僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 メタボ男の逆襲

2008年07月30日 | 日常のいろいろなこと

昨日の朝、役所の事務局に出勤したら、部下のコバヤシ君が近づいてきて、
「み~んな、良くなっていましたよ。何もかも」
やせこけた顔をシワだらけにしてえへへと笑い、人間ドック検査結果表を僕の目の前に広げて見せた。彼は前の日に、年に1回の人間ドックを受診してきたのである。その結果が、去年に比べて、医者も「信じられない…」と唸るほど、あらゆる数値が劇的に良くなっていた、ということらしい。

「のんさんに見せてあげようと思って、結果表を持ってきましてん」
「へぇ~。それはそれは、律儀なことで」
僕も病気を抱える身で、二ヶ月に一度血液検査をしている。この種のデータにはかなり詳しい方だし、関心も強い。よしよし、見せてもらおうじゃないか。

ご記憶の方もおられるかも知れないが、今年の3月に、僕は「超過激ダイエット報告」という記事を書いた。コバヤシ君が去年8月の人間ドックで、医師から「メタボです」と言われショックを受け、一念発起して過激とも思える徹底したダイエット生活を続けたことを「直撃取材」したものだった。

ダイエットの詳細は、「コバヤシ君の大減量作戦」と題して、そのときのブログに詳しく書いてありますので、興味のある方はどうぞお読みください。ちなみにコバヤシ君は46歳。身長は1メートル70センチです。

              

さて、過激なダイエットには、リバウンドがつきものである。いったんダイエットに成功しても、反動のため結局元の木阿弥に…ということも珍しくない。コバヤシ君も、それには十分気をつけていた。夜に歩いたり走ったりしていたが、膝を痛めると、今度は自転車を1時間以上ぶっ飛ばして脂肪を燃やす…という不屈の努力を続けていた。そしてその後もさらに体重を減らし、最大89キロだったのが、いまでは67キロにまで減量した。そして、1年ぶりの人間ドックに臨んだわけだ。

去年コバヤシ君にメタボ宣告をした医師が驚いたのも無理ないと思う。
コバヤシ君の検査結果表を見せてもらったら、確かに信じられない数値が並ぶ。
去年の数値との対比がされていて、激変ぶりがはっきりわかる。

まず体重がこの1年で22キロ減った。顔つきからして変わってきた。見かけがちょっと病人っぽいが、これはまあ急に痩せたのだからある程度は仕方がないだろう。ウエストが、97センチから77センチになった。お腹が、ペコンとへこんでいる。
「新しいのを買わないと、穿けるズボンがありまへん」と目を細めるコバヤシ君。

ガンマGTPなどの肝臓の数値も「要注意」から正常値の範囲に収まっている。
血圧も空腹時の血糖値も「異状アリ」から正常範囲に戻っている。
体脂肪は28から14になった。なんと、半分である。
尿酸値は、僕も薬を服用中だが、コバヤシ君は去年は8.5で、僕より高かった。
それが、ことしは7.0にまで落ちた。
悪玉コレステロールが大幅に減り、善玉コレステロールが増えた。
脈拍数も、安静時に1分間82もあったのが、60に落ち着いた。
「心臓も、お腹の脂肪の圧迫がなくなって、働きがよくなったらしいです」

中でも最も目を引いたのは、中性脂肪の激減ぶりであった。
去年の夏の数値は400いくらだったのが、今年は80いくらまで落ちていた。
5分の1だ。1年間で、ここまで数値が落ちるものなのか。

