僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

内藤・亀田、世界戦のお粗末

2009年11月29日 | ニュース・時事

宣伝ばかりが大げさで、まったく中身のない試合だった。 あほらし。

35歳のチャンピオン内藤は、やたらにパンチを振り回すだけ。
挑戦者の亀田といえば、自分からは前に出ず、カウンターを狙うだけ。 

亀田興毅も、口ほどにもないセコい選手である。
 
今夜行われたプロボクシングWBC世界フライ級タイトルマッチ。
内藤大助の、6度目の防衛戦。

結果は亀田の判定勝ちに終わった。 何の見せ場もない、辛気くさい試合だった。

この試合の、どこがビッグマッチなのか。
テレビ局 (この場合はTBS) が勝手にでっち上げているだけだろ。

それにしても、チャンピオンの内藤も情けない。

内藤は、過去5度タイトル防衛している、というけれど…。
これまでの挑戦者は、5人中4人が世界ランキング2ケタの、弱い相手ばっかり。

その一人が、2年前に話題になった弟の亀田大毅で、当時は世界の14位であった。
なんで、もっと世界ランキング上位の選手と戦わないのだ。

そして、前回、内藤の5度目の防衛戦も、相手は世界10位の中国人選手だった。
おまけにその試合で内藤は、ダウンを奪われ、あわやKO負けをするところだった。
かろうじて、判定勝ちに持ち込んだものの、もう、メロメロだった。

その時の新聞記事の切抜きを、僕は持っている。
「下位選手と接戦を演じては、防衛記録が色あせる」 (朝日新聞)
…そんなことが書かれていた。

いわば、弱い選手ばかりを相手にして、5度防衛している内藤なのである。
しかも5度目の防衛戦はKO寸前まで追い込まれるというていたらく。

そして、今回が6度目の防衛戦。

そんな内藤と、これも、弱い相手ばかりと戦ってきた亀田兄。
似たもの同士の対決である。 これが世紀の試合というのだから、恐れ入る。
弱いもん同士の対決が、テレビ局の宣伝で 「世紀の一戦」 とあいなった。

なにせこのテレビ局は、いつまでも性懲りもなく亀田、亀田、亀田である。
相も変らぬ視聴率稼ぎの大宣伝には、うんざりである。
とにかく、世論などお構いなしに、亀田は、TBSのドル箱なのである。

試合中、TBSの実況アナウンサーが、例によって一人ぎゃあぎゃあ騒いでいた。
「おまえ一人大騒ぎしてどないすんねん」 …うるさくて仕方ない。

ゲストの赤井英和は、感想を求められても、細々と「いい試合です」というだけ。
同様に、解説の鬼塚も、どっちつかずの発言ばっかり。

ボクシングの試合の優劣は、素人が見ているだけでは、わかりにくい場合が多い。
その分、「あぁ、○○の方がいいですね~」という解説者の言葉に左右される。

TBSとしては、視聴者に内藤のファンが多いことはわかっていたと思う。
しかし、なんとしても、ここは亀田に勝たせなければならない。

お茶の間の視聴者に、亀田が優勢だということを印象付ける必要がある。
しかし、それが露骨であってはならない。それとなく、印象付けるのだ。

だから、赤井も鬼塚も、そんな気遣いからか、煮え切らない解説に終始した。

「いやぁ、いい試合です」 と2人は口をそろえて言った。 どこがや…?

まさに世紀の好試合、ということを強調する2人であった。
そして、やんわりと、亀田が優勢であることをほのめかす2人でもあった。

実際の試合は、前述したように、12ラウンドまでずっと単調な展開だった。
内藤は力ないパンチをせっせと繰り出し、亀田はそれをじっと見て後ずさりする。
ガードを固めて、打たれまいという姿勢から、機を見てパンチを繰り出すだけ。
大言壮語しているわりには、亀田のボクシングはしょぼい。

ボクシングも地に落ちたなぁ、とつくづく思う。
昔のファイティング原田とか、海老原博幸らの試合がなつかしい (うっ、これも古い!)。

いま、ボクシングは、スポーツと言うより、見世物、という感が強い。 
本当に真剣勝負なのかどうか、疑わしくなるほどだ。

それを助長するのが、例によってテレビ局だ。
TBSも、いつまで亀田兄弟にしがみついているのだろうか。
どうせまた明日、みのもんたの 「朝ズバ」 あたりで亀田とこの試合を褒めるのだろう。
あほくさ~て、見てられんわ。

TBSも、そんなことをしているから、ゴルフの石川遼の取材カートが暴走するのである。

ちょっと、反省しなはれ。

 

 

 

 

 

 

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なぜか三菱銀行人質事件の話

2009年11月28日 | 読書

昔、アナザービートルさんたちとささやかな同人誌をやっていたことがある。
僕たちは、手書きの小説をコピーして、手作りの同人誌を 「発行」 していた。

メンバーは総勢4名である。 僕たちはいずれも30歳代前半から半ば。
…つまり、1980年代の前半から半ばにかけて、だった。

4人のうち3人は妻子がいたが、1人だけ独身者がいた。
それがFさんであった。 大阪市天王寺区・玉造のアパートに住んでいた。

僕たちは、その狭い部屋にビールや食糧を持ってなだれ込んだ。
そして、お互いの作品を批評しあったり、雑談したりして時間を過ごした。


「テロリストのパラソル」 の作者藤原伊織は、大阪の高津高校出身だそうだ。
高津高校といえば、この玉造のすぐ近くである。

打ち明けてしまうけれど、Fさんは、藤原伊織と同じ苗字である。
う~む。 藤原 … 玉造 …。

そこで、Fさん=藤原伊織…説がにわかに浮上してきた。 (ほんまかいな)

しかし…。 藤原伊織は2年前にガンで亡くなっている。

Fさんは、もちろん今も元気である (怒られるで~)。

一瞬、色めきたったけれど、あえなく幻の説と化してしまった。 (当たり前やがな)


そこでふと思い出したことがある。

Fさんが書いた短編小説に、有名な強盗殺人犯を主人公にしたものがあった。
テロと強盗殺人とは違うが、共に凶悪な犯罪であることには違いない。
しかも、Fさんがモデルにした事件は、犯罪史上に残る衝撃的な凶悪犯罪であった。

その事件は、1979年1月に大阪で起こった。

三菱銀行北畠支店に一人の男が猟銃を持って押し入った。
警官2人と銀行員2人を射殺する。
そして、銀行員たちを人質に取り、女子行員たちを裸にして盾とした。

http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage101.htm

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=C_Cg-TzP6J8

Fさんは、その犯人である梅川昭美をモデルにして、短編を書いた。

テロリストを主人公にした藤原伊織と、凶悪犯を主人公にしたFさん。
この点でも、なんだか不思議なつながりを覚えてしまう。

実際の梅川は、最後は警察隊に撃ち殺されて死ぬ。

とにかく凄まじい事件で、梅川の名は凶悪犯の代名詞のように語り継がれていった。
僕も、その名前は今でもすぐに浮かんでくる。 (梅川さんって苗字の人、可愛そう)。

今、改めて調べてみると、梅川はその時、30歳だった。
藤原伊織や、僕たちと同年代、つまり団塊の世代ということになる。

2009年の今、毎日のように凶悪な犯罪が、日常茶飯事のように報道されている。
日本はいつからこんなぶっそうな国になったんだ…と言われているが、
その昔も、数は少ないけれど、結構、凶悪な犯罪があったんだ。
いや、むしろ、血の気の引くようなおぞましい事件は、昔のほうが多かった。

今はごく簡単に、なんの理由もなく、チャラチャラっと人を殺す。
こんなことで人を殺すのか…というような事件があまりにも多い。
(もちろん、「理由」 があっても、人殺しは悪いに決まっているが…)

「テロリストのパラソル」 が、高津高校や玉造に進み…
それが F さんに進み、F さんから さらに梅川事件に進み…。

どうも、話は膨れ上がっていく…というより、迷走する一方だ。

土曜日だというのに、朝から陰惨な事件の話を書いてしまいました。

これも団塊世代の、ひとつの屈折した傾向でしょうか…。


追伸 

「テロリストのパラソル」 に、印象深いシーンがありました。
テロの真犯人が 「これがぼくらの世代の宿命だったんだ」 と言うが、
主人公は 「私たちは世代で生きてきたんじゃない」 と否定する。
「私たちは、個人で生きてきたんだ」…と。

団塊の世代、世代と、僕もあまり言わない方がいいかもしれませんね。
世代で一括りしてしまうほど、人間って単純じゃありませんものね。

土曜日だと言うのに、ちょっとマジメ過ぎたお話でした。
これも団塊の世代の…。 お~~っと。 それは言うたら、あかん、あかん。

 

