僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

では皆さま、良いお年を!

2014年12月26日 | 日常のいろいろなこと

今夜のNHK総合で「2014年ニュースハイライト」が放送される。
毎年、この番組を見ながら1年を振り返り、
さらに自分にとってのこの1年も振り返る、
…というのが僕の年末恒例となった習慣だ。
今年も、もうそんな時期になったんですね~


お正月の初詣などで、
「今年の目標は〇〇と〇〇。必ず成就できますように」
と心に誓って闘志を燃やしていたのも昔のこと…。
今は「健康に過ごせる1年でありますように」と願うだけだ。


実際、1月に66歳の誕生日を迎える僕などは、
健康を損ないやすい年齢層に突入したわけで、

同世代の人のほとんどがそうだと思うけれど、
健康で過ごす…ということが最大の目標なのだ。
だから健康な身体が、生活のすべての地盤になる。
年々そのことを強く意識するようになってきた。
(若い頃は「健康なんて当たり前」でしたからね)。


わが家では、今年も変わらず元気に1年を過ごすことが出来た。
何よりだったと思っています。


それにしても、今年も世間ではいろんなことがありましたね~
自然災害、事故、事件などが次から次へと頻繁に起きたので、
どれがどれだったのか…頭が混乱するほどである。
その中で、最も強く印象に残ったのは兵庫県議会議員の
野々村竜太郎の「号泣会見」だった。
あれほどニュースを見てびっくりしたことは後にも先にもない。
あの「あぁぁ~、ぐわぁぁぁぁぁ~」と号泣する映像を最初に見たとき、
何ごとかと思い、身体が固まってしまったほどだ。
しかし、その後地方議員の政務活動費から、
国会議員の政治資金などに至る問題まで、
議員たちのずさんな金銭感覚が次々と暴露され、
ののちゃん(野々村氏の愛称らしい)の号泣会見も、
結果的には社会に“貢献”した側面もあったわけですね。


で、今年の流行語大賞はこの「号泣!」かなと思っていたが、
エレキテルなんとかというコンビの「ダメよ~ダメダメ」であった。
このセリフは遠い昔に森進一が歌った「年上の女(ひと)」の
パクリではないか…と9月はじめのブログに書いた。

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/ac6cfa59a9bf818ba4f5efc7b886a862


つまり「年上の女(ひと)」の歌のサビの部分が、
「だめよ~だめだめ…」なのである。

 1番が…
♪ だめよだめだめ つらいのと  泣いてすがった 年上の女 ♪

2番が…
♪ だめよ だめだめ いけないと いのち燃やした 年上の女 ♪

3番が…
♪ だめよ だめだめ つらいのと 涙で別れた 年上の女 ♪

…という具合だ。

今朝の新聞にNHK紅白歌合戦の曲目が発表されていた。
それを見ると、森進一が歌う曲はその「年上の女」だった。 
なんで1968年(昭和43年)の歌を今ごろ歌うのか…?

その理由は「ダメよ~ダメダメ」という歌詞にあるに違いない。
ほんとにまぁ、何のことやら…


 …さて今年も今日を入れてあと6日となりました。
忘年会、家の片付け、町会での夜回り、お正月の料理の準備など、
まだやることはいろいろと残っていますが、
このブログは、今年最後とさせていただきます。


1年間でアップした記事は、数えてみると123本ありました。
1・2・3…と並んだ調子良さそうな数字ですよね。
来年も調子よくスイスイ過ごせたらなぁ…と思います。


こんなとりとめのないブログにおつき合いくださり、
本当に
ありがとうございました。


どうか皆さま、お体を大切に、良いお年をお迎えくださ~い。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「道明寺合戦」 から400年

2014年12月24日 | ニュース・時事


地域のコミュニティ紙の12月号が郵便受けに入っていたので、手に取ってみると、1面に「えぇっ!」と驚くような記事が載っていた。


毎週楽しみにして見ている「独眼竜政宗」(1987年の大河ドラマの再放送)と大いに関係していたからだ。「独眼竜政宗」は大河ドラマでは史上最高の視聴率を記録した人気番組だったが、今見ても胸が躍動する傑作中の傑作である。このことは先月のブログにも書いた。そして先週土曜日に放映された第38回「仙台築城」では、関ヶ原の戦いが終り、時代の趨勢は家康に傾き、徳川方に付いた政宗が仙台に城を築くところだった。


そこでコミュニティ紙の話に戻るが、こういう記事が載っていた。

 

  

 

「大坂夏の陣 道明寺で400年ぶりの和解」という見出し。
記念碑の前で、4人の男性が笑顔で手を握り合っている写真。
これはどういうこと…?


記念碑に刻まれているのは、「大坂夏の陣 道明寺合戦記念碑」という文字だ。写真の左から片倉重信さん、真田徹さん、後藤基保さん、森田剛浩さんである。この人たちは一体だあれ…?ということになりますよね。実は、右端の森田さん(地元のまちづくり協議会の会長さん)以外の3人は、大坂夏の陣で戦った武将たちの子孫の方々なのだ。記念碑の除幕式にゲストとして招かれたという。


大坂夏の陣と言えばご存知のとおり、大阪城の外堀を埋められた豊臣勢が、押し寄せる徳川勢を迎え撃った戦いだったが、中でも僕たちが住む大阪府藤井寺市の道明寺というところが最激戦地であった。いわゆる「道明寺合戦」と呼ばれる。


