僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

外国人少女に「シリホはどこか?」と尋ねられて

2022年05月31日 | 日常のいろいろなこと

今日は妻が近所のクリニックで定期的な診察を受け(症状は高血圧)、薬をもらう日だというので、僕は一人で町の中へウオーキングに出ました。

まぁ、ウオーキングと言っても、いつものように遠回りして駅前まで行き、イオンの中に入っていろんな売り場をぶらぶらして、というコースですけどね。

ところで、5月は今日で終わり。明日から6月ですが
新聞・テレビでは、6月からいろんなものが値上げされるということだったので、ひょっとして値上げ直前にそういうのを買い出しに人々がイオンに殺到しているのではないか? な~んて思いながらへ行ったのですが、全然そんな気配は感じられなかった。何がどれだけ値上げされるのか、山のようにある商品を見ていても詳しくはわかりませんしね。
ただ、最近、玉ねぎがメチャ高いのは困っていますけど(関係ないか)。

そしてイオン2階にあるダイソーでいくつか文具を買いましたが、この「百均」のお店も、この時勢で100円価格を維持するというのは大変でしょうね。

そのあと1階の食店売り場で酎ハイやら何やらと買って、帰途につきました(注・ビールや酎ハイも値上げになるらしい)。

そしてそこから、家に向かって歩いている途中のことでした。

小さな川沿いの細い道を歩いていると、目の前に3人の女性が自転車でやってきた。すれ違うのだと思い、道をよけると、みんな自転車を止めた。見ると3人とも外国人だ。肌の色は黒。年齢は十代のように見える。その一番前にいた子が僕に向かって、「すみませ~ん」と言った。とても可愛い顔立ちの子だ。
「なに?」と返事した瞬間、
「〇〇はどこですか?」と言った。
はぁ、道を尋ねているんだな、ということは、わかった。しかしその「〇〇」というのが聞き取れない。「えっ?」と聞き返したら、僕の耳には「シリホ」と聞こえた。つまり、「シリホはどこですか?」と訊かれたというわけ。

「シリホ?」
僕は首をひねり、少女に「シリホ?」と聞き返す。
その少女と後ろの2人の少女もみんなウンウンとうなずく。
でもねぇ。
「そのシリホって、どういうところ? お店みたいなところ?」
と言っても、曖昧な表情を浮かべるだけで反応がない。
う~ん。どこへ行こうとしているのか、見当がつかない。
だいたい、この子たち、日本語がどこまでわかっているんだろ。

「シリホ? シリホなの?」と念を押す僕。
またもウンウンとうなずく少女たち。
そこで僕は考えた。

シリホ。シリホ。う~ん。シリホ。

その場所は、藤井寺市役所からわりに近い場所だった。
シリホ? 
あっ。やっとピンときた。シリホ シティホ。
そうか。シティホ シティホール、つまり市役所のことか?

英語でシティの「ティ」はネイティブは「リ」のように発音する。
だからシティは「シリ」。
そして「ホール」は日本人の耳には「ホー」としか聞こえない。
つまり、シティホールは「シリホ」という発音になる。
僕は少女たちに、
「シティホール? シティホールやね?」
と、大きな声で確認したら、彼女たちはうれしそうな表情を浮かべ、大きくうなずいたのでした。

で、僕はやれやれと胸をなでおろし、
「フォロー・ミー」と、ちょっと格好つけちゃって、市役所の方向へ歩きました。少女たちも自転車を押してついてきました。

まもなく市役所の大きな建物が見えたきた。
「あれやで。あのビルディングが、シティホールやで~」
と言ったら、3人の少女たちはペコっと頭を下げて、自転車を漕いで市役所へと向かって行ったのでした。

僕はわりに人から道を聞かれることが多いのですが、今回のようなケースは初めてでした。過去で印象深いのは、観光で行った東京の街の中で外国人にいきなり英語で道を聞かれた時でしたが、あの時は「ソリ―・アイム・ストレンジャー」で逃れましたけど、今回は地元ですからね。教えてあげられてよかったです。

でも、あの子たち、シティホールへ何の用事で行ったのだろうか?
最後までついて行って確認したら面白かったかも知れない。

でも、市役所の人に、
「あなたはどういう方なんですか?」と怪しまれたりして(笑)。

 

 

 

 

