僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

おくられびと

2009年02月26日 | 議会&役所

3月の手帳の予定表の空白部分がどんどん詰まってきた。といっても…

仕事の予定よりも、飲み会のほうがはるかに多いのじゃ。わっはは

定年退職が近づいた僕に、勤務先である役所の、いろんな人やグループのメンバーが、僕のために送別会を開いてくれるのだから、ありがたい話である。

もう38年近くも仕事をしてきたんだな~と思うと不思議な感じがする。
なんだかなぁ…あっという間に過ぎたみたいだ。
何事も、過ぎてしまったらそう感じるのだろうなぁ。
人の一生なんて、一瞬、といってもいいくらいである。

数ヶ月前までは、退職後もまた新たに採用される再任用(再雇用)を受けようかと思っていた(期間は最長4年)。今回定年退職する者の半分以上が再任用を受けるというので、僕も去年5月ごろに、そうしようと考えた。しかし、どうも気が進まない。なぜ気が進まないのか…。考えてみれば、僕は基本的には毎日ぶらぶらと、気ままに生きていきたい志向が強い人間なのである。そんな性格なのに、なんで定年を全うしてもまだ仕事をせなあかんねん…などと、自分の選択に疑問を感じた。で、思案の末、再任用はやめることにした。フリーの身になって、やりたいことをやる…という自分自身の気持ちに忠実な道を選んだのだ。

そうなのです。僕はだいたいナマケモノなのです。

♪ 風が吹いたら遅刻して~、雨が降ったらお休みで…

…という、「カメハメハ大王の歌」に、痛く共感する人間なのです。

(ちなみに、長男も幼稚園のお遊戯のときにこの歌を聴いて、
 自分もそんな人生を送りた~い、と思ったそうです。なんちゅう奴
や)

んで…
「退職して、やりたいことって、何やねん…?」と、人からよく聞かれる。
まぁ、そんな絵に描いたような抱負なんてないけれども、強いて言えば…。
ついでだから、ここにちょっと書いてみる。

健康志向を強め、生活習慣を見直し、ジョギングや自転車、ウオーキングで身体を鍛え直したい、というのが一番目。(なにしろ、健康や体力はすべての生活の土台になるものですからね)。

次に、身の回りの整理。かつて古本屋に大量処分したが、まだ部屋のかなりのスペースを占める本だが…捨てる本、ざっと読み直して捨てる本、座右に置く本…などを見直し、また、山積みしている映画やスポーツのビデオもどんどん見て(モノによっては見ずに)捨てていく。そして、古い日記帳や、切抜きや、海外旅行から持ち帰ったガラクタ類から日常の衣類まで。それと、人に見られて困るもの(こんなのを残しておいたら、うかつに死ねない…というもの)、そういう今後使いそうにないものやヤバイものは、思い切って捨てる。…そうして身の回りをすっきりしておくこと。これが二番目だ。

次に、長年の夢だった英語を勉強すること。自由な時間が沢山あるのだから、気の済むまで英語トレーニングに没頭したい。これが三番目である。

退職1年目は、以上のような目標を立てることにした。
(書くだけですからね、なんとでも書けますわ

社会参加とか、ボランティアとかには、全然関心がないし…。
利己主義の自分をさらけ出して、束縛されない人生を送りた~い。

というようなことで、さて、話を送別会のことに戻します。

2月初旬に「ランナーズ」のメンバーに送別会をしてもらった。
「ランナーズ」とは、僕が勤務先の役所の人間の中で初めてフルマラソンを走ったことがきっかけに結成された同好会で、昔は大いに活動していたのであるが、今は消滅した。だが、その一人が、昔の仲間を募って送別会を開いてくれたのだ。その席では、過去の駅伝大会や各種のマラソン大会、サロマ湖100キロマラソンなど、走る話題に花が咲き、最後にはみんなから「退職しても野山を駆け巡ってください」と、リュックとウエストバッグのプレゼントもいただいた。感謝、感謝。必ずこのリュックをかついで、野山を駆け巡ります。

また、2月にはもう一つ、2人の友人に送別会をしてもらった。
先日このブログでも書いたが、韓国料理店で席を設けてくれたのだ。
一人は現在ECCに通っていて、僕にそこを紹介してくれた女性。もう一人は以前いっしょにハングルを習いに行ったことのある男性である。2人とも、かつて同じ職場で働いたことのある、若い友人である。女性のほうは、仕事をしながら、6年間ECCに通っている。単身で何度も海外旅行をし、旅先から英語で絵ハガキをくれたりする。僕が4月から行く予定のECCの話などで、大いに盛り上がった。楽しい送別会を開いていただき、これも感謝、感謝。

3月も、あちらこちらから声をかけていただいている。
3月は議会があって仕事はかなり忙しいのだけれど、夜も頑張ろうと思う。

手帳に書き込んだ3月の送別会のスケジュールを見ると…。

・今の職場の人たちによる送別会。これはかなり形式っぽい会である。

・今の職場の中の、有志の人たち。特に個人的つながりの深い、30歳代~40歳代の職員の人たちによる送別会。

・何年か前にスキーに行ったメンバーの人たち。僕はスキーへは一度行っただけで、他のメンバーはそれ以後毎年行っている。僕は飲み会だけおつき合いしている。そんなメンバーが送別会を開いてくれる。

・歩く会、のメンバーの人たち。京都から大阪まで歩く大会や、100キロウオークなどにいっしょに参加した人たちである。

・市議会議員のFさん(男性)が個人で送別会をしてくれる。いつもお世話になっている議員さんである。

・市議会議員のHさん(女性)も個人で送別会をしてくれる。よく一緒に飲みに行く、おしゃべりの好きな、楽しい議員さんだ。

・周辺都市の同じ仕事に携わる職員たちで作る会のメンバーたち。これは僕ひとりではなく、何人か、合同で送別会をしてくれる。形式っぽい会である。

・市議会全体がホテルで送別会をしてくれる。これも僕だけでなく、他の何人かと合同。これも形式っぽい会。

…こうして手帳を見ていると、長かった仕事生活の中で、多くの人たちとの出会いとおつき合いがあったことを、改めて実感する。送別会ではなるべく飲み過ぎないようにして、いつまでも思い出に残るような楽しい時間を過ごしたいと思う。
酔って財布を落とす…などは、断じてしてはいけないのだ。