 

 

 

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「テロリストのパラソル」

2009年11月27日 | 読書

藤原伊織の「テロリストのパラソル」を読み終えた。

文庫本で380ページほどある長編だが、ほぼノンストップで読んだというのは、僕にとって最近では珍しい出来事である。耳鳴りが発症して以来、めっきり読書量が減ったが、それでも退職して時間ができたら思いっきり本が読めるだろう…というお楽しみな期待があった。

しかしそれも、何やかやと用に追われてこれまで果たせていなかった。その意味でも、こんなぐあいに、久しぶりに小説に没頭できたことは、とてもうれしい。大げさかもしれないが、退職後の人生の喜びを、改めて発見した思いですらある。

僕が20歳だった1969年のことを、先日のブログで書いたとき、yukari さんが、この小説を再読した、とコメントで書いてこられた。登場人物が団塊の世代で、もう、ずいぶん前に話題になった小説だったけれど、僕はまだ、それを読んでいなかった。「これを機にぜひ読みたい」と思った。

「テロリストのパラソル」は、1995年に江戸川乱歩賞を受賞し、翌年に直木賞も受賞した作品である。

史上初の乱歩賞・直木賞のダブル受賞作、という極めて高い話題性に富んだ小説にもかかわらず、自分が読んでいなかったのは、なんでだろう…? 

思い返してみると、この頃は、仕事が広報担当で、比較的充実していた職場生活を送っていた。私生活でも、マラソンや海外旅行に熱を上げていた。さらに映画(といってもテレビのWOWOWですけど)にもハマっていた。そんなことで、読書のほうは、おろそかになっていたようである。当時話題になった本も、ほとんど読んでいない。

そこで一昨日、遅まきながら「テロリストのパラソル」の文庫本を買った。

夜、眠る前に読み始めたが、うっかりいつもの癖で睡眠薬を飲んでしまったので、すぐに眠ってしまった。

昨日の朝、4時に目が覚めたので、枕元でこの本を開いた。
そこからである。ず~っと、ず~っと、読み続けた。
途中で「続きはまた明日」としおりをはさむことができないのだ。
それほどに引き込まれる小説であった。

あいだにモミィをコスパのスイミング教室に連れて行ったりと、何度か中断はしたけれど、午後3時ごろに最後まで読み終えた。

こんなことは、仕事を持っていると、出来ないことである。その気になれば、とことん好きなことができるという現在の環境を、いまさらながら有難く思った。なんだか、学生時代に戻ったような軽やかな気分すら芽生えた。

小説のストーリーは、ネットでいっぱい紹介されているので、ここでは触れない。(これだけ複雑なストーリーを紹介できるような文章力は僕にはない)。

さて、主人公が「プロの酔っ払い」であることは、昨日のブログで買いた。
朝からウイスキーを飲むのが日課の男性である。

それはともかくとして…
とにかく、文章がいい。骨太というか、カチッとしている。
現代小説の文章で、これほど魅了されたのは、村上春樹以来である。
作風は違うけれども、登場人物の描かれ方が、ちょっと似ていなくもない。
特に主人公に絡む21歳の勝気な女性は、言動が多少過激ではあるが、いかにもハルキさんの小説に出てきそうなキャラクターである。

でもまあ、何よりも、小説としての構成が、ものすごく精緻である。
ボンヤリ読んでいたら、また読み返さなければならないほどで、スキがない。これがまた大いなる魅力である。(ボケ防止にぴったり??)。

ミステリーなのか、ハードボイルドなのか…。カテゴリーは、特定しにくいけれども、この小説は、面白さにおいて、文句のつけようがない。

特に団塊の世代の僕らにとっては、宝物のような小説である。
発刊されてから14年の歳月がたつというのに、これまでこの小説を読まなかったことが、なんとも「もったいないことをした」という思いに駆られるほどである。読むきっかけを与えてくださったお嬢様には、ほんと、感謝感激雨アラレ、ですわ。

ところで、この物語も、やはり全共闘世代の中での恋が、話の中核になっている。先日のブログで書いたテレビドラマ「1969年のオヤジと僕」も、 同じような闘う学生たちの男女間の恋が描かれていた。大学闘争の中で、あれだけ男の学生たちが権力に対して熾烈な闘いを続けられたのも、「同志」である女性たちの存在があったからであろう。権力を弾劾しながら、女の子と肩を組み、手をつなぐ、ということが、当時、学生運動に参加した男たちの喜びでもあったのだろう。まあ、そんな見方は不純かも知れないけれども、そういうことって、たぶん、あると思う。

それともうひとつ。知らなかったけれど…
「テロリストのパラソル」は、テレビでドラマ化されていたのだった。
ネットを見て、初めて知った。このころはドラマも見ていなかったなぁ。

主人公は、ショーケンこと萩原健一だった。
うちの妻は「前略おふくろさま」以来の、ショーケンの大ファンである。

昨日の夕方、そのことを妻に伝えると、
「う~っ。見たかったわ~」と、地団太を踏んでいた。
でも、まあ、放映されたのは、10年以上も昔みたいだけどね。
DVDは出ていないのだろうか…?

著者の藤原伊織は、大阪府の出身。
2年前、59歳で他界している。




 

 

 

 

 

 

 

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反省・猛省・大反省

2009年11月26日 | 日常のいろいろなこと

昨日のブログを読み返し、また、いただいたコメントを拝見しながら気がついた。
う~ん。 知人のプライベートなことを書き過ぎてしまった。 反省。

書いているうちに歯止めが効かなくなるという、僕の悪い癖が出ました。 猛省。

こんなブログを公開したことを後悔しないようにと、いま、非公開にしました。

相も変わらず軽率で浅薄でノーテンキな僕です。 大反省。

そんなことで、コメントを下さったアナザービートルさん、コバヤシさん、
そしてyukari さんには、大変申し訳なく思っております。 ごめんなさ~い。

本文がなく、コメント欄にお名前だけが載るという形になってしまいました。
せっかく、このブログのために時間を費やしていただいたのに…。
本当に、すみませ~んでした。
もう二度としません (まるで酒井のりピーやがな)。

                       

 
藤原伊織の 「テロリストのパラソル」 を、一気に半分以上読んだ。
yukari さんが先日再読されたというコメントをもらったのがきっかけだ。
団塊世代、大学闘争、1969年…
僕はまだ、この本を読んでいなかったので、昨日、文庫本を買って来た。

読み出すと、もう、やめられない。 止まらない。

昨晩から読み始め、今朝も4時から目覚めてベッドの中で読み続け…。

キリのいいところで本を置き、パソコンを開け、自分のブログを読み返し、
3人の方々からいただいたコメントを読ませてもらい、そして…
yukari さんの 「ええんですか?」 の言葉に、ハッとしたわけで。

ほんまや。 こんなこと、書いてええんか…? と自分でも思ったわけで。

あわてて非公開の処置をして、今、一段落をしたところです。

それにしても、「テロリストのパラソル」は、息もつかさぬ展開で、
読んでいると、どんどん数奇なストーリーの中に引きずり込まれていく。

しかし、まあ、主人公は朝から晩までウィスキーを飲んでいる。
こういうのが、いわゆるアル中というのですね。
職業は薄汚れた店のバーテンで、店のメニューはホットドックだけ。 
 
寝起きにはガタガタ震える手が、ウイスキーを飲み重ねていくと正常に戻る…。
酒が体内に十分まわると、手も震えなくなる。 そういう男性である。

1969年に20歳だったから、僕と同年齢だ。
その頃の大学闘争の様子が克明に描かれている。

そして現在は、1990年代前半で、主人公は40歳代の中年男になっている。
中年男の、アル中のバーテン。

彼は午前中から公園で寝転がってウイスキーを飲む。 それが日課だ。
そこへ、「神様についてお話しませんか」 という男性が現れる。

主人公は 「申しわけないが、今仕事中なんでね」 と言う。
「仕事? なんの」 と、男性が尋ねると、主人公は、
「これだよ」 とウイスキーの瓶を見せて、
「プロの酔っ払いだよ」 と言うのである。

酔っ払いにも 「プロ」 があるんだ。

ふむふむ、僕など、まだ可愛いもんだ、とニタ~っとしてしまった。

    (反省しているわりには、ニターっとしてどうする)

 

 

 

 

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死ぬまで生きるための生き方??