「去年の結果が、あまりにも悪すぎたのです…」とコバヤシ君は言う。
「消化器・循環器機能のほとんどの数値が、正常値からはみ出していました」

前にも書いたが、コバヤシ君は、うつ病的な心の問題を抱えていた。
先の職場は、国民健康保険を担当する課だったが、数ヶ月間、病気欠席を続けていた。仕事に対する責任感が強く、物事を深刻に受け止めすぎる性格が影響したのか、精神的重圧から過呼吸を起こし、仕事に出ることができなくなった。医師に処方してもらった何種類かの抗うつ剤や安定剤を飲まなければ、すぐに過呼吸症状が起きて「死ぬかと思う」ような激しい発作に見舞われるという。それと同時に、食べることでストレスを解消しようとし、しかし運動のほうはやる気がしない…という悪循環を繰り返して、体重が増え続けた。

それが去年の4月の人事異動で僕の職場に移ってきて、その症状は少しずつ改善されてきた。それでも今年3月の時点ではまだ薬に頼っていたし、朝に電話が掛かってきて「今日は調子悪いので休ませてください」という連絡も時々入った。 
 

しかし最近では、この職場になじんできたことと「肉体改造」が効果を表わしてきたことがうまくかみ合って、コバヤシ君には自信が戻ってきたようである。あれほど頼っていた抗うつ剤や精神安定剤を飲まなくても、今は出勤できるという。

この職場環境も、コバヤシ君に合っているのだと思う。僕たちの職場は、議会開会中以外は残業もないし、市民からの苦情を直接受けることも少ない。人間関係もすこぶる良く、みんな仲がいい。まして僕は、コバヤシ君とは、表面では上司と部下の関係だが、実際には彼が18歳で役所に入ってきたときからの年下の友人であり、いっしょに駅伝チームで走ったり、酒を飲んだりしてきた仲間なのである。

検査結果表を封筒の中に押し込みながら、コバヤシ君はいつになく神妙になって、
「本当によかったです。クスリも飲まずに過ごせていますし、ダイエットもこの職場にいるからできたのです。前の職場のままだと、うつ症状も良くなっていないだろうし、それどころか、あのままメタボで生活習慣病にもなっていましたよ」
と、ボソボソと述べたあと、
「ここの職場に来させてもらったおかげです。ありがとうございます」
とペコリと頭を下げた。

「あははは」僕は、笑って答えた。
「職場というより、それはお前やからできたことや。そんなアホみたいな過激なダイエット、ほかに誰ができるねん」

まあまあ、よかった。心身の安定を取り戻したコバヤシ君を見るとホッとする。考えてみたら、むしろまだ安定剤と縁を切れない僕自身のほうが問題なのだ。…といっても、僕はあと8ヶ月で定年退職だからいいけれど、将来のあるコバヤシ君は、1日も早く心身のモヤモヤを克服して、いい仕事をしてもらわなければならない。

過激なダイエットも、1年ぶりの人間ドックで見事に実を結んだ。
コバヤシ君は、ケタ外れの努力で、心身の健康を取り戻したのである。
えらいなぁ、と思う。

たった1日のビールすらやめられない意志薄弱な僕には、とうていできないことである。   

 

 

 

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 死 闘 PL学園対近大付属

2008年07月28日 | スポーツの話題

その瞬間、僕は「やったぁ」と叫ぶこともなく、パチパチパチと拍手をして小躍りすることもなく、ただ息を潜めてテレビの画面を見つめているだけだった。3時間半を超える熱闘の末、延長12回裏、近大付属高校が、PL学園をサヨナラ勝ちで破り、15年ぶりの甲子園出場を決めたその瞬間である。

第90回全国高校野球選手権の南大阪大会決勝戦は、昨日午後1時に始まった。
前日、北大阪大会決勝では大阪桐陰が甲子園出場を決めていた。

僕は1時から中継されるテレビの前で、ほんの少し緊張していた。
南大阪大会の決勝戦は、PL学園と近大付属高校との対戦である。

僕の住む藤井寺から近く、同じ私鉄沿線にある富田林市のPL学園は、周知のとおり高校野球では一番と言っていい有名校であり、僕たちの誇りであった。今年4月に桑田が引退したときには、PL学園の思い出をこのブログに書いたこともある。
         
http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/24b8cd9a3493fed96c5328bb33fc1712