これだけ数多くの送別会をしてもらうのも、きっとこれが最初で最後。
次に送ってもらうのは、自分の葬式の時ぐらいでしょうね。

2月も残すところあと3日。

退職まで、残り34日となった。

 

 

 

 

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うつ病を理解できない医師たち

2009年02月24日 | 心と体と健康と

22日の夜、NHKスペシャル「うつ病治療・常識が変わる」という番組を見た。なかなか見ごたえがあった。

現在、わが国のうつ病患者は100万人を超えるという。僕が勤務する役所でも、最近しばらく顔を見ないな~と思っていたら、うつ病で長期休暇中である、というケースが増えている
「え~っ、あの人がうつ病で休んでいるの…? 信じられへん」
と驚く場合も、少なくない。とにかく、意外な人が心の病を抱えていたりして、考え込まされることが多い。

僕も一昨年秋に耳鳴りが発症した後、病院に行って動悸や吐き気を訴えたとき、若い脳神経外科医から、
「うつ病も考えられるので、心療内科を受けられたらいいですよ」
と言われたことがある。

まあ僕は今も不眠症のために睡眠導入剤を飲み、抗不安剤のデパスもほぼ毎日飲んでいることは何度も書いてきたけれど、でもね、僕はうつ病ではありませんよ。念のため言っときます。あれは生真面目な人ほどかかりやすい傾向があるらしいので、僕はいい加減な人間だから大丈夫なのです。
…とは言え「うつ病」というものがなんとなく気になることも、確かである。

その日のNHKスペシャルの番組は、いかに多くの医師が、うつ病に対して無知であったり、苦しむ患者を理解しようとせず、おざなりの対応をしているかを、実例を挙げて厳しく批判した番組であった。

最も問題なのは、うつ病を訴える患者の症状が改善されない場合、どんどん薬の量を増やしていく医師が多いことだという。

「とにかく、薬さえ出せばいい、という考え方ですね。薬はもちろん大事ですが、薬は治療の一環であり、すべてではないのですから…」
と、スタジオにいた医師は、そういうやり方を批判していた。

薬を増やされたあげく、意識不明で倒れた60歳代の女性が、この番組に出演していた。8年間同じクリニックに通っていたが、その間、医師にはろくに話も聞いてもらえず、ただ回復しないというだけで薬を増やされ続けたという。そして意識不明に陥ったが、幸い一命は取り留め、さすがにそのクリニックはやめて、別の専門医に見てもらうことにした。そこでの診断は、意識不明は薬の副作用によるものだったという。

やがて女性は徐々に薬を減らしてもらい、元気を取り戻した。
「こんなに人生が楽しいものだとは思いませんでした」
と、スタジオで、顔をほころばせておられた。

最近は街に心療内科の開業医などが増えているが、その分野をきちんと勉強していない医師でも、精神科の看板を挙げることができる今の制度が問題だと、番組に出演していた医師が言っていた。ということは、専門的知識がなく、臨床経験も少ないのに、「心療内科」とか「心のクリニック」などという看板を挙げて、心の病にかかった患者を診ている医師が、そこらじゅうにごろごろといる、ということになってくる。

これは怖い話である。

番組では、次のような一例を挙げていた。

うつ病は、脳細胞間の神経刺激の伝達物質であるセロトニンという物質が不足したり、障害が起こったり、何かそういうことによって気分が塞いでくる、というのがひとつの原因だと考えられているそうだ。

セロトニンは脳の働きを良くし、情緒を安定させ、自律神経を調整し、感情をコントロールさせる役割を果たしている、という。

そこで、脳内に不足したセロトニンの分泌を促進させる薬が、いわゆる「抗うつ薬」というものらしい。しかし、これを大量に服用すると、こんどはセロトニンが出すぎて問題が生じてくるのだそうだ。

ここに、もう一つの神経伝達物質であるドーパミンという物質が登場する。これはやる気をジャンジャン起こさせ、喜びや快楽を感じ取るきわめて前向きな脳内物質なのだそうだ。ドーパミンをアクセルに、セロトニンをブレーキに例えることもできるという。この2つの、ほどよいバランスが健全な精神を形成するのだ(…とテレビは言っていました)。

抗うつ薬に含まれるセロトニンが、薬の大量服用によって脳内にどんどん増えていくと、今度はドパーミンを制圧するようになり、やる気を起こさせるこの物質を減少させていくので、うつ病の人は、抗うつ薬を増やせば増やすほど、ドパーミン不足になり、ただでさえ無気力なのに、ますますだら~んと無気力になってくる。

この無気力状態を、医師はドパーミン不足とは見抜けず、うつ病の延長だと勘違いし、まだ薬が効かないのだな~、と判断をして、さらにセロトニンの含まれた抗うつ薬を増やしていく。こうして、患者の脳内のドパーミンの働きは、いよいよ希薄になり、とことん無気力になる。

…ということで、セロトニンが過剰になっているのに、まだ足らないと判断しているのだから、こんなトンチンカンな診断はない。おまけに、服用する薬の量が増えてくると、命に関わるような副作用が起きる。

「初診の人にいきなり3種類の抗うつ薬を出す医師がいます。これなんかは、薬に対する無知以外の何物でもありません。これでは、うつ病がよくなるどころか逆に副作用が出て、ますます症状が悪化します」

テレビの中で、医師は、そう警告していた。

僕はここ数年で、いろんな開業医や大病院へ行き、さまざまな医師と出会ったけれど、本当に、医師はピンからキリである。それも、ピンが少なくてキリが多い。思い出すだけでムカムカする医師も何人かいる。特に、一昨年夏の心臓カテーテル手術を受けた際にいた、一人の態度のデカい無知・無神経な医師のことは、僕は一生忘れない。