その道明寺合戦で、豊臣勢の後藤又兵衛と真田幸村が徳川勢を迎え撃つわけだが、攻めて来たのが片倉小十郎という武将の部隊であった。これぞ!…何を隠そう(大げさやなぁ)、僕が今ハマっている「独眼竜政宗」で、政宗の重臣として重要な役を果たしている片倉小十郎だった。ドラマでは西郷輝彦がその役を演じており、政宗に対する忠義に厚く、才覚に富み、勇猛果敢である。片倉小十郎の存在がなければこのドラマも興味半減…というほどだ。


そして後藤又兵衛は、その片倉小十郎の部隊によって討ち取られる。後から駆けつけた真田幸村は奮戦するも形勢不利で退散。翌日、四天王寺の近くの神社内で討たれて波乱の生涯を閉じる。


日本の歴史を大きく左右した大坂夏の陣で、最も激しい戦いだった道明寺合戦。それが慶長20年(1615年)だった。来年は2015年で、それからちょうど400年となる。そこでわが町・道明寺に記念碑が建ち、その除幕式に、合戦にかかわった3人の武将の子孫がお客様として招かれたわけである。豊臣方の後藤さん、真田さん。そしてその敵となる片倉さん。3人の固い握手。「大坂夏の陣 道明寺で400年ぶりの和解」という見出しも、これで納得だ。


片倉小十郎の子孫、片倉重信さん(75歳)は仙台からわざわざ来られた。この除幕式で、3人の方が初めて顔を合わせたそうである。


ドラマ「独眼流政宗」は、1月24日に第42回「大坂攻め」というのがある。ここで片倉小十郎が後藤又兵衛らと戦うシーンが出てくるのだろうか。


ちなみに今年の大河ドラマ「軍師官兵衛」も同じような時代が背景だった。
来年の大河は幕末の長州藩を舞台にした「花燃ゆ」というドラマとのこと。
そして再来年の2016年が、真田幸村を主人公とする「真田丸」だという。


せっかくのことなら、幸村没後400年に当たる来年にやればいいのに…。しかしNHK大河は戦国時代と幕末を交互にやるので、戦国時代の「軍師官兵衛」に続いて同時代の真田幸村は、慣例上できないのだろう。で、その次に回されたんだと思う。主人公の幸村役はあの「半沢直樹」の堺雅人である。待ち遠しいなぁ。

 

 

    
    近鉄南大阪線道明寺駅前に建った記念碑。 
  (藤井寺市のホームページより)

 

 

 

 

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「砂の器」映画と原作とTVドラマ

2014年12月22日 | 映画の話やTVの話など

*ネタバレにご注意ください!


松本清張といえば、先週、BSでかつてのTVドラマ「砂の器」が3日連続・全6話が再放映された。その最初の日に、青豆さんという方が「本日から再放映されています」というコメントをくださった。僕が映画「砂の器」の大ファンだったことをご存知だったのかなぁ、と思ったりしていますが、そのとおりで、僕はこの映画を、今でも自分が見た邦画の中でベスト1だと思っています。


TVドラマのほうは1977年に放映されたものだそうだ。しかし僕はこのドラマを見なかったと思う。というのも、その3年前に映画の「砂の器」にあまりに感動し、何度も何度も映画館に足を運んだことがあるからだ。その後原作を読んだけれど、正直言って期待はずれだった。映画とはかなりイメージが違っていた。映画のストーリーは、原作から大きく逸脱しながら卓越した映像と心に沁みる音楽で、素晴しいもう一つの「砂の器」の世界を作り出していた。


77年のTVドラマも、もし原作に忠実であれば、僕の中にある映画のイメージを壊されてしまう、という懸念があって、あえて見なかったのかもしれない。だから刑事・今西栄太郎役の仲代達也や、和賀英良役の田村正和は、僕の中では何の記憶もない。それで今回は37年ぶりのこのドラマ全6話を録画して、4日前から1話ずつ見て昨日第4話を見終えたところだ。話はいよいよ佳境に入ってきた。思ったよりも見ごたえがある。いつか、スマップの中居君が主演をしたTVドラマ「砂の器」はつまらなかったが、こちらはなかなか迫力がある。あと2話を今日と明日で見るのが楽しみだ。


映画の「砂の器」は、過去にテレビで放映されたが、この映画の重要な鍵となるのがハンセン氏病(つまり昔で言うライ病)であり、世間にはその病気に対する偏見が強かった。ライ病は気持ちの悪い病気で人に感染すると信じられていた。だからみんなライ病患者を毛嫌った。


映画はそういう時代を背景にしたもので、ライ病を患った本浦千代吉という石川県の田舎に住んでいた男性が、村から追われるような形で小学生の息子・秀夫を連れ、お遍路姿で物乞いの放浪の旅に出る。まだ子供の秀夫にとって辛い辛い放浪の旅だったが、島根県の亀嵩(かめだけ)という地にたどり着いた時、三木という情け深い巡査に会って保護され、父親は療養所へ入り、秀夫は三木巡査夫婦があずかる。…が、秀夫は家を飛び出し行方不明になる。


映画は、その何十年か後、退職した三木巡査が東京の蒲田操車場内で惨殺死体となって発見されるシーンから始まる。ベテランの今西刑事(丹波哲郎)と若手の吉村刑事(森田健作)の地道な努力で過去をさかのぼり、やがて1人の男性が捜査線上に浮かぶ。それはかつて三木巡査に助けられたが家出した息子・秀夫で、今や新進ピアニストとして脚光を浴び、大臣の娘と婚約してマスコミの寵児となった和賀英良であった。三木元巡査は伊勢参りに行った時、たまたま映画館に貼ってあった和賀英良の写真を見つけ、あの秀夫に間違いない…と、今や有名人となった彼を訪ねて東京へ行き「おまえの父が療養所でまだ生きている。ぜひ会いに行ってやってくれ。行かなければ首に縄つけででも連れて行く!」と迫るのである。忌まわしい自分の過去がバレるのを恐れた和賀英良は、かつての恩人を殺害する…という筋立てだ(ネタバレごめん)。


