めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

梅雨入り

2013-05-29 13:28:07 | 日記
桜の花があっという間に緑のトンネルに変わり
鮮やかに歩道を彩っていた躑躅の花も今や
緑の生垣に変わってしまった。
もうすぐ暑い夏がやって来る。

今日は梅雨入り宣言があった。
やや重苦しい空模様、すぐにでも降ってきそうだ。
春の様なウキウキした花を見ることが少なくなった。

この季節鬱陶しい空模様ばかりが気になるが、ちょっと
川面の遊歩道や住宅街の庭を覗いてみると、様々な
植物がこの季節を象徴するかのようにその色形を
競っている。
殆どが夏の新緑を思わせる色合ではあるが、爽やかな
グリーンやブルーが多少なりともこの時期の蒸し暑さを
忘れさせてくれる。

人にとって鬱陶しいこの雨のシーズンは植物や動物にとって
子孫を育む大切な季節。つまりは我々人類にとっても
大切な時期なのだ。もし雨が全く降らなくなったら、、、。
考えただけで恐ろしい。多少濡れてもこの幸せを感じたい。








美味しい江戸前の魚が食べたい

2013-05-28 17:55:56 | 日記
最近の子供たちは肉も魚もお店にあるものと思っているのか
自分たちの体は地球の他の生き物のお蔭で出来上がっている
と言う事が解っていない。

牛も豚も肉になる前は我々の為に命を絶っている現実を知らない。
社会もその部分は見せない様にしているから、子供達だけでなく
大人でさえも命の大切さが解からなくなってきている。

我々が自然の命をもらって生きているという事を一番簡単に
感じられるのが釣りだと思う。
自分で釣ってその魚を自分で料理して食べるという行為は
きわめて原始的であるが、地球の生き物が自分の命を支えている
のを実感できる一番身近な学習ともいえる。

私は幼い頃から釣りが大好きで、仕事が無ければ毎日でも行きたい。
東京にいるとありとあらゆるものが手に入り体験できるのだが、
自然のしかも野生の命の躍動をてっとり早く感じられるのが釣りだ。
竿を通してやり取りする生命の躍動感は子供にも大人にも新鮮だ。

先日またいつものポイントにでかけた。
船釣りと異なり、岸から探るので中々大釣りはできないが、家族で
食べる分のオカズは賄える。
今回は思ったより釣れず、三匹三種類。でも、江戸前の魚だ。

よく東京湾の魚は汚染されているとか臭いとかいう人がいるが、
今では検査をしても有害物質や化学汚染物質は殆ど検出されず、
むしろ東京湾の魚は他の地域よりも高値で売買されている。

だが、東京湾で釣った魚が臭いとか食べられないとかいう人は
多い。かつての高度成長期の東京湾は本当に汚染されていた。
しかしながら、今では多くの漁業も復活し、養殖放流も盛んだ。

魚が美味しくないという人は意外に釣り人に多い。
釣るけど食べないという釣り人は結構いると思う。
もともと魚嫌いの人もいるが、中には釣った魚は食えたもんじゃない
と言い張る釣り人もいる。

だが、魚はちゃんと処理をすると本当は絶品なのだ。
どんなに新鮮な魚も市場を通すと最低一日二日かかってしまう。
だが、釣った魚は数時間後には食卓に並ぶことが出来る。

なのに何故まずいのだろう。
それはその処理法と時間が問題だ。
どんな魚も美味しくするには、釣ったら直ぐに血抜き処理を行い
クーラーやビクの中でしばらく生かしておかないことだ。
ストレスがかかると肉質はどんどん悪くなるし、後で料理しても
美味しくなくなってしまう。
釣ったら直ぐに血を抜き、できたら内臓も取り、クーラーの中で
帰るまで冷やしておくのがベストだ。

また、帰ってその日に直ぐ食べても美味しいが、一日冷蔵庫の中で
寝かせると魚のアミノ酸量が増しより美味しくなるのだ。
身の硬い白身の魚は少し冷蔵庫の中で熟成させ、赤身の足の速い
イワシやサバなどはその日に食べると新鮮で美味しい。
釣った魚が料亭の魚になるか、生臭い魚になって嫌われるかは
釣り人によって決定されるのだ。




渋谷おはら祭り

2013-05-23 16:13:00 | 日記
今年も鹿児島県のおはら祭りが渋谷で開催された。
数日前の予想では当日の天気が下り坂であったため
開催を待ち望んでいる多くの人達をやきもきさせたが
思いがけず当日は好天に恵まれ、地方から参加した
多くの踊り手たちも大喜びだった。