首相の麻生太郎さんは相変わらずパッとしないけれど、かつて、
「医師には常識のない人間が多い」
と言ったのは、この人にしては珍しく的を射た発言であった。

医師には、変わった人間が多い。
患者が自分の意見を言うと、それだけで機嫌が悪くなる医師もいる。

医師の見立てが腑に落ちなかったら、インターネットでも何でもいいから、さっさと別の医療機関を探すことが大切である。

うつ病に関するこのNHKスペシャルを見て、これまで思い募っていたことが、よみがえって来た。そして、この番組は、うつ病に限らずどんな病気であっても、医師を盲信していては、結局自分自身の健康を損なったり、あるいは命を落としたりしかねない、という、今後起こりがちな危険を予告する番組としても、十分見る価値があったと思う。

さすが~、NHKである。
受信料を払っている値打ちがあるなぁ。

 

その番組は、これです ↓

http://www.nhk.or.jp/special/onair/090222.html

 

 

 

 

 

 

 

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マーロン・ブランドもいいけれど…

2009年02月21日 | 映画の話やTVの話など

先週の土曜日(14日)の午後9時過ぎのこと。
風呂上がりに、テレビから聞き覚えのある音楽が流れていた。
「あれ…? …あ、やっぱり」
テレビ画面を見ると、映画「ゴッドファーザー」が放映されていた。
妻が見ている。
映画が始まって間もなくの、パーティのシーンだった。マーロン・ブランド扮するドン・コルレオーネの娘コニーの結婚披露宴のシーンで、軽快な音楽に乗って、タキシード姿の父と、ウェィディングドレス姿の娘が、ダンスを踊っている。もう何十年も前から、何度も見ているシーンである。

…そして、僕は、テレビの前に座り込み、そのままの格好で、映画が終わる12時前まで一気にそれを見てしまったのである。

NHKの衛星放送だったので、CMもない。
ストーリーの隅々まで知っている映画だから、次にどのシーンが来るかわかっているのに、トイレにすら行けない。見始めると、片時も目が離せないのだ。

映画が終わると、深いため息が出た。
う~む。何度見ても、いい映画だ。
不朽の名作、とは、まさにこのことであろう。

その翌々日、つまり今週の月曜日(16日)に「ゴッドファーザーⅡ」が放映され、さらに火曜日には「ゴッドファーザーⅢ」が放映され…と、この時間帯に3部作がすべて放映されたので、結局、全部見てしまったのである。いつも10時には寝てしまう僕としては、毎晩夜中の12時まで起きているなんて、きわめて異例のことであった。

映画はどれも、過去に何回か見ていたが、今回、特に「ゴッドファーザーⅡ」の出来の素晴らしさには、改めて感嘆するほかなかった。アル・パチーノの演技は最高級だったし、ロバート・デ・ニーロも、若い頃はこんなに美男子だったのかと、また驚きを新たにした。

映画は見始めると癖になる。
翌日の水曜日も、同じ時間帯に放映された「欲望という名の電車」を見た。

そんなことで、土曜日~水曜日まで(日曜を除く)4日間、ず~っと夜の9時から「衛星映画劇場」を見ていた。

「欲望という名の電車」は、製作年を見ると1951年というから、僕が2歳のときの映画である。テネシー・ウィリアムズの原作は、学生時代に読んだことがあるが、どんなストーリーだったか、きれいさっぱり忘れてしまっている。

僕はこの映画を、主演の男優が誰で、女優が誰だか何も予備知識のないままに見ていたのであるが、男優のほうがポール・ニューマンの若い頃に似ているので、映画を見ながら、妻に、
「これ、ひょっとしてポール・ニューマンと違う…?」
画面の中を指さしてそう言うと、
妻が「え…? 何を言ってるの…?」
というような表情で僕を見た。

そして、「知らなかったの? この人、マーロン・ブランドよ」と言った。
えぇぇぇ~!
「ゴッド・ファーザー」のマーロン・ブランドからは想像もつかない。
「はぁ…? そう? ふ~ん、マーロン・ブランドの若いときの映画か…」

映画の前半は誰だかわからず見ていた男優だったが、その後は、これはマーロン・ブランドなのだ、と思って見ると、それまで粗野な若者という役柄だった主人公が、急に英知に富む正義の味方風に見えてきたのだから不思議である。

「ここのところの衛星映画劇場は、ずっとマーロン・ブランドの特集をしているのよ」
という妻の説明を聞き、あぁ、そ~なのか、と思った。
「ゴッドファーザー」からずっと、この衛星映画劇場では引き続いてマーロン・ブランドの映画特集が続いている、ということなのだった。なるほど。

それにしても、若い頃のマーロン・ブランドとポール・ニューマンって、なんだかよ~く似ているような気がするなぁ。

そして、「欲望という名の電車」のもう一人の主人公であった女優だけど、はて、この女優は誰なんだろうなぁ…。見たことがあるような、ないような…と思いながら、最後まで見てもわからなかったのだが、映画が終わり、出演者の名前が出たとき、「ヴィヴィアン・リー」とあった。

うぅぅぅ…。

映画は、見る前に、せめてキャストぐらい確かめておかなければねぇ。
あの女優がヴィヴィアン・リーだったとは…。
それならそれで、映画の見方も変わっていただろうに…。

ヴィヴィアン・リー…といえば、言わずと知れた「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラである。それが、この映画では最後まで彼女だと気がつかなかったのは、古い映画には強いはずだった僕としては、大いなる不覚であった。

最近、あまり映画を見ないので、感覚が鈍ってきたのだろうか。
映画感性が、錆びついて来たのかも知れない。とほほ。

さて、翌日19日の木曜日の衛星映画劇場は、やはりマーロン・ブランド主演の「波止場」であった。よし、これも見なければ! …と張り切ったものの、よく考えてみれば、この日は夜に、友人たちが、僕の退職送別会を開いてくれる日だったので、映画は見ることができなかった。

送別会は韓国料理のコースで、ビールが飲み放題であった。

メニューをあげてみますと、

☆スペシャル鍋(韓国風すき焼き、という感じ。これだけでボリューム満点
☆キムチ盛り合わせ
☆豚キムチチヂミ
☆ピリ辛豆腐サラダ
☆冷麺 …ほか

…などをモリモリ食べながら飲む生ビールは、やはりマーロン・ブランドよりいいかなぁ…と思ったりして。

映画の感覚は鈍っても、生ビールを味わう感覚はますます健在だぞ~ん。

 

 

 

