僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

ケイとモミィ

2010年10月30日 | モミィの成長日記

「あぁ、週末が来るとホッとするよね~」 と妻が言います。
月曜日から金曜日まで、モミィの幼稚園への送り迎えをしています。
いつまたモミィに 「登園拒否」 の傾向が出ないとも限らない…
妻の気持ちのどこかに、まだそんな思いが残っているようです。
土曜日になると、ひとまずその緊張が解けるようで、いつもそう言います。

その妻がホッとする週末が訪れました。
そして、これで10月の幼稚園も終わりです。
9月から丸2ヶ月間、モミィは新しい幼稚園に1日も休まず通いました。
しかも10月は運動会がありました。
ほかの園児たちは、春からずっと、運動会に向けて練習を積んできました。
モミィは9月に入ってからの参入ですから、
「モミィちゃんは運動会で、本当によく頑張ってくれました」
と、担任の先生も、先日の懇談会で妻にそう伝えてくださったそうです。

次は11月初旬にある初めての遠足ですが、これももう大丈夫でしょう。

妻は、いささか臆病なモミィに対して、おおらかにふるまっています。
しかし心の中では細心の注意を払っているようです。
そばで見ていて、それがよくわかります。

大人は、子どもに不安を与えるような言動は避ける。
心配なことでも、子どもの前では 「大丈夫、大丈夫」 と気にさせない。
そういう積み重ねが、子どもに少しずつ自信を植えつけていくのだなぁ…

妻とモミィのやりとりを見ていると、つくづくそう思います。

さて、モミィのことも一段落しそうなので、今日は改めてケイを紹介します。

ケイは、次男の子どもです。 つまり、モミィの従兄弟ということになります。

去年の7月29日に生まれたケイのことは、当時のブログにも書きました。


http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/33d11b3a42590de4d10ecc1ee78b283c

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/30aed64dc98ece5c2b3775dac619509f



そのケイも、今は1歳3ヶ月。 元気に歩き回っています。


    


次男の家族も、同じ藤井寺市内に住んでいます。
で、わが家にも遊びに来るのですが、ケイは人見知りが激しい子でした。
ママかパパに抱かれてわが家に一歩入ると、ギャーっと泣きました。
少し慣れてきても、僕たち夫婦の顔を見ると、また泣く。
泣き出すと止まらないので、仕方なくすぐに帰って行くことも度々でした。

そんなこともあって、あまりわが家には遊びに来ませんでした。

しかし、さすがに成長してくると、しっかりしてきますね。

3日前、久しぶりにケイがパパとママに連れられてやって来ました。
モミィが出迎えると、うれしそうな顔をしていました。

かつてモミィやソラが遊んでいた小さなすべり台を引っ張り出してきて、
ケイに遊ばせると、モミィも喜んで、2人で遊んでいました。





モミィもアネさんぶりを発揮して、ケイと遊んでやっています。
子ども同士というのは、お互いに全然違和感がないのですね。

 

 ところで…
 もうひとり、モミィの弟のソラ(3歳)は、というと、ママから離れず、
 「お姉ちゃんもいるし、うちに泊まりに来れば?」 と言えば、
 「イヤ」 とひとこと返すだけ。
 モミィを見ていて、わが家に泊まったら二度と自宅に戻れない…
 と感じているのか、ソラは、どうやらわが家を警戒しているようです。 
 拉致される…とでも思っているのでしょうか。 そんなアホな。 

 




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楽天監督に星野とは…

2010年10月29日 | スポーツの話題

またまた野球の話題で恐縮ですが…

あの星野仙一が、楽天の監督に決まりました。
昨日はさっそくドラフト会議にも出てましたね。
まさか、再びユニフォームを着るとは…夢にも思いませんでした。
どのツラ下げて戻ってきたんじゃ~、と言いたいです。

マスコミは大きくこのことを取り上げ、昨日はあるTVニュースで、
「星野氏は現役の頃は、“燃える男”と呼ばれていました」
などと、ありもしないウソを報じていた。

星野が現役の頃に「燃える男」と呼ばれたことなど聞いたことがない。
「燃える男」というのは、巨人の長嶋茂雄の代名詞である。
星野はすぐカッカして熱くなるだけ、という単純な選手だった。
長島のユニフォーム姿からにじみ出るきらびやかな闘志には、ほど遠かった。

  ………………………………………………………………………

そして星野と言えば…
2年前の北京五輪で日本代表を指揮し、惨敗を喫した張本人である。

五輪代表監督の就任会見では、
「全試合に勝つ」
「金メダルしかいらない」
と威勢が良かったが、結果はご承知のとおり。

予選リーグで4勝3敗の4位でギリギリ準決勝に進出。
その準決勝で、韓国に逆転負けして金メダルは夢に終わった。
おまけに3位決定戦でもアメリカに完敗して結局4勝5敗で4位。
「全試合に勝つ」 どころか、負け越しである。
「金メダルしかいらない」 どころか、銀も銅も取れなかったのだ。