この日ばかりは東京のど真ん中の渋谷に鹿児島弁が
飛び交い、踊り手達も大都会の大きな会場で踊れる
解放感と喜びにあふれていた。
私も妻が鹿児島出身という事で毎年参加させて頂くが
歩道から眺めるのと異なり、道路の真ん中で参加できる
楽しさは踊り手共々ワクワクするものだった。
私は記録係として写真を撮ったのだが、昨年に比べ
妻の連の踊りが一段と美しくなったことにシャッターを
押す指にも力が入った。

踊りの内容は多くの団体グループが踊りの連を作り
渋谷の幹線道路をパレードするのだが、これには
単に踊りを披露するだけでなく、コンテストも
兼ねているからどのグループも力が入る。
毎年入賞するグループは限られてくるのだが
今年こそはと意気込んでくる連も多く、最後に
発表される順位に一喜一憂する姿は来年への意気込み
をより大きく感じさせる。

残念ながら我妻の連は入賞を逃してしまった。
一時がっかりと肩を落としたが、来年への力が
皆の心から湧き上って次回への強い思いがさらに
強い結束を生んでいることに安心と羨ましさを
感じた。
私の出身県にはこのようなエネルギーが無い。
でも一緒に関わることにより、人々の故郷愛を
体感できることに喜びを感じる。






東京湾の幸

2013-05-13 13:45:28 | 日記
お天気が良くて風が穏やかだったので
久し振りに釣りに出かけた。
釣りは趣味として何十年も前から続いて
いるのだが、中々チャンスに恵まれず
月に一度か二度しか行けない。

東京湾の湾岸にあるいつものポイントで
のんびりと釣り糸を垂れる。
もうすぐ日没の頃からまずイワシを釣る。
餌は付けない。サビキという針だけが何本か
付いた仕掛けを海中に落として誘う。
暗くなると釣れないのでほんの一時間弱の釣りだ。
しばらくすると、まるで鯉のぼりのように
何匹もぶら下がってくる。
イワシは手で触ると鱗が直ぐに剥がれ落ちるので
全て針外しで取り直接クーラーに入れる。
日没までに30匹程釣れただろうか、暗くなると
いよいよ目的の夜釣りが始まる。

餌と小さな錘だけが付いた仕掛けを海中に落として
竿と糸の感触だけで釣る、なかなかスリリングな釣りだ。
日没から30分程で満潮、この時間が勝負だ。
直ぐに鋭い横殴りの引きだ。
この荒々しさは小さなスズキ、つまり20センチちょいの
セイゴのお出ましだ。
立て続けに食いついてくる。

表層を探るとセイゴがくるので少し海底を探ってみた。
やや重い当り。
上がって来たのは20センチ程度のカサゴだった。

夜釣りの目的は美味しい黒メバルだ。
今年はあまり釣れない。
メバルは水面近くに浮いてくるので表層を引いてみた。
ガツンと気持ちいい当り。
やっと目的のメバルが釣れた。

翌日甘辛の煮つけで東京湾の幸を味わった。
釣った時の血抜き等の処理をしっかり行うと
絶品だ。
イワシは梅煮にすると骨まで美味しい。
もちろん沢山釣れたらオイルサーディンで
賞味することは言うまでもない。




美しい街並みへの配慮

2013-05-09 14:17:46 | 日記
最近街を歩いていると、新しいビルやマンション
更にはアミューズメント施設の建設方法が変わってきた。
以前、バブルの頃や高度成長の時期に見られた、土地の上には
何でも勝手に建てて周りの景観を全く無視した都市計画が
当たり前だったのだが、最近特に空間の利用の仕方に工夫や
配慮が感じられる様になってきた。

西新宿のビル街に見られるような、やたらと高くて威圧感のある
高層建築から、巨大にもかかわらず空に伸びる高層ビルの存在が
色や形、そして建材の細くしなやかな材質の開発により、美しく
軽やかに感じられる様になった。

また、道路上の交通標識も見やすくなっただけでなく、空間に
溶け込むように工夫されている。

伝統的な建築物や色彩で統一された美しい街並みが有名な都市が
多く見られるヨーロッパの様な景観保存の方法も考えられるが
日本の都市の様に毎年新しい建物に変わっていくような場合、
新しく作られる建造物は自然空間を損なわない形や色を考えて
行くことによって新しい街の景観が造られていくのではないだ
ろうか。