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耳鳴りの近況

2009年02月19日 | 心と体と健康と

18日、耳鳴り治療のため、大手前病院へ行った。
最近は、2ヶ月に一度の割合でこの病院へ通っている。
ここで「TRT療法」を続けている。
治療というより、経過観察とかカウンセリングみたいなものだけど。

これまでにも書いてきたが、TCIという耳鳴り治療器を耳につけて、そこから発せられるノイズで耳鳴りの苦痛を和らげ、耳鳴りとうまく付き合っていくように慣らしていく、というのがこの療法であり、耳鳴りを治すとか消すとかではなく、慣れるための訓練…というものである。

TCIを改めて紹介すると…。

http://www.siemens-hi.co.jp/trt/trt3.php 

こういうものである。

これを付けていると、たいていは、
「耳が遠いんか…? その補聴器は、よう聞えるか…?」
などと、補聴器と間違われる。当然、誰もTCIのことは知らない。

そのつど、これは耳鳴りをノイズで和らげる器具だと説明するのだが、相手はもうひとつピンとこないようなので、このごろは面倒だから、補聴器か? と聞かれたら、まあね…と曖昧に答えることにしている。

TCIは、このHPにもあるとおり、ひとつ約6万円という価格なのだが、自分の日記を見ると、去年の2月6日に購入している。

そのときは耳鳴りが発症してから4ヶ月余り経った時期で、何をするのも嫌なほど気分が塞ぎ、毎日がうっとうしくて仕方なかった。少しでも楽になれるように、TCIを早く手に入れたかった。その望みがやっと叶い、よっしゃ~、これで一息つけるぞ~、と喜んだものだ。

しかし、気になることがあった。このTCIを製造しているのはシーメンスという会社1社のみだったが、そのたった1社しかない同社が、3月をもってこのTCI製造から撤退する…という情報が流れていたのである。病院の技師さんに確かめたら、果たして、それは事実であった。4月からTCIの在庫もなくなるだろうと言う。えらいこっちゃ。もし今のものを失ったりしたら、二度と購入できないわけだ。いろんなものをなくす癖のある僕としては、きわめて切実な問題であった。それが去年の2月のことだ。

2月、3月は、病院の検査室には、白衣姿の技師さんの後ろに背広をきちんと着込んだ若い男性が控えていた。TCIの販売員だった。その背広姿も、やがて4月を過ぎると、見かけなくなった。やはり、本当に撤退してしまったんだなあ、と寂しい思いだった。

それが、前回(去年の12月)に行ったら、久しぶりに背広姿の若い男性が奥のほうに座っているのが目に入った。
「あれ…? 珍しいな~」と思った。
その人は、僕のTCIを、ちょっと貸して下さい、と言って、耳にはめる先っぽのゴムの部分を丁寧に掃除をして、返してくれた。

そして今回も、またその男性がいた。
僕が検査室に入っていくと、その男性が起立して深々と礼をする。
こちらも、あ…どうも~と、あわててお辞儀をする。

椅子に座ると、技師さんが、
「シーメンスは一度撤退しましたが、また復活することになりました」
そう言ったとき、僕はどれほど喜んだことだろうか。
あ~、これで安心、安心。よかった。うれし~い。

そして、また奥の背広姿の若い男性が、僕のTCIを手にとり、点検してくれた。毎回こうして器具をチェックしてもらえるのはありがたい。

TCIを耳につけていると、気分が落ち着く。

つけ始めて1年経過した最近では、つけるのを忘れたり、あるいは、電池が切れていて音が全然出ていないのに、つけたままそれに気がつかなかったりする。そんなケースが増えてきた。

「いい傾向ですよね」と技師さん。
「最終的には、TCIを外しても、耳鳴りを苦痛に感じなくなる、というのがこの療法のねらいですから…。順調な経過だと思います」
技師さんは、そう言ってくれた。
何となく、心がなごむ。

僕はまだまだこのTCIを外すことができないと思う。
「まだ当分つけ続けたいと思っていますが、別にいいんですよね」
そう言うと、技師さんは、
「副作用などがありませんので、問題はないですよ」
と、答えてくれた。

ひと通り、耳鳴りに関する近況を報告し、アドバイスを受けたあと、
「次回は、どうしますか…?」と技師さんが尋ねた。
「また2ヵ月後に予約をお願いします」
「じゃあ、4月中旬ですね。何日がいいですか?」
「いつでもいいです」
「では、4月○○日ということで…。時間は何時がいいですか?」
「何時でもいいです。もう4月には僕は退職していますから」
そう僕が言うと、技師さんは、
「えっ? 4月で退職…ですか?」
「はい。フリーですから、何日でも、何時でもいいですよ」
「そうですか…。退職されるのですか…」

そして、技師さんは、仕事を辞めたら耳鳴りが改善されるかも、という意味のことを言ったあと、でも…生活が不規則になったり、時間があり余ったりする状態が生じたら、逆に耳鳴りに悪影響が出るかも知れない、というようなことも付け加えた。

そのとおりだと思う。
ここが、とても重要なところなのだ。

仕事を辞めれば、ストレスが半減するだろう。
退職したら、仕事の煩わしさから解放される…最近はそう考えただけで、ぶるぶる~っと喜びに全身が震えるぐらいだから。
その分、ストレスが減ると、耳鳴りもマシになるかもしれない。

しかし…
ライフスタイルが「毎日が日曜日」状態に激変するわけだから、膨大な自由時間をどう使うかによって、生活のリズムが変わってくる。ヒマを持て余すような生活だと、かえって耳鳴りが気になり、状態が悪くなるということだって十分に考えられるのだ。

そこのところを、技師さんが指摘してくれたのである。

通り一遍の言葉ではなく、核心を突いた指摘である。

僕は思わず背筋をピンと伸ばして、姿勢を正した。
「そうですね。おっしゃるとおりです。退職後は、いろんなことに関心を持って、前向きでリズミカルな生活を送ることをめざします」
僕がそう言うと、技師さんは
「そうですね。それがいいですね」
と、何度もうなずいてくれたのである。

