僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「奈良マラソン」からの通知

2013年06月29日 | ランニング


6月10日のブログ「マラソンの申し込みも一苦労」で書いたけれど、秋にフルマラソンを走ろうと意欲している僕は、11月3日の大阪・淀川市民マラソンにエントリーし、それをめざして「老体に鞭打ち」ながらトロトロと練習しているところである。最近のマラソンの大会は東京マラソン、大阪マラソン、京都マラソン、神戸マラソンと、大都市での大会が増え、それに伴い参加者希望者も急増してきた。1万人以上が出場できる大会でも、申し込みが殺到し、抽選で運良く当選しなければ出場できないというのが実情なので、その大会で走りたいと思っても、なかなかそう簡単にはいかないのである。


そこで僕も苦労の末、大阪・淀川市民マラソンの申し込み初日にネットでエントリーし、どうにか「出場権」を得られたことは、そのブログで書いた。でも、実は僕には、ちょっとした思惑があった。


11月3日のその大会をステップにして、12月8日に行われる奈良マラソンを本命にしたいと考えていたのである。淀川マラソンでは苦しくなったら無理せずに30キロあたりで棄権してもいい。その1ヵ月後の奈良マラソンにベストで挑める過程と考えればいいのだ…という作戦を立てていたのである。


これから9月頃まで暑い日が続く。なかなか練習で30キロ以上のロングランは厳しい。10月頃から本格的な距離の練習をし、そして11月の淀川マラソンをバネに、12月の奈良で最終的な成果を出したい、とその時には思ったわけである。


その奈良マラソンだが、これも前述のブログに書いたとおり、郵送での申し込みの初日に申込書を送付した。同マラソンのホームページに「6月4日の消印から有効です。3日までの消印のものは受け付けません」とのことだったので、4日に郵便局から申し込み用紙を郵送した。受付初日の4日の消印で送付したので、これで確実に出場できるだろ…と思っていたら、数日後のホームページに…


6月4日(火)付消印分より郵便申込によるランナー募集(消印日順)を開始しましたところ、フルマラソン種目は4日付消印分で定員を超過することが確実になりました。したがって、締め切りとし、4日付消印分のみで抽選を行います。5日付消印分以降は受付いたしませんのでご了承ください。当選及び落選・非受付については6月下旬から通知文を送付する予定です。


と書かれていた。このことも6月10日のブログに書いた。それでも僕は、なぜか奈良マラソンには必ず当選する…という確固たる自信のようなものがあった。


そして…きょうの午後。奈良マラソン実行委員会から郵便が届いたのである。心弾ませて開封して文書を読んでみたところ…

 


        

 

 

つまり、こう書かれているのだ ↓

 

      奈良マラソン2013

  郵便申込結果(落選・非受付)のお知らせ


拝啓 時下益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。


このたびは、奈良マラソン2013にお申込みいただき、誠にありがとうございま
した。


今回、多数のお申込みがあり、郵便申込の募集開始日6月4日付の消印分のみで定
員を超過しました。そのため、あらかじめ募集要項でご案内しておりました通り、6月4日付の消印分のみで抽選を行い、また6月5日付以降の消印分からはすべて非受付(締切)といたしました。

その結果、誠に残念ながら貴方様のエントリーを受け付けることができませんでした。

何卒、ご了承賜りますようお願い申し上げます。

                                  敬具

                            
   平成25年6月

                         奈良マラソン実行委員会

 


なんのこっちゃ。あほくさ。

大きなマラソン大会に出場するというのは、
今の時代では、かくも難しいことなのである。 

 

 

 

 

 

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ブログ「炎上」県会議員が自殺

2013年06月28日 | 議会&役所

ブログで「暴言」を吐いて「炎上」し、一躍「有名人」となった岩手県の小泉光男議員(56)が、25日早朝に自殺したというニュースを見てびっくりした。厳密に言えば「(死因は)自殺か?」という表現だけど、僕は独断と偏見で「自殺した」と解釈して話を進めて行きます。


小泉県議は、6月上旬、岩手県立中央病院で「241番の方」と呼ばれたことに腹を立て、自身のブログに「僕を呼んでいるの?と気付いた瞬間、頭に血が上りました。ここは刑務所か!名前で呼べよ。なんだ241番とは!」などと書き、さらに、その際お金も支払わずに病院を出て、それでもまだ腹の虫が収まらず、公衆電話からまた病院に電話して、事務長を出せと威嚇したりした。そしてそれに続いてこんなことも書いていた。


「会計の計算が出来ましたのでお越しください」と言われたことに対し…


「こちらは15,000円以上を検査料を払う上得意のお客さんだぞ。そっち側から“本日はありがとうございました”と、カウンターの外に出て、長椅子に座っている患者の方に来るべきだろうが」


そして最後に、「このブログをご覧の皆さん、私が間違っていますか。岩手県立中央病院の対応が間違っていると思いますか!」と締めくくられていた。


ご承知のとおり、これがマスコミによって流され、世間から轟々たる非難を浴びることになった。


ある日、わが家で朝8時からのワイドショー「とくダネ」をかけていたら、このことが大きく取り上げられ、レポーターが小泉県議の自宅まで行って、庭で本人に質問を浴びせているのを見た。小泉県議は意外に気の弱そうなオッチャンで、テレビ局の直撃取材に困惑し「あのぉ、また後で…」とショボンとしながら逃げるように家の中に入ってしまった。レポーターは1時間以上も外で待ち、何度もインターホンで中の住人に声をかけていたが、小泉県議は二度と玄関先に現れなかった…。「ホント、特権意識というか、議員はエラいんだぞ、という感覚がこういう人にはあるんでしょうね」と、コメンテーターたちも、口をそろえて小泉県議を非難していた。まあ、誰でもそう思って当然だろう。


ちょうどそのあと、復興庁の水野参事官という人物が、ツイートでこれまた「暴言」を吐いた。「左翼のクソどもから、ひたすら罵声を浴びせられる集会に出席。不思議と反発は感じない。感じるのは相手の知性の欠除に対する哀れみのみ」とボヤいたり、福島県のある町のことを「田舎の町議会をじっくり見て、余りのアレ具合に吹き出しそうになりつつも我慢」とバカにしたり、「今日は懸案が一つ解決。正確に言うと白黒つけずに曖昧なままにしておくことに関係者が同意」とうそぶいたり…ということが明るみに出て、小泉岩手県議とセットでワイドショーのおいしいネタにされ、この2人が日本中を敵に回すような事態になったことも、先刻ご承知のとおりである。


水野参事官の場合は、たぶん周囲の人間が彼の「つぶやき」に対して、「俺たちが心の中で思っていても口に出せないことを、よくぞ言ってくれた」と賞賛していたのではないかと想像される。身内におだてられたり、ホメられたりしていい気になり、この「つぶやき」が世界中に発信されていることも忘れ、調子に乗って傲岸不遜なメッセージを連発していたのだろう。不満があるのなら、仲間内で酒でも飲みながら、こっそりグチをこぼすだけにしていたらいいんじゃないか。


小泉県議にも言えることだが、パソコンや携帯のネットに文章を発信すると、それは全国津々浦々まで届く…ということをはっきりと自覚できていなかったのではないか、と思うのだ。半分ぐらいはわかっているが、半分ぐらいは忘れてしまっている。で、感情が高ぶったりしたら、そういう手段でストレスを発散する…という行為に何の問題もないように思って、「どうだ!」とばかりに発信してしまう、ということかも知れない。


いや、それにしても、岩手県の小泉県議が自殺したことには驚きを禁じえない。地元の支援者たちからは厳しく叱責されただろうし、メディアの力によって世間からは猛烈な批判を浴びることになったので、これ以上生きて行くことに耐えられなかったのだろうか。でも、まさか自ら命を絶ってしまうとは。こんな形で56年間の人生に終止符を打たねばならないなんて…今までの人生はいったい、何だったのだ?…と、他人事ながら思ってしまう。


ところで、テレビ各局は、この間まで、小泉県議の「ブログ炎上事件」を大きく取り上げていたのに、この人が自殺したことについては、ニュースで短く報じただけであった。ワイドショーに至っては、僕が見た限りではどこの局も取り上げていなかった。自分たちの報道が本人を死に追いやった…という意識がわずかでもあるのだろうか?…よくわからないけれど、死者に鞭打つこともできないし、「ご冥福をお祈りします」と言うのもわざとらしいし、さすがにワイドショーも取り上げようがなかったのだろう。まぁ、当然のことでしょうけど。


実は僕も、1週間ほど前から、小泉県議のことをブログに書こうと考えていた。僕自身、市役所の議会事務局に長年勤めて、議員という人種を間近で見続けてきた人間である。議員の特権意識というものについても、数多くの経験を通してさまざまな感想を持っている。むろん、議員にもいろいろなタイプがあるのだけれど、そんな自分の実体験を絡めながら、今回の小泉県議の言動について考察してみようという目論見だった。でも亡くなられたのだから、もう書くのはやめた。


