僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

えっ 肉離れ…?

2015年09月29日 | 心と体と健康と

6月に、左の太腿から膝の裏を痛めてS病院に行き、
約2ヶ月間、リハビリに通ったことは、このブログに書いた。
おかげで痛みもなくなり、今月には30キロを歩けるまで回復した。

その矢先のことである。

今からちょうど1週間前の9月22日の夜。
夕食を終えて、椅子から立ち上がる時、今から思えば、
片方の足をねじるような無理な姿勢で立ち上がったのだろう。

立ち上がった瞬間、左のふくらはぎに痛みが走った。

「痛っ」
何だかわからないが、とにかく痛かった。

翌日も痛みは引かなかったが、ゆっくり30分ぐらいは歩けた。
しかし、3日目ぐらいに痛みがひどくなり、歩行が苦痛になった。
同時にその部分が少し腫れ、うっすらと内出血らしいものもあった。


「何だろ、これは…?」と不思議に思った。原因がわからない。
転んだわけでもないし、物にぶつかったわけでもない。
立ち上がった瞬間に痛みが走った…ということなのだ。

ふくらはぎのその部分を、軽く触っただけでも痛かった。

たまらず、4日目の土曜日、足を引きずって、またS病院へ行った。

医師は僕の話をひと通り聴き、患部を見たり触ったりした後、
「肉離れですね。筋肉の断裂です」と言った。

へぇ~??

「肉離れ」って、プロ野球選手やサッカー選手によくある症状だ。
スポーツ選手が瞬発的に走り出した時などに起きるんじゃないか。
だいたい、肉離れなんて、若くて元気な人の故障なのでは…。

しかし、後でネットで調べたら、太腿の肉離れは若い人に発生するが、
ふくらはぎの肉離れは、年齢に関係なく発生するそうである。

医師も、こう言っていた。
「無理な姿勢で脚をねじったりしたら、起こる時がありますから」

最後に、1~2週間で痛みは取れても筋肉は完治していないので、
全治には1ヶ月はかかりますから、そのつもりで…と宣告された。


そして、またもやリハビリである。

診察のあと、つい先ごろまで通っていたリハビリ部へ行った。
歩く時は、左足を引きずり、超スローでしか歩けない。


リハビリ部では、若い男性の理学療法士が僕の担当になった。

「何か運動はされていますか?」と訊かれたので、
「まぁ、今はウォーキングぐらいですね」と答える。
「どれくらい、歩かれます?」
「最近、30キロ歩きました」
…と言ったら、
「えっ? そんなに歩かれるんですか?」と驚きながら、
「歩かれる前と後に、ウォーミングアップとかクールダウンとかは?」
と質問されたので、僕は、

「いいえ。特に何もしてません。帰宅したら、ビールを飲むだけですわ」
と言ったら、男性はクスッと笑った(相手を笑わせてる場合と違うで~)。

そして男性は、僕の両脚の筋肉を触り「硬いですねぇ」と言った。

つまり、筋肉がほぐれていない、ということなのだ。
筋肉を酷使したあと、ほぐしていないような状態だったので、
ふくらはぎをひねったりした瞬間に、肉離れが起きたのだろう…

そういう意味のことを、この男性の理学療法士は説明してくれた。
(ウォーク程度で準備運動や整理体操はいらない…と僕は思っていた)

やはり、ウォークも長距離になるとかなりの運動なので、
特に歩き終わった後のケアが必要なのだろう。

僕など、6時間ほど歩いた後、家に帰りつくと、
空腹で喉が渇いているので、すぐにアテをつまんでビールを飲み、
眠くなるまで飲んで、最後は風呂にも入らずそのまま寝てしまう…。
そんな悪しき習慣がついているので、筋肉が硬くなったままなんだ。


さて、このきつい痛みがなくなるまで、
まず、やらなければならないこととして…

・1日3回程度、患部を氷で冷やす(1回約20分間)
・ふくらはぎをマッサージする(痛む部分ではなく、その周辺)

その他、太腿、お尻、膝のストレッチの方法を教えてもらった。

「これをまず、毎日欠かさず、次回まで続けてください。
 痛い部分には、決して負担をかけないように」とのこと。

最後に「松葉杖は、大丈夫ですか?」と言われたが、
そんな大げさな~と思ったので、むろんお断りした。


そのリハビリを、26日の土曜日に受けたわけです。

で、月曜日の昨日は、2ヶ月に一度の定期検査・診察で、
今度は、いつもの松原市の徳○会病院へ行った。

主治医は僕の歩き方を見て「大丈夫ですか?」と心配してくれた。

妻は病院へタクシーで行くことを勧めたが、少しぐらい歩かねば…
と思ったので、家の近くのバス停から駅までバスに乗り、
駅から電車で病院へ行った。むろん、階段だけは避けて、
エレベーターを使った。特に階段を下りるのが、難しい。

この時、病院までの往復、ゆっくりゆっくり歩いているうちに、
左ふくらはぎに負担がかかりにくい歩き方が分かってきた。
たぶん、周囲から見れば変な歩き方だったでしょうけどね~