2009年11月22日 | 心と体と健康と

20歳で命を絶った高野悦子さんのことを考えていたら、こんなふうにも思う。
1969年から40年経った今でも生きているのは、もう十分長生きではないか、と。

40年前の自転車旅行の初日は、京都に下宿していた堀 一夫という友人宅に泊まった。
中学の同級生で、よく気が合い、仲の良い友人であった。 
彼は、当時京都工芸繊維大学 (いわゆる工繊) の学生だった。

「気をつけてな」  と、翌朝、旅立つ僕を見送ってくれた。

それから1年半後、堀は病死した。

昨日、ウオーキング中に、大阪・谷町筋の星光学院という私立高校の前を通った。
「ここが、堀が通っていた高校やで」  
と、僕は横を歩く妻に説明した。

彼が生きていたら、僕の人生も少しは変わっていたかもしれない…
そう思いながら、20歳余りの若さで世を去った彼を偲んだ。

そんなことも重なって、昨日は、自分は長生きなんだなぁ、という感慨に浸った。
これまで、そんなことは、思いもしなかったことなんだけれど。

  ………………………………………………………………………………

そうして、僕は今も、せっせと生き続けている。
辛い耳鳴りに悩まされる日々だけど、まさか死んでしまうわけにもいかない。
どうせ死ぬまでは生きなければしょうがないんだもんね。 

モンダイは、その生き方ですが…

先日、午前中に月一度の病院の診察に出かけた。 (耳鳴りとはまた別の病院です)

不整脈の薬の効き具合や、血液をサラサラにする薬ワーファリンの効き具合。
ガンマGTPとかの検査や、糖尿病、尿酸値の数値などの血液検査が主である。

血液検査の後、約1時間ほど待ってから、名前を呼ばれて診察室に入る。
「どうですか、不整脈のほうは…?」 と、お医者さん。
「薬の調整がうまくいっているようで、あまり出ません」 と、僕は答える。
実際、薬が安定的に効いてくれているから、アルゼンチンにも行けたのである。

この抗不整脈薬のシベノールという薬だが、本来は1日3錠飲む薬である。
しかし、僕の体質では、3錠どころか2錠でも、この薬は効き過ぎるらしい。
「薬の血中濃度が上がっています」 と医師に言われて、へぇ、そうかと思った。

薬が効きすぎると、別の不整脈が出るのである。
そこで一日1錠にしたら、今度は、以前からの不整脈(心房細動)が出る。
一日1錠では、さすがに薬の効きが悪いのだ。 難儀ですわ~。

そんなことで、僕は今、偶数日には朝晩2錠。 奇数日には、昼1錠。
そんな飲み方をして、コントロールしている。
だから、ややこしい。
退職してから、ただでさえ日にちや曜日がわからなくなっているのに、
いちいち、今日は何日で薬は何錠や…? とメモしたり、記憶したり。
やれやれ…。

…で、その日は午前中を病院で費やし、昼に帰宅した。
昼食を取って、しばらくして、今度はフィットネスクラブの 「コスパ」 へ行った。

ロッカーで着替えて、Tシャツと短パンになってジムの中へ入る。
「お腹」 「腰」 「太もも」 「ふくらはぎ」 「上腕」 「肩」 …
それぞれのマシンに、どこの筋肉を鍛えるのかをわかりやすく書いてある。

しかし、多くの人たちが使っているのはランニングやウオーキングマシンだ。
「お1人30分以内でお願いします」 と書かれている。 それだけ人気がある。
たいてい、ここは混んでいるのだけれど、僕は使わない。
ふだん外を走ったり歩いたりしているので、ここへ来てまでねぇ…。
お金を払ってまで走ったり歩いたりするというのは、どうも抵抗がある。
それに、屋内を走っていても、すぐに退屈しそうだ。

筋力トレーニングをひと通りして、そのあと、ストレッチコーナーで体をほぐす。

そして、ロッカーに戻り、水着とキャップ姿になって次はプールへ行く。

「水中ウオーキング」 のコースで、ざぶざぶ水を切りながら歩く。
コスパに通い始めて20日ほどになるが、プールにも4、5回行った。
行くたびに、歩く時間より、泳ぐ時間が増えてきたのはうれしいことである。

歩くコースのとなりが 「途中で休憩しながら泳ぐコース」 である。
そこへ入って、泳ぐ…というより、バシャバシャと水しぶきを上げる。
まあ、似たり寄ったりの人ばかりだから、恥ずかしくもない。
平泳ぎ (というよりカエル泳ぎ) なら、なんとか25メートル休まずに泳げた。
クロール (のつもり) は、途中で1、2回は休憩しなければならない。

それでも、頑張る。 クロールはいい運動になる。 運動になりすぎるほどだ。
あまりゼイゼイハアハアになるまで無理すると、心拍が乱れる。 心房細動が出る。
これには十分注意しなければならない。 なにせ毎日不整脈の薬を飲んでいるのだ。

プールで泳ぎながら、ふと自分の腕を見ると…

今日の朝、病院での採血の後に貼られた丸い大きな絆創膏が腕に付いたままだった。
不整脈からの脳梗塞を防止するワーファリンを飲んでいるので、血液が固まりにくい。
だから、採血のあとの絆創膏も、通常のものの倍ぐらいの大きさがある。

「そうか。 今日は、朝に病院へ行ったんだった」 と、気がついた。

プールの中では僕は高揚して、すっかりアスリート気分になっていたのだが…
腕に貼り付いたままの絆創膏を見て、何だか、かくんと気勢がそがれてしまった

 

 

 

 

 

 

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1969年・二十歳の原点

2009年11月19日 | 思い出すこと

前回のブログで書いた1969年という年に関して、もう少し続けたいと思います。

サザエさんも1969年に誕生した、とのコメントもいただきました。
そうそう、そうでしたねぇ (40周年記念ドラマを見なかったのが残念)。

サザエさんが始まったこの年に、映画「男はつらいよ」シリーズも始まりました。
う~ん。 1969年のことについて書き出すと、止まらない僕なのです。

6月から8月まで自転車で放浪の旅をしていたので、余計に思い入れが強いわけで…。
以前別のブログで書いたことを、またここでも書いてしまうわけで…。

  …………………………………………………………………………

このころは、若者も、社会全体も、エネルギーに満ちていたように思う。

僕の同世代の学生の多くは、このころ盛んだった大学紛争に傾倒していた。
全学共闘会議(全共闘)の学生らが1月に東大安田講堂に立てこもり、
警視庁は機動隊を導入、凄まじい攻防の果てに、学生らは排除された。

僕の大学も含めて、全国各地で大学紛争が繰り広げられていた。

また、若者の間では、ベトナム反戦運動と連動して反戦の歌が流行した。
特に東京の新宿西口広場は、フォークソング集会の若者たちで埋め尽くされ、
ここにも機動隊が導入されて、僕の旅行中の6月~7月が騒動のピークだった。

自転車で東京へ着いて新宿に泊まったのが8月だった。
西口広場は、反戦を掲げる若者のメッカとして、怒涛のように賑わっていた。

しかし、僕はそんな世の中の騒ぎなどはどこ吹く風で、
学園紛争にも参加せず、大学の講義もほどほどにサボり、
せっせとアルバイトに精を出し、お金を貯めて自転車旅行に出発したのである。

この年の最大のニュースは、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功したことだった。
69年7月21日。 
僕は北海道・網走で、泊めてもらったお家のテレビで、その生中継を見た。

沖縄が、3年後の72年に日本に返還されることが決まったのも、この年だった。
まだ、沖縄旅行にパスポートが必要とされる時代であった。

翌年は、大阪で、わが国初の万国博覧会が開かれることになっていた。
自転車旅行中に出会った人たちも、来年は大阪へ万博を見に行きたい…
そう言って、何人もの人たちが、大阪に住んでいる僕を羨ましがった。

CMでは丸善石油の 「オー・モーレツ」 が流行した。
小川ローザのスカートが、猛スピードで通り過ぎる車の風にあおられるポスターは、
僕がこの自転車旅行中に、何十回、何百回と目にした光景であった。
仕事のため全てを犠牲にするモーレツ社員が、もてはやされていた時代であった。

流行語といえば、「アッと驚くタメゴロー」 などという言葉が大流行した。
万年筆の宣伝で 「はっぱふみふみ」 というのもあった。

電話のプッシュホンというのが、初めて登場したのもこの年だ。

そして前述のとおり、映画では「男はつらいよ」シリーズの第1回作品が上映され、
テレビでは、「サザエさん」 の放映が始まったのである。

出版界では、庄司薫の 「赤頭巾ちゃん気をつけて」 が飛ぶように売れ、
僕の好きな北杜夫の作品では 「さびしい王様」 がベストセラーになった。

歌は、シューベルツの「風」がヒットし、その歌詞は僕の旅のテーマと重なった。
また、19歳の新人、和田アキ子の 「どしゃぶりの雨の中で」 がヒットしていた。
僕は、北海道襟裳岬付近で、それこそどしゃぶりの中で自転車を走らせていたが、
そのとき、イヤホーンで聴いていたラジオでこの歌が流れたので苦笑いしてしまった。

「フランシーヌの場合」 は、新宿の 「歌声喫茶」 で聴き、思わず落涙した。

ビートルズは来日から3年経ち、グループの求心力は弱まりつつあった。
この年は「イエロー・サブマリン」ぐらいしか印象がない。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコが結婚式を挙げ、翌70年にビートルズは解散した。

そんな世相の中で、僕は20歳の夏を、自転車の旅の中で過ごしていたのだった。

「二十歳の原点」 という言葉がある。
僕たちの世代では、知らない人はいないほど人口に膾炙した言葉であるが、
これは、高野悦子さんという女性が書いた日記の題名であり、
1970年代の始めに出版されて、超ベストセラーとなった。
「二十歳の原点」という言葉は、それ以降、普通名詞になった。

成人した人たちは、誰でも自分の二十歳の原点を持っている。
青春の真っ只中にあって、大人としてのスタートでもある二十歳。

皆さんは、二十歳の頃を、どのように過ごされたのだろうか?
僕の二十歳の原点は、この自転車旅行そのものであった。
混沌、無計画、成り行き任せの青春グラフィティ…といえば聞こえが良すぎる?

