僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

松原市議会の “変身”

2011年08月31日 | 議会&役所


どの新聞も、野田新首相に関連した記事で占められているが、
僕にはそれ以上に関心深い記事が、後ろのほうの紙面にあった。

今日の新聞の地方版、僕のところは「大阪河内版」なんだけど、
この紙面の一番下の段に、小さく載っている記事に注目した。

「松原市議会正副議長決まる」という見出しの記事だ。

昨日、大阪府松原市で開催された臨時市議会で、
新しい議長と副議長が決まった…ということが、
ひっそりと、小さく報じられていた

昨日の午後、衆参両院で首相指名の投票が行われていたころ、
大阪府の片隅の松原市でも、市議会議長を決める投票が行われていた。

地方議会の正副議長の任期は、地方自治法では4年であるが、
日本全国ほとんどの議会は、申し合わせにより1年交代と決めている。

まあ、議員になった限り議長になりたい、というのは人情であろう。
議長になったら、地元の人たちにも顔向けが出来る。
議員を何年務めても議長にならない(なれない)議員であれば、
地元の支援者から「なんで議長になられへんねん」と責められたりする。
だから、なるべくなら、一度でいいから議長をやっておきたい。

議長の任期を法律どおり4年にすると、順番がなかなか回ってこない。
そこで、申し合わせで、1年で交代しよう、という約束事を作るのだ。

でも、自分が議長になりたくても、他の議員の協力がいるので難しい。

だから、議長になれるのは大きな会派(あるいは党派)に属する、
ということがまず必要だ。いくら能力があっても、数がなければダメ。
逆に能力がなくても、大きな会派で何期か過ごすと自然に順番が回ってくる。
つまり「人格・識見において議長にふさわしい人」を選ぶというより、
大きな会派の中で古い者を順番に議長に選んで行く、というものなのだ。

松原市といえば、僕が38年間勤めた市である。
そのうち、26年間を市議会事務局の職員として過ごした。
だから退職した今でも、松原市議会と聞けば身体がピクッと反応する。

そして昨日臨時市議会があって、そこで新しい議長が誕生したわけだが、
職員の方からメールで「速報」をいただき、状況を知ることができた。

その速報に接して、今回は大いに驚いた。

今回の新議長さんは、先に述べたような大きな会派の議員ではなかった。
わずか2人しかいない少数会派の議員だったのに、議長に選ばれたのだ。

しかもその人は、僕と今でも親しくおつき合いをいただいている方だ。
「仲間」としてこのブログにも何度も仮名で登場してもらっている。

僕の知るところでは、この人は、19人の松原市議会議員の中でも、
最も良識に富む人で、党利党略に偏らず、人を愛し、自然を愛し、
地域を愛する人で、多くの人々から尊敬され、敬愛されている。
それはもう、とても人望の厚い議員である。

読書好きで、登山好きで、お酒好きでもある。
僕の在職中も、職員の間で最も評判の高い議員だった。

まさに今の松原市議会で、最も議長としてふさわしい人である。

夕方、その新議長さんの携帯にお祝いの電話をかけた。
「ありがとう、ありがとう」と喜んでおられた。
その弾んだ声を聞いて、僕まで気持ちがワクワクしてきた。

いかに優れた人物であっても「数」がなければ議長になれない…。
これまで、そういうやりきれない構図があったけれど、
今回、見事にその「常識」が覆された。

量より質。人数力より人間力。

わかりきったことだけど、いざ実行するとなると、むずかしいものである。

どういう経緯でそうなったかは、その場にいなかったのでわからないが、
今回の議長選挙は、旧弊を打ち破った意義のあるものだったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

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えっ 室伏が金メダル!

2011年08月29日 | スポーツの話題

先ほどの興奮から、まだ1時間しか経っていない。
世界陸上のハンマー投げの室伏の金メダルは、よもやの快挙だった。

アテネ五輪の金メダルは、1位選手のドーピングによる繰り上げだった。
日の丸を背に場内をまわる室伏の晴れ姿を、初めて見ることができた。

ぱちぱちぱちぱち。

今回の世界陸上で、まさか日本から金メダリストが出るとはね~

世界陸上男子の金メダルは、東京で行われた大会のマラソンで、
谷口が獲って以来、何年ぶりか知らないが、これが2度目である。

まさに、貴重な生中継を見ることができて、よかった、よかった。

今回の世界陸上では、期待される日本選手がいつも以上に少なかった。
大会最初の種目で、メダルが期待された女子マラソンは惨敗。
1位から3位まで、女子マラソンの歴史の浅いケニアに独占された。

また、健闘を期待していた女子1万メートルの絹川愛さんは、
完走選手中の最下位でゴールし、倒れ込んで医務室に運ばれた。
一生懸命応援していただけに残念だったけれど、それよりも、
次の5千メートルに出場ができるのかどうか心配だ。

正直な話、これで何だか世界陸上に対する関心が薄れてしまった。

36歳の室伏は銅メダルでも取れたら御の字…という程度の期待だった。
それが、金メダル獲得という驚異的結果を見せつけてくれたのだ。

ただし最後にあわや逆転負け?…というきわどいシーンがあった。
2位につけていたハンガリーの選手の最後の一投がグンと伸びて、
テレビ画面を見る限り、室伏の記録を越えたように見えた。
(結果は、あと6センチの差でセーフだったが…)
あれには、ヒヤ~っとしたなぁ。

室伏の底力が、日本に歓喜の金メダルをもたらしたが、
もうこのあとは、日本のメダルが期待される種目はほとんどない。

僕の関心は陸上からサッカー日本女子代表…なでしこジャパンに移る。
ロンドン五輪への出場権をかけ、アジア最終予選が9月1日から始まるのだ。

女子サッカーは、世界ではW杯よりも五輪が重要視されているそうである。

それだけに、なでしこジャパンは、五輪でもう一度、真価が問われる。
でもその前に、肝心の五輪に出られるかというのが、難しいのだ。

タイ、韓国、オーストラリア、北朝鮮、中国と対戦して、
2位までに入らなければ、五輪に出場できない。
タイだけは実力が落ちるが、あとの4チームは強い。
日本選手と体格が似ているアジアの各国に対しては、
W杯で力を見せた日本のサッカーも、なかなか通じない…
という意見もあるほどだ。

マスコミに追い回されて、練習が十分出来ているかどうかも心配だ。

それと、男子サッカーでは考えられない過密日程も気になる。

1日 タイ戦
3日 韓国戦
5日 オーストラリア戦
8日 北朝鮮戦
11日 中国戦

11日間で5試合だ。 
消耗戦になれば、何が起きるか予測がつかない。

ホンネを申せば、なでしこは、予選で敗退しそうな気がするのである。
どうも国民栄誉賞などをもらったら、あとは転げ落ちるだけ
みたいで…

さて、男子サッカーもW杯アジア予選の3次予選が始まる。
このブログに時々コメントをくださるコスタクルタさんからメールがあり、
9月2日の埼玉での北朝鮮戦のチケットが手に入りました…とのことだった。
そ~か、もう始まるのか…と、メールを読みながら思った。