リハビリを始めてから、今日で4日目になる。

朝起きたら、そろりと床に右足をつけ、
次に、そ~っと痛むほうの左足をつける。

そろりそろりと、びっこを引きながら、用心深く歩き始める…。

裸足より、クッションのあるものを履く方が楽なことがわかった。
それを履くと、痛むふくらはぎへの衝撃が少なくなるからだ。

…で、下駄箱の中に入れっぱなしだった
踵が厚く
クッションのいいサンダルを探し出し、
それを洗って履いて、家の中をうろうろ歩いている。

少なくとも今週はスポーツクラブも行けないし、
しばらくは、グズグズと過ごすほかはありません。

…というような今の状態です。


思えば今から30年以上前、職場での野球チームに入っていて、
センターを守っていた僕は、飛んできた球を全力で追い、
飛び上がってその打球をグラブに入れようとした時に、
足を滑らせて転倒し、左足首を骨折したことがある。

それで数週間仕事を休んでしまったのだけれど、
今回の肉離れで、その時のことを思い出した。

…で、その時は、自分の体のふがいなさに一念発起して、
骨折が完治した後、フルマラソンをめざすことにした。

いわば、その骨折は、後の人生に大きなプラスをもたらしたわけで、
それをバネに30代から50代前半まで、ランニングと共に生きてきた。
これが自分の人生を幾重にも充実したものにしてくれたのだから…。


でも66歳になって、この肉離れをバネにしてめざすもの…
…そんなもの、な~んにも、ありませんわ(笑)


ところで、肉離れとアルコールとの関係ですが、
ネットで見ると、こう書かれてありました。

肉離れになってしまったときは、
完全にアルコールを遮断してください。
少しでもアルコールを摂取してしまうと、
筋肉が断裂している部分に痛みを感じる成分が集まり、
しかも血管の拍動が強くなるために、拍動によって神経が圧迫され、
とてつもなく痛みを感じるようになります。

あぁぁぁ…(深いため息)。

…ということは、今回の肉離れをバネにしてめざすものは…

どうやら「アルコール離れ」しか…ないようです。 ぐすん。

 

 

 

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事実は小説よりも奇なり

2015年09月24日 | 日常のいろいろなこと

世の中には珍しい出来事や現象、
偶然の重なり…というのが少なくないですね。

特に身近なところでは、誕生日があります。
珍しい…というか、特に覚えやすい誕生日…というものですね。


かつて、僕が事務局員として勤めていた松原市議会に、
昭和10年11月12日生まれという男性の議員がいました。

ふつう、自分と家族以外の誕生日など覚えていませんけど、
この人の誕生日は10・11・12なので、覚えてしまうのです。


そして、これからここでお伝えしたいのは、
これほどの偶然が本当にあるのか…? 
…という、珍しい誕生日のお話です。

僕の知り合いのK子さんという女性の方ですが、そのお誕生日が…

昭和33年3月3日なのです。

見事に「3」が連なっていますよね。

昭和33年と言えば、長嶋選手が巨人軍に入団した時で、
スポーツ界は、このプロ野球の長嶋ブームに沸きました。
打順が3番で3塁を守り、背番号が言わずと知れた3番。

僕も長嶋の「3づくし」に熱狂した小学生のひとりでした。
銭湯でも「3番」の脱衣カゴは、いつも誰かが使っていました(笑)。

その3づくしの年だった昭和33年の3月3日に誕生したK子さん。
しかもその日は女児の節句「ひなまつり」の日でもありますよね。

まあ、そうなると、昭和22年2月2日生まれの方も、
昭和44年4月4日生まれの方もいらっしゃるわけで、
それだけなら、さほど珍しくないかも知れませんが、
さらにここに、もうひとつの「3」が重なるのです。

K子さんは、平成3年3月3日に、
33歳のお誕生日を迎えられたのでした。

なんというめぐり合わせでしょうね。
元号が変わっても、また3が重なったわけで…。


この話をご本人から伺ったとき、
大昔のテレビ番組「私の秘密」を思い出しました。

「私の秘密」は、テレビ初期のクイズ番組で、
昭和30年から始まった超人気番組でした。

司会は、懐かしいあの高橋圭三さん。 
毎回、一般の人が何人か登場し、その人が持つ秘密を、
回答者たちが推理し、制限時間内に当てるという番組でした。

登場する人の秘密と言うのは、たとえば名前が特別変わっていたり、
何か凄い特技を持っていたり、驚くべき体験をしたりとか…。

とても興味深い番組でした。

今、この番組があれば、迷わずK子さんを推薦しますね~
きっと全国の人たちが「へえ~」と驚かれることでしょう。

その司会の高橋圭三さんが、番組の初めに言う決まり文句は…
「事実は小説よりも奇なり、と申しますが…」というものでした。


昭和33年3月3日生まれで、
平成3年3月3日に33歳の誕生日を迎えられた…

K子さんのお話も、これぞまさに、
「事実は小説よりも奇なり」ですね~

 

 

 

 

 

 


 

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加齢なるシルバーウィーク

2015年09月22日 | 日常のいろいろなこと

なにせ今はシルバーウィークですからね。

時節柄、それに少しでも関連したことを書かなければ。

と言っても海外旅行をした…というような華麗なる話ではなく、
どちらかと言えば、加齢なる話です。だはは~。

おととい(20日)次男の子が遊びに来ました。
つまり、モミィのいとこです。
今年5歳、来年、小学生です。
モミィとも、大の仲良しです。

前日の夜(19日)、モミィはこのいとこの家に泊めてもらいました。
そして、翌日、帰ってきたのです。

次男は仕事で来れなかったのですが、
次男のお嫁さんが、モミィを車で連れて帰ってくれました。

そして、みんなで夕飯を食べました。

夕飯には、おでんを作りました。

僕はわが家のシェフなので、料理は得意です。うふふ~。

しまった。おでんの写真を撮っておけばよかった。
(…… そんなん、見たくもないか?)


