めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

若者を信じよう!

2014-02-28 16:08:30 | 高齢化社会

今日はコートが要らない程暖かいです。
こんな日が次第に多くなっていきますが、暖かい春を
待ち望む気持ちが重なって、この時期はあっという間に
過ぎ去ってしまいます。

動物と同じで、寒さを体験した後の暖かい日差しの日々は、
桜の花と同じく、直ぐに過去の想い出となるのが毎年の思いです。

4月からは消費税が上って、増々庶民の生活は苦しくなります。
収入が減って支出が多くなる時、我々国民はただ耐える事しか
対策がないことに諦めと怒りが湧き上ってきます。

世界に名だたる先進国という表向きの張ったりが、安っぽい
メッキの様に剥がれているのに、今だその事実を被い隠す
この国の体質に、国民の多くが落胆している事を解って欲しいものです。

日本は福祉国家を夢見て、年金や社会保障の充実を訴えます。
しかしながら、所得が低い人達も、高額所得者も、何故か一様に
国に対する不信感と自分の生活の不満感がぬぐえないのは
いったいどうしてでしょう。

貧しいから不幸であり、裕福になれば幸福であるような方程式は
発展途上の国であれば成り立つでしょう。
所得が倍増して生活が豊かになれば幸せというかつての高度成長期に
国民が描いていた夢と、今の国民が望んでいる幸福感は全く違っていて
地位とか名誉を人生の目的にする様な単純な国家指針では、もう
多くの大衆は付いてこないのです。

経済的なピラミッド構造は今だ健在ですが、多くの新しいメディアの発達で
精神的な感覚はもう誰もが同じように感じる様になっているのです。
特に若い世代は、中高年が思うような社会感覚は全くなくなって
我々が生きたバブルの頃の日本人とは全く違った、同じ日本人でも
まるで宇宙から来た異星人の様になっているのです。

特に生まれてからずっとネット社会に居る若者たちは、我々が
何時間も討論を重ねて考え着く事を、世界中の情報から一気に
何十倍ものスピードで結論を出しているのです。
その方法の良し悪しはあるでしょうが、対人的な事だけでなく
物事の全てに当てはまり、新しい日本人像を作っているのです。

その為、仕事においてもプライベートにおいても極めて冷静沈着で
淡々と問題を処理する人たちが増えてきました。
我々古い人間からすると、えてして違和感を覚え、日本人の心や
情熱を失っているかのように思えたりしますが、彼らをよく観察すると
非常に素直に状況を判断しているのが解ります。

つまり、根性とか努力と言ったアナログの精神で生きているのではなく
冷静に自分たちにとって大切な事を見極めているのです。
彼らは決して我々アナログの人間を否定したり、日本の現状から
逃避しているのではなく、本当はどうなのかといつも考える
習慣があるのです。

その為、我々多くの経験を積んだベテランの人間を否定するのでなく、
若者を納得させるものであれば、なんでも取り入れる度量が在るのです。
縦社会に育った我々は、時に理不尽な事を納得しなければならなかったり
上司の言い分に忠実に従わなければならないことが多々有りました。

今の新しい世代は物事の現象を冷静に判断して自分の中に取り入れる
極めてストレートな人格として育っている者が多くなりました。
これからの日本にとって、かつての日本社会で行われたマニュアルは
ほとんど力を成さないと言う事を考えなければなりません。

あらゆる国家政策が上手くいかず、問題ばかりが山積していくのは
不景気や高齢化社会と言ったどこの国にも当てはまっていく
問題が原因では有りません。国の政策は国民の思いの具体化です。
古いアナログな過去の政策ばかりでは問題解決にはなりません。
日本の社会がどんどん衰えていくのは経済がインフレやデフレ状態で
在るからでは有りません。

我々が春に咲く桜を愛でるとき、若い人達も同じように楽しんでいます。
でも、桜に対する思いは全く違うと言っていいのです。
我らが思う思いを若者に伝えれば、彼らはその事が桜を毎年
美しく愛でる事になれば素直に取入れます。

彼らは教えられるのではなく、同じ人間としてその感覚を受け入れます。
上下関係や社会的地位や名誉等を気にしているのは年よりだけです。
未来を創る若者は、全ての情報を素直に自分の中に取り入れます。
この事が、人と人が、また国と国がスムーズに生きていく新しい方法です。