こちらのほうも、3年後のブラジルW杯に向けて、いよいよスタートだ。

朝夕が涼しくなり、そろそろスポーツの秋の到来を感じさせるが、
やっぱり、いくら考えても、先ほどの室伏の金メダルはすごい。

僕はブログはたいてい早朝に書くのだけれど、
今夜は室伏の活躍を見てすぐに書きたい衝動に駆られ、ここまで書いた。

だから…
あぁ、もう、眠いです。 
 

 

 

 

 

 

 

 

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ブログは怖い

2011年08月27日 | ニュース・時事

先日の甲子園大会で準優勝した青森県の光星学院に、不祥事が発覚した。
報道によると、昨年12月、部員3人が帰省した際に飲酒したそうである。

太田投手を擁した三沢高校以来42年ぶりに青森勢が決勝に進出し、
しかも僕自身にも縁の深い八戸市の高校ということで、
そんな昔の懐かしい思い出と重なったこともあり、
このブログでも光星学院に声援を送ったばかりだ。

まことに残念なニュースが飛び込んできたものだ。

きのう、日本高校野球連盟は、光星学院を厳重注意とし、
学校側からの秋の国体への出場辞退の申し出を受理したそうである。
しかし春の甲子園出場がかかる秋季大会出場はOKになったようだ。
結果的には、それほど厳しい処分ではなくて、安堵した。

ところで、なぜそのことが発覚したのかといえば…
一人の部員が、飲酒したことを自分のブログに書き込んだのだという。

そのブログを書いたのが、悲しいかな大阪出身の選手であった。
飲酒した3人すべてが、大阪の子だったのだ。

「帰省した際」というのだから、飲酒した場所も大阪であろう。

同じ大阪人として、深い深いため息が出た。

光星学院の野球部員の半分以上が大阪出身だということは知っていた。
それでさらにこの学校に親密感を覚え、応援にも身が入った。

それが、こんなことになってしまったのはとても残念だ。
これでまた「野球留学」が非難されたりしたら、辛い。

でも、東北高校のダルビッシュも、駒大苫小牧のマー君も、
ともに大阪府や兵庫県からという関西出身の子だった。
今は野球に限らず、そういうのが普通の時代だものね。

それより、その大阪の子がブログに書いたのが、アホやなぁ、と思う。
未成年者の飲酒がいけないことは言うまでもないけれど、
はずみで飲んだとしても、なぜそれをブログに書いたのか?

ブログは、どこで誰の目につくか、わからない。

隠れて飲め、と言っているわけではもちろんないが、
たとえ過ちを犯したとしても、おおっぴらにするなよ。

ブログは怖い、と常日頃から肝に銘じておくべきであった。

…と、えらそうなことを書いている僕だけど、実は…
僕もブログにいらぬことを書いてしまう軽率な人間である。
だから余計にその選手の行為が身につまされるのだ。

話は僕自身のことに変わるのだが…
数ヶ月前、僕のこのブログが、あるところで物議を醸した。

僕はわりに、自分のことを開けっぴろげに書くタイプである。
それでも、別に大した不都合はないだろうと軽く考えていた。

だが、数ヶ月前のある日、モミィが通っている幼稚園の関係の方が、
わざわざ、わが家を訪問されて、僕のブログのことを話された。

なんで僕のブログのことを知っておられるのだろうか? 
と、最初は不思議に思ったが、話としては、次のようなことだった。

僕は以前、このブログで、孫娘のモミィをわが家に引き取り、
わが家から幼稚園に通わせるようになった経緯を具体的に書いた。
モミィが大きくなった時に読んでくれたらいい…と思ったのだ。
その際、書きながら、どんどん熱が入ってきた僕は、
勢いにまかせて、幼稚園の実名まで書いてしまったのである。

そのあと、たまたま、その幼稚園の保護者の方がパソコン操作中に、
幼稚園名で検索をしていると、僕のブログにたどり着き、
幼稚園が実名で載っていることと、モミィの話の一部始終を目にされた。
これが保護者の方々の間で、話題に上がったようである。

「そこまで詳しく書いたら、モミィちゃんが可愛そう」
お母さん方はみんなそうおっしゃって、心配されているのですよ…
と、わが家を訪れた方は、話された。

僕は、モミィがこちらの幼稚園に通い始めてから、
それまでと一変して、毎日を楽しく過ごしてくれるようになったので、
モミィに温かく接してくださる先生方に心から感謝をしていた。
こちらへの入園が、モミィの日常生活をバラ色に変えたのである。

そのことが頭の中にあったので、
「ここは、本当にいい幼稚園です」というつもりで、
つい幼稚園を実名で書いてしまったのだ。

しかしどんな理由であろうと、実名では差し障りがあるのは事実である。

僕は大いに反省し、その方が帰られた後、
すぐにパソコンを開けて、該当する一連の関係記事を非公開にした。

ブログでは、調子に乗って詳しく具体的なことを書き過ぎると、
いろいろな方面に迷惑をかけたり、波紋を広げたりする。
そのことをこの一件で痛感したので、それ以来僕も、
多少は慎重になったかな~、と思うのだけれど、
なにせ根が軽率な人間だから、変わり映えはしていないかも。

ということで、ヒトのことをとやかく言える僕ではないのだが、
今回の光星学院の件で、不特定多数の目に触れるブログの怖さを、
改めて知らされ、僕自身の失敗談も思い出させることとなった。

繰り返しますが、今回の不祥事に関して、
内緒で飲んだらよかったのに…と言っているのではありませんよ。

未成年者の飲酒は、当然、法律違反で、厳禁ですからね。

仮に、不覚にも飲酒してしまったとしても、ブログなどに書くと、
事は自分だけで済まず、他の人たちに大迷惑を及ぼしてしまう…
そういうことを、言いたいのである。

今回は自分たち以外の野球部員やそのご家族、監督や学校関係者はじめ、
被災地でもあった地元の方々を、どれだけ深い悲しみに陥れたことか…。

大阪の人間としても、とても残念で悲しい。

最後にもう一度、念のため、重ねて申し上げますが、
決して、飲んでもバレなければいい、という話ではありません。
酒を飲むという行為は、とにかくアカンのです。

大人になったらいくらでも酒は飲めます。浴びるほど飲めます。

飲み過ぎて、僕みたいにアルコール依存症が疑われる人間になったら、
これまた酒にだらしない人間だ~ということで、アカンのですけどね。

 

 

 

 

 

 