「二十歳の原点」 を書いた高野悦子さんは、1949年1月2日生まれだった。
僕が1月9日生まれなので、ちょうど1週間前に彼女が生まれたことになる。

栃木県那須の人だったが、京都の立命館大学に入学した。
69年に全共闘の運動に参加し、その中で大きな挫折を味わう。
アルバイトで生活費を捻出するが、アルバイト先で失恋をして、
深い疲労感とともに、絶望の淵に沈んでゆく…。 

そして彼女は、69年6月24日、列車に身を投げて20歳の生涯を閉じるのだ。

6月24日…。 この日は、僕は自転車旅行で新潟にたどり着いた日である。

その後、彼女の下宿から10数冊にも及ぶ大学ノートに綴られた「日記」が発見された。
それらは父親によって整理され、栃木県の同人誌に掲載されて大きな反響を呼び、
1971年に大手出版社から 「二十歳の原点」 と題して刊行された。

これが大ベストセラーとなったのである。

この本の中で、彼女の1月15日の成人の日の日記に、
「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である」
…そう書かれていた。

 ~ 独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である ~

同じ年の同じ月に生まれ、1969年・20歳の夏、僕が自転車旅行をしている時に、
貨物列車に身を投じた彼女が、その年の1月の成人式の日に記したこの言葉…。

40年後の今でも、忘れられない言葉である。

 

 

 

 


 

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1969年のドラマとSMAP×SMAP

2009年11月17日 | 映画の話やTVの話など

昨日の夜9時過ぎのことである。
新聞のテレビ番組欄を見ていると、「1969年…」という文字が目に入った。
JNN50周年記念と銘打ったスペシャル2時間ドラマであった。

目を凝らしてその題名を読んでみると、
「父よ、あなたはえらかった ~1969年のオヤジと僕」
そういう題名だった。

ふむ…。 1969年と聞くと、自分が20歳の頃で、大学3年生の時だ。

「♪ あぁ~青春の胸の血は 夢ひとすじに…」 燃えていた頃である。
(僕の好きだった舟木一夫の歌のセリフです。 おわかり…?)

普段、あまりドラマは見ない僕であるが、気になるので、テレビをつけた。

ドラマはすでに始まっていた。 
主演の西田敏行が、飲み屋で気炎をあげているシーンだった。

団塊世代、…僕らと同じ世代の主人公が、会社にリストラされそうになっている。
それに抵抗し、同じくリストラされかけている仲間たちに激を飛ばしているのだ。

そんな主人公に、20歳代の息子 (加藤成亮) がいる。
息子は就職もせず、漫画家を夢見て、家に引きこもりがちだった。

ある夜、主人公は、言うことを聞かぬ息子をなじり、「出て行け!」 と叫ぶ。
「あぁ、出て行くさ!」 と、息子は、さっさと家を出て行く。 
「おまえ、二度と返ってくるなよ!」 と追い討ちをかける主人公。
「あなた、言い過ぎよ」 と夫を責める妻 (泉ピン子) であった。

その息子が、ビルの屋上から転落して、過去へタイムスリップする。

…という筋書きで、ここからが、1969年の世界が描かれるのである。


40年前の1969年にタイムスリップした息子が、その時大学生だった父親…
つまり主人公の西田敏行の若い頃の下宿に、突然迷い込んで来たのだった。

息子は、その大学生の学校と名前を聞き、さらに顔を見て驚く。
自分の父親の名前だった。 大学も同じ。
何より、その顔は、まぎれもなく若い頃の父親の顔であった。

「げっ、オヤジだ」 と、心の中でびっくり仰天する息子。
「オヤジの学生の頃って、こんなだったの…?」 まじまじとその顔を覗き見る。
なかなか、面白いシーンである。

オヤジは、むろんこの若い男が自分の未来の息子とも知らず、下宿に泊めてやる。
そこへ、家主の娘である若い女性 (相武紗季) がやってくる。
彼女の名前を耳にして、息子はまたまた驚く。
このキュートな女の子が、未来の自分の母親になる女性だった。

(しかしなぁ、相武紗季の40年後が泉ピン子…とは。 それはないやろ)

…とまあ、そんな感じで物語は進んでいくのだが。

あれぇ…? 

どことなく、むかし見た映画と似ているなぁ、と思い当たった。 

「バック・トゥー・ザ・フューチャー」である。
主人公が、過去へ飛んで、自分の両親の若い頃に出会うあのお話と、似ていた。

いくつか映画のパクリと思われるシーンもあったなぁ。

それはまぁいいけれど。

とにかくドラマは、そんなことで、時代が途中から1969年になるのである。
 
40年前の、あの苛烈だった学園紛争が物語の中心になっていたのだが、
ドラマの各シーンには、あちらこちらで 「1969年」 が散りばめられていた。

学生の部屋には黛ジュン (よかたなぁ、ジュンちゃん
) の水着写真が貼られ、
映画館には藤純子と高倉健の 「緋牡丹博徒」 の看板がかかり、
BGMに、♪オラは死んじまっただ~ の 「帰って来たヨッパライ」 が流れ、
パーティの席では誰かが 「フランシーヌの場合」 を歌うシーンが出てきたりした。
(僕は 「フランシーヌの場合」 を聴くと、今でも涙ぐむのだ。 グスン)

う~ん、なつかしい。 なつかし~。 グスン グスン。

そして息子は、両親の青春の日々に接しながら、徐々に共感を覚える…
という具合に、物語は温かく進展していく。

一人でテレビを見ている途中、用事を済ませた妻が部屋に戻ってきて、
「珍しいね」 と、
僕がいつになく熱心にドラマに見入っているのを不思議がった。

「このドラマは40年前の話やで。 なつかしいネェ」

僕は、ここまでのストーリーを妻に説明した。

 (ここから、話題が急に変わります)

そこでふと、10時からの 「SMAP×SMAP」 のことを思い出した。
妻は、昔からブラッド・ピットの大ファンである。
そのブラッド・ピットが、今夜の 「SMAP×SMAP」 にゲスト出演する…。
妻が昼に、そういうようなことを言っていたことに、いま気がついたのだ。

時計が10時をかなり回っているのを見て、僕は妻に、
「スマスマ 見る?」 と聞いたら、 「うん」 とうなずいたので、
僕はチャンネルを そのドラマから 「スマスマ」 に変えた。
(ということで、ドラマは中抜き。 最後のシーンだけまた見た。 なんのことやら…)

さて 「スマスマ」 では中居君がスタジオでブラピーに質問しているところだった。

中居君が 「日本で一番好きなものといえば、何ですか?」 
と聞くと、ブラピーは、ひとこと、
「トトロ !」
と答えた。

さらに…

中居君  「日本には何回ぐらい来ているのですか?」 
ブラピー 「数えられないほど、何回も来ているよ」 
中居君  「日本で、どこが一番好きですか?」 
ブラピー 「東京だね。いい街だ」 
中居君  「東京のどういうところが好きですか?」 

それに対して、ブラピーの答えは…
「東京しか知らないんだ」

おいおい。 どこまでほんまやねん。


大阪もこのごろ急に寒くなりましたが…
この、のんブログも、メチャメチャ さむ~い。   

 

 

 

 

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鳥取元ホステス詐欺女の巻

2009年11月14日 | ニュース・時事

昨日は元職場のOBで構成される親睦団体の日帰りバス旅行に参加した。
行った先は、淡路島。雨の予報であったが、晴れた良い天気に恵まれた。

約80名のなつかしい諸先輩方と共に、花の名所「あわじ花さじき」や、
「県立淡路夢舞台温室」 という名称の植物館へ行き、ホテルでの昼食の後、
淡路名物 「タコせんべい」 の製造元へ行ったりした。

