僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 コスタクルタさんのこと

2008年08月15日 | 日常のいろいろなこと

コスタクルタさんから「のん日記」に初めてコメントをいただいたのは、今年の5月12日のことだった。僕が20歳の時に大阪の自宅から北海道宗谷岬の「日本最北端の地」まで自転車で往復した70日間の旅行の記録を、1、2年前にブログを開設して書いたのだけれども、東京に住む自転車好きの29歳の青年・コスタクルタさんが、偶然にそのブログを見つけて読まれたのが、そもそものきっかけだった。

初めていただいたコメントには、

(自転車旅行の)ブログを読んで、とても感動して、目頭が熱くなりました。
 何か自分が言うのも変なんですが、ありがとうございました。
                       (2008-05-12 20:13:50)

そう書いてくださった。
それを見て、僕はたいへん恐縮するとともに、ありがたいことだなぁと思った。自分の書いたものを、見ず知らずの人(それも自分の息子より年齢が若い人)が読み、とても感動したという言葉をいただくことほど幸せな気分は、めったにない。

コスタクルタさんはその後何回かコメントを送ってくれ、その中で、今年の夏は、山陽道と東海道を走る予定なので、大阪を通過するとき都合がつけば会ってお話がしたい、という意向を伝えて来られた。もちろん、僕も会えるのを楽しみにした。

その後、コメントの中で、夏休みに輪行(自転車を分解して袋に入れ、乗物に乗って現地へ行くこと)で広島まで行き、そこから東京へ向って自転車で走る計画をしています、と書かれていた。

そしてこの11日夜に広島入りをし、12日から、東に向ってペダルを踏み始めた。

コスタクルタさんの予定では、初日は岡山まで、2日目(13日)は京都まで走る行程だ。しかし13日の岡山~京都間は、JRの鉄道距離で220キロもあった。1日でそれだけ走るのは少しハード過ぎるのでは…、という思いが僕の頭をかすめた。

その13日の早朝、「のん日記」のコメント欄にご本人の携帯番号が入っていた。僕はそれをメモして、職場に着いてから、9時前にその番号へ電話をかけた。

お互い、初めてナマの言葉を交わし合った瞬間だ。

「いま、相生(兵庫県のほぼ西の端)にいます」
とコスタクルタさんの、礼儀正しいハキハキとした言葉づかいが伝わってきた。
「わかりました。神戸に着いたら、また電話をください」

僕は地図を広げ、相生から神戸までの距離とそこから大阪までの距離を調べ、自転車の平均速度を推定し、大阪へ到着する時刻をざっと計算してみた。午後3時から4時ごろには着きそうな感じがした。

僕は午後から夏期半休届を出していたが、職場で仕事をしながら電話を待った。
しかし、2時半になっても電話はかかかってこない。
「おかしいなぁ。いくらなんでも、もう神戸には着いているはずだけど…」
何かあったのでは…と心配になり、こちらから電話をかけてみた。
走行中はすぐに電話に出られないので「今どのへんですか?」との伝言を入れた。
折り返し電話があり、「今は、須磨です」とのことだった。
須磨といえば、まだ神戸まで10キロ近くある。少し遅れているような気がする。

後から会って聞けば、「迷子」になって1時間もロスを生じたことと、パンクしてその修理に時間をとられたとのことであった。やっぱりね…。

「大阪駅付近に来たら、また電話を下さい」と言って電話を切る。
いま彼が走っている国道2号線は、そのまま大阪駅付近で国道1号線に変わる。
その1号線沿いのどこかで待ち合わせることになる。さて、どこがいいか…?

僕は思案の末、JR環状線の京橋駅のガード下に決めた。
国道1号線がそのガードをくぐるのでわかりやすいし、僕自身も電車の便がいい。

3時半を回ったので、職場を出て電車に乗る。
4時過ぎ、電車の中で電話がかかってきた。
「いま、芦屋です。あと1時間くらいで大阪に着けると思います」
「はい、また電話くださいね」
と、僕はまわりの乗客に気遣いながら、声を潜めてそれだけ言って切る。

4時半ごろにJR京橋駅に着き、電話を待つ。
5時にポケットの携帯がチリチリチリと鳴った。
「いま、淀川を越えたところです」とコスタクルタさん。
「じゃぁ、そのまま大阪駅の横を通過して国道1号線を走って行ったら、JR京橋駅のガードがあるので、そこで待っています」と僕。

ガード下で待っていたら、30分後、サイクリングの男性が走って来た。
僕は道路から身を乗り出して手を振りながら、その姿を目で追った。
男性は、知らん顔して過ぎて行ってしまった。人違いであった。

な~んだ、と思っていたら、今度は黒いタンクトップ姿のサイクリストが風を切って格好よく右へカーブを描き、京橋駅の方向へ入っていくのが見えた。

それが、コスタクルタさんだった。

「はじめまして!」と、お互いに初対面のあいさつをした。

それから近くの居酒屋に入り、そこで3時間以上話したように思う。
時間の経つのが、まったくわからない状態だった。

コスタクルタさんは、この時間から京都に向うのはむずかしいので、東大阪市に住む先輩宅に泊めてもらうことにしたそうである。それはちょうどよかった、ではビールでも飲みながらゆっくり話しましょう…ということになったのである。