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サラリーマン川柳は面白い~

2022年05月28日 | 日常のいろいろなこと

毎年恒例の「サラリーマン川柳コンクール」も今年で第35回を迎えるそうですが、昨日、そのベスト10が発表されました。僕は1,980年代の第1回目からこの川柳のファンで、頭の中にこれらの句が200も300も入っています。

で、今年のサラリーマン川柳のベスト10の第一位は、

 


この、 8時だよ‼ 昔は集合 今 閉店  です。

昔のドリフターズの「8時だよ全員集合」と、コロナでお店が8時に閉店するという近年の情勢をひっかけての句です。うまいなぁ。まぁ、若い人にはピンと来ないかも知れませんけど。

  

あと2位以下は、
② ウイルスも 上司の指示も 変異する
③ にこやかに マスクの下で 「うっせぇわ!」
④ 巣ごもりで M から L に 服反応
⑤ マスク顔 確信持てず 見つめ合う
⑥ マスクとる 緊急事態 ノーメイク
⑦ あっ、マスク! 降りた階段 また登り
⑧ 恋心 マスク外せば 花と散る
⑨ デジタル化 しますと紙で 通知する
⑩ ズーム中 ペット参加で 盛り上がる

というもので、やはり、ほとんどはコロナ禍に関連しています。
僕は、個人的には第4位の、
「巣ごもりで M からLに 服反応」が面白いです。
家にこもったまま食べたり飲んだりしていると、体重が増える。そしてMサイズだった服が窮屈になりLサイズになる。それをワクチンの「副反応」にかけて、「服反応」というオチですよね。おもしろ~い。

もうひとつ、
「あっ、マスク! 降りた階段 また登り」というのも、自分に身に覚えがあるだけに共感します。
外へ歩きに出るとき、ついマスクをするのを忘れて玄関を出ようとする。「あ、しまった、マスクや」と妻に言い、履いたばかりの靴を脱ぎ、今降りてきた階段をまた上がって2階へ行き、そこにあるマスクをしてまた玄関へ降りてくる。
「あっ、マスク! 降りた階段 また登り」という句、そのままですわ。

そして話は昔のことになりますが、
こんな川柳が面白かったなぁ。

「社内ラン 頭混ラン わしゃ知ラン」
「陰口を たたくやつほど ゴマをすり」
「会議中 うなずくやつほど 理解せず」
「大酒を 飲んで小さいことを言い」
「石の上 3年経ったら 次の石」とかね。

当時は勤めていたので、こういうのが、何となくわかるんですよね。

また、会社ではなく、夫婦を題材にした句もたくさんあります。

「プロポーズ あの日にかえり 断りたい」
「妻の声 昔ときめき いま動悸」
「離さない! 10年経ったら 話さない!」 
「目についた 夫 いまでは 鼻につき」
「手をつなぐ 昔ラブラブ いま介護」とかね~。

書きだしたらキリがないのでこれくらいにしておきますが。

さてこのサラリーマン川柳はこの35年間、略して「サラ川」と呼ばれて親しまれていたのですが、次回からは名称を変更することになったそうです。

「サラリーマン」という冠を外して、「一人ひとり異なる価値観やライフスタイルを持つ 『わたし』 が感じた日常を気軽に応募できるように」ということで、
新しい名称は、

サラっと一句! わたしの川柳コンクール

というのになるそうです。
これも、略したら「サラ川」ですから、愛称はそのままです。
うまく考えたものですね。

僕の頭の中に入っている数百もの川柳は、一人でウオーキングしている時、頭の中は暇だから暗誦したり。また、夜寝る前に布団の中で目を閉じて思い浮かべたりしています。半分寝ながら、クスっと笑ったりしてね。

そんなことで、これだけ好きなんだから、
自分でも川柳を作れたらいいんですけどね~

でも、ほとんど作ったことがない。

ちょっと勉強してみたいけどなぁ、
と思ったりもしているのですが
なかなか、あきませんわ。

 

 

 

 

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山口県阿武町の 誤送金問題

2022年05月26日 | ニュース・時事

先月から今月にかけて、テレビのニュースやワイドショーでやかましく報じられているのが、「4,630万円の誤送金」の問題ですよね。山口県の阿武町で起きた事件というか事故、でもない、え~っと泥棒? ネコババ? わからん、なんやろ? どう表現していいのかわかりませ~ん。