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紳助引退 片隅の珍事

2011年08月25日 | ニュース・時事

最近、ブログの右サイドバーに「アクセス状況」を表示するようにした。
表示することで、それを励みにブログの更新回数を増やしたいと思っている。

たしかに毎日更新すると、アクセス数は、多少の波はあるが増えてくる。
それが面白いので、このごろ、ついつい毎日更新してしまう。

すると昨日の「アクセス状況」に、びっくり仰天の数字が出た。

閲覧数が 10,568
訪問者数が 8,530
ランキングは (162万4,408ブログ中) 13 位

信じられない数字だ。

2ヵ月前に「アクセス数にびっくり」という記事を載せた。
前日のアクセス数が異様に高かったことに驚いたことを書いたものだ。

このときは、

閲覧数  5,735
訪問者数 3,219
ランキングは 160万1,642ブログ中
54 位だった。

今回は、その数字をさらに大きく上回った。

前回の記事は、禁酒から1ヶ月経った…というだけの話であった。
それがなぜこれほど多くのアクセス数を生んだのか、いまだに謎である。

しかし今回は、理由がわかりやすい。
現在世間で大騒ぎしている島田紳助の突然の引退を扱ったものだからだ。

僕は昨日の早朝にテレビをつけ、それを知って驚き、すぐその記事を書いた。
そして、朝の7時半に、ブログをアップした。

僕がブログを書きながら見ていた読売テレビが、かなり突っ込んだ内容を報じてくれていたおかげで、記事としても、まだ早かった時間帯にしては、まずまずの情報を盛り込めただろうと思う。そんなことが、これだけ多くの方が自分のブログをのぞいてくださった原因なのかな~と思う。

それだけ「島田紳助」というネームバリューが大きいということだろう。

もともとブログは、話題になった事件や有名人の名前をタイトルに出すと、
アクセス数が増えるという傾向がある。

僕も、「光星学院」「なでしこ」「松田直樹」「東野圭吾」など、
最近もそういう話題になったタイトルを使っているけれど、
それでもアクセス数が微妙に増えることはあっても、
これほどの数字には、絶対にならない。

このことひとつを見ても、今回の島田紳助の突然の引退表明が、
世間の隅々までひっくり返すような超衝撃のニュースだったことがわかる。

昨日のテレビのニュースとワイドショーは、
紳助ネタ一色に塗りつぶされていたけれど、
まあ、一人のお笑いタレントが引退することによって、
これほど日本中が大騒ぎするとはなぁ…という気が、しないでもない。

おかげで、民主党の前原さんが党代表選へ立候補を表明…
というニュースも、とばっちりを受けてしまった格好だ。

僕にとっての、このびっくり仰天のアクセス数も、
紳助の突然の引退劇が生んだ「片隅の珍事」といえる。

まあ、僕としては、気分のいい珍事ではあるけれど。

 

 

 

 

 

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島田紳助の引退

2011年08月24日 | ニュース・時事

夜の早い時間に寝てしまうと、その夜のニュースがわからないので、
朝起きてテレビをつけたら、びっくり仰天することがある。

今朝も起きてすぐに、大阪読売テレビにチャンネルを合わせると、

島田紳助さん引退

との大きな字幕とともに、当人の記者会見の様子がアップで映っていた。

えっ、引退…? なんで…?

と、目をこすりながらテレビを見ていると、
キャスターの辛坊次郎さんが、
「ゆうべ早く寝ちゃった人は、今、このニュースを見て、
 びっくりしているんじゃないですか?」
と、こちらの様子を見透かしたような言葉を吐いた。
「いや、ほんま。びっくりしましたわ~ん」
と、僕もテレビに向かって返事をしそうになったほどだ。

今朝のブログでは、別の話を書くつもりだったが、
テレビを見て急きょ、紳助の引退に関する話に切り替えることにした。

ということで…
いま、朝のテレビニュースを見ながら、このブログを書いている。

引退の理由は暴力団との交際が、メールで発覚したことだという。
あぁ、またもやメールである。

大相撲界が八百長問題であれほど大きく揺らいだのも、
力士間の八百長をめぐるメールのやりとりが発端だった。

メールというのは、便利すぎるところに落とし穴がある。
昔のように、手紙を書いて送るという格式ばることもなく、
気軽にちょこっと打って送ると、一瞬にして届く。実に簡単。

送ってから「あっ、しまった~」と思うこともよくある。でも、
こちらは取り消したいことでも、メールは相手の携帯にずっと残る。
ほんと、メールは怖い。

     ………………………………………………    

会見で紳助が、友人のAを介して暴力団のBがどうのと言っていたが、
Aというのは元プロボクサーの渡辺二郎だと、某スポーツ紙が書いていた。

10数年前、紳助が「人間マンダラ」という番組で政治的な発言をし、
右翼団体からすさまじい脅しを受けて、窮地に陥ったという。
そこでAこと渡辺二郎を通じて暴力団員のBに便宜を図ってもらい、
右翼団体からの攻撃から逃れることが出来た…
そんなことがきっかけで「その世界」との関係が始まった…
と、テレビ解説では、そんなことを言っていた。

7年前、紳助は吉本の女性社員を殴って怪我をさせたことがある。
これで紳助も終わりかと思えば、なにやら言い訳しながら復帰してきた。

今回は「引退ではなく、謹慎でいいのでは?」という周囲の声に、
彼は「ルールはルールだから潔く引退します」と語ったが、
なら、そのセリフは、女性社員を殴った7年前に言うべきだった。

そのとき彼はまだ40代だったが、いまは55歳である。
最近、人気も急下降してきたと報じられたばかりである。
少なくとも、最盛期が過ぎかけている…という自覚はあったと思う。

それと、タレント業以外にも不動産業などに首を突っ込んでいた。
いろいろと、あやしい世界を掛け持っていたのかも知れない。
また、飲食店の経営なども手広く展開していた。
そろそろ潮時、と考えていたところへ今回のことが明らかになった…
という見方をすれば、ちょうど「いい機会」だったとも言える。
会見でも、なんだか晴れ晴れしい雰囲気のようなものが感じ取れた。

    ………………………………………………

紳助の司会ぶりは、まるで権力者そのもののように見えた。
出演タレントはみんな、紳助に媚びへつらう、という態度だった。

さんまやたけしをはじめ、和田アキ子、ダウンタウンなど…
番組を仕切る大物タレントに出演者が媚びるという傾向は強まる一方だが、
中でも特にその傾向の強かったのが、紳助の番組ではなかったかと思う。

…とは言いながら、僕は若き日の「紳助・竜介」の大ファンだった。
1980年代に巻き起こった「ザ・漫才」のブームで、
雨後のタケノコのように漫才師たちが湧き出てきたとき、
最高に痛快な笑いを連発して楽しませてくれたのが「紳・竜」だった。

紳助は京都出身だから、大阪弁の中に京都弁がまじるのも、
同じ京都生まれの僕として、親しみを覚えたものだった。

最近でも、紳助の傲慢ともいえる態度が鼻についてはいたけれど、
話芸そのものは、やはり天才をうかがわせるような切れ味があった。
当意即妙のやりとりが抜群で、会話がよどまない。

最近、面白くも何ともないさんまやたけしとは、そこが大きく違う。
それでも、やはり素行の悪さが命取りになった。

昔から、芸人は素行の悪さが過ぎるほど面白い、と言われている。
紳助もその一人だったんだろうな~と思う。

これからは、別な形でメディアに注目される生き方をするのだろうか。

もうあの毒舌が聞けないのは淋しい…と感じたりもするけれど、
これを機に、今のバラエティ界に少しでも緊張が走ればいいと思う。

…と思ったところで、何も変わらないのが今のテレビ世界でしょうけどね。

 

 

 

 

 

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セミの “婚活”

2011年08月23日 | 日常のいろいろなこと

8月もあと1週間余りで終わるが、まだまだセミの声がかしましい。

大阪市東住吉区の長居公園にある大阪市立自然史博物館の調査によると、
世界中で一番セミの鳴き声がうるさい街が、大阪だという。
理由は「声」が大きいクマゼミが多いこと。

東京では少ないクマゼミが、大阪にはワンサといるらしい。
僕は大阪しか知らないので、これが普通だと思っていたが、
どうやら、普通ではなく、世界一うるさい…ということだ。

それにしても、世界一とは、スケールの大きい話だ。
ほんまかいな…?