帰国した会見では、いさぎよく敗戦を認めればいいものを、
「審判のストライクゾーンがおかしかった。選手がかわいそうだ」
などをはじめ、星野監督は、情けない言い訳を何度も繰り返した。

ダルビッシュや藤川球児のやる気を無視した不可解な投手起用もあった。
中日の守護神・岩瀬投手を酷使する一方で、ダルを敗戦処理にまわしたりね。
そして岩瀬は韓国戦で本塁打を打たれて敗戦投手に。 世間から非難された。

岩瀬のひどい使われ方に、中日・落合監督が激怒した話は有名である。
落合監督が翌年のWBC日本代表に中日の選手を一人も出さなかった…
というのも、このことから見れば、ある意味で仕方なかったかもしれない。

それと、星野に乞われコーチになった「お友達」の田淵幸一が、選手に、
「低目を振るな」 とか 「高めのボール球に手を出すな」 とか…
あれもダメ、これもダメという消極的指示ばかり出した。
おかげで選手は思い切ったバッティングができず、打線がふるわなかった。

それやこれやで、日本はいいところなく敗退し、悔しくて仕方なかった。
結局韓国が金メダルを取り、日本をせせら笑ったあの五輪。
あれから2年。

星野監督は二度とユニフォームは着まい、と思っていた。

ところが、今回の楽天監督への就任である。
仙台は、日本の都市の中で、僕が一番好きな街のひとつなのだ。
その仙台へ星野が行く…という最悪の展開である。
野村が行く、と聞いたときもぞぉ~っとしたが、今度はそれ以上だ。
それに、またもや田淵幸一をコーチに呼びたい、と言っているそうである。
もっと他に発想がないのか…と思う。

抱負を聞かれた星野は、
「東北を熱くすることが私の仕事」 と例によって意味不明の言葉を発した。
まるで未開の土地を開墾するかのような、東北を見下した発言である。
じゃぁ、東北は熱くないのか…? 冷たいのか…? 反応が薄いのか…? 
いったい、どういう意味なのか…? と問いたい。

昨日のドラフト会議でも、星野は、1位指名した塩見選手に対して、
「いっしょに歴史を作ろう、と言ってやりたい」 と述べていた。
も少し、具体的にわかるようなことを言えよ。

いつもこの調子である。
「金メダルしかいらない。全試合に勝つ」
と北京五輪前に聞かされた僕は、もはや彼の言葉には、聞く耳を持たない。

それにしても、仙台なぁ…。
都市美と人工美が見事に溶け合っている美しい街だ。
さまざまな思い出が、仙台にはある。
そこにプロ野球の球団が誕生したことは本当に喜ばしいことだった。

しかし、それが今、星野監督の指揮の下に入るのかと思えば…
いや~ん、バカ~ん、と言いたくなる。

楽天には勝ってほしいわ、星野には勝ってほしくないわで、
これは実に複雑なモンダイなのである。

「仙一という名前は、仙台が一番という意味です」
な~んて、言っている場合か (まあ、うまいこと言うてるけど)。

でもな~。 シャレで勝てるほど、プロ野球は甘くないぜよ…

…と、仙台と同じぐらい好きな高知の言葉で、忠告してあげるぜよ。








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日本シリーズより女子バレー

2010年10月26日 | スポーツの話題

まあ、僕にはあまり関係のないことだけれど、30日から行われるプロ野球日本シリーズ、中日・ロッテ戦の第1戦、第2戦、第5戦は、地上波のテレビ中継がないそうである(BSではやるそうですが)。

「これが、巨人とか阪神が出るんだったら、テレビ局も知らん顔はしないでしょうね~」
とニュースキャスターさんたちは騒いでいる。

プロ野球の日本シリーズをテレビ中継しない、という話は聞いたことがない。
今回の出場チームが、それだけ全国的な人気に乏しいということでしょうね。

一応、放映権を与えられていた局が、同じ時間帯に世界バレー(女子)の中継が入っているので野球放送の方を辞退した、と報じられている。つまり中日・ロッテ戦ではもはやバレーボールを上回る魅力はない…という実情なのだ。

阪神が敗れて関西の大半のファンはがっかりし、
巨人が敗れて、全国のファンもがっかりし、
そのがっかりの延長にある試合を見たい…という人は多くないだろう。
他に見るものがなければ、まあ、見てみるか、という程度である。
「落合をやっつけろ~」と、にわかロッテファンが増えるかも知れないけど。