今や知らない方はいないと思われるこのニュース。
阿武町の463世帯に分配される新型コロナウイルス対策の臨時特別給付金4,630万円を、町のうっかりミスで田口という24歳の男一人の口座に入れてしまった。町職員の人たちが慌ててその男のところへ行き、詫びてお金を元に戻してもらおうとした(これを組み戻しというそうだ)。しかし男は銀行の前まで行ったのに「そっちのミスだから文書で改めて通知してくれ」と急に態度を変え、銀行に入るのを拒否。

その後、ギャンブルに使ったのどうのと、わけのわからないことを言っていたが、先日「電子計算機使用詐欺」という容疑で警察に逮捕されたと報じられた。よくわからない罪名ですけど。

本人は「全部ネットカジノで使った」と言っているという。

しかし昨日の報道で、4,630万円のうちの9割以上の4,299万円が「確保」されたと、町長が記者会見で明らかにした。つまりほぼ戻ってきたということ。
まぁ、それはよかった。でもねぇ。わけのわからないことが多い。

どのワイドショーでもこの事件を取り上げていますが、ホント、僕なんかにはわからないことだらけです。

お金が帰ってきたのは3社の「決済代行業者」が町に振り込んだからだという。
「決済代行業者」? 何をしている業者? 聞いたことがない。
これらの業者は、銀行からネットカジノへの橋渡しのような役割をしているという。その「ネットカジノ」というのも、これまた聞いたことがない。そういうものが存在していたんだね~

聞いたことのない言葉ばかりが出てくるので、話の流れがよくわからない。
それでも、ついついこのニュースに引き込まれてしまう。

やっぱり、こんなアホなミスをする町役場の体質も問われるし、大金を誤って振り込まれた田口容疑者も、悪知恵に富んだ犯罪者だと言わなければならない。まぁ、彼にすれば、
「町役場が間違ったのだからこうなったのだ」
と言い張るつもりかも知れないけど。

ネットカジノは胴元が外国だから、もしそこへお金をつぎ込んで負けてしまったのなら取り戻しようがないという。町に戻ってきたお金も、闇の稼業みたいな「決済代行業者」がこれ以上悪評が広がるのを恐れ、立て替えて返金したのかもしれないという話も出ている。

この問題は連日ワイドショーで大きく取り上げられている。一部の識者は「ウクライナ問題や米大統領訪日問題をはじめ大きな問題が山積している中で、この誤送金問題ばかりで騒いでいるメディアは反省すべきだ」という言説もあったわけだけど、別の見方をすれば、これだけマスコミが騒いだからこそ「決済代行業者」としては放置できなかったのが「立て替え説」の根拠となっていることも事実。もしそうだとしたら、やはり、マスコミが騒ぐこともまんざら悪いことではない。

では、田口容疑者は本当にネットカジノで使い果たしてしまったのか?
それも、わからない。どうしたらわかるのかも、テレビに出ている専門家たちにもわからない。あとは警察の調べを待つだけだという。

いずれにしても24歳この男。
「極悪非道」とまではいかないけれど、
かなり「非道」な人間とは言えますよね。

それと、町役場のミス。
すべてはここから始まったのですから、とてつもなく大きな失策ですね。担当の上司が4月に異動してきたばかりのうえ、直接ミスをした職員が新人職員だったというので、これは個人よりも体制が問われるところです。
僕も38年間お役所に勤めていましたが、あまり大きなミスをしたことがなかったのは幸いでした。
こういう「うっかり」で済まされない仕事がお役所には山ほどあるんですから、現職の人たちはこれを他山の石としてほしいです。

 

 

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健康寿命を延ばしましょう

2022年05月23日 | 心と体と健康と

「日本人の平均寿命は女性が87歳で男性が81歳」
と、前回のブログで書いたのですが、その翌々日、テレビ朝日の「羽鳥慎一モーニングショー」でまたその平均寿命の話が出ました。

その時のテーマは、和田秀樹さんという医師の方が書いた「80歳の壁」という本が、いまベストセラーになっているという話から始まり、和田先生ご自身がスタジオに来て、いろんなお話をされました。

その内容は「80歳の壁」を乗り越えるためにはどんな生活を送ればいいか、ということに関するさまざまな助言で、その時に日本人の平均寿命と、もうひとつ「健康寿命」が紹介されたのです。それによると、
平均寿命は冒頭に述べたように女性が87歳で男性が81歳。
そして健康寿命は、女性が75.38歳、男性が72.68歳とのこと。

では「健康寿命」というのはどんな計算から出てくるものなのかというと、
「日常的に介護などを必要とすることなく、自立した生活を送れている年数のこと」なのだそうです。

