めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

また繰り返すか、苦しみの時代

2015-07-31 15:21:49 | 戦争

日本丸の船長が、絶対嵐に遭遇する事は無い、沈没する事は無いと
声高々に宣言しました。
何処へ向かっているのか、一体何をしたいのかが解からない世界における
日本のリーダーが、我が国の世界に対する貢献は、安全で日本国民を
戦争に巻き込む事は無いと言い放ちました。

これまで、我が国は何度、この手の発言に振り回されてきたでしょうか。
闇雲に大陸へ進出したときも、南の海に進軍したときも、国民に伝えられた
多くの独裁的な言葉が、どれだけ多くの人々を苦しめ、死ななくていい人々を
戦地に送って行ったでしょうか。

更には、何も罪のない多くの国民が、虫けらのように殺害された事実は
もう忘れてしまったのでしょうか。
今の世の中、世界中でテロが発生し、世界の様々な地域では連日
戦火の消える日が有りません。

何もしなくても、いつ何時その惨禍に巻き込まれるかも知れない時代です。
そんな世界中がピリピリしている時代に、わざわざ火中の栗を拾いにくとは
私達の民意はその程度のものだったのでしょうか。

より成熟した近代国家になるべくステップを踏んでいかなければならないのに
安易に同盟国間のバランスを取り、立場を維持する為としか言えない
この発言にいささかガッカリしました。

そりゃ、一国の長ともなれば、自分だけでなく、関連の方々は、例え戦いになっても
確実に安全に守られるでしょうが、その最前線に立つ人々の心内や
その家族親戚友達の心がいかほどのものか、解っているとは言えません。

演台で言葉を並べる技術でごまかしても、現実はもっと厳しく恐ろしいものです。
いつの時代も、犠牲になるのは多くの庶民や兵士たちです。
自分は鉾や盾の後ろで声を張り上げていればいいのでは有りません。
日本の未来が、子供たちの将来がかかっているのです。

前回の大戦の古傷がどれ程人々を苦しめているか、現に、隣国との争いも
その後遺症とも言える過ちの結果とも言えるのです。
二度とその蹉跌は踏まないと誓ったのではないでしょうか。

いくら、安全だと叫んだとて、一度戦火に見舞われれば、そんな言葉は
いかに陳腐でいい加減であるかは歴史を紐解けばいくらでも解るはずです。
今の日本は、このまま世界の三流国に成ってしまう程、多くの問題が山積し
国力も著しく衰えていると言っても過言では有りません。

しかし、たとえ、何年何十年と、他国の勢いに負けたとしても、それをあえて
武力で覆したり、バランスを取ったりすることは、どんなに危険で有るかは
前回の戦いで嫌と言う程味わったはずです。

今や、世界のトップクラスの経済力の国として君臨する事よりも、
日本として独自の生き方を貫く時代と言えます。
将来の日本を、何処の国にも属さない、世界でただ一つの誇り高き日本人として
新たな道を進む事が大切と思われます。

何時までも、大国に尻尾を振っていたり、隣国におびえている状態では
日本が破滅するのも時間の問題です。
戦後、様々な問題を真正面から取り組まないで、周囲の顔色を伺っている様な
日本人としての意思のない政治外交が様々な問題を生んでいるのです。
安全宣言の裏に、親方の影があるようでは、いつ何時、見捨てられて
破滅の道を歩まないか、より一層の不安しか感じられないのは私だけでしょうか。


新調のウォーキングシューズは軽快です!

2015-07-29 17:56:07 | ウォーキング

早朝、旧山手通りにあたる代官山の坂道を登って行くと、
まるで雪が降ったように、薄黄緑色のエンジュの花が
緑の枝を覆い、真夏に雪が降ったような幻想的な光景です。
街路樹として都内に多く植えられているエンジュは、ちょうど今
開花のシーズンで、緑の葉が茂る街路樹に、新雪が積もったかの様に
独特の光景を見せてくれます。

目黒河畔から渋谷への道は、この高台を越えて降りて行くと直ぐです。
しかし、歩いてみると結構な急坂で、ウォーキングのコースとしては
かなりハードであり、眺望はいいものの、歩き終えるとかなりの汗をかきます。
一昨日、今まで使っていたウォーキングシューズを新調して歩いて見ました。
ランニングシューズより少し底が厚いものの、クッションがよく効いていて
以前にも増して、歩きやすくなりました。

数年ぶりに歩き始めて、最初はギクシャクしていましたが、ようやく
ペースを取もどし、全身のリズムもはっきりしてきました。
どんなに簡単な運動も、何年も遠ざかっていると、こんなはずでは
無かったと、自らの不甲斐なさに驚くものです。

特に、ウォーキングは、ハードな運動の準備体操として
10年以上続けていたので、また以前のように歩けると侮っていました。
しかし、先ず、全身の繋がりが悪く、運動効率もバランスも酷いものでした。
更に、酷かったのは、呼吸です。
呼吸法をすっかり忘れていて、身体の動きと合いません。
その為、少し早く歩くと、息が上がってしまい、心拍数が異常に上がります。