このまま耳鳴りに慣れていくためにも、退職後は充実した人生でなければならない。このろくでもない、呪わしい耳鳴りも、多少は僕の人生に役立ってもらわなければね~。

「ではまた4月に…」と僕は立ち上がりながら技師さんに言った。
「ここへ来るのが、楽しみになってきているんですわ」

お世辞でもなんでもなく、本当にそう思って、そう言った。

 

 

 

 

 

 

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アメリカの メル友さん

2009年02月15日 | 旅行

1月にカナダのナイアガラとトロントへ行ってきた。
例によって、妻と、妻の姉との3人の旅である。

関西空港からカナダへの直行便は、去年廃止されたので、アメリカのどこかで乗り換えなければならない。飛行機の乗換えというのは面倒である。特に今のアメリカは、入国チェックが厳しい。アメリカの地を踏むわけではなく、アメリカの空港でカナダ行きの便に乗り換えるだけなのに、それでも入国の厳しいチェックをされるのだ。それがイヤだったけど、カナダ直行便がなくなったのでそれも仕方なかった。

僕らはノースウエスト航空で、大阪から米のデトロイト行きへ乗った。

ナイアガラやトロントへ行くのには、米のバファロー行きの便に乗る場合もあり、旅行社によると、僕らはそれに乗る可能性もあった。

バファローなら、そこからナイアガラやトロントは近いので、迎えに来るバスでナイアガラまで行く行程になっている。つまりバファロー行きの便に乗ると、飛行機を乗り換えなくていいので楽である。しかし、旅行社が送ってきた最終日程表を見ると、飛行機は残念ながらデトロイト行き
で、そこでトロント行きの便に乗り換える行程になっていた。

ところで、昨日(2月14日)の新聞を見ると、
「米のバファローで近郊で、米旅客機が墜落」
という記事が一面に載っていた。たくさんの人たちが死亡した。
同機は、カナダ・ボンバルディア社製だという。
空港のごく近くで墜落したらしい。

バファロー空港付近は雪、濃霧、強風などの悪天候が続いていたという。

こういう記事を読むと、デトロイト乗換えでよかったのかもしれないと思う。

関西空港からデトロイトまでの飛行時間は12時間だ。
機内では、僕たち3人は、中央の4列の座席に座った。
通路側から、妻の姉、妻、そして僕、という順で座っていた。

それから僕の隣には、一人旅の若い女性が座っていた。
日本人ではないようだが、アジア系ではある。

顔は日本人と変わらない。でも、乗務員と話している英語があまりに流暢なのと、いきなりティッシュを出して「チーン!」と大きな音を立てて鼻をかむのが、「むむっ、これは日本人女性と違うやろ」という雰囲気を漂わせていた。

飛び立ってから30分ぐらい経ったとき、僕は寒くなったので上着を着た。
すると、隣の女性が、ひょいと立ち上がり、何ごとかを言いながら、僕の真上にある丸い送風孔をキュッと閉め、僕の顔を見て、「OK…?」と言った。
そこから風が吹き出しているので寒いだろうと、止めてくれたのである。
親切な女の子である。

ただし、日本語は全く話せないようで、なかなか話しかけられない。

それでも頑張って…よ~し、話しかけよう…と思って横を見たら、猫のように丸くなってグーグー寝ている。なんとなく、ユーモラスな子である。

僕は真剣に勇気を奮い立たせた。
4月に定年退職をして暇になったらECCに英会話を習いに行く予定である。
すでに1年分の授業料も振り込んでいる。
こういう機会に、カタコトでも良いから話しかけるだけの度胸を身につけなければ、永久に英語はモノにならない。

「英語は度胸」な~んて言われているんだもんね。

そこで僕は、その女の子がぱっちりと目を開いているのを確かめて、
「私は日本の大阪に暮らしています。あなたどこから来たのですか?」
と、中学の教科書のようなぎこちない英語で、話しかけた。
女の子は、大きなあくびをしている最中だった。
この子は、さっきから、あくびをしているか、鼻をかんでいるか、寝ているか…なのだ。

それでも彼女は、とても愛想が良かった。

彼女は台湾人で、大学生だという。
日本は、一度だけ北海道へ遊びに行ったことがある、と可愛い笑顔を見せた。

で、彼女はアメリカへ何をしにいくのかと言えば、勉強が目的だという。
つまり、留学、みたいなものなのだろう。
行き先をメモに書いてくれた。
インディアナ州のインディアナポリス、とある。

僕が、そのメモに自分の名前を書き込んだら、彼女も名前を書いた。
苗字のほうは「林」と書いてあった。リンさん、である。
名前の漢字が難しかったが、「ヨーヨー」と読むのだそうだ。
「ヨーヨーちゃんですか。僕は、ノンノンです」と言って2人で笑った。

ヨーヨーちゃんは、インディアナポリスの住所を書いて、僕にくれた。
僕は自宅の住所を書いて、ヨーヨーちゃんに渡した。
「日本へ来たら、ここを訪ねてきてください。案内しますよ」てなことだ。

いや、それより、まずメールのほうがてっとり早い。
僕が、PCのメールアドレスを教えてくださいと言ったら、ヨーヨーちゃんは、自分のホットメールのアドレスを書いてくれた。僕は自分のPCのアドレスを覚えていないので「ここへ僕からメールしますから」…と言うと、ヨーヨーちゃんは、ハーイ、という感じでほほえんだ。
鼻をかんだりあくびをしたりするが、見るからに可愛い女性であった。

ヨーヨーちゃんは、飲み物や食べ物が来ると、○○と××のどちらにするか?
と僕に聞いてくれたり、あるいは、今何時か…? とか、あとどれくらい飛行時間があるのか…? と質問したり(つまり、彼女は腕時計を持っていない)、いろいろと会話をしてきてくれたが、肝心の英語力に乏しい僕は、話したい気持はもちろんあるが、それ以上に話が弾まないのだ。無念!