そうしたら、日本人男性の健康寿命が72.68歳とはビックリ。僕とほぼ同じ年齢じゃないの。いやぁ、知らなかった~。日本人の平均寿命と健康寿命の間にこんな大きな開きがあったんですよね。いかに介護されている人が多いかということを物語っています。

そこでこの和田先生が、番組の中で、健康寿命を延ばすために60代・70代からやっておくべきことを、いくつか挙げておられました。
たとえば
・歩く
・日光を浴びる
・肉をたくさん食べる
のような感じですが、僕は「肉をたくさん食べる」に注目しました。
和田先生によると、生活習慣病予防のための食事制限など、60代頃までは効果があるだろうけど、年を取ると、下手に制限をして低栄養状態になると命にかかわる。食べたいものは我慢せず好きなだけ食べるのがいい。血糖値や血圧、コレステロール値などは若い頃より高くなりがちだけど、無理して下げなくていい。体型も、少しふっくらしているほうが健康に良い。「80歳の壁」を乗り切るためには、70代のうちに肉を食べて栄養をつけ、免疫や意欲を高めておくことがとても大事なのです。というようなことでした。

他にも、脳(特に前頭葉)に良いことを積極的にやる、という話も出ました。
たとえば
用事や散歩で外を歩くとき、道順を変える。
外食をするとき、行きつけの店ではなく初めての店に入る。
自分の考えとは相容れない内容の本を読んでみる。
というこで、
新しいことにチャレンジするのが脳に良い、
というわけですよね。

こうして、やがて訪れる「80歳の壁」を超えていきましょうというのがこの日のテーマでした。まぁ80歳まで生きていれば、の話ですが。

僕はまだ平均寿命の年齢まで行っていませんが、健康寿命には達しました。これから急な下り坂にならないよう、こういった話には耳を傾け、できることは実行して健康寿命を延ばしていきたいと思っています。

自立した生活のままポコッと死にたい、
という思いは変わりませんので。

最後に、
和田先生は番組の中で、こんなことも言われました。

「皆さん。高齢者ではなく、幸齢者になりましょう!」

 

 

 

 

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佐野洋子さん「死ぬ気まんまん」

2022年05月18日 | 読書

前回ブログでわが友ヒロさんにいただいたコメントの中に「人生100年時代」という言葉が出てきましたが、本当に今は長寿社会になりましたね。

日本人の平均寿命は女性が87歳で男性が81歳と、ここ10年近く、毎年過去最高を更新しているとのことです。

昔は「人生50年」と言われていました。夏目漱石は49歳で亡くなり(慶応3年~大正5年)、明治天皇は59歳で、大正天皇は47歳で亡くなられています。今なら「早世」と言われる年齢ですが、そういう時代ですから50歳そこそこで亡くなっても「早すぎる」という感覚はなかったのでしょうね。

その頃に比べると今は「人生100年」ですから、時代も変わりましたわ。

でも長寿社会と言っても、当然ながらあくまで平均です。だから自分も長生きするとは限りませんよね。僕だって明日死ぬか5年先なのか10年先なのかわからない。また、どんな死に方をするかもわからない。

しかし、長寿社会だと言っても、寝たきりやほとんど体が動かせない状態の人たちも結構いらっしゃるんじゃないか。90歳以上でも元気バリバリの方は大勢いらっしゃるが、80代で寝たきりの方もいらっしゃいます。だから平均寿命が延びたことが無条件にいいことだとは言えませんよね。

そんなことで僕もこの年になると、「死」ということがチラチラと頭に浮かびます。そんな折、佐野洋子さんのエッセイ集「死ぬ気まんまん」という本と出合いました。先月に図書館で借りてきて読んだのですが

図書館でその背表紙のタイトルが眼に入った時、ビックリしました。
「死ぬ気まんまん」!!

