僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

ジョホールバルのテーさん

2014年11月30日 | 旅行

  
   


海外パック旅行で価格が安かったり少人数だったりするツアーだと、旅行社の係員が日本から同行せず、行く先々で待ち受ける「現地案内人」にお世話になることが多い。その案内人は日本人の時もあれば、そうでない時もある。


ある年の7月。家族とともに東南アジアへ旅行した。そして、マレーシアのマラッカからマレー半島を縦断する列車に揺られ、半島最南端でシンガポールのすぐ手前のジョホールバル駅に到着した時のことである。(ジョホールバルと言えばその昔、サッカーW杯アジア最終予選でイランを破り、日本が史上初めてW杯出場を決めた場所として有名だ)


そのジョホールバルのホームで待っていてくれたのは、ちょび髭をはやしたアロハシャツ姿の男性であった。僕たちを見つけてニィッと笑い、「〇〇サンですね」と、日本語で僕たちの名前を確認したあと、こう付け加えた。


「ワタシのナマエはテーです」そう言って、「わかりマスカ? テーです」とまた言った。さらに次には、グイっと片腕をこちらに突き出した。こぶしが僕のすぐ目の前にきた。何する気や…? とちょっとびっくり。すると彼は、


「ワタシのナマエはテーです。わかりマスカ?」とまたまた同じことを口にした。そして「テーです。テー、テー」と、テーを連呼しながら腕を見せて、僕の顔を覗き込み、白い歯を見せた。ようやく、言っている意味がわかった。
「手」だ、と言っているのである。

 

自分のテーという名前は日本語で「手」と同じ発音だから、日本人にサービスのつもりで腕(手)を突き出してみせ「ワタシノ ナマエハ 手 デス」と言ってるんだ。あはは。(何も面白くないダジャレだが、一応笑っておく)。


そんな自己紹介をしたテーさんは、「列車、きょうは時間ピッタリでしたね。お昼ごはんに間に合ってよかったよ」と、駅の近くのレストランへ僕らを案内してくれた。

 
このテーさん。日本語はわりにうまいのだが、つまらないシャレを言うほかにも、ヘンな口癖があった。会話の中で「○○を知ってマスカ?」という言葉がやたらに多いのである。たとえば…


「オランウータンってどんなイミか、知ってマスカ?」
(答→「森の人」だそうだ)…とか、
「マレーシアの国の花、何か知ってマスカ?」
(答→「ハイビスカス」だそうだ)…とか、
「ここでは4カ国の言葉が使われてマス。知ってマスカ?」
(もぉぉ~、知らんわい!)


…などなど。さらりと流して説明してくれたらいいのに、途中で何度もこんな質問を投げかけてくる。こちも黙っているわけにもいかず、いちいちそれに対して「さあね」とか「ウーン、何だろうなァ」とか、相槌を打たねばならず、ただでさえ暑いのによけいに疲れてしまう。


レストランを出たあと、回教寺院を見物した。まわりにいる物売りの男たちはみな相手が日本人だと知ると、サラという敷物を道端に並べて、「ドオ?1枚千円ダヨ」と日本語で声をかけてきたりする。


寺院の前に、白くて丸いベレー帽のようなものを頭に載せている数人の回教徒がいた。テーさんはその人たちを見て「あの人タチ、どうして白い帽子なのか知ってマスカ?」とまた質問をした。こっちはもう聞こえていないフリをする。しかしそんなことは全然気にしないテーさんは、ニィッと白い歯をむき出して、「あの白い帽子は、メッカ(イスラム教聖地→マホメットの出生地)へ行ったことのある者だけがつけることを許されるのです」と説明し、「このヒトは…」とそばに座っていた物売りを指し「まだメッカに行ってないのです」。なるほど、その物売りは、白ではなく、黒い帽子をかぶっていた。


「ふむ、ふむ。そういうことね」と僕が納得したら、テーさんは
「ハイ、そういうことデス。知ってマシタカ?」
と、また訊いた。どこまでもしつこいおっちゃんである。


僕は心の中で、こう叫んだ。
「ええい! うるさい! もう訊くな。そんなことは百も承知だ。ワシは何でもお見通しなのだ。このあとアンタが訊くことはぜ~んぶ知ってるぞォ。驚くなよ、ワシの名はなぁ、マホメットなのじゃぁ!」
もしそれを口に出したら、テーさんは「ゲゲェ!」とびっくりするだろうなぁ。
そして、僕はテーさんにこう付け加えてやるのだ。

「…知ってマシタカ?」


さてジョホールバルから車で国境を越え、シンガポールに入ったところで、やっとテーさんとはお別れをし、次の現地係員と対面した。このシンガポール人の係員は、僕たちを見て、今度はこんな自己紹介をした。


「ワタシのナマエはホーです、よろしく。アホーのホーだよ」


「手」の次は「アホ」かいな。
こんなんばっかりやがな。

 

 

  
 左のおっちゃんがテーさんです。(ジョホールバル駅にて)
 

 
 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

児童英検のこと

2014年11月28日 | 日常のいろいろなこと

児童英検というのがある。一般の英検ではなく子どもを対象にした児童英検です。モミィが去年の4月から通い始めたECC英語教室で、そういうのがあるということを初めて知った。

 

この児童英検にはブロンズ、シルバー、ゴールドの3つのグレードがあり、それぞれ80点以上を取ると合格となる。


今年の2月にモミィは初めて児童英検(ブロンズ)を受検した。専用のテキストを買い、附属のCDを聴いて正解にマルをつける勉強を繰り返した。その成果があって合格し、次の6月には(児童英検は年3回実施される)シルバーを受検した。試験内容は難しくなったが、これも無事に合格した。


そして10月下旬に、難関であるゴールドにチャレンジした。勉強するときは僕も常に一緒にやってきたので、何だか自分が受検するような気がした。試験が終わって教室から出てきたモミィは「5つか6つ、わからんのがあったわ」と言った。ゴールドは45分間で50の問題が出される。50問のうち40問正解すれば80点で合格になるので、モミィの判断が当たっていれば合格圏内だ。結果がわかるまでの約1ヵ月間、僕もモミィも期待に胸を膨らませていた。


その結果が一昨日に知らされた。50問中、44問正解し、88点だった。ECCの人から「おめでとう、よく頑張りましたね」と、賞状をもらって、モミィもとても喜んでいた。週一度ECCに行くだけではしっかりした英語力は身につきにくい。やはり日常の家庭学習が大事。モミィと二人三脚でゴールド合格の目標に向けてトレーニングを積み重ねてきたことが報われて、僕も嬉しい。