ニッポンの北海道はよかったですか? 北海道には、雪祭りという有名なお祭りがあります…な~んて、どうでもいいようなことしか、話せないのだ。う~ん。12時間も隣に座っていたのになぁ。せっかく、英会話実践の絶好のチャンスだったのに~。(しかも相手は若い女性だというのになぁ)
あ~あ。返す返すも残念なことであった。

飛行機がデトロイトに着き、ヨーヨーちゃんとは、そこで分かれた。
妻や、妻の姉も、ヨーヨーちゃんに手を振っていた。
分かれ際「必ずメールしますからね」と言うと、ウンウンと頷いていた。

日本へ帰って1週間ほどしてから、僕は約束どおり、ヨーヨーちゃんのメールアドレスに、苦心しながら英語のメールを入れてみた。こんな感じである。

   

How are you?
I am Japanese Noboru.
Do you remember me?
It talked in the airplane that went from Osaka to Detroit.
We traveled to Niagara and Toronto in Canada at that time.
And, we returned to Osaka.
Have you become accustomed to the life of Indianapolis?
I am expecting that you are studying a lot.
I am wishing you to spend it healthily.
When this mail arrives, will you give me mail?
I want you to write in easy English because I am not so good at English.

I am looking forward to it.
Good-bye.

To Miss Yoyo

From Noboru・○○○○


拙い英語ですみません。
I am Japanese Noboru. なんて英語があるのかどうかわからないけど、
まあ、辞書や参考書を引っ張り出して、つぎはぎで書いたメールだ。
これだけ書くのに、どれくらいの時間を費やしたことか…。

僕がこのメールを出したのは1月19日であった。
そして、1月24日に、ヨーヨーちゃんから返事があった。

こんな内容である

        

Hi, how have you been?
I was busy at homework in the first and second week in this semester so I am sorry about not keeping in touch.
But I am really happy to hear from you, I feel very warm.
How was you trip in Toronto?
Did you have fun and take good picture?
Could you tell me about some of place I can visit?
 
 
Your friend,
Yoyo


これに対する返事はまだ出していない。

なんとかしなきゃな~と思っているけど、何を書いていいのかわからない。
トロントでよかったところを教えてください、って書いてあるみたいだけど、
どこをどんな風に書けばいいのやら。

しかし、外国人のメル友さん(ペンフレンド)が出来たことは、今後、英語を勉強しようと思っている僕としては、願ったり叶ったりである。早く英語の腕を上げたいものだが、4月が来るまでそんな余裕がないのが残念だ。

4月まで、あと1ヶ月半か…
早く退職した~い。

 

 

 

 

 

 

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まだ財布の話

2009年02月12日 | 日常のいろいろなこと

ところで財布がなかったら不便でしょう…

妻や職場の人たちが、そう言って心配してくれる。
ま~ね。不便と言えば不便だけど、
また落としやしないかと不安なので、新しく購入する気持が湧いてこない。

…ということで、まだ、しつこく財布の話を続けています。

ひとつのネタを何回繰り返せば気が済むんだ…と言われそうだけど。

しかし、僕はつい先日、ルイ・ヴィトンの財布を手に入れたのだから、これはもう、ゼッタイに書かないわけにはいかないのだ。

14年前、パリの凱旋門の近くにあるルイ・ヴィトンの本店を初めて訪れたときは、団体の旅行だったので、無理やりに連れて行かれたのも同然であった。しかし来たからには何か記念になるものを、と思ったけれど、どれもまあ高価なものばかりで、なかなか適当なのが見つからない。結局、お世話になった人のお土産にと、一番安かったキーホルダーを買うのがやっとであった。

だいたい、こういうブランドの品物というのに、僕はあまり縁がない。これまで持っていたコーチの財布にしても、グアムだったかハワイだったかへ行った帰りの空港で、ドルが余ったので「何でもいい」から買っただけである。

それが、このたび財布を失ったのをきっかけに、ルイ・ヴィトンを持つことになったのだから、運命のめぐり合わせというものは皮肉である。

それでは、ご紹介しましょう。
これが、僕の新しく持つことになったルイ・ヴィトンの財布です。

 

   


   

   中には「ジャル・マイレージ・バンク」というカードと、
     勤務先で再発行してもらった自分の職員証が入っています。


でもなぜ、ブランド品に縁の薄い僕がこれを持つことになったのか?

実は、数日前のわが家での夕食時、「財布、やっぱりいるかなぁ…」
僕がそうブツブツ言っていたときに、そばにいた長男が、
「財布やったら、ひとつ、新しい財布があるで。それ、使う?」
と言ってくれた。
「おお! 渡りに船とはこのこと。使う、使う。何でもいいから使う」

「ほんなら、持ってくるわ。もらった物やけど」
そう言って長男は席を外し、しばらくたって、
「これ。使う? ほんまに?」
と、僕に手渡したのが、このルイ・ヴィトンの財布であった。

「なに…? これ。どうしたん?」
「ルイ・ヴィトンやけど、もらいもんやねん」
僕はびっくり仰天した。
「こ、こ、こんなもん、誰がくれるねん?」
「会社の先輩が、海外旅行に行って来きはって、『これ、欲しかったらあげるで』と言うたんで、もらった」

「えらい、気前のええ人やな~。いいの…? こんな高いもんもらって」

「いいよ…? ニセモノやから」
「えっ…?」
「もちろん、ニセモノやんか。
誰がほんまモンくれるのん」

な~~~~~るほどぉ~~~。

そらそ~やわな。
大して親しくもない人が、ほんまモンのヴィトンなんか、くれるわけないわ。

それでも、体裁はヴィトンである。
こんなのを使っていると詐欺罪か何かで捕まるのか…?
そんなこともないだろう。まあ、財布だったらなんでもいいんだし。

「あ、その財布やけど…」
と、長男が口をはさんだ。
「言っとくけど、お金の出し入れをするとき、そろ~っとやらなあかんで。
 すぐに破れるらしいからね。ちゃちな作りやから、と言うてはった」
「…そうか? すぐに破れるのか…」

「カンボジアへ旅行した時に買ってきはったそうやで。
 日本円で、160円ぐらいやった、と言うてはったわ」

…160円。 
カンボジア版のルイ・ヴィトン。値段が…160円 !
なんじゃ、そら。

…ということで、いま、僕はバッグの中に、160円のルイ・ヴィトンを潜ませているのである。

今度この財布を失ったら、警察になんと届け出るか…むずかしいなぁ。

「財布のメーカーは?」
「あのぉ、いちおうルイ・ヴィトンですけど…」
「購入価格はいくらぐらいでしたか?」
「160円です」
…な~んて、警察で言えないもんね。


やっぱり、別に新しい財布を買ったほうがいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

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深まる謎 …

2009年02月10日 | 日常のいろいろなこと

前回、財布を失ったという記事に寄せてくださった皆さんのコメントを見て、正直ホッとしました。ほとんどの方が財布を失くした経験をお持ちなんだ。
「うっかり」は、自分だけと違うんやな~って(失礼!)。