バスの中では、ガイドさんの話など全然聞かず、隣に座った気の合う先輩と、
役所時代の昔話から最近話題の話まで、ず~っとしゃべり続けていた。
妻やモミィとの会話が主である最近、これだけの長い会話をしたのは久しぶりだ。

  …………………………………………………………………………

一昨日は、僕が通い始めたコスパで、モミィがスイミングのデビューをした。
毎週木曜日の午前に通うことになったキッズスイミングスクール。
モミィはまず初歩の 「ひよこ」 クラスからスタートした。

そこでも、モミィだけはこの日が全くの初めてなので、ひよこ中のひよこだ。
見学していると、他の小さな子どもたちに比べて、動きがやや緩慢である。
表情も不安げである。ひざ上ぐらいの水の中を歩いたり、タマ入れをしたり、
はいつくばって 「ワニさん歩き」 をしたりと、いろんなメニューをこなしていく。

要領を得ないモミィは、何度もコーチから手取り足取り教えてもらっていた。

突如泣き出して、「もう、イヤ。帰るぅ~」 と言ったらどうしょうか…
という心配だけは、取り越し苦労に終わって、まぁよかったよかった。
「次の木曜日も、楽しみやねぇ~」
帰り際は、すっかりご機嫌のモミィであった。

  …………………………………………………………………………


その前の日は、僕自身がコスパへ通い始めて5回目で、初めてプールに入った。
「水中ウオーキング」 というレーンがあり、そこを歩く人たち。
「途中で休憩しながら泳ぐ」 というレーンがあり、立ち止まりながら泳ぐ人たち。
「止まらずに泳ぐ」 というレーンがあり、スイスイ本格的に泳ぐ人たち。

僕はウオーキングからはじめ、途中から 「休憩しながら泳ぐ」 コースに変えた。
プールで泳ぐ…というのは、何年ぶりだろう。
モミィを市民プールに連れて行ったり、南の島でプールに入ったことはあ
る。
でも、それはモミィのお守りであったり、南国の風情を楽しんだりが主であった。

今度は 「泳ぐ」 のである。 よし、久しぶりにクロールをやってみよう。

バシャバシャバシャっと、水しぶきばかりが派手なのに、前に進まない。
それどころか、横のロープに顔を擦った。 ずりっ。 いててて。 真っ直ぐ進まない。

立ち止まると、まだ数メートルしか進んでいない。
何度も休憩しながら、25メートル先にたどり着いたときにはゼイゼイハアハア。

ああ、しんど。

  …………………………………………………………………………

…とまあ、のどかな日々を過ごしている僕だけど、日本列島は犯罪だらけである。

先週の週刊文春と新潮に載った、埼玉県の34歳の詐欺女の写真を紹介したけれど、
今週の文春には、鳥取県で起きた35歳元ホステス詐欺女の写真が掲載されていた。

             

  
   

この上田美由紀という35歳の元ホステスの周辺で、6人の男性が不審死している。

文春の記事を整理して並べて見ると…

2004年。
42歳の読売新聞記者が、ダンボールを頭から被った状態で列車に轢かれ即死した。
記者は鳥取市内の 「J」 というスナックで、ホステスだったこの女と知り合う。
そして、妻子がいたにもかかわらず、女と同棲をして、借金をし始めたという。
(ちなみに、女にも5人もの子どもがいる)

当日、女が警察に「彼が私と喧嘩して家を飛び出した」と捜索願いを出した。
喧嘩して家を飛び出したくらいで、すぐに捜索願いを出すのはおかしいやろ。
さらに轢死した男性の遺書らしきものに、
「美由紀に出会えて本当の愛を知った」 と書かれていたという。
女と喧嘩して家を出た人間が、こんなのろけた遺書を書くか…?

鳥取県警はこれを単に 「自殺」 で処理した。

2008年。今度は鳥取県警の41歳の刑事が同じスナック 「J」 で女と知り合う。
その刑事にも妻子がいたが、不倫関係になり、女に500万円以上貢いだという。
刑事は、その後、「自殺」 した。
先日の朝日新聞では、「署内で首吊り自殺した」 と県警の発表を記事にしたが、
そのあと鳥取県警は、「近くの山中で首を吊った」 と訂正したのも不思議だ。
この警官の氏名、役職、死亡日時や発見時の経緯などを含め、鳥取県警は、
未だに何も公表していないのだという。
「田舎の警察やからええ加減なことしとんねんやろ」 と言われても仕方がないわ。

このほかにも…
2007年8月に、女の一家と出かけた海で溺れた27歳の男性がいる。
この男性は、もともと泳げなかったそうである。
これも、女は男性の勤務先に行って「姉だ」と偽り、給料を奪ってきたり、
「金払えんなら死ね」 と煮え湯を背中にかけたりと、恐ろしい所業が報じられている。
この泳げない男性が、なんで溺れるような海に入ったんや…? これも不思議だ。

しかし、今、女は、同居していた男と共に詐欺容疑で逮捕されただけである。

100万円以上の電気器具を買って、その金を払わず、リサイクル店に売っている。
今日の新聞では、高価な農機具も購入して、それも未払いのままだという。
この詐欺男女はそれを、インターネットで転売していたそうだ。
トータルで1千万円以上、未払いがあるという、きわめて悪どい詐欺だ。

しかし、女の周りにいた男性の不審死は、今年に入ってまだ続く。

4月。女と付き合っていた47歳トラック運転手が鳥取県沖の日本海で水死した。
この人は、生前 「ようけ子供のおる彼女が出来た。一緒になりたいが…」
と話していたという。 司法解剖の結果、睡眠導入剤が検出された。

10月。 その詐欺男女が、電気工事業の57歳男性から100万円以上の製品を買った。
男女がその代金を払わないので揉めていたが、ある日「払う」と連絡があった。
そこで電気工事業の男性は車で出かけたが、その後近くの川で変死体で見つかった。
その死体からも、睡眠導入剤が検出された。

同じ10月。近所のアパートに住む58歳の一人暮らしの男性に、女がつけこみ、
「何かあったときのために」 と合鍵を作らせ、薬を飲ませて意識朦朧にさせ、
勝手に女の家族全員が部屋に上がりこんで風呂に入ったりしていた、という。
それからしばらくして、その男性は自宅アパートで変死した。
これにも、体内から睡眠導入剤検出…である。

合計6人の男性が、この女と関わって、死んでいる。

あの埼玉の34歳詐欺女の事件がどんな事件だったのか…
もう忘れてしまうほど、こちらの事件も複雑で不気味で、謎に満ちている。

最後に、全然関係ない話ですが…
市橋達也容疑者の両親が最初にテレビに出たとき、顔がそのまま映っていた。
お父さんの方は、市橋容疑者を柔和な感じにしたような顔だった。
そして、お母さんのほうは、大きな声ではいえないけれど…
顔も、雰囲気も、鳩山首相の夫人の幸さんにそっくりだった…ような気がする。
 

 

 

 

 

 

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大阪南港フェリーターミナル

2009年11月11日 | ウォーク・自転車

20歳の時に大阪から自転車で北海道まで往復した経験を持っていたことは、
社会人となり、妻子持ちになった僕にとって、多少自慢のタネであった。

「えぇっ、自転車で…? ひとりで、70日間の旅ですかぁ」
そう言われると、なんとなく嬉しかった。

でも、日本一周をしたわけではない。 西日本は、残したままであった。

「日本一周…? じゃ、ないのですね~。 東日本一周ですね」
というふうに言われると、血が騒いだ。

なんとか成し遂げたい。 日本一周を…!。

そう思いながら過ごした20代の最後の年、1週間の休暇を取り四国を走った。

翌年の30歳の時は、GWを利用して、10日間の休みをもらって九州を回った。

3年目のラストランは中国地方だ。 これもテントを積んで1週間の旅をした。

これらの旅を無事に終えて、ようやく僕の日本一周自転車旅行が完結した。

四国へは、大阪南港から徳島までフェリーに乗った。
九州へは、大阪南港から新門司港までフェリーで行った。
中国地方へは、大阪南港からフェリーで徳島へわたり、そこから北上した。

3年間いずれも僕の自転車旅行の出発地 (及びゴール地) は、大阪南港だった。

大阪南港フェリーターミナルからの出航は、いつも夜であった。

職場に休暇届を出し、妻と子どもたちを家に残して、船を待つ心境は複雑だった。
職場に迷惑をかけるうえ、これだけの日数と費用をかけ、家族を置いて旅に出る。
どうも、社会人としても、家族の一員としても、自分は落第ではないか…という、
そんな気持ちと、これから大好きな自転車旅行に出る身震いするような喜びと…

