僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

母の骨折

2010年02月25日 | 日常のいろいろなこと

22日の月曜日。
昼前、コスパでトレーニングをしたあとロッカーで服を着替えながら携帯を見ると、妻からメールが入っていた。読んで、びっくりした。

メールには、さっき特別養護老人ホームから家に電話があり、ホームでお世話になっている母が、大腿骨を骨折して病院に運ばれ、手術の必要があるのですぐに特養の方に行ってほしい、ということが書いてあった。

「わかりました。すぐに行くから」と僕は妻に返信し、ウインドブレーカーの上下を着て、マウンテンバイクに乗って、コスパから5分ぐらいのところにある特養ホームへ走った。

母がちょうど病院から帰って来たところだった。「痛~い、痛~い」とストレッチャーの上で、悲鳴を上げている。ストレッチャーを動かすと痛いようで、静止させると痛みはないようであった。

特養に詰めている医師が、病院から預かってきた母のレントゲン写真を僕に見せてくれた。「大腿骨というか、股関節のあたりを骨折しています。車椅子からベッドに自力で移ろうとして転ばれたようです」
「そうですか…。手術の必要があるということですけど…」と僕。
「はい
。今行った病院では手術はできないので、他の大きな病院へ行く必要がありますね。この近くにある○○病院はどうですか…?」
「結構です。よろしくお願いします」
「じゃぁ、紹介状を書きましょう」

特養施設の看護師さんが母をストレッチャーのまま車に乗せ、そこを出た。
病院はすぐ近くだから、僕はマウンテンバイクで車を追いかけた。

病院へ着いて、母と特養の看護師さんと僕が、整形外科の診察室に入った。

医師はまず、母の状態を特養の看護師さんに聞いた。
特養の看護婦さんは、母が数年前から脳内出血による右半身麻痺で、介護度が4で車椅子生活をしていること、左半身は動くので車椅子は左手で動かすことができ、左足だけで立つこともできる…などということを説明した。
特養の看護婦さんは、かなり年配の、ちょっと怖そうな感じの女性である。

「ふむ、ふむ」とその説明を聞いてた医師は、レントゲン写真を見ながら、
「この骨折部分は、右足の付け根です。つまり、動かない方の足の付け根ということになります」と、説明を始めた。

「そこで…」と医師は、僕のほうを見た。
「患者さんとは、どういう御関係ですか…?」と医師は僕に尋ねた。
うしろから特養の看護婦さんが
「弟さんですよね」と僕に言った。
「はぁ…?」と僕は看護婦さんのほうを振り向いた。

だれの弟やねん…?
僕は、この81歳の母の弟か…?

いや、そういう意味ではなく、時々特養に面会に来る母の長男(実は僕だ)にしては、今日は派手なウインドブレーカーを着てリュックを背負い、マウンテンなんかに乗っていたので、看護師さんは僕とは別人だと思ったのだろう。「長男の弟」という意味でその看護師さんは言ったようであった。

「長男ですけど…」
「あ、そうでしたか」と看護婦さん。

「はい。ではちょっと説明しますけど…」と医師が口を開いた。

それによると…
母の骨折は確かに手術は必要だけれども、その手術は再び歩けるようになるためにする手術なのだそうだ。しかし母が骨折した箇所は麻痺した方の足の付け根で、しかもボルトを入れてつなげる箇所でもないので、手術は人工の関節を入れる大掛かりな手術になる。この手術にはリスクも多く、たとえ成功しても元々動かない足のほうなのでメリットは少ない。そうしたことを考えると、そのままにしておいたほうがいいのではないか…、ということだった。そのまましておけば、剥離した部分は壊疽になって空洞状態になり、痛みは3週間ほどで取れるはずだ、と言う。まあ、わかりやすい話だった。

医師の話が一段落したら、特養の看護婦さんは僕に「どうされますか…?」と尋ねた。
「まあ、先生の言われるとおりにしてもらったら…と思います」

医師も「このまま施設に戻られて、そこで養生されたらいいと思いますよ」と、うなずきながら言った。

特養の看護婦さんの顔が、一瞬険しくなった…ように見えた。

その時、それまでストレッチャーの上で仰向けになったまま、人形のようにピクリとも動かず、目だけをキョロキョロさせていた母が急に口を開いた。

「ほんなら、そういうことにしょうか。さあ、帰ろ」

僕は思わず声を上げて笑ってしまった。
医師が驚いた表情で母の顔を覗き込んだあと、僕に、
「お母さん、認知症…では、なかったのですか…?」

「いや、その場の話は理解しています。すぐに忘れるだけです」
と、僕は苦笑しながら説明した。

診察室から出るとき、母は僕の手を握り、
「入院せんでよかったわ~」と言い、また僕の顔をじ~っと見つめて、
「あんた。今日は学校休みか…?」と尋ねた。

僕は学校はとっくの大昔に卒業しました。
それどころか、去年、仕事も定年退職しました。

もちろん、そんなことを母に言っても仕方ありませんが。

 

 

 

 

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オリンピックよりダイエット…?

2010年02月24日 | 心と体と健康と

ず~っと冬季五輪を見ていて、つくづく思う。
韓国や中国の選手たちの強さとは対照的に、日本選手たちは、相変わらずひ弱さから抜け切れない。応援していても、ほとんどカラ回りばかり。

日本選手一人ひとりは、よく頑張っていることはわかる。でもなぁ…。

なんで韓国や中国があんな強くなっているのに、こちらは進歩がないのか。そこのところが、とても残念で悔しい。「ハングリー精神」とか「根性の違い」ということだけなんだろうか。どうもスッキリしない。

オリンピックやサッカーW杯のような大きな大会になると、日本選手に過剰なほどの大声援を送るものの、それが終わってしまえば知らん顔…という、わが国メディア特有の“その場限り”の風潮が国民に浸透してしまっていることもあるだろう。それともうひとつ、大きな要素として、スポーツに対して本気で取り組んでこなかった国の姿勢もあるだろう。だからいまだに日本は「スポーツ後進国だ」などと言われてしまうのである。普段からのコツコツと地味な取り組みが実を結ぶと思うのだが、この国は今では「一発芸」がチヤホヤされるような国だから、長期的な視点で選手たちを強化していくという辛抱がますますなくなってきた。メダルを獲った選手に対する報酬も、韓国・中国などに比べて段違いに低い。それらが、韓国や中国に抜かれ、どんどん差を広げられていく要因になっているのではないか…

な~んて小難しい理屈を並べていますけど、要するにオーストリアやノルウェイなどに負けてもさほどとは思わないが、韓国や中国に負けると、これがもう非常に悔しくて悔しくてたまらんのだ…ということなのです。

男子スピードスケート500mで、いくら日本が「銀」と「銅」を獲ったと騒いでも、「金」を獲ったのは韓国の選手である。表彰台に2人の日本人が上がったが、一番上にいるのは韓国人だ。そして韓国の国旗が、国歌とともに、左右に日の丸を従えるようにして真ん中をスルスルと揚がって行くのである。そういうのって、あまり見たくない光景である。

まあ、それはお前の勝手で偏狭なナショナリズムだと、良識のある人からは笑われてしまうのでしょうけどね。

で、今日はお昼に女子フィギュア・ショートプログラムが行われる。
真央ちゃんら日本人3選手とキム・ヨナは、午後1時前から2時前までの1時間のあいだに登場して来るということだ。

キム・ヨナが「安定していて調子がよさそうである」と今朝の新聞に書かれていたのを読んだだけで、ため息が出る。今日のショートで真央ちゃんたちを抑えてトップに立ち、明後日のフリーでさらに差を広げ…また金メダルを韓国に持っていかれてしまう…。

今大会の流れを見ていると、そんな気がしませんか…?

