僕もそれで、あるマラソン大会のレースを終えた時、ひどくヒリヒリと痛むなぁと思ってシャツを脱いでみたら、両方の乳首が赤くうっすらと血がにじんでいたことがありました。

仲間に話すと「よくあること」という返事もありました。個人差もあって、皆が皆、そうなることはないようですが、少なくとも僕はそうなったのです(どんな個人差やねん)。

「そこに傷テープを貼って走っている人もいるよ」という仲間の話を聞き、僕もそれからは乳首に(何回書くねん。メチャ恥ずかしいわ)、バンドエイドとか絆創膏を貼って大会に出ることにしました。

ある時、レース後にそれを剥がすのを忘れたまま夜になり、風呂に入る時に鏡に移った自分の胸を見てビックリした、ということもありました(笑)。

貼ったものは、用が済めばすぐに剥がしましょうね(何のアドバイスや)。

ゴールドコースト・マラソンで優勝した設楽選手は、次回は9月に行われるグランドチャンピオンシップ(MGC来年の東京五輪代表を決める重要レース)に出場するということですから、今度は必ずその部分にテープを貼って走ってください。あれは痛~いですからね~、ホントに。

 

 

 

 

 

 

 

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のんのんばあ

2019年07月05日 | 映画の話やTVの話など

NHKの朝ドラ「なつぞら」を毎日見ているけれど、朝ドラはそれだけでなく、「おしん」と「ゲゲゲの女房」の2つの再放送も並行して見ているうえ、テレビ朝日のお昼の連ドラ「やすらぎの刻(とき)~道~」も見ています。「なつぞら」以外は録画したものを、夜にビールを飲みながら見ています。

4本の連続ドラマをほぼ毎日見ていると、どれがどれだかわからなくなる時があるんですよね。特に、ドラマの背景となる時代がややこしい。

時代で言うと、「なつぞら」は現在昭和34年で、昭和12年生まれのなつは22歳になる。「ゲゲゲの女房」のヒロイン・布美枝のほうは今週は結婚式を挙げ、夫の住む東京へ来たところだが、彼女は昭和7年生まれということで、時代は昭和36年でいま29歳というところ。この2つのドラマは今のところよく似た時代背景の下で展開されています。映画「三丁目の夕日」も、この時代が背景でしたね。

「おしん」のドラマは、今は大正8年頃の話で、米騒動があったり第一次世界大戦が始まったりと、こちらはもっと時代が古いです。

そして「やすらぎの刻」では、現在の老人ホームに住む人たちの物語と、そこの住人の一人、脚本家の石坂浩二が創作する昭和10年代の若者たちの物語との2つの話が同時進行していく。後者の話は、いま昭和16年12月で太平洋戦争が始まったばかりのところです。

それぞれのドラマの背景となる4つの年代が、頭の中でごちゃごちゃになるんですよね~

おまけに、「ゲゲゲの女房」の前に再放送された「あさが来た」も熱心に見ていたので、その記憶も混ざり合い、さらに頭がこんがらがりますわ。

しかしまぁ、これまでNHKの朝ドラなんて全く見ていなかったのに、2年前の「わろてんか」を見始めてから「半分、青い」「まんぷく」、そして今の「なつぞら」と、それ以来ず~っと見続け、そしてほかの再放送ドラマも見ているんですが、見始めるとやめられませんね~

今週の「なつぞら」は、主人公のなつと幼い頃に離れ離れになった妹が北海道へやって来るのですが、なつとは会わないまま姿を消してしまうというところです。今日の放送で、なつが妹から来た手紙を読むシーンなんかを見ていると、思わず涙がこぼれてしまいました。

そして、今週初登場したなつの妹・千遥(ちはる)を演じているのは「あさが来た」で「ふゆ」の役をしていた清原果耶さんという若い女優さんでした。

その「ふゆ」を演じていた女優さんが今度は「なつ」の妹役で出てくるんですから、面白いですね~(どこが面白いのん?)

どうも、しょうむないことを言ってすみません。

さて、最後に「ゲゲゲの女房」のことですが。

数日前の放送を見ていたら、ヒロイン布美枝の夫(水木しげる向井理)が、小さい頃の思い出として「のんのんばあ」というお婆さんの話をする場面がありました。

「のんのんばあ」とは

ネットで調べると、それは実在の人で、水木しげるが小さい頃、彼にお化けや妖怪の世界のことをいろいろ話してくれたお年寄りだったそうです。鳥取県の境港では神仏に仕える人を「のんのんさん」と呼び、そのお年寄りは拝み屋さんの妻だったため「のんのんばあ」と呼ばれた、と解説されています。

それにしても、のんのんばあ、とはねぇ。 なら僕は「のんのんじい」ですかい?