良心の呵責、寂しさ、それでも興奮、そして、さらに喜び ……

そんな複雑な気持ちを抱きながら、ひっそりと静まり返った夜の南港の待合室ベンチで、
ひとり出航時間が来るのを待った時のことは、今でも忘れられない思い出だ。

その思い出深い大阪南港フェリーターミナルが、昨夜はてんやわんやの大騒ぎだった。
このターミナルで、前代未聞の大捕り物劇が展開されたのだ。

千葉県の市川市で、英国人女性英会話講師の遺体現場にいた指名手配男が、
その大阪南港フェリーターミナルで捕まったのである。 市橋達也容疑者である。

女性英会話講師が一人で独身男の部屋に個人レッスンに行くなんてことは、
ECCあたりでは考えられないことだけど、市橋容疑者が執拗に頼んだのだろう。
いずれにしても、日本の恥をさらすような由々しき事件であった。

彼は、昨夜、ここからフェリーに乗って沖縄へ逃走するつもりだったという。

しかし、逮捕されて、本当に良かった。 
ホッとした人たちも多いことだろう。

もともとこの事件は、警官が一番最初に市橋容疑者宅に踏み込んだとき、
彼に、押しのけられ、裸足のまま逃げられたという、大きなミスから始まった。

もし、彼がどこかでのうのうと生きているのであれば、こんな腹立たしいことはない…

市橋容疑者の名前と顔は、全国津々浦々に行き渡っていたはずだったが、
2年7
ヶ月もの間、何の消息もなく、有力情報もなかった。 

「自殺したん違うか…?」 誰もがそう考えても、不思議ではなかった。

しかし、そんなヤワな人間ではなかったようである。

彼は、まるで怪人二十面相のように数回の整形手術をして顔を変えていき、
なんと、大阪の茨木市で1年余り会社寮に住んでいたというのだから驚く。

数日前に、整形手術後の彼の顔が公開され、事件は急転直下に結末を迎えた。

あのキツそうな目がタレ目になり、ふっくらとして、一転気の弱そうな顔になった。
「ずっと引きこもっていました」 と、会社の同僚に言っても、信用される顔である。

何度か整形手術を受けたと言うが、不思議なのは最初の整形外科医のことである。
あれだけ大々的に市橋容疑者の手配写真が出回っていたのに気づかなかったのか。
整形後にまた整形手術した別の医師は、市橋と気づかなかったのは、仕方ない。

しかし…最初に市橋の顔に手を加えた医師の責任は重大ではないか。
その医師の手によって市橋の顔が変わり、捜査が一段と難しくなったのだからね。

「自由診療」ということで、お金さえ払えば偽名でも容易に整形手術ができるそうだ。
だったら指名手配を受けても、金があれば、手配写真の顔を簡単に変えられる…。
おまけに、院内では、患者同士が顔を合わせないような仕組みもあるらしい。
それなら、なおさらのこと、後は医師の 「眼」 だけが頼りなのである。

市橋はパスポートまで作ろうとしていたそうだ。
どこまでも、逃走本能の強い男である。

ところで、昨夜の「報道ステーション」で、市橋容疑者の両親が出ていた。
降りしきる雨の中、父親と母親が報道陣のインタビューに答えていた。
ボカシも入っておらず、父親も母親も、鮮明に顔が映し出されていた。

しかし、今日のニュースを見ると、両親の顔は伏せられていた。
そのうえ、音声まで変えてあった。 テレビ局も、扱いがコロコロ変わるんだね~。


さて、この10日間ほど、次々と凶悪事件や不審死事件が相次いでいたので、
市橋容疑者の逮捕は、せめてもの救い、という感じのニュースとなった。
しかし、彼が逮捕されたからと言って、殺害された女性は戻ってこない。

こういう事件の犯人は、断じて極刑に処さなければならない。

 

夜の大阪南港フェリーターミナル…。 待合室のベンチ…。 めくるめく思い…。

僕にとっては、ここは、ほろ苦くも浪漫的な香りが漂う大切な場所であった。

テレビで、その懐かしのフェリーターミナルの待合室ベンチが何度も映っていた。

ここが、あの市橋容疑者の逮捕現場になってしまうとは…

 

 


 

 

 

 

 

 

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34歳詐欺女の顔

2009年11月07日 | ニュース・時事

この間、埼玉県の34歳詐欺女のことを話題にしたばかりだが、また詐欺女が出てきた。
今度は35歳詐欺女だ。 鳥取県での出来事である。

今朝の新聞には、この新・詐欺女について、
「女性周辺死者6人。交際の警官も署内で自殺」 などと報じられている。

そして、またしてもキーワードは睡眠導入剤、である。
この事件も、今後の捜査の行方が気になるところだ。

どちらの詐欺女の話も、すさまじいミステリー性に満ちた話である。
なんでこんなに特殊な事件なのに、ここまでよ~く似ているのだろうか。
不思議すぎるもんね、ほんとに。

ところで、34歳詐欺女のほうであるが…

今週発売の週刊誌に、その顔写真と実名が載っていた。
どの週刊誌にも、顔と名前がはっきりと載っている。
新聞・テレビでは写真はボカし、名前は「女」としか呼ばない。
でも、ここまでデカデカと公開されているのだから、テレビでも出せばいいじゃないか。
…な~んて、僕は思うのだけれどねぇ。

せっかくだから、昨日買った週刊文春・新潮に載った女の写真を、ここに載せます。

もう、見た人も大勢いると思うけど、まあ、こういう顔をしているわけで…。

                     

     
   週刊文春に掲載された写真


   
   週刊新潮に掲載された写真


名前は、木嶋佳苗 というそうだ。 

 「父は東大の教授。 母は皇族出身。 雅子さまから手紙をもらったこともある」

7,000万円以上騙し取った福山さんという男性に対して、女はそう言ったという。

なんだか、最近、堺雅人が主演で映画になった…
 「空軍パイロットで、父はカメハメハ大王の末裔、母はエリザベス女王の親戚」
と語り、女を騙しまくったクヒオ大佐みたいだ。 

こういう女詐欺にひっかかる男性がアホではないか…
と思われる向きも多いだろう。

しかし、孤独な50~60代の男性、つまり 「男おひとりさま」 は、女性に騙されやすい。
そして、そのあげく、何の疑いもなく、大金を貢いでしまう。
…ということ…なんだそうである。

このことについて、週刊文春の記事の中で、77歳の野末珍平がこう語っている。

  「男おひとりさま」 は、女性の優しさに飢えている。
  少しでも優しくしてもらうと、感動し、自分を愛してくれていると思い込む。
  しかし…
  「この世には優しい女はいない」
  「老いた自分に寄ってくる女はいない」
  「口上手な女は怪しい」
  この3つを忘れたら、騙されます。

…ということだそうである。
つまり、「女は甘くないんだ」…と。

これは、僕の意見じゃあ~りませんよ。 でも、説得力はある。

僕だって、やがて 「男おひとりさま」 になってしまうかもしれない。 

「男おひとりさま」 は、危険と隣り合わせと自覚してほしいですね。
と、野末珍平は、そう締めくくっている。

う~ん。 なんだか、わびしくなってきたなぁ。



 

 



 

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巨人ファンのうれしい1日

2009年11月06日 | スポーツの話題

突然ですが、恥ずかしながら僕は巨人ファンです。

なぜ恥ずかしいのかといえば、僕のまわりはみんな阪神ファンなのです。
そりゃ~大阪に住んでいるのだから、トラファンであって当然なのです。
しかし…、僕は小さなころから 「長島・王」 の巨人ファンでした。
この感情は、理屈では説明できません。 好きなものは好き。 それだけです。

…なのですが、それにしても…
この60年間の人生で、どれだけまわりから言われてきたことか。

「なにぃ…? 巨人ファンやて? アホちゃうか。 大阪人のくせして」

だから、あまり人前では巨人ファンだとは言いたくないのである   。

でも、このブログを読んでいただいている方々は、だいたいご存知である。
じゃいさんはアルゼンチン旅行中に 「巨人優勝!」 のメールを送ってくれた。

で、ふだんは巨人に関して、あまり言わない僕だけど…

でも、今日は言う。 今日こそは、どうしても言わなければならないのだ。

  …………………………………………………………………………



      


いやぁ、すごかったですね~。
ヤンキースがWシリーズで9年ぶりの世界一を決めた昨日の試合。
松井秀喜がこの試合で2点本塁打、2点適時打、2点二塁打と大暴れ。
ヤンキースが取った7点のうち、6点が松井のバットで叩き出された。