「やる気まんまん」はわかるけど「死ぬ気まんまん」とはね。
で、ビックリしたついでに借りて読んでみたのですが、これがメチャ面白くて時間の経つのも忘れ一気に読み終えてしまいました。

佐野さんはこの本を書いた時、がんで余命2年程度と宣告されていました。それでも、ひょうひょうと、自分のこと、まわりのことを綴られているんですよね。「人生は面倒くさいし大変なものがあるが、ごはん食べて寝て起きてさえいれば、どうにかなる」というようなことも書かれています。まぁ、言いたいことを気持ちいいほど遠慮なく書かれているのもこの本の大きな魅力です。

ただ、死ぬときは簡単に、コロッと逝きたい。
死に至るまでの苦痛が怖いのです。

とも書いておられました。つまり、死ぬのは全然怖くない(なにせ「死ぬ気まんまん」ですからね)。でも、死に至るまでの苦痛は怖いので、コロッと逝きたい、ということです。これは僕もそうですが、多くの人が共鳴するでしょう。僕なんかも、延命措置なんか絶対に受けたくないし。

そして、
佐野洋子さんはこのエッセイ集を書き上げた直後、72歳で亡くなり、その後にこの本が出版されました。今から12年前のことですが、まさに「死ぬ気まんまん」で遺作を書き上げたのですね。

今では僕は亡くなった佐野さんの年齢を超えてしまいましたが、この本を読んだことで、何となく自分が死ぬということを客観的に見つめられるようになった気がします。

まぁ「死ぬ気まんまん」とまではいきませんが、人はみな必ず死ぬのだからそれほど気に病むこともないやろ、という感覚のようなものでしょうか。

 


   

  光文社から出版された「死ぬ気まんまん」
  随所にゲラゲラ笑えるところもあって、
  まだお読みでない方には、お勧めします。

 

 

 

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今年は令和何年だったか?

2022年05月14日 | 日常のいろいろなこと

このごろ「今年は令和何年だったか?」
と、わからなくなることが多い。

昭和から平成そして令和と、わが人生で三つ目の御代に入ったのはいいけれど、今年がその令和の何年だったのか? すぐに忘れてしまうのです。

何かの書類に日付を書くとき、今日は何月何日かはわかっても、令和何年だったかわからず、カレンダーを見たりする。それでも、2022年と書かれているだけなので、新聞などで確かめて、やっと今は「令和4年」だとわかる、という具合。

実は、今年は令和3年だと思ったりしていたのですが。
それには少し理由がありまして

僕は1949年(昭和24年)生まれで、団塊世代の一番最後です。で、昭和が終わったのが1989年(昭和64年)。昭和天皇の御逝去で元号が平成に変わったその翌日に、僕は40歳の誕生日を迎えました。つまり昭和をちょうど40年生きたことになります。そしてその1989年から平成が始まり、2019年(平成31年)の4月に平成が終わって5月から令和になりました。平成の世は30年間だったので、僕も平成をちょうど30年生きて、令和元年に70歳を迎えました。
平成元年に40歳。
令和元年に70歳。
分かりやすいでしょ(笑)。

で、今は73歳になりましたから、70歳プラス3となるわけで、それで今年は令和3年だと、深く考えずに思っていたわけです。でも、よ~く考えたら、令和が始まったのが令和ゼロ年ならそういう計算になりますが、令和元年ですからね。70歳の時に元年だったから、3年後の今年は令和4年になりますよね。

計算のやり方を間違っていました。これからは自分の年齢の下一桁に1を足せば令和何年かがわかる、と覚えておきます。これでもう、忘れませんで、へへっ。

と言いながら、
そのうち、自分の年齢がわからなくなったりして。

 

 

 

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ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん亡くなる

2022年05月11日 | ニュース・時事

             

朝のNHKのニュースを見ていたら、「速報」として、お笑いトリオ・ダチョウ倶楽部の上島竜兵さん(61)が亡くなったと報じられた。所属事務所によると、この日未明に竜兵さんが自宅で倒れているところを家族に発見され、病院に搬送されたが死亡が確認されたとのこと。どうやら自殺のようだったという。
自殺?

なんで自殺なの。あれほど人気者だったのに
と思うのだけれど、ほかの人にはわからない心のモヤモヤがあったのか。
人には言えない辛いことって、どんな人にもあるのかな、と改めて思う。

それにしても61歳という若さだ。
僕より一回りも年下なのに。
本当に、今日は朝からこのニュースに
びっくりした。

僕は演歌歌手の丘みどりのファンで、同じくファンだった亡き志村けんのコメディに出ていたのをこのブログで掲載したことがあった。志村けんのコメディにはいつもダチョウ倶楽部が出ていた。中でも上島竜兵さんは特に志村けんのお笑いを盛り上げていた人だった。上島さんのあの潤んだ目が印象的だった。

志村けんさんはコロナに感染して亡くなった。
そして今回の竜兵さんも、コロナのために仲間たちと集まれず寂しかったと漏らしていたという。これもまた、コロナが生んだ悲劇なのかも知れない。

  …………………………………………………………………………

2年半前のこのブログ「丘みどり 思わず笑ってしまうコント」で出した動画を、改めてここに出して、竜兵さんを偲びたいと思います。

 

 

この動画でカウンターに座っている志村けんさんも上島竜兵さんも、お二人とも亡くなられたとは、この時から思えば、信じられないことです。

 

 

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「やんごとない」と「よんどころない」??