この映画の最大の見どころは、和賀英良が音楽界注目のコンサートで「宿命」という曲を弾くクライマックス場面。曲を背景に、お遍路姿で放浪する父と子の姿が、和賀英良の回想とシーンとして描写される。吹雪の中や桜の花が散る中、蝉が鳴く中、2人は延々と歩く。そのシーンには今でも思い出すと胸がつまる。ちなみに、原作にはそういう描写はない。


今見ているドラマは全6話という長時間ドラマなので、原作に忠実な部分があり、映画には出てこないが、原作では重要な役割を演じる人物が登場したりしている。しかし刑事が和賀英良にたどり着くまでのプロセスには、結末はわかっているのにハラハラする。さて、どんなラストシーンになるのか…? 久しぶりに見る「砂の器」に胸がざわざわ…である。


映画のほうはBSあたりでまた再放映をして欲しいのだが、以前放映されたのを見ていたら、刑事の丹波哲郎が「本浦千代吉は、ライ病だったのです」と捜査会議の場で説明するシーンの「ライ病」という言葉がカットされていた。差別用語なのか? これがキーワードなのに、カットされると、初めて見る人はワケがわからないと思う。それでもカットするくらいだから、今後テレビでは再放映されないのだろうと思う。ところで、今見ているドラマでは、父は「ライ病」ではなく、精神障害ということになっている。そこに限っては、放浪の旅に出る根拠がやや物足りないが、「ライ病」を使えないなら仕方ないのでしょうね。あの中居君の「砂の器」では、父はもはや病気でもなく、殺人犯の設定だった。それで各地を放浪とするというわけである(苦しまぎれだな~)。


ところで、朝日新聞に「be」という土曜日版があって、そのトップ面で「映画の旅人」という連載物があるけれど、偶然にも一昨日は「砂の器」が取り上げられていた。清張のこの複雑な原作を映画化することの難しさを、脚本の橋本忍と山田洋次がふり返る話などに思わず引き込まれた。朝日新聞を購読しておられる方で一昨日の「be」のその記事をまだご覧になっておられない方は、ぜひ読んでいただきたいと思います。


松本清張は当時この映画について「ぼくの小説の映画になったもので、いちばん出来がよかった」と語っていた…と「be」に載っていました。

 

 

  
   12月20日の朝日土曜版「be」の第一面。

 

 

 

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耳鳴り→不眠症→睡眠薬→?

2014年12月19日 | 心と体と健康と

このブログを始めたのが2007年12月でそれから丸7年が過ぎた。耳鳴りが発症したのがその年の9月で、ブログの最初の記事にも耳鳴りのことを長々と書いている。ブログも7年、耳鳴りも7年だ。その間24時間休みなくジーンジーンと左耳の奥、つまり頭の中で鳴り続けている。今はもう沢田研二の「勝手にしやがれ」じゃないけれど、勝手に鳴ってやがれ(笑)…という心境である。


…で、その7年前の耳鳴り発症の時から、不眠症になった。夜中に何度も目が覚めるのだ。そこからなかなか寝付けない。これも辛いので、医師に伝えて睡眠薬を処方してもらった。その前に、デパスという精神安定剤(これを飲むと何となく気分が落ち着く)ももらっていたが、もう少し睡眠効果の高い睡眠薬も服用することにした。それも7年間続けてきた。1回に2錠服用する薬だが、クセになってはいけないので1錠だけにしたが、まあまあ効いてくれて、睡眠障害も少しはマシになった。でも、毎朝デパスも飲んでいるし、さらに睡眠薬を服用するのは、できれば止めたいな…と思っていた。そんなとき、あるきっかけがあった。先月のことだ。


2ヵ月に1度、持病の心房細動(不整脈)に関する検査と診察で病院へ行っているが、先月その病院の待合で座っていた時、隣で高齢の女性がウトウトとしていた。そのウトウトの仕方が異様だった。まるで夢遊病者のようだった。「この人、大丈夫かいな?」と思っていると女性はハッと目を覚まし、すぐそばの受付の看護師さんのところへフラフラと歩いて行き「寝ていたんですけど…私の名前はまだ呼ばれていませんか?」と言った。「まだですが…」と看護師さんはその女性をじっと見て「眠いのですか? 眠いだけですか?」と問いかけた。様子がおかしいのでそう訊いたのだろう。「はぁ。眠い…だけ…」みたいな返事に対して看護師さんはカウンターから出てきて「睡眠薬を飲んでいるのですね?」と訊き「いつごろ、何錠飲みましたか?」と女性の両肩に手をかけて再び問いかけた。女性は半分眠っているような声で「昨日の晩、8時に4錠…夜中に4錠、また夜中に4錠、また夜中に…と計16錠飲んだことを伝えた。看護師さんは「まだお薬が体に残っていますね。そちらの部屋で横になってください」と車椅子に女性を乗せて別室へ運んで行った。女性はまた朦朧となっていたようだった。


この光景を目の前で見ていた僕は、睡眠薬の恐ろしさにぞっとした。薬を飲んで眠って目を覚ましてまた薬を飲んで…を繰り返し、一晩に16錠も飲むなんて…。ドラマなんかでは見たことあるけれど、実際にそういう人を見たのは初めてだった。僕は軽い薬を1錠だけだが、その薬に依存していることは事実である。これは止めたほうがいいかなぁ。でも、それでまた不眠症がひどくなったら身体に悪いしなぁ…と思い悩んでいるうちに名前を呼ばれ、診察室に入った。