でも、どちらが勝ってもうれしくないような試合を見ても、しょうがない。

2002年に日・韓共同開催で行われたサッカーワールドカップは、日本も韓国も予選リーグを突破し、ベスト16に進出した。しかし、日本はトルコに惜しくも敗れ、僕たちをがっかりさせた。一方の韓国は勝ってベスト8に進んだ(しかしその勝利は、審判の怪しげな判定に助けられたものだった…)。

あぁ~と深いため息をついているそんな時、日本のマスコミはこぞって、
「さあ、これからは韓国を応援しましょう」
と、ひたすらテンションを上げて音頭を取っていた。
なんじゃそら? 急にそんな切り替えができるわけ、ないやないか。

日本が負けたとき、韓国記者団から大きな拍手が起こったということである。
そんな偏狭な国を、何が悲しくて応援しなければならんのだ。
それを「さあ、日本の皆さん。お隣の韓国を応援しましょうね~」とは…。
まったく、日本のメディアも、無茶なことを言う。

今回の日本シリーズも、あの時ほどではないが、ちょっとそれと似た心境だ。
なんでそんな試合を見なあかんね…という感じですわ。ほんま。

それよりも、バレーボールのほうが、きっと面白い。

ちなみにこの「世界バレー女子日本大会」は10月29日に開幕。
日本シリーズとかち合う10月30日(土)は日本対ぺルー。
10月31日(日)は日本対アルジェリアである。
いずれも、テレビではこれらの試合を中継する。

野球よりよほど熱が入ることだろう。
昨日、テレビで女子バレーのエース木村沙織さんの友人の悲運のドラマが放映されていたが、その木村さんや、可愛くも凛々しい栗原恵さんの華麗なスパイクを見ているほうが楽しい。

よ~し、次は女子バレー世界選手権での日本チームを応援しよう。
(なんでもええんかいな…?)








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「俺たちに明日は…」 なかった 

2010年10月24日 | スポーツの話題

~ 巨人、ふんばったが…四球で墓穴 ~


あぁ、身体がしんどい。
風邪引き、プラス二日酔いですわ。
毎晩、こんな野球を見ていたら、しまいにアル中になってしまいそう。

一昨日は阿部の起死回生の一発で喜びの酒。
飲みすぎたけれど、気分は爽快そのもの。
しかし、昨日の試合は、悪酔い以外に何物ももたらさなかった。

中日絶対有利の中でも、奇跡の逆転勝利の夢を捨てない巨人ファン。

苦しみながらも最終回、3対3の同点に追いついた時には、血が騒いだ。

この9回裏さえ押さえてくれたら、延長10回の表の巨人はチャンスだ。
2番の好調脇谷から打順が始まる。
中軸打線がイマイチとはいえ、小笠原に当たりが出てきた。
不振のラミレスも、そろそろ一発が出ていい頃である。
阿部も、昨日の一発の再現ということも夢ではない。

アナザービートルさんとじゃいさんに、メールを送った。

「この9回裏を押さえたら、10回表に好打順の巨人打線が爆発…」

せっかく最終回に同点に追いついたのである。
そして巨人打線がようやく息を吹き返してきた。
もう一度だけでも、波に乗り始めた巨人の攻撃が見たい。
10回表がダメだったら、いさぎよくあきらめよう。
だから、なんとしても9回裏は0点に押さえてほしかったのだ…

あぁ、それなのに、それなのに。 
巨人の投手陣が、「四球病」にかかってしまったのだ。

久保が、一死後、代打のプロ1年生の太っちょ選手に四球を出した。
次に、漫才師の中川家の一人に顔がそっくりの森野が打席に。
この日の中川家…じゃない森野は、4打数無安打である。
その森野にも四球を出すのだから、始末に終えない。
これで、中日は何もせず、一死一、二塁のチャンスを迎える。
「どないなっとんねん」
その前のイニングも、山口が安打と2四球で満塁とされ、
あげくの果てに押し出しの四球で無駄な1点を与えている。
1イニング3四球とは、何をかいわんやである。

たまらず原監督がマウンドに駆け寄り、久保に声をかけた。
おそらく「怖がらずに思い切って行け」という激励だったのだろう。

そして「怖がらずに思い切って」投げた球を、これまで不振だった和田が、
思い切り引っ張り、打球はライナーで左翼手ラミレスの頭上を越えた。
それも、打った瞬間、ラミレスはいったん前進した。そして頭の上を越された。
今回の敗因の一つがダメ男のラミレスだったことを象徴する幕切れだった。

最初に無駄な四球を連発すると、どうしてもこんな流れになるのである。
中日のサヨナラ勝ちなんて、最も見たくなかったシーンだ。

怒涛のような歓喜に包まれるナゴヤ球場。
グラウンドで飛び跳ね、抱き合い、踊りまわる中日の選手たち。


ぶちっ! 
          (テレビを切る音)