そして昨日(21日)は、モミィの「またいとこ」が来ました。
「またいとこ」というのは、親がいとこ同士なんですよね。
「はとこ」とも言いますが…
おとといに来た「いとこ」より1歳上で、小学1年生です。

一緒に来た父親は、2年前に亡くなった妻の姉…の子(つまり甥)です。

その甥は、昭和36年8月16日生まれ。
京都の大文字の送り火の日なので、よく覚えています。

僕たちが結婚したのは昭和46年3月なので、
そのとき、この甥は今のモミィと同じ年齢(9歳)でした。

それが、今や54歳になったのですから、驚きですわ~
モミィもそのうち、54歳になるんやね~(当たり前やがな)

昨日の料理は、フランクフルト、チキンナゲット(冷凍)、
玉子焼き(僕の得意です)、チーズかまぼこにカニかまぼこ、
たこ焼き(冷凍)、千切りキャベツ、レタス、トマトなどを、
中華料理のときに出るクルクル回る入れ物に入れて食べました。
またいとこが「ザルそばが大好き」と言ったので、急きょそれも作りました。

甥(パパ)はお酒が好きなので、どうしても僕も飲み過ぎましたね~

…で、今朝は、二日酔いです。

ですが、今日はモミィの好きな阿倍野へ行き、
のんびりとショッピングなどに付き合います。

昼はどこで何を食べてビールを飲むか…と考えたりして…。

シルバー大型連休も明日で終わりです。

ホンネを言えば…

早く終わってほしいですぅ~

 

 

 

 

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人間と亀、どちらが長生き?

2015年09月20日 | 日常のいろいろなこと

健康と体力と、わずかな社交力を維持するために…
スポーツクラブのコスパへはなるべく休まず行くようにしている。

休館日と土・日を除き、午前10時頃から2、3時間身体を動かす。
そしてそこで知り合った人たちと、いろんな会話を交わす。

特に水泳は、運動としては理想的だと言われているので、
コスパへ行った時は、まずプールで1時間ほど泳ぎ、
そのあと一風呂浴びてジムへ行き、念入りにストレッチをし、
最後にいくつかの筋トレをするが、汗をかかない程度にしておく。
(あくまでも無理は禁物ですから…)


ジムにはウォーキングマシンもあるが、これは苦手である。
当然、歩いても前に進まないし、景色も変わらず、退屈する。
だから歩くのは外。町並みや野山の風景を楽しんで歩くのがいい。

昨日は朝8時から約7時間(約30㌔)、サイクルロードを歩き、
途中、昔のランニング仲間2人と、久しぶりに
出会ったりした。
2人とも僕とよく似た年齢だが、まだ走っているのはすごいなぁ。

僕は近頃、心房細動が出やすくなっていることもあって、
走るのは控えている(あのね、走ってもいいからお酒を控えなさ~い)。


さて、この間、コスパのプールでこんなことがあった。

僕が泳いでいると、後ろに普段あまり見かけない女性が泳いでいた。
僕が壁でターンしてまた泳ぐと、その女性がどんどん近づいてきた。
次の壁についたとき、振り返るとすぐそこまで泳いできてる。

そこで僕はその人に「どうぞ、先に言ってください」と言うと、
「はい。ありがとうね」と言い、ザザーっと泳いで行った。
僕は時々疲れて休憩するけれど、その人はずっと泳いでいる。

しかし、今チラッとみたら、かなりのお年のように見えた。
水泳帽にゴーグル姿なので、はっきりとはわからないが…。

またその人のあとを泳ぎ、何往復かしているうちに、
またまた追いつかれて「どうぞ、お先に」と言った。

その時、女性は「いえいえ、あなたがお先にどうぞ」
と言うので、「僕はしんどいので休憩ですわ」と言ったら、
「まぁ、お若いのに、そんなぁ…」とゴーグルを外し、
「あたしなんか、もう83歳ですよ」と言ったのである。

「は…? 83歳…で・す・か…?」
「そう、昭和7年生まれです」
「へぇ~?」と、僕は感心するばかり。

そこへ、顔見知りの男性が泳ぎ着いてきた。
僕らの間に入り「何のお話をしているの?」とニコニコ。
僕が「この方、83歳なんですって」と言ったら、男性は
「ええ~っ、お元気ですね~。私より一回り上ですがな」
その男性は、昭和19年生まれの71歳だと言った。

すると83歳の(お婆ちゃん…とは言ってはいけない)女性は、
僕に向かって、「あなたは何年生まれ?」と聞くのである。

昭和24年ですけど…と答えたら、その女性は、
「あぁ、私も『昭和24年生まれ』と言うてみたいわぁ!」
と天井を仰ぎながら朗々と言い、しかしそのあと、
「いや、昭和24年は贅沢やな。昭和19年ぐらいかなぁ」

と、ひとしきり独り言を叫んでおられた。

そして「ではお先に」とまた柔軟なフォームで泳ぎ始めた。

それを見ていた昭和19年生まれのおっちゃんはつぶやいた。
「ふ~む、元気な83歳やなぁ。ワシら、負けてるがな」
うんうん…と、僕はその言葉に何度も頷いた。


以前、ある本を読んでいたら、
日常的に水泳をしている人は、していない人より、
約7年、長生きするというデータがある、と書かれていた。

83歳でもメチャ元気に泳いでいるその女の人を見たら、
その話もなるほどなぁ…と思わずにはいられない。


そこで僕は、突然、亀を思い出した。

亀は「万年」と言われるほどの長寿である。
では、亀がなんで長生きなのか…?