「蝉」といえば、角田光代さんの小説「八日目の蝉」を思い出す。
何年か前、新聞の夕刊に連載された時、毎日、読み耽った。
愛人の赤ん坊を誘拐する若い女性の逃避行…という話が鮮烈だった。

その後、檀れい主演でNHKテレビドラマ化され、これもよかったなぁ。

「八日目の蝉」のタイトルは、セミのはかない人生(?)を表している。

セミは7年間土の中にいて 地上に出ると7日目で死んでしまう。
でも、7日で死ぬということは皆と一緒なので別に悲しくないが、 
皆と一緒でなく8日目に生き残ったセミがいたとしたら、その方が悲しい…

小説に、そんなふうな会話が出てくる。

実際、セミは2年~10年、幼虫として土の中で過ごし、
地上で暮らすのは数週間だと言われている。
はかないというか、あっけないというか…

でもまあ短い間であっても、あれだけ鳴き叫ぶのだから悔いはなかろう。
僕みたいに、長く生きても鳴かずかず飛ばずの人生よりはるかにマシだ。

ところで、ご承知のように、鳴いているセミはすべてオスである。
オスがメスを呼び寄せるために鳴いているわけで、メスは鳴かない。

前述の大阪市立自然史博物館の職員の方によると、
広い森で一匹鳴いていてもメスとめぐり合えないので集団で協力して鳴く、
ということだそうである。だから、あれだけ騒がしいわけね。

「いわばセミの集団婚活です」とその職員の方。
じゃぁ、セミの合コンってのも、あるかもしれない。
男ばっかりしゃべりまくって、女は全員黙っている…。
ナンだか不気味な光景だと思いませんか?

また、セミを専門的に研究している学者先生によると、

オスとメスの数はほぼ同じ。オスは複数回交尾できる。メスは1回しか交尾しない。こうしたデータを独自の数式にあてはめると…。結果は37パーセント。

…とのこと。

つまり、メスを求めて鳴き叫ぶセミ男たちの「婚活」の成功率は、
わずか37パーセントにすぎない、ということになりますよね。

せつないなぁ。

やっぱり「鳴かず飛ばず」でも、人間のほうがよさそうだ。

 

 

 

 

 

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なんのこっちゃ 子ども手当

2011年08月22日 | 日常のいろいろなこと

最近のいろいろなニュースのひとつに「子ども手当」があった。

ご存知の通り民主党が政権を取るために掲げた目玉政策のひとつで、
批判を浴びながらも2010年4月から実施されていた制度だった。
僕は2009年3月に市役所を辞めたので、制度内容
には無知である。

しかし、いざ実施に当たっては、高速道路料金無料化などとともに、
財源難の状況下での継続実施はとうてい無理なことが明らかになり、
結局子ども手当は、以前の児童手当に逆戻りするということになった。

なのに民主党は最近「子ども手当、存続します」というビラをつくり、
全国で配り始めたという相変わらずのおバカぶりを繰り返している。

まあ僕自身は子ども手当については、この制度がスタートした時から、
15歳以下の子どもなんていないわが家には関係のないことだったので、
関心も低く、むしろ「財源を無視した単なる人気取り」の印象が強かった。
子どもに関する福祉政策は、他に切迫した課題が目白押しではないのか?

そんなことを思いながら、子ども手当に関して批判的な気持ちを持っていた。

ところが先日、市役所から届いた通知を何気なく見て、へぇっ?と思った。
〇〇月分の子ども手当が振り込まれました、という通知であった。

「何…これ?」僕が首をかしげて通知を眺めていると、妻がのぞきこみ、
「書いてあるとおり、うちに子ども手当が振り込まれたっていうことよ」
と、何事もないように言った。

僕はしばらく首をひねっていたが、あ、そうか、と気がついた。

うちには4月に養女にした孫娘のモミィという「子ども」がいたのである。

モミィと「子ども手当」とが、すぐに結びつかなかった。

なんとまあ、わが家も子ども手当の支給対象家庭だったのか…?

そう思うと、これまでは月額いくらということも知らなかったので、
そのとき、改めて「子ども手当 変わる」という新聞記事を読んだ。

支給月額は、この9月分までは1万3千円。
…へぇ~。
1月当たり1万3千円がわが家にも支給されていたのか…? 
知らんかったなぁ。

10月分からそれが1万円になり、来年4月からは児童手当に移行するが、
支給額は月額1万円と変わりはない…ということだそうである。

「子ども手当」の制度内容の記事など、詳しく読んだことがなかったが、
自分があれだけ批判していた政策が、実は自分のところにも及んでいた…
…ということを知ると、なんだか、そのぉ、みょ~な気分になってくる。

わが家庭に子ども手当が支給されている…ってなぁ。

まことに痛し痒し、といった心境である。

 

 

 

 

 

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光星学院 悲願ならず

2011年08月21日 | スポーツの話題


日本全国が注目した昨日の高校野球決勝戦。
青森県八戸市の光星学院は、西東京の日大三の力に吹き飛ばされた。

11対0で完封負け。

う~~~ん。

でもね。負け惜しみじゃないけれど、
1点差でも、11点差でも、負けは負け。
僅差で悔いの残る負け方をするより、
パァ~っと派手に負けるほうが、すっきりしていい。

決勝まで勝ち上がり、最後の最後まで日本中を沸かせたことに価値がある。

ぱちぱちぱちぱち。

むろん、参加4,014校の頂点に立った日大三の栄誉も称えよう。

ぱちぱちぱちぱち。

…と拍手をしながらも、一方では「あとひとつやったのになぁ」
と、無念の思いを噛み締める、もう一人の自分がいる。

東北勢が、100年近く続くこの大会で、ついに悲願の初優勝を遂げる。
そしてそれは、東北地方に未曾有の災害をもたらした年だった…。
このあと、何十年、何百年と語り継がれるであろう歴史的勝利!
その瞬間の光景を目にしたかったというのが、正直な思いである。