今、イタリア語を勉強中なのですが、イタリア語では「お爺さん祖父」のことを「nonno(ノンノ)」と言うようです。

ちなみに僕は今でも、モミィから「のんちゃん」と呼ばれていますが、時々面白がって「のんジイちゃん」なんて言って笑ったりしています。

「のんジイさん」をイタリア語で言うとしたら、 「のんnonno」つまり「のんのんの」となりますよね。

イタリア語を勉強しながらそんなことを思っていたのですが、その矢先に「ゲゲゲの女房」で「のんのんばあ」が出てきたので、これには驚いたというか、思わず笑ってしまったというか

じゃぁ、このブログの題名も、「~のんのんじい日記~」に変えたら?

な~んて言うのだけは、やめといてくださいね(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「人生のお師匠はん」 田辺聖子さん

2019年07月02日 | 思い出すこと

今日は前々回のブログ「あかんたれ」でも触れ、いつもコメントを下さるみゆきさんも愛読されていたという田辺聖子さんのことです。先月に亡くなられ、淋しい思いをしておられる方も多いと思います。

さて、かなりの昔、1970年代に「ポセイドン・アドベンチャー」という映画があった。豪華客船のポセイドン号が大津波に襲われて転覆し、船は大きく破壊され、しかも天井と床がさかさまになってしまう。辛うじて生き残った船客たちが必死の脱出をはかる。そんなスリリングな映画で、僕はこれをアベノの映画館で見て、あまりの迫力に大興奮したことを覚えている。

   

それから何年か後に、田辺聖子さんが出した本の題名を見てひっくり返りそうになった。これです。


   

ほんまに、うまいこと考えはるなぁ、と感心しました。

聖子さんの本って、題名も面白いものが多いんですよね。

 「言うたらなんやけど」という大阪弁丸出しのタイトル。昔の大阪のおばちゃんは、必ずと言っていいほど、この言葉を口にしていました。

また「人生は、だまし だまし」というタイトルを見ただけで、ふ~む、そうやなぁ、それがうまく生きていくコツかなぁ、と思ったり。

最近読んだエッセイ集のタイトルも「そのときは そのとき」というもので、これもまぁ心配ごとがあっても「そのときはそのときやがな」とブツブツつぶやくと、少しは気分が楽になるような

そんなことで、このブログでも何度か、田辺聖子さんを読んで励まされたことについて、書いています。

例えば、2013年3月のブログで「最近耳鳴りがまた大きくなった」という悩みを書いたのですが、その時に前述したように「人生は、だましだまし保ってゆくもの」という聖子さんの一文に出会いました。そして「すてきなのは、いくつになっても人生を面白がっている男」という一節もありました。これを読んで、僕も耳鳴りを気にして落ち込んだりせず「だましだまし」の精神で、残りの人生を面白おかしく過ごせるようになればいいなぁと、そのブログで書いています。

また、翌年3月にも聖子さんのことを書いています。

この時期、僕は、十数年ぶりにフルマラソンに挑戦しようと、申し込みも済ませ、大会事務局からゼッケンも送られ、張り切って練習を続けていたのですが、間近になって調子を崩してしまい、やむなく出場をあきらめました。本当に悔しく、無念の思いでした。

ブログにそういうことを書いたのですが、最後に田辺聖子さんの文章に心を打たれたことを書き加えています。こんな文章です。

若さや栄光を失うときわれわれは乗り換えしなければいけない。新しい行く先を求めて。「体力低下、気力減退線にお乗換え願いま~す」。その連呼を耳にとめて、人ははっと我に返る。いつまでもこの線でいいと思っていたのは、誤りだった。ここから別の線に乗り換えて生きなくてはならないのだ。そうやって、乗り換え乗り換えして乗り継ぎをしつつ、終点までやってくるのが、人間の一生かもしれない。

これを読み、納得しました。

気持は若いままでも、やはり体力は低下し、気力は減退する。それなりに乗り換え・乗り継ぎをしながら、終点に向かわなければならないというこの言葉は、胸にジンと来ました。

言うたらなんですけど、田辺聖子さんは「人生のお師匠はん」みたいなもんでした。そのお師匠はんがとうとう「終点」まで行ってしまわはった。やっぱり淋しいですわ。

 

 

 

人生、老いると不安なことも多いけど、
まあ、あんまり心配せんとき。

そのときは、そのときや。

 

 

 

コメント (2)
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