その有名校のPLも、ここ数年、甲子園出場から遠ざかっていた。
「やっぱり、大阪代表はPLやないとなぁ…。相手への威圧感が違うわ」
そんなことを思いつつ、今年の予選結果をずっと新聞で追っていた。
そして、PLは、清原以来という1年生の4番打者勧野を擁し、決勝まで勝ち上がってきたのである。当然、決勝戦はPLを応援したいところである。ところが…

PLの対戦相手である近畿大学付属高校は、僕の母校であった。

きょうだけは、PLを応援するわけにはいかなかった。
ぜひ近大付に甲子園に行ってもらいたい。
もう14年間も夏の甲子園には行っていないのだ。

近大付の生徒だった3年間、野球部を応援し続けた。僕のクラスに野球部員が大勢いたので、予選になると球場へ行き、みんなで応援した。しかし近大付はいつもPL学園に敗れ、宿願を果たせなかった。それが、ついに甲子園に初出場を果たしたのは、僕が卒業した時の、4月の選抜大会であった。僕はなりたてほやほやの卒業生OBとして、甲子園に応援に行った。

遠い昔を思い出しながら、胸を締め付けられるような気持ちでテレビを見た。
甲子園出場をかけた大一番で、PLと近大付が激突する…。
まさか今年、近大付がここまで健闘するとは思わなかった。決勝戦で強豪PLを破って甲子園への栄光を射止める…という確率は、きわめて低い。下手をすればボロ負けするかも知れない。そんな思いを抱いて、テレビ画面を凝視していた。

初回、いきなり近大付が先制点を取ったときも、「スミイチ」という言葉がすぐに浮かんだ。1点くらい、PL打線にすぐにひっくり返されてしまうであろう。

案の定、3回に「清原2世」1年生の勧野に本塁打を打たれるなどして3点を取られ、あっさり逆転された。しかし5回に1点を返したときは「おぉっ」と思った。
大敗は免れるかも知れない、という程度だったが…。

7回にPLはタイムリーを連ね3点を取った。6対2。4点差がついた。
8回裏、4点を追う近大付の攻撃。この時点で僕はほとんどあきらめていた。
PLの選手にも「よっしゃ、勝ったぞ」という心の隙があったのかもしれない。
8回裏に、近大付は3点を返したのである。まさか…1点差への追い上げ。
テレビの前に寝転んでいた僕は、身体を起こして背中を伸ばした。

目の前の展開が信じられなかった。
9回裏、近大付は怖ろしい粘りを発揮して、一死満塁と攻め立てた。
しかし、ここで打者は当たりそこないの三塁ゴロ。
うぅ~、三塁ランナー封殺…と思ったら三塁手がボールをお手玉した。
どたん場で、ついに同点に追いついた。
一気に逆転サヨナラ機を迎えたが、ここはPLの投手に抑えられて延長戦。

う~ん。ピンチの後にチャンスありだ。PLは延長10回の表に二死から1点を挙げた。しかし10回裏の近大付もまだまだ粘る。無死1、2塁のチャンス。だが、ここで強攻策が裏目に出て、ダブルプレーで二死3塁となった。「なんでバントで送らなかったのだぁ!」と、僕はテレビに向かって叫んだ。もうダメ、と思っていたら、次の打者の打球が、ライトのラインギリギリのところへ落ちてまた同点に追いついた。もう僕は独り言を叫ぶのにも疲れ、深呼吸しながらそのシーンを見つめていた。

11回は両軍無得点。
12回表もPLは0点に終わった。
12回裏に、最後のドラマが待っていた。
一死2塁で、近大付のバッターが相手ピッチャーの足元へゴロを放った。
ピッチャーはそれを取り逃がす。
球はセカンドベース付近へ転がり、遊撃手がつかんで一塁めがけてびゅ~んと投げた。だが、非情にもそのボールは大きく逸れて一塁手に届かず、ファウルグラウンドに転々ところがっていった。その間に、近大付の二塁ランナーが三塁ベースを蹴り、ホームに走りこんだ。