「いやぁ、うれしいです。まさか、本当に会ってもらえるとは…」
そう言って、目の前の青年は、体全体で喜びを表現してくれた。
こちらこそ、こんな中高年に親しみを持ってもらって光栄である。

僕の20歳の時の自転車旅行の話題になると、自転車ブログを隅々まで読んでくれているコスタクルタさんは、
「あぁ、あの、トラックに乗せてもらって、当時開通したばかりの東名高速道路を走ったときの、あの話ですね」とか、
「箱根で自転車を押して上がっていたときに、元同級生とすれ違ったのでしたね」
「新宿の大将、という方に魅力を感じました。一度お会いしたいものです」
「自転車日本一周の女性とオホーツク海岸で出会った話、すごく楽しかったです」
など、あらゆることを驚くほど覚えていてくれた。ここまで自分の書いたものを熱心に読んでもらっていたのかと思うと、僕はもうメチャメチャ感動したのである。

僕が29歳から31歳までの間に、四国、九州、中国地方を自転車旅行して、ツギハギの日本一周を遂げたことに関連して、コスタクルタさんは
「僕も、四国とか九州も、自転車でまわりたいですね。それに、北は仙台までしか行ってませんので、仙台から北海道へも行きたいです」
そんな豊富を、目を輝かせて語ってくれた。

コスタクルタさんは、高校のときまでサッカー選手だった。その頃、後の日本代表となった小野伸二選手がいたチームとも試合をしたことがあり、小野選手のことを「彼は怪物でしたね。とにかくすごい選手でした」と白い歯を見せた。

サッカーの話になると、僕たちは、際限がなくなる。

特に1994年のアメリカW杯での、数々の名場面の話題に花が咲いた。
コスタクルタ、という名前も、かつてイタリアACミランに所属し、94年のこのW杯でもディフェンスとして活躍した選手の名前から取った…ということだ。

僕にとってもこの大会は過去のW杯で最も印象深かった大会である。日本は「ドーハの悲劇」によって出場を逃していた。しかし日本がW杯に出場すると、どうしても日本の勝ち負けだけに関心が片寄ってしまって、諸外国のサッカーの真髄に心動かされる、という心境になかなかなれないのである。そういうのってダメだけど。

「僕の妻がイタリアのバッジオの大ファンで、冷蔵庫に写真が貼ってありました」
と言いながら、僕はコスタクルタさんに、
「ところで、コスタちゃん、結婚は…?」と質問した。
「あ、まだ、独身です」と、真っ黒に日焼けした顔をほころばせた。

年齢が僕の半分であるコスタクルタさんは、パワフルで、感情が豊かで、礼儀正しく、明朗で、芯がしっかりした青年、という印象だった。

時間の経つのを忘れていたから、結果的に僕が長時間引き止めてしまった。
その夜泊めてくれる東大阪の先輩から、何度も携帯電話が入っていたというのに、悪いことをしてしまった。でも、何かの運命が引き合わせた僕たちの出会いは、とても濃密な時間として流れたと思うのである。

「のんさんの自転車ブログ…、最後に読み終えたときは涙が出ました」
コスタクルタさんは、そう言ってくれた。

39年前の、自分だけの思い出だったはずの自転車旅行が、会ったこともなかった若い人の心を、わずかでも、ゆらめかせたとしたら、これほどの喜びはない。

ブログをする、ということは、こういう出会いにもつながるのだ。

ネットによる犯罪が増え、闇のサイト、出会い系サイトなどというものも増え、とかく批判されがちなネット社会であるが、一方でこんな素晴らしい出会いも生む。

僕たちが店を出た時、時刻は9時近くになっていたようだ。

「先輩の家まで電車で行きます」
「では、自転車はどうするの?」
「この有料駐輪場へ置いておきます。明日またここへ来ればいいんですから」
「そうやね。夜だし、飲んでるし、自転車で東大阪まで走るのは危ないよね」

JR京橋駅からいっしょに環状線に乗り、鶴橋駅でいっしょに降りた。
コスタクルタさんは、ここで近鉄電車に乗り換えて、東大阪市の布施という駅まで行けば、そこで先輩が待ってくれているという。
こういう、いい人間関係を持っているのも、彼の人柄であろう。

「ありがとうございました」
「明日からも気をつけて走ってね」
「さよなら」
「さよなら」
鶴橋の駅で手を振って別れ、僕は次に来た環状線に乗って帰途についた。

いい夜を過ごすことができた。
僕もこの日は体調がよかったので、いっそうおいしいビールが飲めた。

コスタクルタさん、ありがとう。
16日まで、体調を崩したり怪我などしないよう、
無事に旅を続けてくださいね。




  
  

    
    お店のお姉さんに撮ってもらった1枚です。 
    「
写真、ブログに載せてもいいですか?」
    「ええ、全然かまわないですよ。OKです」
        (8月13日夜。京橋の居酒屋「てんぐ」にて)
     
 

 

 

 

 

コメント (8)
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