2022年05月09日 | 議会&役所

「やんごとなき一族」というドラマが、毎週木曜夜に放送されている。4月下旬から始まり、第3話まで放送されています。

   

「やんごとなき」という言葉に惹かれて第3話まで見ました。

ヒロイン(土屋太鳳)は、母と2人で大衆食堂を営んでいるいわば「一般庶民」なのだが、たまたま好きになった相手の男性(松下洸平)が驚くほどの名家の子息で、結婚してお城のような豪邸に住む。しかしそこには夫の両親やきょうだい、祖母、その他クセ者ぞろいの親族たちがいて苦労させられる。夫は優しいのだが、頼りない。そこで、ヒロインは「嫁いびり」みたいなことをされながらも、夫の尻を叩き、彼らに立ち向かっていくというストーリーです。僕は今のところ、あまり面白いとは思えない。原作は漫画だそうですけど。

ネットではこのドラマに関して、「時代錯誤どころか設定がおかし過ぎる」とか「スッキリするシーンがなさ過ぎてイライラする」などの投稿がされています。僕もそれに近い感想を持っています。

ところで、なぜこのドラマに僕が興味を持ったかというと、冒頭に述べたようにタイトルが「やんごとなき一族」だったということ。
なぜかというと、話すと長いのですが話しますわ(笑)。

「やんごとない」という言葉は「ひと通りではない」「特別である」「身分や地位などが極めて高い」「高貴であり恐れ多い」というような意味を持つもので、このドラマも、そんな「やんごとなき」一族のところにヒロインが嫁ぐ、という設定です。

そして、この「やんごとない」という表現を見て、遠い昔のある記憶がよみがえったのです。

僕は38年間市役所に勤めていましたが、そのうちの26年間を議会事務局という部署で過ごしました。26歳から42歳までの16年間と、50歳から60歳の定年までの10年間いたわけで、本会議や委員会における議員と理事者(職員)やり取りなどをず~っとじかに聞いてきました。

まぁ、いろんな言葉のやり取りがあるのですが、だいたい議会用語や行政用語がほとんどなので、議会事務局職員としてメモを取るのにも大した苦労はなかった。ただ、ひとつ思い出すのは「そんたく」という言葉がある議員の口から飛び出したときは、その言葉の意味がわからなかった。今なら「そんたく→ 忖度」というと、安倍首相の時の森友学園をめぐる問題の折に一躍有名になったのでたいていの人は知っているけれど、その頃は聞き慣れていなかった。「へぇ、難しい言葉を知ってはるんやなぁ」と感心したのを覚えている。

さて「やんごとなき」に戻りますが、これも何かの委員会の場で、一人の議員が市のミスを指摘し、追及したことがあった。これに対して担当部長たちが何度か答弁をしたのだけど、議員は納得しない。そこで別の部長が挙手をして立ち上がり、丁寧に説明をした。その中身が具体的にどんなものだったのかは忘れてしまったけれど、当該部長は、
「本件につきましては、やんごとない事情によりまして、結果としてこのようなことになってしまったものでございます」
と言われたことを、今も覚えている。
その時メモを取っていた僕は、「やんごとない事情?」と首をかしげ、頭の中で反芻した。前後の文脈からみて、やむを得ない、という意味だろうな、と思ったのは事実だけど、それを「やんごとない」というのか? う~ん、ちょっと違うような気もするけどなぁ。

委員会が終わったら、僕はすぐに国語辞典を出して「やんごとない」を調べてみた。すると、前述のように「身分や地位が高い」とか「高貴」だとか書かれている。やっぱりなぁ。「やむを得ない」とは意味が違う。
しかし、なんか、これとよく似た言い回しがあったなぁ。
「やんごとない事情により」ではなくて。え~っと、え~っと」
と、懸命に脳みそを絞って考えてみた。そうしたら浮かんだ。
「そや! 『よんどころない』じゃなかったか?」
今度はそれをまた国語辞典で調べた。あった!
「よんどころない → やむを得ない」
あぁ~、これだったんだ。