実を言うと、11月から塾へ行き始めた関係で、時間が取れなくなり、10月末でECCをやめた。「もったいないですね」とECCの人が惜しんでくれたけれど、この1年半の外国人講師との交流はいい体験になったし、今後もモミィの中で生き続けていくだろう。英語の勉強そのものをやめるわけでもない。これからも、マンツーマンで家庭学習を続けていく。


次は一般の英検の初歩となる5級をめざします。
4年生になる来年の6月ぐらいに受けさせたいと思っています。

 
 

  
   モミィがもらった児童英検のゴールドの合格証です。

 

 

  
   これらのテキストでレッスンをしてきました。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

耳鳴りの音が外に聞こえたら

2014年11月26日 | 心と体と健康と

耳鳴りが発症してから丸7年がたち、8年目に入っている。ちっとも良くならない。良くならないどころか、逆にひどくなってきているように感じる。


病院でのTRT療法も、昨年12月から行っていない。行っても良くならないんだからしょうがない(気休めにはなりますが)。耳鳴りの症状を改善するという機器「TCI」も、特に耳鳴りを強く感じる時はつけているが、以前のようにずっとつけっ放しにはしなくなった。つけても苦痛が緩和されるのはごくわずかだし、また、こういうものに頼り続けるのも、あまりよくないのでは…と思ったりするからだ。


耳鳴りというのは、どれほど大きくキーンとかジーとか響いても、それを他人(たとえば医師)に伝えても、相手にはわからない。自分以外は聞こえないのだから、これも仕方ないことだ。結局医師も、なるべく静かな状態を避けて生活をし、リラックスするよう心がけましょう…という診断しか出来ない。時には耳鼻科でなく心療内科を受診するよう勧められ、そこで安定剤を処方してもらったりする。だから耳鳴り持ちの人は、半ばあきらめの境地でこの症状を受け入れなければならない。つらいけれど。


そんなことで耳鳴り治療にはまるで進歩がない。特効薬もむろん無い。まぁ命に別状もないことだし、医学界も真剣に考えてくれていないのかも知れない。もしこのうるさいキーンとかジーという耳鳴りが他人(特に医師)に聞こえる性質のものなら、もう少し耳鳴りの治療も進んでいただろうに…と思うのだけどね。


でも、このあいだ、ふと思ったことがある。


コスパのヨガ教室でのことである(僕は毎週金曜日にヨガに入っています)。


インストラクターのお姉さんの「では始めましょう」との合図で、ピンと背筋を伸ばして座る。室内がシーンと静まり返り、聞こえるのはスピーカーから流れてくる静かな音楽だけ。そしてインストラクターのお姉さんが物静かな口調で…


「目を閉じて…。鼻から息を吸い入れて…。全身を新鮮な空気で満たしていきます…。耳を澄まし、呼吸の音を聞きましょう …………… ……………」


ピリッとした空気が流れる。室内には大勢の人がいるけれど、咳払い一つ聞こえない。そうした静寂の中で「呼吸の音」に耳を澄ます。…そんな状況になると、僕の耳や脳の中では、耳鳴りがまた一段と大きく響き渡るのである。まるで部屋全体に響いているのではないかと錯覚するほど、頭の中でキーン・ジーと響く。その音の大きいこと、大きいこと。


そこで思ったのだ。いま、この耳鳴りのキーン・ジーの音が漏れて外部に聞こえると、これは極めてまずいことになる。静かにしなければならない時に、キーン・ジーという大きな音がうめくように僕の脳内から発して部屋中にうるさく響き渡れば、みんな何事かと驚いてこちらを見るに違いない。ここに限らず、静かにしなければならない場所ではどこも同じである。みんな「シーッ 静かに!」と僕の方を向いて睨むだろう。でも自分ではどうしようもない…。そんなことになるのもイヤだしなぁ。


耳鳴りの音は蝉の鳴き声に似ているから、「おや、こんなところで蝉が鳴いているのか…?」とこっちを向いて不思議がられたりするのも、…イヤだしなぁ。


やっぱり耳鳴りは外に聞こえないほうがいいのか…
…と、ヨガをやりながら、思った。

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿も満腹 ~奈良公園~

2014年11月24日 | 日常のいろいろなこと

 

 
  絶好の行楽日和。 奈良公園も紅葉に囲まれていた。

 

昨日(23日)一家3人で奈良公園へ行った。3連休の真ん中でしかも絶好の行楽日和とあって、奈良公園はこれまで見たこともないほどの人の数であった。


モミィは2年前に初めて奈良公園で鹿とふれあってから鹿のファンになった。で、この日も鹿せんべいを買った。10枚で150円。消費税率が上がった時には値上げはせず、せんべいが少し薄く、小さくなったそうである。鹿には迷惑な話だ。


 
    モミィも鹿せんべいを買う。


公園内のあちらこちらで、おばさんが鹿せんべいを売っている。なかなか売れ行きは良さそうだ。ほとんどの子ども、あるいは外国人らしい大人なども、鹿せんべいを持って鹿に食べさせようとしている。


ところがこの日は人の数が多すぎた。だから鹿せんべいを持って鹿を追い回す人間たちに、鹿が閉口しているように見えた。あちらからも、こちらからも鹿せんべいを口に入れてもらって、さすがに数多くいる鹿たちも、みんなすっかり満腹状態になっていたようである。いくらせんべいが好きだといっても、鹿も生き物。無限に食欲が湧き続けるはずありませんよね。


僕たちはここへ来る時に、JR奈良駅前にあったスーパーイオンで、お弁当やサンドウィッチやお寿司などを買い、公園の見晴らしのいい場所にレジャーシートを敷いてお昼御飯を食べた。モミィが鹿せんべいを買ったのはその後だったから、時間が遅かった。すでにその時間には、鹿たちは、鹿せんべいを食べ飽きていたのだった。


モミィが、ちょこんと座っている鹿の口元にせんべいを差し出す。…が、鹿は知らんぷり。せんべいに目もくれない。他の人たちもせんべいを手にしたまま「食べてくれないわ~」と嘆いている。


公園内にはあちこちで鹿せんべいを売っている。もうこれ以上売っても、鹿は食べてくれないのだから、たとえば駐車場の入り口に「満車」と表示されているみたいな感じで、「満腹」とか貼り紙をして少しの間だけでも販売を中止したらどうか。でないと、買ったお客さんが気の毒だ…な~んて思ったりした。


でも、鹿の中には、せんべいには知らん顔をしておきながら、子供が食べているポップコーンを奪い取ろうとしたり、ベンチでおじさんが食べている焼きそばに食いつこうとしておじさんを驚かせたりしているのもいたので、ひょっとして満腹ではないが、鹿せんべいには飽き飽きしていたのかも知れない。まあ、人間だって、同じものばかり食べていたらイヤになるのと同様だろう。