1試合で6打点というのはWシリーズのタイ記録だそうだ。
今シリーズで、通算13打数8安打、8打点、3本塁打の快記録を残した。
文句なしのシリーズMVPである。もちろん、日本人初の快挙だ。

松井は高校野球に出ていたころからテレビで応援していた。
甲子園で、相手投手が松井に対して全打席を敬遠した試合があった。
高校生としてあるまじき態度…と、相手校の監督が非難されたっけ。

その松井が、1993年(平成5年)に18歳で巨人に入団した。
ぱちぱちぱちぱち。
大の巨人ファンであった僕は、拍手喝采した。

松井の巨人での公式戦デビューは入団した93年の5月1日であった。
なぜ詳しく知っているかといえば、当時の新聞の切抜きを持っているからだ。

松井は4月の開幕のときは二軍でスタートした。
そして、当時の長島監督が5月に入って松井を一軍に上げた。

この時の巨人は投手に槙原らがおり、4番を打っていたのは原・現巨人監督だった。

松井は7番レフトで先発出場し、痛烈な二塁打を放って初打点を上げた。
相手は野村監督率いるヤクルトで、そこまで4対0でリードされていた。
しかし、巨人は松井の二塁打を機に一気に5点を挙げ、5対4で逆転勝ちした。

翌日、松井は今度は最終回に2ランホームランを放った。
プロ野球公式戦での、初ホームランであった。

試合はあと一歩及ばず巨人は敗れたが、ヤクルトの野村監督は、
「すごい当たりだったな。まさにゴジラ打法や」と、ため息をついた。


 

     
       平成5年5月2日 朝日新聞の切り抜き。 
      今となれば、貴重なコレクションだ。 うふふ。

 

      
       平成5年5月3日 朝日新聞
    
       しかしねぇ、 この時からもう 16年も経ったんだ…   

    

       
その松井が2003年(平成15年)に大リーグのヤンキースに移籍した。

イチローの活躍も見事だけれど、僕は「巨人の」松井のほうが気になっていた。
最近は故障がちで、かつての雄姿はもう見られないのかとがっかりしていたが…

こんな素晴らしい活躍をするなんて、思いもしなかった。
いやぁ、本当に昨日はうれしかったなぁ

もうひとつある。 日本のプロ野球である。

日本シリーズが佳境に入っているが、昨日は巨人が逆転サヨナラ勝ちをした。
1対0でリードされていたが、ようやく8回にタイムリーが出て追いついた。
「やったぁ、やったぁ」と喜んだのもつかのま。
9回表、巨人の投手山口の不用意な1球を、日ハム高橋が見逃さなかった。

高橋のソロホームランで、また巨人は1点をリードされた。
「何しとんねん、ヤマグチは」 とテレビの前で一人ボヤく僕であった。

いよいよ後がなくなった9回裏。

ラミネスが倒れてワンアウト。
あぁ、ラミネス…。 あんたにホームランを期待していたのに…。

しかし、次の亀井がものすごい当たりのホームランを右翼席に叩き込んだ。

わ~い。 わ~い。 まるで子どものようにはしゃぐ僕であった。

思い出すのは先月、パ・リーグのクライマックスシリーズ第2ステージ第一戦。
僕は楽天を応援していた。 ぜひ、日本シリーズに出てほしかった。

楽天が4点をリードして迎えた9回裏日ハムの攻撃。
誰が見ても、楽天が勝つであろうことは明らかだった。
4点差だよ、4点差。

…ところが、ご承知のように、日ハムは9回裏、5点を取り逆転勝ちをした。
スレッジの、逆転サヨナラ満塁ホームランという映画のような結末だった。

このときの悔しかったことは、生涯忘れられないほどである。

いま、巨人が日ハムを相手に、9回の裏、亀井の本塁打で同点に追いついた。
「行け、行け、行けぇ!」 と、テレビに向かって声を張り上げる。

その声が届いたのだ。

次打者の阿部が、渾身の一振り。
打球はびゅ~んと舞い上がった。
打った瞬間、「おぉ! 入った、入った」 と躍り上がる僕であった。

あっぱれ、阿部慎之介。 しんのすけちゃ~ん。 しびれるぅ~。

両軍2勝2敗で迎えたこの第5戦は、大きな意味を持つ。
この試合に勝ったほうが、札幌の第6戦にも勝って日本一になるのだ。
僕にはわかっているのである。 えっへん。

先日、楽天が逆転負けした悔しさを、今度は日ハムが味わったのだ。

さすが巨人。 われらの巨人。 巨人軍は不滅です。 えへへ~

 


     

 

 

 

 

 

 

 

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フィットネスクラブ

2009年11月04日 | 日常のいろいろなこと

10月の20日頃だった。
ある折込みチラシが目についた。

  今なら登録料・入会金無料!
  さらに平日90分会員は1ヶ月分会費を免除!

駅前にある、フィットネスクラブの広告だった。

最近、見た目にも明らかに、お腹がポッコリと出てきた。
アルゼンチン旅行中に巨大化された胃袋のせいかも知れない。
地球の裏側で勢いづいた大食が、今も止まらない、という感じである。
おまけに、ビールの量がますます増えた。

風呂上りの自分の姿を鏡で見ると、突き出たお腹に泣きたくなる。
全体的にぽっちゃりしているのならいい。
しかし、お腹だけが、異様にぽこ~んと出ているのである。

午前中にジョギングをしたりすると、つい昼にビールを飲んでしまう。
飲むと、食べる量も増える。 現役当時の昼食は、小さな弁当だけだったのに。

以前に比べて、昼食にカロリーを摂りすぎていることは明白である。

その結果、ズボンが急に窮屈になった。ベルトの穴がひとつ、ふたつ…。

風呂の浴槽の中で、お腹の肉をつかむと、信じられないほど分厚い。

「このままでは全てのズボン、パンツが合わなくなる」。 えらいこっちゃ。

定期診断でも、最近の検査では肝臓の数値が上がっている。
せっかく改善されてきた糖尿病も、また悪化する恐れがある。

なんとかしなければ。

朝のジョギングやウオーキングはしているのだけれど、追いつかない。
お腹は全然へこまない。 それどころか、どんどんせり出してくる気がする。

そういうことが背景にあったものだから…
その日のチラシを見て、僕はすぐに、フィットネスクラブに通うことを決めた。
毎日、予定のない僕は、一番会費の安い 「平日90分会員」 で十分である。
平日の10時から24時まで、いつ行ってもOKである。
時間は、3時頃から5時頃までの間、というふうに決めよう。
そうすれば、昼にビールを飲むという悪い癖も改まるだろう。

とにかく、つい昼間にビールを飲みたくなるという習慣を打破するためにも、
意志の弱い僕としては、フィットネスクラブに通うことが必要なんである…。

とまあ、そういう理屈をつけて、さっそくそのチラシを持って駅前に行った。

フィットネスクラブの名称は 「コスパ」 という。
駅前の、この間まで通っていたECCと同じビルの4階にある。
外から、ガラス越しにランニングマシンで走る人々の姿が見えている。

カウンターの女性に、チラシを見せて、中を見学させてほしいと頼んだ。
「あ、どうぞ、どうぞ、こちらへ」
と、愛想良く女性が、トレーニング場へ連れて行ってくれた。
そのあと、Tシャツ短パン姿の男性スタッフが、施設の隅々まで説明してくれた。

ランニングやウォーキングのマシン、そしてウエイトマシンが並ぶジム。
大勢の人たちが、マシンを使って、体を動かしている。

その奥に2つ大きな部屋があり、「スタジオ」 と看板が上がっている。
中では、エアロビクスのようなダンスが行われていた。 
ほとんど女性だが、中にはおっちゃんもピョンピョン飛び跳ねたりしていた。

おっちゃんと言えば、ジムでトレーニングいている人は年配者が多い。
ぐる~っと見渡すと、よぼよぼのおじいちゃんもいる。

そして、ガラス越しにプールが見えた。
コースによって、水中ウオーキングをしている人、泳いでいる人に分かれる。

実は、僕の一番の目的はこのプールなのである。

マシンを使って走ったり歩いたりする必要は僕にはない。
これからも、できれば毎朝、近くの堤防でジョグやウォークを続けるつもりだ。

日常では出来ない、クラブに来なければ出来ないこと…。
その一番は、プールだ。

水泳は、余り得意ではないが、昔、トライアスロンを目指していたころ、
勤務先近くのスイミングスクールに通っていたことがある。
クロールの息継ぎが僕にはむずかしく、途中で挫折し、目標達成はならなかった。

でも、下手な水泳も、健康的な運動としての効果は、大いにありそうだ。
特に腰痛を少しばかり持つ僕としては、抵抗の少ない水中はちょうどいい。

そんなふうに、ひととおり施設を見せてもらって、その日は家に帰った。
数日後、再びクラブに出向き、正式に申し込みをした。

「11月からということになりますが、その前に説明会にお越しください」
と、カウンターの女性が言った。
「では、10月の27日に来ます」 と僕は携帯の 「スケジュール」 に印を入れた。