何度も繰り返すけれど、なぜ死ななければならなかったのか?
「死んでお詫びを」という潔い行為のようにも見えないし。
やはり、神経が参ってしまったとしか思えない。


現実の生活上でよほど切羽詰ったあげくに自殺する…というのは議員でも時々ある話だけれど、このような神経的なことで死を選ぶというのは、およそ議員らしくない。なぜなら、議員というのは、現実的で、社交的・行動的で、楽天的で、物事に頓着せず、深く考え込まず、ホンネを隠してタテマエを貫き、手を抜くコツを熟知しながらも票を集めるためにはどんな苦労も厭わない…という、つまりそういう「したたかさ」と、「何を起こしても自分は悪くない」という自信というか厚かましさというか、そういうものがなければ議員として適性とはいえない、と長い間、議会事務局で過ごしてきた僕は思うのである。


余談になるが、自民党国会議員の佐田玄一郎氏は、昨日発売の週刊新潮に、

4万円援助交際20回! 女子大生とラブホテル!
衆議院 NO3 佐田玄一郎議運委員長 常習買春の現場報告

…という見出しの記事を書かれ、早々と議運の委員長辞任の意を示した。でもこの人は、他の「不祥事」を起こした多くの政治家同様、決して自殺などしないのである。やったことは小泉県議とは性質がちがうけれど、公人としては「死ぬほど恥ずかしい」ことだけど、もちろん死んだりはしない。


その意味から言えば、小泉県議は、議員には向いていない性格だったのだろう。向いていない人間が、ブログで議員の特権意識をむき出しにした「ホンネ」を吐いたことが、こういう哀れな結末を導くことになった。


ともあれ、今回の県議や参事官の一件は、僕らのようなブログを発信している人間にとって、ネットの恐ろしさを再認識させるとともに、沢山の人に読んでいただくことはもちろん嬉しいのだけれど、逆に言えば、どこで誰が読んでいるかわからないので、その辺は慎重さが必要だ、ということを、万事いい加減で慎重さに欠ける僕は、反省の意も込めながら、しみじみと思ったものである。


ブログで身を滅ぼす…ということだけは、したくありませんものね。

 

 

 

 

 


 

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共済組合への手紙 ~年金の話~

2013年06月26日 | 日常のいろいろなこと


所帯じみた話で申し訳ありませんが、きょうは僕が受けている年金に関する話です。ブログでこういう話題を取り上げるのは、たぶん初めてのことだと思いますが、先般、ちょっとした出来事がありましたので、そのことに触れてみたいと思います。


「元公務員さんやったら年金は沢山もらってはるんでしょ。結構ですね~」…なんて、スポーツクラブなどでよく言われますが、年金財政の悪化や制度の複雑化などで、昔ならいざ知らず、今は元公務員と言えども、人さまが思っておられるほど潤沢な額をいただいているわけではありません(しかも年々、少~しずつ減ってきていますしね~)。特に僕たち団塊の世代から、だんだん若くなるにつれ、年金受給状況は厳しくなる一方で、したがってこれから退職していく職員さんたちはいよいよ大変だろうと思います。むろん、民間企業にお勤めの方にとっても、年金情勢は厳しさを増す一方であることは言うまでもありませんが…。


年金額自体もどんどん減額されてきた中で、以前は定年退職した翌月から満額の年金が支給されていたのですが、僕らが定年を迎える何年か前から制度が変わり、生まれ年の順に段階的に満額支給が先延ばしされることになりました。で、昭和24年1月生まれの僕の場合は、満64歳を迎えた年から年金の満額が支給される…ということになったのです。そして今年1月に、僕は64歳になりました。その際に年金を所管する共済組合から、1通の通知書が届きました。今年4月支給分から満額支給になります…という通知でした。そこまでは、まあ普通の話なんですけど…


だいたい僕は年金とか預金とかに疎く、すべて妻に任せています。今回送られてきた通知書も妻に促がされるまま仕方なく目を通していたのですが、「加給年金」と書かれている部分に、「え~っ?」と目が吸い込まれたのです。


そこには、18歳未満の子を扶養している場合、「加給年金」として年金額が増額される、ということが書かれていたのです。そんなことは僕も妻も不勉強だから全く知らなかったので、何度も読み返しました。わが家にはモミィという「養女」がいます。実際は孫ですが、戸籍上は養子縁組をしているので「子」です。いま7歳ですから18歳までまだ10年以上あります。これを申請すれば、別途「加給年金」が支給されることになるのだそうです。あ~知らなかったなぁ。申請しなければ!


妻が同封されていた「加給申請書」にモミィのことを書きこみ、それを僕が市役所へ持って行ってモミィを子として扶養していることの証明をもらい、それを添付した申請書を共済組合に郵送しました。それが今年1月のことでした。


それから数ヶ月経った4月のある日、共済組合から郵便物が届きました。「満額支給開始年齢到達による年金額改定のお知らせ」というものでしたが、その書類を見ると、通常のことしか書かれておらず、どこにも僕らが申請した「子の加給年金」について触れていませんでした。年金額の明細を見ても、モミィの分は含まれていませんでした。「おかしいな、申請書を送ったのに…」。


送付した申請書が共済組合にちゃんと届かなかったのか。
内容的に要件を満たしていなかったのか(なら理由を書くべきだ)。


さっそく電話で問い合わせようと思ったのですが、その日はあいにく土曜日でした。共済組合は休みです。明日の日曜日も休みです。こういう通知は、問い合わせがいきなり集中するのを避け、わざと土曜日に着くようにしたのではないか…などと勘ぐりたくなりますが、とにかく月曜日まで待っていられないので、僕はその場でパソコンを開けて、組合宛に手紙を打ちました。まあ、あまりお硬い文章は僕の趣味に合わないし、かといって遠慮気味の文章も誤解を与えるので、封書を開けた職員に、僕の訴えたいことがはっきりわかるような調子の文章で、2ページに渡り、なぜ1月に送付した加給申請書が今回届いた通知書に反映されていないのかを問い詰めた次第です。僕の携帯に返事をください…と文末に書いて、すぐに近くの郵便ポストに投函しました。


すると、翌週の午前、さっそく僕の携帯が鳴りました。若い女性の声で…


「もしもし、〇〇様でいらっしゃいますか? このたびはお手紙をいただき、恐縮でございました。私が担当でございますが、当方のミスで、申請書をいただきながら、それをうっかり、そのぉ…放置したまま…ということで、まことに申し訳ございませんでした。大変ご迷惑をおかけしまして、心からお詫び申し上げます。つきましては、加給年金を含めた決定通知書を再発行しまして、改めてご送付させていただきたいと存じますので、本当に申し訳ございませんでした…」


と、その担当の女性はたいへん丁寧な言葉で、謝罪されました。どうやら僕の手紙を読み、原因が自分たちのミスだったので、僕に対してどう詫びてよいのやら…という当惑と申し訳なさでいっぱい…という感じでした。さすがに僕もその女性が気の毒になり「いえ、そんなに謝っていただかなくても…。訂正してくださったならそれでいいんです」と逆に恐縮してしまったほどです。


そうして、この6月には4月分から遡って加給年金も振り込まれていましたが、よく考えてみると、僕のようなケースは珍しいのかも知れません。なにしろ64歳で18歳未満の子どもがいる、ということは、46~7歳を過ぎてからできた子どもがいるということになるので、この種の加給年金というのは共済組合もそんなに多く扱っていないのでしょうね。それで僕が送付した申請書も、つい手続きを忘れていた…ということだったのかもしれません。まあ、間違いは誰にでもあることなので、訂正してもらえたらそれでいいのです。


そんなことで、思いも寄らぬ年金の増額がありました。増えたその分は、妻がモミィ名義の通帳を作り、モミィの将来のためにと…預金するそうです。


ちなみに、4月に僕が共済組合に送った手紙は、次のようなものでした。
少し恥ずかしいですが、ここへ原文のまま掲載します。

 

〇〇共済組合ご担当さまへ


いつもお世話になりありがとうございます。


私は退職共済年金受給権者ですが、貴組合にお尋ねしたいことがあります。
…といっても、どういう立場の方が最初にこの封を開けて、この文書を読まれるのか、さっぱりわかりませんけど。


私は〇〇市役所に勤務していました〇〇〇といいます。
年金証書記号番号は××××-××××××××です。


以下の文章は、テキトーにではなく、真剣に読んでくださいね。
それだけが、まず、この封書を開封した方にお願いしたいことです。


私は、2009年(平成21年)3月末に〇〇市役所を退職し、今年1月に64歳の誕生日を迎え、満額支給開始年齢に到達しました。


1月に貴組合からその通知をいただいたとき、私どもは、3年前から孫を自分たち夫婦の養子として引き取り、自分たちの子どもとして育てていましたので、その子を加給対象者として申請をしました。もちろん、私が扶養しています。今年7歳になる女児です。


そしてそれに必要な市役所での証明も交付してもらい、それを添付して貴組合に郵送したのです。しかし、それについては、貴組合から何の連絡もなかったので、当然、受け付けてもらったものと考えておりました。


ところが、今回届いた「満額支給開始年齢到達による年金額改定のお知らせ」では、私が申請した「子の加給年金」については全く反映されていませんでした。なんで…?