結局、診察では睡眠薬のことには触れなかった。そして会計を済まし、薬の窓口でいつものように何種類かの薬をもらって中身を確認したら、何ということか、睡眠薬が入っていなかった。「薬はいつもどおりでいいですね」と担当医師は言っていたが、それならこの薬も入っているはずだ。しかしゾルビデムといういつもの睡眠薬が入っていない。医師が忘れたのだ。窓口で薬剤師さんが「これで良かったでしょうか?」と訊いたので「睡眠薬が入っていませんが…」と言おうとしたが、やめた。とっさに「なければないで、何とかなる」と思ったのだ。これまでの薬が十数錠残ってもいたし、まぁいいや…。


それから1ヵ月余りがたった。十数錠残っていたのもほとんど飲んだが、ここ何週間は全く睡眠薬なしで眠っている。ないのだから飲めないのは当たり前だ。しかし飲んでいたときとほぼ同じで、夜中に目は覚ますが、割に眠れている。結果として、医師が忘れてくれたことがよかったわけで…(笑)。


病院の待合でぞっとするような光景を見たあと、医師が睡眠薬だけ処方するのを忘れたというのは、きっと何かの必然だ…と思いたい。薬は、なるべく少なくするに越したことはありませんものね。


しかし、手放しで喜ぶわけにはいかない。またいつか、薬がなければ眠れなくなる時が来るかも知れないし、これまでも、そういう経験が度々ありましたので。
それはそれで、覚悟しておかなければ。

 

 

 

 

 

 

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初めての学級閉鎖

2014年12月17日 | 日常のいろいろなこと

小学校のモミィのクラスが、今日からインフルエンザに伴う学級閉鎖となった。この3年間、学級閉鎖というのは一度もなかったので、驚いた。


昨日、モミィが雨の中を学校から帰ってきて「荷物は沢山あるしぃ、傘は差さなあかんしぃ、もうイヤ~」と嘆きながら両手の荷物を降ろし、ランドセルを外した。ひとしきり嘆き終えるとすぐにケロッとして手を洗い、素早くおやつを食べる…という行動に出るのだが、そのとき「あ、そうや!」と思い出したように「明日から学級閉鎖やねん」と言った。荷物が多かったのはそのせいだった(普段は週末と週明けに荷物が多い)。学校からもらってきたプリントに、校長先生名で、当クラスでインフルエンザ感染の恐れがありますので17日(水)から19日(金)まで学級閉鎖とします…とあった。


モミィ自身はほとんど風邪を引かない子で、いつも元気だけれど、クラスメイトの10人近くが風邪か風邪気味…という状態になったそうである。モミィの学年は2クラスしかないのだが、昨日まで隣のクラスが学級閉鎖されていて、今日から解除だそうだ。それと入れ替わりに今度はこのクラス。僕などこの10年間ほど風邪を引いたことも熱が出たこともないし、妻もごくたまにしか風邪を引かないので、世間でそれほどインフルエンザが流行し始めていたとは知らなかった。


今朝も外は猛烈な寒さです。皆さん、インフルエンザには十分ご注意ください。


それにしても、学級閉鎖で今日の17日から土・日を入れて5日間休みで、22日の月曜日に登校したら翌23日は祝日。そして次の24日はもう終業式なので、授業があるのは月曜日のみ。冬休みが1週間早くやってきた…という感じです。

 

 

 

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喪中の人に年賀状はダメ?

2014年12月16日 | 日常のいろいろなこと

12月もあっという間に半分が過ぎてしまった。
ここ2、3日、年賀状をつくるのに忙しい。


形式的な印刷のみの年賀状でも、受け取るほうは嬉しい。
一言でもコメントを付け加えられているのはもっと嬉しい。
僕も出す相手(またはグループ)によって違う文章をつくる。
この作業は、その都度考えながらするので結構時間がかかる。


ところで、喪中の葉書はもう来ないだろうと思っていた。
だから、パソコンで年賀状の宛先だけは全部印刷した。
通信面も、前述のようにいろいろ考えて作成している。


そこへ昨日(15日)、喪中の葉書が届いた。
ごく最近、90何歳かのお母さまが亡くなられたとのこと。
う~む。この方への年賀状の宛名もすでに印刷している。
これはやはりボツにすべきものなのか?…と腕を組んだ。


本来この通知は、喪中なのでこちらから年賀状を出すのは控える…
…という通知なので、受け取るのを拒否している…わけではない。
しかもこの方は、かつて母のことで大変お世話になった方である。
さらに、ここ数年は一度もお会いしたことがない。
せめて年賀状だけでも年に一度ご挨拶をしておきたい。
そういう方なので、やはり年賀状は出したいのだ。


そこでネットで調べてみたら、こんなのがあった。
「喪中に年賀状、本当のルール知ってますか?」とのタイトル。


http://www.excite.co.jp/News/laurier/howto/E1384911071847.html


喪中の基本的なマナーに詳しいという、ある葬儀相談員の方が、
「喪中に年賀状を受け取ることには問題はない」と言っておられる。
ただし文面には気配りが必要で、「おめでとう」とか「謹賀新年」
といったお祝いの言葉は控えて、
「年始状」的な形で出すのが良い。
…そういうようなことだった。


