めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

巨大なスーパー堤防は幸せを呼ぶ??

2014-05-31 16:15:58 | 地域振興

私の故郷は、数十年前の伊勢湾台風の後、周囲を完全にコンクリートの
巨大な堤防に囲まれてしまいました。
元々、海抜がマイナスの土地であった事もあって、今でも堤防の上に立つと
川や海の水面の方が高くなっているのが解ります。

当時、名古屋の港区の犠牲者が一番多かったのですが、私達の街は
人口からすると、ダントツで被害が多かったのです。
そんな訳で、災害後、巨大なスーパー堤防が街をぐるりと取り囲みました。

私達の街は、昔から水に恵まれ、多くのクリークの中を船が行き交い
春夏秋冬美しい自然に恵まれたとても素晴らしい所でした。
確かに、大きな犠牲を払い、立ち直るまで何年もかかりました。
そんな被害は二度と起こしてはならないと、海も川も見えない
要塞のような堤防が周囲何十キロも巡らされ、水辺まで下りるのに
大きなコンクリートの山を登らなければならなくなりました。

そして、土地を高くするために多くの川や田畑が埋め立てられ
水郷の街は、何処にでもある様な住宅と公共施設だけの街となりました。
もう何十年にもなりますが、故郷に帰っても、かつての面影は全くなく
いつも何処か他所の街に居るような気持ちです。

幼い頃、夏ともなると、町内を山車が練り歩き、小さいながらも活気に溢れた、
美しい川や海の自然に囲まれた城下町が今でも懐かしく思い出されます。
そんな街には、今、当時を知るお年寄りも少なくなり、街も外からの資本で
全く違った風景となってしまいました。

都会のベッドタウンとして大きなマンションが建ったり、高速道路が造られたり
一見街の進歩の様に見られますが、それは外から入ってきた人たちによって
他の街の様に作り変えられてしまっただけなのです。

古い街並みも商店街はどんどん閉鎖され、住む人も故郷を捨てて、
城下町も櫛が欠けるかの様に空き地が目立って来ました。
夏のお祭りもすたれない程度にお年寄りによってかろうじて存続しているようで
帰る度に、故郷へ帰った喜びよりも寂しさが胸を締め付けます。

東日本大震災の後、次にいつか確実に訪れる津波の為に巨大な防波堤が
沿岸の都市で計画されています。
伊勢湾台風の時も5000人を超える犠牲が有りました。
今回の大地震でははるかに多くの尊い犠牲を生みました。

しかし、だからと言って、故郷を安易に作り変えてしまっていいのでしょうか。
亡くなった方々には申し訳ありませんが、これから生きていく人々が
喜びを感じ誇りを持って未来に繋げる土地にしていかなければなりません。

これから住む人や訪れる人々が以前の様に強い絆で胸を張って
日本中に誇れるような街になる事が一番大切ではないでしょうか。
一度作ったものは簡単には撤去できないことは、今日本中で様々な公共事業の
後処理にトラブルが起こっている事を見ても解ります。

作ったものは何とか壊す事も作り直すことは時間をかければできるでしょう。
でも、一度人々の心の絆が無くなれば、その地は故郷ではなくなるのです。
未来の日本人が私達に感謝できる様な復興事業を期待したいものです。


スカイツリーに登る

2014-05-30 13:35:59 | 旅行

建設当初から興味があったスカイツリーに初めて登ってみました。
数年間は観客が多すぎて、とてものんびりと東京の街を見下ろすことは
できないだろうと思い、登ると言う選択肢を持つことは全くもって
有りませんでした。

ところが、最近身内で登る者が増えてきて、長く並ばなくても良いのでは、
と考える様になっていました。
昨日は仕事が無かったため、妻と二人でまずはお台場に出かけました。
スカイツリーとは反対の方向ですが、昼はお台場で少しぶらついて
夕方にかけてスカイツリーに向かおうと考えました。

昼の時間をお台場で過ごした後、隅田川を船で遡って浅草まで行く
夏場には涼しいコースを選択しました。
久し振りに浅草に着くと、隅田川の対岸に大きくそびえ立つスカイツリーが、
前景のビアカップに溢れるビールを模したビルと重なって、いつもの様に
多くの観光客を楽しませていました。

スカイツリーには、建設当初からカメラ片手に出かけて行ったものですが、
完成後も、水族館や商店街をぶらつく事はあっても登る気は全く有りませんでした。
幸い平日の夕方とあってか、チケット売り場に並ぶ人も無く、一年前の日曜日に
チケットを買うだけで一時間以上待たされていた人々が誰もいません。