なんだかなぁ…。競技が始まる前から弱気になってしまう。

   ………………………………………………………………

今日はテレビにかじりついてイライラしているよりも…
テレビから離れて、スポーツジムへ行ったほうがいいかも知れない。

今日水曜日は、ジムで午後12時15分から「はじめてエアロビクス」というのがあり、以前からそのレッスンに出たかったので、ちょうどいい。
案外、テレビの実況を見ていないほうが、真央ちゃんや美姫ちゃんたちがキ
ム・ヨナをリードするかも知れないものね(見たら負けそうな気がする)。

そう言いながらも、やっぱりこれは世紀の大一番だから。
見たほうがいいのかなぁ…。
…と、ああでもないこうでもないと思案するヒマな僕である。

さて、スポーツジムといえば、ダイエット作戦のその後の経過ですが…。

10日前のブログで、今月からダイエットを始めたことを書きました。

そのとき、体重が52キロから49・7キロまで落ちたことを報告しましたが、
この1週間でも成果がありました。

昨日の朝のジョギングの後に体重を量ると、48・5キロでした。
48キロ台というのは本当に久しぶりです。

胴回りが窮屈になってしばらく穿かなかったジャージのズボンなんかが、すんなりと穿けるようになり、とても嬉しい。

アナザービートルさんではありませんが、今やダイエットは完全に「趣味」の領域に入って来ている、というような状況です。

 

 

 

 

 

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オリンピックと樅の木

2010年02月22日 | 映画の話やTVの話など

つい先ほど。早朝…というより、真夜中に近い時間から、カーリング女子、日本対ロシア戦を見た。

一時は6対0と大量リードされた日本だったが、驚異的な粘りをみせ、ロシアのミスも誘って6対6の同点に追いついた後、一進一退の攻防で9対9となり、延長戦にもつれこんだ。不整脈の持病を持つ僕にとって、こんな心臓に悪い試合はないわけで…。

その延長の一戦。
後攻めで有利なはずな日本だったが、ミスショットもあって、ロシアの方が流れの中で優位に立った。そして、最後から2番目に、ロシアに決定的なチャンスが訪れた。解説者も「う~ん、ここを決められると、最後を待たずしてロシアの勝ちが濃厚ですね」と苦渋のひと言。

しかし、…ロシアの一投は、わずかに狙いを外した。
「ニッポン、命拾いをしました~!」とアナが叫びながら、
「しかし、まだ予断を許しません」と付け加えた。

そして日本の最後の一投。ドキドキ。
むずかしい局面だったが、日本の石が見事に相手の石をはじき出した。
「おぉっ! やったぁ」
一人で、テレビに向かって拍手をした。

これで日本は3勝2敗。
だが、目標の6勝まで、あと3勝1敗で乗り切らなければならない。
まだまだ嶮しい道のりが待っている。
今から5、6時間後の正午から、今度は日本対ドイツ戦がある。
しかし僕は今日は1日中外出なので、テレビ観戦ができない。ざんねん。
でも、こういう心臓に悪い試合を見るのは、1日に1回だけでいいのかも。

   ……………………………………………………………………………

話はコロッと変わるが、一昨日の土曜日の夜、TVで「樅の木は残った」が放映された。田村正和主演の時代劇ドラマである。

    http://www.tv-asahi.co.jp/mominoki/

言うまでもなく、山本周五郎の、仙台の伊達藩を取り巻く有名な長編小説をドラマ化したものだが、3、4年前、仙台在住のじゃいさんに、小説の主人公・原田甲斐の居城であった船岡城跡の公園にある樅の木に案内していただいたことがある。むろん、小説の主な舞台もこの場所だ。
その数ヶ月前に、僕はこの小説を、病床の中で読んでいた。
そんなことがあって、「樅の木は残った」には思い入れが強い。

今からちょうど40年前、この作品はNHK大河ドラマとして放映された。

主人公が平幹二朗で、相手役に、吉永小百合が出ていた。
なにしろ40年も前のことだから、ドラマは見ていたはずだけど、あまりよく覚えていなかった。船岡城跡に
案内していただいたあと、ぜひこの大河ドラマをもう一度見たい…と思い、「ひょっとして」と、レンタルビデオ店で探したら、なんと「NHK・樅の木は残った・総集編」というのが出ていた。
大喜びしてレンタルしたことは言うまでもない。
ダイジェストではあったが、期待どおり、重厚で素晴らしいドラマだった。

それに比べて、今回の「樅の木は残った」はどうだったか。

昨晩、録画していたそのドラマを見た。
実は一昨日の放映当日、チラッと一部分を見たのだけれど、あまりいい印象はなかった。このドラマに造詣の深いじゃいさんも、メールで「がっかり」と送ってこられた。

しかしまあ、せっかく録画をしたのだからと思い、昨日「期待はずれ」を承知の上でそのドラマを見たわけだけれど、案の定「がっかり」であった。

まず、主人公の田村正和の声がずいぶん衰えてきたのに驚いた。あまりにしゃがれた声なので、何を言っているのかわからない場面も多かった。
他の配役陣も、役どころにふさわしくないのが目立った。

それと、大河ドラマで1年かけて放映されたような題材をわずか2時間やそこらの時間で集約するのは、やはり無理がある。最大のヤマ場であるラストシーンは大変な修羅場なのに、登場人物の長々とした説明っぽいセリフが雰囲気をブチ壊し、最後まで不満の残る結果で終わってしまった。

まあ、ラストシーンは、主人公の言動に対して説明をする人物がいなければ、初めて見る人にはここに至ったストーリーがわかりにくいのだろうけれど、それにしても、あの終わり方は安易に走り過ぎた感じがする。

というようなことで、このドラマそのものより、あの絶妙な「古畑仁三郎」の田村正和サマも、声がかすれ、「老い」を感じさせたのが寂しい。

それともうひとつ、強く感じたことは、かつて吉永小百合が演じた役を、井上真央が演じたけれど、それがもう、まるで現代風の若い女の子そのままで、風情も何もない演技だったこと…であった。

もっとも、井上真央ってどんな女優か、これを見るまでよく知らなかった。

真央…といえば、浅田真央を思い浮かべてしまうのである。

あぁ、やっぱり、話はバンクーバー五輪に戻ってしまうのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

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カーリングとかジャンプとか

2010年02月21日 | スポーツの話題

このブログを書いている今(21日午前5時50分)、テレビでは冬季五輪スキーのジャンプ・ラージヒルが行われている。午前4時半から始まり、早起きが得意の僕はその時間から起きてテレビをつけているが、今は1回目のジャンプが終わり、2回目が始まったところだ。

日本勢は1回目、全員、振るわなかった。
期待の葛西も失敗ジャンプに終わったし…。
2回目にたとえ大ジャンプを見せてもメダルには届かないだろう  。

日本とバンクーバーとの時差は17時間。
日本が午前6時だったら、あちらは前日のお昼の1時だ。

現地のバンクーバーで競技が行われる時間帯は、日本時間で言えば未明から午後2~3時頃までだ。こういう時間帯だと、平日仕事に行っている人は、競技の肝心なところは、なかなか見られない。

長島、加藤がメダルを獲ったスピードスケート男子500mも、高橋が銅メダルを獲ったフィギュアスケート男子も、両方とも平日の昼間だった。僕も、これまでのように在職中であれば、決して見られなかったところだが、今回はず~っと自宅でテレビを見続けていられる。メダルを獲得した両競技も、生中継で見ることが出来た。これは、かなり嬉しいことだ。そしてテレビを見ながら、時々ふと、あぁ、自分は退職したんだ…と実感する。


                 


昨日は土曜日だったので、昼に多くの人が見ていたと思うが、あのカーリングというのはとても面白い競技だ。日本対イギリスの、女子チームの対決。

4歳のモミィが、テレビに映るカーリングを指差して、
「あ、お掃除してはるわ…」と言った。

確かになぁ。選手が氷の上をブラシでこする様子は「お掃除」みたいだ。

見慣れない者にとっては、奇妙な競技だ。しかし、前回のトリノ五輪で予選リーグで敗退したものの、女子選手たちの健闘が光り、マスコミの宣伝もあって一躍人気競技になった。特に女子チームは、大人気である。

その昨日の女子カーリング、日本対イギリスは、息詰まる熱戦だった。
まだ予選だというのに、手に汗握るシーンの連続で、見ていて疲れた。

しかしルールを十分に飲み込めていない僕は、アナウンサーや解説者が口にする専門用語がよくわからない。ストーン(石)はわかるけれど、ハウスとかダブルテイクアウトとかの意味が、途中までさっぱりわからなかった。

