僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

今日はお役所の年度末でした

2024年03月29日 | 議会&役所

きょう、所用があって藤井寺市役所に行きました。
用を済ませて玄関に出たら、そこに、市役所の職員さんらしき人たち6~7人が、玄関をバックにして並んでいた。みんな直立不動の姿勢。ふと見ると、真ん中に立っているのが市長(岡田というんですけど)だった。その市長を中心に職員たちが並んでいる。そしてそれを、カメラで撮っている人がいた。つまり、市役所玄関を背景にして写真を撮っているのだ。

「あの人たち、なにをしてるの?」
と僕がつぶやくと、横にいた妻が、
「記念写真じゃないの? ほら、花束を持っている人もいるし」
と言ったのでよく見ると、そうだった。
並んでいる6~7人の中で、一人、花束を持っている人がいた。
「でも、なんで記念写真?」と再び僕がつぶやくと、
「ほら、今日は年度末だから、花束を持っている人が退職するんでしょう。それで、その記念写真を撮っているのだと思うんだけど」と妻が言った。

な~るほど。
今日は3月29日で、年度末と言われてもピンとこない。
でも、明日は土曜日、明後日は日曜日で、市役所は休みですわ。
つまり、お役所は今日が今年度の最後の勤務の日になるってことですね。

ふ~ん。そうか。今日は役所の年度末だったのか

僕はもう松原市役所を退職して15年になるわけで。
「あぁ、早いねぇ」と妻に言いながら、例によってホントに歳月の早さに、今日も驚いた次第です。

思えば、
2009年(平成21年)の年度末のあの日。

市長から退職辞令をもらい、健康保険証と身分証を人事課に返し、周りの人たちから花束をもらって、職場を去りました。

懐かしい思い出です。

 

   
 あの日。職場の皆さんに見送られて。
 やっぱり、花束持ってます(笑)。
 (2009年3月31日)

 

 

 

 

 

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大相撲・尊富士の快挙と津軽・金木町の思い出 

2024年03月25日 | 旅行

貴乃花が引退してからは好きだった大相撲もほとんど見なくなった。

その後、朝青龍や白鵬、照ノ富士らに代表されるモンゴル勢が続々出てきたことで、大相撲への興味が薄らいだ。ただ、NHKで夜中に放送する大相撲ダイジェストだけは一応録画して見ていた。25分番組だから見やすいし。

その大相撲の大阪場所(春場所)の昨日の千秋楽。
ものすごい記録が生まれましたね~。久しぶりに興奮しました。

ご承知のとおり、尊(たける)富士という力士が、新入幕で優勝を成し遂げたのですが、新入幕の力士が優勝したのは1914年(大正3年)以来110年ぶりだという。なんとまぁ、110年ぶりだって!

おまけにこの尊富士、前日14日目に敗れた際、右足首を負傷し、車椅子で支度部屋へ運ばれて行った。この様子では千秋楽の出場は無理だろうと言われていた。もし休場なら不戦負け。優勝の可能性はかなり低くなる。

とまぁ、そんなことだったので、昨日だけは久々に大相撲の実況生中継を見た。そしてやがてお目当ての尊富士が土俵上に現れた。
結果は、足のケガも何のその、彼は全力を出し切って快勝し、優勝賜杯を手にしたのでした。

  
 優勝インタビューを受ける尊富士

これはすごいねぇ、とテレビの前で感心していたら、
「この優勝したお相撲さんは、モンゴルの人?」と妻が聞いた。

「えっ? う~ん、え~っとねぇ」
いやぁ、知らんわ~

なにせ先場所は十両で先々場所は幕下なんだから、今場所まで名前も知らなかった。それが日本人なのかモンゴル人なのか、全然
知らない。

「そやねぇ」と早速スマホで調べると、
「青森県出身」とあった。

妻にそう伝えた後、細かく調べて見ると、
「青森県金木町(現・五所川原市)の出身」とあったのです。
え~~!