すんなりとチケットを買い、そのままスカイツリーの展望台までアッと言う間です。
耳がキュンとなる間もなく東京がジオラマの街の様に見える展望台です。
残念ながら遠くは雲に掛かっていて、富士山や箱根山麓、更には伊豆半島は
霞んだ東京の西側と共に全く見えません。

でも、そんな事はこの時間帯、あんまり気にはしません。
この日の目的は、夕日が沈んだ後の大都会の光の海です。
到着したときはまだ日が高く、一年で一番日が長い時でもあったため
夕方五時を過ぎても昼の明るさです。
少ないとはいえ、修学旅行の学生たちも多く居て、外を眺める為に
開いた場所を見つけるのに苦労します。

第一展望台とはいえ東京タワーよりもはるかに高く、下を見下ろすと
車の種類が解からない程小さく、まして、人の動きはアリよりも小さく
周囲は高層建築も少なく、東京タワーで見下ろすよりもノッペリとした
平面の感じです。

展望台にある喫茶店で場所を確保して、夕日が沈む方向を眺めます。
次第に辺りが黄昏の色に染まり始め、少しモヤで霞んだ赤い太陽が
ゆっくりと西の空に沈み始めました。
止まり木に座りながら、変わりゆく天空からの夕焼けを妻と眺めます。
以前同じように東京タワーでも夕焼けを眺めた事を思い出します。
太陽が目線の高さまで落ちると、妻の顔が赤く彩られ、
ストローを咥える姿に思わずシャッターを切りました。

午後六時を過ぎてようやく街の明かりがぽつぽつと光始めました。
真下には隅田川が流れ、行き交う観光船がライトアップし始めます。
ひと際華やかなのは浅草の花やしきの辺りです。
闇夜が次第に辺りを包み始めると、その光は一層きらびやかに輝き
これからの夜の美しい光のショーを期待させます。

喫茶店に入って早くも1時間を過ぎたでしょうか。
赤く染まっていた西の空も黒いベールが下りて、いよいよ
夜の大都会が広がって来ます。

すでに、東京の街は夜の帳が降りて、大都会の光が広がっていきます。
飲み干してしまったアイスコーヒーにストローだけが残っています。
カメラはこの一大イベントを写すべく、夜景モードで準備万端です。

もう街並みは十分に暗くなりました。
いよいよ沢山の光に溢れるはずです。

それから更に1時間、一向に明るい街が現れません。
エッ!何故!

妻のカメラも一向にシャッターが降りません。
とりあえず、もう一つ上の高い第二展望台に上ってみました。
ガラス越しに広がる関東平野の暗い大地に、沢山の人の営みが
光となって窓一面に広がっています。
ぐるりと周囲を回りながらベストビューポイントを探します。

スカイツリーに隣接した商業ビルの商店街で夕食をすませ、
浅草の街に戻ってくると、観光客も少なく七色に輝くスカイツリーが
昼間とはまた違う顔で真っ暗な隅田川の上に浮かび上がっていました。
地下鉄に乗って家に帰れば、時計はすでに10時を回っていました。

2人ともぐったりと疲れて、急いで風呂の準備です。
一日とっても楽しい都内散策でした。
何度も行った所でも、二人で沢山の想い出や家族の事を話すと
また新たな感動を生み、この小旅行は大成功でした。
でも、二人の結論は、大都会の夜の輝きを満喫したければ
東京タワーがベストというところに落ち着きました。

スカイツリーは、あまりにも高くて、街を眺めると言うより
地図を眺める様な感覚でした。
天気の良い空気が澄み渡った秋や冬がベストだと思われました。


高齢者と若者の溝は深まる一方

2014-05-28 17:47:28 | 高齢化社会

あらゆる情報が簡単に手に入る様になり、その選択幅の広さから
自分の一番欲しているものを居ながらにして見つけられます。
今まで、自分で現地まで赴いたり、多くの人を通して手に入れた物が、
瞬時に自分の物となる様になりました。

そんな中で戸惑いが隠せないのが、多くの高齢者です。
携帯電話の時代になっただけで、メールと電話の機能しか使えず
毎日送られてくる様々な情報メールにも、便利というよりかえって
その便利さに困惑しているのです。

中でも、若い人達との交流がSNSの発達により、大きく溝が広がり
世代間の格差が一段と大きくなっている様に思えます。
便利の追求から急速に発達してきたネット社会が、若者の間でのみ
広がる情報交換の世界と、高齢者の間の従来のアナログ世界が
交わろうともせず独自の世界として生き始めているのです。