地球上のすべての生き物と人間の価値を同等に考える事と、
物事を分け隔てなく平等に考える事とよく似ています。
全ての生き物がお互いに生かし合って存在している事を
今の若い人達はグローバルなネット社会から学んでいます。

我々高齢者が年金や福祉社会施設でによって老後を生きるのでなく
若い人たちの我々に対する隔てのない感覚で生かされているのを
知ることが大切と思えます。彼らにとって我々は単なる年寄りでなく
若者を生かす存在であることを考えなければなりません。

彼らの働いた資金で生きていくのではなく、彼らの広い感覚で
生かされていると思わなければならないと思います。
そして、我々は、今の彼らの存在をしっかりと認めて、彼らの
新しい日本創りを助けていかなければなりません。

高度成長を経験した今の日本を創ったと自負する方々が
今だ、かつての方法で権力を握り、日本を再生しようとしても
結果、いつも裏目に出るのは仕方のない事と思えます。


桜の花への思い

2014-02-27 13:37:41 | 日本人

三寒四温と言う様に、この時期寒い日と暖かい日が
定期的に移り変わり、次第に暖かい日が多くなって来ました。

朝、ポストに新聞を取りに行くと、外が薄暗い。そして、寒い。
ちょっと暗い気持ちで部屋に戻り、大好きなインクの匂いに
朝の空気を感じながら、ユラユラと白い湯気の上がるカップに
口をつけていると、新聞の一面から、いじめ増加の記事が
目に入ってきました。

相変わらずの陰湿ないじめが全国の学校で行われている実態が
数字の増加をもって記載されていました。
この問題は今に始まったわけでなく、もう何十年に渡って
学校教育のみならず一般社会の中でもあり、今だ解決できない
社会問題となっています。

いじめと言えば、ドラマや映画にもある様に、加害者から被害者への
暴力行為や言葉が具体的行動によって描かれます。
しかし、周囲が気が付くような行為よりも、もっと陰湿ないじめが
我々人間社会には昔から存在しています。

それは、今流にいえば、シカトです。

つまり、相手を無視する事により、自分がその場に存在する意味を
感じさせない様にする、外からは見えづらいいじめです。
この好意は学校のみならず、友達同士でも、家族間でも存在し、
具体的な行為にいたらないゆえに、心の奥に大きなダメージを与え
時に、自傷行為を誘発したり、逆にそのストレスが外に危険な
暴力行為として発散されることも珍しくありません。

人は、一人で生きて行けず、必ず周囲の人や動物、自然と関わって
自分の存在意味を見出しながら生きていきます。
具体的な暴力行為があれば、その問題点が周囲に確認され
その問題解決に様々な方法がとられるのですが、問題は、
全く外からは感じられず、当人同士の間の無言のやり取りで
いじめが進行している場合です。
このことは、数字に表れる事は少なく、常に潜在的にあらゆる社会で
アンダーグラウンドに進行しているのです。

生きていく時、自分の存在が無視されることほど寂しい事は有りません。
スポーツをするときも、勉強する時も、会社で仕事をする時も
自分の存在を否定されることが一番つらいのです。

いじめとは言いませんが、オリンピック選手が出発する時は
日本の代表としてちやほやして、思いがかなわず帰ってくると
相手にしない様なメディアの体質は、日本社会の体質を見る様で
日本国民として世界に胸を張れないのではと思えます。

もうすぐ美しい桜が咲き誇り、我が家の周囲は沢山の人々で溢れます。
真っ黒の枝からピンクの可愛い花びらを咲かせるその様は、
誰もが心を打たれ、春の喜びに浸ります。
しかし、この時期を過ぎて緑の葉で覆われると、もう誰も気に留めません。
でも、我々日本人はまた来年のこの時期我々を感動させてくれることを
誰もが確信しています。桜の花が無くなったとはいえ、その後の一年を
全く無視しているのでは有りません。心の中に静かに仕舞っているのです。

誰も選手たちをちやほやしろと言っているのでは有りません。
彼らも桜の花の様に美しく我々の前で咲くときもあれば、次の時期まで
頑張ってトレーニングをしている時期もあるのです。

人は誰もが同じ顔をしていない様に、一人一人が個の存在であり
同じでないのが普通なのです。お互いが違う事を認めて、
自分が違う事を知ってもらう事が大切と思えます。
人も自然もすべてが異なった存在で生きていく事が当たり前であり、
お互いの立場を認めて目的に進むことが大切と思われます。