歓喜に飛び跳ねて抱き合う近大付の選手たち。
グラウンドに泣き伏せるPLの選手たち。
あまりにも残酷な明暗に心が引けて、僕は喜びの声が出なかった。

8対7。延長12回、サヨナラ勝ち。
近大付が、PLを制して15年ぶりの甲子園出場を決めた瞬間だった。

    ………………………………………………………………

試合終了後、近大付の校歌が球場に鳴り響いた。
テレビ画面の下に出た歌詞は、僕にもなじみ深いものだった。
3年間、毎朝、学校での朝礼のときに、この校歌が流れ、日の丸と校旗がスルスル上がって行くのを、気をつけの姿勢で眺めていたのを、なつかしく思い出した。

 


 
 7月28日 朝日新聞大阪河内版
 

 

 

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 なぜ 「ひらがな」 なのか?

2008年07月27日 | ニュース・時事

いま日本全国には783の市があるそうだ。
「平成の大合併」で新しい市が続々誕生するとともに、市の名前のつけ方にも大きな変化が表れてきた。最も顕著な傾向は、ひらがな表記の市名が増えたことである。僕にはこれが、どうもしっくりこない。なんで漢字ではなく、ひらがなの市名をつけるのだろうかと、ず~っと疑問に思ってきた。 

ざっと調べた結果だが、漢字が混じったものも含め、ひらがなの市名には次のようなものがある。

つがる市   (青森県)
むつ市    (青森県)
にかほ市   (秋田県)
いわき市   (福島件)
かすみがうら市(茨城県)
つくば市   (茨城県)
つくばみらい市(茨城県)
ひたちなか市 (茨城県)
さくら市   (栃木県)
みどり市   (群馬県)
さいたま市  (埼玉県)
ふじみ野市  (埼玉県)
いすみ市   (千葉県)
あきるの市  (東京都)
かほく市   (石川県)
あわら市   (福井県)
いなべ市   (三重県)
たつの市   (兵庫県)
南あわじ市  (兵庫県)
さぬき市   (香川県)
東かがわ市  (香川県)
うきは市   (福岡県)
みやま市   (福岡県)
えびの市   (宮崎県)
いちき串野市 (鹿児島県)
南さつま市  (鹿児島県)
うるま市   (沖縄県)

…とまあこういう感じである。

ひらがなの市名は、僕の目にはなんとなく間が抜けているように見える。
漢字だと一定のイメージが湧くが、ひらがなではそれが希薄になる。

これとよく似た例で、市議会議員らの選挙の時の立候補名のひらがながある。
たとえば「大橋一郎」という候補者が、立候補届出名を「大はし一郎」としたり、「若山二郎」を「わか山二郎」としたり、「中尾三郎」を「なかお三郎」としたり…。難解な文字だとやむを得ないが、普通の漢字ならそのままほうが読みやすいように思う。また、漢字と仮名が混じると、「わか山二郎」なら、苗字が「わか」だと勘違いをされ、投票用紙に「わか」の2文字しか書かれない恐れもある。なぜそんな表記をするのか、これも昔から不思議な感じがしてならなかった。

市名の話に戻るが、「むつ市」や「いわき市」「えびの市」などは長い歴史を持ち、それなりになじみがある。しかしそれ以外は、この21世紀に入ってから誕生した市が大半だ。ひらがなの市名が、一種のブームになっているようにも見える。この傾向は、2001年に浦和市、大宮市、与野市が合併して「さいたま市」と名付けたことから始まったものだと思う。あれ以降、どんどんひらがなの市が増えてきた。「さいたま市」も、ずいぶんロクでもないことを先駆けたものである。