競歩とまではいかないものの、出来るだけ早く歩きたいので、
以前の様に歩けるまでは、まだかなり時間が掛かりそうです。
しばらく歩いていなかったり、走っていないと、足が前に出ないもので
ウォーキングやランニングで間違って足腰を痛めてしまう歩き方に
いつの間にかなってしまうのには我ながら驚いています。

歩かなくなったり走らなくなると、一生懸命地面を蹴ったり、
踏み出した地面に強く体重を掛けたりしがちです。
つまり、高齢者の歩き方とよく似ていて、歩こうとするあまり
身体が前傾になり、膝や腰に大きな負担を与えてしまいます。

良い歩き方は、両足が身体を中心として前後に地面をキャッチして
前方の足は、足の裏で柔らかく地面を感じて、体重を乗せると言うより
重心を引き付けると言う感じです。

すると、後方の足は、立ち足に引き付けられ、立ち足の脊椎で
バランスを感じると、反射的に前方に足が開脚し、また新たに
地面を中間のバランスでキャッチします。

歩幅を小さく、素早く足を動かしてスピードを出す方法は
昔、日本の陸上界で行われていた方法でしたが、その為
いつも海外の選手に歯が立ちませんでした。

今では、大きく足を開き、前方の地面をキャチして引き寄せる
ロングストライド走法が主流となって、日本の陸上界も世界に
通用するようになってきたのです。

ウォーキングやジョギングをする時、特に高齢者は、前足に
体重を乗せて歩く傾向が有ります。
この歩き方は、スピードが出にくいだけでなく、せっかくの運動が
身体を傷付ける原因ともなります。

身体作りは、一朝一夕にはいかないものです。
ゆっくりと時間をかけて、精神的にも肉体的にもリラックスして
気長に行う事が大切です。
長年運動に関わって、様々な知識を持っていても、
実際に運動しなくなると、ただのオジサンになってしまいます。
かつて運動選手だったとか、若い頃は、とか言った言い訳は
現実問題として、全く通用しません。

身体が健康であるという事は、自分だけの喜びではなく
周囲の人たちも幸せにするものです。
様々な障害で苦しんでいたり、年を重ねて動きづらくなったり
誰もが何だかのトラブルを抱えているのが普通です。
少しずつでも身体は変わって行きます。
未来の夢を心に秘めて、自らにチャレンジしていきましょう。



便利なネット社会、心が離れる人々

2015-07-28 14:51:56 | 日本人

今年の暑さは、格別です。
気温が高いだけでなく、日本人が未来に進めない
狭い所に押し込められている様な暑さです。

かつては、どんなに暑くても、様々な行事や自然との

触れ合いで、むしろ季節を楽しんでいたのですが、
今や、暑さを耐え忍んだり、逃れたりと言う、
殺伐とした、毎日を耐える日本社会と成っています。

様々な文化の発展と共に、人々の英知を持って

対処してきた多くの自然現象に、近年では異常気象もあり
私達人間の力が及ばない程の苦戦を強いられています。

核家族化が叫ばれた時代から、ネット社会に成って、

さらに、家族からの逃避が家族すら及ばないほど
より心が離れた時代と成っているのです。

互いに目を見て、言葉を発し、身体に触れ、お互いの
意思の疎通を図っていた時代は過ぎ去り、目の前に居ても
他人以上に離れた存在の家族や友人関係が増えています。

自分の世界を広げる分には良いのですが、一度ネット社会で

放浪し始めると、誰も助ける事が出来ず、目の前の人に
助けを求める術も失ってしまう事が有ります。

今やネットを利用して、お金さえあれば一人で生きていけると

信じて疑わない人が増えています。
人との関わり合いも、気にいればいくらでも広く持てますが、
気にいらなければ簡単に遮断する事が出来、究極の我儘が
存在できるのが今の時代を反映しています。

人と人との関係を上手く出来ない人たちに、私達を取り巻く

大自然との関わりを考える事は更に難しいものと成ります。
幸せは自己満足で得られるものでは有りません。
自分を包む人や自然が一体となった時、究極の喜びが有ります。

私達人間は、いつの時代になっても、生かされて存在しています。

更に、自分以外のものを生かす事で生きがいを感じられます。
この息苦しい時代、何故息苦しくなるのか、これは、決して
衣食住が満たされていないだけでない事を、一人の生きている
人間として考える事が大切と思われます。

 


猛暑対策は、カラオケ

2015-07-27 13:52:35 | 猛暑

昨日は、特別な予定も無く、何処に行くかを決めかねていました。
しかしながら、朝から気温はどんどん上昇し、部屋の中に居ても
寒暖計は30度を超えています。

クーラーは何年も使っていませんが、朝から無風状態で、

庭のサッシを開け放ち、玄関も半開きにしていても、全く風が無く、
扇風機の風をあてても、一向に身体が冷えません。
意を決して、今日は、都内のカラオケ店にエスケープする事と成りました。