春の様に暖かい思い

2014-02-26 16:02:36 | 日記

今日も暖かい一日が始まりました。
このまま春が訪れるとは思いませんが、この冬
欠かさず首に巻いたマフラーに手が伸びません。

出勤をする時、目黒川を覗くと、川面を登る海風が
小さなさざ波を作り、キラキラと光りながら上流へと
輝きながら流れていきました。

とは言うものの、いよいよ国民病ともいえる花粉症の季節が
音もなくやって来ました。
雪の降る頃の喉の痛みと咳は、間違いなく風邪の兆候と
思われたのですが、これからは黄色い悪魔への
バトンタッチとなりました。
今から一か月、ヒノキ花粉を考えると、すくなくとも
二か月間は頭の中がすっきりしない季節となります。

ところで、春になると様々な生き物が動き出し、
多くの動物にも春が訪れます。
季節的な事もありますが、もう一つの春、それは
暖かくなることにより生殖活動が盛んになることです。
食べ物が増え気温が上がることによって、この時期は
子育てに絶好の時期となります。

ポカポカと暖かい日、海辺の岩礁地帯に降りたつと
様々な生き物の活動が見られます。
この時期の海洋生物は繁殖の時期となり、至る所で
様々な生殖活動が見られます。

水の中を覗くと冬場から良く茂ったホンダワラや若布の林に
沢山の小魚が群れ、岩の上や隙間には巻貝やアメフラシの
卵を見つける事ができます。

しかし、都内の水族館よりも沢山の生物を見る事の出来る磯場は
毎年少なくなっています。
しかも、そこに生息する生物の種類や数も昔に比べ極端に少なく
春の海に見られる命の営みは少なくなってしまいました。

東京湾も殆どがコンクリートの護岸で固められ、昔の様な磯場が
少し外洋に近い所まで出かけないと見られません。
海も川もすべてが人間の都合で作り変えられ、生きる生物にとって
ますます住みづらくなっています。

我々人間がどんなに進歩しても、基本的に、他の生物から
エネルギーを摂取して生きていかなければなりません。
つまり、多くの生物と同じく食物連鎖の中で生きています。
様々な生物の種の保全が我々の生命を支えているのです。
しかしながら、今や、人間以外の生物の環境が悪化しています。
そう、我々人間の身勝手な生き方が彼らを苦しめているのです。

人が人によって生かされているだけでなく、地上のあらゆる生命は
他の生物との関わりを持って生きているのです。
必要ない生命は一つもないのです。
自分の命を生きながらえさせるには、他の命を生かさねばならないのです。
春に美しい桜を愛でるには、美しい桜が咲く環境を作らねばなりません。
美味しい栄養のある食物を摂取するには、それらを収穫できる環境を
作っていかなければなりません。

どんなに地上で我ままを言っても、人類は生物の一つに過ぎません。
自分たちがこの地球上で生きて行くには、いかに他の生物を
生かすことが出来るかが、我々が地上で生き続ける大切なポイントと
思えます。

我々は他人と生活をしたり仕事をしたりすると、自分だけで生きていない、
自分以外の人の助けで生きていく事を学びます。
オリンピックに出場した選手たちも、そこに自分が日本の代表で出られた事が
多くの方々の力のお蔭であることを実感したと思われます。

生きる事この世に存在する事は、自分以外のすべてのものとの関わりあい、
そしてすべてのものへの感謝で実感できるのです。
先ずは自分の周りの家族を含めた人々、そして生きている環境に思いを抱く
そんな毎日を送れることを願って生活していこうと思っています。


この世に存在する意味

2014-02-25 14:07:20 | 日記

今日は気持ちの良い朝を迎えました。
あんなにも寒かった日々が嘘であるかの様に
青い空と爽やかな風が通り過ぎて行きます。

街を歩くと、人々の首元からマフラーが消えて
お年寄りの手元から手袋が無くなっています。
目黒川の桜の蕾も、気持ち、少し膨らんで
川面から流れてくる風も、快いそよ風になって
軽くなった首筋をなぜていきます。

ソチの冬季オリンピックも終わり、成田空港に
降りたった選手の安堵した顔に、ほっとしたのは
私だけでないと思います。

誰もが生まれて死ぬまで何もしなくても時は流れ
て行くものです。でも、人として生きていくには
多くの人と巡り合い沢山の経験を重ねていきます。

そんな時、自分の存在をふと考えると、その
あまりにも小さな存在に愕然として歩むのを
辞めてしまいたくなることが有ります。
そんな時、自分の生きる意味存在の意味を
教えてくれるのが自分以外の人々の力です。
選手たちも自分の存在を感じる為に、
スポーツを通じて努力をしています。