漢字は、それ自体に意味を持ち、その土地の長い歴史が反映されている。ひらがなの市名は、そんな地名の歴史や由来を、まるで無視したものと言わざるを得ない。

「つがる市」はなぜ「津軽市」ではいけないのか。「津軽」という漢字2文字にはさまざまな郷愁が漂う。それを、わざわざ、ひらがなにする意図がよくわからない。「かすみがうら市」などは、ひらがながダラダラと並ぶだけの印象しかない。「つくばみらい市」も、市名というよりイベント名のようであり、しかも取ってつけたようなわざとらしいひらがな表記で、いかにもモチャモチャしている。

「さぬき市」も、なぜ「讃岐市」にしないのだろうか。「さぬき市」なんて書かれると、まるでスーパーの、さぬきうどんの市(いち)の広告みたいである。

「にかほ市」「いすみ市」「うきは市」などは、字を見ただけでは何のことやらさっぱりわからないし、頭の中にどんなイメージも描くことができない。

「あきるの市」など、住んでもすぐあきるのではないか…というダジャレの一つも飛ばしたくなるほどだ。う~む。これはおやじギャグでしたね。失礼しました。

また、「さくら市」や「みどり市」という市名に至っては、どこに市の独自性があるのか。「さくら」とか「みどり」とかは、土地がどこであろうと無関係な名で、地域性ゼロである。住民から募集したのか、誰かが決めたのかは知らないが、こんな市名が良いと考える人たちの神経を疑う。そこにあったはずの古来の地名は、どこへ行ってしまったのだ。

地名は過去と現在を結ぶ無形の財産であり、こうした地名の歴史的側面は、大切にしなければならない。

たしかに現代は、あらゆるところに、ひらがなの「親しみやすさ」を求めようという空気が底流にあることは事実である。ひらがなにしておけば、何となくソフトなイメージがあるという漠然とした感覚が、そういう風潮を育ててきたと思われる。しかし、だからと言って、人の名前や各種の愛称ならばともかく、正式な市名にまでひらがなを使おうというのは、明らかに行き過ぎではないか。

作家の重松清氏もこう書いていた。

  銀行の「りそな」や「みずほ」、あるいは「もんじゅ」
  や「ふげん」もそうだけれど、ひらがなの愛想の良さで
  とりあえず丸め込もう…という人をナメたもくろみが
  そこに感じられないか?

まったく同感である。

むやみにひらがなの市名をつけて、過去の財産を粗末に捨てていくというのは、自治体が率先してやるべきことではないだろう。

…と、まあ声を大にして叫んでも、
「大きなお世話や。ほっといてんか」
とその土地の人に言われたら、それでおしまいですけどね…。

        
               
 
 

 

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 夏休みの1日

2008年07月24日 | 日常のいろいろなこと

昨日、夏期休暇をもらって1日家でくつろいだ。
午前中、モミィを連れて散歩しているとポケットの携帯電話が鳴った。
「もしも~し」と僕。
「もしも~し。あぁ、どうしたん? さっき役所に来たら、休んでいるということやったから。どこか、からだの具合でも悪いの?」
知り合いの、1歳年上の市議会議員さんである。
「いや、どこも悪くないですよ。夏休みをもらってゆっくりさせてもらってます」
そう僕が答えると、相手は、
「なんで? なんで休むわけ? きょうは一杯飲みの約束した日やろ」
「え…???」
「24日に行こうと言うてたがな。あの話、忘れたんか?」
「24日でしょ? 覚えてますよ、ちゃ~んと」
「ほんなら、なんで休んだりするの? 夜だけ出てくるのか?」
「あのねぇ」と僕は携帯を握りなおした。
横で、2歳9ヶ月のモミィが、
「でんわやでぇ。でんわやでぇ。だれからやろねぇ。だれからやろねぇ」
と、ぴょんぴょん跳ねながら、一人大声を張り上げている。
この子は、地声が大きいのである。
その姿を目で追いながら「何を言うてはるんですか?」と僕は続ける。
「きょうは23日ですよ、23日。飲み会は、明日ですがな」
ゆっくりと、はっきりと、相手にわかりやすいように、そう言った。
「うっ………」
と、言葉が途切れ、5秒ほど沈黙があった。
「もしも~し」と僕が声をかける。「24日は、明日ですよ~ん」

