僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

ウダウダ会 宇治・伏見へ

2014年07月30日 | ウォーク・自転車

僕は昔からうっかり行動が多い人間だったが、最近特にひどくなってきている。家で何かの用事を思いつき、階段を上がり、ふと別のものが目に入るとそれを手にしてそのまま階下へ降りていく。あれ? これじゃなかった。僕はいったい何をしに上がって行ったのだろう…と懸命に記憶をたぐる。で、ようやく本来の目的を思い出し、また上に行く。…という、そんなことが日常茶飯事なのだ。


また、いま手に持っていたものが、気がつくと無くなっている。無意識のうちにどこかに置いたのだ。あちこちを探す。すると目の前にあったり、思いも寄らぬところにポンと置きっ放していたりする。だから1日に何回も「え~っと、何しにここへ来たんだろ?」とか「あれはどこに置いたんだろ?」とブツブツ言いながら立ち尽くしたり、家の中をうろついたりしている。とほほ。


一昨日は朝から徳〇会病院に定期検査に行き、その帰りにスポーツクラブのコスパへ寄ってひと泳ぎして家に帰った後、荷物を整理していると、コスパの会員証が見当たらない。財布の中、リュックの中、ズボンのポケットなど、どこを探してもない。向こうで落としたのかと、コスパに電話したけれど、「ございませんねぇ」との答え。また再発行してもらうことになった。あぁ~、物忘れがどんどんひどくなっていく。えらいこっちゃ。


  ………………………………………………………………………………


忘れる…と言えば、このブログに「日本ウダウダ会」で京都の宇治へ行ったことを書こうと思っていたのに、これもすっかり忘れていた。この間、「水と歴史のまち宇治・伏見」というパンフレットが出てきたので、あ、そうそう、このことを書かなくっちゃ…と思い出したのである。あれからもう1ヵ月が経っている。まだ梅雨の時期だったし、サッカ・ワールドカップの真っ最中でもあった。今日は遅ればせながらその「ウダウダ会、宇治でウジウジ…の巻」をご紹介します。


京都にはやたら詳しい深ピー先輩が、今回の集合場所・淀屋橋駅で「宇治・伏見1dayチケット」を買って、全員に配ってくれた。



  

 

このチケットを持って、淀屋橋から京阪電車に乗り、
途中で宇治線に乗り換えて京阪宇治駅で下車した。
これが、今回まず行った宇治の周辺マップです。



    


宇治駅では雨がまだ少し残っていた。
しかしその時だけで、あとはずっと曇り空だった。

この日の行程を言えば、京阪宇治駅から歩き、
宇治橋を渡って、平等院の方向へまず歩いた。
それから宇治川を左に見ながら天ヶ瀬ダムへ。
ダムで弁当を食べ、また宇治駅にターンした。
それが前半の「宇治歩き」のコースだった。 


  

  宇治駅前から宇治川(右)に沿って歩き始める。


 


 

宇治橋を渡る。何と言っても京都は僕の生まれ故郷である。
他の都道府県以上の親しみが、京都を歩く度に湧いてくる。


僕たち一行がまず目指したのはあの有名な平等院である。
小学校だったか、中学校だったかの遠足で来たところだ。


平等院が間近に迫ってきたら修学旅行生で溢れていた。
道端の看板を見ると「平等院の拝観の待ち時間2時間」
…と書かれていた。「げぇっ、2時間も待つの」と僕。
「別に入らんでもええがな。10円玉見てたらええねん」
メンバーのその一声で、僕たちは平等院をあとにした。
(確かに10円玉の裏側に刻まれている建物は平等院だ)


そのあと、宇治川に沿ってトコトコ歩いた。
途中、ところどころに鵜飼の舟が浮いていた。
宇治川は鵜飼の名所だったんだ。知らなんだ。


  
 
 鵜飼舟が並んでいる。ここが乗り場らしい。

 
人影が少なくなり車しか通らない道の歩道を、
宇治川の景観を眺めながら、僕たちは歩いた。
川沿いを歩き着いたところが、天ヶ瀬ダムだ。

 

 


 

ダムからさらに上流を眺める。
「深山幽谷」そのものの感じだ。


ちなみに、いつもこのブログにコメントを下さるジンさんの、娘さんの、
ご主人の実家が、このダムを越えた宇治田原というところにあるそうです。
さらに、平等院に近い宇治上神社というところも、ジンさんにご縁があり、
その娘さんのお子さんが、その神社でお宮参りのご祈祷をしていただいた、
…とのことです。以前教えていただきました。ジンさんゆかりの地ですね。


宇治はお茶で有名なところですが、どうもウダウダ会の連中は、
「お茶よりやっぱりおちゃけがええなぁ」と相変わらずである。
そうして、天ヶ瀬ダムを後にして、宇治駅へと戻った次第です。


次の行く先は伏見。酒蔵で有名ですね。
伏見の町周辺のマップをご紹介します。


 


  宇治川の支流に浮かぶ十石船が遠くに見えます 

 
  

 

この近くに「月桂冠大倉記念館」という情緒溢れる建物があります。
月桂冠発祥の地として「酒どころ伏見」のシンボルとなっています。

 


 


 

 

ウダウダ会一行は、ここでお酒の試飲をし、ちょっといい気持ちに。
「あぁ、もっと飲みたくなってきた。打ち上げ宴会に行きまひょか」
まだ天ヶ瀬ダムで弁当を食べてから、1時間少ししか経っていない。
打ち上げの宴会は午後5時から淀屋橋のビアホールを予約している。
まだ早すぎるやろ~という声が出て、次の名所「寺田屋」へ行った。



 

坂本龍馬が襲撃されたことで有名な寺田屋。
「あぁ、新撰組が乗り込んできた、あの寺田屋か」
あのなぁ。それは寺田屋ではなく「池田屋」やがな。


ウダウダ言いながら、結局まだ時間は早過ぎるけれど、
大阪へ戻ってビアホールで宴会をすることに決まった。


京阪電車に乗って淀屋橋に戻り、
ビアホールのドアを開けたのは、
なんと、午後3時前であった。
予約時間より2時間も早いぞ。
店の人があわてて準備をする。


「ごめん。ビールさえあったらいいから」
と、席につきながら早くも喉を鳴らす面々。


それにしても好きですねぇ、僕を含めたみ~んな。
飲みながら、僕がサッカーワールドカップの話題を出すと、
「ワールドカップ…? それよりワンカップのほうがええわ」


お茶よりおちゃけ、ワールドカップよりワンカップ…
これがわがウダウダ会の真髄でございます。だはは~


 

追伸 → 明日から2泊3日で、伊勢志摩の鳥羽へ行って来ま~す。

 

 

 

 

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撃墜事件

2014年07月25日 | 思い出すこと

1週間前、ウクライナ上空でマレーシア航空機が撃墜された事件は衝撃的だった。飛行機が墜落したのではなく、撃墜…つまり撃ち落されたというのだから、なんとも恐るべき事件である。


事件発生当時、フジテレビの「とくダネ!」で、司会の小倉智昭が「民間の航空機が撃墜されたという前代未聞の事件が起きました」と言った。実際は、これまでも何度か撃墜事件は起きており「前代未聞」ではないのだけれど、思わずそういう言葉を使ってしまった気持ちはわかる。それほど驚くべきニュースだった。


「撃墜」という言葉を聞けば、大韓航空機のことを思い出す人も多いだろう。


今から31年前の1983(昭和58)年9月1日に起きた事件である。ニューヨークからアンカレッジ経由で韓国のソウルに向かっていた旅客機が、サハリン付近で、飛行ミスから当時のソ連の領空へ入ってしまい、それをソ連軍機が発見、米偵察機と勘違いしてこれを撃墜した。旅客機の乗務員・乗客全員が死亡、日本人乗客も30人近くいた。全く信じがたいニュースだった。 
         
         

http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E8%88%AA%E7%A9%BA%E6%A9%9F%E6%92%83%E5%A2%9C%E4%BA%8B%E4%BB%B6


これを題材にした柳田邦夫の「撃墜」というドキュメント本も出て評判になった。僕も買って読んだ。この撃墜事件には、ことのほか関心が深かったからだ。


この事件が起きたのが、前述したように、1983年の9月1日だった。実はその20日後、つまり9月21日に、僕は初めての海外旅行でニューヨークへ行くことになっていた。


そのニューヨークへの行程が、大阪からソウルに行き、ソウルから大韓航空でアンカレッジ経由のニューヨーク行きの飛行機に乗る、というものだった。帰途も同様、大韓航空でニューヨークからアンカレッジ経由でソウルまで、である。だから「撃墜」のニュースを聞いて、僕は腰を抜かさんばかりに驚いた。自分が乗る飛行機と、全く同じ便なのだった。


もしかして便が変わるのでは…と思ったけれど、予定通りの飛行ということだった。往路、大阪からソウルに行って大韓航空に乗り換え、サハリン付近を通過したときは、イヤでも「撃墜事件」のことが頭に浮かんだ。そして帰りはさらに事件そのままのルートで、ニューヨークを発ち、アラスカのアンカレッジで給油したあと、ソウルに向かった。その途中でまたサハリン付近を通過したのだが、深夜だったにも関わらず、あちらこちらの席から「この辺で航路から外れて撃墜されたんだよね」という小声の会話が耳に入ってきた。


今回の撃墜事件で、改めて31年前のことを思い出した。そして、当時は、こんな特殊な出来事は二度と起きないだろうと思っていた。小倉キャスターの「前代未聞」ではないけれど「空前絶後」の事件のはずだった。それが今回また起きたことで、まだそういう時代は終わっていないんだ、とも思い知らされた(折りしもパレスチナ・ガザ地区で戦争も起きていますし…)。


身近なところでは中国が、日本の領空や領海をやりたい放題に侵犯して「ここは自分たちのもの」などと主張している。ひょっとしてあの国も、何かするかも…と、あらぬ想像をめぐらすと、背筋がぞ~っとしてくる。


中国もねぇ…。何をするかわからない国だし…。今回の期限切れの肉を使っていたという悪質な手口も、やっぱり中国かという感じ。そういえば「毒入りギョーザ事件」というのもあったっけ。今日の話とは何の関係もありませんけど。


ではでは、暑い毎日ですが、皆さま、熱中症には十分お気をつけください。
あ、それと、中国製の食べ物にも、十分お気をつけください。

 

 

 

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“恐怖”の夏休みが始まった

2014年07月19日 | 日常のいろいろなこと

サッカーW杯に熱中した1ヵ月間だったが、決勝トーナメントの白熱した各試合を見ているうちに、いつのまにかこの大会に日本が出ていたことも忘れていた。それほど日本代表は影が薄かった。


1998年W杯フランス大会に日本は初出場し、3戦全敗だった。次の2002年日韓大会で日本はベスト16に進出した。しかしその次の2006年ドイツ大会では2敗1分で予選落ち。次の2010年南アフリカ大会ではベスト16に進出。だが今大会ではやはり2敗1分で予選落ち。…と、同じパターンを繰り返している。


これは、要するに前回ベスト16に入ったので、今度は当然それ以上の成績を残せるだろう…という根拠のない自信のようなものが、代表チームにもマスコミにも漂っていたように思われる。だから本田のように「目標は優勝」というような言葉も出たのではないか。これがもし前回一度も勝てずに予選落ちだったら、もう少し謙虚になって「とにかく1勝を」と全員一丸となる姿勢で臨んでいたはずだ。そしてベスト16に進む…というのがこれまでの日本の形だった。
だから…また次のロシア大会に期待しましょう。


…とまあ、そんなことで4年後に「期待」ですわ。
ほんまに…。4年後なんて、生きているかどうかもわからんのに。


さて、昨日学校で終業式があり、今日からモミィは夏休みだ。待ちに待った夏休みの到来で上機嫌のモミィ。しかし大人にとっては…


先週、ECCで、モミィと同じクラスの男児に付き添ってきたお母さんと話していたら「もうすぐ夏休みですね~。あぁ、大変だなぁ」と大きなため息をつかれた。「ず~っと家にいるし、お昼ご飯もつくらなきゃならないし、ちょっと外に連れて行こうと思っても暑いですしねぇ。またストレスが溜まりますわ」と苦笑しておられた。


まったくそのとおりで、長い夏休みは子供たちにとっては楽園かも知れないが、世話をするママの側にとっては大変な毎日だろう。僕は、昔、自分の子供たちが学校に行っていた頃は、当然仕事に出ていたので、子供が夏休みだからといって別にどうということはなかった。暑い日でも、出勤すればエアコンが効いている事務所でデスクワークをし、夕方になれば帰宅して家族団欒で過ごす。ずっとそういう生活だったので、暑い中、1日中家で2人の息子たちの世話をしていた妻がどれだけ苦労していたのか、わからなかった。


それを肌で感じたのは、それから何十年も経った今、自分が退職して家にいて、妻と共にモミィの子育てをやり始めてからである。今や僕も、夏休み…と聞いただけで、やれやれ…と、ため息が出るのである。毎日ずっとモミィがいる。話相手になってやらなければならないし、勉強や習い事もさせなければならない。本人の昼食も用意しなければならないし、旅行にも連れて行かなければならない。妻と2人がかりだけれど、結構大変なことだ。


そう考えると、学校の存在というものは、まことにありがたい。勉強や運動をして、友達と遊んで、昼食も、栄養バランスのとれた給食が出るしね~


この夏休みは、モミィは学校の宿題のほか、エレクトーン、ECC英語、コスパ・スイミング、マック体操、そしてダンスなどの習い事があり、特にエレクトーンでは8月末の演奏会(独奏)に向けての集中練習、ECC英語では先ごろ児童英検のシルバーに合格したので秋のゴールド受検に向けての“特訓”など、やらなければならないことは多い。2泊3日の旅行も2回予定している。


…あれやこれやと気ぜわしいことです。おまけに連日の暑さにはバテバテです。早いこと9月になって2学期が始まってくれないかと願うばかりです。

 

 

 

 

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アルゼンチン 残念

2014年07月15日 | スポーツの話題

W杯決勝は、応援していたアルゼンチンがドイツに延長戦の末、惜敗した。あぁ、残念…。くやしい。あと一歩だったのになぁ。


それにしてもドイツは強かった。アルゼンチンにもチャンスは何度か訪れたけれど、やはりパス回しはドイツが一枚上だったし、アルゼンチンは押され気味だった。


一番惜しいと僕が思ったのは前半の21分だった。ドイツのゴール付近で、アルゼンチンのFWイグアインがバックパスを拾った。いきなり来た決定的チャンス。キーパーと1対1になったイグアインは慌ててシュートを放ったが、なんと外してしまったのだ。う~ん。あれを外すとは…。(まるでドイツW杯の時のクロアチア戦の柳沢みたいな。…あ、それ言うたらあかんか)。


さて、午前4時に試合が始まった時、ヒロユキの姉で東京でOLをしているミホちゃんに「いよいよ始まりましたで。アルゼンチンがんばれ」とメールを打った。すぐに「ファイト。優勝めざして~」と返事が来た。


イグアインが外したときは「アレを外したのは痛い!」と送信した。


ミホちゃんは、大阪の大学を卒業してすぐ東京へ出て、今では六本木のマンションに住み、優雅な独身OL生活を送っている。アルゼンチンが惜しいシュートを外したりすると「チャンスを逃がしてばかり。ドイツにおされてる」とのメールが届く。確かに、先ほどのイグアインをはじめメッシも惜しいシュートを外したりしたが、ドイツの組織力の強さは認めないわけにはいかない。パスが次から次へとうまくつながり、選手たちは流れるようにピッチを駈けまわる。


そして0対0のまま延長に入り、その後半8分に、ドイツのゲッツェという若い選手が優勝を決める値千金の一撃を放ったのである。試合終了間際にメッシがフリーキックを得たが、大きく外して万事休す。1対0でドイツが優勝した。


これでこの大会は、米大陸で行われたW杯で史上初めてヨーロッパが優勝した大会…という「サブタイトル」が永遠についてまわるのでしょうね。


ゴールを決めたゲッツェという選手は、途中から出てきた選手である。テレビで解説をしていた元全日本監督の岡田さんが、ドイツ選手に疲労が見えてきたことを指摘し「途中から出てきたゲッツェなんかは若くて元気なはずなのに、何をしているんでしょうねぇ。影が薄いですねぇ」と言っていた。その数分後にゲッツェが見事なシュートを決めてドイツを優勝に導いたのだから、岡田元監督も「いやぁ、影が薄いと言っちゃいましたけど…」と苦笑していた。


と、まぁ、そんなことで、“親戚一同”がこぞって応援していたアルゼンチンは惜しくも優勝を逃した。ミホちゃんはメールで、「私が東京へ出てきたのは1990年の7月ですから24年前。アルゼンチンの決勝進出も24年ぶりです。同じ年、同じ月だったのですね。不思議な縁を感じました」とメールで書いていた。それだけに、余計にアルゼンチンに勝ってほしかっただろうなぁ。


ブエノスアイレスのヒロユキにはまだメールはしていない。(勝っていたらすぐにするんだけどね)。ヒロユキ以上に、アルゼンチン人のお嫁さんや近親の人たちをはじめ、国の人々はみんな悔しい思いをしているに違いない。少しほとぼりがさめてから、またメールをしようと思っている。


この1ヵ月で超早起きの癖がついてしまった。今朝も3時ごろに目が覚めて、そこから眠れないので、もう起きた。そして、このブログを書いた次第です。


今週末から早くもモミィの夏休みが始まる。今日の午後は学校で担任の先生との個人懇談会で、僕が出かけることになっている。サッカーW杯から頭を切り替えて、普通の生活リズムに戻さなければね~

 

 

 

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「号泣議員」と議会事務局

2014年07月12日 | 議会&役所

昨日、ブエノスアイレスに住むヒロユキからメールが届いた。W杯でアルゼンチンがオランダを破り決勝進出を果たしたということで…


「こちらはサッカー一色です。道路も閉鎖されて、人だかりで、お祭り騒ぎでした。優勝すると国の中で暴動的なお祭り騒ぎになりそうです。(中略)。アルゼンチンは幸運でここまで来ていますので、最後も幸運で勝ちます。メッシの活躍で勝ちます。日本時間ではとても見づらい時間帯(注:午前4時から)ですが、ぜひそちらでも試合を見てくださいね」


アルゼンチンからこういうメールが来ると、ますます14日のドイツとの決勝戦での応援に、力が入る。いよいよ明後日に迫ってきた。ただ、気になるのは、ドイツがブラジルに勝ったのが9日で、アルゼンチンが勝ったのが翌日の10日。しかも延長とPK戦があったので120分以上戦っている。中4日で休養十分のドイツに比べ、中3日のアルゼンチンの体力が回復しているかどうか。特にオランダに徹底マークされ、終盤はバテ気味だったメッシの回復度が気になるところだ。でもまぁ、そんなことも言ってられないので、これまで全試合を接戦で制してきたアルゼンチンだから、ヒロユキが言うように「幸運」が味方してくれることを祈るばかりである(ここまで来れば、勝敗の分かれ目は運だけ…だもんね)。


  ……………………………………………………………………………………


さて話はコロッと変わるが、世間を「笑いと怒り」の渦に巻き込んだあの「号泣議員」が昨日、議員辞職をした。3年間で使った政務活動費1800万円余りも、全額返還するという。しかし数々の不自然な支出の内容を説明しないまま、議員を辞めたらええんやろ、金は返したらええんやろ…で済まそうとしても、そうはいきまへんで~


そもそもこの議員は、地元の神戸新聞で政務活動費の不明瞭さが指摘されたことで、ムキになったのか、自分からマスコミを集めて記者会見を開いたのである。そこであの前代未聞の号泣会見がテレビで全国津々浦々にまで流れ、この議員を知らない人はいないほどの“有名人”になった。無用のことを言わなければ禍いを招かないですむという「キジも鳴かずば打たれまいに」のたとえがピッタリ当てはまる話である。彼は「鳴きすぎたキジ」なんだよね。


しかし、彼個人のことはこの辺でさておき、次の段階に入らなければならない。


兵庫県議会は彼を刑事告発した。そして議会としての調査は打ち切ることを表明した。結局、野々村氏の支出については、本人は何も語らないし、なんだかウヤムヤのままである。政務活動費というのはどの地方議員にもあるもので、その実態を、これを機にはっきりさせる絶好のチャンスなのだから、この政務活動費はどういう趣旨のもので、全国の議員たちはどんなことにこれを使っているのかをつまびらかにしなければ、問題の本質は閉ざされたままである。


今回の場合、領収証がない、あっても何のために使ったのかわからない、ということだった。僕の経験から言えば、これは議会事務局がまず議員に対して、きちんとした“指導”をする必要があると思う。僕はかつて新人議員から「政務調査費でテレビを買ってもええんですか?」と尋ねられたとき、「何言うてはりますねん。あかんのに決まってますがな。そんなことしたら、新聞に出て、議員をクビになりまっせ~」と言ったことがある。こういう「脅し」も事務局としては時には必要である。いくら市民から選ばれた議員だと言っても、ダメなことはダメ、とはっきり言ってあげるのがその議員の身のためでもある。


野々村氏の報告書は、当選1年目はそこそこ明瞭さもあったようだが、2年目にはかなり不明瞭になり、3年目の昨年度は報じられているようにメチャメチャな報告書となっていた。議員生活に慣れてくるにつれ、どんどん悪質になってきたわけだ。議会事務局は歯止めをかけられなかったのだろうか? 事務局も指摘はしたというが、聞いてもらえなかったようだ。相手は議員だから言いにくいかも知れないが、やはり議員に違反行為があれば改めさせるのが議会事務局の役割だと思う。


僕のところの議会事務局では、議員から「これは政務調査費で支出できるのかなぁ?」という質問を受けることが多かった。そういう雰囲気を作ることが大事なのだ。そうでないと、議会事務局の職員は、単に議員の僕(しもべ)になってしまう。それじゃぁねぇ、いくらなんでも仕事の意義が失われてしまう。


兵庫県議会事務局は、あの会見以来、4千件以上の抗議が殺到し、電話対応に忙殺されてきたという。これはこれで気の毒な話ではあるが、事務局にも少なからぬ責任はある。まぁ、それにしても、こんなとんでもない議員が当選してきたことが不幸の始まりだった。野々村氏は川西市の職員だったそうだが、職員から議員になると、それまで抑えてきた傲慢さが一気に吹き出したのかも知れない。


会見の時、「川西市の職員として平々凡々な毎日を過ごし…」と市職員当時の不満を漏らしていたが、平々凡々がイヤになって立候補してやっと議員になり、今回、これだけ超有名人になって、平々凡々から脱し、「念願」だったはずの波乱万丈の人生を味わえたのだから、まあ彼としては本望じゃないの?


…で、市役所の職員としての毎日がたとえ平々凡々だったとしても、38年間市役所に勤めた僕は「平々凡々のどこが悪いの?」と訊き返したいところです。

 

 

 

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アルゼンチン頑張れ!

2014年07月10日 | スポーツの話題

 

          

 

これは誰でしょう? (わかるわけ、ないがな)


実はアルゼンチンのブエノスアイレスに住む甥・ヒロユキのお嫁さんであるソルちゃんの、お姉さんの子供さんです。甥が贈ったというアルゼンチン代表のユニフォームを着て応援しています。


その甲斐あってか、今朝の準決勝オランダ戦は、ハラハラする展開でPK戦にもつれ込みましたが、キーパーの好セーブで決勝に進むことになりました。


いよいよ大一番です。14日午前4時からの決勝戦。


ドイツは強敵ですが、この小さなサポーターの声援に、ぜひ応えてほしいです。


 

 

 

 

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まさかのブラジル 7点も…

2014年07月09日 | スポーツの話題

あぁ…
ブラジルがドイツになんと7対1の大差で敗れてしまった。
まさかなぁ、こんな結果になるとは、誰が予想しただろう。
サッカーの試合で7点も取られるって、普通考えられない。
しかも「世界の王者」ブラジルが7点も取られたのである。


やっぱり、ネイマールとキャプテンの2人が欠けたのがその原因?
特に、ネイマールがいたら、勝っていたかどうかはわからないけど、
前半立て続けに5点を取られるような壊滅状態にはならなかった?
たぶん、多くの人たちがそう思っていることでしょうね。


ネイマールに背後から「飛び膝蹴り」をしたコロンビアの選手は、
もう自国に帰っているようだけど、ブラジルマフィアが彼の命を狙う…
…なんていう怖ろしい情報もあるくらいで、それだけ衝撃の敗戦だった。


64年前にブラジルで開催されたW杯では、ウルグアイに敗戦を喫し、
「マラカナンの悲劇」と今では伝説化している出来事があったけれど、
今日の試合を実況していたNHKのアナウンサーは、この試合を称して、


マラカナンの惨劇 と呼んでいた。
「悲劇」を通り越してしまっているのだ。


明日は、僕が応援しているアルゼンチンとオランダが対戦する。
今日の試合結果を見て、南米勢絶対有利の神話が崩れた。
少し心配になってきたぞ。


明日はがんばってやぁ、アルゼンチン!


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アルゼンチンとブラジル

2014年07月07日 | スポーツの話題

サッカーW杯もいよいよ残り4ヵ国が準決勝に挑む。ブラジル、ドイツ、アルゼンチン、オランダ…と、気がつけばやはり伝統のあるチームばかりだ。


僕はブラジルとアルゼンチンの優勝戦が見たい。開幕の時からそう願い、このブログにも書いた。開催国ブラジルと隣国アルゼンチンの夢の対決だ。


オランダも大好きな国だけれど、準決勝ではアルゼンチンが相手なので、これはもう、断然アルゼンチンを応援しなければならない。


なにしろ、甥のヒロユキが長年アルゼンチンの首都・ブエノスアイレスに住み、5年前にはヒロユキに会いに現地へ旅行にも行った。そして4年前から毎年ヒロユキと彼女のソルちゃん、そしてこの3月はソルちゃんのママまでニッポンの大阪に来て、一緒にカラオケを歌って踊ったりして楽しんだ。


僕はブラジルには行ったことがないが、見たことはある。えっ?「見たこと」ってどういう意味?…かと言えば、アルゼンチン旅行の時にイグアスの滝へ日帰りツアーをした。そのイグアスの滝はブラジルとアルゼンチンの国境にあり、僕らはアルゼンチン側から、無数に広がる大きな滝の群れを見た。その時のことだ。


地図を示すとこうなります。

   

 

この地図のアルゼンチンの右端のところに赤く塗ったのがブエノスアイレスです。ウルグアイが目と鼻の先にあります。そしてブラジルの右のほうの海岸にある青く塗ったところが次のオリンピックが開かれるリオ・デ・ジャネイロです。で、その真ん中ぐらいに黄色く塗ったのが、イグアスの滝です。アルゼンチンとブラジルのちょうど真ん中にこの滝があります。


イグアスの滝の中でも最大のスポットが「悪魔の喉笛」と称される滝です。展望台へ行くと猛烈なしぶきが目の前まで舞い上がってきて、滝つぼもゼンゼン見えませんが、その迫力には圧倒されてしまいます。

 http://www.youtube.com/watch?v=WMH8zwgDUI0
 


僕らはもちろんアルゼンチン側から見たのですが、そのすぐ対岸がブラジルで、そこから滝を見ている人々の姿が目に入りました。悪魔の喉笛を見ながらも、僕は対岸の建物と人々も興味深く眺めました。あぁ、あれがブラジルなんだなぁ…と。ここまで来たら、ちょっとブラジルにも行ってみたかったなぁ、と今でも思っています。


さて、そのブラジル対アルゼンチンの対決が実現するためには、次の準決勝で両チームが勝たなければなりませんが、ブラジルはネイマールが怪我をし、DFの中心選手もイエローカード累積でドイツ戦には出られないとのことで、一抹の不安は残りますが、むしろ選手は奮起して良い結果に繋がるものと信じています。アルゼンチンはメッシが元気なのが何よりです。オランダのロッベン、スナイデルには要注意ですが、アルゼンチンはこれまでの5試合すべて1点差での勝利で、この勝負強さというか勝負運が必ずオランダ戦でも出るはず。勝利を信じています。この試合は日本時間、10日(木)の午前5時からです。ブラジル・ドイツ戦はその前日(9日)の午前5時から。今からワクワクしています。


 旅行の時に撮った写真です ↓

 

  

   展望台から悪魔の喉笛を眺める人々

 

   

  


 

  

   この滝の対岸に建物が見えます。
   これがブラジル側の展望所です。
   屋根の先のほうが白く見えています。
   肉眼では、人々の姿も見えていました。

 
   

 

 

 

 

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県会議員の“号泣”記者会見

2014年07月03日 | 議会&役所

 

   

 

いやまあ、ホントに、こんな記者会見は見たことがない。不正疑惑が持ち上がった県会議員の釈明会見ということだったが、とんでもない会見だった。テレビでご覧になった皆さんも、あの会見には、あきれ果てたことだろう。


兵庫県議の野々村竜太郎という47歳の男が、昨年度の「政務活動費」から約300万円の交通費を支出した。年195回の日帰り出張をしたから…ということだが、その報告書には領収書が全く添付されていなかった。日帰り出張の内訳は、東京都11回、福岡県16回、兵庫県(城崎温泉)に105回、同県作用町へ63回ということだが、名目は「要請陳情等活動費」と書かれていただけで、何の目的で、誰に会うためにそこへ行ったのかは何も書かれておらず、「それを書けば相手に迷惑がかかる」などと言っている。さらに野々村議員は、初当選した2011年度と12年度の分の報告書でも、領収証のない他府県への出張が約600万円分あったそうである。


地元の神戸新聞が取り上げたことにより、この情報は全国に一気に広がり、野々村議員自身が記者会見を開くことを決めた…とテレビでは報じていた。


この「政務活動費」というのは、僕が議会事務局に勤務していた時は「政務調査費」という名称だったが、2年前に地方自治法の一部改正で「政務活動費」に変わった。「調査費」より「活動費」のほうが、より使い道が幅広くなるというのが変更理由だそうだ。ま、幅広く…といっても、もちろん何に使ってもいいということではない。


その「政務活動費」は兵庫県では1人の議員に年600万円が支給されているそうだ。むろん日本の各自治体の議員にも、金額はそれぞれ違うが支給されている。これまでもその使途の不明さが何度も新聞等で報道されてきた。かつて「図書購入費」として綾小路きみまろの本を政務調査費で買った滋賀県議会議員の報道には、笑いましたけどね。


しかしねぇ…。今回のこの議員の会見は本当に凄まじかった。ほとんどの方がテレビで見られたと思いますが、何度見てもすごいので動画を掲げておきます。


 http://www.youtube.com/watch?v=Gviufzt7dgk

 
とてもじゃありませんが、悲しくて泣いたようには見えませんよね。
「泣く」というよりも、意味不明のことを「わめく」みたいな感じでした。
人並み以上の良識を備えるべき議員が、こんな奇人・変人では困りますね。 


僕はこの議員の号泣シーンを見て、漫才コンビ、ザ・ぼんちの「おさむちゃん」を思い出しましたよ。急に「ああぁぁぁ!」と泣き崩れるあのギャグを。(ひょっとしてこの野々村議員の会見もギャグ? …そんなアホな)。


ところで、今朝のワイドショーでこの件を詳しく報じていたが、会見の冒頭、野々村議員は記者たちに「最近、野次や暴言などでマスコミが感情的な報道をしているので、皆さん、感情的にならず平常心で質問をしてください。でなければ会見はその場で打ち切ります」という意味のことを言った。それから「皆さんの名刺をいただきます」と記者たちから名刺を受けとって机に並べ、それを見ながら「いまの〇〇記者の質問ですが」と、いちいち記者名を挙げていた。これは、この人物が最初から身構えて挑戦的であったことを示しているように見えた。どうもプライドが高過ぎるのと、自己顕示欲が強すぎるのと、激昂しやすいのが、この人物の特徴のように思える。


また「議員というものの大きさに比べれば、政務活動費のことなどごくごく小さなこと」という会見中の発言は、この議員の本心が出たものだろう。つまり全く反省していないのである。おまけに記者たちに「平常心で質問してください」とエラそうなことを言っておきながら、自分があのていたらくですからねぇ。なんとも、あいた口がふさがらないとはこのことでしょうか。


それにしても先日は東京都議会議員の「セクハラ野次」、今回は兵庫県会議員の「泣きわめき会見」と、都道府県議会の議員の質の悪さが目立ちますねぇ。


この政務活動費については、今朝の新聞にも、大阪維新の会の府議会議員2人に不適切な支出があった、という記事が載っていた。これは程度の差こそあれ、どこの議会でも起こり得る話である。


ただ、今回の野々村議員の場合、本当に出張したのかどうか、ということが大きな問題になる。1年に195回(中でも城崎温泉には100回余り)も行ったと報告書に書かれている。たとえ行ったとしても、本人が具体的な用件も会った相手も明かさないのが、いかにも怪しい。そうなると「実際にそれだけの回数の出張をしたのか?」という疑惑も生じてくる。行ったという証拠もないし、本人も説明しない(新幹線などは自動券売機で領収書も取れるのに)。


さらに野々村議員は自分のブログで「いまお嫁さん募集中」などと書いているが、195回行ったという(つまり政務の活動で行ったはずの)出張については何も書いておらず、さらに城崎温泉へ行ったと報告書に記されている日に、ブログでは別の場所にいたことを書いていたそうで、これでは疑われても仕方がない。


もし、実際には行かずに交通費を着服したとなれば詐欺罪であり、公金横領でもある。泣きわめいて済む問題ではない。そこを明らかにしなければ、県民は納得しまへんで~


 

 

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W杯は“人生劇場”

2014年07月01日 | スポーツの話題

サッカーW杯は決勝トーナメントに入り、試合内容も一段とスリリングで激しくなってきた。


中でも開催国であり「絶対に優勝を」と国民が期待するブラジルと、同じく南米のチリとの一戦は、背筋が寒くなるようなシーンの連続だった(僕はいちおうブラジルを応援していた)。


1対1のまま延長戦に入り、延長後半15分…試合終了直前に、チリのビニジャという選手が強烈なシュートを放った。うわっ、入った! と思った瞬間、ボールが跳ね返った。ゴール上のバーに当たって跳ね返ったのだ。ボールがあと数センチ低かったら…。ブラジルは命拾いをした。


120分で決着がつかないままPK戦に入り、まずブラジルの最初の選手がゴールを決めたあと、チリの1番手として出てきたのが、たった今、惜しいシュートを放ったビニジャ選手だった。そのビニジャが、なんとまぁ、PKを外してしまったのだ。そのあと、またチリの選手が外したり、逆にブラジルの選手も外したりして、双方4人ずつ終えて2対2の同点で最終場面を迎えた。最後の選手は、まずブラジルのエース、ネイマールが出てきて、これは見事にゴールを決めた。そして追い詰められたチリの選手が外してしまい、ブラジルは歓喜に乱舞した。


やはりPK戦では、最初に出てきた選手が外すと当然あとの選手にプレッシャーがかかり、この場合も、ビニジャ選手のいきなりの失敗が影響しただろうことは間違いない。ちょっと気の毒過ぎる結末になってしまった。もし試合終了間際のあのシュートが決まっていれば、地元ブラジルはベスト16で敗退という思いも寄らぬ結果となり、地元は言うまでもなく、世界中が騒然となっただろう。ビニジャ選手は祖国チリの英雄だけでなく、W杯の歴史に名を残すことになり、その人生は大きく変わっていたはずである。それが…シュートは惜しくも外れ、おまけにPK戦ではトップに出て失敗するという「敗因」を作ってしまったのだ。まさに「天国と地獄」は紙一重。W杯は人生劇場そのものだと、改めて思った。


ついでに、韓国のことだが、ここも日本同様、2敗1分けでグループ最下位となり、昨日、選手たちは帰国した。空港で、選手たちが記念撮影のために並んだとき、バラバラっと沢山の飴が投げつけられた。飴を投げるというのは、韓国では「飴でも舐めておきな」と、相手を侮辱するときに使われる手法だそうである。また、「韓国のサッカーは死んだ」という横断幕も広げられていた。1勝もできなかったチームに、韓国サポーターの怒りが爆発した、という感じである。


その点、日本では、空港に着いたとき、固い表情で歩いて行く選手たちを、ファンが拍手で出迎えていた。98年のフランス大会で3戦全敗で帰国したときは、FWの城選手が水をかけられたことがあったけれど、今回は温かい拍手の出迎えである。まぁ、日本人は外国人に比べて温厚だから、これはこれでいいのかなぁ、と思わなければ仕方がありませんわね(その代わりサッカーは強くならないけど)。


僕はこの日本選手の出迎え風景をテレビで見ながら、水前寺清子の「どうどうどっこの歌」という昔のヒット曲を思い出した。

どんな歌かというと…


勝った負けたと騒ぐじゃないぜぇ
  あとの態度が 大事だよぉ
  すべる ころがる 立ち上る
  歩く 倒れる ま~た起きるぅ
  どうどうどっこの ひとり旅ぃ~


というものです。


こういうのが、昔からの日本人の心の原点なのかも知れません。
ただし、サッカーW杯では、勝った負けたと騒がなければ、
これはもう、まったくハナシになりませんわね~

 

 

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