僕はこれを見て、
「金木町」と言えばあの金木町?!」
「五所川原と言えばあの五所川原?!」
と、思わず口走ってしまった。

高校生の頃から、太宰治の小説に没頭していた僕は、20歳の時の自転車での北海道往復旅行の時に、青森県の金木町に行っていたのだ。そこには太宰治の生家があり、当時は「斜陽館」として旅館を営んでいた。旅行前からそれは知っていたので、僕はその太宰の生家で泊ることも決めていたし、予定通りそこで一泊した。その夜のことは、今もつい先日のことの様に覚えている。

「そうか、青森県の金木町出身の力士だったのか~」
そう思えば、尊富士が急に身近な存在に思えてくるのだから面白い。

青森県の津軽の金木町。そして現在は五所川原市に吸収。
この太宰治のゆかりの地で生まれ育った尊富士が、110年ぶりの新入幕優勝を成し遂げたのだった。

ホント、先場所まで全く知らなかった力士だったのに、
な~んか、うれしかったなぁ。


蛇足ですが
自転車旅行当時の写真を載せます。

 
 
  弘前から五所川原までの道路を走る。

沿道の景色は見渡すかぎりリンゴの木で埋まっていた。リンゴの実はまだ小さいように見えていたが、すべて丁寧に紙袋に包んであった。

 
  五所川原から太宰のふるさと金木町へと向かう。
  ガソリンスタンドの上に「金木」の標識が。
  金木まで、あと6キロの地点だ。

 
  とうとうやって来た斜陽館。
  値段は高かったけど、1泊しました。

 
  入口に自転車を置いてパチリ。



 ★今はもう旅館としての斜陽館ではなく、
  五所川原市の施設になっています。
  現在の斜陽館です。

太宰治記念館「斜陽館」 - 五所川原市 (goshogawara.lg.jp)

 



 

 

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天王寺の一心寺へ

2024年03月23日 | 日常のいろいろなこと

カテーテル手術をしてからちょうど1ヵ月となる昨日22日、お彼岸でもあるので妻と2人で、母の納骨をしている天王寺の一心寺で参拝をしてきました。電車に乗って大阪市内に出て来るのは久しぶりでした。

 

 
  お彼岸の時期で、しかもいいお天気。
  沢山の人がお参りに来ていました。
  (22日午後12時過ぎに撮影)


母が亡くなったのは9年前の2015年の5月でした。

母は生前、義父や義父の親たちが入っている墓には入りたくない、という意向を示していたので、亡くなった時、母の望み通り天王寺の一心寺に納骨とをしました。それ以来、僕たちは義父側のお墓参りにもむろん行っています(最近もお彼岸の入りの17日に行きました)が、同時に母の納骨堂にも行っています。僕も妻も、死んだら母と同様に、この一心寺で、納骨と永代供養をしてもらうよう息子たちに伝えています。

しかしねぇ。
そうなると、今のお墓の管理はどうなっていくのか?

息子たちは義父の親族とほとんど面識がない。僕自身も、義父とその両親の血筋にあたる親戚とは、義父が亡くなって以来20数年間、一切、何の連絡も取り合っていません。

だから僕らが元気なうちにこのお墓を何とかしなくてはと思っているのですが、なかなか決断がつかない状況です。

このブログにも何度か書きましたが、これがここ数年、僕らが抱えている悩みの一つなんですよね。そして僕らも歳を取って行くし、いつまでも放置しておくわけにはいきませんしね~

そんなことで
自分の体調のこともあってついつい沈みがちな最近でしたが、モミィも4月から一人暮らしを始めるし、僕たちもいわゆる「終活」というものに本気で向き合って行かなければならないんだなぁ、と思っています。

 

 

 

 

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病室からの風景

2024年03月18日 | 心と体と健康と

まぁ、バイデン大統領の不整脈の話は言ってみれば(言ってみなくても)
他人事ですわね。

そこで僕自身の不整脈の話に戻りますが、2月に心臓カテーテル手術を受けて、退院直後、また不整脈が出たことをこのブログでも書きました。一時はどうなることやら、ヒヤヒヤした日々を送りましたが、日が経つにつれて症状はマシになり、最近ではここ1週間ほど、ほとんど出ていません。やはり手術の効果はあったんだなぁ、としみじみ実感しているところです。

早いもので、入院して手術を受けてから、間もなく一ヵ月が経ちます。


、少し余裕も出てきたので、2月下旬に入院をした時のことを思い返してみますと

病室は妻の勧めで個室にしました。

入院期間は4日間でした。入院の日は検査・検査の連続。そして翌日に手術。その翌日はまた、点滴と心電図につながれて検査・検査でした。

食事は徹底した減塩食で、栄養士さんが病室へ来て、塩分の多い食事がいかに体に悪いかも説明してくれました。

僕の病室は、病院の8階だったので、窓からの眺望はなかなかのものでした。
窓際に座って景色を眺めていると、なんだか旅行に来た気分でしたね。


こんな部屋でした。

 
  右の奥に窓があり、景色が見えます。
  その窓際の机で、三度の食事をとりました。
  日中、検査がない時は、ほどんど窓際に座って、
  ぼんやりと景色を眺めていました。    