このカーリングはどうしたら得点になるのか…ということは、さすがに見ているうちに理解できてくるが、用語がわからないので、そこでつまづくのだ。リード…? スキップ…? なんのこっちゃ。

それと、試合は10エンド(野球で言えば10イニング)をかけて行われるが、このエンドが10もあるのは多過ぎるのでは…と思った。だから1試合に長時間かかる。さらに、1エンドで両チーム交互に8回ずつ石を放つのも、その回数が多すぎるような気がした。8回でも4回でも同じようなもんじゃないのか…と思ってしまうのだ。つまりオセロゲームにも似て、前半にどれだけ自軍の石がたくさん円の中央に集まっていても、最後の1~2回で全部はじき出されてしまい、一挙に逆転されてしまう…という場合が多いのだから。

最初の1回目や2回目っていうのはどういう意味があるのだろうか?…と考えていたら、いっしょにテレビを見ていた長男が「なにせ氷上のチェスと言われているくらいやからねぇ…。ぜ~んぶ意味があるわけで…」とつぶやいた。な~るほど、カーリングは氷上のチェス。日本で言えば将棋かぁ。
そう言われるまで、僕は氷上のオセロゲームかな…? と思っていたけど。

そういう駆け引きがわかるようになれば、もっと楽しめるんだろうなぁ。

まあ素人には難しい部分もあったが、見ているうちにずんずん引き込まれた。さらに日本選手の皆さんが、なかなかの美人である。彼女たちのキリッとした表情が、氷上に映える(ダジャレです、すんまへん)。

そして、試合は、日本が第9エンドの最終投で、イギリスの石を一挙に2つともハウス(円)の外にはじき飛ばす「ダブルテイクアウト」の快挙を演じ、見事な勝利を収めた。

だいたい、こういう試合は、一生懸命テレビの前で応援していても、接戦の末に日本が破れ「あぁ~あ、がっかり」という展開が多いのだけれど、昨日は違った。久々にスカッとした。

これで日本チームは予選リーグは2勝2敗となった。
全部で9試合あるが、4位以内で準決勝に進出するためには6勝3敗が最低条件だと言われている。このあと5試合を4勝1敗で乗り切らなければならないわけだけれど、強豪チームとの対戦をほぼ終えたので、期待は持てる。

カーリング女子は、前々回のソルトレーク大会では2勝7敗。
前回のトリノ大会では4勝5敗。
ともに予選落ちだが、徐々に勝ち数を増やしてきているので、今回はぜひ6勝3敗で準決勝に進んでもらいたい。

                 


そうこう書いているうちに、テレビでのジャンプ・ラージヒルが終わった。
葛西が2回目に大ジャンプを見せて順位を上げ、なんとか8位に入賞した。

葛西は2回目だけなら、全体で2位の成績であったという。
こうなると、1回目の失敗ジャンプがとても悔やまれる。
解説者によると、葛西の失敗というより、この時の気流が悪かったそうだ。
勝負につきまとう運は、仕方ないとは言いながら、あまりに無情だ  。

…というようなことで、まだまだ続くバンクーバー冬季五輪。

24日(水)には浅田真央ちゃんらが登場するフィギュアスケート女子のショートプログラムがあり、26日(金)は同フリーがある。いずれも午前9時半ごろから競技が始まる。その両日はまた、テレビから離れられない。

 

 

 

 

 

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冬季五輪をめぐる思い出 西谷選手

2010年02月19日 | 思い出すこと

世の中はバンクーバーの冬季オリンピック一色であるが、僕は一度だけ、本物の金メダルを、この手で握り締めたことがある。

1998年長野冬季五輪のショートトラック500mで、19歳の西谷岳文(たかふみ)選手が金メダルを獲得したことを覚えておられるだろうか…?

スタートが全てとも言われるショートトラックの500mで、西谷は、「ロケットスタート」と言われる見事な飛び出しを見せ、そのまま逃げ切った。
当時、西谷はほぼ無名の存在で、彼の金メダルは日本中をあっと驚かせた。

西谷選手は大阪の阪南大学の学生で、その大学は松原市内にあった。

当時、松原市役所の広報係で仕事をしていた僕は、テレビで西谷の快挙を見て、がぜん色めき立った。
「なんとしても西谷に取材をしなければ…」
これはぜひ「広報まつばら」に掲載しなければならない。

インタビューを申し入れると、西谷サイドは快く引き受けてくれた。
そして僕は若い職員と2人で、指定された日時に、大阪NHKホールに出向いて、約30分ほど、西谷選手とそのコーチに、いろんな話を聞いた。

その時に、西谷が金メダルを見せてくれた。
「持たせてもらっていいですか…?」と僕が言うと、西谷は、
「どうぞ、どうぞ」とニコニコ笑って言ってくれた。
その時、生まれて初めて、オリンピックの金メダルというものを、じかに見て、この手で触れた。マラソンの完走メダルなら、家にいくつもあるが、これは正真正銘の世界一のアスリートに与えられるメダルである。感激した。

長野五輪後、西谷は不調が続いたようで、あまりその名を聞かなくなった。

しかし、3年後の2001年の2月。
朝日新聞のスポーツ欄を見ると西谷の名が載っていた。
全日本ショートトラック選手権で総合優勝した、と出ていたのだ。
そして「五輪1年前、進化の滑り・西谷」という見出しもついていた。
翌年にソルトレーク冬季五輪を控えていた時期である。

僕は西谷の復活がうれしくて、朝日新聞の「声」の欄に投稿した。

新聞に投稿するのは、これが初めてだった。

数日後、朝日新聞社の編集部から、わが家に電話がかかってきた。

「先日投稿いただいた西谷選手の原稿の件ですが…」
と、新聞社の人が切り出した。
「この文章を採用させていただきたいのですが、読み上げますね」
と、その人は、僕の文章を、電話の向こうで朗読し始めた。
そして、「これで間違いありませんね」と確認したあと、その人は、
「え~っと、文の最後に『頑張ってほしい』と付け加えてもいいですか?」
と尋ねたので、「ええ、もちろん、結構です。ありがとうございます」
と、僕は礼を言った。

それから何日かして、朝日新聞の「声」の欄に僕の投稿した文章が載った。
2001年(平成13年)3月7日の朝刊である。

              ↓

 



翌2002年のソルトレーク五輪では、西谷は期待されながら惨敗した。

やはり、あの長野五輪の滑りが、彼のスケート人生の頂点だったのだろう。

 

 

 

 


 

 

 

 

 

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鍵はどこへ行った…?

2010年02月17日 | 日常のいろいろなこと

指の傷もほぼ癒えたので、一昨日、フィットネスクラブ「コスパ」へ行って、約4週間ぶりに泳いだ。「休憩しながら25mを泳ぐコース」である。

バシャバシャと、下手なクロールで水しぶきを上げる。
25メートルプールを半分まで泳ぎ、途中で立ち止まり、一息入れて残りを泳ぐ。これを繰り返すのであるが、まあ、泳ぐと言っても、となりのレーンで水中を歩いている人とスピードはほぼ同じである。時には歩いている人のほうが早かったりする  。

プールから上がって風呂に行き、いつものようにサウナで汗を流してから体重をはかると、49・85kgであった。これは、11月からこのコスパの体重計ではかってきた中で、一番軽い体重だ。「よし、よし」とほくそ笑む。