そんな鹿を追うモミィについて歩いていたら、ある瞬間、僕も妻もその姿を見失った。「うわっ、大変だ。モミィが消えた!」。こんな広い奈良公園でモミィが迷子になったら一大事である。遊園地のような館内放送もない。「えらいこっちゃ」と青ざめた。…幸い1、2分後に見つかったのでホッと胸を撫で下ろす。
…やれやれ。よかった~。一時はどうなることかと…


モミィが持っていた鹿せんべいは、あちこちで座っている鹿の前に置いたりして、一応10枚全部終了した。人ごみの中を歩き、東大寺の建物をモミィに見せて本日の予定終了ということにした。


よ~く歩いた。モミィも足腰が丈夫だ。いくらでも歩くので、改めて驚いた。


さて、この次は、鹿がお腹をすかしているときに来なければね。

  

   
    鹿にせんべいを差し出すのだが…鹿は知らんぷり。

 

  
    こちらの鹿も、知らんぷり。
  

 

   
   この鹿は自分から近づいてきた。今度こそ食べてくれそうだ。

 

    
     …と思ったら、プイと横向いて、去って行った。

 

  

   
    

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せの黄色いリボン ?

2014年11月22日 | 映画の話やTVの話など

高倉健さんが亡くなってから、どこのTV局でも、連日、健さんを偲ぶニュースや追悼番組が流されている。


1人の俳優の死がこれほど騒がれたのは、あの石原裕次郎以来でしょうか。裕次郎は52歳の若さで亡くなったけど、健さんの場合は83年の生涯だから、いわば天寿を全うした…という感じもします。


ファンも「老いぼれた健さん」を見るのは辛い。いつかは可愛い娘さんも婆ちゃんになり、カッコいい男も爺ちゃんになるけれど、健さんが爺ちゃんになる…というのは嘘みたいな話に思えてしまうから不思議だ。


健さん最後の映画「あなたに」がテレビで放映された時、少し見たけれど、健さんの一挙一動に「あぁ、年いったなぁ」とつくづく思い、何だかそういうのを見たくない気持ちが湧いてきて、そのままテレビから離れたことを思い出す。


それにしても、今の時代でこれほど誰からも愛された人も珍しい。作家の故・司馬遼太郎さんが国民的作家と呼ばれたように、健さんも国民的俳優と呼べる人なのだろう。もう二度と、こういう人は出てこないのかも知れない。


ところで昨日、コスパのロッカーで着替えをしている時、そばで70代ぐらいの男の人が二人で、健さんの話をしていた。


「映画俳優で文化勲章を受けたのは高倉健だけらしいなぁ」

「ええ俳優やったもんな。あのぁ…何やったかな…?『黄色い…』え~っと何とか…という映画も、よかったなぁ」

「あれは『幸せの黄色いリボン』や。わしも見たで」

「そうそう『幸せの黄色いリボン』なぁ」

「それと、最後の映画になったというあの…? え~っと、何やったかなぁ…」

「あれは『おまえに』や。わしも見たで」


そんな会話が交わされていた。


「幸せの黄色いリボン」…?
ジョン・ウェインの「黄色いリボン」じゃありまへんで。
それは「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」ですがな。


「おまえに」…
フランク永井のヒット曲の題名じゃありまへんで。
健さん最後の映画は「あなたに」ですがな。


しかしまぁ、見方を変えてみれば、それだけ健さんの映画が幅広い層の人々の記憶の中に、たとえうろ覚えでも、刻み込まれているということなのでしょうね。


健さんの最後の映画「あなたに」は明日・日曜日の夜、放映されるとのこと。
健さんの映画で一番好きだった「 駅・STATION 」は今夜、BSで放映される。


「駅・STATION 」はDVDを持っているし、5、6回見ているけれど、「あなたに」は前述のように少ししか見ていないので、今度はきちんと最後まで見ようと、明日の放送を楽しみにしています。
 

 


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エスカルゴの逆襲!

2014年11月21日 | 旅行

エスカルゴ…といえばカタツムリ。そう聞くだけで抵抗があるけれど、もちろんフランス料理のエスカルゴは、日本のデンデンムシムシとは別のものだということは、たいていの人は知っている。
 

これがフランス料理という肩書きではなく、世界の国のどこか一地方の料理なんかだと、気味悪がられるだけかもしれない。…が、なにしろ世界に冠たる美食の国・おフランスの料理ですから、カタツムリといえども一流のお料理として位置づけられるわけでしょうね。


ものの本によれば、エスカルゴを食用に仕上げるまでには、かなりの時間と手間がかけられる、とのことである。まずカタツムリを生きたまま断食させて腸の中をきれいにする。それに約1週間かかる。そのあと殻と身に分け、よく洗うのにまた相当な時間がかかり、さらに下味をつけてから十数時間置き、ようやく最後の調理に入るのだそうである。断食させられたあげく食用にされるって…なんだかエスカルゴが気の毒な気もしますけど。


エスカルゴを初めて食べたのは、パリで、妻とモンマルトル通りを歩いていた時、たまたま見つけたファミレス風の店でのことだった。


アツアツのエスカルゴが皿に乗って運ばれてきた。さて、問題は食べ方である。よく考えてみると、僕たちは食べ方をはっきり知らなかった。そこで、斜め後ろの席にドイツ人(のような感じの)数名のグループがエスカルゴを食べていたので、それをじっと観察して、真似することにした。


左手でエスカルゴを挟む専用の器具(トング)を持ち、これを使って丸い殻を挟んで持ち上げる。右手で専用のフォークを持ち、それで中身をほじくり出す。ズルっと引き出した中身をパクっと口へ放り込むと、ガーリックの香りがむせかえるように口の中に広がって、う~ん、これはイケるぜぃ…と書くと、いかにもそれらしく聞こえるが、現実はゼンゼンそんな格好のいいもんじゃなく、それどころか、エスカルゴを口に運ぶまでが大変だった。


トングという殻を挟む器具が実に扱いにくいのである。ふつうは、持っている部分を握ると両先端が閉まっていくし、握りをゆるめると先端が開く。ところがこのトングは反対で、ギュッと握ると先が開き、ゆるめると先が閉じていく。


つまり、左手に持ったトングでエスカルゴの殻を挟み上げるとき、まず握った状態で先を開けておき、殻に触れたときにパッとゆるめると殻を挟む状態にする。それを持ち上げ、右手に持ったフォークでエスカルゴをほじくり出すのだけれど、このやり方がむずかしいのである。殻をきつく挟もうと思って無意識に左手のトングをギューッと握ってしまうと、先が開いて殻がポロリと落ちる。しまった、握るのではなくゆるめるんだった、とあわててトングを持つ手を「グー」から「パー」へ広げると、今度はきつく挟みすぎて、トングの先から殻がパチンっとはじけて飛ぶ。