これは、僕が思うに…

亀は陸の上を歩いたり、水の中を泳いだりしているわけで、
つまり、人間も陸だけでなく、泳ぐ習慣も身につけたら、
亀と同様に長生きする…ということではないのか?

…という珍説をひねり出したのである。

つまり、人間も、陸を歩いたり水中を泳いだりしていると、
亀さんのように、長生きしまっせ~ということなのである。

よう知りませんけど…。

 

 

 ところで…本当のところ、亀は何歳まで生きるのか? 
  普通の亀は30年~50年というのが定説ですが、
  種類によっては100年以上生きるのもいるそうです。
  ユーチューブにはこんなのもありました。 ↓

 

 

 

 

 

 

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「人見知りの犯行」…とは?

2015年09月19日 | 日常のいろいろなこと

いきなり余談から始まって恐縮ですが、
今日からシルバーウィークだそうです。
なんと5連休ですよ。5連休。

夏休みが終わったばかりでまたこの連休。
子を持つお母さんたちは大変ですね~

シルバーウィークとは、あまり聞かない名称ですが、
「敬老の日」が含まれているので、僕は、

お年寄り → シルバー

だからシルバーウィークだと思っていました。

しかしどうやら違っていたようで、
大型連休→ゴールデンウィークに対しての呼称のようです。

ま、いつも言いますが「死ぬまで連休」の僕は、
シルバーもゴールドもヘチマありまへん(笑)


さて、話は変わりますが…

17日に、モミィの小学校で授業参観が行われた。
僕は担任のエンドウマメ先生のファンなので、
妻と2人で、5時間目の算数の授業を参観に行った。
(むろん、ファンでなくても参観には行きますけど)

平日の参観なので、教室には、参観者の男は僕一人だけだった。

ところで、モミィがエンドウマメ先生に、
「うちのお爺ちゃんが、先生って美人やって言うてたよ」
としゃべったらしい。おいおい、しょうむないこと言うなよ。
「ふ~ん? それで、先生はどう言うてはったん?」と気になる僕。
「先生、えらい喜んではったで~」ということだった。
まぁ、先生も、そのリアクションしかありませんよね。

それより、モミィは女の子特有のおしゃべりっ子だから、
家の中で、うかつな会話をしないよう、用心しなければ。


で、その授業参観のときの話ですけれど…

先生が立っている教壇の少し斜め上、黒板の左上の壁に、
「情けは人のためならず」という言葉が貼り付けてあった。

こういう難しい言葉を、もう習っているのだろうか?

これは大人が間違いやすい格言の代表的なものである。

情けを人にかければ、めぐりめぐって自分によい報いが来る。
人に親切にしたら、必ずよい報いがくる…という意味だけれど、

僕自身もそうだったが、この言葉を、

情けを人にかければその人のためにならない。つまり…
むやみに情けをかけてはダメ…と解釈してしまいがちである。

こんなむずかしい言葉が、4年生の教室に貼られていた。
生徒たちは、言葉の本当の意味がわかっているのだろうか?
(まぁ、教えてもらったんだから貼ってあるんでしょうけど)

ちなみに、気の置けない友達…というのも、間違いやすい言葉である。
「気づかいしなくてよい、気を許せる友達」という意味だけれど、
これも「気を許せない、油断できない友達」のように思われがちだ。


日本語はむずかしいですね~
よく似た言葉があると、つい混同してしまいます。

先日も女子アナがニュースで、
「警察では、周囲の状況から、人見知りの犯行と見て捜査しています」

これは…「人見知り」ではなく、「顔見知り」の犯行…でしょう。
人見知りって、子どもが見慣れぬ人を見て泣いたりすることだもんね。

以前もこれと全く同じ間違いをしていた女子アナがいた。

そして昨日か一昨日か、ペルー人が6人を殺害した事件の報道で、
やはり女子アナが、

「警察は、加害者と被疑者とは、面識がなかったと見ています」
…と言った。

「加害者と被疑者」って、どちらも同類だろう。
それも言うなら「加害者と被害者」ですよね。

被害者を被疑者と言い間違えるのは、これはもう、間違え過ぎである。

まだ「人見知りの犯行」のほうが、間違いとしては可愛らしいですね。

 

 

 

 

 

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お酒と心房細動(不整脈)

2015年09月15日 | 心と体と健康と

一昨日から始まった大相撲秋場所で、横綱白鵬が2連敗した。
左ひざを痛めているそうで、今日から休場か?とのこと。

白鵬は横綱在位49場所のうち、1日も休んだことがないという。
今回の初の休場は、やはり年齢から来る衰えを示すものだろうか?

今朝の新聞スポーツ面では、そのことが大きく報じられていた。


その大相撲記事の隅のほうに、別の数行の記事があった。
○○が休場」という小さな記事である。
えっ? 誰が休場したんだろ

そちらのほうを読んでみると

審判部の錣山(しころやま)親方が、体調不良のため、
大相撲秋場所2日目の14日から休場という記事だった。

錣山親方とは、かつて人気力士だった元関脇・寺尾である。

大相撲の力士が休場というのはわかるが、
親方が休場とは、あまり聞かない話だ。

記事によると、親方は持病の不整脈が出て体調不良となり、
国技館へは来たものの「調子が悪い」と帰宅したという。

不整脈とは、おそらく僕と同じ心房細動だろうと思う。
確かに、その発作が出ると動悸が激しくなり、苦しい。
土俵下の審判席に座っていることもむずかしいだろう。

そうか寺尾親方には不整脈という持病があったのか。
僕は現役の頃から寺尾は好きだったけれど、
自分と同じ持病を抱えていたとはねぇ。


僕も、7月くらいからよく心房細動が出ている。
暑さのせいかも知れないが、アルコールのせいでもあるだろう。

なるべく控えるようにとは言い聞かせているのだが、
意志が弱いので、つい「ま、いいか」となってしまう(泣)。

それでも、まぁ、ビール中瓶にして1日に2、3本である。
(以前はそれくらいで心房細動は出なかったのですけどね~)