都内をぶらついてもこの暑さではバテてしまうし、かといって、ショップを

回っても疲れるだけです。
美味しいものを探しても一軒に何時間も留まる事も難しいと判断して
一番のんびりと邪魔をされないで寛げるのがカラオケと判断しました。

カラオケショップに行ったことが無い人は、歌を歌うのに何時間も使う事は

考えられないと思うかもしれませんが、歌を歌いに行く人ばかりでは有りません。
中で読書をしたり、喫茶店代わりにしたり、また雑談や勉強に使ったりと
今では多種多様の用途で様々な世代が利用しています。

その様な訳で、暑い日差しを避け、のんびりと時間を潰すには絶好と考え

6時間以上割安で利用できるフリーコースで入店しました。
幸い長椅子が有るので、クーラーの効いた部屋で横に成ったりして
歌を歌ったり食事をしたりして過ごしました。

夕方になって日が陰って来た頃、夕食を兼ねて外に出てみると、

さすがに、真上から刺すように眩しく輝いていた夏の陽も、少し西に傾き
汗が出る程では有りません。
でも、この暑さなのに、スクランブル交差点は歩けないほどの人並です。
いつも歩く道とは言え、人とぶつからない様に歩くのがやっとです。

ふと見上げると、通りの電柱に大きな七夕の吹き流しが風に揺れています。

海外の観光客がしきりに写真を撮っています。
私達も一緒に数枚撮っていると、後方の空が茜色に染まり、あれほど暑かった
つい先ほどまでの街に、人々の笑顔が見られます。

近くの飲食店で食事を済ませると、もう、空は深い藍色に変わり、それをバックに

都会のネオンが美しく浮かび上がっています。
少し必需品を買って、足早にバス停に歩いていくと、沢山の若者たちが
ハチ公の周りで人待ち顔にスマホを覗いたり、友達同士でにこやかに語らったり
いつもの駅前の光景です。

バスに乗って家に帰りつくと、昼ほどではないにせよ、暑さがまだ残っています。

とはいうものの、一日外出して帰ってくると、ぐったりと横になってしまいます。
冷たい飲み物で喉の渇きをいやすと、いつの間にかぐっすりと眠ってしまいました。
夜中に目を覚まし、風呂に入ると暑さと疲れで、すぐに夢の中に引き込まれそうです、
かたわらでは、すでに眠りについた妻のリラックスした寝顔に、思わず
口元が緩みました。

 


若き頃の思い出を還す

2015-07-26 09:59:02 | 山登り

かつて30代後半から40代にかけて、盛んに山に登ったものです。
最初は、東京近辺の低山から始まり、次第に標高の高い山をめざし、40代後半には
毎年夏ともなると、3000mを超えるアルプスの山々に登るのが、恒例となりました。

登り始めた当初は、子供達も小さくて、今思えば、あんな小さな子供を危険な高山に

平気で連れて行ったのは、自分がそれだけ若かったからと思われます。
その当時は、いつか年をとって、子供達が大きくなり、私達が山に登らなくなった時
家族で登った山を写真を見ながら懐かしむだろうと、盛んに毎回大量の写真を撮り
山々の記念品を買い求めました。

その日は遠く先の事と思っていましたが、本当に月日の流れるのは早いもので、

子供達も自分の家族を持つことが出来る世代と成り、そう思った数々の想い出の
映った写真を眺める日がアッと言う間に訪れることになろうとは、夢にも思って
いませんでした。

気持はいつまでも若いつもりですが、世間的に言う年齢は、かつて想像した遠い

先の年と成ってしまいました。
毎日がゆっくり過ぎている様で、いつの間にかに沢山の年月が流れてしまう、
それが年を重ねるという事だと思いました。

想像もしないところが傷んだり、動かなくなったり、更には、活字を目から離すなんて

考えもしませんでした。
しかし、無理をして手元に近づけると、まるで魔法が掛ったように、その輪郭は
煙の様にぼやけてしまいます。

しかしながら、あの頃集めた記念品や写真は、あの頃のまま手元にあります。

中でも、登った山の石は、一つ一つが当時のその時を思い出させ、
手に取ると、その時の天気から、周辺の風景、そして、家族との語らいを
ハッキリと思い出させてくれます。

机の上にうず高く積まれた、日本を代表する高山の石は、どれをとっても

その時の光景が鮮明に思い出されます。
とは言え、この中には、国立公園の山も有ります。
つまり、公園内のものは植物も石も持ち出してはいけません。
当然、不法採集となるのですが、その事も当時考えていて
いずれ、もう一度同じ山に登って、元の場所に戻す予定でした。

しかしながら、今の体力では、そう簡単に行けるわけでは有りません。

中には、若かった頃の体力が有ったからこそ登れた山も有ります。
これから先、どれだけ返還できるか、緩んだ身体と心に鞭打って
何とか実現したいと思っています。