しかし、勝負というものは、周囲が期待するほど甘くはない。
それが真剣勝負の容赦のなさであり、醍醐味でもあるのでしょう。

 …………………………………………………………………………

さて、このあとは「蛇足」です。こちらのほうが、長いですけど。

昨夜、日テレで、毎年恒例の「24時間テレビ 愛は地球を救う」が始まった。
やたらに善意を強調するだけの番組という印象が強く、好きになれない。
くだらないバラエティの中に障害者問題などを挿入して感動を押しつける。
そういう問題を取り上げるなら、もっと普段から取り上げろ、と言いたい。
(今年は被災地をしっかりフォローしてほしいという期待はあるが)。

しかし番組の「目玉」とされてきたタレントの長距離走は、
100キロマラソンを経験した僕としては、つい見てしまう。
でも、あれって、どこを走っているのかもわからないし、
本当に公表どおりの距離を本人が走っているのかどうかも疑わしい。
(以前走ったダチョウ倶楽部が、途中で車に乗ったと言っていた)

今年は70歳の徳光和夫さんがチャレンジしている。
昨夜の7時過ぎ、長嶋茂雄氏の号砲でスタートした徳光さんだが、
高齢者にこんなことをさせる企画に、何の意味があるのかと思う。

70歳で世界最高峰のエベレスト登頂を果たした三浦雄一郎さんなら、
それなりの深い感動も覚えるし、勇気も与えられる。

しかし、いかにも運動不足っぽい徳光さんが長距離を走ることが、
いったい社会に何をもたらすというのだ。

ラストに武道館に入ってきて、感激に泣き崩れる徳光さん…
そして周囲の面々の涙と笑顔と拍手で感動のエンディング…
このシナリオのためだけに、走らされているのであろう。

しかし徳光さん、ホントに大丈夫なのだろうか…?
無理しないようにしてください。


厳しい真剣勝負の真髄に触れた高校野球から、一転してこの番組だ。

落差が大きすぎるわ。

 

 

 

 

 

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がんばれ八戸 光星学院

2011年08月20日 | 思い出すこと

1969年(昭和44年)8月18日。
いまから42年前のことである。

僕はそのとき、まだ20歳の紅顔の美少年であった  。
(今は厚顔の中高年ですけど…)

その日の午後5時過ぎ、僕は東京後楽園球場の観客席にいた。
今の東京ドームなど、影も形もなかった時代である。

僕は大阪~北海道を往復する自転車旅行中であった。

旅行も終盤になって、東京に着いた。
せっかくなので僕は東京に数日滞在し、憧れの巨人軍の試合を、
その本拠地・後楽園球場で初めて見るという機会に恵まれたのである。

巨人の選手がグラウンドに入ってきて練習が始まった頃である。

前の席に座っているおじさんの携帯ラジオの音が耳に入った。
身を乗り出して聴いてみると、それは野球中継だった。

まだプロ野球は試合が始まっていない時間なのに、
いったい何の野球をやっているのだろうかと不思議に思い、
耳を傾けていると、どうも高校野球のようだった。

…そうだった。
この日は甲子園球場で、高校野球の決勝の日だったのだ。

しかし、午後5時を過ぎた時間に、まだ試合が続いているはずがない。
だが、たしかにそのラジオからは、高校野球の実況が流れていたのだ。

僕は前のおじさんに、「すみません。それ、高校野球ですか?」
と、聞くと、おじさんは大きくうなずき、
「そうだよ。延長戦に入ってねぇ、まだ終わってねぇんだよ」
興奮気味に、教えてくれた。

それが、今も高校野球史に語り継がれる第51回大会の決勝戦、
松山商業と三沢高校が
延長18回を戦って引き分けた試合だったのだ。

後楽園球場から宿舎に帰って、僕はその試合の結果を知った。
両校は明日、再試合を行うということだった。

~そうか、あの三沢高校だったんだ~

この青森県の三沢は、2週間ほど前に自転車で通過した町だった。
しかも、三沢に住むトラックの運転手さんと話す機会があって、
その時、運転手さんは、
「今年の三沢高校はすごいんだよ。太田幸司っていう投手がいてね。甲子園でも、きっと優勝するよ」
そう言って、目を輝かせていたことを、僕は忘れていなかった。

この試合は、決勝としては大会史上初の引き分け再試合となったが、
残念なことに、三沢高校は翌日の試合で力尽き、優勝を逃した。
だが、三沢の太田投手は、これで一躍日本中のアイドルとなった。

これと関連する別の話だけれど…
5年前の決勝戦で、早稲田実業の斉藤と駒大苫小牧のマー君が投げ合い、
死闘を繰り広げた末、引き分けて再試合となったとき、
「決勝戦の再試合は実に37年ぶりのこと!」とマスコミが騒いだが、
その37年前というのがこの松山商対三沢高の試合のことであった。

 ……………………………………………………………………………

そして、今日、8月20日。

今は、朝の7時半である。

2時間後の午前9時半から「大一番」が始まる。

甲子園球場で、青森県代表の光星学院が決勝戦に挑むのだ。
相手は東京の日大三。むろん、簡単に勝てる相手ではない。

「青森勢の決勝進出は42年ぶり」と報じられているが、
1969年8月18日のあの三沢高校から42年ぶり…ということだ。

だから僕にとっても、今日の試合は、格別の思いがある。

しかも光星学院は、今回の大震災の被災地、八戸市にある。
八戸は、自転車旅行中にも、高校の恩師の実家に何日か泊めていただき、大変お世話になった思い出の深い場所である。

その八戸市に在住され、地元で高校の教師をしておられるTさんという方がいらっしゃる。

数年前、僕の20歳当時の自転車旅行記を掲載したブログを偶然に読まれ、気に入っていただき、メールをくださって以来、当時、僕が巡った旅先の、現在の様子を教えていただいたり、八戸市で僕がお世話になった方のところまで実際に会いに行かれて、僕のことを伝えていただいたり…と、格別なご配慮をいただいている。

そのTさんから、昨日、久しぶりにメールが届いた。

高校野球は、三沢高校以来42年ぶりに青森勢が決勝に進みました。
光星学院は八戸の私立校です。どうぞ、明日の決勝は、
被災地代表を応援してくださいませ。

そう書かれていた。

Tさんの、熱い思いが胸に伝わってきた。

三沢高校…
42年ぶり…
青森県の八戸市…

なんとも、言葉で言い尽くせないほど、感慨深い。

青森勢として、42年ぶりの雪辱の機会が訪れたわけだが、
何より、東北勢は、まだ優勝も未経験である。

相手は強豪中の強豪、東京の日大三であるが、
全力でぶつかって、なんとか歴史的勝利をつかみ取ってほしい。

勝てば、なでしこジャパンの優勝以上に被災地の人々を勇気付けるだろう。

そして最後にもう一つ、感慨深いことをつけ加えておかなければならない。

この光星学院のメンバー18人のうち、10人が大阪出身の選手なのである。

八戸、そして大阪…

なんという縁の深いことであろう。

がんばれ、光星学院 !  