しかし寺尾親方は、それどころではない大酒豪なのである。

以前、テレビの「踊るさんま御殿」に寺尾が出た時、さんまが、
「親方はお酒が好きですよね。どれぐらい飲まはりますのん?」
と聞いたら、寺尾親方は「そうですねぇ」とちょっと考えて、
「缶チューハイで25本ぐらいですかねぇ」
…と言ったのである。
1日で飲む平均の量がこれだけだ、と言うのだ。

それを聞いてびっくり!


そして、今朝の新聞の「錣山親方が休場」の記事である。

缶チューハイ25本では、そりゃぁ持病の不整脈も悪化しまっせ。

と、えらそうな口をたたく僕です。

 

 

 

 

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久しぶりに30キロウォーク

2015年09月13日 | ウォーク・自転車

9月某日

また国勢調査の時期が来た。
5年に一度なのに、つい最近あったばかりのような気がする。
驚くほど年月が早く経つなぁ~と思うのは、年のせいか?

高田純次と織田信成と藤原紀香の3人の写真が封筒に。
どんな組み合わせやねん?…まあ、どうでもええけど。

今回からパソコンやスマホで回答ができるようになった。

そこで、一昨日、インターネットで回答を送信した。
思っていたより簡単だった。

毎年2月に行うネットの確定申告のほうが、はるかにややこしい。

僕も市役所時代、国勢調査の際は調査員として、
書類の束を抱えて、各家庭を訪問したものだった。
中には気難しい人もいて、苦労も多かった。

大半がインターネット回答になると、
調査員も少しは楽になるだろうね。
でもまぁ、報酬をもらってるんだから、
少しくらいは苦労しなきゃダメだけど。

 ……………………………………………………

9月12日(昨日)

妻とモミィが阿倍野へ行くというので、
僕はウオーキングでそこまで行くことにした。
朝に家を出て歩き、途中、長居公園に寄った。

この公園内には、1周2.8キロの周回コースがある。
土曜日ということもあり、ジョギングする人が多かった。

僕も30代から50代前半まで、ずっとここで走っていた。
ひとりで走ることもあれば、仲間たちと走ったりもした。

自分の姿と重ね合わせながら、走っている人たちを眺めた。 


 
  沢山の人が走っていた。懐かしいなぁ、このコース。


また、長居陸上競技場(ヤンマースタジアム長居)もある。

この日は競技場周辺がやたらと人でにぎわっており、
スタジアムからは大きな歓声が湧き上がっていた。

あ、そうだ。
昨日から陸上の日本学生対校選手権がここで行われているんだ。
100メートルの桐生選手も出ていて、ニュースでもやっていた。

その大会の歓声が聞こえてきたのだった。

 
 
  長居陸上競技場から、大きな歓声が聞こえてきた。


しばらく長居公園内を歩いたあと、阿倍野へ向かった。

阿倍野のキューズモールというところで2人と待ち合わせ。
11時半になっていたのでレストラン街へ行き、昼食を摂った。
僕はとりあえず生ビールを注文した。ゴクリ。あぁサイコー。

実はこの日、4月から痛めていた左太ももの付け根部分が、
歩いても痛みを感じなかったのだ。

6月下旬から2ヶ月間、病院に通ってリハビリをしたけれど、
どうやらその成果が、今になって出てきたようだった。

これには心が躍った。

食事を終え、妻とモミィはショッピングをするというので、
予定では僕もそれに付き合うつもりだったけれど、
太ももに痛みが出なかったので、帰りも歩くことにした。

往復で30キロ程度あるけれど、せっかく調子が戻ったんだし、
ここはひとつ、久しぶりにロングウォークに挑んでみよう。

そして、行きとはまた別のルートを通り、
テクテク、テクテク、テクテク…と歩いた。

さすがに腰や太ももが張ってきたが、
心配していた箇所の痛みは最後まで出なかった。

半年近く悩まされていた症状が改善したわけで、
これはもう、本当に嬉しい。嬉しい~

…ということで、約30キロを歩けて、満ち足りた1日でした。

ただ、夜に少し心房細動が出ましたけど…

(100パーセントいいことばかりじゃないですね~)

 

 桐生選手は昨日の試合で、100メートルを10秒19で優勝したとのこと。
  夢の9秒台を、早く出してほしいですね。

 

 

 