「ほんまか…? 今日は24日と違うのか…? ほんまか…?」

電話を切ったあと、突然僕は不安になって携帯の日付を確認した。
間違いない。今日は7月23日である。
まったく、人騒がせな議員さんである。

お昼はモミィを連れて、妻と3人で近くの和風レストランへ行った。
「昼膳」が豪華な割には値段が安いので、店はほぼ満席であった。
僕らが出るころは、椅子に座って待っている人たちもいるほどだ。
平日の昼にこういうところへ来るのは初めてだけど、周りを見ると年配の女性グループが多い。このおばさんたちは、こうして普通の日に、おしゃべりを楽しみながら、豪華な昼食を食べているのだなぁ。夫は今ごろ、社員食堂で500円の定食を食べているのかも知れないっていうのに。
「昼食は 妻がセレブで 俺セルフ」というサラリーマン川柳があったっけ。

午後からは、モミィは、病院へアレルギーの定期検診に行った。
僕は、先週の3連休用に4本のDVDを借りており、お通夜やお葬式があってまだ2本を見ていなかったので、午後からそれを見た。

1本は「孤独な嘘」というタイトル。ジャンルは、サスペンス。
いきなり自転車に乗った男性が何者かの運転する車にはねられて死んでしまうところから映画が始まったので、「ふむ。なかなか、スピーディな展開になりそうだ」と、心弾ませて見た。しかし、そのあとは夫婦のいさかいとか、妻の浮気とか、夫の葛藤とかの描写に終始し、何だかわけがわからないうちに映画は終わった。
「な~んだ、これは?」
どこがサスペンスなのだ。ツタヤは、作品のジャンルを間違ったところにこのDVDを置いていたのではないか。ちっともサスペンスじゃなかった。見終わったあと、カックン、となった。

次の1本に期待をかけた。
「隣人は闇に潜む」というタイトルの、これもサスペンス(のはずだ)。
ティム・ロビンスが不気味な役を演じた「隣人は静かに笑う」という映画と間違えそうなタイトルである。
しかし、これも…

「隣人は闇に潜む」というわりには、隣人はいきなり主人公の家族の前に顔を出して、いかにも怪しい言動をする。特に、美人の妻のほうに近づいてくる。ちっとも闇に潜んでいない。だいたい、タイトルがいけない。隣人が善人を装いながら家族に接近し、最後に襲いかかってくる…ということは、タイトルを見たら一目瞭然である。あとは、その隣人が、どう本性を暴露していくかというプロセスを確かめていくだけである。いや、ひょっとしたら、隣人を悪者に見せかけて、実はそうではなかったという「あっと驚くどんでん返し」が最後に待っているのかも知れぬ、とわずかな期待をかけてはみたが、ラストは「な~んだ、やっぱり」的な、平凡な終わり方であった。隣人が死に、パトカーが駆けつけてきたところで「ジ・エンド」という使い古されたパターンの映画であった。

しかし、まあまあ、そんな感じで…
のんびりと夏期休暇を過ごした昨日の僕なのでありました。

深夜、東北地方でまた大きな地震があったようです。
さっき、知ったところです。
被害を受けられた方々に、心からお見舞いを申し上げます。

 

 

 


 

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 お葬式用の写真

2008年07月22日 | 日常のいろいろなこと

昔よく知っていた方が亡くなられて、20日と21日はお通夜とお葬式だった。
享年93歳。遺族の方々の間に漂う雰囲気は、からりとして明るかった。
ふだん集まらない人たちの久しぶりの親睦会のように、なごやかであった。
まあ、これだけ長生きをされたのだから、それはそれでいいのだろう。