1月にそちらに送付した申請書は、貴組合に届かなかったのでしょうか? 郵便局がボンヤリしていてちゃんと届けなかったのか、貴組合が受け取りながらそこらへポイと放置されたままだったのか、それとも、申請書は見たけれど、要件を満たしていないので無視したのか…どれが本当なのか知る由もありませんが、何の説明もなく、今回の通知書を送ってきたというのは、少々いい加減ではありませんか? まあ、私の送った申請文書を見られていなかったというのなら仕方ありませんが。


いったい、どういういうことなのか。できるなら、きちんとした説明を聞かせていただきたいものです。


とりあえず、私が1月に送った子の加給申請書がそちらに届いたのか届かなかったのか、それだけでも、知りたいです。


あるいはまた、子どもは「養子」であれば加給対象者にならないのか?


いずれにしても、今回の「年金額算定明細書(改定)」に、子どもの加給年金が入っていなかったことについて、納得がいかないので、この文書を送らせてもらいました。


電話で問い合わせてもよかったのですが、貴組合からこれが届いたのが、なぜかきょう6日の土曜日で、貴組合が休みなので、電話しても通じませんよね。


問い合わせが殺到する平日に届くのを避けて、土曜日に届くように発送されたのかどうかは知りませんが、まあ、どちらにしても電話では誤解を招く恐れもあり、感情的になってもいけないし、言った言わないの問題も生じる可能性もあるので、こうして手紙を書いた次第です。


「子の加給年金」ということに対して、私の解釈に間違いがあるのなら、その根拠を説明してください。私はそういうことに詳しくありませんので。


私も〇〇市役所に38年間勤め、苦情はたくさん聞いてきました。それってしんどいことですよね。ですから、貴組合にくどくどクレームをつける気はさらさらありません。ただ、わかりやすい答えがほしいのです。それだけです。担当の方や責任者の方が誰だかわからないままにこんな手紙を書くのも情けない話ですが、やむを得ません。


ご連絡、お待ちしています。電話でなく、文書でも何でもいいです。
よろしくお願いいたします。


ちなみに、私の携帯電話番号は、×××××…ですが。
電話でなくてもいいですから。


2013年4月6日(土) 〇〇 〇

 

…というものでした。
ちょっと余計なことを書きすぎたかな~と今は少し反省しています。
文章を書き始めるとしつこくなる僕の性格マル出しですよね~(笑)

 

 

 

 

 


 

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サッカー・コンフェデ杯 世界の壁

2013年06月24日 | スポーツの話題


世界の大陸の覇者が集結してサッカー世界一を決める「FIFAコンフェデ杯」がブラジルで行われている。アジアの代表として出場した日本は、あえなく3連敗を喫して予選A組の最下位となり、むろん準決勝進出もできず、大会から姿を消すことになった。相手がブラジル、イタリア、メキシコと強豪ぞろいだったとはいえ、「W杯で優勝を目指します」と選手が言ったりしている割には、1勝もできないまま終え、多くの課題を残してしまった大会となった。


思えば先週日曜日(16日)の早朝、3時半に起き、午前4時からのブラジル戦をテレビを見たが、試合開始後わずか3分で点を取られ、後半にも、始まってこれまた3分で2点目を取られた。その時点で僕はテレビを切って寝た。この先、日本が逆転、もしくは同点に追いつくことなど100パーセントあり得ない、と思ったからだ。結局3対0の完敗だった。あかんなァ、ほんまに。親善試合ではなく公式戦で、ブラジルに勝つというのは元々無理かも知れないが、何となく今大会での日本の躍進を期待していただけに、緒戦の試合内容にはガッカリだった。


続くイタリア戦は20日木曜日の午前7時から始まった。テレビ中継を見たくても仕事へ行かなければならない人たちは気の毒だなぁ…と思いながら、家でゆっくりテレビを見られる自分の立場のありがたさを実感した。そして試合も日本が2点を先制して「今日という日が日本のサッカー史に刻まれるぞ!」と僕は異様なほど興奮したのであるが、…う~ん、やはり世界の壁は厚かった。


前半終了間際にイタリアに得点され1点差に詰め寄られた。そして後半が始まってまたすぐ1点取られて同点にされた。…と思う間もなく、また1点取られたのである。なんじゃ、それは? あっという間に逆転されてしまったのだ。


まあ、そのあとナンとか同点に追いついたけれど、これまた終了間際に1点奪われ、気がつけばイタリアが4対3で勝っていた…。まあ、3年前のW杯以来、守りの堅いイタリアから3点以上取ったのは世界ランク1位のスペインと今回の日本だけ…というのだから、大健闘したことには間違いないのだろうけど、本田が試合後のインタビューで言ったように「勝たなければ、いい試合をしても意味はない」ということですよね。とても悔しい試合ではありました。


そして昨日(日曜日)の早朝、また4時からだけど、日本対メキシコ戦があった。互いに0勝2敗で準決勝進出がなくなったチーム同士とはいえ、日本にとっては貴重な真剣勝負の最後の試合である。この試合こそ、ぜひ勝ってもらいたい…という切羽詰った気持ちでテレビを見ていた僕である。しかし…前半は日本もよく攻めて、あわや得点というシーンもあったけれど、0対0でハーフタイムを迎え、後半に入ったとたん、あぁ! またもや…開始から10分も経たないうちに失点をするのである。なんでいつも同じような時間帯に点を取られるのだ。くくく、くやしい~! おまけにその10数分後に追加点まで取られて2対0。どうもこの試合もまた敗色濃厚となってきた。


後半41分、この大会で最も動きの良かった岡崎がイタリア戦に続くゴールで1点を返したが、そのまま試合は終わり、2対1。最後の望みをかけた一戦にも負けてしまい、すべてが終わってしまったのである。


日本選手はどこか覇気に乏しいような気がする。特にエースを呼ばれる香川は、海外の試合では活躍しているのに、日本代表の試合となるとパッとしない。表情にも、覇気がない(これはそんな顔だから仕方ないか?)。今回、イタリア戦で1本だけ見事なシュートを決めてくれたが、よかったのはそれだけで、あとは「チャンスだ、蹴れ!」という絶好機でシュートをためらったり、蹴り損ねたりで、相変わらず香川は頼りない…との印象が今回も残った。


ファイトむき出しで身体も強そうな本田みたいな選手があと2人いれば…、日本代表も強くなるのにね~と、サッカー好きの妻が言っていたけれど、その頼みの本田も、最後のメキシコ戦では後半になってバテたのか、動きが鈍り、全然いいところなしだった。うまくいかないものですね~


今回のコンフェデを見ていて、改めて思ったのは、日本はいくら攻めても横パスがほとんどで、前にパスが出ない。だから、グズグズしているうちにシュートの機会を失い、相手にボールを奪われ、ここぞという時には、相手の速攻で点を取られてしまう。相手の前に向けてのパスは実に素早い。つまり、敵は肝心な時に得点を入れ、日本は肝心な時にミスが出たり、得点が取れなかったりする。そして終わってみたら負けているのだ。試合運びがうまいか下手か…という差が大きい。


本番のブラジルでのW杯が1年後に迫ってきたが、こんな調子では「優勝」など口に出してもファンはシラけるだけだ。やはりまず1勝を挙げる…ことをめざし、次に予選で上位に入り、ベスト16に進出することが最も大きな目標にすべきだろう。それが達成できたら、あとは無心で運を天に任せるだけである。


そのためには、やはり肝心な時に得点ができ、肝心な時に守りができる…という「うまく試合を運ぶ」ことが最も大きな課題である…な~んて、えらそうに、まるでサッカー解説者のごとき評論をする僕なのですが、いつもサッカーでは悔しい思いをさせられることが多いので、これくらいのことは書かなければ、気持ちがおさまりませんよね。

 
どうも、失礼しました~  

 

 

 

 

 

 

 

 

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「自分とはなにか?」 …な~んてね

2013年06月21日 | 映画の話やTVの話など


この間、BSで「私がクマにキレた理由(わけ)」(2008年公開)という米映画を見た。このタイトルだけでは、いったいどんな映画やらさっぱりわからない…と思うのだけれど、原題は 「THE NANNY DIARIES」という。「NANNY(ナニー)」とは子守りのことだから、直訳すると「子守りの日記」という感じだろうか。


そのnannyを辞書で引くと、nanny cam という複合語も出てくる。意味は「幼児に対する子守りの行動を監視する隠しカメラ」だそうだ。アメリカにはそういうものがあるみたいですね。そういえばいつか海外ニュースで、ベビーシッターが幼児を虐待している映像を見たことがある。で、これが「私がクマにキレた理由(わけ)」という面白おかしく付けられた邦題と、最後に結びつくのである。 


参考までに、この映画のストーリーは…


ニューヨーク、マンハッタン。大学を卒業し将来を模索していたアニー・ブラドック(スカーレット・ヨハンソン)は、就職試験に失敗、セントラルパークで途方に暮れる。するとその時、事故に遭いそうになった少年グレイヤーを救ったアニーは、彼の母親でセレブのミセスXに名前を“ナニー”と勘違いされたことから、グレイヤーのナニー(←つまり子守り)として雇われることになる。しかし、自分磨きに忙しいミセスXが息子の面倒を全く見ず、父親のミスターXも家庭を顧みないため、アニーは24時間グレイヤーの世話を託されてしまう。プライベートもないうえ、言うことを聞いてくれないグレイヤーに困り果てるアニー。それでもやがて、両親に構ってもらえないグレイヤーの寂しさを知り、心を通わせていく。また一方、アパートの上階に住むハーバード大のイケメン学生と出会い、恋が芽生えるアニーだが…。