1969年8月18日を超えて、
2011年8月20日のこの日を、
一生忘れられない日にしてほしい。
               
 

 

 

 

 

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「なでしこ」 に思うこと

2011年08月19日 | スポーツの話題

昨日も、夕方にテレビのニュースをつけていると、
死者まで出した静岡県天竜川での不幸な川下り船転覆事故から、
なでしこジャパンが国民栄誉章を受賞した明るいニュースまで、
悲喜こもごも、さまざまなニュースが、お茶の間に流れていた。

こちらは家族で「団欒」、テレビでは「波乱万丈」が映し出される。
ニュースはまさに人生劇場なんだ、といつも思う。

ところで国民栄誉賞の受賞のシーンで、また思ったのだが、
あの澤選手の髪形だけど、もう少し何とかならないものか…
試合中は後ろで束ねているが、それ以外の時はボッサリと長い髪だ。
女性らしさを出そうとしているのかも知れないが、違和感がある。

誰か「似合いませんね~。澤さんのその髪形」と言う人は…
いないんだろう~ね。
なにしろ澤選手は、今をときめく「なでしこの顔」だもんね。

ついでにいえば、今回の国民栄誉章は団体では初ということだが、それなら3年前の北京五輪の女子ソフトボールチームにも受賞させてあげて欲しかった。あの時の金メダルは、今回に負けない大きな感動を国民に与えたはずだ。

菅直人も、いいところばっかりで目立ちたがるんだな~と、
昨日の授賞式の光景を見ながら思った。

すみません。明るいニュースに水を差すようなことを言っちゃって。

「なでしこ」といえば、あの鮫島彩選手はアメリカへ行ったまま、
日本のマスコミの前にほとんど姿を現さないのが寂しいですね。

僕は「なでしこ」の中では、鮫島選手が一番好きでしたが…

ワールドカップでも地味ながら、優勝に大きく貢献した選手だった。
彼女は東電の社員で、あの原発事故でサッカー活動ができなくなり、
ちょうど誘いがあったので、アメリカのサッカーリーグへ行った。
何となく不運を背負った選手だけど、髪形はよく似合ってました。
(髪形の話はもうええっちゅうねん)



     

 
      この人はいま…

 

 

 

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ナイアガラ滝 転落事故

2011年08月18日 | ニュース・時事

米国とカナダの国境にあるナイアガラの滝で、日本人留学生の20歳の女性が滝に転落して行方不明になったというニュースを見たとき、

「えっ? ナイアガラの滝へ落ちたっ? まさか!」

2年前にナイアガラの滝を訪れたことのある僕は、思わず声をあげた。

新聞によると、女性は写真を撮ってもらおうとして、滝を見下ろす場所にある鉄柵にのぼり、バランスを崩して川に落下、そのまま滝にのまれたという。ある報道では、傘を差したまま鉄柵にのぼった、とも言われている。

その日本人女性はカナダのトロントの語学学校に通っていたそうである。

どうしてそんなところへよじ登って写真を撮ってもらおうとしたのか…?

滝の見学場所の記憶をたぐり寄せながら、考えてみた。

現場は、滝がすぐ目の前に迫っているところである。

川の水が滝壺へのみ込まれていく写真を撮ろうとすると、鉄柵から身を乗り出すようにして撮影しなければならない。まして、そこに人物が入ると、なかなかカメラアングルがむずかしい。普通に撮ると、滝の迫力が伝わらず、川だけを背景に写真を撮っているような感じになってしまうからだ。つまり、脚立か何かにのぼって、上のほうから滝を背景に人物を撮ると、臨場感あふれる写真になるっていう感じなのだ。

ただし写真を撮ってもらうために鉄柵にのぼってそれをまたぐ…というのは、
誰が見ても、川へ落ちてしまうと思うのだけど…。

  
写真で説明すると、わかりやすい。

  

  これは、ナイアガラの資料写真です。
  カナダ滝の全景がわかります。
  観光客は、半円形に広がる滝の右端の、
  川が滝へ落ちる場所で見学することが多い。 

 

 その場所がここ。
 僕が行ったのは1月で、周囲は雪に覆われていた。
 ナイアガラへの観光客はたいていこのポイントに来るのだが、
 この時は、季節外れだったのか、人影はほとんどなかった。
 女性がのぼったという鉄柵の高さも、これでわかるだろう。

            

 



 女性は鉄柵にのぼり、バランスを崩して、
 滝の約25メートル手前の川に落下。
 そのまま滝にのまれた、という。 
 川は、満々と水を湛えている。

 これが、ちょうどそのあたりの鉄柵と思われる。

           
 

 

 
 

 滝の様子を、もう少しリアルに撮ろうとすれば、
 鉄柵から身を乗り出して撮影することになる。

           

  

 
 ただ、滝のすぐそばに建物があり、その2階から見ると、
 ナイアガラの滝が、かなりわかりやすく眺望できる。
 鉄柵にのぼらず、この位置から撮ってもらっていたら、
 滝も人物もうまく撮れていただろうに…と悔やまれる。

           

        
 

 

ナイアガラの警察当局のある警官は、
自分は35年間、この仕事をしているが、
鉄柵から落下した事故は初めてだ…
と、会見で語っていた。

ナイアガラ滝を目の当たりにすると、
迫力どころか、恐怖が先立つほどである。

そんな場所だからこそ、観光客は用心に用心を重ねるのだ。

鉄柵の位置も、もちろん、それなりの高さがある。
それをよじのぼり、またぐ人って、いるだろうか。

今回の事故は、僕としては、どう考えても信じられないのである。

 

 

 

 

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大文字の思い出も…

2011年08月17日 | 思い出すこと

昨夜、京都の大文字山などで「五山送り火」が行われた。
今年は大きな物議を醸したが、なんとか無事に火がともったようだ。

8月16日… 大文字…

8月16日といえば僕には「大文字の日」以外の何物でもない。
赤く染まった大の字が、遠くて暗い空間にゆらゆら浮かぶ…
それが僕の心の原風景として、今でも残っている。

僕は京都市上京区の生まれで、幼稚園までそこに住んだ。
生まれ育ったのは母の実家だったが、幼稚園の時、
母と父が離婚して、僕は母に連れられて大阪へ行った。

しかし、その後、大阪に移り住んでも、夏休みになると、
必ず一人で京都の生家に戻り、休み期間中ずっとそこで過ごした。
そこには祖父母と、僕と同じぐらいの年齢の叔母が2人いた。
僕はこの家が、大阪の家よりもはるかに好きで、居心地も良かった。

そして8月16日の夜は、大文字が楽しみだった。
この日は、町内会はお祭り騒ぎと化す。

大勢の人たちが外へ出てきて道路を埋めつくし、西の方向を仰ぎ見る。
「おぉ~」という歓声と同時に、はるか彼方に大の字が浮かぶ。

その風景は、とても鮮烈であった。

その頃は行事の意味も「送り火」という言葉も知らなかった。
山の上で大の字が燃えるというダイナミックな光景に魅せられたのだ。

僕が小学生の頃だから、もう半世紀も前のことになる。
そんな昔でも、その頃の心の風物詩として今も懐かしく思い出す。

本来なら、昨日の大文字も、そんな郷愁に浸るところであった。

しかし、その大文字が今回、大変な事態を引き起こした。

「京都の恥」として全国に轟いたことに、大きなショックを受けた。

東日本大震災の津波で倒れた岩手県陸前高田市の松の薪を、
大文字の送り火で燃やす計画が7月に明らかになったのだが、
放射性物質が検出されなかったにもかかわらず中止になった。
この中止にしたことが、そもそもの、つまづきの原因である。