縁あって、地元の町会の人たちにまじってその方のお通夜とお葬式の受付の手伝いをしたのだが、その2日間で、思わず考えさせられたことがあった。
それは、その人を偲んで多くの関係者がお通夜に駆けつけ、お葬式に参列しているのに、祭壇に掲げられた故人の顔写真が、なんともひどい写真であったことだ。

亡くなられた方とは、僕も長い間お会いしていなかったのだけれども…。

写真の顔は、こう言ってはナンだが、「生ける屍」みたいだった。骨と皮と皺だけである。眼は落ち込み、頬は削げ落ち、口は半開きで、見るからに生気がない。なにせ93歳だから、亡くなる直前にはそういう顔つきになっておられたのだろうと想像する。しかし、少なくとも僕が知っているお元気だった頃の顔とは全く別人の顔に変わっていた。お葬式に訪れた人はみな「あれ? あんな感じの人だったっけ」と思ったに違いない。多くの人々に見送られて行くお葬式に、こういった写真が掲げられるのは、亡くなられたご本人に気の毒な気がした。せめてもう少し若い頃でもいいから、いい写真を選んであげるべきではなかっただろうかと(大きな世話だと言われそうだが)遺族の人たちに対して、そんなことを感じた。

もっとも、93歳で亡くなった人がお葬式で40歳代や50歳代の時の顔写真が掲げられるのも、ちょっとなぁ、という感じだけれども、といって、わざわざ老残をさらすような顔写真を参列者の前に披露するようなことも、好ましいとは思えない。やはり、最後は、生前の生き生きとした姿を想起させるような写真で、皆さんのお見送りにこたえる…というのが亡くなられた方の本意ではないかと思う。僕なら、こんな写真を掲げられるのは死んでもイヤである。まあ、死んだ時の話だけど。

そんなことで、今回の祭壇の顔写真を見て、僕は、自分の葬式用の写真は、早い目に元気そうなのを数枚選んでおいて、息子たちに、これを使うのだよと指定しておくべきだと、まじめ半分に考えているところである。

ところで、間もなく80歳になる母は、数年前から右半身が動かなくなり、今は特別養護老人施設にお世話になっているのだけれど、以前、元気なころに、
「わたしの葬式の時の写真は、これにしてや。あははは」
と、額入りの大きな写真を得意そうに、僕に見せびらかしたことがあった。

その写真には、どこかの温泉旅館の大広間の舞台で、カラオケを嬉しそうに歌っている母の姿が写っていた。派手な衣装を身につけ、右手にマイク、左手に「観衆」から投げてもらったであろう五色のテープを握り、アタマには、ぴらぴらの飾りがついた自由の女神のような冠をかぶって、満面に笑みを浮かべて歌っている。思わずズッコケてしまいそうになる珍妙な写真だった。
「ウェッ。こんな写真…? なんぼなんでも、葬式には向いてへんで」と僕。
「そうかぁ…。ええ写真やと思うけどなぁ」と母。

昨日のお葬式の写真のことがあったので、母の写真の話を思い出した。
それで、その額の写真を久しぶりに引っ張り出してきて、じっと眺めてみた。
う~ん。何度見ても感じることは同じである。
母の、はしゃぎ過ぎのオーラが、写真からあふれ出ている。

「やっぱり、これは、葬式には無理やな…」
そっとため息をつく僕であった。

 

 


 

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 ご無沙汰していました

2008年07月18日 | 日常のいろいろなこと

お久しぶりでございます。
暑くなりましたね~。
ずっと休んでいましたので、お題も「日はまた昇る」から「日はまだ沈む」に変えて、もうしばらく沈んだままでいるか…と思案していたほどです。でも気合を入れ直して、また、ぼちぼちとこのブログを更新していこうと思っています。

皆様、お変わりございませんか?