そうか。そういうことで良かったんだ。
この方への年賀状はまだ印刷していない。
では、この方に「年始状」を書いて送ろう。
文面はこれから少し考えなければならないが、
あまり同情的な文章はむしろ不適切かも知れない。
お祝いの言葉だけは避けて、ごく普通に近況を伝えよう。
お年玉付き年賀はがきだけれど、そこはご勘弁願うとして。

 

 

 

 

 

 

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松本清張2夜連続ドラマSP

2014年12月13日 | 映画の話やTVの話など

先週末の土・日にテレビで「松本清張2夜連続ドラマスペシャル」というのがあり、録画した。多くの人もそうだと思うけど、僕も松本清張のドラマのファンで、BSでの再放送もよく見る。今回は2夜連続で録画した「坂道の家」と「霧の旗」を、数日遅れで2夜連続で見た。清張ドラマでも時々「見てガッカリ」というのもあるが、今回は2本ともなかなかよかった。特に「坂道の家」は、主人公のりえ子を演じた尾野真千子と、りえ子にのめり込み5千万円以上も貢ぐ寝具店のオヤジを演じた柄本明が、迫真の演技を見せてくれた。

 

  
   尾野真千子と柄本明の演技力に引き込まれ…

 

尾野真千子の何とも言い尽くしがたい妖艶さと、柄本明の嫌らしいスケベジジイぶりが、2人とも「いかにも」と思わせる熱演で、これほど見ていて引き込まれるドラマも久しぶりだった。柄本が、若い女を知るとすっかり人が変わる。これまでの人生でコツコツ貯めてきた金を、せっせと彼女につぎ込み、妻から文句を言われると「今までずっと真面目に働いてきた。何に使おうと俺の勝手だ!」と怒鳴る。すでに理性を失い、頭の中は常にその女のことで一杯…という柄本の、白目をむいた恐ろしい形相には、思わず引いてしまう。男は老人になっても、若い女との愛欲に溺れるとここまで暴走してしまうのか…と、思わずため息が出る(どういうため息なのだ…?)


翌日は堀北真希の「霧の旗」を見た。「坂道の家」に比べると、清張の作品としてはこちらのほうが有名だろう。今回真希ちゃんが演じた柳田桐子というのは、「松本清張作品を代表する悪女」と言われている。その堀北真希だが、同じ「悪女」を演じた尾野真千子に比べると、まだ幼さが残る表情が無邪気で可愛い。とても復讐のために男を翻弄する女には見えない。重要な舞台となるキャバクラでキャバ嬢として出てきたときは、それなりの雰囲気を醸し出していたけれど、見る側の先入観かも知れないが、やはりどこかにあどけなさが漂う。


こちらは敏腕弁護士の椎名桔平に、無実の罪で逮捕された弟の弁護を頼んだが断られたことに恨みを持ち、女の武器を駆使して復讐する話であるが、このドラマの筋立てでは、なぜ弁護を断った椎名桔平にそこまでの復讐をしなければならないのか…という説得力が弱いように思う。そんなにえらそうに断ったわけではない。強いて言えば、椎名の秘書・橋爪功が横から「先生は忙しいし、弁護費用には500万円ぐらいかかるんだから」と言い放つのだから、むしろ恨むのなら橋爪を恨むべきである。どうも「逆恨み」された椎名桔平弁護士に同情を禁じえなかった。…といっても「ガッカリ作品」ではなく、まずまず楽しめたということは付け加えておきたい。


…ということで、この2本の作品では「坂道の家」の男女のドロドロした圧倒的迫力のほうに軍配を上げたい。ただ、堀北真希ちゃんは、たしかに可愛い過ぎたが、クールな表情で「悪女」の片鱗をうかがわせる雰囲気は出せていたように思う。もしこれが綾瀬はるかあたりなら、もっとよかったかなぁ…な~んて思ったりもしましたが。


で、一昨日(木曜)の新聞で「TVランキング」が載っていたのを見ると、先週1週間のTV視聴率ベスト20の中に「霧の旗」は入っていたが、「坂道の家」は入っていなかった。まぁ、視聴率ってそういうものなのでしょうけど。

 

 

 

 

 

 

 

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外国人ランナーとの “再会”

2014年12月11日 | ランニング

ランニングを趣味にしていたおかげで
いろんな人と知り合えたのは、
自分の人生にとって大きな収穫だったと思っている。
今も、毎日ではないが、近くの大和川の堤防に出て、
チョロチョロ走ったりウオーキングをしたりしているけれど、
懐かしい顔に出会うこともある。先月のことだが、
向こうから前かがみの独特のフォームで走って来る姿を見て
「あっ、あの人や」とすぐにわかった。
金髪で青い目をした外国人男性である。


もう20年以上も前のことになるが、
同じ大和川の堤防コースでよく顔をあわせた。
年齢は僕と同じぐらいと思われた。
ここで外国人が走っているというのは珍しかった
…というより、この人だけだった。
遠目からもすぐにその人とわかる。
大柄だし、夏場は常に上半身裸で走っていたことと、
両手に小さなダンベルを握っていたこと。
そして、前述のように、フォームが極端に前かがみの姿勢で
走っているので、遠くても「あ、あの人だ」とわかるのだ。


すれ違うとき、お互いに軽く会釈して、ニコッと笑う。
外国人…特に西欧人は愛想がいい。
海外旅行で見知らぬ街を歩いているとき、
通りすがりの人がこちらを見て、
目が合うとニコッと笑ってくれることが多い。
そういう文化なんだと思うが、日本人は、
見知らぬ人と目が合ってニコッと微笑みかける
…ってことはない。西欧諸国の人たちの
「目が合うとニッコリ」という習慣は旅行者にとっては心が和む。
堤防で会うその外国人男性も、そういう人の一人だった。


いつの頃からか、彼の姿を見かけなくなった。
本当はちょっと話しかけたかったのに…。
藤井寺市内にお住まいなんですか? 
お国はどちらですか? 
ずっと日本におられるのですか? など。
相手が日本語ペラペラなのか、カタコトなのか、
あるいはほとんど理解できないのか、
その辺がわからなかったが、
僕にもう少しの英語力と度胸があれば、
すれ違いざまにクルっと反対向きになって彼と並び、
一緒に走り始め、まずは英語でそのような話を切り出して
「お友だち」になれたのにな~と思ったりしたけれど、
生まれつき大人しくて遠慮深い僕には、
それはできなかった(誰がじゃぁ~!)