 
大昔の「プリティ・ウーマン」という映画の1シーンを思い出さずにはいられない。コールガールのジュリア・ロバーツが、エリートビジネスマンのリチャード・ギアとレストランで食事中、エスカルゴをはさもうとしたとたん、失敗してパチ~ンと殻がはじけ飛び、他のテーブルを直撃…と思いきや、そばにいたウエイターがナイスキャッチする、あの場面だ。


たしかに丸い殻を挟むのはむずかしい。ほんとうに、ひとつ間違えればパチンと跳ね飛んでビューンと飛んで行きそうである。「断食させられてから料理されちゃうんだからね、せめてここでひと暴れしなくっちゃ」と、エスカルゴ君のつぶやく声が聞こえてきそうだ。

 
で、僕はエスカルゴをつかみ出すのに苦闘しながら「プリティ・ウーマン」のシーンを思い浮かべ、手に汗握るほどの緊張の中で慎重にエスカルゴを挟み、どうか跳ね飛ばないように、飛んで他のお客の頭を直撃したりしないように…とヒヤヒヤしながら、ぎこちない動作を繰り返してエスカルゴを口に運んだ。


…3つめを食べ終えたところで、その必死の努力にも限界が来た。こんなこと、もうやってらんない。僕はトングとフォークを使うことをあきらめて、手で直接つかむことにした。


エスカルゴがどんな味なのかわかったのは、この4つめからである(笑)。

 

         

    フォークとトング。トングは先がクロスしている。
  普通とは逆で、ギュッと握ると先が開くのでややこしい。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北京ダックも青ざめる

2014年11月19日 | 旅行

 

   

 

その昔、北京の前門大街にある「全聚徳」という有名な北京ダックの店を訪れたことがある。タクシーから降りて、数百年の伝統を持つという立派な構えの店の玄関口に近づいて行くと、キンキラ衣装に身を包んだドアマンが近寄って来て、にこやかに僕たちを迎えてくれた。そして、ドアマンに誘導され僕たちが御殿のような建物の中へ入りかけたとき「あ、入口はそっちじゃないんです」と後方から、案内してくれていたK嬢が呼び止めた。

「そこは外国人用です。私たちは中国人用の入口から入るのです」
 
K嬢には旅行中ずっと「観光向けではなく、素顔の中国を見たい」と言っていたので、あえて「別の入り口」から入るよう配慮してくれたのだ。店は建物の中でふたつに分かれており、個人旅行だった僕たちには、同じ全聚徳でも中国人用のほうで北京ダックを食べる方が体験としては面白いだろうと思ったからだ。

「同じ料理で値段が外国人用の半額以下ですから」

それはいい。ゼッタイにそのほうがいい。
隣で妻も頷いていた。

店の裏手の入口へ回ると、その雰囲気は一変する。表玄関の面影はまったくなく、薄汚れた小さなドアがあるだけで、むろんドアマンなど影すら見えない。 

店内に入ると、数組の中国人客がテーブルにいたが、全体的にはガランとしていて、4、5人のウエイトレスが顔を寄せ合ってぺちゃくちゃと話をしていた。みんな若い女性だが、そのうちの1人が僕らを見て急に表情をこわばらせた。その目つきは、間違いなく
「くそッ、せっかく楽しくしゃべっている時に邪魔が入ったわ」…という目であった。

そんな気配を露骨に顔に出しながら、そのウエイトレスはツカツカと僕たちのテーブルにやってきた。
「なによ、あんたたち」
という感じでヌーっと立ち、注文を聞く。
愛想のかけらもない。

K嬢が北京ダックを注文したら、そのウエイトレスは「こっちへおいで」というしぐさで僕たちをテーブルから少し離れた場所へ連れて行き、皮を剥がれて天井から吊るされている何羽ものダックを指さして、「どれにするか?」と尋ねるのである。

そう言われてもどれも同じようなものなので困った。でも、グズグズしてムッとされても困るので、「で、では、あれを…」と、適当なのを指さして席に戻り、座って待っていると、その時である。ビューンと後ろから、テーブルへ何かが飛んできた。

「…ん?」
と、その飛んできたものを見ると、小さな袋に入ったお手拭きだった。ここのウエイトレスのおネエさんは、座っている客の背後からこれを投げてよこすのである。信じられますか? 

ウエイトレスたちは相変わらずぺちゃくちゃ雑談を続けている。客などまったく眼中にない様子で、夢中でしゃべっている。それに比べて数組いるお客たちは、とてもおとなしい。店内に響き渡るのは、すべて彼女たちの雑談の声である。

しばらくして今度は「ガッチャ~ン!」というけたたましい音が店内に響いた。またぎょっとしてその方向に目をやると、1人のウエイトレスがお盆からグラスを落とし、割れて床の上にこなごなに散乱していた。

これが日本なら、店側は恐縮してグラスの破片をあわてて拾ってまわるところだが、そのウエイトレスはいささかも動じることなく、「チッ」と舌打ちして、立ったまま、足でグラスの破片を蹴りながら隅のほうへ寄せているのだ。 
 
近くにいた客たちは、見てはならないものを見てしまったように、あわてて目を伏せ、息をひそめながらひたすら食事に集中しようとしている。店内に、異様な空気が漂った。

そんな雰囲気の中で、僕たちは本場の北京ダックを食べ終えた。その雰囲気に圧倒されて、それがどんな味だったのかよく覚えていないほどである(おいしかったことは確かですが)。

驚くほど安い代金を支払ってその店を出たのはいいのだけれど、目が合うだけで何か因縁をつけられそうなあのウエイトレスたちのコワ~イ表情を思い浮かべたら、もう一度「全聚徳」の中国人用へ行くか?と言われても、うぅ、ちょっとためらってしまいますね。

北京でのいろんな体験は、日本では考えられないようなことの連続だったが、このレストランでは、わが人生で最も行儀の悪いウエイトレスたちに巡り合う…という貴重な体験ができたことは、まあ、よかったかも知れない。

それにしてもねぇ、あの接客態度…。
今でも思い出すと、怖い。

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高倉 健

2014年11月18日 | 映画の話やTVの話など

高倉健が死んだ。


この人の映画では、僕は「駅」が一番好きだった。


今でもそのDVDを大切に持っている。


「駅」の最後のほうで、大晦日、飲み屋のカウンタで、健さんと、女将の賠償千恵子が、2人っきりで、テレビで紅白歌合戦を見るシーンがある。僕にとっては、一生忘れられないシーンだ。