しかしそのあと、思いも寄らない事態が発生した。

風呂から上がり、下着パンツ1枚の姿で、タオルとバスタオルと海水パンツを抱え、横のロッカールームへ歩いて行った。パンツ以外の衣類は全部ロッカーの中に入っている。

そこで、重大なことに気がついた。

あれぇ…? ロッカーの鍵がない…

げげっ。
ロッカーの鍵はベルト状になっており、手首に巻いてプールや風呂に入る。

この日も、僕はたしかに鍵を手首に巻いていたはずだ。
でも、今見ると、手首には何もない。

いつの間に、どこで鍵が外れたのだろうか…?
しかし…。そもそも、鍵を手首に巻いたのかどうか…?
あぁ~、それも思い出せない。いよいよボケてきたのか、僕は。

ひょっとして鍵を掛け忘れたか…? と思って自分のロッカー前まで行ったが、ちゃんと施錠されている。やっぱり、どこかで鍵を紛失したのである。

パンツ1枚以外、身に着けるているものは何もない。
とにかく、早くスタッフに来てもらわなければ…。

でも、ローカールームの中にスタッフは一人もいない。みんな外だ。
外はジムになっていて、大勢の人たちがトレーニングをしている。
そんなところへ、パンツ1枚でノコノコ出て行くわけにはいかない。
おまけに、スタッフの大半は若い女性である。あぁ、恥ずかし。

ロッカールームの出口から、亀のように首だけ出して外のジムの様子を窺うが、スタッフの姿は視界に入らなかった。少し寒気がしてきた。なにせ、上半身は裸で、下はパンツ1枚なのだから。

わが人生、最大のピンチである  。

そのとき、着替えを終えた年配の男性がこちらへ歩いてきた。
「すみません」と僕はすがる思いで男性に、
「ロッカーの鍵が見当たらないのです。こんな格好なのでスタッフを呼びに行くことも出来ず困っています」と言ったら、
「あ、そうですか。わかりました。呼んで来ましょう」
ホッと一息。

しばらくして、若い男性スタッフが一人来てくれた。
「まず、貴重品が大丈夫かどうか、確認してください」
と、スタッフはマスターキーを取り出して僕のロッカーを開けてくれた。
荷物はそのままで、貴重品も異常なしであった。

「どこかで落とされても、誰かが拾ってくれているはずですけど」
そう言いながら、そのスタッフのお兄さんは、プールに電話したり、風呂まで鍵を探しに行ってくれたりした。しかし、見つからない。出てこない。

僕は服を着ながら、改めて、プールに入る前にちゃんと鍵を手首に巻いたのか…あるいは風呂に入るときに外さなかったか…などを、懸命に思い出そうとしたが、悲しいことに、やっぱり何も思い出せなかった。

「とりあえずキーが出てくるまでお預かりします」
ということで、鍵の修復代3,150円を渡して、なんとかその場は収まった。

「キーが出てきましたらお電話させてもらいます。きっと出てきますよ」
スタッフのお兄さんは微笑みながらそう言ってくれたのだけど…

その日の午後からも、昨日の火曜日も、連絡はなかった。

どこへ行ったのだ、鍵は…?

 

 

 

 

 


 

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ボケボケ

2010年02月16日 | スポーツの話題

すみません。二日酔いです。
ボケています。
コメントをいただいた方に返事もせず…(明日、させていただきま~す)

バンクーバー五輪。上村愛子さんは本当に惜しいところでしたね。
ざんね~ん。
でも、全力を出したのだからね…仕方ないじゃん。実力負けです。

サッカー日本代表は、あまりにも、だらしない。
韓国に負けるのが、いちばん腹が立つ。
シュートをしなければ点が入らない…ということが、なぜわからない…?
岡田監督は、今からでも遅くない。解任すべきである。
オシム監督が病気で辞めたのが、本当におしまれる。
オシむ…だ。
サッカー狂いのウチの長男は「もう一度トルシエを監督でやってほしい」
な~んて言ってます。僕も、そう思います。

ところで…、冬季五輪のコクボ君の服装や態度が、とやかく言われている。
会見で、「反省してまーす」という人を舐めた態度はいただけない。

でもなぁ…、朝青龍に比べたら、可愛いもんだと思うよ。
(朝青龍は、時として要領がいい。あれが気に食わない)。

スノボーって、品格なんて、いらないでしょ。ああいう競技だし。
要するに五輪は、世界を相手に勝てるかどうかだ。
まあ、試合でがんばってくれ、コクボ君。

すみません。二日酔い状態で、書いてます。

 

 

 


 


 

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山あり谷あり…この1週間のジョグ&ダイエット

2010年02月14日 | ランニング

前々回、ジョギングとダイエットについて書いたのが9日の火曜日だった。
日曜日には15kmを走り、月曜日には6km走ってスポーツジムへ行き、夜はウオーキングをした…と、火曜日の朝にこのブログの記事で書いたのである。

その火曜日のこと。

朝、あのブログをアップしたあと、大和川堤防に走りに出た  。

1往復3キロの堤防コースを2往復、6キロ走をめざしてトロトロと走り始めて30分ほど過ぎると、じわーっと右の膝が痛み出した。これまで何度か膝を痛めたことがあるので「うわっ、これは…」と悪い予感が走った。
ジョギングで痛めた膝は、なかなか治りにくいのだ

残りの距離は、走らずに歩いたが、歩いていても右膝は痛んだ  。
あぁ~、なさけないなぁ(ため息…)。

せっかく「やるぞ!」と張り切ったとたんに、これだ 。
日曜日の15km走というのが、張り切り過ぎだったのだ
無理しちゃダメよ…というコメントをいただいたとおりである。

午後、スポーツジムへ行き、筋トレはせず最初からプールに入った。
そして、水中歩行を約1時間続けた。これなら膝に負担がかからない。

しかし、1月21日に包丁で左親指を切った傷がまだ完治していなかった。
あれから3週間近く経つが、それ以来プールには足を運んでいなかった。

で、久しぶりのプールだったのですが…。
この日は、バンドエイトの上から絆創膏をぐるぐる巻いて、プールの中でも指を濡らさないよう、左手を水面から上げて歩き続けた。
スタッフのお姉さんが、プールサイドから、
「その手、どうされたのですか~?」と声をかけてきた。
「へぇ、ちょっと切ってしまいまして」と、歩きながら答える。

プールは各レーンによって、使い方が決められている。
途中休憩しながら25m泳ぐコース。
休まず25m泳ぐコース。
休まず50m泳ぐコース。
ウオーキングコース。

その中で、いちばん人の多いのが「ウオーキングコース」である。
歩いている人たちは、中高年がほとんどである。
中でも女性が多い。

おばちゃんたちの中には、ぺちゃぺちゃと世間話をしながら歩いている人たちもいる。会話に夢中になると、この人たちの歩くスピードが遅くなる。これが邪魔になるのである。後ろから普通に歩いて来る人たちが、すぐにしゃべるおばちゃんたちに追いつき、それが「壁」になって歩くペースが狂う。

「おばちゃ~ん。おしゃべりするんやったら、別のところでしてくれぃ」
と、心の中でぶつぶつボヤいたりしながら、黙々と歩き続ける。

翌水曜日も、近所を少し歩いてみたが、まだ膝が痛む(深いため息…)。

仕方なく、またプールへ行き、1時間、水の中を歩く。
こんなことで膝がなかなか治らなければ、せっかく立てたジョギング&ダイエット計画も、それこそ水の泡じゃないかと、水の中で考えながら歩き続ける僕なのであった。

そうこうするうちに木曜日になった。
スポーツジムは休館日だけれど、しかし、子どものスイミングだけは行われている。この日の午前中は、妻とともにモミィを連れてプールに行った。

小さな子どもたちが水しぶきを上げて楽しそうに泳いだり這ったり歩いたりするスイミング教室の様子を見学したあと、モミィを連れて帰る。

きょうの膝の具合がどうなのか、まだわからない。
家の中を歩いたり階段を上がったりする分には、膝は痛まない。
「ウオーキングだったら、いけるかな…?」
居ても立ってもいられなくなり、大和川堤防に出た。
そして歩いた。
膝は痛まなかった。
う、う、うれし~い。
途中で雨が降り始め、強い風雨になったけれど、傘を差し、浮き浮きして歩いた。

金曜日も、夜に歩いたが、膝は痛まなかった。よしよし。

そして昨日の土曜日。朝からいいお天気だった。
堤防コースに出て、やわらかい日差しを浴びながら、そろりと走ってみた。膝は、痛まない。そうそう、このまま、このまま…と心に言い聞かせながらゆっくり走り続けてみる。ふくらはぎなどは重いが、膝は痛くない。
いいぞ、いいぞ~。

途中で歩く。軽く屈伸運動をして、またトコトコと走り出す。
走る、歩く、走る、歩くを繰り返す。
身体が暖まり、だんだん調子が出てきて足が軽くなり、一定のリズムが生まれてくる。結局、そんなことをしながら10kmをこなすことができた。
その後、午後からも妻と共にウオーキングに出て、3時間・15kmを歩いた。

どうやら、膝の方は大事に至らなかったようである  。 助かった~。

ところで、一方、体重はどうなのか…?