 

 

 ベランダの向こうに拡がる眺望は素敵でした。
 入院、そして手術という状況がなければ、
 もっと居心地が良かったはずでしたが。
 まぁ、ホテルじゃないんですから(笑)

2007年にカテーテル手術をした近大病院以来の入院でしたが、その時は大部屋だったので、個室は今回が初めてでした。夜中に目が覚めて、ベッドでボーっとしていたら、ドアが空き、看護師さんが覗いて行きました。やはり、ここはホテルじゃなくて病院ですものね~

 

 

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バイデン大統領も不整脈!

2024年03月16日 | ニュース・時事

アメリカの大統領選の投票日はまだ先の11月ですけど、民主党のバイデン現大統領と共和党のトランプ前大統領の対決になるのは、間違いのないところなのでしょうね。

どちらが次期大統領になるのか、ということに「関心」はもちろんありますが、それ以上に、2人の年齢がすごいなぁ、というところに「感心」しています。

バイデン大統領は81歳。
トランプ前大統領が77歳。

これって、すごくないですか?
2人の対決の見どころはいろいろあると思いますが、これだけの高齢者同士が大統領選を戦うということ自体、政策論争などは別にして「大したもんやなあ」と思うわけですよね。特にバイデン大統領はもう80歳を超えています。
頑張ってはるなぁ、と思うと同時に、こんな高齢でこれからも大統領の職を続けていけるのか? と懸念する米国民も多いでしょうね。

そのバイデン大統領が先日、健康診断を受けた結果が公表されていました。
主治医によると、バイデンさんにはいくつかの持病はあるけれど、まず第一に挙げたのが、なんとまぁ、心房細動(不整脈)の治療を受けており、血液をサラサラにする薬を服用している、ということでした。

不整脈!
これにはビックリ。

心房細動(不整脈)は僕の持病でもあり、不整脈が出た時に血液に固まりができて血管を詰まらせ、脳梗塞になる危険性があるので、血液をサラサラにする「イグザレルト」という薬を飲んでいます。バイデンさんも同じような薬を飲んでいるのでしょうね。そして、他にもいくつかの病気を持っている、と報じられていましたが、なにせ81歳ですから。仕方ありませんよね。

それにしても、大統領の持病の一番が不整脈だったとは(ため息)。

じゃあ、バイデンさんに親近感?
いや、持たない、持たない(笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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モミィが東京ディズニーランドへ

2024年03月14日 | 旅行

モミィが仲良しのカナちゃんと2人で東京へ行っています。
主な目的は東京ディズニーランドですが、それ以外にも「おしゃれなカフェ」のような店をスマホで調べて、あちらこちらのお店に行くのが楽しみだ、と言っていました。

家を出発したのは12日(火)。
その日は2人で、間もなくモミィが一人暮らしをする梅田のワンルームマンションに泊まり、翌13日に新大阪から新幹線で東京に行き、その日は「東京巡り」をして、そして今日14日はディズニーランドで遊んだ、ということでした。

妻に入って来たメールでは、元気で楽しんでいる様子が伝えられていました。そして明日は、午後まで東京で遊んでから、帰途に着く、とのこと。

ふ~む、モミィが僕たち以外と宿泊の旅行をするのは、学校行事で行ったのを除いては初めてやなぁ、大丈夫かなぁ
と思ったとたん、忘れていたことを思い出しました。

去年の3月~4月にかけての一ヵ月余り、モミィはたった一人でロンドンに短期留学に行っていたのですよね。それを一瞬とはいえ忘れていたなんて、僕もええ加減なもんですわ。モミィはあの海外への一人旅を経験しているのですから、東京へ、しかも友達と2人で行くのに、もはや何の心配はありません。やはり「かわい子には旅をさせよ」と言いますが、本当にそのとおりだと思います。あの短期留学以上に心配するような旅行なんて、まずないでしょうからね。