2人のあいだに言葉はない。堅物(かたぶつ)で不器用な健さんが、賠償千恵子の肩をそっと抱きながら、じっとテレビの紅白歌合戦を見ている。あの、まったく台詞のない、長い長いシーンは、僕は、たぶん日本映画の中でも、最高の名シーンの一つではないかと思っている。


その映画の中の紅白歌合戦には、八代亜紀の「舟歌」やジュディオングの「魅せられて」、小林幸子の「おもいで酒」などが出ていた。その頃の映画だった。


本当によかったなぁ あの映画。

 

 

     

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

珍変換いろいろ

2014年11月14日 | 雑記

国でも地方でも、議員の活動費や調査費の使い方が問題になり続けている。「会議費」や「広報費」などと称して飲食や遊興娯楽に使ったり、領収証を偽造したりと、続々と議員の不祥事が発覚する。消費税率を上げる前にこういう税金の無駄遣いを無くすことが先決ではないか…とみんな思いますよね。


TVで、ある議員の活動費の不正支出に関連するニュースを見ていたら、その議員が「〇〇万円変換した」との字幕が出た。正しくは「返還」なのに、それが「変換」になっていた。番組の終了間際に「お詫びと訂正」がされたが、文字どおりの「変換ミス」だ。これには思わず「どひゃ~ん」だった。


こんなふうに、最近、テレビの字幕の間違いが目立つようだ。ニュース番組の途中でアナウンサーが「先ほどの〇〇の字幕が誤っていました。お詫びします」と頭を下げるシーンが毎日のように繰り返される。


変換ミスと言えばこの間、ある人のブログに吉田拓郎のことを「吉田開拓郎」と書かれていたのを見つけた。これはたぶん「拓」という字を出すために「かいたく」と打ち、「開拓」と変換した後、そこに「郎」を加えたものだろう。最後に「開」を消すつもりが忘れて「開拓郎」となってしまったんだと思う。


いかにもありそうなことだ。僕なんかも、変換ミスはしょっちゅうする。例えば尾崎紀世彦を「きよひこ」と打ってもその漢字は出てこないので、紀と世を打ったあと、「ひこ」を出すのに「ひこね←彦根」と打ち、変換する。その時「根」を消し忘れ、そのまま「尾崎紀世彦根」になっていたりする。


「この間、テレビの歌謡番組で、尾崎紀世彦根『また逢う暇で』を歌っている昔の映像が流れていた」な~んて具合だ。


メールの内町害…じゃない打ち間違いも恥ずかしい。打った後、きちんと見直さなければ、例えば女性の方に「これからもメル友さんとしてよろしく」と打ったつもりが「これからもネル友さんとしてよろしく」と打つと、まず精神状態を疑われてしまう。皆さんも気をつけましょう。(誰がそんな間違いするねん!)


さて、ここに「ゆかいな誤変換」という一冊の本がある。
その一部をご紹介しますと…


ゆで玉子 → ゆでた孫 わぁ、グロテスクや)

賞賛を浴びる → 硝酸を浴びる (怖い事件ですね)

思い出深い → 重いデブかい (デブは元々重いもんでしょ)

小中学生 → 焼酎学生 (20歳未満の飲酒は禁止されてマス)

井上食堂 → 胃の上食道 (ですよね。胃の上は食道ですもの)

感無量です → 缶無料です (缶ビールが無料なら嬉しいぞ~)

対人恐怖症 → タイ人今日負傷 (「タイ人恐怖症」でも面白い)

ギフトセット → 義父とセット (こんなセット、いらんでしょ)

異常なしです → 異常な死です (異常なしどころか、あり過ぎ!)

一緒に住もうよ → 一緒に相撲よ (一緒に相撲を見るの、取るの?)

自己新出るか! → 事故死んでるか! (事故が死ぬ? ヘンな日本語)

さっきはごめんね → 殺気はごめんね (破局直前のカップルだったりして)

本サイトは今日で終了 → 本妻とは今日で終了 (コメント思いつきませ~ん)


…とまあ、こんな具合である。


ところで、ご承知のとおり来月に衆議院の解散・総選挙が行われることが確定的となった。しかし急な選挙となると、各陣営もその受け入れ態勢は十分だろうか、という問題が出てくる。そこでその文を入力すると…


「受け入れ態勢は十分だろうか?」→ 「受け入れた異性は十分だろうか?」


うふふ~。

(こんな珍変換を書くと、やっぱり精神状態を疑われそうだ)

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ややこしい国旗の話

2014年11月12日 | 日常のいろいろなこと

 

  

 

この絵本のようなものは、ECC英語教室の小学生の低学年用のテキストの始めの方のページです。モミィのクラスでは、去年の春、ここを習いました。「あなたはどこから来ましたか?」「日本から来ました」というフレーズの練習ですが、右のページにいくつかの国の旗が載っています。それをよ~く見れば、左側の上から2番目と4番目の国旗がそっくりなことに気づきます。これを習っていたモミィも、なかなかこの2つの国旗の区別がつきませんでした。


これをアップにすると…

 

  

 

少し違うのがわかりますよね。答えは、上がオーストラリアで、下がニュージーランドです。オーストラリアのほうは、ユニオンジャックの真下に☆の印があるので、これで見分けるのが、まあ、てっとり早いわけです。でもなんでこんなに似ているのだろうと、その当時(つまり去年の春)にネットで調べたことがありました。


周知のように、元々この南半球の2つの国はイギリスが占領していたのですが、イギリスはオーストラリアにしか目がなく、ニュージーランドはその離れ島程度に軽く見られていたようです。それでオーストラリアにはユニオンジャックの下に大きな星がつき、ニュージーランドにはそれがないのだそうです。そしてその国旗が今もイギリスの占領当時のまま来ている、というわけです。


そんな歴史があるので、ニュージーランドの人はこういう国旗は、オーストラリアと紛らわしいだけでなく、国の象徴としてふさわしくないと感じているのでは……と思っていたら、案の定というか、最近になって、ニュージーランドの首相が、「国旗のデザイン変更の是非を問う国民投票を2016年に実施する」と発表しました。ひょっとしたら、この国の国旗が変わるかも知れませんね。


あるサイトでは、ニュージーランドといえばラグビーの「オールブラックス」が有名で国の誇りなので、新しい国旗には、真っ黒を背景に、そのチームのシンボルである「銀色のシダ」をあしらったデザインがいいのでは、という声も多いそうだ。2年後に行われる国民投票ではどうなることでしょう。


  
    これも候補のひとつ(?)