先週の日曜日の朝には体重が52・5kgあった(暴飲暴食の跡か…?)  。
一念発起してから、2日ほどで51kgになった。
膝を痛めて走れなかったのは3~4日間だったけれど、その間もジムのプールで歩き、そのあとサウナで汗を流して体内の水分を絞った。

金曜日には50・3kgになった。
食事内容を、魚と野菜中心に変え、あぶらモノは控えた。
しかし、アルコールは止めない。カロリーカットの缶チューハイを飲む。
まあ僕はこの手の飲み物さえあれば、どんな食べ物でもいいので、ひじきの煮付けでも人参スティックでもかまわないのだ  。
(とはいえ、大好きなフライドチキンなんかのテレビCMを見ると、ヨダレが出るが…)。

そして、昨日のジョギングと入浴の後で体重を量ると…
おぉ! 49・7kgにまで下がっていた。ぱちぱちぱち。
(もっとも、一日のうち一番軽い状態の時に量っているわけですけどね)

僕は身長が160センチにも満たないチビだから、体重は50kg以下が望ましいと思っている。やはり、身体が軽いと、万事に動きやすく、快適なのだ。

市役所に就職した当時(22歳の頃。39年前だぁ)の体重は46kgだった。
それから20代後半に54kgから55kgまで増えた。
ズボンがきつく、お腹をつかむと電話帳のように分厚かった  。

そこから体重の変遷には小さな波があったが、マラソンを始めてもよく食べて飲むので50kgを少し下回る程度で、まあ48kgまでが限度だった。

いま、久々に50kgの壁を突破した
この勢いで、目標の47kg、いや、就職当時の体重・
46kgに戻したい。

日々、年を取っていく一方であるが、体重だけは39年前に戻すのだ  。

それがこれからの快適なジョギングライフにつながり、日常生活に軽快なフットワークをもたらす…と、そう信じたいのですけどね~。

 

 

 

 

 

 

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メディアの品格 ~ バンクーバー五輪を前に ~

2010年02月12日 | ニュース・時事

元横綱・朝青龍について、メディアは引退前には、暴行を働いたので当然のことながら悪者扱いしていたが、引退会見を開いてから後は、平成の大横綱だのナンだのと急にヒーロー扱いし、その後は今度は本人がハワイでゴルフをしていたのを、やれ不謹慎だの、引退したのだから何をしてもいいじゃないのだの…、また功労金が高いだの低いだの…とか、まあ情報を伝えることはいいのだけれど、その報道の仕方が、異常とも思えるほど大げさで面白半分で無神経で下品でトンチンカンで…という感じで、どうも「横綱の品格」をあ~だこ~だと騒いでいたメディアのほうが、もっと品格に欠けるのではないか、ということを、多くの人たちが感じているのではないか。

まあ、そういうことで…

明日開幕されるバンクーバー冬季五輪も、17日間の大会期間中、メディアがどんな「品格」をもって報道をするのか、とても気になるのである。

というのも、スポーツ放送のバラエティ化がどんどんエスカレートしている中で、テレビ中継を見ていると、選手よりもそれを「応援」し「感激」するタレントのほうが主役になっている、というのが正直な印象だからである。
おまけに「応援」も「感激」も、わざとらしいものが多いしなぁ。

それと、選手自身を芸能タレントのように扱うのも、よくない。
選手はあくまで選手として、客観的に報道するのがメディアの役割だろう。

そんなことを思っていたら、新聞でこんな記事を見つけた。

フジテレビは、今回のバンクーバー五輪では、スポーツ中継の基本に立ち返ると宣言。選手と競技を主役にした中継に徹する方針で、タレントキャスターの起用は見送った。民放としては異例の決断である。

…という記事である。

逆にNHKでは、初めてタレントを起用するそうである。
まぁNHKはアナウンサーが優秀で、民放アナのようなバカ騒ぎや感動の押し付けがないので、こちらはあまり心配していない。問題は民放なのだ。

このフジの宣言には「ほんまに、ほんまか…?」と念を押したくなる。
「選手と競技を主役にした中継に徹する」というのは、特にアマチュアスポーツの最高峰であるオリンピックの場合、考えて見れば当たり前の話なのだけれど、今の世の中ではそんなことは通用しなくなっている。それだけに、どのような中継をするのか、とても興味深い。

ただ、これがフジテレビだけに、ひとつ気になることがある。

「とくダネ!」のキャスター小倉智昭が、バンクーバーへ行くとか行かないとか…。

彼は大きな大会になると必ず現地に行く。そして、どの選手もみんな自分と個人的付き合いがあるかのように得意満面に吹聴し、選手へのインタビューも態度が尊大で、鼻持ちならない。そして結果に合わせて、「こうなると、僕は思っていましたね」とか「ほらね、僕が言ったとおりでしょう?」と、日本のスタジオに向けて自慢する。

フジテレビが「タレントキャスターの起用は見送った」と宣言するのなら、この小倉智昭の使い方についても、よ~く、考えてほしいものだ。

まあ、それにしても、フジも含めてだが、各テレビ局が、出演者仲間だけでワイワイとお祭り騒ぎをし、おおげさに感動しまくって視聴者を蚊帳の外に置くという、最近のスポーツ中継の傾向を、少しでも是正するような気配が見られたらいいなと思う。僕たちはテレビ中継を通じて、スポーツの醍醐味を味わいたいのである。キャスターやタレントが騒いでいる光景なんて、ちっとも見たくない。

それこそ、メディアの品格だよ、品格。

 

 

 

 

 


 

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艱難辛苦のダイエット

2010年02月09日 | ランニング

どうも人間というものは、辛いことや苦しいことを我慢する…ということを忘れたとたん、堕落していくようである。

…と、急にウザい教訓を垂れる僕であるが、もちろんこれは自分自身に言い聞かせている言葉であり、ヒト様へのメッセージではない。現に、ヒト様は皆、辛いことや苦しいことを、ボンカレーの大五郎のようにじ~っと我慢し(古ぅ!)、乗り越えて生きておられるのだから、こんな言葉を聞いても、「何を今さら」と言われるのがオチであろう。

その昔、三田明が「美しい十代」で歌ったように、

♪ つらい~日もある 泣きたいことも 
  ある~さ それでも励ましあって うつくしい十代 あぁ十代 ♪

な~んて歌詞が、突然アタマに浮かび、この頃はず~っとそれを口ずさんでいるのである(こっちのほうが、もっと古ぅ~い!)。

で、それがどうしたのか…?

まあ、つまりその~、僕は最近の生活の中で、この「辛いこと苦しいことを我慢する」ということがなくなってきたのである。これは、我慢ができなくなってきた、ということではなく、我慢しなければならないような「辛いこと苦しいこと」自体がなくなってきたという意味なのだ。つまり、在職中に抱えていたさまざまなストレス(辛いこと、苦しいこと)が、仕事を退職してからは、なくなってきた…というわけです。はい。

なら、それでいいじゃないの…? 何がいけないの…? ということになるんでしょうけどね。このへんの説明が、難しい。

とにかく辛い苦しいことがなければ、幸せだなぁ~ということも感じない。

艱難辛苦(と言うのはちょっと大げさだけど)と幸福感とは、1枚のコインの表と裏なのだ。表がなかったら、裏も存在しない。

辛い苦しいことを自分に課さなければ、どんどん生活の質が落ちて行く…。
現に、僕はこのところの毎日に、どうもピリッとしたものを感じないのだ。

そこで、仕事から退いて10ヶ月が経った今月から、僕は、新たに艱難辛苦の道を歩む決意をしたのである  。

そして、月に向かい「われに七難八苦を与えたまえ」とつぶやいた。
(あんたは山中鹿之助か…?)