ウインドーズ95が世界に衝撃を与えた頃は、日本中が老いも若きも
その画期的な機能と将来性に興味を抱き、その魅力に多くの人が
陶酔しました。
しかしながら、携帯がスマホに変わり、世の中のシステムにSNSが
社会の中心となってくると、もう高齢者の努力は、残念ながら
諦めの境地へと移っているのです。

コンピューターが日常生活に当たり前に在る時代に生まれた若者達は
家族間も友達同士も、社会との関わりも、全てがネットを通して行う
言わば、スマホとの対話で行う様になってきているのです。

私達高齢者は、自分の目で見て、触れて、味わって、と
あらゆる五感を駆使して情報を得てきました。
その為、そこから得られる経験から、目の前の状況を判断して
より確かな行動に移せていたのです。

ところが、今の世の中、間を介さず、触れる事も無く、見る事も無く
ネットの情報のみで判断する世の中になってきているのです。
確かに、何か必要な物を手に入れるには便利なのですが、
一番の問題が、対人的な情報判断が出来なくなっている事です。

今問題になっている、結婚できない若者の増加は、異性が見つからない
と言う簡単な事ではなく、異性に興味を抱けない、対人的に判断できない
若者が多くなっているとも言えるのです。

誰かに決めてもらったり、台本が無いと自信を持って行動できなかったり
常に周りの目を気にして、自分がどう見られているかを気にして
いつもいい子であることを求めている様な若者が多いのです。

ネットの仮想の世界では自由奔放に振る舞えても、現実では
誰かの手を借りないと行動に移せない人が増えています。

社会的に沢山の決め事を作る事によって、世の中をスムーズに
推し進めて行こうとする高齢者の多い日本の執行部は、
外見的に作りあげた世界では問題がどんどん深く陰湿になる事を
全く解っていません。

若者たちは、今の社会に上手く合わせる技を習得して
増々深いネットの世界に入って行くのです。
目の前の年寄りに心からの優しさを持って席を譲る若者から
社会の建前上、そうすることが自分の立場を守ると言う考えを持つ
多くの若者が増えている事に不安を隠せません。

最近の若者たちは本当に礼儀正しくいい子が多くなりました。
表向きは平和な日本の社会に見えますが、学校も職場も
問題が深く陰湿になっている事を知らなければなりません。

私達アナログ世界で育った人間は、現実の世界で学び、働き
家族を養って来ました。ゆえに、多くの問題も現実の世界で
解決するのが当たり前でした。
しかしながら、これか日本を支えていく世代は、現実よりも
架空の自分の世界に逃げ込んで、実態を見せなくなっている
という事を知っておかなければならないと思います。


一番安上りの健康法

2014-05-27 13:21:01 | 日本人

誰もが健康に生活していける事を望むものですが、
昨今の国民の健康志向に対するテレビ番組の過剰なまでの煽動に
いささか閉口してしまいます。

メディアが報じる番組も健康を謳った内容が多く

健康であることの重要さが伝えられています。
確かに、一生病に伏す事も無く、ピンピンコロリと
逝きたいものですが、そんなに都合よく進むはずが有りません。
思いもよらないアクシデントや健康不良による不安感が
様々な健康産業の標的となります。

健康番組でありながら、見終わると自分が不健康である様な

不安な気持ちにさせられる場合が多くなります。
さらには、そんな番組のスポンサーは保険会社であったり
製薬会社であったりすると、目的を疑わざるを得ません。

先日、厚生労働省からの発表で、血圧の上限が上げられました。

さらには、以前、あんなにもメタボを無くそうと官民挙げて決められた
健康数値もグッと緩められました。

この様に我々の健康は国や医療機関によって簡単に変えられて

その結果、多くの国民はいらぬ努力と費用を損失しているのです。
この数値がほんの少し変わるだけで、どれだけの収益を得るのでしょう。
以前決められた数値に近づこうとした国民の努力と財産は
何処に吸い上げられているのか考えるだけで腹が立ちます。

しかし、我々国民にも問題があると思います。

テレビの番組やメディア情報を見ると直ぐに鵜呑みにしてしまい
その情報に一喜一憂します。
何しろ偉いお医者様や国が言う事ですから、間違いないでしょう。
でも、これが大きな間違いなのです。