でも、特に注意しなければならないのは海外旅行のとき。
アナザービートルさんのコメントによれば、香港で財布を失くし、日本に帰ってから香港の警察に電話をしたとのことです(電話するって、すごいな~)。でも、それが、もしパスポートだったりしたら、すご~く面倒なことになりますから、やはり海外では細心の注意が必要ですよね。

僕は、8年前、ハンガリーのブダペストの国会議事堂前で、警察官を装った3人組の男たちに危うくパスポートをだまし取られかけたことがありました。思い出すたびに冷や汗が出ます。

さて、前回の“謎の財布事件”の話には続編があります。

財布を失くした翌日の午前に、警察へ紛失届けを出したことは書きましたね。
その午後、職場で、「ありゃ? 手帳もないぞ」と気付きました。
「家に忘れたのかなぁ」と思いつつ、帰宅して探しても、出てこない。
朝は財布でバタバタしてわからなかったけれど、手帳も失くなっていた。

手帳には、自分の予定や仕事の一覧、簡単な日々の記録、職場の人たちの携帯番号一覧表のほか、覚え書きとして自分の基礎年金番号や通帳カードの暗証番号から、自転車の鍵番号まで、実にいろんなことをメモしてあった。しかし、自分の住所・氏名はどこにも書いていなかったはずだ。身分証明書が入っていた財布と違って、この手帳は、拾った人も誰が持ち主なのかわからんやろ…

あ~あぁ。イヤになる。どうせ、これも手元には戻ってこないだろ。
その手帳を誰かに読まれていると思ったら、財布より、もっと気持ちの悪い話である。困ったことやなぁ、ほんまに。

しかし、なんで手帳までなくなったのだろうか…?
財布と手帳がいっしょになくなるとは…? う~ん。不思議でならん。
あぁ…これやから酔っ払いはイヤや。イヤや。イヤやぁ~~~ん。

想像するに、駅の自動券売機で切符を買うときに、財布を胸のポケットから出して、千円札を1枚抜き、財布は券売機の前に置いて、切符とおつりを受け取って、財布を置き忘れたまま改札へ入ったのだろうか。しらふの時でもすぐに財布を置く癖のある僕なのである。しかし、それにしても…、同じように胸ポケットに入れていたはずの手帳までいっしょになくなっていたとはなあ…。
どうクビをひねっても、記憶がよみがえってこない。

謎は果てしなく広がる一方である。

そして…
財布を失くして4日後、1月30日のことだ。

職場で昼のお弁当を食べ終えたとき。
僕の携帯電話が鳴った。
見知らぬ電話番号からの電話であった。誰からやろな…?

「もしもし」と僕は相手に呼びかけた。
聞こえてきたのは、若い女性の声である。
「もしもし。こちらは阿○野警察署ですが…」
「えっ…? はぁ…? 警察署の方?」
「はい。あの~、実はですね、黒い…」

(うぇ~っ。黒い…黒い財布が出てきたのか!)

…と思う間もなく、
「黒い…手帳をお預かりしているのですが。お心当たりはありませんか?」
と、相手は丁寧な口調で僕に訊いた。

手帳…?
そうか、出てきたのは手帳のほうか。
でも、朗報だ。手帳も、めちゃ気になっていたのだから。

「はい。僕は黒い手帳をなくしました。そちらにあるのですか?」
「ええ。実は手帳のページの中に『僕の携帯番号』と書かれたメモがありましたので、いま、その番号に掛けさせてもらったわけです」
「間違いありません。それは僕の手帳です」
「それじゃぁ、ちょっとお聞きしてもよろしいですか?」

…と、警察の女性は、僕の住所・氏名・年齢・紛失月日などを聞き、最後に、
「受理番号が○○○○ですので、こちらへ来られたら、落し物係の窓口で、その番号をおっしゃってください」

そう言って、電話は切れた。

そうだよね。警察には財布だけしか届けていなかったもんね。手帳もなくしたことはあとから気づいたけど、再び警察へ行くような気力は残っていなかったしね。阿○野警察署の人が、手帳の中身を読んで「僕の携帯番号」というのを見つけ、電話をしてくれなかったら、永遠に戻ってこなかっただろう。

僕は、感謝の念を抱きながら、電車に乗って阿○野警察署に出向き、また改めて紛失届けを書いて提出したあと、4日ぶりに自分の手帳を手にした。

「あの~、ついでに聞かせていただく…と言ってはなんですが、黒い財布ってのは、これといっしょには、なかった…ですよね?」
と、どこまでも未練がましい僕なのであった。
「は…? 手帳だけですけど」と、まあ、当然の答えしか返ってこなかったことは、言うまでもない。

手帳を受け取ってから、僕は係の女性に、
「ところで、この手帳は、どこで、誰に発見されたのですか?」
と、ず~っと気になっていたことを、聞いた。
阿○野というと、僕の自宅方向とは反対側に10キロも離れた都会方面なのだ。

「夜10時ごろ、この手帳が電車の中に落ちていたそうです」
「電車の中…? 電車の中なんですか…?」
「そうです。拾われたのは、車掌さんです」
「電車の中で…ねぇ。ふ~ん、そうですかぁ。でも、なんで阿○野署へ届けられたんでしょう? 僕は、阿○野とは反対方向へ行く電車に乗ったのに」
「あ、それはね、その車掌さんが、阿○野駅に勤務する方だったので、電車のどこで拾ったかに関わらず、阿○野署に届け出られた、ということなのです」
「…そうですか。わかりました。どうもありがとうございました」

まあ、手帳だけでも出てきて、本当によかった。

警察署からの帰り道、僕はもう一度、しつこく考えてみた。
手帳は、電車の中に落ちていたという。
なぜ、胸のポケットに入っていたはずの手帳を、落としたのか?
そのとき、たぶん…だろうけど、財布もいっしょに落としたのか?