ま、そんなわけで、今月から本格的(?)なランニングを再開した。

なに、それ…? ランニングが艱難辛苦か…? と笑わないでほしい。
たかがランニングかも知れないが、これが本当にしんどいのである。

寒風の吹きすさぶ中、大和川の堤防のコースに出て走ると、向かい風の時は吹き飛ばされそうになる。顔が、氷のように冷たくなる。長い長いランニング・ブランクのせいで、身体が走るたびにお腹のあたりが、ぼてっぼてっ、と揺れる。足が重い。2日に一度は通うフィットネスクラブでの筋力トレーニングや水泳は、使う筋肉が違うので、今のところ快適なランニングの助けにはならない。すべてゼロからのスタートである。

走りながら思ったのであるが、今の自分にとって、軽快に走るために最も必要なものは減量である…ということに改めて気がついたのだ。わが家にある4キロの鉄亜鈴をよいしょと持ち上げたら、その重さは半端ではない。今もし自分の体重からこの4キロ分軽くなれば、どれだけ楽に走れるだろうか。特にお腹のポッコリ出たのが、ランニングに邪魔になる。
よ~し、ダイエットして、今から4キロ体重を落とそう。
お腹をへこまそう。

そう決意した。

そして…
たとえば一昨日の日曜日は、へとへとになりながら、15キロ走った。
と言っても、超スローペースで、しかも途中で歩いたり、立ち止まって体操をしたりしていたので、「走った」というのはおこがましいが、とにかく15キロを、自分の足で動いた。食事の量はこれまでの7割程度に落とし、夜の飲み物はビールの代わりに「カロリオフ」の缶チューハイ1本にした。

昨日は朝から6キロを走り、帰ってきてすぐにフィットネスクラブへ行き、午前中はそれで終了。身体の状態は、特に下半身がヨロヨロであったが、夜の食事を終えてからは、妻とウオーキングに出た。

ふにゃふにゃになるまで運動して、食事を減らして、ビールを我慢して…
これ以上の艱難辛苦はない  。

これで僕にもまた、辛い苦しいことができた。
ここを乗り越え、人生の幸せをつかまなければならない。

いつまで続くかアヤシイものだけど

ところで、いま書きながら気がつきましたけれど、
「辛い」という字と「幸せ」という字が、よ~く似ていますね。

そういえば…むかし

♪ 若いという字は苦しい字に似てるわね~ ♪

という歌がありましたっけ。 これまた古ぅ!(なんのこっちゃ)。

 

 

 

 

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朝青龍問題 最後に一言

2010年02月06日 | ニュース・時事

昨日や今朝のテレビでは、朝青龍の引退に関して「平成の大横綱」と称え、過去のさまざまな映像を流し、芸能人らにもインタビューしていた。芸能人なんかに感想を聞いても、たいていは「寂しい。人間だから失敗もあるのにね~。残念です」(北島三郎)のような声ばかりで、毒にも薬にもならぬ。

サッカーの日本代表監督の岡田氏などは「聖人君主でなければならないのか」と朝青龍を擁護していた。相撲をサッカーと同じように思っている。そんな頓珍漢なことを言っていて、大丈夫なのか? 今年のW杯の戦いは。いっそ、サッカー好きの朝青龍をゴールキーパーにでも採用すれば?

しかし、「平成の大横綱」というのは、貴乃花の代名詞ではなかったか。
大横綱と呼ぶからには、心技体がそろわなければならない。「心」の部分に致命的な欠陥があった朝青龍を、マスコミは優勝回数だけを取り上げ、勝手に「平成の大横綱」と呼び始めている。それが甘やかしというのである。どうもマスコミは、朝青龍をこっぴどく非難したり、急に持ち上げたりと、実にいい加減で定見がない。出てくるコメンテーターも、変なのが多い。ロクに相撲も見たこともないニューハーフみたいなのが「朝青龍のお相撲が見られなくなるのは残念ですよね~」なんてヌカしておる。引っ込め。
(うぅっ、このブログもだんだん表現に品格を欠いてきておるなぁ)。

僕からみると、石原慎太郎東京都知事のコメントが最も正鵠を射ていた。
「強いからと言って文化を壊す…そんな人間は相撲界から追放して当然だ」

その「文化」で思い出したが朝青龍という四股名の読み方にも疑義がある。

余談めくが…
「青龍」という言葉だが、あれを、なぜ本来の「せいりゅう」と読まず、
「しょうりゅう」とひねくって読むのか? 誰がつけたのか知らないが。

御承知の通り、高松塚古墳の四神とは、東西南北の四方の守り神を指すが、東は青龍、西は白虎、南は朱雀、北は玄武である。

青龍は「せいりゅう」と読むのが正当で、もし四股名に使うのなら、朝青龍(あさせいりゅう)としなければならない。それを「しょうりゅう」と読むようにしたことも、日本文化の軽視・無視、あるいは無神経から来る浅知恵である。確かに「しょうりゅう」という読み方もあるにはあるが、あくまでも正当な読み方は「せいりゅう」だ。これは以前、ある歴史学者も指摘していたところだ。「ことばの伝統を壊している」と。

本人に言わせれば、彼が通っていた高知県の明徳義塾高の近くに「青龍寺」という寺があり、それが「しょうりゅうじ」と読んでいたから、それにちなんだだけ、とのことである。親方がもう少し賢かったらなぁ、とまた思う。

しかしまあ…いずれにしても彼は相撲界から去ることになった。
これでもう、あの、投げられても最後までまわしを離さない危険な相撲も、相手が土俵を割っているのに更に土俵下に突き落としたり、相手が転んでいるのにまだ手をかけようとしたり、ヤクザのような粗暴な態度で相手を睨みつけたりという、不愉快な土俵を見ることがなくなったのでせいせいした。
春場所からは、ゆっくりと、心穏やかに相撲見物が楽しめるというものだ。

相撲ファンとしては、確かに朝青龍は小さな身体で並外れた瞬発力と勝負勘を持って、多彩なワザを出し、面白い相撲が多かった。横綱になるまで、よほど努力をしたのだろう。しかし、横綱になってから、彼の傲慢な態度が目立ってきた。地位が人を作る、というが、朝青龍は逆に、地位がどんどん人間性を低劣にしていった。横綱という地位におぼれてしまった、ということであろう。これまた親方の責任だろうけど、外国人に日本の文化(特に相撲の世界のような独特の文化)を理解させることの難しさが、この朝青龍問題で、改めて浮き彫りにされたといえる。

それにしても、日本人力士のふがいなさには呆れてものも言えない。
こちらのほうも、なんとかならないものか。
それとも、朝青龍がいなくなったことで、みんな伸び伸びと、いい相撲を取れるようになるかも…という一縷の望みは持ちたいけれど。

さて、朝青龍のことを、しつこく書いてきたけど、もうこれを最後にする。
当然、僕と考え方の違う人たちも数多くおられるだろう。
あまり延々と書くと、そういう方たちも気を悪くするに違いない。
もうこのブログを、読んでもらえないかもしれない(笑)

テレビ局に望むが、引退したからといって、あまり朝青龍を美化しないでほしい。そういうことをすると、むしろ朝青龍が残した教訓が消えてしまう。

内館牧子さんがおっしゃったように、「第二の朝青龍を出してはいけない」ためにも、マスコミも相撲協会とともに、今回朝青龍が強制的に引退に追い込まれるまでの経緯を、厳しく受け止めなければならない。

テレビ局も安易な美談番組を垂れ流すことは、慎むべきである。

 

 

 

 

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朝青龍 引退

2010年02月05日 | ニュース・時事

朝青龍が引退した。本来ならクビである。クビ宣告をされる前に、自ら引退をした…という形を取るほうが、見た目にもいいし、何よりも億単位の養老金や功労金などが支給される。事件をうやむやにして「円満」に「解決」するためには、この方法しかなかったのだろう。