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鬼怒川決壊の生中継を見て

2015年09月11日 | ニュース・時事

昨日の午後、外出先から帰ってテレビをつけて驚いた。

濁流の中で、孤立する住宅で人が助けを求めていたり、
屋根に登り、犬を抱いてうずくまる2人の男女がいたり、
その少し向こうに、電柱にしがみついている男性がいたり。

茨城県の常総市で、鬼怒川が決壊した場所からの中継だった。

自衛隊等のヘリが、孤立している人たちを救助する…
こういうシーンを生中継で見たのは初めてである。

ハラハラしながら見ていた。

ヘリでの救出も、映画のようにてきぱきと救助…
…というふうには、実際にはいかないようだった。
見ていてもどかしかったが、やむを得ないのだろう。

電線や何やらが邪魔をして、すぐには隊員が降りられない。

時間をかけて一人ずつ、隊員に抱かれてヘリへ吊り上げられていく。
その際、ワイヤーが切れたりしないだろうか…などと冷や冷やした。


今、11日の午前9時過ぎだが、現在もヘリによる救助が行われている。
また、現時点で発表されている行方不明者の方々は、22名ということだ。

こんな濁流を見ていると、東日本大震災を思い出す。
今日は、あれからちょうど4年半という節目の日だ。

その日に、被災地だった宮城県などが今また大雨に襲われている。


それにしても、昨日の映像は衝撃的だった。
常総市という地名は、高校野球の常総学院でよく知っている。
わが地元であるPL学園と、甲子園で決勝戦を戦ったこともある。

また、以前、鬼怒川温泉に行ったとき、
鬼怒川のせせらぎに癒されたことがある。
昨日は、その温泉の一部の露天風呂が倒壊した映像もあった。

江戸時代までは、穏やかな流れを意味する「衣川」
あるいは「絹川」という名前の川だったそうである。

それが、近代になって、鬼怒川という字になったという。

普段は「衣」や「絹」のように穏やかな川も、
いったん衣を脱ぐと鬼が怒ったような凶暴な川になる…

昨日の決壊の映像は、まさにその名のとおりであった。


わが家も、すぐ近くに大和川がある。
鬼怒川同様、川床が周囲の平野より高い「天井川」である。

1982(昭和57)年8月に、決壊寸前まで行ったことがある。
あの時、大阪では「60年に一度」と言われる大雨が降った。
うちの自宅も床上浸水して、1階部分が無茶苦茶になった。

台風も怖いけれど、雨だけでもこれだけ怖い。
決して油断してはならないのである。

昨日の映像を見ていて、改めてそう思った。

 

 

  ちなみに、大和川に関する2年前のブログです 

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/401985083370d3e036133af8c28ded8b?fm=entry_awp

 

  

 


 

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浮気…と書いて何と読む?

2015年09月07日 | ズレズレ草

TVニュースの特番で、滋賀県の「珍地名」を特集していた。

中でも面白かったのが2つあった。

一つは「途中」という地名。そのまま「とちゅう」と読む。
TVのリポーターがバスに乗って「途中」へ向かった。
バスは終点まで行ったが、そこが「途中」だった。

「途中、途中でございます。ここが終点です~」と運転手さん。

リポーターが、
「えぇっ…? 途中なのに終点なんですかぁ?」
…と、ずっこけたので、見ていた僕はお腹を抱えて笑った。


もうひとつの地名も、興味津々だった。

同じ滋賀県の、守山市というところにある町で、

浮気

…という地名があった。
誰が見ても「うわき」と読んでしまうが、
これは「ふけ」と読むそうである。

この町にも、リポーターが訪れる。

町のあちらこちらに「浮気」という字が見える。
(そりゃぁ地名だから、当然ですよね)

「浮気保育園」というのもあり、
女性の園長先生がインタビューに応じていた。

園長先生は、パソコンで文書を作成するとき、
「浮気」を「ふけ」と入力しても変換されないので、
「うわき」と入力するのです…と苦笑いされていた。

「それで『うわきほいくえん』と打つしかありませんので、
1日に何度も『うわき』『うわき』と打ってます。ふふふっ」

園長先生の笑いに誘われて、僕も笑った。

次に地元の自治会長さんが登場された。
字幕に「浮気自治会長」と出る。
何だか妙な感じだ。

その会長さんの話によると、
ここは湿地帯で湧き水が多く、
水蒸気が漂う土地であることから、
「浮気(ふけ)」と名付けられたという。

浮気自治会長さんのお話で由来はわかった。
でも、漢字がねぇ… 

浮気青年団とか、浮気公民館とか、浮気こども会…
…とかも、あるのでしょうか。

しかし笑いのネタとして扱うだけでは、住民の方々に失礼である。

浮気は「ふけ」と読むことを、強くアピールしなければ。

ここは「ふけ町」です。「うわき町」ではありませんよ!


おわりに…
「珍名」といえば、僕が勤めていた

松原市役所の所在地は「阿保」というところだった。
住所が、大阪府松原市阿保1丁目1番1号…。

由来は、平安時代の平城天皇の皇子の阿保親王が
この地に住まわれていたということから来ている。

つまり、由緒正しい地名なんですよね。
読み方も「あぼ」「あお」などと読んでいます。
決して「アホ」とは読みませんよ(笑)。

珍名の由来…というのも興味深いですね。

 

 

 

 

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お役所セクハラ 危険なお年頃

2015年09月05日 | 議会&役所

栃木県小山市議会の議員…それも副議長をしている議員が、
女性職員にセクハラをしたというニュースがありました。

それによると、懇親会の席で、デュエットを強要したり、
数分間にわたって背中や腰をなでた…ということでした。

ちなみにデュエットでは何を歌ったかというと、
「青い山脈」だったそうです。

この歌は、たしかにメロディ、歌詞ともにノリがいい。
しかし、それにしても古いなぁ。
1949年の曲ということです。
つまり、66年前…。
僕が生まれた年ですわ。

まぁ、デュエットを求めるのがセクハラになるかどうかは、
人間関係やその場の状況によるので、よくわかりませんが。

問題は、数分間にわたって背中や腰をなでた…ということ。
そして電話では、こんなひどいことも言っていたそうです。

「一晩つきあえ」…とか、「オレの女になれ」…とか。

ナンだか、江戸時代の悪代官みたいですね。

被害者女性は、相手が副議長でもあり、
やめてくれと言える雰囲気ではなかった…
…と述べていたそうです。

女性は、議会事務局の職員だったと思われます。
議会事務局…といえば、僕が計26年間勤めた部署です。
(ウチの議会には、そういう議員はいませんでしたけど)