 
テレビもキレて、僕の頭もキレた。
あまりに腹立たしくて、言葉も出ない。

古い古い歌謡曲が、頭に浮かんできた。

西田佐知子が歌った「女の意地」である。


♪ こんなに別れが 苦しいものなら
  二度と恋など したくはないわ
  忘れられない あの人だけど
  忘れにゃならない 女の意地なの~


♪ こんなに負けるのが 苦しいものなら 
  二度と応援など したくはないわ
  忘れられない 試合だけど
  忘れにゃならない ファンの意地なの~


しかしまあ、明日のない戦い、と言われながら最後まで粘った巨人をたたえよう。
あのチリ落盤事故奇跡の生還劇も、映画化されることだし…
いっそ、このCS最終決戦も、映画化したらどうか。 

映画の題名は… 「俺たちに明日はなかった」 ということで。

ちなみに、チリ生還の映画の題名は 「俺たちに明日はあった」 だそうです。

                 ↓

              うそですよ。うそ。






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トホホの巨人 また零封負け

2010年10月22日 | スポーツの話題

ほんとに、どうなっているのですか…?
いいえ、中国のアホな人間たちの反日デモのことではありません。

巨人ですがな。

2日連続で零封負けとは…
ひど過ぎるじゃないの。

今朝の新聞を見ると、小笠原とラミレスの写真が載っている。
2人とも1安打も打てず、凡打の繰り返し。
「うつむく小笠原」 「うつむくラミレス」
な~んて、写真説明に書かれちゃって、本当に2人ともうつむいている。
そりゃぁ、うつむくわなぁ。 肝心の得点源が、ともにヒットゼロなんやから。
巨人ファンも、うつむくしかないわ。

内海も、相手のピッチャーに先制のヒットを打たれてどないすんねん!
まったく~。ボヤいても、ボヤいても、ボヤき足らん。
どっちにしても、1点も取れないのだから、話にならんでしょ。
話にならんから、もうこの2試合の話は、しません。

今夜はもう、テレビは見ないでおこう。3連敗の気配、濃厚だ。
そんな弱気が出始めている(…と言っても、見るだろうけどね)。

しかし、「オレ流」か何か知らないが、落合の野球哲学には共感できない。

先日、アナザービートルさんへのコメントのお返事にも書いたけれど、
去年3月の野球世界一決定戦(WBC)で、
中日は一人の選手も日本代表として派遣しなかった。
「WBCなど関係ない。選手が怪我したらどうしてくれる?」
と言い切った落合である。これが「オレ流」というものらしい。
一方では、原監督はチーム作りを犠牲にして、全日本代表監督に就任。
そして見事に日本代表を優勝に導いた。

その去年のセ・リーグ。CS最終戦も巨人対中日だった。
あのとき、もしも、巨人が中日に敗れたなら、
落合の「オレ流」が正しかったということになる…という向きもあった。
その意味でも、絶対に負けてほしくなかったシリーズだった。

ご存知のように、巨人は中日を下し、日本シリーズに進出した。
「どうだ、見たか。正しいものが勝つのだ」 と、あの時は、本当にうれしかった。

落合の「チーム優先論」は、わからなくもない。
しかし、日本プロ野球全体のことも、少しは考えてくれ、と言いたい。
少しぐらい、貢献してもいいではないか。
イチローだって、松坂だって、大リーグから日本代表に参加したのである。
落合の「オレ流」は、あまりに視野が狭くはないか…?

とは言っても、今年は 「オレ流」 にここまで完敗だから、どうしようもないけど…

まあ、そんなことですわ。

でも、落合なぁ…。 選手の時はよかったけどね~。

現役時代の一時期、巨人の四番を打っていた選手だ。

強烈な思い出が残るのは、1994年(平成6年)の10月8日だ。

巨人と中日が129試合を終えて同率首位。
両チーム130試合目の最終戦が、ナゴヤ球場での巨人・中日戦だった。
つまり、その試合に勝ったほうがセ・リーグで優勝、という大一番。
土曜日の夕方からのゲームだから、普通なら絶対にテレビ観戦するところだ。

しかし…
何の因果か、その日は大阪府下市町村職員の研修旅行の出発日だった。
これは大阪府下の市町村から1名ずつ参加する研修旅行で、
僕は松原市からその研修に参加することになっていた。
行く先はヨーロッパ4ヵ国である。

巨人・中日戦が行われるその日の昼に、飛行機が離陸した。
夕方になると、勝敗の行方が気になって気になって仕方ない。
しかし、飛行機の中ではテレビ、ラジオの中継もない。何もない。