僕は、夏バテはしていますが、まあまあ、そこそこやっております。

浮き沈みの激しいこの時代に、1ヶ月半もブログを休んでいたら、すっかりその存在を忘れられてしまったのではないかと、いくぶん悲観的な予測をまじえて、控えめに「再開宣言」をする僕です。ちょうど大阪方面では梅雨明け宣言がされたばかりですから、梅雨明け宣言のついでに便乗宣言です。宣言も、どさくさにまぎれて「みんなですれば怖くない」っていうところでしょうか。

宣言…というのは何か格好いいですね。独立宣言とか世界人権宣言とか平和宣言とか、格調があり、重みがあります。個人的にも「なんとか宣言」する人はよくいます。宣言することで人生が突然変わるかのような気がするから不思議です。「関白宣言」という歌も、むかしヒットしましたね(古ぅ!)。日本人は「宣言」が好きなのです。僕も「禁酒宣言」は、これまでの人生で何十、いや何百回したことでしょう。僕の友人は5月31日の「世界禁煙デー」の日に、毎年「禁煙宣言」する律義者ですし、知人の中には、禁酒も禁煙も何回宣言してもすぐに失敗するので「今後何の宣言もゼッタイしない宣言」をした超苦労人もいます。それぞれに格調があり重みがあり、その格調と重みに押しつぶされそうになります。げげげえ~。

しかしまぁ、最近では梅雨明け宣言にしても、控えめですね。…というか「梅雨が明けたように思われます」とか「梅雨が明けたものと見られます」な~んて、いま流行のボカし表現、婉曲表現みたいなものを使っています。ふつうは「○○地方で梅雨明け宣言がされました」と言い切る表現だったと思いますが、まぁ、言い切っても外れることが多かったから同じようなものですけれど…。「思われます」とか言っておけば「梅雨はまだ明けていなかったぞ」と後で責められたとき、「明けたと思っただけですよ~ん」と反論する余地がありますからね。気象庁もいろいろと苦労して智恵をしぼっていますよね。

話は脱線しますが、いつも不思議に思うのは電車に乗ったとき、車掌さんが「ドアが閉まりますのでご注意くださ~い」と車内放送で告げる言葉です。
あれって、どう考えてもおかしくないですか?

ドアを閉めるボタンを押すのは車掌さんだから、ドアが勝手に閉まるのではなく、車掌さんがボタンを押すからドアが閉まるのです。ですから…
正確には「ドアを閉めますので、ご注意ください」と言うべきですよね。
そうでないと責任の所在がなんとなく不明確になってしまいます。ドアが閉まった拍子に何らかの事故が発生した場合、「ドアを閉めます」と言った人の責任が重いように感じられ、「ドアが閉まります」のほうが責任を逃れやすい、という考え方が底流にあって、それでそういう表現になるんじゃないかなぁ、と思うのです。

で、なんの話でしたっけ…???
ふむ。僕は夏バテだけではなく、夏ボケも始まっているようです。

あ、そうそう。
「梅雨が明けたものと思われます」という表現を聞いて、この電車のドアの放送の話を思い出したのです。とにかく今は、あいまいというか、うやむやというか、そういう言葉や表現が、個人間の会話だけではなく、公共の場でも増えつつあります。そういうことを言いたかったのでした。

   ………………………………………………………………

以上、昨日の夜までに書いたものですが、きょう未明から明け方にかけて、どしゃぶりの雨と強烈な雷鳴で、怖ろしいほどでした。最近ずっと雨が降らなかったのに、「梅雨明け宣言」したとたんに雨が降りました。

…やっぱり。

 


直近のブログに、コメントを数多くいただき、ありがとうございました。
 皆様のご厚意溢れるお言葉の数々に胸を熱くしていました。
 心から感謝します。

 

 

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