(以上、「allcinema」というサイトから引用させていただきました)



 

     

 


ドタバタ調のコメディではあるけれど、ヒロインである子守りのアニーと、その雇い主でお高くとまるミセスXの一挙一動の対比が面白いし、「ん、もお~っ」と何度もキレかけるアニーを見ているだけでもククッと笑える映画だ。


子どもの話に耳を傾けてやらず、気持ちも理解せず、子守りに任せっぱなしのミセスXに対して、最後にアニーは本当にキレる。なぜキレたかというと、子ども部屋にあったクマのぬいぐるみの目の部分に、隠しカメラが仕掛けられていたのを発見したからだ。激昂したアニーは、そのカメラに向かって、子どもをほったらかしにして、自分のファッションだの美容だのに没頭するミセスXを思い切り罵倒するのである。そして、その映像を見たミセスXは、最初は怒り狂うが、やがてアニーの真摯な訴えに心を開き、これまでの生き方を反省する…というような結末である。原題に出てくる「nanny」と、監視カメラがついたクマのぬいぐるみを絡ませて「私がクマにキレた理由(わけ)」という邦題を考えた人は、なかなかイキな人ではないか。


まあ、よくあるストーリーだけれど、見てよかった~という感じは残る。


ところで、この映画の中で強く印象に残ったシーンがあった。それは、映画のほぼ冒頭、大学を超優秀な成績で卒業したアニーが、一流会社で面接試験を受ける場面である。どんな質問をされても答えられる自信があった。さっそうと会社に乗り込んで行ったアニーだが、女性の面接官の口をついて出た質問は、「あなたは、自分をどういう人間だと思っていますか?」という意味のものだった。


「何よ、それ…。うふっ、簡単な質問ね~」と安堵するアニー。しかし…


「ウゥ~、アァ~、アイ…アム…、ウゥ…ムニャムニャ~」いざ答えようと思っても、言葉が出てこない。「自分はどんな人間…?」なんて真剣に考えたことなど一度もなかったことに気がついた。だから咄嗟に答えられない。考えれば考えるほど、頭がパニックになってくる。あげくは「失礼!」と、その場から退散するアニーだったのである。それでセントラル・パークで悔しさをかみ締めている時に、目の前に子どもが事故に遭いそうになり、間一髪で救ったのがきっかけで、その母親から子守りとして働いてほしいと頼まれて、物語が始まる。


でもね~。ここに出てくる「自分ってどういう人間なのか?」という問いかけに答えるのはとてもむずかしい。むろん僕も「あなたは自分のことをどう思っていますか?」と急に言われても、映画のヒロインと同様、たぶん何も答えられないだろうと思う。だから、よく何かのキャッチフレーズに「自分らしく生きよう」という言葉があっても、何が自分らしいのか、それが僕にはわからないのだからお話にならない。自分のことは自分が一番よく知っているはずなのに…ね。


この映画のヒロインが、その質問にひと言も答えられず、うろたえながら面接室を出て行くシーンは、僕にとっては何となくホッとするシーンであった。「そうだよね、自分がどんな人間なのかって、簡単には言えないよね」という共感を覚えずにはいられないから。

 

村上春樹の「スプートニクの恋人」という小説があるが、ここでも同じような話が出てくる。主人公の「ぼく」が、自分について語るとき、「自分とはなにか?」についていろいろ考えるところがある。僕の好きな一節なので、ぜひここで引用させてもらいたい。


世間の多くの人は(中略)驚くほど率直な表現で自分について語ろうとする。たとえば「わたしは馬鹿がつくくらい正直で開けっぴろげな人間なんですよ」とか、「私は傷つきやすく、世間とうまくやっていくことができない人間です」とか、「私は相手の心を見抜くのがうまい人間です」とか、そういうことを口にする。でもぼくは「傷つきやすい」人間が、他の人々の心を無用に傷つけるところを何度も目にしてきた。「正直で開けっぴろげ」な人間が、自分では気がつかないまま都合の良い理屈を振りまわすところを目にしてきた。「人の心を見抜くのがうまい」人間が、見え透いた口先だけの追従に手もなくだまされているところを目にしてきた。とすれば、我々は実のところ、自分についていったいなにを知っているというのだろう? (第5章の始まりあたり)


折に触れて「自分とはなにか?」を考えてみるとき、僕がいつも思い浮かべるのがこの小説のこの部分である。おかげで、僕はずいぶん気が楽になった。そんなことを、あえて考え、答えようと努力する必要もないし、「ありのまま」でいいんじゃないか。で、その「ありまま」というのが何か…ということも、掘り下げる必要は特にないんじゃないか…と。


コメディタッチの映画「私がクマにキレた理由(わけ)」を見て村上春樹の小説を連想した…という奇妙な話になってしまったけれど、映画や本の中でそうした「自分と似たような人」との出会いを見つけるのも、また楽しいことである。

 

 

 

 

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週休4日制! ~節酒~

2013年06月19日 | 日常のいろいろなこと


16日の日曜日の父の日に、長男は、全国酒類コンクール金賞という「蔵元の隠し酒・春の番外品」という日本酒をくれ、次男夫婦は、先月に「父の日には少し早いのですが」と、旅行に行った先の和歌山県・白浜からサザエやホタテ貝を送ってくれた。毎年父の日にちなんで息子たちからそういうものをもらうのだけれど、今年はモミィまで「父の日おめでとう」とプレゼントをくれたのである。(「父の日」ですよ。「ジジの日」と違いまっせ~)


そういえば、だいぶ前から「のんちゃん。父の日にプレゼントもらうとしたら、何がほしい?」と僕に聞いていた。「そら、ビールとかお酒やがな」と笑って答えていたら、本当に父の日に可愛いリボンがついた赤ワインをくれたのである。妻と2人でスーパーへ行って買ってきたものらしい。


そんなことでその日は、「蔵元の隠し酒」と赤ワインをさっそく飲みたいところだったが、残念なことに翌月曜日に2ヵ月に1度の徳〇会病院での定期検査と診察があったので、ここひと月ほど酒量を減らし、特に検査前日は決して飲むまいと心に決めていたことから、日本酒とワインは翌日までお預けとなった。もちろん、翌月曜日の夜は「日曜日の分」として、その日本酒&ワインを存分に味わったのである。


そのお酒の話ですが…


約1ヶ月ぐらい前から、節酒を心がけている。いま「日曜日の分」として月曜日に飲んだ…と書いたけれど、お酒を飲む日を、原則として木・土・日曜日の週3回だけにすると決めたのである。この3つの曜日に深い意味はないけれど、スポーツジムへ行かない日が「木・土・日」なので、週にその3日を「飲む日」とし、あとの4日は禁酒…というふうに決めたのだ。木曜日は妻と2人で昼食に出かけることにしており、土・日曜日はどちらかにモミィが必ず「外で食べよう」と言い出すのが常だ。そういうわけで、外食では特に、昼でもビールがほしい僕は、木・土・日を飲む日にしたのである。うふふ~


ところで、晩酌をするとどうしても食べる量も増え、運動量を増やしてもなかなか体重が減らない。秋にマラソンに出るためには、ポッコリお腹もへこまさなければならないし、体重も軽くした方がよく走れるのに決まっている。要するに僕のダイエットと言えば、まず禁酒か節酒から始めなければならないのだ。2年前の今ごろに、自己最長2ヵ月の禁酒をしたことがあるので、やろうと思えばできる自信はついた。しかも今度の場合は週に3回は飲めるので、楽しみはなくならない。僕の体をいつも案じている妻も、これを大いに歓迎してくれている。


そこで月曜日の徳〇会の検査結果だが、アルコールによる肝臓のダメージ度を示すガンマGTPの数値は70だった。標準値よりはまだ少し高いけれど、それまではほとんど100以上だったので、節酒効果がボチボチと出始めている。この「週休4日制」を続ければ、きっと体調も今以上によくなるだろうし、体重も減り、走りやすい体型に近づいてくるだろうと思っている。医師も僕が最近節酒していると聞いて、

「いいですね、その調子で続けてください。あなたの場合は飲酒が心房細動を誘発する最大の要因になっているようですから、お酒を控えることが一番の予防にもなりますしね」


…と言ってくれているので、節酒すれば心房細動(不整脈)の発作が出る心配も軽減する。そんなことで、近頃はお酒に対する誘惑に打ち克っている…と言えるほどではないけれど、まあ少しはその感覚が身についてきたのではないかなぁ、と思っている次第である。


それと、お酒とは関係ない話だが、僕がフルマラソンに出る予定だ…と、このブログで書いた時、かつてのランニング仲間のコバヤシ君が心配して、コメントで「徳〇会の医師に必ず相談してくださいね」と書いてきてくれた。それを覚えていたので、その診察の時、医師に「秋にフルマラソンを走ろうと思っているのですが、不整脈に支障は出ないでしょうか?」と尋ねた。「ずっと走っておられるのですか?」と聞かれたので「10年ぐらい前までは大会に出ていましたがその後は軽いジョギング程度で…」と言ったら、「大丈夫ですよ。よほど無理をしない限り、影響はないでしょう。頑張ってください」と、激励までしてもらったので、さっそくコバヤシ君にそのことをメールで伝えた。すぐに返事が来て、「ホント、よかったです」と喜んでくれた(コバヤシ君、ありがとうね)。