で、10月の27日に 「説明会」 に行ったわけ。

初めに 「カラダの中身」 の測定があった。
体重計の上に立ち、両手で金属のようなものを持って静止する。
体の中に電気が流れて、脂肪や筋肉などのいろいろなことがわかるそうだ。

「ハイ、出ました」
と、指導員の女性が、A4サイズの用紙にプリントされた僕のデータをくれた。

それを見ると、まず、

体重
骨格筋量
体脂肪量

の3項目の数値が棒グラフで出ている。

上と下の体重と体脂肪量の棒が長くて、真ん中の骨格筋量の棒が短い。

つまり、棒グラフの真ん中が引っ込んでいる形になる。

「え~っと、これはですねぇ」 と、女性が説明をしてくれる。
「真ん中が出ているのが理想です」 と言う。
骨格筋量が多いのが好ましい形、ということだそうである。

僕の場合は、体重と体脂肪量に比べて、骨格筋量が少ない。

…そうだろうね。 お腹、ブヨブヨだもんね。 と、ため息が出る。

「骨格筋量を上げて、グラフの真ん中が長くなればいいんですけどね」
「う~ん、お腹なんかの筋力がありませんからねぇ、僕は…」
「大丈夫ですよ。ずっとトレーニングを続けていたら、改善されますから」
「そうですか…。 頑張ってみますわ」

その他にも、いろいろと教えてもらった。
「栄養評価」では、たんぱく質・脂肪は 「良好」 だが、ミネラル不足だとのこと。

そして、体脂肪率とウエスト・ヒップ比が、標準より高いと言われた。
もちろん、高いというのは、よくないわけで…。

ウエスト・ヒップ比というのは、いわゆる 「くびれ」 の比率だ。
僕はヒップの筋肉や脂肪が少なく、ウエストの脂肪が多い。
筒型体型、ということでしょうね。

女性は僕の体をあらためて見て、
「細身でいらっしゃるのにねぇ…。そんなふうには見えないですけど」

そう言ってくれたのだけど、Tシャツを着ているからわからないだけ。
ピョコンと突き出たお腹を、なんとかTシャツでごまかしているだけ。

やはり、退職をしてどこかに気の緩みがあるのだろう。
何かと忙しくしているつもりだが、毎朝の自転車通勤もなくなった。
体調の悪い時も以前なら頑張って出勤していたのに、今はグズグズしているだけ。
日課がバラバラだし、誰からも何の制約も受けない生活だ。

自己管理が、つい甘くなってしまう。

ECCは止めたけれど、こんどはフィットネスで生活にリズムを戻したい。

ECCは若い世代が大半だったけど、今度は同世代か、それ以上も多い。
励みになるし、頑張ろうという思いも、ここなら持続しそうである。

そして最初の日、11月2日。

午後3時過ぎ、パンパカパーンっと家を出て、フィットネスクラブに向かう僕であった。


 

 

 

 

 

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34歳 詐欺女

2009年11月02日 | ニュース・時事

酒井法子の初公判の日。
東京地裁には、7,000人もの人たちが、傍聴券を求めて集まったそうだ。

ヒマな人が多いのだ。 ( という僕も、テレビにかじりついていた )。

テレビ各局も、相変わらずの空騒ぎ報道を繰り返していた。 (という僕も…)


ところが、今度は、それを上回る衝撃的で関心をそそる事件が起きた。

「34歳詐欺女」の事件である。
殺人事件とはまだ断定されていないけれど、大量殺人の可能性をはらむ。

この事件で、今度は、のりピーのほうがかすんでしまった。

複数の(それも結構多くの数の)男性に対して結婚詐欺を繰り返した女。
埼玉県警によると、女が手にした金は、少なくとも9,000万円を超えるという。

9,000万円! げぇ。

30年以上も前になるが、一人の女銀行員が9億円を横領した事件があった。
滋賀銀行9億円横領事件である。

http://yabusaka.moo.jp/okumura.htm

犯人の奥村彰子は、9億円をほとんど10歳年下の男に貢いでいた。
男は、女に貢がせながら、他に彼女を作って内緒で結婚していた。

9億円の横領は大罪だが、世間の非難が男の方に集中したのは当然であった。

この奥村彰子の実話は、後にテレビドラマにもなった。
ちょっと哀れで、悲しい話でもあった。

しかしこの「34歳詐欺女」の場合は、それとは全然おもむきが違う。
今のところ 「哀れで悲しい話」 は出てこず、図々しい話ばかりである。

外車を乗り回し、高級マンションに住み、逮捕時の所持金はゼロに近かった。
だまし取った金は、一銭残らず、使い放題に使ったのであろうか。

高校の卒業文集の、「嫌いな人」の欄に、
「不潔・貧乏・バカ」と書いたという女である。
捕まっても、もう悔いはないやろ? …と勝手に女に問いかけたりする。

だまされる男も不注意だったと思うけれども…
女の手練手管は、男を疑わせないほど巧妙だったのだろうね。

複数の男をうまく言いくるめて、金を出させ、積もり積もって約1億円!

有料制の結婚サイトなどを利用して、あちらの男、こちらの男に手を出して、
卓越した文章力で相手をその気にさせ、大金をだまし取る…。

ネットを通じて、何人もの男性と同時進行で交際をしていたのだそうだ。
その意味ではネットは怖い。架空の自分を何人でも作れる。
そして、それぞれの架空の分身が、複数の男性と付き合うのだ。
その相手に結婚をちらつかせ、金を出させる。

ある男性は、女から別れ話を切り出され、
「じゃぁ、貸した金を返してほしい」 と言うと、
「あれは、もらったものよ」 と平然と言い返されたという。

ネットの「出会い系サイト」とか「結婚サイト」なんて、昔はなかった。
いや、ネットどころか、パソコンそのものも存在しなかった。
女性のお金にまつわる犯罪も、30数年前の奥村彰子とこの女を比べると…
ずいぶん、時代も変わってきたなぁ、という感じがする。

いまどき、男に貢ぐ女…なんて、いないのでしょうね。

「何で男にそんなことを? あほらし」という感じで。

その点、女性の地位は、大幅に向上しましたね。

ところで、連日テレビはこの女の事件を報道しているが、顔が出てこない。
ブログでの、口元だけの写真か、高校時代の顔写真をボカしたものしか出ない。

結婚詐欺では逮捕されているのだから、名前も顔も出して当然だと思うのだが、
ご承知のように、単に詐欺を働いただけではなく、複数の男性が亡くなっている。
その死に、すべて女が関連していることもわかっている。

亡くなった男性は6人と言われている。
状況証拠は500パーセント(?)ぐらいあるのに、警察はトロいほど慎重である。

未成年者を除き、これだけボカシ顔の人物が注目され続けるのも珍しい。

いつはっきりと顔が出るのか…と、誰でも気になるところだ。
どんな顔をしているのか…と、事件が事件だけに、余計に気になる。

タイガーマスクではないけれど、マスクを外すと 「その実態は… おおっ!」
…という瞬間を、ミーハーの僕は、テレビを見ながら待っているのである。

まぁ、結婚詐欺、といえば美人を想像しますが…
実際は、美人だと相手の男が警戒するので、成功率は低いそうです。
なんというか、そのぉ~、「ほどほど」というのが、いいらしいです。はい。

最後に、この事件の最も気になるところだけど…

死んだ複数の男性から、睡眠導入剤とアルコールが検出されている。
報道では、この2つの組み合わせは体に危険である…と言っている。
それを、女が複数の男性に飲ませたのではないか…ということだ。

そして最後は練炭を使って、自殺に見せかける。

睡眠導入剤は、僕もほぼ毎晩飲んでいる。
ビールも、ほぼ毎晩飲んでいる。
でも、練炭さえ燃やさなければ大丈夫だ。死ぬことはないだろ。

男性たちの何人かは、練炭の一酸化炭素中毒で亡くなっているのだ。

それにしても不思議なことは…

一番最近に亡くなった男性も、当初は練炭自殺と見られていたという。
それが、詐欺女の存在が浮上して、彼女が怪しいのではないか? となって…
そこへ、彼女が関わる過去の男性たちの不審死がずるずると出てきた。
これは、どういうことなのか?

警察は、これらをすべて自殺とか単なる事故とかで処理していたことになる。

今回のことがなければ、詐欺女はまた次の犯罪を企て、実行していたに違いない。

これまでいったいどんな調査をしてきたのだと、この件に関しては、警察の能力を疑う。

 

 

 

 

 

 

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