これまで世論を無視あるいは軽視し続けてきた相撲協会も、さすがに今回のことは放置できなかったようだ。朝青龍に甘い人間の多かった横綱審議委員会も、世間を気にしてか、初めて引退勧告なるものを出した。

この件をきっかけにして、朝青龍の狼藉ぶりは、別の件にまで及んでいる。大阪北新地のホステスを暴行したり、元夫人に、前歯を折るほどの暴力をふるったりしていたことが、次々と暴露され始めた。いくらでもボロが出てくるわけだから、これにフタをするためにも、自分で辞めるしかない…ということであろう。結局、今回の「殴打事件」は、本人が会見で、「メディアに流れたことと実際にあったこととは違う」と言うばかりで、何がどう違うのかを聞かれたら、自分は去る人間だから話すことは控える、と言い、最後まで正直に話そうとはせず、灰色のままで終わりそうである。

彼が会見で見せた涙は、過剰な自己愛から出た悔し涙であろう。彼の中では、自分だけが可愛くて、他人は全てその引き立て役に過ぎない。

決して「涙の記者会見」などと美化されるものではないし、引退したからと言ってこれまでの行動がすべて白紙に戻るわけでもないし、マスコミなどが急に朝青龍に同情的になるのもおかしい。

朝日新聞のある記者は、以前、朝青龍の記者会見で責任の取り方など2、3の質問をしたら、後日当人から「しつこい質問をしやがって」と悪態をつかれた…と今朝の記事に書いている。昨日の比較的穏やかだった応答が、うわべだけだったのは、目に見えている。

一部の評論家は「引退はいさぎよい判断」と言ったりしているが、詰め腹を切らされてしぶしぶ辞める人間の、どこがいさぎよいのか…?
昨日の記者会見は、精一杯見栄を張っていたものであろう。

引退会見のあと、ある記者から、自分の何が悪かったと思うのか?と問われた朝青龍は、「いいじゃないか、終わったことじゃん」と答えたそうだ。

最後まで人を舐めた態度を改めないまま、土俵を去る朝青龍であった。

それにしても、朝青龍の親方 → 高砂親方は、形ばかりの降格だけのようだけど、こちらのほうの責任の取り方はどうなるのだろうか…?

 

 

 

 

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確定申告相談会場で 

2010年02月04日 | 日常のいろいろなこと

先日、近くの市民会館に設置された「確定申告相談会場」へ行ってきた。
確定申告の場に足を運ぶ、というのは、初めての経験である。

長年、公務員として市役所に勤めていたので、税金は給与から自動的に引かれているし、年末になれば、人事課から回ってくる年末調整の用紙に書き込むだけでOKであり、わずらわしい手続きも何もする必要はなかった。

しかし、退職したら、そういうわけにはいかない。当然のことであるが、税の申告は、自分でしなければならないのだ。あぁ、面倒やなぁ。

僕は、38年間市役所に勤めていたからと言っても、その3分の2は議会事務局に所属していたし、他には、総務課の法規の関係や、広報の関係に携わっていたのがほとんどで、税務に関しては、ほぼ無知と言っていい。だから、確定申告というものがどんなものなのか、詳しく知らない。いつか入院した年に、医療費控除を受けるため、確定申告をしたことがあったが、これは妻が提出に行ってくれた。それに、書き方がわからない時は、そういうことに詳しい職場の職員に聞けばよかった。でも今年からは、まわりに聞く相手もいない。あぁ、孤独やなぁ。

妻が藤井寺市役所からもらってきてくれた「所得税の確定申告の手引き」という説明書と、申告用紙(下書き用紙も入っている)を広げて、いよいよ書類との格闘が始まった。書かれてある堅苦しい文言を、一字一句理解するのは、なかなか難しい。

去年は3月まで市役所から給料をもらっていたので、その分の源泉徴収票と、4月から受け取っている年金の源泉徴収票の2枚を用意する。これが、僕の去年1年間の収入額と、納めた税額の証明となる。(退職金は、独立したもので、すでに確定した税を引かれて支給されているので、確定申告には特に入れる必要はないそうだ)

それぞれの金額を、所定の欄に記入し、その下に所得の合計額を記入する。

その次は所得から差し引かれる金額(所得控除)の記入と計算だ。

まず、社会保険料控除。
3月までは、健保組合への掛け金は、給料から自動的に引かれていた。
そして、退職後は同じ健保組合の任意継続というものに切り替わったので、
4月から翌年3月までの1年分の掛け金を一括して納めた。それらの掛け金を合計した額を、ここへ書き込む。

続いて、生命保険と地震保険の額を、それぞれの欄に書き込む。
そして、それに配偶者控除と、誰もに適用される基礎控除(ともに38万円)を加えたものが、所得から差し引かれる額、つまり所得控除額となる。

これで、所得金額と、所得控除金額が確定した。

所得金額から、所得控除額を差し引いた額が、課税される所得金額となる。
そして、これに対する税額を、説明のとおり計算してはじき出す。

この税額から、僕が3月まで受けた給与と4月からの年金にかかる税(つまり、既に支払っている税金)の額を引くと、ようやく申告納税額にたどり着くのである。あ~しんど。

僕の場合は、既に支払っている税額のほうが多かったので、この計算式ではマイナス何万円かになった。マイナスというのは、つまりその金額の還付を受けることができる、というわけである。

いちおう、これだけ計算して、下書き用紙に書き込み(用紙には他にもいろいろ書き込む欄があるけれど、主なものは今あげたものである)、給与、年金の源泉徴収票や生命保険会社から送られてきた証明書などを漏れなく封筒に入れ、寒風の中を、市民会館の確定申告相談会場へ向かったのである。

「は~い、整理番号を取ってくださ~い」
会場では、オレンジ色の派手なジャンパーを着た職員が、次々とやってくる人たち(主に中年女性と年寄り)に声をかけている。待合室はほぼ満席である。僕も93番の札を取って、長椅子の狭い隙間を見つけて「すんませ~ん」と会釈しながら座り込んだ。

「50番の札をお持ちの方ぁ、どうぞ、会場内に入ってくださ~い」
オレンジのジャンパーが大声で呼ぶ。
僕の番まで、まだ、かなり時間がかかりそうだ。

しばらくすると、誰かが肩をトントン叩いた。
振り返ると、ニット帽をかぶった見覚えのある顔がニッコリ笑っている。
「あ、おひさしぶりですね~」と僕も立ち上がってあいさつした。
元藤井寺市の議会事務局長で、僕より1年先に定年退職をした人である。

「もう、退職をしはったんですか?」とその人に聞かれたので、
「そうです。去年3月に…」
「はぁ、そうですか。で、今は何をしてはりますのん?」
「いやぁ…」それを聞かれると、つらい。
「まあ、そのぉ、別にぃ…」と言葉を濁す僕。
「あぁ、なるほど…」と、相手が助け舟を出してくれる。
何が「なるほど」なのか、よくわからないけれど。

どれくらい待っただろうか。
やっと「93番の札をお持ちの方ぁ~」の声がかかった。

中へ入る。
会場は広々としており、あちらこちらにテーブルがあった。
入り口の案内の職員が、「どうぞ、こちらの席に…」と案内してくれた。
そこに、今度はオレンジのジャンパーではなく、市役所の正規の制服を着てネクタイを締めた若い男子職員が座っていた。
「どうぞ、どうぞ、お座りになってください」と立ち上がって一礼する。
感じのいい職員さんである。

僕は、おもむろに書類を取り出して、
「いちおう下書きを書いてきたんですけど」と言いながら、去年3月に退職をしたので3月までは給与収入があり、4月からは年金収入になったことや、社会保険控除のそれぞれに内訳を説明したりした。

「はい、はい、そうですね。こちらは、これで結構ですよね」
と、若い職員は僕の説明を聞きながら、てきぱきと書類に目を通していく。

2ヵ所ほど、僕のミスがあった。
「これは、あちらで税理士さんにまた御確認ください」
彼はそう言って、会場の奥のほうを指差した。

奥のほうには、パソコンがずらりと並び、その前でぱたぱたと入力しているのが税理士さんなのであろうか。それを、横から覗き込んでいるのが、どうやら、相談に来た一般の人のようである。