ということで
結局12日から家を留守にしているので、
モミィのいない夜はホント、静かでした。
あれはよくしゃべるし、メチャメチャ賑やかな子ですから(笑)。

明日の夜は、東京の話で数日ぶりに大騒ぎの夜になりそうです。

 

 

 

 

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モミィの一人暮らしへ準備着々

2024年03月09日 | 日常のいろいろなこと

不整脈も日が経つにつれて状態が良くなってきたようで、これはひょっとして正常な方向に向かっているのかな、と思ったりする昨今です。
楽観は禁物ですけど、悲観の域からは出つつあるような、そんな感覚です。

さて、話はモミィのことになります。
2月29日に高校の卒業式があり、次は4月1日に大学の入学式。
3月はちょうどその空白の月になりますが、週に何回かスタバのアルバイトに出掛けながら、ECCで小学生の英語の講師をしたりしています。

スタバでは外国人のお客さんも多いので、英検準一級を持っているモミィは、英語で接客したりしているようで、やはりそういう能力が実践に役立つのは便利と言えば便利ですね~

そのモミィも3月末には大学へ通うのに便利な、梅田のワンルームマンションへ移って一人暮らしが始まります。

もう今月から賃貸契約が始まっているので、日曜日(3月3日)に、布団類や本棚や鏡台、本などを始め、モミィの生活に必要なものを長男が車で運んでくれました。そして、妻とモミィと3人でそれらをマンションの部屋に持ち込んで、片づけたそうです。つまり、引っ越し荷物を運んだというわけですね。

 

 
  車にモミィの「生活道具」を運び入れています。

荷物が多いので車には運転席と助手席のモミィの2人だけで、後部座席は折り畳み。で、妻は電車で先に梅田のマンションへ行って車が来るのを待って、3人で荷物を部屋まで運んだという。
僕といえば、家で留守番でした。

その数日後も、妻とモミィがこまごまとしたものを買って、2人でマンションへ行き、また片づけたと言っていました。一人暮らしとなると、いろんなものが必要になってくるようですね。

まぁ、新しい生活に向けて着々と準備が進んでいるようで、よかったです。
僕も、もう少し体調が戻れば、調度品が揃ったモミィの部屋を見に行きたいと思ってます。

モミィはまた近々「卒業旅行」と称して、友達と2泊3日で東京ディズニーランドへ行くそうで、ホント、いろいろと忙しいようですわ。

ともあれ、あと20日ほどでモミィの梅田での一人暮らしが始まります。
どんな生活になるんでしょうね~

 

 

 

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カテーテル手術 思いも寄らぬ展開に

2024年03月01日 | 心と体と健康と

早いもので、今日からもう3月ですね。

2月21日に入院をし、翌22日にカテーテル手術を受け、24日に退院しました。
手術そのものは何のアクシデントもなく「成功」したとのこと。
やれやれ、今回、思い切ってカテーテルを受け、これでもう不整脈には悩まされなくなるぞ~という喜びに浸りながら、24日に妻と長男が車で迎えに来てくれて無事退院、という運びになったのですが

信じられないことが、帰宅して1時間ぐらい経った時に起きました。
また不整脈が出たのです。
ウソ!
退院したその日に再発!

事前に、再発することも2割近くある、ということは聞いていました。
それにしても、退院した日、それも自宅に戻って1時間経つか経たないかで、また不整脈が出たとは、想像もできず、まさに悪夢を見ているようでした。

退院した24日は土曜日で、翌々日の月曜日、病院へ行ってそれを報告。
薬を処方してもらって、とにかくしばらく様子を見ることになったのです。

そして今日はもう3月になり、退院した日から1週間が経ちました。
その間、不整脈は出たり、収まったり、出たり、収まったりを繰り返し、一向に安定しません。

やれやれ。
思いも寄らなかった展開に、言葉も失いそうです。

昨日はモミィの高校の卒業式で、おめでたい日だったのですが

う~ん。
まぁしかし、嘆いていても仕方がないし。
再発は自分自身の体に原因があるのだから、誰が悪いわけでもありません。

医師に言われたように、これから様子を見ながら、この状態が続くならばまた数か月後に再びカテーテル手術を受けることも今は念頭に入れています。

3月になったし、気持も入れ替え、前を向いて日々を過ごさなければ。

ジタバタしても仕方ありませんし。
人生って、ホント、なるようにしかならないんですものね~

 

 

 

 

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