ところで、ついでにイギリスの話ですが、僕たちが昔から何気なくイギリスと呼んでいるこの国って、実はとても国名が難しいのですよね。これも、ECC英語教室を見学していたら、上記の国旗の写真の中にイギリスの旗がありますが、外国人教師はこの国を「ユーケー」と子供たちに教えていました。モミィが「なんでユーケーやのん? イギリスと違うん…」と首をかしげていましたが、僕にも答えられず「イギリスはUKと覚えておいたらいいやん」とテキトーに言いました。


UKとは、正式には…
United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland
(グレートブリテン及び北アイルランド連合王国)


…の、UとKを取ったものなんだそうです。
いちおう、それをモミィに伝えると、
「長い名前やなぁ。そんなん覚えられるわけないわぁ」
そりゃそうですよね。小学生で覚える必要もないでしょ。
だから、UKはUKでいいんだよん。


モミィから「じゃ、なんでイギリスと言うてるのん?」とまた質問。
いちいちうるさい子やなぁ。仕方なく、また調べる。


江戸時代の頃か、ポルトガル語でイギリスを表す単語が、日本人の耳に「エゲレス」と聞こえたそうで、そこから、当時の日本の知識人の間で「イギリス」と呼ばれるようになり、今日に至ったということです。ちなみに「英国」というのは「エゲレス」に「英吉利」という漢字をあてたことから来た…という説が最も有力だと言われれています。


まあ、早い話が、「イギリス」というのは日本語なんですよね。「イギリス」という国も存在しないし「イギリス人」というのも存在しないわけ。


でも、それはモミィには言えません。別の説もあるようなので、ホントにホントの話かどうかもわかりません。そんなことを学校でペラペラしゃべられたら、先生から「お家の方へ。子供を混乱させるようなややこしいことは言わないでくださいませ」とやんわりとお叱りを受けるかも知れませんしね~

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さい体は得か損か…?

2014年11月10日 | 思い出すこと

僕は生まれたときから小さかった。母によると出生時は2,000グラムに満たず、いわゆる未熟児だったそうである。


それ以来、小さいままである(笑)。小学校でも中学校でも、朝礼や運動会をはじめ何でも身長順に並ばされるのだが、いつも1番前か、あるいは2番目か3番目だった。目の前に教師が立っていて、前にいる僕のほうを見て「ちゃんと並びなさい」と注意する。僕らは私語もせず、大人しく並んでいるのだが、うしろに並んでいる連中ほどきちんと整列せず、ガヤガヤと騒いでいるのだ。うしろに行って注意してくれっちゅうの(ま、昔の学校ってそんなものだった)。


クラスメイトから「おちびちゃん」などとからかわれ、自分の小柄な体型がイヤで仕方なかった。小学生低学年の時は幼稚園児と間違えられ、中学生時は小学生に間違われる。何とかならないか…と必死に思案し、中学の時、少年雑誌の通信販売で「これで身長が伸びる!」という首を吊るような器具の宣伝が載っていたので、親に内緒で小遣で買った。「これ、なんやのん?」と母が聞くので「これでアゴを吊ったら背のびるねん」と僕が答えると「首だけ伸びるんちがう? ろくろ首やがな」と意味のわからんことを言った。子の心親知らず…である。


また衣服ひとつにしても、年齢に応じた服は寸法が合わない。ダブダブである。情けなかったわ~。いいことなんかひとつもないやないか…と、こんな体に生んだ両親を恨んだりもした。外面は友だちと普通に遊ぶ子供だったけれど、どうしても体が小さいことが劣等感となって、今思ってみても、小中学校時代は、心の底から楽しかったことなんて、あまりなかったのではないかと思う。


それでも、高校に入学し、最初に実施された試験の合計点がクラスで一番良かったらしく、先生から学級委員に指名されたら、まわりの僕に対する接し方が微妙に変わった。「おちびちゃん」なんて言う者はいなくなった。「マスター」というのが僕のあだ名になった。なんでマスターなのかわからないが、まぁ、やはりこの時代の子供も、高校生ぐらいになると、いろいろな自覚も芽生えてくるので、あまり人の身体的なことをからかうことはしなくなるのだろう。ある友だちは「のんは競馬の騎手になるべきや。その身長と体重やったら、騎手にピッタリやで」と、真顔で言ったことがあった。でも僕は怖がりだから「馬から落ちたら怪我するやん。それが怖い」と答えたことを覚えている。


まあ、これくらいの時期から、僕の子供なりの劣等感や情緒不安が、少しずつ消えていったように思う。

 

   
  高校生の頃。僕は小さいので写真ではいつも前列に出る。
  (前列真ん中が僕です。左のシマサクは大の親友でした)

 

高校生の頃は読書に夢中になって「世界文学全集」や「日本文学全集」を1年間で100冊以上読み、大学では3年生の時、6月から8月末までの70日間をかけて自転車で大阪から北海道を往復した。その頃から、人生に対する興味や自信が湧いてきた。やればどんなことだってできる…と思い始め、体の小さいことをハンデに感じなくなっていた。


その後、30代から40代にかけてランニングに熱中し、40代からは毎年のように妻と海外旅行へ出かけた。このとき、僕は小柄であることがよかった…とつくづく思ったことがある。それは飛行機である。


欧米諸国へ行くには、10時間以上飛行機に乗らなければならない。むろん庶民である僕たちはエコノミークラスである。それでも僕は小柄なので、普通の人には狭い座席も自分にとっては狭くない。ゆったりと座れて快適である。しかし大柄な、あるいはかなり太った人にとっては、エコノミークラスの座席は狭すぎる。見ていて気の毒なほど窮屈そうに座っている。辛いだろうな、10時間以上も。


それを見て、自分が小さな体だったことが、今になって非常に便利であることを悟ったのである。嫌なことばかりじゃない…というわけだ。海外旅行の往復の飛行機に乗るたびに、小柄で細身の自分の体型に感謝することになった。


それと、もうひとつ。


以前の職場で、福祉を専門とする女性の職員と親しくなり、他の人たちも交えて一緒にスキーへ行ったり飲み会に行ったりした。その女性は介護のことにも詳しく、老人施設の介護現場にも頻繁に出入りしていた。その彼女と一緒にハイキングに行った時、うしろから僕を見て、「のんさんは…」と言ったのだ。


「はぁ?」と僕が振りかえると、僕の体つきを見ながら「体重は50キロぐらい?」と尋ねたので「うん」と答えた。すると彼女はこんなことを言った。


「のんさんみたいな人なら、とても介護がしやすいわ。大きくて体重の重い男性は介護するのも一苦労なのよ。その点、のんさんならね~」


う~む。言われてみればねぇ…。誰にでもひょいと抱き上げられそうだ。


ということは、年を取ると小さい体のほうがいい…と言えるのかなぁ。
でも僕は介護される身には絶対なりたくない、と念じているのですが…

 