えぇ、まあ、そんなことで、話は前後しますが…


16日の父の日の夜は、お酒の代わりに牛乳をすすりながら食事をしました。


これがホントの「乳の日」です。…な~んちゃって。

 

 

 

 

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帰ってきたスマホ

2013年06月17日 | 日常のいろいろなこと

 

16日は母方のジイちゃんの命日だった。亡くなったのが昭和36年6月16日…と、6ばかりつき、おまけに僕も小学6年生だったのでよく覚えている。ジイちゃんは京都の西陣で自転車店を開いていた。…で、僕もそこで生まれた。


僕らが大阪に引っ越して生活をしていたある日、ジイちゃんが、京都から新しい自転車に乗ってやってきて、その自転車をくれた。「えっ? 京都から自転車で!」。僕らは大阪市内でも京都から遠い南の方に住んでいたので、僕も父母もびっくりした。そして「ふ~ん。自転車があれば、どこへでも行けるんだ」と、当時小学校3~4年生くらいだった僕は、子ども心にそう思ったものだ。


ついでに言うと、今日の6月17日というのは、僕が自転車で北海道往復旅行に出発した日である。ジイちゃんが亡くなってから8年後、20歳の時である。6月17日から8月25日までの70日間、放浪に近い自転車での旅をした。心のどこかに、ジイちゃんが京都から大阪まで自転車で来たことに対する憧憬のようなものがあって、ひょっとしたら、それが僕を駆り立る一因になっていたのかも知れない。その出発の日から、今日で44年の歳月が経った。


さて、自転車と言えば、モミィがやっと自転車を乗りこなせるようになった。昨日、午後から校区の子ども会主催の「ミニ運動会」というのが小学校の体育館で行われたのだが、そこへも、モミィは自分で自転車を漕いで行った。学校まで自転車に乗って行くのも初めてだけれど、無難に乗りこなしていたので、これでだいたい近辺ならどこでも自転車でいけそうな感じになってきた。


この「ミニ運動会」は、校区の子ども会主催なので、参加は任意である。モミィは決して運動は得意ではないのだが、こういう催しは大好きで、去年も出た。今年も早くから楽しみにしていたので連れて行った。1年生から6年生まで、約50名くらいの児童が参加し、6つの班に分かれて、玉入れや買い物競争、障害物競走、紙飛行機投げなどで総合得点を競う。当初モミィは第6班に入ったが、各班の人数がつり合わないとのことで、モミィは4班に変わった。それで…終わってみればその4班が優勝したのだからラッキーである。モミィは他の4班の子といっしょに閉会式で表彰され、お菓子でできた首飾りを首からかけてもらい、大喜びしていた。優勝したことと、自分で自転車に乗って小学校を往復できたことで、モミィにとっては、とても楽しい気分に浸れた日曜日だったようだ。

 

    
      そろそろ自転車にも慣れてきた(?)



 ………………………………………………………………………………


午後からはそのミニ運動会があるので、僕は午前中にauショップに行った。実はその前日、ショップから代用機として借りていたスマホに「修理が終わりましたのでご来店ください」とのメールが入っていたのだ。


ショップへ行くと、若い男の人が応対してくれた。風呂に「水没」させてしまった僕のスマホは、メーカーからの報告書によると…


本体内部に水が浸入した跡がありましたので、有償にて、携帯電話本体一式および電池パックを交換しました。修理後に出荷検査を実施し、正常性を確認しました。携帯電話は精密機械のためお取り扱いに充分注意して頂きますようお願いします。データにつきましては初期化でのご返却となっておりますのでご了承ください。今後ともご愛顧お願い致します。


…と書かれていた。つまり、「修理」といっても、同機種の新品が送られてきたわけで、1年半使ってきた前のものとは違って、ピカピカだった。そしてアドレス帳のほかは全て「再生不可」ということであった。まあ、これは先日この店でも言われ、覚悟は出来ていた。ずっとつけていた日記やその他の数多くのメモや覚えが全部失われてしまったのは、かなり残念だけれど、自分の不注意なんだから仕方ないわけで、それを恨めしく思うより、そんな自分のうかつな行動を今後戒めるべきである…とマジメに言い聞かせた僕なのであります(それでもドジな性格は一向に改まりませんけど)。


さて、これに要した金額は5,250円ということだが、この前にも書いたように、ポイントが5,400点ほど貯まっていたので、それで相殺してもらい、結局現金は1円も支払わなかった。


「ありがとう」と、僕は店の男の人に礼を言い、ショップを出た。


アドレス帳と、SDカードに入っていた写真だけは、そのまま残っていたけれど、それ以外はまっさらのスマホである。また、ぼちぼちと自分に使いやすいよう、手を加えていかなければならない。


僕も機械音痴だから、スマホについてもいつまでも初心者の域を出ず、また使用説明書も熱心に読むということもなかったけれど、もう少し勉強して、いろいろな機能を使えるようになればなぁ…と、この機会に、ちょっと欲が出始めてきた。そういえば、去年、こんな本を買った。勝ったまま、ほとんど読んでいないので、ちょっとページをめくってみることにしよう。

 

 

  

 

 

 

 

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マラソンと高速道路と耳鳴り

2013年06月14日 | 思い出すこと

マラソン。高速道路。耳鳴り。
きょうはこの3つの相互関係について述べたいと思います。エッヘン!


今の家に引っ越して来たのは、1974年(昭和49年)のことである。かれこれ40年近く前になるけれど、当時25歳で2人の子ども(2歳と1歳)がいた僕としては、それまで住んでいた借家が狭くなってきたので、築5年ぐらいの一戸建て中古住宅を購入したのである。この家を勧めてくれた建設会社は「ここは角家ですから将来の建て替えも便利ですよ」と言われ、なるほどと思って決めた。その後、友人の弟さんが工務店をしていたので、その人に頼んで現在の三階建ての家屋に建て替えてもらった。…というのが僕のマイホーム歴なのだけれど、引っ越し当初ひとつ気になることがあった。それは近くに高速道路があることだった。


高速道路があるのは、もちろんわかっていた。わかっていた上でその家を買ったのである。しかし、実際に住み始めてみると、高速道路側にある部屋の窓を開けたら、車の騒音が聞こえてくるのである。それがいささか気になった。それほど大きな音ではなく、妻や子どもたちは別に何とも思っていないようだったが、僕は少しそういうことが気になる性分なので、「ここを選んだのは間違いだったかな?」と、ひそかに後悔したりした。


しかし物事は悪いことばかりでない。高速道路の向こう側に、道路と並行して大和川が流れている。そのおかげで、僕は大和川の堤防でランニングをする習慣がつき、やがてフルマラソンなどの大会に出るようになって、走ることが生涯の趣味になったのだから、人生はどう転ぶかわからない。


そして今は耳鳴りである。6年前から脳の中でキーンキーンと休みなく鳴り続けている。このやかましいことといったら、ハンパではない。そんなとき、ふと、ここへ引っ越してきた当時のことを思い出すのである。あのとき気になっていた高速道路の騒音など、今の耳鳴りに比べれば、蚊の鳴くような声にもならない。まったく比較にならないほど可愛いものである。いや、それどころか、今では耳鳴りが邪魔をして、いくら窓を開けても、高速道路からの騒音はほとんど聞こえないほどである。まったく…。そんな些細なことで引越し当時は悩んでいたのかと思うと、自分を笑いたくなってくる。


それともうひとつ、高速道路に関して、今、思いも寄らぬ恩恵を受けている僕なのである。それは…


…マラソンの練習に関することである。


秋の大会をめざして、今はひたすら走り込んで、少しはマラソンランナーらしく、その土台となる脚力を鍛えておかなければならない時期なんだけど、毎日のこの暑さである。昨日も、観測史上最も早い時期の猛暑日だった…と天気予報で言っていたほどメチャ暑い。とにかく暑い毎日なのだ。


たとえ早朝に大和川の堤防を走っても、今は夜明けが早いので、午前5時過ぎには東の生駒山から太陽が昇ってきて、5時半ぐらいになると日差しがカッと照りつける。6時にはもう走っていられないほど暑さが増す。10年くらい前までは、暑さも平気だったけれど、この年齢になると体にこたえる。無理はできない。


そこに救世主が現れた。近所の高速道路の下に、公園があるのだ。


まぁ公園と行っても、隅のほうに鉄棒があるぐらいで、ただの運動場みたいなものだが、そこがランニングにピッタリなのである。直線で言えば100メートルぐらいだろうか。そこをグルグル走る。1周200メートルちょっと。陸上競技場は1周400メートルだから、その半分ぐらいだ。ゆったりと走れる。めったに人は入って来ないし、犬の散歩もここは禁止されている。むろん、上が高速道路なので、100パーセント日陰である。これが最大の値打ちである。そして日陰のうえ、風通しもよく、涼しい。こんな好条件のところは、めったにない。


最近は、午前8時ごろから約1時間、ここを走る。ごくたまに2時間走るときもある。わずらわしい帽子を被る必要もない。ウォークマンで英会話や音楽を聴きながらゆっくり走っていると、全然退屈もしない。むろん、雨の日でも、好きなだけ走れる。


スポーツジムにもランニングマシンはあるけれど、あれはちょっと苦手である。いくら走っても自分が前に進むわけではない(←当たり前やがな)。走っていてもどうも気分が乗らず、すぐに疲れる。だけどここも室内だしエアコンも効いているので、30分程度なら走れるけれど、それが限度だ。やはり地面を走って前に進むほうがいい。その意味でも高速道路下の「練習場」が最適なのである。


引越し当時には悩みのタネだった高速道路が、こんなかたちで役立つようになってくれるとは、想像もしなかったことである。


人間万事塞翁が馬…とは、よく言ったものですね。


 

 

 

 

 

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わっ! スマホが…

2013年06月12日 | 日常のいろいろなこと

今日はまた、情けない話をしなければなりません。


スマホを風呂の中に落としてしまったのです。
ボチャ~ン、ブクブクブクブク…。


あぁ、最悪!