よく、病気をした人を心配すると、自分の事は自分が一番解っていると

胸を張って病院も行かず、薬も飲まず症状を悪化させてしまう人が
私の身の回りにもいます。そこまで極端になる必要はありませんが
日頃自分の身体のチェックとメンテナンスをすることは大切です。

病気をするときは、突然のアクシデント以外は、何日も前から

その兆候は表れているものです。
病院に行くと、必ず、身体の状況と症状を聴かれ、診察をして
疑われる病気に対する処方箋が言い渡されます。
でも、これは、ほとんど自分でできることなのです。

我々は一日一回は鏡の前に立つと思います。

その時に鏡に映る自分をしっかりと観察して、いつもと違う点を
チェックしましょう。
身体の中は解りにくいものですが、少し大きな鏡に裸の自分の姿を映せば
身体の何処かが悪いと、体型とバランスが変わってくるものです。

出来るなら全身が移る鏡を購入しましょう。

前後左右、出来たら後ろも一日一回は観察してみましょう。
特に、女性は自分の姿を見るだけで美しく痩せると言われます。

沢山のお金を使って通院しても、最近の医者は、一言二言話すと

後はコンピューターに向かっているばかりです。
一番の健康法は、もっと日頃から自分自身に関心を持つことです。
そして、鏡の自分を見て、自分はどうなりたいのか宣言しましょう。
健康を医者や製薬会社、さらには保険会社に委ねていると
決して、ピンピンコロリの人生は送れないと思います。


バランスの取れた生活

2014-05-24 13:39:30 | 高齢化社会

先々週、久しぶりの登山で足腰共にがたがたの状態で
いかに下半身が衰えていたかを実感しましたが、
この山行で今まで怪我をしたことのない足の指を痛めました。
長い間山に登っていて、何泊もする縦走でも怪我をしない部分です。
最初、新しく買った登山靴の所為かと思いましたが、今回の登山で
今までと一番異なっていた事に気が付きました。

20年以上山に登って来て、ほとんどの場合両手に軍手をはめて

両手が手ぶらの状態での登山でした。
今回は久し振りという事もあって、体力的にも苦しい山であった事もあり
ステッキを持っていきました。
今では低山においても、高齢者のみならず多くの方々がステッキを突いて
トレッキングをしています。
私の場合は、ほとんど使うことなく、両手でバランスをとり、急な斜面では
山登りの鉄則である三点指示を守り登って来ました。
今回も急な斜面に於いては両手を使いましたが、ほとんど一日中登下山共
殆どの道筋でステッキを使いました。

確かにステッキは体に負担が掛らず良いように思えましたが、

普段使う事に慣れていない事もあってか、帰りは非常に足が疲れ
靴の中の指が異常に周囲の壁にあたり、痛めた事のない部分が傷付きました。

昨日街中を歩く高齢者の方々がカートを押すことによって下半身が衰えるリスクを

書いていましたが、自分自身も同じような足の使いかたをしていたと思いました。
特に一本のステッキのみの場合、片方に重心が寄りやすく、更には、持った側の足に
しっかりとした重みとバランスが掛からず、左右の足の負荷が変わりやすいです。

正しく使えばそんなアクシデントは起こらないのかも知れませんが、

長時間バランスを崩しながら歩く事はかえって疲れる原因にもなるようです。
人は二本足でバランスを取りながら歩く生き物です。
バランスを助け、左右の筋力を保つための補助器具として利用する分は良いのですが、
もう一つの足の様に基準を変えてしまうと、高齢者の様にバランスを崩したり
身体を痛めたりするのかも知れません。

普段の生活においても、筋肉の衰えから、上半身が前に倒れがちになり
高齢者特有の体型が足腰に大きな負担を与えている事は事実です。
昔から日本人の体型は西洋人に比べて前方に倒れがちである事から
世界的に長生きの民族と言われながらも、実際には下半身に不安のある
高齢者が、様々な医療努力によって生きながらえている様にも思えます。

足腰が弱って来たから足腰のトレーニングをすれば強くなると言うのは
少々軽率な考えで、筋肉は全身と繋がって動いている事を考えて
下半身のみならず全身の筋肉を育てる事が大切と思えます。

特に、脊椎のバランスが悪くなると全身の反射機能が悪くなります。
正しい姿勢によるバランスは健康な身体を作るだけでなく、
スポーツで身体を作る時の基本と言えます。

手足を一生懸命動かさなければならない運動は不自由です。
正しい姿勢とバランスは反射機能を高め、思うがままに動く
若い筋肉とスタイルを作るのに大切な条件と言えます。