その外国人男性の姿を先月、
大和川で走っているのを見たときは本当に驚いた。
「わっ。あの人や」。何十年ぶりだろう。
寒くなりかけていたのでさすがに上半身裸ではなかったが、
それでもランニングシャツ1枚の軽装。
そして記憶に焼きついているあの前かがみの姿勢。
ダンベルは持っていなかったが、間違いない、あの人だ。
向こうから走ってきた。近づくにつれ、彼が以前に比べると、
体がぶよんぶよんになっているのが見えた。
つまりかつての精悍な体つきではなく、太っていて、
お腹もポテポテに出ていた。金色の髪もかなり薄くなっていた。
顔もずいぶん老けてきたのは、まぁ当たり前といえば当たり前だけど。


すれ違う時、昔と同じくお互いにニコッと笑い、僕は軽く手を振った。
その人は「オハヨウゴザイマス」と言った。
僕も「おはようございます」と返しているうちに、もう離れてしまった。
よ~し。僕たちは堤防のコースを行ったり来たりしているのだから、
また会うぞ。その時、これまでできなかった会話を交わそう。
これだけ長く日本にいるのだから、普通に日本語で話せるはずだ。


そう思いながら、川に橋がかかっているところで、
いつものようにUターンをした。反対側に向かって走る。
すると…。やがて、これまた向こうの橋のところから
Uターンしてきた「前かがみのランナー」が走って来る姿が見えた。
あと数十メートルのところまで近づいたとき、
彼は土手から河川敷へ下りる細い道のところで止まり、
向きを変えて下へ降り始めた。僕はペースを速め、
下って行くその人の背中に向かって「エクスキューズミー」
と声をかけた…というのはウソで「あのぉ~」と中途半端に呼びかけた。
(こんな状況の時、日本語では何と呼びかけたらいいのだろう?)


男性は振り向いた。そしてまた白い歯を見せた。
僕は「ずっとずっと昔、よくここで会いましたよね~」
と英語で言い、そのあと、英語圏の人とは限らないので
スペイン語で言い直し、さらにイタリア語でも同じことを伝え、
次にドイツ語でしゃべり……(もうええわ!)。
もちろんウソです。日本語で言いました。


彼は満面に笑顔を浮かべ、「イイお天気デスネ。ガンバリマショウ」
と手を挙げ、次にその手を振って「サヨナラ」と言い、
河川敷のほうに降りて行った。
今度は河川敷の芝生のところを走るようだ。


ちょっと噛み合わないやり取りだったけれど、
その後姿を眺めながら、数十年ぶりに会った彼は
これまでどうしていたのだろうか? 
母国へ帰っていたのか、大和川の堤防を走ることを
ずっとやめていたのか、あるいは僕は午前中しか走らないけれど、
午後とか夕方に走っていたのだろうか…? 
いろんなことを想像しながら、またひとりでチョロチョロと走り始めた。
振り返って河川敷を見下ろすと、
前かがみのランナーの姿が徐々に小さくなっていた。


それが先月(11月)中旬頃の話である。
あれからまた1月近く経つが、一度も姿を見ない。
また会うことができるだろうか。
“また会う日”まで、英語、スペイン語、イタリア語、
ドイツ語を勉強しておこう(もうええっちゅうねん!)。

 

 

 

 

 

 

 

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ガンバ大阪優勝 !

2014年12月07日 | スポーツの話題


昨日は午前と午後に別々の所用があって家族で出かけ、家に帰って来たのが午後4時過ぎ。すぐにテレビをつけ「サッカーJリーグ 徳島ヴォルティス×ガンバ大阪」を見た。ガンバの優勝がかかった大一番である。


試合はすでに始まっていたが、まだ前半の途中で0対0だった。ガンバが今日勝てば、9年ぶり2度目の優勝だ。しかし引き分けか敗戦の場合、2位の浦和レッズが勝つと優勝を持って行かれてしまう。その浦和は同じ時間帯に本拠地埼玉で名古屋グランパスと戦っており、現在1点をリードしているという。「このままで行けば浦和が優勝です」とアナウンサーが言う。ガンバは引き分けではダメ。勝たなければならないような状況になっていた。だが…


惜しいシュートもあったが、得点が入らないまま前半が終了した。大丈夫、まだあと45分もある。相手はJ2への降格が決まっている徳島。普通に戦えば勝てる相手だ。ガンバ、焦るな! …と思いながらも、後半が始まり、膠着状態のまま時間が経過していくと、見ているこちらが焦ってくる。アナウンサーは何度も「浦和が1点リードしています。このままいけば浦和の優勝です」を繰り返す。がんばれ、ガンバ。なんとか点を取ってほしい~


