梅は咲いたか、桜はまだかいな ♪ と言うのは、江戸の端唄なのですが、
寒さに震えた今年の冬を忘れてしまう程、ここ数日、都内の桜は、蕾を
大きく膨らませ、日当たりの良い所では、既に、3分咲き以上と成りました。
毎年の事とはいえ、桜は、日本人の心を揺さぶる花であり、数多くの
春に咲く花の中では、断トツで、日本人の魂を熱くします。
私の住む目黒河畔は、昔から桜の名所として知られていますが、ここ10年程で
その光景は驚く程の変わりようです。
息子がまだ幼かった30年程前は、護岸はまだ多くが土で覆われ、春ともなると
真っ黄色に色づいた菜の花と可愛い土筆の群落が桜の花と素晴らしい春模様を描き
摘み取った土筆を卵とじや土筆ご飯で頂くと、ほのかな苦みに、春が来たことを
感じたものです。
しかしながら、数十年の年月は、目黒川の風情を大きく変えてしまいました。
美しく護岸が整備され、遊歩道には、多くの人達が行き交います。
特に今の時期とも成りますと、全国から多くの観光客が押し寄せ、更には、
ネットで世界に紹介されると、今では、半分は海外からの観光客と言えます。
その為、いつもなら静かな遊歩道は、まるで、渋谷の繁華街を歩くようです。
行き交う人と肩をぶつけない様に気遣い、桜の花だけでなく、何処に行っても
歩道を行き交う人の顔を見続ける事と成ります。
殆どの人が頭の上の桜に気が向きますが、足元にも様々な工夫がされていて
歩道に幾つも有るマンホールには、この地域をアピールする観光施設の絵が
描かれていて、中には、桜を模したものも有り、人が少ない時は、写真を撮って
SNSに投稿する人も多い様です。
とは言え、桜は、本当に日本人の気質に合っている花と言えます。
パッと咲いてパッと散る、というその姿に、潔さや意気の良さを感じる人も多く
寒い冬をじっと耐え、空を覆い尽くすほど咲き誇る姿は、日本人に夢を与えます。
昔から、春夏秋冬に於ける様々な自然が私達日本人の目を楽しませるのですが、
一年の間に次々に変わって行く大自然の美しさは、少なからず、日本人の心に
大きな影響を与え、日本人気質を生んで来たと言えます。
今でこそ、一年を通じて、日本人は自然に左右されない生活が出来るのですが、
数千年の間、日本人は、四季の移り変わりと共に自分達の生活を営んで来ました。
大自然のダイナミックな移り変りは、日本人に豊かな糧を与えたと共に、
自然の脅威や厳しさを教えました。
自然を克服し利用する事を常とした欧米人に対し、自然と共に生き自然に生かされ
人生を歩んできたのが日本人と言えます。
その為、私達は、自然の移り方に極めて敏感であり、たとえ、一日の初めであっても
先ず、お天気から気になるのです。
現代人の生活は、お天気に左右される事は滅多に無いにせよ、自然の移り変りを
天気を通じて感じる事に依り、日本人が太古の昔から身に付けて来た、自然に対する
繊細で労りの有る思いが対人的にも反映していると言えるのです。
しかしながら、日本社会が明治からの欧米化に伴い、日本人の自然との関わり合いに
大きな溝が出来て来た事は否めません。
自然を利用して、人間の利益のみを考えて日本を工業化した事に依り、日本の大自然は
ことごとく破壊され、私達が肌で感じて来た美しい日本の自然は、いつの間にかに、
人間の廃棄物で汚され、多くの生き物達は絶滅したり激減したりしました。
大自然に生かされていた日本人が、大自然を失うにつれて、便利で豊かな生活が出来る様に
なった引き替えに、心と身体の健康を損なう様に成ったのです。
暖かい心で通じあっていた人々は、お互いに競い合いいがみ合い争い、人間としての
優劣を作る事に依り、多くの人々が、常に、心休まる事無く、いつも不安を感じ、
未来に夢を抱くことが出来なくなってしまいました。
どんなに多くの利益を得ても、地位や財産を築いても、安心感は有りません。
他人の上に立つ事は、他人から妬まれ憎まれ、更には、傷つけられる可能性も出て来たのです。
まるでアメリカ社会の様に、銃を持って自らと家族、そして財産を守らなければならない
他人を信ずることが出来ない社会が広がっているのです。
豊かな生活をするには、他人を差し置き、蹴落とさねばならず、ちょっとでも油断すると
同じように自分が嫌な思いをしなければならない、心休まらない社会と成っているのです。
日本人が、自分達の生きる目的喜びの目的を、経済的な豊かさとした時点で、
自分達の未来を見失ったと言えるのです。
何千年もの間、生きる意味や価値を、大自然と共に感じ考え、更には、自然の中に
絶対的な物として様々な神の存在を感じました。
日本人が、生き物全てを愛おしく感じたり、大自然の営みに自分の人生を感じたりするのは
少なくとも、自然と共に生き自然に生かされてきた長い歴史が成せるものなのです。
美しく咲き誇る桜を見て、唯、桜の美しい姿に感動するだけでなく、その姿に自らの人生を
当てはめたり、そこに集う多くの人々との心の交流に、桜を愛でる気持ちと人を尊ぶ気持ちが
大きく重なって来ると言えるのです。
とは言え、桜が美しく咲こうも、ほんの二週間ほどで散ってしまうのには、感動と共に
大きな寂しさを感じるものです。
あれ程咲き誇っていたのに、いつの間にかに消えてしまう、この劇的な変化は、少なからず
日本人の心にも大きな影響を与えているのです。
俗に言う、熱しやすく冷めやすいと例えられる日本人の気質は、いい意味でも悪い意味でも
多くの場で知られています。
例え、大自然の脅威に晒されても、時が経てば、必ず元の幸せが戻って来ると言う希望にも
繋がるのですが、何度も同じ失敗を繰り返すと言う、マイナスのイメージも有ります。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、と言われる様に、直ぐに教訓を忘れてしまったり、同じ間違いを
繰り返す事が多いのです。
桜の花が散った頃、一体国会で何の審議が有ったのか、思い出せない様に成ってしまわないか
これまで何度も繰り返す政治疑獄を思い出すたび、政治の世界は、一時の記憶で終わらせない様
如何に後世に伝え、二度と同じ事が起こらない様に国民一人一人が心に留めておかなければ
またもや、ほとぼりが冷めた頃、我欲に満ちた方々が、同じ間違いを繰り返す可能性が有るのです。
桜が散った後、今度は、緑の爽やかなトンネルが目黒河畔に現れます。
秋に成って、錦の紅葉となるまで、遊歩道を歩く人々を強い太陽の光から守り、川面を伝う
気持ちの良い風の通り道となります。
多くの方が、春の花の時期に集中してこの地を訪れますが、桜は、一年を通して、周囲の人々に
憩いの時間を与えてくれるのです。
本来、日本の自然は、春夏秋冬、日本人の心と身体を癒し、日本人の美しい心を育てて来たのです。
日本人が本当に幸せを感じるのは、この、大自然が復活した時と言えます。
決して、経済的に豊かになれば日本人は幸せに成ると言えないのです。
生活は豊かになっても、心が荒んで、寂しさが募る様では、私達日本人は、生きて行けないのです。
日本人が本当に幸せな人生を送る事が出来るには、太古の昔から培われた日本人の心が癒され
自然に育てられ、自然と共に心と身体を育てられるようになった時と言えるのです。