なぜ風呂なんかにスマホを持ち込んだのか?
これには一応の事情があり、その事情というのは…


先週5日(水)のこと。妻の親戚のお通夜があった。その日の午後、妻だけが電車で2時間近くかかるその場所へお通夜に行った。僕は家にいて、学校から帰ってきたモミィに宿題をさせたり、夕食を作って食べさせたりしていた。8時頃、モミィを風呂に入れることになり、その時に僕はスマホを風呂に持ち込んだのだ。理由は、妻に「帰る時にメールして」と伝えていたので、いつメールが来ても返信できるように…と、風呂の中までスマホを持って入り、小窓にそれを立てかけておいた…というわけである。


結局妻からのメールはその時点では来なかったのだけれど、風呂からあがるとき、それをつかもうとして手が滑り、ありゃりゃ~と思った瞬間、スマホは湯船の中にドボ~ンとはまってしまったのだ。トホホ。


僕はうろたえて、お湯の底に横たわるスマホを拾い上げようとして、つかみ損ねたり、一度手に取ったのにまた落としたりと、慌てれば慌てるほどドジを重ね、スマホがお湯の中に没していた時間を数秒間長引かせてしまった。


ドタドタ~と風呂からあがって、改めてスマホを手に取り、操作してみると、一応、待ち受け画面は出るのだが、字がふにゃふにゃと斜めにゆがんで、見たことのないような画面になり、しかしそれもしばらくするとす~っと消えてしまったり、電源をいくら押しても切れなかったりで、明らかに異変が起きていた。


で…、そのまま一晩置いておくと、翌朝、スマホの四隅が水滴のような模様で白く濁り、今度は電源は切れており、電源ボタンを押しても押してもなかなかうまくいかず、電池パックを取り出し、また入れなおすというテキトーなことをやると、電源が入ったけれど、なんとかカードが無効です…などというエラーメッセージが出たり、また電源が入らなくなったり、何が何やらわけがわからないことばかりで、これはもうとても僕の手には負えないことを悟ったのである。


そんなことで、さっそくauのショップに出向いた。


「どうされましたか?」と、お店のカウンターの女性。
「スマホをお風呂に落としてしまいまして」と頭を掻く僕。
「えっ…?」と、女性は「ダメねぇ」という顔を、一瞬した。


僕から四隅が白く濁ったスマホを受け取った女性は、ボタンを押したり、裏のフタを開けたり、閉じたり、画面をグーッと近づけて覗き込んだりと、さまざまなことをしながら、「写真はSDカードに入っているので無事ですが、本体の内部データは戻らないかも知れません」と言い、さらにいろいろ調べてくれたあと、「あ、電話やメールの登録は大丈夫です」と言ってくれたときは安堵した。このスマホには他にスケジュールや日記、いろんなメモ、覚えなどのさまざまな情報を入れていたけれど、それはたとえ消えてしまっても、まぁいい。でも、電話帳というか、アドレス帳が消えたら、登録している人たちの電話番号からメールアドレスまですべて失ってしまうことになる。それが昨夜から最も気がかりになっていたのである。「ただ、メールや電話の履歴などは全部消えますけど」ということだった。まあそれは「過去は消えても仕方ない」で済ませてしまおう。


次に係の女性は、「これは本社に送って修理ということになりますが、直らなければ新しいものをご購入いただくことになります」と言ったので、「いいですよ」と、元よりそのつもりの僕は軽く返事した。「お客様は保険に入っておられますので、5,250円で新規購入ができます。しかもポイントが5,500点ほど貯まっていますので、それでカバーできますから代金をお支払いいただく必要はありません」ということだった。ふ~ん、ポイントがそんなに貯まっていたんだ。そんなこと、全然知らなかった。それと、やはり保険には入っておくものだなぁ。特に僕のようなボンヤリしている人間には、それがゼッタイに必要だ。


「だいたい、2~3週間かかりますので」と言いながら、係の女性は、僕のスマホに辛うじて残っていた電話帳とアドレス帳の登録一覧を、別の代用のスマホにコピーしてくれ、「それまでこれをお使いください」と僕に差し出した。受け取った代用機は、これまで使っていた機種とよく似ているが、ちょっと違っていた。簡単な使い方だけ教わったが、でもまあ、2~3週間のことだ。電話とメールとインターネットさえできれば、それでいいんだもんね。


女性から「この代用機を紛失や破損されますと1万500円ご請求させていただくことになりますが…」と言われたので「もう風呂には持って入りませんから大丈夫です」と僕が言うと、女性は、クスッと初めて白い歯を見せて笑った。


以上のようなことが文章にされた「修理取次票」というのがあって、そこに署名をして、その控えをもらって帰ってきた。それを丹念に読んでみると、「故障事由」のところには「事故・破損・水濡」と書かれていたが、「詳細症状」の欄には「水没」と書かれてあった。う~ん、水濡ではなく、水没…なんだ。かなりの重症のようである。たぶん、新規購入ということになるのだろう。


…という次第で、現在は、使い慣れない「代用スマホ」を使ってます。


ところで、おまけの話ですが…


風呂の中でスマホを落とした瞬間とその一部始終を、モミィにまともに見られてしまった。これからモミィが物を落としても、僕が注意したら「スマホをお風呂に落とすのんちゃんより、マシでしょ?」と言われるんだろうなぁ。ぐすん。


 

 

 

 

 

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マラソンの申し込みも一苦労

2013年06月10日 | ランニング

秋に久しぶりのフルマラソンを走るつもりで、毎日ボチボチと練習を続けているけれど、どの大会に出場するのか…。


5月22日のブログに書いたように、第一候補に11月3日の大阪・淀川市民マラソンを考えていた。しかし、エントリーしようにも、ホームページには「5月初旬にエントリー開始」とあるけれど、5月下旬になってもそのままの画面なのだ。いつになったら始まるんだ? と思いながら、同ホームページを毎日チェックし続けた。何しろ毎年ゲストに高橋尚子さんが来るという人気のありそうな大会なので、参加希望者も多いはずだ。フルマラソンの定員は6,000人だが、申し込みの先着順で出場が決まるので、受付が始まればすぐにエントリーしなければならない。だから、毎日パソコンをチェックしなければならなかった。昨今は走る人が急増したのか、マラソン大会一つ申し込むのも結構苦労する。


さて、その大阪・淀川市民マラソンだけど、5月末になると今度は「6月初旬にエントリーを開始します」という画面に変わった。なんだかなぁ。「5月初旬」が「6月初旬」に変わっただけで、日時は依然不明のままだ。やれやれ。いい加減なことだ。本当に気を持たせるんだから…。それでも毎日、せっせとアクセスするほかはない。なにか「走らせていただく」という感じすらしますね~


そして6月3日の朝。いつものようにそのホームページを開けようとしたら、なかなか画面が現れず、あげくの果ては「エラー」の表示が出た。何度やっても同じ結果だ。これは、ひょっとして、全国からアクセスが殺到しているのではないか…と不吉な予感が走った。そして夜になってやっと画面にアクセスでき、そこに「6月4日にいよいよエントリー開始!」と出ていたのを見て、ホッと胸をなでおろしたのである。4日といえば翌日である。何時からか不明だけれど、朝早くからチェックしよう、ということでその日は終わった。


さて翌6月4日。僕は朝の6時頃から10時頃まで、30分間隔でパソコン画面を確認したけれど、いつ見ても「6月4日にエントリー開始!」という文字が躍るだけで、何時から始まるのか示されていない。不満は溜まる一方で、イライラしてきた。よし、この大会だけに頼るのがいけないのだ。別の大会も当たってみよう…と、他のマラソン大会の一覧を眺めていたら、これまで気がつかなかったが、奈良マラソンが目に入った。(奈良マラソンといえば、このブログにコメントもいただいている「びん」さんが、確かこの大会に出場されたはずである)


奈良マラソンは12月8日に開催…とある。これは規模が大きい大会で、参加者もフルマラソンは1万人だ。ここなら行くにもにもさほど不便ではない。しかし参加者募集要領を見たら…インターネットでの申し込みは5月末で終了、とあった。定員を超える応募数があったので、締め切ります…と書かれていた。


あぁ、もう締め切られたか…と思いきや、今回から郵便による受付(参加定員1万人中、千人のみ)も始めました…とあった。そしてその受付開始日が、なんと6月4日から…と書かれているではないか。今日だぞ! 今日から始まるのだ。これはラッキーだった。「4日の消印から有効です。3日までの消印のものは受け付けません」とのことだった。