その渦中の副議長がTVニュースで映っていました。
記者の質問に「やってないものはやってないんだ!」
と憮然たる表情で、その言葉を繰り返すばかり。

議会に来た市民が、廊下で副議長に猛然と詰め寄るシーンも。
「なんてことするんだ、このスケベじじい!」と怒鳴る市民。
「なんだ? オレはやってねえって言ってるだろ!」
…と、相手を睨み返す副議長。

殺気立った雰囲気だったが「このスケベじじい!」には苦笑した。

いったい、この副議長は何歳なのか?
「青い山脈」を歌うぐらいだから70歳以上か…?

と思いきや…

66歳でした。

つまり…
僕と同い年なのです(…ためいき)。

この歳だと、もう「じじい」…なんだ。
…と、本題と関係のないところで、カクン…となった僕でした。


ちなみに、お役所関係のセクハラといえば、今年4月にもありました。

宮城県大衡村の女性職員が、村長から性行為を強要されたという話。
この村長はカツラと丸わかりのヘアスタイルで、よく覚えています。

そのセクハラ行為とは…

・セクハラメールをおよそ1500通も送った。
・東京へ出張した際、宿泊先のホテルで性行為を迫った。
・検査入院した病院の個室などで何度も性行為を求めた。
・所有するアパートの合鍵を渡して、関係を強いた。
・断ると異動させると脅迫した。
 (女性はたぶん秘書課の職員だったのでしょう)

結局、この村長は辞職しましたが、
女性職員が損害賠償を求めて訴訟を起こしたそうで、
その後、どういう経過になっているのかは知りません。


ところで…

この村長の年齢も、…66歳でした。

ふ~む。 なんで、こうなるわけ…?

 

 

 

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夏休み 子どもの工作と川柳

2015年09月04日 | 日常のいろいろなこと

小学校の夏休みの宿題のひとつに「工作」がありました。

モミィは粘土でマスカットを作りました。

 

  

 

作り方などは妻が教えたようですが、
あとはモミィが一人でやっていました。

それを始業式の日に学校へ持って行ったのですが、
翌日の9月2日に、小学校の体育館で恒例の、
工作の「作品展示会」が行われました。

僕たちも、放課後である午後3時頃、学校へ出向き、
全学年の子どもたちのいろんな作品を見て回りました。

児童たちが作った色とりどりの作品を見るのは、
この時期の楽しみの一つですが、中でも面白いのは、
1年生の児童の作品が一番よく出来ているということです。

つまり、まだ幼い1年生にとって工作はなかなか難しいので、
かなりの親御さんがつい「手伝う」という領域からはみ出して、
この工作のほとんどを作ってあげた…というふうに見えるんですよね。

1年生の作品の次は2年生、そして3年生と…、
だんだん作品の出来が子どもらしくなってゆく傾向があります。
成長するにつれ、自分で作る部分が増えてくるのでしょうね~。

でもまあ、それが別に悪いわけではありませんよね。
低学年の子が一人で工作を考えて作るのは難しいですもの。

ともあれ、こういう展示会を見ると、心が和みます。


そして、始業式の日に、今度は担任の先生から、
「夏休みの思い出を、5・7・5で表わしてください」
と言われ、みんな即興で川柳を考えて作ったようです。

モミィが昨日もらってきた、
「エンドウマメ」という学級通信には、
クラス全員の川柳が印刷されていました。

これもなかなか面白くて、興味深く読みました。

その一部をご紹介しますと…

「夏休み プールに行って 楽しかったよ」

「海に行き ヒトデをとって 遊んだよ」

「バーべキュー 川に入って さむかった」

「水てっぽう いっぱいあそんで びしょぬれに」

「バアバの家 ゲームしほうだい やりすぎた」

「暑いけど 虫がいっぱい 夏休み」

「古座川の 一まい岩が とても大きかった」(字余り…?)


などなど…

中にはこんな上手な句もありました。

「楽しんだ うちわかた手に 夏祭り」

「ひまわりが すくすくのびる 天気かな」


…そんな中で、モミィが作ったのはこれです。


 


 「夏休み なごりおしいが 学校へ」


「なごりおしい…」と書いてはいますけど、
学校が始まるのも、待ち遠しかったみたいです(笑) 

 

 

 

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東京五輪エンブレムの問題

2015年09月02日 | ニュース・時事

長かった夏休みも終わり、モミィも学校が始まった。
昨日は始業式だったが、今日から正規の授業となる。

“恐怖の夏休み”が終わり、やれやれ…というところだ。
モミィも、学校へ行くのを楽しみにしていたので、
「夏休みが終わって嬉しい~」などと言っている。
これを見解の一致というの…??