薪に鎮魂のメッセージを書き込んだ陸前高田市の皆さんは、
どんなに情けなく、そして腹立たしく思われたことだろう。

それらの薪が陸前高田市で燃やされた頃、
中止への批判や猛抗議が京都に集中した。

すると大文字保存会と京都市は、
批判をかわすためか、再び実施することを決めた。

しかし今度はその薪から放射性物質が検出されたとして、
京都市からまたまた中止という発表があったのである。

「もう勝手にしてくれ」
陸前高田市の人たちの怒りは、おさまらなかったろう。

このブログにコメントを下さる「のこたん」さんも、
妹さんとご家族たちが、陸前高田市で被災しておられる。
その思いを想像したとき、いよいよ胸が張り裂けそうになる。

燃やす。
いや、燃やさない。
いや、やっぱり燃やす。
いや、やっぱり燃やさない。

何なのだ、これは。

すでに放射能は、日本のあらゆる地域に広がっているのだ。
問題は、その濃度がどうかということなのだ。

放射能に関する明確な基準値も示さず、
行き当たりばったりで燃やす・燃やさないだけを繰り返す。
こんなことをしているから、国民はどんどん不安に陥るのだ。

京都で生まれ、少年時代に大文字を見て育った人間として、
50年後に、まさかこんな騒動を見せつけられようとは…

思いも寄らなかった出来事に、複雑な思いが胸中を去来する。

 

 

 

 

 

 

 

 

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なぞの貼り紙

2011年08月16日 | モミィの成長日記

 
   

     この貼り紙、読めます…?  アラビア語ではありません。

 

毎年、お盆とお正月に、長男の高校時代の友達が遊びに来てくれる。
高校時代からすでに20年の歳月が経つが、交友が続いている。

そんな今は、モミィが「接待役」として大いに張り切る。
(張り切るだけで、あまり役にはたちませんけど…)

数日前からテーブルの前にお客さんの数だけ座布団を敷き、
ここには誰が座り、ここには誰が座って、ここはわたしが…
などと、「会場設営」を仕切るのに余念がない。

「お料理はわたしが注文を取るわ」とモミィが言うので、
「注文をとってどうすんねん? もうお献立は決まってるのに」
そう言っても、モミィは、
「ここはお店やねん。だから、食べ物は何にしますか?って聞くの」
「聞いてもらっても、そんないろんな料理は出来ないし…」
と僕が言い、
「たとえば、お友だちがタコ焼きくださ~いと言ったらどうするの?」
とモミィに訊く。
「あ、それはありませ~ん、て言うねん」
「そしたら、おうどんをくださ~い、と言ったら?」
「あ、それもありませ~ん、て言う」
「じゃぁ、スパゲティをくださ~い、と言ったら?」
「う~ん、そうやな。それもできません、って言うわ」

どんな店やねん。

さて、そんなことで、モミィが楽しみにしていた13日の午後、長男の友人たちが遊びに来てくれた。

お盆とはいえ、関東地方に住み、この時期にまだ帰省できない友達もいて、ななかなかわが家に勢ぞろいしてくれる機会は少ないが、今回は今年2月に生まれた友達の赤ちゃんが、奥さんに連れられ、わが家に初お目見えした。

 

  

 

ひたすら張り切るモミィは、何日も前から、壁にこんな貼り紙をした。

 

    玄関を入ったところにはこの貼り紙。

  これが、そのアップです 

   

 訳 → ひるごはん わたしがてつだいします。 きてね。 モミィ。 


そして…

 

 みんなが集まる部屋の前の壁には…


 冒頭の写真の貼り紙ですが… 
 

訳 → こまったことや もってくるものわ わたしが てつだいします。

    (ほかの図柄は文字ではなく、絵や飾りだそうです)

 

お盆もあっという間に終わり。

高速道路や新幹線のUターン混雑も、ピークを迎えたようです。

この異常なほどの暑さが、早く収まって欲しいほしいですね~。

 

 

 

 

 

 

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暑い夏 熱い戦い

2011年08月15日 | スポーツの話題

次男の誕生日でもある8月6日は、広島へ原爆が投下された日だ。
式典をニュースで見て、今日は次男の誕生日だったんだ、と思う。

9日は長崎で平和の式典が行われた。
さらに今年は新たに「11日」という日が加わった。
東北大震災から5ヶ月後の「11日」がやってきたのだ。

そしてきょう15日は終戦記念日だ。

鎮魂の日が続く。

それでも風物詩の高校野球は、連日の猛暑を跳ね飛ばす元気ぶりである。

3月の大震災後の直後でも、高校野球は予定通りの日程で行われた。
そしていま、震災後2度目となる甲子園大会が盛り上がっている。

宮城、岩手、福島の被災地からやってきたチームの敗退は残念だけど、
暑い夏にふさわしい、熱い熱い戦いが展開されている。

ところで大阪に住んでいると、東京のチームに対抗心を燃やすことが多い。
だから、一昨日行われた強豪・帝京(東東京)と滋賀県の八幡商業が対戦した試合では、思いがけない展開に、久しぶりに興奮したのだ。

8回まで八幡商業は、帝京の投手の前に二塁も踏ませてもらえぬありさま。
得点は3対0で帝京が楽々リードしている
。八幡商業の攻撃は9回を残すのみとなり、予想通り帝京の完勝…との結末が見えてきた。

…そのとき、一死後から八幡商業は気迫の3連打を放ち、一気に満塁のチャンスを作った。さすが帝京のエースも、あと1イニングとなり、勝ちを焦ったのか、球が甘くなり始めた。さらにそのあと、ショートゴロに打ち取ったはずがショートの痛恨のエラーで1点を献上してしまった。まだ一死満塁が続く。

そこへ出てきた5番打者が、フルカウントからの9球目をライトスタンドに放り込み、この回5点を取って大逆転したのだからたまらない。この打球はテレビで見ていると「う~ん惜しい、ファールかぁ」…とような角度で映っていたが、みごとスタンド入りしたわけだ。帝京の投手も、エラーをしたショートも、たまらない思いだろう。まさに劇的な最終回の逆転満塁ホーマーだった。

さて、その日の次の次の試合に、大阪代表が出た。
東大阪大柏原という校名はほとんど知られていない。
実はこの学校は、僕の住む藤井寺市に隣接する柏原市にある。
散歩でも行ける距離で、これまで甲子園に出場した高校の中では、最もわが家から近い場所に位置する学校である…といえる。