僕はあわてて、奈良マラソンのホームページにあった申し込み用紙を印刷し、そこへ参加種目(フルマラソンの部一般)、氏名、年齢、住所、電話番号などを書き込み、封筒にあて先を書き、近くの郵便局まで自転車を飛ばして行った。郵便局で80円切手を2枚買い、1枚を返信用として申し込み用紙に添付して中に入れ、封を閉じてもう1枚の切手を封筒に貼り、郵便局の女の人にそれを差し出した。そして、「消印はいつになりますか?」と聞いた。「今日の4日です」という返事が返ってきた。よ~し、開始初日の消印で申し込んだのだから、参加できることはほぼ間違いないだろう。これでもう、淀川マラソンの先着順争いには敗れてもかまわない…と、気持ちのモヤモヤが少しは晴れた。


郵便局からそのままスポーツジムに行き、少し泳いだだけで早い目に帰ってきた僕は、またパソコンを開け、大阪・淀川市民マラソンのホームページを開いたのである。すると…そこには、「お待たせしました。6月4日17:00分よりエントリー開始」と書かれていた。あぁ、5時か…。やっと時間が出た。しかし、午後5時までまだまだ時間があるし。どこまでも気を揉ませるなぁ。


…さぁて、その5時がやって来た。むろんすでにパソコンのそのページは開いていたので、時間が来ると、自分が会員登録しているランネットというサイトからエントリーをした。どうやら、先着順には入ったようである。エントリー完了!


…と思われたが、大会参加費を入金してはじめてエントリーが完了するとのことなので、近くのファミリーマートへ行って、機械と格闘しながら、ネットで示されていたお客様番号などを入力し、出てきたレシートのようなものをカウンターのお姉さんのところへ持っていき、参加費の5250円を支払うと、領収書兼明細書をくれた。これが大会に正式エントリーをした証明書となるのだ。

あぁ、やれやれ。これで11月3日の大阪・淀川市民マラソンと、12月8日の奈良マラソンの2つに参加する資格を取れた。ひと安心である。


…と思ったのも束の間。昨日、奈良マラソンのホームページを開けると、こんなことが書いてあった。


6月4日(火)付消印分より郵便申込によるランナー募集(消印日順)を開始しましたところ、フルマラソン種目は4日付消印分で定員を超過することが確実になりました。したがって、締め切りとし、4日付消印分のみで未着分を待って抽選を行います。5日付消印分以降は受付いたしませんのでご了承ください。当選及び落選・非受付については6月下旬から通知文を送付する予定です。


…ということだった。


4日の消印で送ったので決まり!…と思ったのが間違いでした。
抽選ということなので、奈良マラソンには出られるかどうかは未定です。
ホント、大きなマラソン大会のエントリーというのは油断がならないんだから。


あちらこちらを掛け持ちでエントリーしている人が大半なのかも知れませんが、それにしても、これほどフルマラソンに出たがる人たちが多いとはね~


びっくり、びっくりです。


でも、11月3日の大阪・淀川市民マラソンには参加できることになったので、あとはその日の完走を目標に、ゆるゆると練習を積み重ねていくつもりです。

 

 

 

 

 

 

 

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オスプレイと八尾空港

2013年06月07日 | ニュース・時事

今朝のほとんどのテレビニュースや新聞紙面でトップに報道されていたのは、米新型輸送機オスプレイに関することであった。昨日、日本維新の会の共同代表である橋下徹・大阪市長らが、安倍首相と会談し、オスプレイの訓練の一部を、大阪府八尾市にある八尾空港で受け入れるという考えを伝え、首相側もその実現の可能性について検討に入った…というニュースである。


八尾市というのは、僕が住む藤井寺市と隣接している市である。わが家は藤井寺市の北の端にあり、すぐそばに大和川があって、川の向こうに八尾市がある。八尾空港はその大和川の近く。つまり、藤井寺市の北にある僕の自宅から八尾市の南にある八尾空港は、川を隔てて目と鼻の先なのである。先日、僕のマラソン練習のコースとしてご紹介した「大阪・南河内サイクルライン」のホームページの書き出しにも…


南河内サイクルラインの起点は、大和川にかかる大正橋。すぐそばの八尾空港から飛び立つ小型飛行機を見ながら、河内長野をめざしてスタート。


…と書かれている。その大正橋がわが家の近くにあると、前々回(6月3日)のブログで書いたばかりだ。う~む。八尾空港にオスプレイが…本当に来るのか。来れば、僕も空港から飛び立つオスプレイを見ながら、ランニングをする…ということになるのかも知れないが、そんなのんきなことを言っている場合ではない。昨夕、急きょ記者会見を開いた田中誠太八尾市長は、地元に何の相談もなく一方的にこの話が進められていることに対して大きな不満を表明し、反対の立場を鮮明にした。周囲には住宅や企業が密集しているところで、本当に安全なのか…?ということだが、わが家の周辺もその圏内に入っている。


テレビを見ていると、周辺の住民の人たちのインタビューが行われていた。テレビに映っていた場所は、僕にもなじみの深いスーパー・イズミヤの前だった。インタビューに答えていた人は、ひとり「沖縄の負担が少しでも軽くなればいいんじゃないですか」と答えた人を除いて、あとはすべて「安全性に問題がある」と反対意見であった。僕が通うスポーツジムで、八尾空港のすぐそばに住んでいる男性がいるが、「飛行機やヘリの騒音がやかましくて仕方ない」とボヤいているのを何度も聞いた。そういう人たちは、その上にオスプレイなんて、「とんでもない、ふざけるなっ」と言いたいところであろう。


沖縄の人々の負担を少しでも和らげる…という考え方はとても尊いことである。しかし、今回の橋下氏の言動の流れを見ると、新聞などでも指摘しているが、「従軍慰安婦」「風俗」などの発言問題で国民の信頼を失墜したと言われる橋下・維新の会にとって、失地回復の道具として使われているのなら、動機が不純すぎる、と言わなければならない。(橋下氏そのものは、僕は嫌いではありませんけど…)


八尾の田中市長は「市民は騒音がどうなのか、本当に安全性が確保されているのか。疑問や不安が先に立つ」と述べた。僕も近隣の住民の一人として、市長の言うとおりだと思う。そしてこの問題を、いろんな情報やあらゆる角度から探ってみても、オスプレイ訓練の一部が八尾空港に移転される実現性は、限りなくゼロに近いようにしか見えない。障害が多すぎて、はかどらず、そして、難航したあげく、たぶん実現はしないだろうと思われるのである。


 

 

 

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日本 W杯出場決定!

2013年06月05日 | スポーツの話題

  

 

いやぁ、ほっとしましたね~。昨日のW杯アジア最終予選のオーストラリア戦。試合は日本が押し気味に進めていたのに、後半36分、一瞬のスキをつかれて失点。あちゃぁ~。残り10分足らずで日本は追いつけるのか? 引き分けでも5大会連続のW杯出場が決まるというのに、これではなぁ…と落胆していたら、試合終了寸前に相手のハンドを誘ってPKに持ち込んだ。そして本田がゴールのど真ん中に蹴りこみ、劇的な同点。そこで試合終了のホイッスル。やりました~


去る3月26日、敵地で行われたレバノン戦。ここで勝ちか引き分けでW杯出場が決まるところだったが、格下相手に2対1で敗れてしまった。遠藤がPKを外したのが痛かった。あれが決まっていれば何も問題はなかったのにね~。


「これで5度連続のW杯出場決定は、2ヵ月以上先の6月4日のオーストラリア戦までお預けとなった」と、翌日のブログで僕は嘆いた。しかしまあ、そのおかげで、昨日、史上初めて、国内の試合でW杯出場を決めることができて、それはそれでよかったのかも知れない。


これで日本は1998年のフランス大会に初出場して以来、5大会連続でW杯に出ることになった。う~む、5大会連続とは…


かつて、長い日本のサッカーの歴史の中で、どうあがいても予選を突破できず、W杯本戦出場などは夢のような話だったのがまるでウソみたいである。これはアジアの出場枠が拡大されたこともあるけれど、今の若い人たちは日本がW杯に出ることなど当たり前のことのように思っているだろう。でも僕らのような古い人間から見ると、日本が毎回、大した苦労もなく勝ち上がるなど、以前からは想像もできないことなのである。

ほんと、日本のサッカーも強くなった。選手の海外進出がどんどん増えてきていることが大きな要因だ。今朝の新聞によると、W杯に初出場した1998年にはゼロだった海外組は2002年4人、06年6人、10年4人、そして昨日のオーストラリア戦では登録23人のうち14人を占めていたそうである。日本サッカーのレベル向上は、この数字を見てもよ~くわかる。


そんなことでまたW杯本番が楽しみになってきたが、来年の6月12日から7月13日まで、ブラジルで行われる。まだまだ先の話だけれど、またこのブログで、一喜一憂することになるのでしょうね~

 

W杯に関する2つの過去ブログをご参考までに…


・W杯出場決定は…お預け(今年3月27日)

  http://blog.goo.ne.jp/non-ap/d/20130327 



・日本 W杯出場決定!2009年6月7日)

  http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/c4ff49cad86c8a67942ce45c5f43267e