あの場で部長は、「よんどころない事情によりまして」と言うべきだったのを、
「やんごとない事情によりまして」と言ってしまったのだった。
しかしその場にいたものは全員普通に納得していたようだ。
言葉の前後からすれば、やむを得ないというニュアンスは伝わったようだから、特に違和感はなかったんだろうと思う。

それに、この2つの言葉はよく似ていますものね~
言い間違っても仕方ないかも知れません。

そんなわけで、ドラマ「やんごとなき一族」というのを新聞のテレビ欄で見て、このことを思い出した次第です。

テレビドラマから、とんでもない昔話に飛びましたが、まぁいつものことだと思ってご勘弁を。このドラマのタイトルを見て、ぜひこのことを書きたいという衝動に駆られたのです。
やんごとない……じゃなかった、よんどころない事情から、でした。

 

 

 

 

 

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関ジャニ∞ のメンバーが耳鳴りで活動休止

2022年05月05日 | 心と体と健康と

関ジャニ(かんジャニ・エイト)という関西出身のグループのメンバーの一人に大倉忠義という人がいて、その人が体調不良のため一定期間活動を中止するとジャニーズ事務所が発表したそうだ。

まぁそれだけなら、「あ、そう」という程度で別段の感想もないのだけれど、その理由を聞いたとたん「えっ?」と思った。大倉さんは1年半ほど前から耳鳴りの症状が出ていたという。「耳鳴り」となると、これは聞き捨てならない。

詳しいことを知りたくてネットを調べてみた。

彼の病名は「右低音障害型難聴と両側耳鳴り」とのこと。主な症状としては、低い音が聞き取りにくいのと、耳鳴りがつらいのだという。

僕自身、もう15年間も耳鳴りに悩まされているので、耳鳴りのつらさはよくわかる。このブログをお読みいただいている方の中にも、耳鳴りで悩まれている方が何人かおられ、コメントを下さったりしているので、皆さん、本当につらいのだろうなと思います。

この大倉忠義さんは、1年半ほど前から耳鳴りの症状が出始め、定期的に通院しながら様子を見ていたが、4月になって症状が悪化し、「右低音障害型難聴と両側耳鳴り」との診断を受けたそうだ。無理をするとさらに悪化するおそれがあることから一定期間休養すべきとの指導を受け、今回の休養の発表となったという。原因はストレスだと言われている。ストレスねぇ。

こういう話を聞くと、「やれやれ」とためいきが出る。
当然ながら、自分の耳鳴りのことに思いが及ぶのである。

今から15年前の2007年(平成19年)の9月に、耳鳴りが発症した。以来、病院でカウンセリングを受けたり、耳鳴りに慣れるための器具を補聴器のように耳に差し込んだりしてきたが効果なく、今も変わらず鳴り響いている。しかも以前より少しずつ音が大きくなってきている気がする。

まぁ、15年も付き合ってきた耳鳴りだけど、「慣れる」ことはない。ないけれど、慣れたような気持ちになるよう、自分をだましだまし過ごしてきたことも事実です。

このブログも、耳鳴り発症から3か月後に始めたわけだけど、少しでも気を紛らわせたいとの思いから始めたもので、当初のタイトルは「陽はまた昇る」というものでした。「今は暗くてもいつか必ず陽が昇る」と自分に言い聞かせる意味でつけたタイトルでした。(その4年後に今のタイトルに変えましたけど)

さて、関ジャニ・大蔵忠義さんの場合は耳鳴りと同時に難聴も併発しているとのことで、難聴の治療がうまくいけば耳鳴りも同時に治るかも知れない。でも、ただの耳鳴りだけなら、その治療法もありませんしねぇ。
むずかしいですわ。ぶつぶつ

でも、視点を変えてみたら、
自分の体は耳鳴り以外は心房細動(不整脈)が時々出るくらいで、他はどこも悪くないし、体力には割に自信があるし、日常の家事もやり甲斐があるし、お酒もおいしいし、毎日好きなことをして暮らせているしと、楽しいことは多い。

耳鳴りは、そういう「大きな幸せ」の中にある「小さな不幸」なんだ、と。
そう思ったら、少しは気分も楽になりそうです 😊

 

 

 

 