しかし、その努力が果たして意味があるのかを
知らせてくれるのが周りの人々の気持ちなのです。
スポーツに勝負が付き物です。
自分の努力が勝利の形となって認められると
誰もが自分のやってきたことに対して安心を
します。しかし、努力が報われない時、時に
自分を責め自分自身を否定したくなります。

そんな時、頑張ってきた彼らを人としてもう一度
立ち直らせ夢を持たせるのが周囲の方々の
彼らの存在を認める優しい言葉や思いやりです。

人は努力をして様々な事を成し遂げます。
しかし、その前に多くの失敗を重ね苦しみます。
その時、未来の自分の存在を見つけるには
周囲の人々の力が必要なのです。

人は一人では生きていけないと言われます。
しかし、人は本来一人で生きていくものでは有りません。
何故なら、自分の存在意義を見出すには
自分以外の人からの指摘が無いと解からないのです。

誰もが自分を必要としてくれることに喜びを感じます。
スポーツ選手がスポーツを通じて人々に自分の
存在を認められた時、初めて喜びを感じると思います。

スポーツだけでなくあらゆる世の中で生きる人々にとって
支え支えれれている事を実感するとき初めて
この世に自分の存在する意味を見出すと思います。


オリンピックの魅力をテレビが半減させた

2014-02-24 15:23:25 | オリンピック

もうすぐ冬のオリンピックと期待に胸を膨らませていたのに
始まるとアッと言う間に終わってしまった。
数々のドラマを産み、日本の多くのファンが夜を徹して
そのパフォーマンスに酔いしれました。

自分の期待する選手や海外の有名選手の素晴らしい技に
ため息を付き感動し、時に涙をしたものでした。

しかしながら、このような大きなスポーツイベントは、毎回
期待するものの、ガッカリとさせられる事も多いものです。
選手にはほとんど不満は無いのですが、その熱戦を放映する
日本の各メディアの方針に大きな憤りを感じます。

先ず、視聴率優先の番組構成、その裏にあるスポンサーとの
駆け引きが、放映される番組の内容に与える影響です。

はっきり言って、ソチオリンピックの内容が全く伝わってきません。
日本選手中心の番組構成は解るのですが、特定の選手に拘り
他の出場選手が全く画面に出てこないのは、オリンピックが
放送局側の思惑でのみ構成されて、視聴者はただ、同じシーンを
何度も見せられるだけの本当につまらない番組構成となっていました。

特定選手をドラマチックに祭り上げ、一緒に出場した選手は
日本の代表とは言えない様な扱いはあまりにも酷い放映と言えます。
オリンピックの意味を伝え、日本中にスポーツの素晴らしさを伝える
大切な役目が単なる商業主義に走ってしまったことは、未来の
オリンピック選手にメダルを獲得する事がオリンピックの目的で
在る様に思わせてしまいかねません。
そんな気持ちでスポーツに携わる選手ばかりになれば、いずれ
その種目はすたれていく事は目に見えています。

素晴らしいスポーツはそのパフォーマンスのみならず、人としての
成長を促します。日本人だけでなく、世界の人々との心の交流が
最大の収穫である事をメディアは伝えるべきだと思います。
番組の放映枠の問題もあるかもしれませんが、テレビの影響は
学校教育に勝るとも劣らない影響を与えかねません。

今や、テレビ番組はその場限りのつまらない内容が多くなりました。
ドラマも3ヶ月でこじんまりと作られ、人の目を引くような意図的演出で
内容の薄いものが多くなりました。

少なくとも、スポーツは何が起こるか解からないドラマが有ります。
ゆえに、オリンピックやワールドカップに人々は引き付けられるのです。
演出の無いドキュメンタリーだから面白い筈です。
そして、そのドラマを創りだすのは出場したすべての選手たちす。
どの選手にもその可能性があり、誰もがスターなのです。

誰かの演出構成でどうでもなる様なオリンピックは魅力がありません。
本当の実力の世界で戦うオリンピックが見たいし、様々なドラマを
見つけられる番組サイドの努力が欲しいのです。

ただ有名であったり、スポンサーが喜ぶだけの番組構成では
世界の一大スポーツイベントといえど、いずれ興味を無くし
テレビを見る事も無くなる可能性があるのではないでしょうか。