 

 

 

 

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2日続き(?)の運動会

2013年06月03日 | 日常のいろいろなこと

6月1日。久しぶりに20キロを走った。

いつも走っている大和川堤防は、上流へ向かうと、そのまま支流の石川という川の堤防へとつながり、そのコースは、大阪・南河内サイクルラインと呼ばれる。片道21キロ余りで、往復するとちょうどフルマラソンの42.195メートルとなるので、以前は練習でフルマラソンの距離を走る時、よくこのコースを往復した。その起点となる場所が、わが家のすぐ近くにあるので、その点は好都合だった。
これがコースの概要です   起点の「大正橋」がわが家の近くです。 


http://homepage3.nifty.com/itsuji/tabi-1.htm


最近はそんな「遠征」をする元気もなく、近くの堤防をトロトロと行ったり来たりするだけだったが、その日は20キロ走をめざしていたので、久しぶりにこのコースを走った。10キロ地点まで行って少し休憩し、また来た道を戻った。さすがに残り2キロぐらいでは足が鉛のように重くなったが、何とか歩かずに最後まで走れた(と言っても、ほとんど歩くようなスピードでしたが)。時計を見ると、スタートから3時間近くかかっていた。このペースでフルマラソンを走ったら6時間を超えてしまう。正直なところ、せめて5時間台では走りたいのだけど、まあ、レースはまだまだ先の11月だし、制限時間は7時間ほどあるし、欲張らず無理せず、ゆっくりと完走だけをめざす気持ちを忘れずにおこう。


ランニングから帰り、10時ごろ、モミィにせがまれるまま図書館へ行った…のだが、行くときに妻が、「モミィは自転車に乗って行けば…?」と言った。いつものように僕が自転車の後ろにモミィを乗せるのではなく、モミィが自分で自転車に乗って行く…という妻の提案だった。まだ練習中であり、どこかへ出かけるほど上達していないモミィが、自転車で約1キロ先の図書館まで行けるのか…と心配だったが、モミィも、「自分の自転車で行きた~い」と言うので、思い切ってそうすることにした。僕は不安に駆られながら、自転車に乗り、モミィに、きちんと後ろについてくるよう指示した。図書館に到着するまでの間、僕は前よりも後ろを向いて走っている時のほうが多かったに違いない。そして何とか無事に到着し、帰り道はスーパーへ寄ったけれど、モミィは無難に自転車を乗りこなしたのである。この日はモミィの「自転車記念日」として、記しておきたい。


…と、そんなことで、この日は、僕は20キロ走り、モミィは初めて自転車に乗って出かけるという、わが家の「運動会」みたいな日であった。


そして翌日の日曜日、今度は「本モノの運動会」がモミィの小学校で開かれた。この小学校は開校して40年近く経ち、かつては2人の息子たちもこの小学校に通っていたのだが、運動会といえば必ず秋に行われた。それが何十年も続いてきた。しかし今年から時期が変更され、今回、6月2日の開催となったのである。


朝から雨がパラつき、開会式の時も僕たちは傘を差して見学した。去年は9月末に開かれたが、当日が大雨で数日後に延期された。どうもお天気との相性が悪い運動会だけど、今年はパラつく程度で終わり、予定通り開かれてよかった。


モミィは幼稚園の時から小学生になった去年まで、前回のブログでも書いたように「ゆっくりめ」なので、運動会になると、ちゃんと走ったり踊ったりできるのだろうか…と一抹の不安を抱えながら見ていたものだが、今回は僕も妻も安心して眺めていられた。やはり、それだけ成長したのだろう。そばで見るモミィは、運動会を心から楽しんでいるようだった。


徒競走は1、2年は50メートル走だ。4人ずつ走る。昔は男子は男子、女子は女子で走ったと思うのだけれど、今ごろは男女混合で走る。男女で分けることはせず、身長の順番で走るのだそうだ。それで、モミィは3組目ぐらいに出てきたのだが、ほかの3人はすべて男子だった。それでも、スタートしてモミィは先頭に近い位置を走り、後半は男の子たちに抜かれて結局4位だったものの、大きな差はついていなかった。競馬で言えば半馬身ずつぐらいの差だった(笑)。

 

 
  50m走のスタート。右端がモミィ。



モミィが「いちばんたくさん練習した」と言っていたのが、ダンスだったが、それも楽しんで踊っていた。

一度きりの人生 転がるように 笑って泣いて生きてゆこうぜ~

嵐のヒット曲「ワイルドアットハート」に乗ってボンボンを振り、踊るモミィは、とても嬉しそうで、生き生きとしていた。

 

 
 中央にモミィ。転んで怪我をした左膝に大きなテープが貼ってある。
 今回の運動会は、このテープが目印となり、モミイがよくわかった。


 

 
   
大玉ころがしでも奮戦!



 
ということで…土曜日はわが家の「運動会」で、日曜日は学校の運動会でした。今日の月曜日は、モミィは学校が休みですが、10時から歯医者、夕方はECCの英会話教室へ連れて行きます。


子どもが一人いると、なかなか忙しいです。

 

 

 

 

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モミィ、あと一息で自転車に

2013年06月01日 | モミィの成長日記

小学校2年生になっても、モミィはまだ自転車に乗れない。どうも運動神経が鈍いというか、わが家に遊びに来る同学年の女児の友だちを見ているとそれがよくわかる。機敏さが違う。器用さが違う。それにその子たちは、ふるまいが積極果敢である。むろん遊びに来る時は、みんな自転車で来る。かなり遠くから来る子もいる。しかもこの間などは、26インチの大人用の自転車に乗って遊びに来た子もいた。とてもじゃないが、モミィと同じ7歳児とは思えない。


2、3日前の朝、近所の子どもたちと一緒に学校へ向かって歩き始めたとたん、玄関先で妻が見送る目の前で、モミィは道でつまずいて転び、左膝が血だらけになる怪我をした。よく転ぶ子なのである(トホホ)。


万事に動作がゆっくりめである(ゆっくりめ…なのに、転ぶのだ)。


もっとも、幼稚園に入った当時(わが家で暮らすようになる以前のことだが)、医師から「広汎性発達障害」などという有難くないレッテルを貼られたモミィなので、その当時から見れば、よくここまで成長してきたという思いはある。で、そうなるとさらに次の段階へと…欲も出てくる。やはり35人いる学校のクラスの子どもたちの中で、いまだに自転車に乗れないのはモミィを入れて2人か3人だけとのことなので、そういう事態はそろそろ打開しておかなければならない。


子供用の自転車は幼稚園より前に買っていたが、補助輪付きのままで喜んでこぎ始めたのもつかの間、ある時、スピードを出しすぎ、カーブを曲がろうとした時に、思い切りひっくり返った。それ以来、自転車を怖がるようになり、決して乗ろうとしないのだった。


買い物に行くのも、ヤマハ音楽教室に行くのも、ECC英会話教室に行くのも、どこへ行くのも僕がモミィを自転車に乗せて行くのである。しかし、いつまでもそうしているわけにはいかない。そこでこの4月、2年生になったのをきっかけに、夏休みまでには乗れるようになろう…とモミィは誓いを立て、自転車の補助輪をはずし、おそるおそる乗るようになった。…といっても、ひとりでペダルを漕ぐことはできないので、僕や妻が横で自転車を支えて一緒に走るのである。中腰のままで自転車を支えながら走るのは、慢性の腰痛を抱える僕としてはかなり辛いものがあったけれど、そうも言っていられなかった。


そんなことを繰り返しているうち、さすがに徐々に慣れ始めたモミィは、このごろ、食事を終えた夜の7時半頃から外に出て(日中は暑いですからね~)、近所の住宅街の中の道を、よろよろと走ることができるようになった。そしてごく最近は、もっぱら妻が食後の散歩を兼ね、モミィを連れ出し、もう少し長い時間をかけて自転車の練習をさせるようになった。

昨日、その時間に僕も一緒に外に出て、モミィの「運転ぶり」を目の当たりにしたわけだけれど、驚いた。1週間ほど前に比べ、モミィは長足の進歩を遂げていた。これまで、ちょっと走ってはすぐに足をついて止まっていたのが、100m以上の距離を止まらずに走れるようになっていたのだ。ちょっとハンドルはぐらぐらして、危なっかしいですけどね~


「早く3人で自転車に乗ってどこかへ行ければいいのにねぇ」とはこのごろのモミィの口ぐせである。つい最近まで、自転車の練習をためらっていたのが、今では食事が終わると「さ、練習に行こう!」と自分から積極的に言い出すようになった。


やれやれ…。モミィが抱えていた大きな課題のひとつが、近いうちに解決しそうで、うれしいです。


さて、今は6月1日(土曜日)の午前4時です。…あ、もう今日から6月なんですね。今月が終われば1年も半分過ぎるわけで…早いですね~


あと30分もすれば、うっすらと夜が明け始めます。このあと軽く食事をして、大和川にジョギングに出ます。歩きも入れた超スローペースですが、今日は何年ぶりかの20キロをめざしています。今度は僕自身の課題…フルマラソンの完走…に向けて、ボチボチと距離を伸ばしていきたいと思ってます。


では皆さま、良い週末をお過ごしください!

 

 

 

 

 

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