 


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

恐ろしい隣人

2014年11月08日 | ニュース・時事

今日もまたテレビドラマの話です。題名は「恐ろしい隣人」。
…って、ウソです。あのドラマは「美しい隣人」でしたね。

あの仲間由紀恵と檀れいが競演したミステリアスなドラマ、よかったなぁ~
で、その話とは関係ありませんが…


今朝の新聞に「日中首脳 来週会談へ」という大きな見出しが載っていた。まあ会談もいいけれど、それよりこちらのほうを何とかしてくれ…と言いたい。


中国のサンゴ密漁船の集団が、小笠原諸島や伊豆諸島の周辺に200隻という途方もない数で日本の領海を荒らしまくっている。いったいこんなことが許されていいのだろうか。中国では宝石サンゴの漁は禁止されている。だから日本へ来るのだ…というその理屈がメチャメチャである。国際ルールもへったくれもない。中国政府も口先では自国漁船に注意をしているというけれど、本気にとは思えない。つまり見て見ぬふりをしておこうという意図がみえみえなのだ。


一方、それを取り締まらなければならない日本の海上保安庁はいかにも弱腰だ。おまけに尖閣諸島付近の中国公船の対応に追われ、こちらまで手が回らないという。そんなことで国を守れるのか…と不安になる。ここまで日本はなめられているのかと思うと、悔しいし腹立たしいし、まったくこの手のニュースを見聞きすると、はらわたが煮えくり返る思いがする。


中国といい韓国といい、日本を目の敵にする国が隣接しているのは何という不幸だろうか。韓国にしても、特に現大統領は未だに従軍慰安婦問題を取り上げ、日本人を非難し続ける。それを世界に発信して、アメリカなどにも従軍慰安婦の像が建てられたりして、日本人が鬼畜であるかのようなイメージを作り上げる。


このあいだは、セウォル号の転覆事故の時に大統領が誰かと密会していたという韓国の新聞記事を『引用』しただけの産経新聞の記者が拘束され、起訴されたというニュースにもあきれ果てた。ま、だいたい韓国というのは、そういう質の国なのである。言論の自由よりも、国全体が大統領の意向を気にするというようでは、民主主義の名前が泣きますよね。


もうひとつ、今たいへん話題になっている競泳の冨田選手の「カメラ窃盗騒動」に関して、一昨日、本人と弁護士の会見の生中継を見たけれど、そこでは冨田選手は「僕は盗んでいません。誰か知らない人物が入れたのです」と言っていた。弁護士などは「その誰かが日本の選手に窃盗の罪を着せようとした疑いが強い。たまたま冨田選手がそこにいたので利用された。これは陰謀ではないか」と言い切った。言うまでもなく韓国で起きた事件である。これが他国ではなく韓国だから余計ややこしいのだ。もしも弁護人が言うように、韓国の誰かの指図で日本人を陥れてやろうと画策したのであれば、これは恐ろしい話である。


しかし、「冨田会見」から2時間後、今度は日本オリンピック委員会(JOC)の上部の2人が会見し、JOCの職員が監視カメラ映像で冨田選手がカメラをバッグに入れているところを見た…との報告を受けている、と言ったのだ。冨田選手は、警察で映像を見たが「スマホ画面で小さかったし不鮮明だったから確認できない」と言った。こういうのは、カメラ映像を公開したら一発にわかる話ではないか。それを、韓国の警察は出そうとしないのも不思議だ。もっとも、不思議といえば、なんで冨田選手が事件から1ヵ月以上も経った今ごろになって、身の潔白を主張する会見を開いたのかも不思議ですけどね~


ナンだか不思議が不思議を呼ぶような話です。これも相手が韓国ということで、「韓国のことだから、何をするかわからない…」という声もあるだろう。僕も、冨田選手が嘘をついているようには見えなかったが、かといって、誰かが自分のバッグにカメラを入れたその時に、さしたる違和感も覚えないままそれを自室に持ち帰ったというのもまた不思議な話だ。ま、とにかく、問題の映像を、韓国の警察が公開すればはっきりするだろう。なぜ速やかに公開しない?


…と、こんな話を書いてばかりいると韓国・中国に対する不快感が増すばかりなので、今日はこれぐらいにしておきます。まあ、韓・中は好きではありませんが、缶チューは好きなので、缶チューハイを飲んでスッキリすることにします。

 

 


 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うれしい「独眼竜政宗」再放送

2014年11月06日 | 映画の話やTVの話など

どうもTVドラマづいてきましたが、今日もまたその話です。


普段からドラマは、たまに気に入ったのを見るぐらいだけど、唯一の例外として、今年4月からずっと一度も欠かさず熱心に見ているドラマがある。それはNHKのBSプレミアムで毎週土曜日午後6時から放映されている「独眼竜政宗」である。1987(昭和62)年の大河ドラマの再放送だ。主演は渡辺謙。大河ドラマ史上最高平均視聴率39.7%を記録したという。僕は当時も、1年間、このドラマを全部見た。歴代の大河ドラマでも、最も好きだった作品の一つである。

 

  


仙台62万石の礎を築いた伊達政宗の波乱の生涯を描いた戦国ドラマ。原作・山岡荘八、脚本・ジェームス三木。ドラマの中での梵天丸(政宗の幼名)のセリフ「梵天丸もかくありたい」は流行語にもなった。放送から27年たった今でも人気は根強く…。←再放送が決定した折、そんな宣伝文句が流れた。


キャストもいい。主演の渡辺謙は、キレて怒鳴りまくることもあれば心の優しい一面も出し、激怒して理性を失うかと思えば家来の進言に「もっともだ」と従う賢君ぶりも見せて、素晴しい政宗を演じている。渡辺謙以外の政宗など考えられない…と言ってもいいかも知れない。そして政宗を支える2人の側近、三浦友和と西郷輝彦が絶妙だ(西郷輝彦をあおい輝彦と間違っていた人もいましたが)。さらに政宗の幼少時の守役で、後に政宗の妻・愛姫(めごひめ)の侍女として尽くす竹下景子は、とても凛々しく、美しい。それに政宗の母を演じる岩下志摩の優しさと惨酷さを混ぜ合わせた迫真の演技も、凄まじい。登場人物の台詞も重厚かつ的確で無駄な言葉がない。僕たちはこういうところで、今日失われつつある美しい日本語表現を学ぶべきだ、と痛感させられたりもする。