そんなとき、機長からの機内放送があった。
何かと思ったら、野球の途中経過であった。

「現在、6回を終了し、6対2で巨人がリードしております。
 巨人の落合と松井に、ホームランが出ています」

わ~~~~~~い。

気の利いた機長さんである。

さらに1、2時間後、再び機長の放送が。

「試合の結果を申し上げます。中日ファンにはお気の毒ですが、
 6対3で巨人が勝ち、優勝いたしました」

客席のあちらこちらから拍手が起きた。
(巨人ファンは、案外大阪にも多いのである)。

「見たかったな~、その試合」とちょっと残念だったが、
申し分のない結果となり、いたく満足した。

「落合がホームランか。ええとこで打つなぁ、さすがや」

あの時の落合はよかった。僕もファンだった。

でも、今の落合は、巨人の敵だ。

あぁ、それにしても、今日こそ勝ってほしい…
「オレ流」 だけには負けてほしくない…
と、うつむきながら、思うのである。









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モミィの運動会

2010年10月20日 | モミィの成長日記

16日の土曜日、藤井寺北幼稚園で運動会が行われました。
雲ひとつないいいお天気に下で、年長さんの2つの組と、
モミィのいる年少さんのひとつの組の園児たちが、
体操や駆けっこなどに、可愛らしくも、たくましい姿を披露してくれました。

この秋の運動会に、無事参加できるのかどうか…心配されたモミィも、
ニコニコ笑顔で他の園児ちゃんたちといっしょに交じって、
とっても楽しそうに、運動会のひとときを過ごしていました。

あぁ。 これでやっと、みんなと同じことができるようになった…

本当に、うれしかった運動会でした。

ちなみに、運動会は15種目行われ、モミィの年少さん組は7つの種目に出ました。

ピーターパン体操
はしるのだいすき
とびだせ! おもちゃばこ
ユカイ ツーカイ 怪物くん
ゆらゆらおサル
急げ! 消防隊
はたらくくるま体操
 
     …でした。
     もっとも、タイトルだけだったら、何をしたのかよくわかりませんけど…



  
   はしるのだいすき(駆けっこ)。 真ん中がモミィです。
   ゴール近くまで2番手を走っていましたが、直前でとまり、
   うしろの子が来るのを待って一緒にゴールしました。
   いちおう競争なんだから、待たなくてもいいと思うんだけど…



     
    「とびだせ! おもちゃばこ」 に興じるモミィ (真ん中、こちら向き)。
   子どもたちの背中にはネジがついて、みんなおもちゃになりきっています。
   モミィが、こんなに楽しそうな表情で運動会に参加できて、
   見ていた僕たちは、本当にうれしかったです。 ぐすん。
   先生方、ありがとうございました。






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ぎょぎょっ 巨人が逆転で決めた

2010年10月18日 | スポーツの話題

う~ぅ。やりましたがな~。
CS第一ステージ。
巨人が、阪神に連勝して、中日への挑戦権を得て、日本一に希望をつないだ。

それも、阪神に6対2まで差を広げられてからの大逆転だ。げへへ~。

僕が阪神ファンだったら、これはもう、耐えられないだろう。
結果論も何もない。信じたくないような悪い負け方である。

巨人ファンの僕も6対2になった時、まぁ明日が勝負や、とあきらめたほど。
それが、痛恨のエラーと大間違いの投手起用。誰とは言いませんけどね…。
勝負は何が起こるかわからない。ほんとに。

ただ、6対2にした後、押せ押せの阪神は一死で鳥谷、新井を迎えていた。
ここで鳥谷が凡打、新井が三振に倒れたとき、「ひょっとして…」と、
ここから流れが巨人に向くかもしれない…という一筋の光は差した。
あの時、鳥谷、新井が打っていれば、巨人は戦意喪失…だったかも。

…あぁ、これで阪神も、今シーズンの野球は終わりである。
どうも、どうも、ファンの皆さん、ご苦労さ~ん。
友達にも阪神ファンが多いので、終わってみればなんだか気の毒であるが…


昨日のブログで、昭和48年の巨人・阪神最終戦優勝決定戦のことを書いた。
その年、阪神はそこに至るまでに、すでに優勝を決めかけていた時があった。
そして、これに勝てば事実上優勝…という対巨人戦の試合を迎えた。
最終戦ではなく、その何試合か前の巨人・阪神戦である。

この試合で阪神は、いきなり7対0と巨人をリードした。
阪神ファンはもう、お祭り騒ぎであった。
巨人ファンとしては、とても見ちゃいられない展開…だった。

それが、どうだ。
巨人は信じられないほどの猛烈な反撃を見せ、結局10対10で引き分けた。
この奇跡の同点劇で巨人は首の皮一枚、つながったのである。
その結果、最終戦での巨人の勝利を呼び、9連覇につながったのだ。

昔も今も…なぜか巨人戦との「ここ一番」には弱い阪神なのである。

(やかましいわい…という阪神ファンの声あり。えへへ、すみません)

 

 

 

 

 

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巨人先勝 今日で決まり !?