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オシム元監督 「結婚は最初はいいけど…」

2022年05月03日 | 雑記

元サッカー日本代表監督だったオシムさんが亡くなった、とのニュースが昨日流れました。

そのニュースでは、オシムさんはいろんな名言を残した人だと伝え、日本代表の監督に就任した時の会見ではこんなことを言ったと紹介していました。

日本サッカー協会の信頼を受けて光栄に思う。
今の気分は(日本サッカー協会と)結婚した気分だが、結婚は最初はいい。しかしその後は厳しくなる。なので今後も変わらぬ応援をよろしくお願いします。

みたいな意味のことを言ったそうです。

結婚したらその時はいいけど、あとは厳しく(悪く)なるのが普通、というのが話の前提になっていますが

日本人はあまりそういうことを言葉に出しません。結婚というのは人生で一番幸せなこと、という感覚を大切にしているようですから。

でも外国の人は少し違うようで、たとえばオスカー・ワイルドの有名な言葉、
「結婚はまさしく相互の誤解にもとづくものである」
というふうな感覚が、心の底にあるような気がします。
欧米特有の「個人主義」から来ているのかも知れませんけど。

今回の訃報に関連して、オシムさんの名言の数々が新聞などでも紹介されていますが、僕にはこの「結婚」を引き合いに出した話が一番面白かったですね。

と、まぁ今日はこれだけの話なのですが、昨日(5月2日)の朝日新聞夕刊の一面にこんな見出しの記事があったので、載せておきます。

  


オシムを惜しむ。
という見出しでした。

では皆さま、連休も後半に入ってきましたが、
お健やかにお過ごしくださいませ。
僕はず~っと(死ぬまで)連休ですけど。

 

 

 

 

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モミィの吹奏楽部の演奏会へ

2022年05月01日 | 日常のいろいろなこと

早いもので、わが家のモミィもこの4月で高校2年生になりました。

このブログを始めた2007年(平成19年)の12月に、モミィの写真を載せて初めて紹介したのですが、その時はまだ2歳2か月でした。これがその写真です。

 

それから14年余りが経ち、今は16歳。高校2年生ですわ。
毎度、同じことを何度も何度も繰り返して恐縮ですが、
月日の経つのは早いですね~。ほんまに早いです!

さて、そのモミィは高校1年生の時からクラブ活動で吹奏楽部に入っています。そして今回、初めて演奏会に出ることになり、ゴールデンウィークの初日である一昨日(4月29日)、大阪阿倍野にある区民会館で開催されたその演奏会へ、妻と2人で見に行きました。

その時の写真を紹介させていただきます。

 

前の方の座席に座ったものだから、モミィがどこにいるかわからない。
あとから本人にこの写真を見せて聞いたら、指揮をしている先生のすぐ右にいた、ということでした。写真では顔が譜面に隠れて、頭がチラッと見えているだけです(笑)。

この学校は中高一貫教育の私立中学・高校なので、高校生の部や中学生の部、さらに高校3年生だけの演奏など、さまざまなプログラムがあったのですが、久しぶりに生の演奏を聴くことで、自分でも胸が熱くなるのを感じました。

そして高校生の部の演奏が一区切りついた時、生徒さんたちが客席に向かって起立して礼をするところがありました。このどこかにモミィがいるはずだと思って写真を撮ったのですが

 

この時も、どこにモミィがいるのか、はっきりしなかった。
みんな同じ制服姿で、同じような髪型をしているので見分けがつかない。

そして全てのプログラムが終了し、僕たちは会場を出た。
帰りの電車の中でこのスマホの写真を拡大してみたら
やっと、モミィがどこにいたのかわかりました。

 

画面のほぼ中央にいる、小柄な女子生徒。
右隣に男子生徒がいますが、これがモミィでした。

この学校は私服OKなので、モミィも私服で登校しています。なので僕はモミィの制服姿はほとんど見たことがない。それに髪型もいつもと違うので余計にわかりにくかったのだと思います。

モミィはわが家では今も幼い子どもみたいな雰囲気なので、学校でのこういう行事でモミィの姿を見ていると、「あぁ、やっぱり成長しているんや」な~んて、改めて思いました(笑)。

それにしてもこの日、ゴールデンウィークに入ったせいか、阿倍野周辺の人の多さには驚きました。コロナ禍以来、こんな大混雑を見たのは始めてです。今日は5月1日ですが、連日、ニュースで各地の賑わいが報じられています。また感染者の増加につながらないか、心配です。

 

 

 

 

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