しかし徳島のほうが動きが速く、後半は攻められっぱなし。何度か「あ、やられたっ」と思うシュートがあったが、徳島の決定力不足に救われた。1点を取られたら、ほぼ終わりである。こういう時の時間の経つのは速い。「大丈夫、45分もあるんだから」と思っていたのがあと30分、あと20分と、あれよあれよという間に過ぎていく。あぁこれはもうダメか…と思い始めたときに、朗報が伝わった。「浦和が同点に追いつかれました」とのこと。「このままいけばガンバが優勝です」とアナウンサーが色めき立つ。「よしっ!」と僕は気合を入れなおして応援する。が、まだ油断はならぬ。浦和が再び点を取ることは十分に考えられる。


ピリピリするような時間が流れて行く。浦和が点を取るか、ガンバが点を取られるかのどちらでも優勝は浦和だ。そして後半終了間際にまた情報。「浦和が1点リードされました」という思いもよらない再朗報だった。やったぁ~


やれやれ。これでガンバの優勝は間違いない。それにしても浦和が逆転されるとは。…と思っているうちに試合は0対0のまま終了。浦和の試合のほうがわずかに進行が遅く、しばらく間があったあと、こちらも試合終了との報。その瞬間、ガンバの選手たちが飛び上がって喜んだ。


…ということで、よかったよかった。


ガンバはこれでナビスコカップと併せて2冠を達成した。13日の土曜日に行われる天皇杯の決勝にも出るので、これに勝てば2000年の鹿島以来、Jリーグ発足以来2チーム目となる3冠に輝くことになる。ぜひ頑張ってほしい。


プロ野球では、セ・リーグのクライマックスシリーズで阪神と戦う巨人に熱い声援を送っていたくせに(そうです。僕は昔から大の巨人ファンです)、サッカーとなると地元大阪のガンバやセレッソを応援する。ま、矛盾しているようですが、自分の気持ちをイツワるわけにはいきませんので…。ということで、巨人の時に味わった悔しさを、サッカーのほうで晴らしたいと思ってマス。

 


新しいパソコンを使い始めています。今日がこのパソコンでアップする初めての記事になりますが、ウィンドウズの機能も大幅に変わっていて、動作速度もいいし、便利になっていますが、同時に戸惑うことも多く、使い慣れるまでにはしばらく時間がかかりそうです。    

 

 

 

 

 

 

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パソコン買い換え その発端は

2014年12月04日 | 日常のいろいろなこと

このたび、パソコンを買い換えることになった。
そもそもの発端は、モミィが通い始めた塾の「学研」で購入した小学生用の学習タブレットだった。「マナボード」というそのタブレットが家に届き、それには無線ルーターとの接続が必要とのことで、説明書を見ながら接続しようとした。説明書には「ルーターのIDとパスワードを本機に入力してください」と書かれていた。しかし考えてみると、どれがルーターなのか…わからない。


こういうことに弱い僕は、部屋の隅にあるパソコン環境関連のいくつかの機器を改めて調べてみた。自慢じゃないが、モデムとルーターの区別もつかない。だから、これらの機器がどういう役目を持っているのか、何もわからない。ネット関連の会社の人に全部設定をしてもらったままである。だから「ルーターのIDとパスワード」と言われてもなんのことやら…。


いくつかの機器を取り上げて調べると、…あった。小さなアンテナがついている。それがルーターだった。これに接続しないとタブレットは起動しないわけだ。なるほど。そういえば…これまでも、ベネッセの「チャレンジタブレット」とか各種ゲーム機などもこの無線ルーターと接続していた。それらはすべてウチの長男がした。それを見ていた妻によると、ルーターの「AOSS」というところのボタンを押しただけでつながったとのこと。しかしこの学研タブレットは、そこを押しても接続しない。そこで学研に電話をして、なんで接続しないのかと尋ねたら「本機はIDとパスワードを入力しないと接続しません。その2つは、ルーターの裏側に貼られた紙に記載されているはずです」とのことだった。


しかし、わが家のルーターの裏に貼られたものには、ID番号は記されていたがパスワードは載っていなかった。今度はルーターの会社であるバッファローに電話をして、なぜパスワードが貼られていないのか?と訊いた。返事は「古い機種には貼っていませんので、パソコンから読み取るしかありません」ということ。やはりウチのルーターは古いのか。しかし何とまぁ、ややこしいことである。「お手元にパソコンがございますか?」と言われたので「ええ、あります」と答えた。「では、これから説明しますので…」と、担当の男性から電話で指示を受けるままパソコンを操作していった。「では〇〇を入力してください。画面にパスワードが出るはずです」。いよいよ最後の段階というところで、画面にパスワードは出ず、エラーのメッセージが出た。


そのあと電話では丁寧にいろんな方法を指示してくれたが、すべてエラーしか出なかった。「すべてがエラーになる」というTVドラマみたいだ(それは「すべてがFになる」や!)。電話は1時間以上に及んだ。結局、担当者は「ルーターが古くなり、反応が鈍くなっているということしか考えられませんね」ということだったので、新しくルーターを買い換えることにし、電話を切った。


こんなことがあって、さてルーターを…と思ったのだが、それよりも、わが家にある2台のノートパソコンはいずれもウィンドウズXPである。かなり古い。今のところ2台とも支障なく使えているが、そろそろ買い換えなければ…と思っていたところだった。妻に「この際、パソコンも買い換えよう」と言うと、妻は、「ダメよ~ダメダメ」と答えた…というのはウソです。「それがいいわ」と賛成してくれた。


今から3年前の11月、インターネットをフレッツ光からジェイコムに変更した。

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/94f8cfef66f806e3b5f7b7e8065cbfca