2010年10月17日 | スポーツの話題

やりましたぞ~。
プロ野球CSセ・リーグの第一ステージ初戦。伝統の巨人・阪神の激突は…
われらが巨人軍が、先発・中継ぎの好投、坂本、小笠原ら左打者の活躍、守備陣の好プレーなど、良いところがいろいろ出て、阪神に3対1の逆転勝ちをした。

阪神の3回裏、1死一、二塁で出てきた最多安打男マートンが、0-3のカウントから2-3とされ、最後のストライク球を、ボンヤリと見送り三振したのが巨人にとっては幸いだった。

それともうひとつ恵まれていたのは8回裏、阪神は2死満塁でブラゼルが打席に入った。バットを振り抜いた瞬間、打球の角度がホームランのように見えてドキッとしたけれど、バットが折れていて、打球は二遊間後方へ…。普通なら幸運なヒットコースに見えたが、遊撃手坂本が華麗な動きで好捕した。ぱちぱちぱち。

それにしても、甲子園っていうところは怖いですからね~。 ほんと、よく勝てたことだ。

テレビを見ていても、アナから解説からゲストまで、露骨なまで阪神びいきである。
関西のテレビ局だから仕方ないかも知れないが、あまりに偏りすぎだぞ~。

巨人にとっても、日本中で甲子園ほどの「敵地」は他にない。
昔、長島、王がいた頃、僕もよく甲子園球場へ行き、3塁側スタンドで声援を送ったけれど、あの頃は甲子園の半分は巨人ファンだったように思う。最近、巨人の魅力が薄れたこともあり、テレビで見ていても、巨人ファンの数は減り、阪神一色の感が強い。

ところで…
巨人・阪神決戦…といえば、必ず思い出すのが1973年(昭和48年)の秋だ。
僕は24歳で、市役所に就職して2年目。
家庭では、前年に長男が生まれ、この年の夏には次男が誕生していた。

このとき首位だった阪神はあと2試合を残し、優勝マジックが1となっていた。
2位は、半ゲームほどの僅差で巨人が続いていた。
阪神は、まず名古屋で中日戦があり、次の最終戦が甲子園での巨人戦だった。
阪神ファンの誰もが、中日を下して優勝…という結果を信じていた。

一方、巨人ファンの僕は、阪神・中日戦を祈る思いで見ていた。
もし、阪神が負けたら、巨人・阪神が同率首位となる。
両チームとも残りは1試合。しかも、直接対決。
翌日甲子園球場で行われる巨人・阪神戦の勝者がセ・リーグの覇者となる。

「頼むぞ、中日。なんとかして阪神に勝ってくれ~ぇ」

その思いが通じたのか(?)、阪神は、江夏が打たれて痛恨の黒星を喫した。
よっしゃ~。
これで巨人の自力優勝の可能性がよみがえった。

名古屋球場の位置からは東海道新幹線が見えるのだが…
阪神が中日に敗れたその瞬間、新幹線が西に向かって走って行くのが見えた。
アナウンサーが、テレビに映ったその新幹線を見て、
「あの列車の中に、明日甲子園で戦う巨人の選手たちが乗っているのです」
そう言った時、僕は胸が騒ぎ、ブルッと震えるほど興奮した。

文字通り、天下分け目の大一番であった。

そうして行われた甲子園球場での巨人・阪神最終戦は、巨人が初回から攻めまくり、終わってみれば9対0というあっけないほどの一方的な差で阪神に圧勝し、見事に逆転優勝を決めたのである。(これが巨人の9連覇の最後の年であり、翌年優勝を逃し、長島が引退した)

さて、試合終了後、怒り狂った甲子園の阪神ファンがグラウンドになだれ込み、巨人ベンチを襲撃。王がファンに小突かれたり、グラブが盗まれたりの騒ぎで、巨人選手たちは優勝を喜ぶどころか、命からがら球場を後にした…というおまけつきの最終戦であった。