  ……………………………………………………

さて、2020年の東京五輪のエンブレムが白紙撤回された。
昨日の夕方6時から、TVのどのチャンネルを見ても、
一人のおじさんの「お話」が延々と続いていた。

大会組織委員会の事務総長という人の会見である。
ムニャムニャと何を言っているのかよくわからなかった。

ここのところずっと、五輪エンブレムに採用された人…
…佐野研二郎というデザイナーは「疑惑の人」だった。

そして、五輪のエンブレムのみならず、過去に、
いろいろなデザインを「盗用」していると次々指摘された。

「盗用疑惑」が次から次へと出てきたのは、
全国の無数の人たちがネットで検証したことによる。

人々はどういうふうにして、検証したのか…?

Googleの画像検索機能のほか、もう一つ、僕は知らなかったが
「ピンタレスト」という画像共有サイトが使われていたそうだ。

ピンタレスト…とは?

ネットの説明をそのまま引用すると、

自分が気に入った画像を自分の「ボード」に貼り付けて、
それを共有できること。気に入った画像というのは、
自分で撮影した画像もあるけれど、ネット上で収集した
画像も貼り付け可能、またそれを共有することができる。

ということです。…よくわかりませんけど。

とりあえず、こういうのがありますので ↓

 http://d.hatena.ne.jp/keyword/Pinterest

 http://netgeek.biz/archives/46112


まあ、佐野研二郎さんというのは、どちらかと言うと
顔に、デザイナーという芸術的雰囲気が漂っていない。

ヒトを顔で判断するのはいけないことだが、でも、
最初にテレビで顔を見た時から、ちょっと引いてしまった。

今ふうの髪型で、表情はきつく、顔に愛想のかけらもない。

「この人、パクったのかどうかわからんけど、顔で損してるなぁ」
…というのが当初の印象だった。
(その点、あのスタップ細胞の小保方さんとは正反対ですが…)

~ 人は外見ではなく、中身である ~

…という言葉はむろん真実だろうけれど、
内面が顔に滲み出る…ということもあるしね~

その後、前述のように、ネットから「盗用」が出るわ出るわの大騒動。
佐野氏のデザイナー人生も、今後きわめて厳しくなりそうだ。

しかしこんな調子だと、めでたいはずの東京五輪も台無しである。

海外メディアでも「東京オリンピックは幸先が悪そうだ」とか、
「情けない」などと報じられているということである。

だから昨日の「正式撤回」は、ほとんどの人が納得…でしょうね。

それにしても、選考委員たちもおかしい。修正してまで、
佐野氏の作品を当選させたというのは、どこか変である。
裏に何かがあったのでは…と思われても仕方がないだろう。
選考委員会の責任も、強く問われるべきである。


僕が15歳の時に開かれた東京五輪は本当に素晴らしかった。

2020年の東京五輪のエンブレムも、何も難しいことを考えないで、
64年の東京五輪の時のマークをそのまま使ったらいいのではないか。


これだと、どこからも文句は出ないだろうし、
「1964」を「2020」に変えるだけだから…。

 

             

 

 

 

 

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温泉の男湯に女性が…!

2015年09月01日 | 旅行

今日のお話は、加太のホテルの温泉で起きた「ハプニング」です。

5時過ぎに起きた僕は、早朝から開いている大浴場へ行った。

ご存知のように、ホテルの大浴場というのは、
たいてい男湯のほうが、女湯よりも大きい。

そして、夜はそうなのだが、翌朝になると男と女が入れ替わる。
昨晩は男湯だったのが女湯に、女湯だったのが男湯に替わる。
「男湯」の暖簾と「女湯」の暖簾をかけ替えるのである

加太のホテルでもそういうシステムになっていた。

朝、いそいそとタオルを持って大浴場の前まで行くと、
昨夕は右側にあった男湯が、左側に替わっていた。

                   

      

こんなふうに、朝は、暖簾が左右入れ替わっていたわけで…


むろん僕は左側の男湯に入る。
入ってから、ふと不安になり、
もう一度戸を開けて暖簾を確認した。
間違いなく「男湯」だったので安心。

この「確認」が、そのあと起きたハプニングに役立った。


お風呂には、他のお客さんの姿はなかった。
一人、海を展望する露天風呂などに浸かりながら、
温泉気分を満喫したあと、脱衣場で浴衣を着た。

まだ、他のお客さんの姿は見えない。ずっと僕一人である。
ドライヤーを当て終わり、さて出ようとしたその時…。

ガラリっと戸が開き、ひとりのお客さんが入ってきた。
入ってきたのは、なんと、40歳前後の女性であった!

出口に行きかけていた僕は、女性と向かい合う形になり、
あっ…と声を出しかけたが、その前に、女性のほうが、
「何…?」と声を上げ、眉をひそめ、表情を曇らせた。

 まるで、僕が女湯に侵入しているような目付きである。

 しかし、ここが男湯であることを確信していた僕は、
「女湯は隣ですよ。昨日の晩とは反対になってます」

そう言ったら女性は眉をひそめたまま、無言で出て行った。

昨日入った女湯が左側だったので、
暖簾を確認せず、入って来たのだろう。


しかし、もしも…。 …もしも…ですよ。

僕がひとりで露天風呂に浸かっていた時に、
この女性が裸で入ってきたらどうなったか?

おそらく「きゃぁ~」と叫ばれていたのではないか。

あるいは、この女性が先に中で体などを洗っているときに、
あとから僕が入ってきたら、やっぱり「きゃぁ~」であろう。

 たまたま、僕が風呂から出たとき、
(それもちゃんと浴衣を着た後だった)
その女性が入ってきたからよかったものの、
その時間がどちらかにズレていたら…と思うとね~


みなさん。 ホテルの大浴場に入るときには、
男湯と女湯の暖簾をちゃんと見分けて入りましょう(笑)

 

 

 

 

 

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