そのジェイコムからよくDMが送られてくる。先日はパソコン販売情報が届いた。それは保管していたので、出して詳しく読んでみると、わりに安かった。何といってもインターネットの接続などを出張サービスでしてくれるのが魅力だ。「そうだ、このジェイコムで新しいパソコンを頼もう」と、妻と2人で駅前のジェイコムショップへ行き、カウンターの女性にその旨を伝えた。「承知しました」と「家政婦のミタ」みたいな返事をする女性に、新しく買うルーターも含め、ジェイコムから、インターネットの接続をするのにわが家に来てもらえることも確認した。


そんなドタバタがあって、数日前に無線ルーターを買い(店の人に、裏にIDとパスワードが貼ってあることを確認してもらった)、一昨日はジェイコムから新しいパソコンが宅急便で送られてきた。そして今日の午後に、担当の人が、インターネットなどの接続に、わが家に来てくれることになっている。やれやれ…。これで気になっていたパソコンも新しくなり、学研のタブレットの接続もできる。元はといえばこのタブレットから始まったことだった。


…で、約10年間使ってきたこのパソコンも、モミィが使っていたさらに古いもう1台のパソコンも、セキュリティ面を考え、今日をもってネット環境から外すことにした。つまりこのパソコンでブログをアップするのは今日で最後ということになる。


愛着はあるけれど、やはり物には寿命がある。
また新しいパソコンに慣れなくては…。

 

 

 

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高倉健と菅原文太

2014年12月02日 | 映画の話やTVの話など

高倉健さんに続いて、今度は菅原文太さんの訃報だ。驚いた。
11月28日に亡くなられたそうである。健さんは11月10日だった。
このお2人が同じ月に亡くなられるとは、偶然なのか、必然なのか。


健さんの仁侠映画というのは、最初からずっと、悪い奴らにしたい放題にされ、健さんはぐっとこらえ、耐え忍ぶ…そういうパターンだった。とにかく健さんは耐えに耐え、我慢に我慢を重ね、最後の最後についに堪忍袋の緒が切れて、相手に殴りこみをかけてやっつけるのだ。「死んでもらいます」などと言いながら。「いよっ、待ってました、健さん!」と声のかかる場面である。健さんのうしろから悪者がこっそり斬りかかろうとするシーンでは、観客席から「健さん、危ない!」と悲鳴が上がったというのも、有名な話である。


しかし、僕は一連の健さんの任侠映画を見ていて、あまりに耐え忍ぶ時間が長く、見ていて辛くなることがよくあった。「やられたらやり返す。10倍返しだぁ」という「半沢直樹」ではないが、もう少し早い目に健さんに「10倍返し」をしてもらって、早い段階でスカッとしたい…という正直な気持ちもあった。「最後までひたすら耐えるところがいいねん」という友達ももちろんいたが、僕は「ちょっと耐えすぎやろ」と、いささかの不満があった。


その点から言えば「仁義なき戦い」の菅原文太はすぐに「倍返し」をした。ほとんど我慢はしない。やられたらすぐやり返す。あの精悍な風貌と、吠えるような物言いが相手を縮こまらせる。これがカッコいい。スカッとする。広島弁がまたいい。味方が相手にやられると、「わしが、あいつをとっちゃるけんな」(とっちゃる → 命を奪う)などと凄むシーンにはワクワクした。そうだ。いけいけぇ~。やっちゃれ~。…おっと、映画を思い出してついコーフンしてしまった。


「仁義なき戦い」は全部で5作あった。5作目は北大路欣也が主演で(文太アニキは刑務所暮らしで、少ししか出てこない)、これは映画の趣が違っていたが、1部から4部まではもちろん文太アニキが主演で、快作だった。健さんは背中に唐獅子牡丹の入れ墨だったが、文太アニキは背中に鯉の入れ墨だった。プロ野球・広島カープの「鯉」と関係あるのか…いまだに謎である。


共演していた梅宮辰夫や小林旭もよかった。松方弘樹は第1部で殺されるのだが、第2部以降からまた別の役で出てくるので、これはややこしかった(笑)


東映ヤクザ路線の映画の熱烈なファンだったトモちゃんという友人がおり、僕はいつも彼と一緒に、土曜日の午後(当時仕事は土曜は半日だった)になれば映画館へ出向いた。あるときは「仁義なき戦い」の5本立てが特別上映されたことがあり、もちろん僕はトモちゃんと共に、弁当やお酒のワンカップを持ち込んで映画館へ行った。そしてそこでこんなこともあった…


第4部だったと思うが、映画の終わりのほうで、菅原文太を逮捕するため、ものものしい数の警察官や機動隊員が建物の周りを取り囲むシーンがあった。建物から1人でゆったりと出てきて、抵抗せず両手を差し出す文太アニキ。手錠をかけられながら、彼は沢山の数の警察側の人間たちを眺め回してひとこと「税金の無駄づかいじゃのう」と言う。そのとき映画館内で大きな拍手が起きた。僕もトモちゃんもつられて拍手しかけたけれど、ちょっとためらった。
僕ら2人とも、地方公務員だったもんで…


…そんな細かいことまでも、よ~く覚えている。


この間、モミィと一緒に、テレビで「千と千尋の神隠し」を見た。モミィはこの映画が好きで、DVDも家にあるが、テレビでやっていたこともあって、改めて見た。映画の中で文太さんが「釜爺」の声の役をしていた。声だけだったけれど、あれが僕にとって文太さんの生前の見納め(聞き納め?)だった。


菅原文太さんは、仙台の人で、11年の大震災の時、俳優をやめた。
この話も、いかにも文太さんの人柄をあらわしているようである。
思い出に残る俳優さんたちが、次々と亡くなっていくのは寂しい。

 

 

 

 

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