「甲子園での大一番」というと、どうしてもあの試合を思い出す。

今日、もし巨人が勝てば、阪神はおしまいである。
阪神勝利を信じて疑わなかったファンは、おさまらないだろう。

球場関係者も、37年前の出来事を念頭に、警備も強化していることだろ。

でもまあ、思うんだけど、最近の阪神ファンは、昔に比べるとおとなしくなった。
今日負けても、グラウンドになだれ込む、なんてことはしないと思うよ。

…と、すでに今日、巨人が勝つことが前提の話になってきております。
阪神ファンの皆さん。すみませんねぇ。




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エキサイトする日 ~ モミィの運動会と巨人・阪神 ~

2010年10月16日 | モミィの成長日記

今日は忙しい一日となりそうだ。

午前中は、モミィの運動会がある。
9月1日から途中入園して、さて、やっていけるだろうか…?
と、心配していたことが今では嘘のように、モミィは皆勤を続けている。
幼稚園が楽しくて仕方ない、という様子だ。
今日の運動会も、ずいぶん前から楽しみにしていた。
もちろん、僕たちまわりの大人たちも、大いに楽しみにしているところだ。

9月の終わりに、モミィの通う幼稚園の園長先生に手紙を出した。
この1ヶ月、モミィが1日も休まず元気に幼稚園に通っていることへのお礼の手紙だ。

4月に入園した寝屋川の幼稚園では集団になじめず、発達障害だの自閉症だのと診断され、夜も泣いたりして寝ないので医師から安定剤を処方されるという思いもよらぬ事態に至って、僕たちは悩んだ。悩んだ末、9月の新学期からモミィをわが家で預かって藤井寺の幼稚園に通わせることを選んだ。これも大きな賭けだった。これでダメだったら、もう他に方法がない。背水の陣で望んだ藤井寺への転園であった。

だが、僕たちの心配をよそに、モミィは元気に新しい幼稚園に通い始めた。
内弁慶だったはずなのに、友達の家に遊びに行ったりもした。
先日は何人かの友達をわが家に呼んで、いっしょに遊び、おやつを食べた。
驚くべき変化であり、進化である。

「集団に入らず、離れたところでひとりでシクシク泣いている」
「やる気がまったく見られない」
寝屋川の幼稚園の担任の先生の所見では、そう書いてあった。
それが、あざやかに変身したのである。
まるでモミィの大好きなプリキュアのように。

そうした、モミィのめざましい成長も、ひとえに今の幼稚園の園長先生や担任はじめ諸先生方の暖かいご指導のおかげであると心から感謝しています…

そういういう内容の手紙を園長先生に送ったのである。 
むろん、これは、形式的なお礼でも何でもなく、心からそう思ったことである。

すると、翌日に妻が封筒をもらって帰ってきた。
園長先生から僕宛の返事の手紙であった。
ちなみに、園長先生は女性の方である。

「うれしいお手紙をありがとうございました」
という書き出しで、園長先生はこんなことを綴っておられた。

「(モミィは)園の活動のいろいろなことに関心を示し、体操もにこにこして、皆と一緒にしていますし、先生の話や絵本なども真剣に聞いています。何事にもチャレンジしようとする意欲的なモミィちゃんはすばらしい。できることよりも、意欲を見せるということを本園では大切にしています(中略)。運動会が、子ども達の成長を保護者皆様と喜び合える日となりますように。お手紙をいただいたこと、うれしくて取り急ぎお返事をいたしました。担任はじめ職員皆でよろこんでいます」

ありがたい手紙であった。
モミィの幼稚園生活は、モミィ自身の口から聞いていただけで、実際はどうなのか、よくわからない部分も少しはあった。それが、園長先生の手紙で、本当にモミィがよく頑張っているんだなぁということが間違いなく確認できた。これほどうれしいことはない。

かつて、寝屋川の幼稚園の担任の先生は、6月ごろに、
「この調子だと、秋の運動会も無理かも知れませんね」と言った。
まだ何ヶ月も先なのに、どうしてそんなことが言えるのか…と内心僕は反発した。
そのことが、嘘のようなこのごろである。

そして、きょう、その運動会の日を迎えたのである。

運動会は午前中で終わり、寝屋川から来たモミィのママと弟のソラを交えて外食したあと、僕は2時から自宅でテレビを見なければならない。

巨人対阪神の、クライマックスシリーズ第一戦である。

大阪に住みながら、長島や王がいた自分の小学生の時以来、ずっと、50年間東京のジャイアンツを応援し続けてきた僕は、ぜひとも、甲子園という厳しい「敵地」で阪神をギャフンと言わせてやりたいことを切に願っているのだ。

これを読まれた、コバヤシ君はじめ熱烈な阪神ファンは、「な~に。もう阪神の2勝は決まったようなものさ~」と思っているかもしれないね。

さて、どうなることか…

午前中の運動会も大事だけれど、午後2時からの巨人・阪神戦も目が離せない。

がんばれ~モミィ。 がんばれ~巨人。


*僕は50年間、学校でも、職場でも、巨人ファンであったがゆえに、
  どれだけ多くの「迫害」を受けてきたことか。
  地元近鉄バファローズのファンだったわが子どもたちにまで、
 「大阪におって、なんで巨人やのん?」 などとと首をかしげられた。
  とほほ。 それでも、巨人軍はフメツなのです。