手帳も財布も、背広の胸のポケットに入れていたが、切符を買うとき両方出して、切符を買い終えたら、コートの浅いポケットに両方を突っ込んだのか?

そして、電車の座席にダラ~ッと寝そべるように座って、ポケットから財布と手帳の両方とも落ちた…? それに気づかず、僕は自分の駅で下車し、そのあと財布は誰かが拾い、手帳はそのまま車内に残されていた…。

…ちゅうことかいな。
何しろ、酔っていて、記憶がないんだから、始末に負えない。

自業自得が招いた謎は、深まるばかりである。


 

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初心に戻る…? 戻れるのか

2009年02月07日 | 日常のいろいろなこと

長らくご無沙汰をしておりましたが、「のん日記」をまた始めます。タイトルも、以前の「日はまた昇る」の方がよかったと言ってくださった方がおられたので、元のタイトルに戻します。ある意味、初心に戻るというわけですが、まあ、これがブログの便利なところで、ちょいちょいと編集画面で設定を変えたら、タイトルでもなんでも、すぐに元に戻せます。

ブログを戻すのは容易ですが、ヒトが「初心に戻る」のは、なかなかむずかしい。いろんな人たちがよく「初心に戻って」という表現を用います。言葉としてはとても便利です。かく言う僕も、事あるごとに使っています。聞く方の印象もいい。でも実際に「初心に戻る」のは、そりゃぁもう、至難のワザでありますね~。

僕は先月に60歳の誕生日を迎えましたが、今さら初心に戻って…な~んて恥ずかしくて言えませんよね。でも、せめて気持ちだけでもそれくらいでなければ、という姿勢は、理解できなくもありません。特に、60歳といえば還暦。還暦といえば再び生まれたときの干支に戻るというわけで、一周まわってもとの位置…ということになると、これはもう、初心に戻るラストチャンスなのかも知れません。

そんなことで、やっぱり「初心に戻ったつもり」で、のん日記を再開します。

さて…
1月にカナダへ行き、ナイアガラの滝とトロントの街を見てきました。
また、後日、写真などを載せて、旅の報告をさせていただきます。

しかし、人生楽しいことばかりじゃありません。

10日ほど前のことですが、僕はある新年会の帰りに、財布を失くしました。
かなり酔っていたようで、その時のことはよく覚えていません。
朝起きたら、背広やズボンのポケットにも、バッグの中にも…財布がない。

昨晩…勤務先のある駅から電車に乗って、自宅の最寄駅へ帰ったのは間違いなかったはずです。というのも、翌日、ズボンのポケットには千円から切符代を引いた額の800円がじゃらじゃらと入っていたのです。だから、飲んだ店で失くしたのではなく、少なくとも駅で切符を買った時点では財布は持っていたはず。そのまま、家にはちゃんとたどり着いています。…どの過程で失くしてしまったのか?

翌日、所持金が800円ではどうしようもないので、妻に財布を失くしたことを言って、臨時の小遣いをもらい、出勤途中に駅の事務室を訪ね、財布の遺失物が届いていないかどうかを尋ねました。駅員さんがオンラインのパソコンで調べてくれましたが、該当する遺失物は沿線のどの駅にも届いていない、とのことでした。がっくり。

財布の中にはクレジットカードが入っていたので、すぐにカード会社に連絡し、カードの使用取り消しを依頼しました。
「不正使用された場合には保険が適用されます。その場合、警察へ届けておく必要がありますので」
と言われたので、僕はすぐに勤務先の近くの警察署へ行き、
「財布を失くしたんですけど…」と申し出ました。

以下は警察署での一問一答です。

女性の係官から住所、氏名などを聞かれたあと…

「年齢は?」
「ごじゅう…、じゃない、ろくじゅう…です」
(そうだ。もう60歳になっておるのだ、ワタシは)

「財布は中折れですか?」
「はい、中折れです」
僕の話を聞きながら、女性係官はパソコンにそれを入力していく。

「財布の色は何色ですか?」
「黒です」
「メーカーはわかりますか?」
「コーチです。でも、土佐のコーチではありませんよ」
「聞いたことだけ答えてください」
「はい。すみません」
「中に現金はいくら入っていましたか」
「はぁ…6万円ちょっとですけど」(う~。普段はそんなに持ち歩かないのに。こんなときに限って…)
「何かカード類は入っていましたか?」
「JCBが1枚。さっき、電話を入れて、処理をしてもらいました」
「キャッシュカードは?」
「入っていません」
「免許証は入れていましたか?」
「いいえ。家に置いたままです。ペーパードライバーだから」
「あと、どんなものが財布に入っていましたか?」
「勤務先の職員証が入っていました」
「職員証ですね。で、他には…?」
「診察券が数枚入っていました」
「どこの病院・医院ですか?」
「え~っと。徳○会病院と、大○前病院と、西○整形外科の3枚です」
「財布はいつごろ紛失したと思いますか?」
「昨日の夜の10時前後だと思います。駅の周辺じゃないかと…」
「どこからの帰りですか?」
「新年会が、この近所の料理屋でありました。その帰りです」
「財布がなくなったと気がついたのはいつです?」
「今朝、目が覚めて気がつきました」

 ………と、いろいろと質問をされたのである。

そのまましばらく待たされた後、パソコンに入力した内容をプリントした書面を見せられ、促されるまま、サインをした。
ボールペンをそのまま胸のポケットに差し込もうとしたら、
「あ、ペンはこちらのですから、返してください」
と、係官に注意された。とほほ。


あれから10日以上が経つ。
財布は戻ってこない。
職員証も入っていたのだから、僕の素性はそれを見ればすぐにわかるはずだ。
でも、戻ってこない。

あ~ぁ…。情けないことだ。
またまた、酔った上での失敗を重ねてしまった。

60歳にもなって、まだこのありさまである。

♪ いつまでたっても、ダメな私ね~ ♪

むかし流行したそんな歌の文句が、頭の中をグルグル駆け巡る。

とまあそういうことで、大いに反省し、またまた、
「今度こそ、初心に戻らねば」という決意を繰り返す僕なのです。

 

 

 

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