ドラマは全50回だが、先週の土曜日が第31回だった。秀吉が天下人となり、わが世の春を謳歌する時代。秀吉の言いなりにならざるを得ない政宗の忍耐の日々が続くが、正妻の愛姫に初の子(女児)が誕生し、政宗に笑顔が浮かぶ。そんな折、淀君が生んだ男の子が死んでがっくりする秀吉が、甥の秀次に関白を譲るが、再び新たな男の子・お拾い(後の秀頼)が生まれて気が変わる。関白になって舞い上がっていた秀次の身に暗雲が漂ってくる…というところだ。


…とこう書くと、今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」も時々見るのだけれど、同じ時代で同じ筋書きの展開である。やはりお拾いが生まれて、その子を跡継ぎにするため、秀次が切腹に追い込まれる。そして秀吉自身にも死期が迫ってくる。次回11月9日のタイトルは「秀吉の最期」である。


「独眼竜政宗」のほうも、次回8日は「秀次失脚」であり、11月22日は「太閤の死」だ。どちらもよく似ている。もっとも秀吉の役は「政宗」では勝新太郎、「官兵衛」では竹中直人で、これはちょっと違いが大きすぎますけど。


ともあれ、秀吉は2つの大河ドラマで、今月中に死んでしまうわけですね。


「軍師官兵衛」はたまにしか見ていないが、「独眼竜政宗」は来年3月まで続くので、これは一度たりとも見逃せない。秀吉亡き後、関が原の戦いを経て徳川家康の時代に移っていく過程で、伊達家を率いる政宗がどう生き抜いていくのか、それを豪華キャストたちがどう演じていくのか、楽しみである。えっ? 27年前に見たんだろうって? そうですね、見ました。でも、ほとんど忘れましたよね。特に、前半の部分はよく覚えているのですが、後半は記憶がありません。だから、今回初めて見るのと同じワクワク感があるのです。記憶を無くすと、楽しみが増えるという一つの実例です(笑)。


ところでその「記憶」で思い出しましたが、最後に余談をひとつ。


先日、渡辺謙が主演する「明日の記憶」という映画を見ました。ご存知の方も多いと思いますが、仕事バリバリ人間だった49歳の男性が、若年性アルツハイマー病にかかる話で、衝撃的な内容でしたが、妻の樋口可南子の献身的な優しさが強く印象に残りました。「いい女優さんだなぁ、樋口可南子さんは…」と思いつつ、翌日「独眼竜政宗」を見たのですが、そのドラマの淀君役で樋口可南子が登場してきました。渡辺謙の政宗と淀君が対面する場面がありましたが、思わず「明日の記憶」の夫婦が顔を合わせたシーンに興奮しました。映画では渡辺謙は髪の毛も薄くなり、樋口可南子さんも落ち着いた中年女性になっていましたが、このころは2人とも若くで華やかでしたね。ま、当たり前の話ですけど…


…というわけで、今日も、何のことかわからないようなオチで終わります。


皆々様、こんな話を最後までお読みいただき、

まことに、有り難き幸せに存じ上げ奉ります!

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「すべてがFになる」 と 「紙の月」

2014年11月04日 | 読書

昨日、家族で大型スーパーへ行ったついでに、そこに入っている書店に寄って、前回書いたドラマと原作に関して気になっていた「すべてがFになる」の文庫本を手に取り、パラパラとめくってみました。


コメントをくださったジンさんはドラマが始まる前に「Nのために」の原作を読んでおられたとのことで、始まってから読んだ僕よりかなり進んでいらっしゃいます。もうお1人のちひろさんは「すべてがFになる」の原作を以前に読まれていたとのことで、皆さんいろいろと読んでおられますね~(見習わなければ)。「すべてがF…」に関して、ちひろさんからこんなことを教えてもらいました。


この「すべてがFになる」のドラマでは、第2話で早くも事件が完結してしまったので、なんのこっちゃ…と思っていたのですが、あの話は「すべてがFになる」が原作ではなく、同じ著者(森博嗣)の別の作品「冷たい密室と博士たち」という話だったとのこと。主人公の男女は一緒だけど、そのシリーズの別の作品が第2話まで放映されたというわけで、このあともドラマは2話完結が続くようです。どれが“本物”の「すべてがFになる」の原作ドラマなのかは、本を読んでみないとわかりませんね。


そこで、書店でこの本をパラパラめくりながら考えたのですが、ちひろさんもこの本はすごく難しかったと書いておられたしなぁ、難しいのは苦手だし…。買おうかなぁ、どうしようかなぁ…とグズグズ迷いました。


そこで本から目を離して本棚を見ると、その上のほうに「文庫本・売り上げベスト5」というのが列記されていました。見てみると…


1位「Nのために」(湊かなえ)
2位「紙の月」(角田光代)
3位「マスカレード・イブ」(東野圭吾)
4位「マスカレード・ホテル」(東野圭吾)
5位「世界から猫が消えたなら」(川村元気)


となっていました。


う~む、やはり湊かなえさんの「Nのために」が第1位かぁ…。東野圭吾さんの人気も相変わらずだけど、僕は2位に入っていた「紙の月」に興味を持ちました。作者の角田光代さんが好きなのです。彼女の「八日目の蝉」は、読売新聞の夕刊で連載が始まった時から夢中で読み、職場に夕刊が配達されてくるのを心待ちにしたものでした。その後、TVドラマ化され、主演の檀れいがまた魅力的ですっかりハマってしまいました(この映画のほうはイマイチでしたけど…)。


「紙の月」は、その角田光代さんの小説で、本の表紙は宮沢りえのアップ。下のほうに「話題作ついに映画化! 11月15日(土)全国公開」とあった。そういえば、TVでも宮沢りえが映画の宣伝をしていたなぁ。りえちゃんはママが亡くなったばかりで(65歳←僕と同い年)、寂しかったと思いますが、話題作に恵まれてよかったですね。


結局「紙の月」を買った。「すべてがF…」よりは難しくなさそうだし…

 

    


「紙の月」は今年1月にNHKでドラマ化されたそうだが、僕は見ていない…というより、当時、そんなドラマがあることに気がつかなかった。ドラマには関心の高い妻は、僕がそのことを話すと「あ、それ、見たわ」と言ったけれど、題名が「紙の月」だったことはすっかり忘れちゃってた…みたいでした。


久しぶりに角田光代さんの本が読めるのも楽しみである。
今日の午後、コスパから帰ったら読み始めることにしよう。


ちなみに今日午後9時から放映される「すべてがFになる」第3回は、『呪われた仏画師一族 家宝が眠る密室の殺人』というタイトルです。どうやらこれも、原作の「F」とは違うような感じがしますね。原作も読んでいないのに、いい加減なこと言いますけど(笑)。

 


 

以前のブログで角田光代さんの「八日目の蝉」についてふれたのがあります。

 http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/0f8d33b690e0888af15f261b7c4702c3

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする