僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「色彩を持たない…」を読み終えて

2013年05月30日 | 読書

「大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きてきた。」


村上春樹の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、そんな書き出しではじまる。なぜ、ほとんど死ぬことだけを考えて生きてきたのか…という理由が、この物語の柱になり、多崎つくるの魂の遍歴ともいうべきものが次第に明らかにされていく。


ストーリーとしては村上作品の、たとえば前作の「1Q84」などのように奇抜で非日常的なものではなく、ごく普通の話である。その点は、特に村上ファンではなくても入りやすい小説のように思われる。ただし、謎は多い。その謎は、決して最後まで明かされないのはやはりハルキさんらしい。読みながら、なんとなく、1992年に出た「国境の南、太陽の西」に似ているような印象も受けた。


高校時代(場所は名古屋)、つくるには4人の親友がいた。彼を含めた5人の仲間は、男3人女2人で、常に心はひとつ…というほど仲がよかった。たまたま4人の親友の姓が赤松、青海、白根、黒埜と、みんな色がついており、それぞれ「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」というあだ名で呼ばれていたが、つくるの姓だけが色を持っていなかった。「色彩を持たない…」というタイトルは、まずここからはじまり、この小説の深いテーマへとつながっていく。


高校を卒業し、5人はそれぞれの道を歩むが、つくる一人だけが東京の大学に進む。他の4人は名古屋に留まり、地元の大学へ通うようになる。そしてつくるが大学二年生の夏休みに「それ」が起きた。いつものように、名古屋に帰省して4人の家に電話をかけたところ、いずれも家族が出て「今、不在です」との返事で、本人は出ない。不審に思ってしつこく電話をかけ続け、やっと「アオ」と連絡が取れた。しかし「アオ」に「もう誰のところにも電話をかけてもらいたくないんだ」と意外なことを言われ、「理由は?」とつくるが問うと「自分に聞いてみることだ」と電話を切られたのである。身に覚えのないことで絶交を宣告される…。そのことで激しいショックを受け、つくるは生きる気力を失い、冒頭の「ほとんど死ぬことだけを考えて生きてきた」ということになった。


物語では、36歳になったつくるが、今も16年前に起きたそのことを心の中に抱えながら、とめどなく自己内省を繰り返す様子が描かれる。そして、付き合っている女性が、「あなたは今も4人のことが背中に張り付いている。心に根の深い問題を抱えているあなたとは…」これ以上の関係は続けられない…と伝えるとともに、つくるに「4人の実名を教えてほしい」と言う。「この人たちが今、どこで何をしているか私が調べるから、その人たちに会って、なぜ自分をグループから追放したのか、その理由を聞くべきよ」と彼女は言うのである。


…そんな経緯をたどり、インターネットの他あらゆる手段を尽くして「調査」した彼女のおかげで、4人の現況を知ったつくるは、みんなと会うことを決意する。ただし4人のうち一人は…あ、それは言わないでおきます。


つくるは、最初に会ったアオから、絶交宣言の理由を聞かされて愕然とする(むろんそれが何かも、言えませんが…)。そして最後に、4人のうちの1人クロ(女性)がフィンランド人と結婚してヘルシンキ郊外で暮らしていることから、つくるの巡礼の旅はフィンランドまで続く…


…と、あまり詳しく書くと、これから読まれる方の楽しみを奪ってしまいそうなので、まだ他にも重要な人物が出てきたり、「巡礼の年」という曲のことが出てきたりするのですが、この辺でとどめます(もうかなり詳しく書いてるで~)


この小説を読み終えたとき、改めて、人間とはなんと傷つきやすい生きものだろうか…というため息まじりの感慨がこみ上げてきた。僕なんかも、60余年の人生で、どれだけ人を傷つけてきただろう、あるいは、傷ついてきただろうか…と思うと、ため息だけでは済まないような、胸騒ぎみたいなものをおぼえた。


僕自身、大学1年から2年にかけての頃、楽曲関係の同好会に所属し、仲のいい男女の友だちができ、そこで舞い上がるような時間を過ごしたあげく、何かの拍子に先輩を批判してしまい、それが元で同好会を追放された経験がある。まぁ、この場合は小説とは違って僕に非があったのだが、その時の脱力感といえば、それこそ死んでしまいたいほど辛くて悲しいことだった。その翌年、二十歳の時に、野宿中心の数ヶ月間の北海道への自転車放浪旅行に出たのも、この本の表現を借りれば、意味は少し異なるが、僕の「巡礼」の旅だったのかも知れない。


また一方では…この小説は、翻訳調のような言い回しが延々と続いたり、結末について不満が残ったりと、読んでいて不完全燃焼が起きる向きもあるかも知れないが、やはりいろいろなことを感じ、考えさせられる作品ではある。


読み終えたあと、内省…という言葉が浮かんだ。この小説は、主人公の内省描写がとても多い。内省→深く自己をかえりみること(と辞書にあります)。近ごろ自分について深く考えることも少なくなりましたが、僕も、もともと内省的な傾向が強く、いろいろ考えた末でも、あ~でもない、こ~でもないといつまでも思い悩んだり、人間関係での喪失感をず~っと引きずったり…ということが多くありました(今でも、ないわけではありませんが…)。それが極限に達した時、どうなるか…というのも、この小説のポイントのひとつかも知れませんね。


読書による体験は、自分の実体験と重ね合わせながら、いろいろと思いを巡らすところに醍醐味があるのだと思いますが、僕の場合、この小説は、自分の過去のいくつかの辛い思い出を呼び起こすものでもありました。でも、それも貴重で濃密な読書体験のひとつなんだろうなと思います。

 

 

 

 

 

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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

2013年05月28日 | 読書

日曜日に家族で阿倍野へ出かけた。
僕たちが住んでいる町は、近鉄南大阪線という沿線にあり、
駅から準急に乗れば、15分足らずで終点の阿倍野の駅に着く。


そこは今、高さ300m日本一の高層複合ビル「あべのハルカス」が来年春のグランドオープンを控え、またずっと改装中だった近鉄百貨店も、これも日本一の売り場面積を持つ百貨店として6月13日にオープンの予定で、新しい街の「あべの」はすっかり様相が変わり、大変な賑わいを見せ始めている。モミィもあべのハルカスのオープンを楽しみにし、テレビのニュースで「アベノミクス」という言葉を聞くたびに、「あっ、アベノハルカスかと思ったわぁ。アハハ~」と意味もわからず笑うのである(なんのこっちゃ)。


その日は、阿倍野のMIOで昼食をとったあと、1階下にある旭屋書店に寄ってみた。モミィは妻と児童書のコーナーへ行ったので、僕は何を探すということもなしに、店内をぶらついた。そこで、村上春樹の新作長編「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が並んでいるのが目についたのである。


4月15日のブログで、この本について書いた。発売前から予約が殺到していたということだけど、僕は予約するほどは急がない…と書き、


「ぶら~っと本屋に入って、この『色彩を持たない…』を本棚で見つけ『あ、そうだ。この本をまだ読んでいなかったんだ』と気づいた時の喜びもまた捨てがたい」と書いたものだった。そして、期待どおりのことが、この日の書店内で実現した。本の背表紙が目に飛び込んでから、ニィっと顔がほころび、手を伸ばしてその1冊を引っ張り出し、レジに向かって歩き出すまで、2秒とかからなかったに違いない(笑)。


でもその日は、帰宅しても本を開かなかった。実はその朝、3時半に起きて、4時過ぎから大和川堤防に出て、15キロを走った。陽が昇ってくる前の薄暗くて涼しいうちに走っておきたかったのでそうしたのであるが、久しぶりの距離を走って足が疲れていた上に、アベノのあちらこちらを歩き回ったものだから、帰宅した時はもうヘトヘトになっていた。


そして昨日。ジムの水泳から帰ったあと、昼食を終え、ワクワクする気持ちを抑えながら、その本の最初のページを開けたのである。むろん、そのままずっと読み続けたいのだけれど、何かと雑用があり、そういうわけにもいかなくて…。


夕方には、モミィを月曜日恒例のECC英語教室に連れて行った。いつもは廊下に用意されている椅子に腰掛けて、ガラス越しに授業風景を見学するのだが、昨日は、いつもどおり廊下の椅子に座ったものの、時々チラッと顔を上げて授業を眺める程度で、実は膝の上にその本を置き、そ~っと続きを読んだのである。何だかカンニングをしているような後ろめたさを感じながら(笑)。


そんなことだから、夜の9時に、モミィが「グッナ~イ」と手を振って妻と寝室へ入って行くと、僕は急いで自分の部屋へ入り、落ち着いて、心ゆくまでこの小説を味わうことができた。本は全部で370ページ。そのうち、300ページまで一気に読んだ。一眠りして今朝、5時前に目が覚めた。続きを読もうと思ったけれど、そうそう、ブログも更新しなくっちゃ、と思って、今これを書いているところです。


「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」については、また感想文を書きたいと思います。今日中に読める(はずの)残り70ページが大いに楽しみです。


では~


 

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三浦雄一郎さんのチカラ

2013年05月24日 | ニュース・時事

80歳でエベレスト登頂に挑戦していた三浦雄一郎さんが、昨日、
頂上にたどり着いたというニュースを聴き、思わず拍手した。
いやぁ、ものすごいパワーですね~。心から敬服します。

5年半ほど前のこと。
このブログを始めたばかりの2007年12月に、

三浦さんにまつわる話を書いたことを思い出す。

当時74歳だった三浦さんが、75歳でのエベレスト制覇をめざし、
日々訓練を重ねている…という新聞記事を見て感動したのだった。
そして翌年5月に、三浦さんは75歳で、みごとに登頂を達成した。
あれから5年、三浦さんは80歳で、さらなる偉業を成し遂げたのだ。

遠い昔、もう40年以上前のこと。
僕はまだ大学に通っていた頃だったと思うけれど、

「エベレスト大滑降」というドキュメンタリー映画を見た。
8,000メートルの地点から、スキーで滑降する人の話だったが、
その人が三浦雄一郎さんだった。初めて三浦さんを知った時である。

後に(…というか数年前に)、知り合いの方から、三浦さんが大滑降した当時の「朝日グラフ」を贈っていただき、表紙の写真をはじめ、その様子が詳しく記述されている記事内容に、全身が震えるほどの興奮を覚えたものであった。

その三浦さんだが、不整脈の持病があり、何度か手術をしていると報じられていた。これはカテーテル・アブレーションという手術だけれど、前述のブログを書いた2007年に、僕もその手術を受けたことがある。僕の場合は、手術中に不都合なことが起こり中止を余儀なくされた。それに懲りて、医師の勧めを断り、以来一度も手術はしていないが、幸い今は薬が効いてくれて無事に過ごせている。しかし、三浦さんはカテーテル手術を何度もしているのである。…ということは、手術はいちおう成功しても、また再発する、ということなのだろう。

5年前に三浦さんが不整脈と闘っているという記事を読み、「あ、僕と一緒だ」と思って、余計に親近感を持ったものだが、「こんなところだけ一緒でもなぁ~」と苦笑いしたことが懐かしく思い出される。

三浦さんのこの80歳でのエベレスト登頂は史上最高齢としてギネスブックなどに載るわけだけれど、三浦さんより一つ年上のネパール人シェルパーというのがいて、これがクセ者なのである。彼は前回も、75歳で記録を作った三浦さんのすぐ後に、76歳で頂上まで登った。で、三浦さんの最高齢記録はあっという間に消えてしまったのだ。

そして、今回もまた、81歳になったその男が登頂をするとか、もう登頂を始めているとか…というニュースが流れている。まぁ、そのパワーもケタ外れのものがあるけれど、常に三浦さんが快挙を遂げた直後に1歳年上として記録を塗り替えようというやり方は、なんだかセコい気もする。それなら自分が先に75歳、80歳の区切りの年齢の時に登頂すればいいものを、三浦さんに記録を作られると、すかさず「ワシのほうがすごいもんね」的な登頂をするなんて…世の中には変わった人もいるものだ。

しかしまぁ、だからといって、三浦さんの価値が下がるわけでもないし、
日本人に大きな勇気と夢を与えてくれた、胸のすく快挙には違いない。
三浦さんの溢れんばかりのパワーのおこぼれを少しでも頂戴できたらなぁ
…と思っている僕なのです。

さぁ、今日も体を鍛えよう! (ボチボチと、ですけど…)

 

 


 

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フルマラソン、走れるのか?続き

2013年05月22日 | ランニング

いや~暑くなりましたね。
ここ大阪も、まるで真夏です。
寒がりやの僕も、もうそろそろ冬物の衣類を片付けなければ…


前回のブログで、秋にフルマラソンをめざす…と書きました。
具体的にどのレースをめざすのか?ということになりますが、
練習計画を立てるのと併せて、まずそれを決めなくっちゃね。


秋といえば、たとえば10月27日に第3回大阪マラソンが行われます。
これは、すでにエントリー…つまり申し込み期限が終了しています。
マラソンの定員2万8千人に対し、申し込みは15万人以上とのこと。
エントリーできても、倍率5倍以上では「当選確率」は低いですね。


今考えているのは、11月3日に行われる大阪・淀川市民マラソンです。
制限タイムが7時間以上に設定されているので、それはまず安心です。
あのQちゃんこと高橋尚子さんも、ゲストとして来場するそうです。


先日このHPを見たら、5月初旬にエントリー開始…とありました。
それ以来、毎日見ているのですが、いつまで経っても同じ画面。
先着順とのことなので、開始直後に申し込むつもりなのに、
さっきもパソコンを開けて真っ先にこのHPを見ると…


2013年第17回大会 まもなくエントリー開始いたします!
今しばらくお待ちくださいますよう、お願いいたします。


…ということでした。気を持たせるなぁ~、ホントに。


それがダメなら、11月23日に行われる福知山マラソンを考えています。
この大会なら、僕は98年(平成10年)と翌年の2回出場しているし、
エントリー開始は6月22日で、さほど競争率は高くないだろうし…
この大会を、2番目の候補として考えています…


…と、それが、2日前までのことでした。
2日前…5月20日の朝、ブログを書き終えたあとで、
ふと、大阪マラソン並みに人気の高い神戸マラソンを思い出しました。
これも秋に行われるはずです。さっそくパソコンで検索してみました。
11月17日に開催されるということで、申し込み要領を見てみたら…


なんとエントリー期限が5月20日の午後5時まで、とありました。
20日!…といえば、「今日じゃないか!」と僕はあわてました
いや、待て、あわてることはない。午後5時までなんだ。
今はまだ20日の朝である。いける、いける、大丈夫!


…そう思いなおして、改めて大会要領の詳細を読み、
よし、ここへエントリーしよう…と決めたわけです。
そして、まずrunネットというところへ登録してから、
神戸マラソンの申し込みを滑り込みで済ませました。
すでに定員を上回っているので(具体数は書かれていない)、
抽選となり、結果は6月下旬に発表される、とのことでした。


それにしても、20日のブログに「マラソン走ります」と書いて、
今度こそぜひ達成したい…という意欲がますます高まった直後、
偶然にもその日が神戸マラソンのエントリー最終日だったとは…
これも何かの「おぼしめし」ではないかと思ったりしています。


淀川になるのか、福知山になるのか、神戸になるのか…
走る大会はまだわかりませんが、やる気は満々です。


ただ、張り切りすぎるのも禁物…ということですよね。
不整脈も抱えている自分の体の状態を十分考えなければ。


昨日、それについてコバヤシさんとyukariさんから、
体に十分注意されるように、とのコメントをいただきました。


まったく、そのとおりですよね。
体を案じていただき、ありがとうございます。


ほとんど歩くようなゆっくりしたペースでしか走れませんので、
練習での様子を見ながら、ボチボチやっていきたいと思います。


昨日は大和川堤防で10キロのジョギングをしました。
今のところ10キロを走るのが精一杯という感じです。


これから、徐々に距離を伸ばしたいのですが、
そこで42キロを走るのが難しい~と感じた時は、
決して無理はせず、大会に出るのはあきらめます。


これもまた「のんびりと、のんきに」やっていきます。

 

 

 

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フルマラソン、走れるのか?

2013年05月20日 | ランニング

もうそんなことは無理だろうか…?
いや、頑張ればいけるだろうか…?


最後にもう一度だけチャレンジできたらなぁ、
と、このごろ思うのは、フルマラソンを走ることだ。


思えば1982(昭和57)年に初めて丹波篠山マラソンを走り、
それ以来、十数回、フルマラソンを走ってきたけれど、
ここ10年ほどは、レースとは全く無縁の日々が続いた。
朝のジョギングの習慣もいつしか曖昧になってしまい、
最近では近くの大和川堤防に出ても、歩くことが多く、
走っても5キロか6キロが精一杯という有様である。


何とかもう一度フルマラソンを走りたい…
そんな気持ちが、最近強くなってきたので、
この秋に行われる適当なレースを見つけて、
エントリーしようかなぁと思っているのだが…


そういう気で大和川の堤防に出ると、少しは気合が入る。
しかし、気合は入っても、衰えきった足は、とても重い。
やっぱり、フルマラソンを走るには、もう歳なのかなぁ…
三浦雄一郎さんは80歳でもエベレストに登頂しているけれど。
(そんな人と比べることが間違ってまっせ~)

 

 ………………………………………………………………………

 

 
 大和川堤防。ここが僕のジョギング&ウオーキングコースです。

 

さて、一昨日の土曜日のことである。
朝、大和川の堤防をトコトコと走っていたら、
リュックを担いだ男性が僕を追い越して行った。
それから、速度をゆるめ、こちらを振り向いた。
僕の顔を見てニコニコ笑っている。
一瞬「はぁ…?」と思ったけれど、
すぐに、K島クンだとわかった。


「いやぁ、よく似た人が走っているなぁと思いまして…」
と、K島クンは僕のペースに合わせてスピードを落とした。
「久しぶりやねぇ」と、僕も思わぬ出会いに心が浮き立った。
K島クンは僕が勤めていた役所時代からの親友で、
彼は今も現職の部長として仕事に精を出している。
で、来年、定年退職を迎えるという。早いなぁ。
ここ数ヶ月ほど、彼と会っていなかった。

しばらく併走した。
「これからどこへ行くの…?」と僕が聞くと、
「奈良まで行きます」とK島クン。
「奈良? 奈良のどこ?」
「興福寺です」
それは遠い。そんなところまで走って行くの…?
「だいたい40キロぐらいだと思いますけど」
その程度なら彼にとっては大した距離ではないのだろう。
そういえば、去年、彼はもっと遠い京都まで走って行った。


「興福寺で、いま国宝の特別公開をしているんですよ」
それを見に行くのが今日のランニングの目的だという。
昔から文武両道の人だったが、今も変わらず…である。


K島クンは、市民ランナーとしては、抜群の実力の持ち主である。
別大マラソンに出場して2時間30分台の記録を出したこともある。
トライアスロンでは国際大会にも出場し、好成績をおさめている。
僕のまわりにはスゴい人が多くいるが、中でも彼はトップだろう。


それだけでなく、個人的にも彼とは付き合いが深い。
昔はよく一緒に50キロ以上の長距離ランに付き添ってもらったし、
僕が退職してからも、何度も2人で飲みに行っている親しい間柄だ。


「のんさんはどこまで走らはるんですか?」と聞かれたので、
「いや、もう、この辺を行ったり来たりするだけで…」
そんな、40キロどころか6キロぐらいが精一杯だからね~


やがて、僕が折り返すところへ来たので、そこで別れた。


ところで…
K島クンと走っているとき、僕はつい、
「久しぶりに、どこかのフルマラソン大会に出ようと思ってる」
と口に出してしまったのだ。
K島クンはそれを聞いて、
「それなら僕も一緒に出ますから、決まったら教えてくださいよ」
…と言ったのである。


うぅっ…。どうしよう。
引っ込みがつかなくなった。


いよいよ本気になって取り組まなければならない。


でもなぁ、ほんまに走れるんかいな…? 
まずは、このポッコリ出たお腹を何とかしなければね~

 

 

 

 

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新しい担任の先生

2013年05月17日 | モミィの成長日記

早いもので、モミィが2年生になって、もう1ヵ月半が経った。
ここの小学校は1年生から6年生まで、すべて2クラスである。
全学年でクラス替えがあり、モミィも1年生の時に同じクラスでの
大の仲良しのお友だちと2年生では離れてしまい、がっかりしていた。


担任の先生も、女性のM先生から男性のA先生に変わった。
女性のM先生は、50歳前後のシャキシャキとした先生で、
クラスの子どもたちはモミィも含めて「コワい先生や~」
という評判であったが、僕らから見れば頼もしい先生だった。


だいたい先生というのは、子どもから「やさしい」と言われるよりも、
「コワい」と言われるほうが、教育上好ましいだろうと僕は思っている。
その女の先生は、廊下を走る子がいたら「走るな!」と大声で叱るなど、
悪いことをしたら「鬼みたいに」「怒りまくる」という噂だった。
でも、小さい時からケジメをつけさせるのは、当然のことだと思う。


子どもたちが書く字に対しても、ハネるところをハネなかったり、
まっすぐ下ろさなければならないところを曲げていたりしたら、
字は合っていても、きちんと書くようノートに指示されていた。
要するに、細かいけれど大切なところはしっかり押さえていた。


ところが今の男の先生は、そういうところにはあまりこだわらない。
字として間違っていなければハネ方まで指摘しない…という感じだ。
「今年は家でしっかり勉強させなければ隣のクラスと差がつくかも」
と、妻が言っていた。隣のクラスの担任は元モミィの女先生である。


…とこう書くと、男性のA先生を批判しているようだけど、
前述したことは、言ってみれば一つの側面で、全てではない。
先日、家庭訪問に来られた時、とてもお人柄が良さそうだった。


幼稚園の時も、小学1年生の時も、先生の家庭訪問では、
妻と僕の2人が応対するのだけれど、妻はお茶を運んで、
そのあとは、僕の後ろに座って、黙って話を聞いている。
先生との話はもっぱら僕の役だ。だから家庭訪問の日は、
「今日はどこへも出かけないでね」と妻が僕に必ず言う。


A先生はまだ若い。30歳にもなっていないかも知れない。


先生は、
「モミィちゃんのことについて、何かお聞きになりたいことがあれば…」
と言ってくれたので、いつも気になっているモミィの発言力について、
「授業中、大きな声で、ハキハキと物を言ってますか?」と尋ねた。
「あ、それにつきましては…」と先生は、
「モミィちゃんの席は一番後ろなんですけど…」と静かな口調で、
「教壇までよく届く声で、しっかり発言しています」
…あぁ、それを聞けば、ひと安心である。
家では大声でよくしゃべるモミィだけれど、
幼稚園の頃から、やや内弁慶の傾向があったので…


ひとしきり堅い話を交わした後、A先生との雑談になった。
モミィから聞いていたが、先生は「自転車の名人」なんだそうだ。
自転車好きの僕は、先生がどういう「自転車の名人」なのか…?
とにかくその話を、この機会に聞きたかったのだ。
「自転車がお好きだそうですね」と僕。
「はい。以前は選手をめざしていました」と先生。
「選手」…というのは何…? 競輪の選手だろうか?
まぁ、そこまでは聞かなかったけれど、
大怪我をした…というようなことは言われた。


元アスリート・A先生は最後まで生真面目な表情を崩さず、
「ではこれで失礼します」と丁寧に挨拶して出て行かれた。


そのあと間もなく授業参観があったので、妻と2人で出かけた。
平日だったので、教室にはほとんど男の保護者の姿はなかった。
僕たちは最後列に座っているモミィのすぐ後ろに立った。
そこがちょうど教室の真ん中に位置する場所だったので、
A先生から見て、他のお母さんたちより目立ったと思う。


国語の授業だった。
先生が、「これ、わかる人」と言うと、
児童たちが「は~い」と、いっせいに手を挙げた。
先生はしばらく児童たちを眺めながら、
「では…〇〇さん」と、モミィを当てたのだった。


おかげでモミィが立って答えるシーンを、
直接目の前で見ることができたのである。

A先生、ありがとうございました~

 


*追伸  最近ではモミィも「A先生、怒ったらコワいでぇ」と言う。
      「ほんまはコワい先生やったんや」と…。それでええねん。

 

 


 

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プールに謎の女性が

2013年05月15日 | 日常のいろいろなこと

スポーツクラブのプールへ通っていると、
自然と顔見知りの人の数が増えてきます。
僕は自分で言うのもナンですが、人からみると、
「話しかけやすい」タイプのようで、よくそう言われます。
とういうことで、いつもプールで顔を合わせる人たちには、
よく話しかけられますし、むろん僕も明るく返答します。
(自分から話しかけることは、あまりありませんけど…)


会話を交わす相手の7割~8割ぐらいは女性です。
プールは圧倒的に女性が多いので、そうなりますね~


見るからにコワそうなオバさんタイプから上品な奥様タイプまで、
まあ、さまざまなタイプの人たちがプールにいるわけですけれど、
先日、初めて見る女性が、いきなり僕に話しかけてきました。
こういうことも、きわめて珍しいのですが…


………………………………………………………………………


「泳ぎがお上手ですね、ここに長く通っておられるのですか?」
そう言って、彼女は僕に向かって人懐っこい笑顔を浮かべた。
別に上手ではないけれど、初心者の人にはそう見えたのだろ。

「そうですね、えぇ…通算して2年半ぐらいでしょうか?」
すると彼女は今度は、「お名前はなんておっしゃるの?」
と言い「私はね、ミッちゃんというのよ。そう呼んでね」


いきなり名前を聞いてくる…という人は、あまりいない。
しかも自分のことをミッちゃんと呼ぶのも…なんだかねぇ。
プールへ通い始めて、こういう女性とは会ったことがない。
それでも僕は愛想がいいので(笑)笑顔で答えるのである。


「名前ですか…? ノボルと言います」
「ノボルさん? 愛称ってあります?」
「う~ん、家ではのんちゃんって…呼ばれてますけど」
ちょっと照れくさかったけど、雰囲気につられて言っちゃった。
「まあ、のんちゃんね~」
そう言って、次に聞いたのは
「ねぇ、のんちゃん、歳はいくつ…?」


いきなり「のんちゃん」って呼んで、次は年齢である。
あまりにも馴れ馴れしいというか、唐突ではないか…

「えぇ…? 歳ですかぁ」ちょっとね~。仕方ないな。
何しろ、僕は愛想がいいのだから、答えるほかはない。

…で、昭和24年生まれ…だと伝えたら、ミッちゃんは、
「まぁっ、あたしと同じなんだぁ!」と声を高めた。
「それで、それで、何月生まれ?」と続ける。
「1月です」と僕が答えると、ミッちゃんは、
「えっ、マジで…? あたしも1月よ」
と、ますます目を光らせて、
「で、1月の何日なの?」と「追求」を続けるのだ。
「まさか、同じ日じゃないでしょうね」と言いながら。


僕が「1月9日ですよ」と言えば、「あ…」とため息を漏らし、
「あたしは1月2日なのよ…」と、そこでトーンが落ちた。
「でもね…」と今度は僕がミッちゃんに、
「2日と9日ならちょうど1週間違いだから」
「ふ~ん、そうね、何かの縁があるってこと」
と、この1週間年上の女性はまたニコっと笑った。


それ以来、ミッちゃんは他の人が大勢いるところで、
「のんちゃん、おはよう!」などと大きな声で言うので、
まわりの、以前から顔見知りの人たちが驚いた顔をする。


どうもミッちゃんは普通の主婦ではないな、と思って、ある時、
「何かお仕事をしておられるんですか…?」と尋ねたら、
「居酒屋をしてるんですわよ、おほほ」
と、お上品な仕草で手を口に当てて笑ってみせた。
ふ~む。やっぱり…


居酒屋のおかみさんだったんだ。
最初からそういう雰囲気だった。

「どこでやっているのですか?」
店の名を聞いて、えぇ~っと思った。

駅から歩いて10分ぐらいの所にある〇〇という店だった。
その店には、何度か行ったことがある。


ミッちゃんがそこのおかみさんだったとは…顔はよく覚えていないが、
今まで何度かその店で顔を合わせているわけだ。
むろんミッちゃんも僕の顔はわからないみたいだった。
(プールでは水着姿でキャップを被っているので余計にわからない)


「お宅のお店へ、何回か行ったことありますよ」
「ほんと? それはそれは、ありがとうございます」


数日後のある夜、その店に行ってみた。
奥のほうからミッちゃんが出てきて、

「あ~ら、のんちゃん、いらっしゃ~い!」


プールで覚えたてのクロールにもがき苦しんでいる姿より、やはり、
ミッちゃんは居酒屋でのおかみさん姿の方が、似合っていましたね~(失礼!)

 

 

 

 

 

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人間検査…?

2013年05月13日 | モミィの成長日記

先日の続きですが、本当にねぇ…
お酒はほどほどにしておかなければ。


「酒は百薬の長」という言葉がありますよね。
それは、適量のお酒が体に良いという意味なのですが、
僕は、飲めば飲むほど体に良いのだと思っていました。
(ウソつけ!)


やはりお酒で健康を損なうと、飲み過ぎたことを悔やみますよね。
中には「好きな酒で死んだら本望じゃ~」と言う豪傑もいますが、
僕は小心者なので、そこまで思い切った考え方はできません。


ところで健康といえば、最近は人間ドックから遠ざかっている。
市役所に在職中は、健保組合から多額の補助金が出るので、
本来なら何万円もかかるドックも、数千円で済んだ。
そんなことで、僕も含めて、たいていの職員は、
年に一度、人間ドックに出かけていた。


血液検査や胃・胸のレントゲン、腹部の超音波検査、
尿検査、便の鮮血検査、心電図、糖尿病検査、
聴力や目の検査から肺活量、握力測定などなど。


それが、退職すると、行かなくなった。
行ったほうがいいのはわかっているが、
面倒くさいうえ高額でもあるので、なかなか実行に移せない。
それに2ヵ月に一度、徳〇会病院で血液検査もしているので、
一番気になる肝臓の数値もわかる…ということもあって…。


そんな時、今月配られてきた広報誌に、
「人間ドックの補助」について書いてあった。
僕も市役所で6年間、広報誌を担当していた時期があったが、
やはり、健康・福祉面が市民の方にいちばん読まれているようだ。
…なのに、僕は自宅に配布されてくる広報誌をほとんど読まない。
先日、たまたま広報誌を開けたらその記事が目についたというわけ。


「国保の方は人間ドックにかかった経費の2分の1を補助します」
という内容であった。どこの市でも実施していることなのだろう。


まぁ、補助があるんで、久しぶりに人間ドックを受けてみるか…


妻にその話をしていると、それを横で聞いていたモミィが、
「にんげんどく(人間毒)?」と言い、首をかしげた。


「人間毒…って、なに? 毒、飲むん?」とモミィ。
「そんなアホな。毒と違う、ドックや」と僕。
「ドックやったら犬か…? 人間犬…?」
「ちがうわ、犬はドッグや」
「そうしたら、ホットドッグは関係ない…?」
「もうええっちゅうねん。…ドックというのは船が入る場所で…」
「お船…? 人間お船か…?」
「ちょっと黙っといて。…つまりな」
と僕は少し考えて、
「船を検査したり修理したりする場所をドックというわけ」
「ふ~ん」…やっと人の話をうなずきながら聞くモミィ。
「そんなお船のように、人間も検査するから人間ドックや」
と説明したら、モミィはちょっと考えて、
「それだったら、人間検査って言えばいいのに」と言った。


人間検査…?


何だか、うす気味悪くありませんか? 「人間検査」なんて。


そういう意味では、人間ドックという名前を考えついた人って、
誰だか知りませんけど知恵をしぼったんだろうな~と思います。

ちなみに、ドック(dok)というのはオランダ語だそうです。


ということで…
えぇっと、今日は月曜日ですね。
また、お仕事が始まるみなさん、
今週も、がんばってくださ~い。

 

 

 

 

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お酒を飲み過ぎると…

2013年05月11日 | 心と体と健康と

前回の続きです。
って、どれが前回なのかわかりませんけど(笑)

若き日の石原裕次郎の酒の飲みっぷりがどれほどスゴかったか
兄の石原慎太郎が「老いてこそ人生」という本で書いている。

裕次郎は日本酒を一人で4升飲んでしまう人だったそうです。
4升ですよ。1升瓶が4本! それを一度に飲むという(絶句)

ロケ地の宿では、監督やスタッフ、共演者らに酒の一気飲みを強制し、
皆がゲェゲェ吐いているというのに、それでも「飲め!」と迫る。
むろん自分も人に強制しただけの大量の酒を飲んでいるのだ。
たまたま兄慎太郎宅の近くだったので、電話がかかってきた。
「弟さんが泥酔して、もう我々の手に負えないです」と。
現地に駆けつけた慎太郎が見た光景は

床の間にあった生け花の水盤の花と剣山を取って捨て、
それになみなみと酒を注いでスタッフに「飲め」と言っている。
裕次郎自身は、それを一息に飲んで縁側へ行ってドバ~ッと吐き、
お茶でうがいして、新しい酒を注ぎ、また一息で飲み干す。
その後、またそこに酒を入れてスタッフに強制する…という具合。
それを見て慎太郎が「馬鹿者っ、もうさっさと寝ろ」と一喝すると、
裕次郎はうなずいて手枕でイビキをかいて寝てしまったそうである。

焼酎の「純」というのをメーカーがケースで差し入れしたところ、
それを一度に12本、裕次郎ひとりであけた話も書かれていた。
「純」というのは一時流行して、僕も好きだったけれど、
僕は1本あけるのに4~5日はかかった。
それでも家族に「飲みすぎ」と言われそうだった。
それが一度に12本あけるというのだから、いやまぁ、何とも(ア然)。

日頃からやや飲み過ぎかな~と反省している僕だけれど、
こんな話を読んだりすると僕なんかまだ可愛いもんや、と思うのだ。
なんでも上には上があるもので、しかも、それも雲の上の人である。

ところで、この石原慎太郎の「老いてこそ人生」を読む前に、
中島らもの「心が雨漏りする日には」という本を読んだ。
11年前に刊行された告白的エッセイ集である。
この人も、アルコールに関して「雲の上の人」である。
おまけにお酒だけでなく、躁うつ病の「薬」の中毒でもあった。
さらに、晩年近く、大麻取締法違反で逮捕もされている。

酒に溺れ、薬に依存し、廃人一歩手前まで行った、
…と、中島らもはこのエッセイの中で書いている。
数えきれないほどの安定剤や抗うつ剤を服用していたけれど、
それらの薬をウイスキーで流し込む、という具合だった。

お酒を飲むと記憶がなくなる…というのは僕にもよくあることだが、
中島らもは酔ったあげく東京のどこかのホテルの地下のバーへ行き、
「少しだけ飲んで」自分の泊まっているホテルへ帰ったそうである。
それが、翌朝目覚めてポケットに入っていたレシートを見てみると、
ウイスキーを20杯飲んでいた…ということであった。
この話に、僕はギャ~っと叫びたい気持ちだった。

まあ、僕はそんな大酒豪ではないのでスケールは小さいですが、
レシートといえば、最近こんなことがあったのです。

先月のウダウダ会で昼間から酒を飲み、夕方くらいから記憶が消えた。
…が、午後9時頃、知っている女性が最近始めたばかりの近所の
居酒屋へ一人で寄って、カウンターでビールを飲みながら、
その女性と談笑したことだけはよく覚えているのである。

ところが翌朝、ポケットに入っていたレシートを見てびっくりした。
カラオケボックスのレシートである。「2名様」とある。
レシートの時間を見ると、その居酒屋へ行く前だった。
しかも2名様とは…

いったいその時刻に、誰とカラオケボックスへ行ったのか?
思い出そうとしても、さっぱりわからないのだ。

それ以来、記憶がなくなるほど飲むことはやめています。ハイ。

中島らもの「心が雨漏りする日には」は彼の50歳の時に書かれた。
本の中で、彼の酒に関する「武勇伝」は、数多く語られているが、
酔って階段を踏み外して転んで大怪我をしたことも書かれていた。
「よく命があったものだ」という経験を、何度もしていたようだ。
そして、この本を書いた2年後…
本当に酒に酔って階段から落ちて、脳挫傷で死んでしまった。

2004年のことである。この時、中島らもは52歳だった。

石原裕次郎も52歳で亡くなった。
2人とも、お酒の飲み過ぎが命取りとなった。

この人たちよりすでに10歳以上も長生きしている僕は、
それだけでもラッキーだと思わなければならない。
(まあ、長生きすりゃいいというものでもありませんが)

僕も飲んだあと、2階の店の階段から落ちたことがある。
たぶん40代の頃だったと思うが、転げて地面に落ちる瞬間、
柔道の受身のようにふわ~っと落ちて、うま~く転んだ…
と、見ていた友人が、あきれたように言ったことを思い出す。
まだ若かったんだなぁ、あの頃は…としみじみ思うわけで
今だったら、とんでもないことになっていたに違いない。

ともあれ最近読んだこの2冊の本で、
お酒の怖さに改めて身震いしました。

みなさん、お酒はほどほどにしておきましょう。
(誰に言っているつもりなんでしょうね…?)

 

 

 

 

 

 

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皆さまに感謝いたします

2013年05月08日 | 日常のいろいろなこと

前回のブログに対して、多くの皆さまがくださったコメントを、
繰り返し読ませていただいています。とても感謝しています。
本当にお騒がせしてしまい、まことに申し訳ありませんでした。
何事もなかったかのようにブログを再開するのもナンですので、
皆さまのコメントへのお返事を、ここで掲載させていただきます。


5月1日の夜、ジンさんがコメントでおっしゃったように、
僕は何の「前触れもなく」ブログを終えますと書きました。
その日の朝には、記事を掲載しているのですから、
夜になって、いきなりそんなことを言い出すなんて、
自分でも、唐突過ぎるなぁと思ったことは確かです。
やはり、自律神経とか、ナニやらとかカンやらとか、
どこかで心の歯車がズレていたのでしょうか???


過去にも、いろいろなことが重なって、
生活習慣を変えよう…と思ったことが何度かあり、
ブログを閉じようと思ったこともありました。
しかし気を取り直して何とか続けてきたという、
ちょっとした葛藤めいたものもあったのですが、
そんな潜在意識があの夜に一気に噴き出して、
自分でも抑えきれないまま書いてしまった…。
と、そういう感じだったように思います。


一度書いてしまえば、もう成り行きに任せればいい、
という思いだったのですが、まさか…
これだけ激励のコメントをいただくとは。
「5年間、お疲れさまでした~」
みたいなコメントはくれる人もいるかなぁ、
…ぐらいにしか思っていませんでしたから。


ジンさんへ ブログをアップしたすぐ後に、ジンさんと、
びんさんからコメントがあったことを、翌朝に知りました。
まず最初にいただいた「楽しく読ませてもらってました」
というジンさんのコメントに、ありがたいお言葉だな~と、
胸がジンとしました。すみません、シャレではありませんよ!


びんさんへ お元気ですか? 
「何か期するところが…」と言ってもらえましたが、
そういうものがあればね~、胸を張って理由を示し、
「…でブログをやめます」と言うところですよね。
そういうものはなく「理由なきムニャムニャ」
といったところです。ぐすん。
また一緒に、一杯飲み会で話したいですね。


とーちゃんさんへ 「…残念ですよ」というコメントをくださり、
2日後にも、石原慎太郎の「老いてこそ人生」を読んだので、
ぜひ続きを…と「催促」をいただきました。
そういえばその日の朝のブログ「若き日の石原裕次郎」の末尾に、
「それについては、次に書こうと思います」と書きましたよね。
何やら…話が矛盾だらけで、我ながら何を考えているのやら…
とーちゃんさんから「がんばれ」とエールをいただいて、
「うん、がんばらなくっちゃね」と大きな力をもらいました。
ありがとうございました。


hiroさんへ いつもコメント、ありがとうございます。
「何かあったのですか?」とご心配をかけてしまいました。
まあ、大きな「何か」はなかったのですけど、
小さな「何か」がいくつかあったのは事実です。
“休んでもいいからブログは続けて…”
と言っていただき、感謝してます。
そういう発想が大事ですよね。肝に銘じます。


BPSさんへ いただいたコメントが、
負担になることなど決してありません。
それどころか大きな励みになりました。
自転車のことなど、…そうですよね、
まだ書いていない話が沢山あると思います。
ブログが重荷になる…な~んてことは…
お読みいただいている方々の前では言えません。で…
大きな声では言えませんが…実は、時々あります(なに、それ?)
いつも温かい気配りをいただき、ありがとうございます。


ぜんさんへ お久しぶりですね。もちろんよく覚えていますよ。
大阪市内にお住まいでしたよね。「耳鳴りつながり」で(笑)。
ご指摘のように、気分が落ち込んだ一因に耳鳴りがあります。
最近、音がやたらと大きくなり、これまでのように
「慣れる」とか「無視する」ことがなかなか難しいのです。
と言って病院へ行くのも、耳鳴りに屈したみたいで悔しいし。
お互い、耳鳴りが気にならないようにしたいものですね~


千代子さんへ 読んでいただいていたのですか? 
それはどうも…。ちっとも知りませんでした。
コメント欄でお名前を見てびっくりしました。
特に変わりはありませんのでご安心ください。


ななしさんへ はじめまして。海外にお住まいなのですね。 
遠いところでお読みいただき、ありがとうございます。
外国で、お子様を育てながらの生活は大変でしょうね? 
でもエキサイティングな毎日でもあるのでしょうね。
こんな時に初めてコメントをいただくというのも、
なんとなく不思議な思いがいたします。
よろしければ、また遊びに来てくださいね。


yukariさんへ 驚かせてしまってすみませんでした。
今ちょっと調べたのですが、2年前の8月2日のブログに、
yukariさんからいただいた「のんきりん」のことを書いています。
「のんき」の精神に憧れながら、なかなか実践できないのは、
持って生まれた僕の因果な性格のせいかも知れませんが、
やはりのんきな精神がなければ物事は長続きしませんね~。
今回、皆さんからいろいろなことを学ばせてもらいました。
これからできる限り、のんのん~で、やっていきたいです。


hideさんへ 耳鳴り歴2年ですか? 知りませんでした。
去年コメントをいただいたのは、ちょっと変わったテーマで、
「ぱぴこ」について書いた時に、その情報をいただきましたね。
あれ以来「ぱぴこ」は現れません。でも…
こんなことを書いたらまた「ぱぴこ」からコメントが来そうです。
「さっさとブログやめちまえ~!」な~んてね。
ではhideさん。またのお越しを!


のこたんさんへ いつもありがとうございます。
長いおつき合いになりますね~。
のこたんさんはブログをお休みされても閉じることはされず、
時が来ればまた再開されるという「安定性」がありますよね。
そういう感じでいけば良い…と、僕も頭で思っているのですが、
どこか性急なところがあって…。年を取っても人間が未熟です。
のこたんさんの大らかさを見習わなければ、と思っています。


てつおさんへ 懐かしい~。ずいぶんお久しぶりです。
お元気そうで何よりでした。
でも奥様はそれより何100倍もお元気なんでしょうね。
思わず吹き出す奥様エピソードを、また書いてください。
僕も今回、挫折しかけたこのブログですが、
多くの皆さんに支えられ、続けることにしました。
てつおさんの楽しいお話、期待しています。よろしく~


コバヤシさんへ 大変ご心配をかけ、申し訳なかったです。
ブログを続けることを、そんなに喜んでいただけるなんて、
なんだか気恥ずかしい思いですね。
いつも僕やモミィのことを気遣っていただき感謝しています。
コバヤシさんも、お仕事はボチボチのペースでいってますか? 
人生、山あり谷ありですね。最近、つくづくそう感じます。
あ、それにメールもね、ありがとうございました。


ココアさんへ ココアさん。ミルクココアのあのココアですか? 
僕はビールの次にココアが好きです。すみません。関係ない話で。
でも、全く知らない方に「大ファンです」などと言われると、
気恥ずかしいのを通り越して「ほんまかいな?」と思ったり…
なにせ、あまりそういうことを言われたことがありませんので。
ではミルクさん…じゃなかったココアさん。また来てくださいね~


makoさんへ 耳鳴りでお悩みなんですね。何と申し上げていいか…
その苦痛は人に分からないし、これという治療法もありませんし。
僕も不安にさらされていた時、ネット上の人たちに救われました。
このブログでも、多くの「耳鳴り仲間」(?)ができました。
makoさんの励ましにもなっていたのでしたら、とても嬉しいです。
今回は、僕が皆さんに励まされ、落ち込み気分も晴れてきました。
また耳鳴りのことも、ブログでいろいろ書いてみたいと思います。


最後に、謎の人物 チャビン・コスナーさんへ
メールありがとうございました。優しい言葉に胸を打たれました。
コスナーさんのような懐の深さが自分にもあればなぁ…と思います。
うわべだけで生きてきたツケが「老後」に回ってきそうです(泣)。
しばらく会ってませんが、コスナーさんの笑顔を、また見たいです。


…ということで、皆さま方には、心から感謝申し上げる次第です。


これから、気分が落ち込みかけたときは、その都度、
今回、皆さま方からいただいたお励ましの言葉を読み返し、
自分の推進力にしたいと思います。本当にありがとうございました。


 

 

 

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さよなら~

2013年05月01日 | 日常のいろいろなこと

5年あまり、このブログを続けてきました。

いろいろな方とお知り合いになれました。

よかったです~

これで、終わります。

みなさん、お元気で~

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若き日の石原裕次郎

2013年05月01日 | 映画の話やTVの話など


ゴールデンウィーク前、BSで石原裕次郎の若い頃の映画「俺は待ってるぜ」が放映されたので、懐かしく見ました。1957年(昭和32年)ですから僕が小学生になったばかりの頃の映画です。モノクロで、映像も筋書きも少し暗い作品ですが、裕次郎の相手役は後に夫人となる北原三枝です。2人とも、とても若い(当たり前ですがな)。


映画のアタマで「製作・水の江瀧子、脚本・石原慎太郎」と大きな字幕が出ます。今の映画ではタイトルやスタッフ、出演者名などがいきなり冒頭に出てくることはほとんどありませんが、当時は必ず最初に出ていました。


慎太郎はご存知のように裕次郎の兄ですが、水の江瀧子という人は往年の大女優で、当時は映画のプロデューサーでもあり、若い裕次郎を自宅に下宿させるほど可愛いがった人でもあります。そしてあの「ロス疑惑」で一躍有名になった三浦和義容疑者の叔母でもありました(実は「隠し子」だったとの説も)。今は亡き三浦容疑者も、子どもの頃、自分の家にいた裕次郎に遊んでもらったことがあったと、何かで誇らしげに語っていたのを読んだことがあります。ま、それは映画とは関係ない話ですが…。


この映画で、裕次郎は、島木譲次という名前の役で登場します。


シマキ・ジョージ…?

      ↓

http://www.youtube.com/watch?v=0Sjf46nxWME



この名前って、特に大阪の人は聞いたことのある人が多いですよね。吉本新喜劇のお笑い芸人で元プロボクサーというあのオッサンですよね。そういえば、この映画の裕次郎も元プロボクサーの役で、ラストシーンでは、二谷英明演ずる悪漢を必殺のパンチで仕留めます。


石原裕次郎はこの時、まだ22歳ぐらい。いやぁ実に若い。可愛らしい。ただし、セリフが少し口ごもって、おまけに早口なところがあって、何を言っているのか聞きとれないところもいっぱいありましたけどね。


映画は、過去に喧嘩で誤って相手を殴り殺してしまった元プロボクサーで、今は小さなレストランのマスターをしている裕次郎が、ブラジルへ渡った最愛の兄への手紙をポストに投函するシーンから始まる。時刻は深夜のようである。そこで、波止場にたたずむ女(北原三枝)と出会う。そこから、まあこの時代の映画ですから、ゆっくりしたテンポで筋書きが展開されますが、いちおうミステリー仕立てになっています。2人の男女の関係は実にストイックで、この辺は今の映画ではなかなか見られない展開ですね。ちょいと物足りなかったですけど。


…で、ブラジルに渡っていたはずの兄が、実は渡航前に波止場の顔役(二谷英明)に殺されたうえ渡航費を奪われていたことをつきとめた裕次郎は、ラストで、封印していた右の必殺パンチを炸裂させて相手を倒す。北原三枝は、顔役の経営するバーの専属歌手だったが、最後は裕次郎と肩を寄せて暗闇に消えて行くのであった…という映画でした。北原三枝は、過去に暗い影を背負うミステリアスな女を演じていましたが、そのスタイルの良さが際立っていました。他に、チンピラ役で杉浦直樹が出ていましたが、背が高く、髪の毛も当時はフサフサ(笑)で、ハッとするほどのイケメンでした。この俳優さんも最近亡くなりましたね。


なにしろ55年ほど前の映画なので、こういう映画を見ていると、何かタイムマシンに乗って過去に戻ったような錯覚さえ起こります。その錯覚に酔うことが、昔の映画を見ることの心地よさにつながる…と言えるかも知れません。


石原裕次郎はこの映画から30年後、52歳の若さでこの世を去りました。1987年(昭和62年)のことですから、あれからも、もう25年以上の歳月が流れているのですね。死因は明らかにお酒の飲みすぎです。この人の飲酒ぶりがどんなものだったかについては、最近、石原慎太郎の「老いてこそ人生」という本を読み、そこに書かれていた弟・裕次郎の酒に関する壮絶なエピソードの数々を知り、仰天しました。それはもう、ものすごい飲みっぷりなのです。これでは早死するのも無理はない…と思うより他になかったです。


それについては、次に書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

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