「この項目は、別の計算式がありますので…」
と、目の前の職員が、僕の間違っていたところを丁寧に説明してくれ、
「じゃぁ、あちらの椅子に座ってお待ち願います…」
と言ったのであるが、僕はその時、何気なくその若い男子職員の胸に付けられていた名札を見た。

「あれぇ…?」
その名札には、「田○出」という苗字が書かれていた。
これはとても珍しい苗字である。しかも僕は、この苗字に覚えがあった。

そうだ。藤井寺市に隣接している▽▽市の議会事務局長が、「田○出」という苗字だった。

僕はこの局長とは勤めている市役所は違うけれど、昔からよく知っていた。15年前に実施された大阪府下の市職員の海外研修旅行に、僕は松原市役所から参加させてもらったが、彼は▽▽市役所から参加し、顔見知りになった。

それから10年以上経ち、2、3年前、その「田○出」さんが▽▽市の議会事務局長になり、再び交流が始まった。地域ブロックの議会事務局長会というのがあったが、その中でも、僕は「田○出」さんと一番仲がよかった。

目の前にいる男子職員の名札を見て、
「あのぉ、話は違うんですけどね…」
「は…? 何でしょうか」
僕は、彼の胸の名札を指差して、
「そのぉ…『田○出』さんというのは、非常に珍しい苗字ですよね」
「あ、そうですね。よく言われるんですよ」
「ところで▽▽市役所にも『田○出』さんという方がおられるのですが…」
と、僕がゆっくりとした口調で言うと、
「はい。あれは、私の父です」と、答えが返ってきた。

げげげげげげぇ~。

僕はびっくりして、
「へぇ~、息子さんですか? お父さんのこと、よく知ってるんですよ」
僕はあらためて、前に座っているその職員の顔を見た。
顔は、全然似ていない。息子のほうが、段違いにハンサムである。
ただ、愛想がよくて親切なところは、父親と一緒だ。

僕は、彼のお父さんと僕が知り合った経緯などを手短に話した。
彼のほうも、自分のことを少し話した。
「藤井寺市役所に就職したときは、会計課だったんですが、そのあと税務課に来ました。もう30歳なんですよ」と彼は笑い、
「また市役所に御用の際は、どんなことでもお申し付けください」
礼儀正しく、笑顔でそう言ってくれた。
「ありがとうね。お父さんによろしくと伝えておいてね~」

思いがけない「出会い」に心弾ませながら、僕は次の場所 → 税理士さんに正しい確定申告書を作ってもらうコーナーへ、歩いて行った。

                  (続きは、また次回にて)

 

 


 

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早く朝青龍をクビにせよ

2010年02月02日 | ニュース・時事

今さら何を騒いでいるのだ…という気持ちである。

朝青龍については、これまで、僕はブログの中でも散々ボヤいてきた。
「品格に欠ける行為」は、何も今に始まったことではない。
力士になってから、ず~っと、品格を欠いたままである。
横綱として品格を欠く…どころか、人間としての品格も欠く。
いや、この男に品格という言葉を持ち出すこと自体、汚らわしい。

もはや、品格がどうこうという次元ではない。
この傲慢男は、社会人としての最低限の常識すら持ち合わせていない。
もはや、アホ青龍、としか呼びようがない。

早くクビにしてくれ…と、何年も前から、何回も書いてきた。

本場所中の真夜中に泥酔すること自体、力士失格である。
(しかし翌日の相撲によく勝つもんだなぁ。よほど他の力士が弱いんだ)
そして、一般人に暴力を振るい、大怪我を負わせている。
「週刊新潮」によると、「川へ行け。殺してやるよ」と言ったとか。

ボクサーとかプロレスラーとか相撲取りなどが、市井の人に暴力を振るうのは、すでに人間の行為ではない。圧倒的に力の強いほうが、弱者に襲いかかるというのは、ケダモノの世界である。

このまま、灰色のままで終わらせるわけにはいかない。
相撲協会は、一日も早く、朝青龍を相撲界から追放してくれ。永久に。
もう、あの顔を見るのは、たくさんである。


これは2008年9月に書いたブログです。↓

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/ab9bec715ad602cf3776571f69e3dab8

朝青龍が、「怪我」を理由に巡業をすっぽかしてモンゴルでサッカーをし、謹慎処分になると「心の病」と称してモンゴルに帰って温泉でくつろぎ、またケロリとして日本に帰ってきて、はい、謹慎期間は終わりました…というあの話。このごろ、またテレビで何度も流されているので、再び有名になった話。あの時点で、朝青龍はクビにすべきであった。なのに、相撲協会は、相変わらずの甘い処分でその場をしのいだ。

当時の北の湖理事長は、なぜか朝青龍をかばい続けた。そんな生半可なことをしているから、今回の騒動にまで発展したのである。いつまで経っても、同じことを繰り返すのが朝青龍なのだ。何年も前からわかっていることである。朝青龍は「協会はオレをクビにできまい」と高を括っているので、懲りる、反省する…ということがない。会見での反省の弁を聞いていても、心から反省している様子はカケラもない。ふざけやがって。

アホといえば、元朝潮の高砂親方も、どうにもお粗末過ぎる男である。
これも、アホ潮、と呼ばなければならない。
この親方は、現役大関の時代、7勝7敗で千秋楽を迎えた場所が6度あったが、すべて勝って、めでたく勝ち越しているというアヤしい力士である。
(その相手は、すべて既に勝ち越しを決めている力士だった)。

朝青龍が問題を起こすたびに、親方の指導不足が叫ばれる。
毎度同じことを叫ばなければならないマスコミもうんざりしていることだろうが、それを聞かされる人たちは、もっとうんざりである。

そして、そのアホ潮にすべて一任する無責任な相撲協会。
武蔵川理事長の対応も遅いし、どこまでも中途半端である。

事件そのものも、示談がどうとか、なんだか、ますますわけがわからない。
ウラで、もみ消しのための金が動いていることは、誰にでもわかる。

2008年9月の自分のブログを読み返すと、最後の方にこう書いている。

        
            ↓

先日、貴乃花親方が、大麻疑惑が起きたときに、
「前代未聞の大変な問題。相撲界は、秋場所を休むことも視野に入れるべき」
そう言った勇気には、拍手を送りたい。
「心・技・体の揃った最後の凛々しい名横綱」といわれた貴乃花親方にこの際、理事長になってもらって、大相撲の将来を任せるくらいでちょうどいいのでは…と思うのだが、いずれにしても、今の横綱朝青龍がのさばっている限り、その悪いところを真似する外国人力士が後を絶たないので、改革はやっぱり望み薄である。
この出来損ないの横綱を「解雇」することが何よりも、これからの大相撲をよくする一番の方法だと思う。それくらいのこと、みんなわかっているだろうに…。

           ↑


折も折、昨日の理事会選で、貴乃花親方が予想を覆して理事に当選した。
(ぱちぱちぱち。こういう流れを、以前から強く期待していた僕である)

時代は変わっている。相撲協会も、そのことを思い知るべきである。

貴乃花親方も、理事になったとはいえ、急に大きな改革ができるとは思えないが、幸い、おおかたのマスコミや世論も応援している気配なので、決して焦らずに、さまざまな課題に取り組んでほしい。

4日に新しい理事による理事会が開かれる。
ここで、スパッと、朝青龍の解雇処分を決定されることを望む。
それ以外の処分では、また同じことを繰り返すであろう。

 ………………………………………………………………………………

 
ついでだから、朝青龍に関する過去の自分のブログ記事を挙げときます。
ただし、朝青龍のファンの方は、ご覧にならないでください(笑)。
腹が立つでしょうから。
(もっとも、朝青龍のファンなら、ここまで読まないだろうけど    )


http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/7d52fba7eaa6e374995506e7e23e9873

http://blog.goo.ne.jp/yunomine1409/e/eaddd42b53488525ae6d1980f259360f

 
下の方は、「のん日記」の前に、僕がやっていたブログです。

 

 

 

 

 

コメント (5)
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