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「チリ生還」 に群がる面々

2010年10月15日 | ニュース・時事

3週間ほどブログを休んでしまった。

顔見知りの人たち…特に元勤務先の人たちから、ブログの更新がないことで、
「どうしました? 体調が悪いのですか?」
という意味のメールをいただいたりした。
今ではめったに顔を合わす機会がなくなった元同僚や後輩の人たちが、このブログを読むことで、退職後の僕の近況を確認してくれているんだなぁ…ということを改めて実感した。
昨日も、現役の頃からずっとお世話になってきた方から、
「楽しみにしているノンさんブログですが、最近更新がありませんが…」
とのメールをいただき、有難いことだと感謝した。

ここ数週間、いささか心身のバランスを崩し、ブログ更新の気力が湧かなかったというのが正直な理由だけれども、ここらで立ち直らなければ…。

…ということで、ブログを再開します。

   ………………………………………………………………………………

いまは何といっても、チリの鉱山落盤事故で地下に閉じこめられていた作業員33人が、70日ぶりに全員無事に救出されたというニュースである。とにかく猫も杓子もこの話題だから、ブログでもこれに触れなければ世捨て人のように思われそうなので、いちおう触れることにする。

確かに、この奇跡の救出劇は歴史的な出来事に違いないだろう。
世界中が固唾を呑んでその様子を見守った…というのもわかる。
しかし、どんな「深い感動」も、こんなドンチャン騒ぎのような報道が繰り返されると「ちょっとヤリ過ぎと違うか?」と違和感を覚える。

昨日はほぼ一日、自宅にいたが、朝のニュースやワイドショー、昼のニュースやワイドショー、昼下がりのワイドショー、夕方から夜にかけてのニュース、深夜のニュース…と、テレビはどのチャンネルに切り替えてもチリ、チリ、チリの大合唱である。まあ、70日ぶりの生還は本当によかった。それはどんな人にも共通する熱い思いだろう。今の日本では希薄になりつつある家族の絆というものも、映像を通じて、十分に伝わってきた。しかしその隙間から、マスコミの人間たちが自己陶酔している様子も垣間見えるのである。

何せもう、ナンでもカンでもチリである。
「チリ料理特集」なんて番組まで出てきた。何の関係や…?
「チリの有名な料理って知ってますか?」とリポーターが興奮気味に問いかけるのを見ていると、僕は「知ってるわ、テッチリやろ」と言い返したくなる。

テレビ局のスタジオ内には、33人の顔写真がずらりと並ぶ。
こんな顔写真を並べてもらっても、仕方ないような気がするんだけれど…。

おまけに「迎えに来たのは妻ではなく愛人!」な~んて話題も大きく取り上げている。
これまた、何の関係や…? アホちゃうか。

いろいろな人々の熱意と努力によって、33人全員が生還した。
それを、それぞれの人々が静かに祝福すればいいのだ。
「さあ、どうだ。感動しろ!」と言わんばかりのここ数日の報道は、まるで「24時間テレビ、愛は地球を救う」を見ているようで、げぇ~っとのけぞってしまうのだ。

それと、チリ大統領の見え透いたパフォーマンスにはうんざりだ。
ここぞとばかりええカッコをして、甚だ見苦しい。
まるで自分ひとりで33人を救ったかのごとくである。
昨日あたりから、この救出劇は政治的演出だという批判も出始めている。

ホッとしたことと言えば、生還した作業員の一人が会見で、
「我々は芸術家でも芸人でもない。作業員だ」と言ったことである。
自分たちを英雄視してくれるな…という意味なんだろう。
浮かれ騒ぐ周辺にクギを刺した一言となり、痛快だった。

しかしいったん「有名人」になると、その後の反動も怖いのでは…と思う。
そこは、チリの国民性というものが分からないので、何とも言えないけれど、日本人だったら、一度「英雄」として注目されたら、その後の人生が狂い、身を持ち崩してしまうのでは…などとさまざまに憶測する。

ともあれ、ハッピーエンドとなって、めでたしめでたしである。

それにしても…

チリ…と言えば、去年旅行したアルゼンチンのお隣の国だったなぁ(ちょっとその時に足を伸ばしてチリに寄っておけばよかったかも)。

70日間…と言えば、20歳の時の北海道への自転車旅行も70日間だったなぁ。

33人…と言えば、モミィが9月から途中入園した幼稚園のクラス 「もも組さん」 も全員で33人だなぁ。つまりモミィが33番目に入った園児だったんだ~。

…とまあ、結局、自分のことに結び付けてこの話は終わりです。 ジ・エンド。




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