東大阪大柏原高校のラグビー部は、僕がジョギングしている大和川の河川敷でよく練習をしている風景を見る。それくらい、近くにある。

かつての甲子園の常連であったPL学園も、僕自身の母校近大付属校も、何度も甲子園に出ているが、東大阪大柏原高校よりはかなり遠い場所にある。

ここは最近まで、柏原高校と呼ばれていて、僕らにもなじみが深かった。
それが、いつのまにか、東大阪大柏原高校と長い校名に変わった。
昨今は○○大学○○高校という校名がやたらに増えてきている。
京都の伝統校・平安高校も、竜谷大平安という校名に変わったものね。

ちなみに、僕は大学構内にある近大付属高校から近畿大学へと進んだのであるが、これが東大阪市にある。つい最近までは「東大阪の大学」といえば近大のことであった。

ところが数年前、大学生が集団で起こした殺人事件があり、新聞には「犯人は東大阪の大学の学生たち」と大きく報じた。実は当時新設大学であった「東大阪大学」の名前など、ほとんどの人が知らなかった。だから新聞を見た人は誰でも、「あ、これは近大の学生が起こした事件やな」と思ったはずだ。

僕も思った。すると、後日詳しく出た記事では、犯人は近大生ではなく、東大阪大学生であり、事態を重視した近大は、マスコミに対し、今後「東大阪にある大学」という表現はやめて、はっきり東大阪大学とか近畿大学とか書かれるよう申し入れをしたという。

野球でも、近大付属と東大阪大柏原とでは歴史と伝統が違うで~
と高をくくっていたが、いつのまにか柏原高校はぐんぐん力をつけ、
とうとう、今大会、激戦区の大阪を制して全国大会に初出場したのだ。

こうなると柏原の近所に住むおっちゃんとして、応援しなければならない。

おまけに、八幡商業が帝京大逆転した縁起のいい日でもある。

…しかし試合は、広島代表如水館を相手に、追いつ追われつの熱戦で、
7回に2点を取られたら3点を取り返して同点に追いつき、
延長戦にまでもつれ込む白熱した試合を繰り広げたが…
結局、延長10回に力尽きて7対4で敗れた。あ~、がっかり。

同じ大阪でも、大阪桐蔭とか北陽高校とか東海大仰星といわれても、
大阪のどこらへんにその学校があるやらわからないのに比べると、
「ご近所」の東大阪大柏原の初出場は大いに楽しみであったが、
まさか2回戦で敗退してしまうとは、…残念無念だ。

柏原高校は、タレントの間寛平の出身校でもあったようだ。
新聞の隅に、スタンドでうちわを振る寛平の写真があった。

せっかくの声援も、届かなかったか…?

あへあへあへあへあへ。


 

 

 

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前田武彦で思い出すこと

2011年08月12日 | ニュース・時事

サッカーの松田直樹選手の訃報の陰に隠れるような感じで、
8月5日の夕刊に、前田武彦が亡くなったという記事が出た。

82歳、ということだった。

僕たち団塊世代にとっては、前田武彦は特に印象深い人だった。

1968年から始まった歌番組「夜のヒットスタジオ」は、その頃のTV番組の中では最も人気が高かったし、また昼の時間帯の公開番組「お昼のゴールデンショー」(今の「笑っていいとも」と似た番組)でも司会をつとめ、こちらも高視聴率で、ちょうど大阪万博があった1970年頃、テレビの黄金期時代でもあったが、彼の人気絶頂期であった。

歌番組が好きだった僕は「夜のヒットスタジオ」を見るのがとても楽しみだった。生番組なのでハプニングが多かったことも見どころの一つだった。

特に「あの」出来事は、忘れられない。

小川知子という歌手がいた。
僕と生年月日がほぼ同じで、僕は彼女の大のファンだった。

その小川知子が、スタジオで、彼女の恋人だったカーレーサーの福澤幸雄(福澤諭吉の曾孫に当たる男性)と電話で話すシーンがあった。スタッフが彼女に内緒であらかじめ福澤さんと電話をつないでおいて、本番中にいきなり小川知子にそのことを告げ、彼女は驚きながらも受話器をとり、福澤さんとおしゃべりをするという「企画」だった。会話を終えた後、当時大ヒット中の「初恋の人」を歌った小川知子の愛くるしい笑顔を、僕はうっとりと眺めていた。

それからさほど経っていなかったと思うのだが、
ある日の新聞に、「福澤幸雄さん、亡くなる」という記事が載った。
カーレーサーだった彼は、試験運転中に事故死したのだった。

その直後、夜のヒットスタジオに出演した小川知子に、司会の前田武彦は、番組中に交わした福澤さんとの電話での会話を録音したテープを渡した。それを胸に抱きしめて、小川知子は気丈に「初恋の人」を歌い始めたが、途中から泣き崩れ、周囲の女性歌手たちが全員彼女に寄り添って号泣する…という状態で、スタジオ内は騒然となった。

多分、テレビを見ていた多くの人たちも涙を流したに違いない。

「初恋の人」の歌詞がまた泣かせるのだ。

♪ なぜだか逢えなくなって 恋しい人なの~

♪ 懐かしがっても遠い 夢の人なの~

実は僕も、テレビを見ながら大泣きした一人である。

スタジオの全員が号泣する中で、前田武彦はそっと目頭を押さえ、
優しい目で小川知子を見守っていたのが印象的だった。

毒舌で人気を得たマエタケであったが、実は優しい人だったのだろう。
前田武彦といえば、必ずこのシーンが思い浮かぶのである。

でも、やはり毒舌で人気が出ると、ブレーキがかからなくなるのか。

お昼の番組で、落語家の立川談志に、
「お前なんか中卒だから…」
などと、平気で言っていた怖いもの知らずのマエタケだったが、
何年か経つと、いつの間にかテレビに姿を見せなくなった。

あとで知ったことだが、「夜のヒットスタジオ」の番組中、
日本共産党の候補者が当選して、マエタケが万歳したという。
以来、テレビ局から締め出されたということだったらしい。
それが1973年のことだと先日の訃報記事には書いてあった。

1970年頃までは僕もテレビに夢中になっていたが、翌年、大学を卒業する1週間ほど前に結婚をし、その翌年には長男が誕生し、さらにその翌年、1973年には次男が生まれ、僕なりに多忙であった。つまりその頃はテレビどころではなくなっていたので、マエタケの「万歳」のシーンも知らなかったのだ。

口は災いの元、というけれど、
たった一言、たった一つの動作で、人生が暗転する。
まさに、一寸先は闇、である。
マエタケのタレント人生が、そのことをよくあらわしている。

この人の訃報に接して、そんなことを思っていたら、
昨日のニュースでは、今度は歌手の日吉ミミが亡くなったという。
64歳というから、僕より2歳上だけである。

恋人に ふられたの よくある話じゃないか~

という歌を、僕らの世代で知らない人間はいないだろう。

この「男と女のお話」も、1970年に大ヒットした曲である。

なんだか前回の大阪万博のころの話の続きになってしまったけれど…

1970年も、いよいよ遠くなりにけり、である。

 

 

 

 

 

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