消費経済社会は、より豊かな生活を行う為
常に勝者であることを求められます。
勝者になる事で得られる社会的地位名誉そして
自分の欲望が叶えられるとあって、誰もが、
幸せへの道と信じて疑いません。
戦後、世界の経済大国への道が、日本人の幸せへ
繋がると日本人の多くが考えていたのです。
あれから半世紀以上が経って、本当に日本人は
幸せになったと言えるのでしょうか。
果てることない欲望を満たすために、常に
上を目指し、周囲の人を蹴落としても、さらなる
豊かな暮らしを求めたことで、どれ程幸せを
手に入れたと言えるのでしょう。
勝つことは人間にとって素晴らしい快感を与えます。
しかし、勝つ事に因り負けた者は、敗者として
勝者の下に位置づけられます。
人に勝つことを自分の価値とすれば、負ければ、
己の価値観が失われると言えるのです。
簡単に言えば、幸せでなくなると言う事です。
つまり、負ければ、常に屈辱を味あわされ、
次に勝利を得るまでは幸せを味わうことが出来ません。
その苦しみに耐える為、心の中には、悔しさと
屈辱が続くのです。勝っている時にしか、幸せを
心から感じる事がないのです。
戦いと勝負を求めるスポーツの世界に於いては
見ている人もプレーヤーも心から楽しめると言えますが、
これが国民の日常となると話は違ってきます。
自分の周りにいる人を、例え家族であっても友であっても
経済価値社会的価値でしか判断できなければ、いつも
心が安らぐことなく、人を見る目が常に批判的と成って、
相手の事を認められない、極めて自己中心的な考えで
周囲とトラブルを生みやすくなってしまいます。
問題は、自分の意思表示が、本心からでなく、社会的な
価値であったり批判差別へと発展しやすく、常にトラブルや
諍いを起こし役くなってしまうのです。
人を認められないと言う事は、自分自身も認められなくて
心が安らぐことは無く、ストレスを生むだけなのです。
その結果、生活の豊かさに関係なく、日本人の心と身体は
休まることなく、様々な病が発症しやすくなるのです。
現に、日本人の多くが、何だかの病気に苦しんでいる事が多く
一見豊かで幸せそうに見える人も、実際には様々な病で
苦しんでいる事が少なくないのです。
日本人は、心と身体を傷つけながらそれを癒す為に多くの
時間とお金を費やしていて、何とか、健康になろうと
様々な治療を行い、より豊かな生活を行えば良いとして
頑張る事で益々ストレスが増し、悪循環を繰り返しているのが
日本人の姿と言えるのです。
資本主義社会の華やかで豊かな暮らしをするも、自分の思いとは
裏腹に、心と身体は大きなストレスを与えられ、逃れられない
苦痛の繰り返しと成っているのです。
スポーツであろうが仕事であろうが、人は常にチャレンジをして
新たなる未来を生み出していくのですが、そのためには、生きる事に
不安の無い、常に人間関係に幸せを感じなければなりません。
チャレンジには多くのトラブルがつきものです。しかし挑戦を
していかなければより楽しい未来はやって来ません。
その為には、誰もが、基本的人権が守られ、更に、日常的に
未来を安心して迎えられることが大切です。
それこそが、国民が皆、安心して幸せを感じられる世界なのです。
多くの人から常に守られ祝福されている人生が有ってこそ、
新たなる挑戦が出来、次のステージにチャレンジできるのです。
現代社会は、社会全体の経済性を保つために作られた社会であり
国民一人一人の幸せを考えた社会では有りません。
どんなに経済的に豊かと成っても、人々から心から信頼されず
人間としての価値を見出されなければ、幸せに成れないのです。
今やメディアを通じて、国民がいかに生きれば幸せと成るかを
世の中の一部の人達の利益を得るために国民を洗脳します。
毎日流れるテレビコマーシャルは、国民にいかに生きて行けば
幸せに成れるかを伝え続けますが、それは、国民が幸せに成る
と言うよりも、商業的利益を目論んだ様々なトラップは、
いとも簡単に国民の心を捕まえます。
次から次に提供される消費物質は、国民にとって魅力的とは言え
それが仕組まれた罠とは思いません。幸せに成る為と稼いだ
お金を次々につぎ込みます。
こうして資本主義消費経済社会が成立していくのです。
所が、幸せに成るとして手に入れたものが、手に入れば幸せに
なると思いきや、すぐに、次なる魅力的な物を見せられます。
その途端、それまで幸せを生んでくれる素敵な品物と思って
喜んでいたものが途端に色あせてしまいます。
そう、これこそが、消費経済社会の落とし穴で、留まることない
消費のエンドレスに巻き込まれて行くのです。
とは言え、お金を使い欲しいものを手に入れる事は、人々の
消費意欲を高めるもので、ある意味満足を得られるのですが
次々に欲望の対象が変わる事で、本当に自分が欲しいものが
解らなくなってしまうのです。
社会がメディアが良いとする物を常に求める事で、しだいに
自分自身が求める物が何なのかが、与えるがままに食べ続ける
家畜の様になってしまうのです。
これこそ、資本主義社会をリードする人たちの思う壺と
言えるのです。
確かに、戦後の何もない時代にはそのような生き方であっても
良かったかも知れませんが、現代社会に於いては、社会も成熟し
より人間として豊かな生活を求められているのです。
食べる事で精一杯の頃はともかく、現代社会は、お金さえあれば
何でも手に入る時代と成って、誰もが自分の好むものを手に入れ
物欲を満たすことが出来ます。
しかし、この自分の思い通りになるとする、消費経済社会の感覚を
そのまま対人関係に於いても用いられると様々な問題が生まれます。
誰もが自分の思うが儘に自分の意思表示を行えば、当然、対人的に
諍いが起こるのです。
人類の歴史に於いて、様々な争いの原因の多くが、この対人的な
諍いが始まりと言えるのです。
より我欲を満たそうとすることで、人々は争い、世界中で数知れずの
戦争が行われて来たのです。
いわゆる陣取り合戦によって、食料と資源を奪い合ったのです。
しかしながら、現代においては、そのどちらも枯渇し始めていて
地球温暖化に伴う異常気象も有って、人類にとって、非常に苦しい
時代と成っているのです。
誰もが自分の主張をすれば、人類の未来を危惧しなければならない程
事態は悪化しているのです。
更なる問題は、消費経済社会を多くの国が目指した結果、人間同士の
意思の疎通が損なわれ、人々の普段の暮らしに於いても、お互いに
心と身体を傷つける事が多くなっているのです。
人の気持ちが解らない事から、お互いに傷つけあう可能性が高く
トラブルを如何に避けるかが人々の生き方となって来ました。
人を傷つけたり傷つけられたりしない為に、必要以上に対人的に
過敏と成ったり、また逆に相手の気持ちが解らない事から、
様々なハラスメントを生んでしまったりしているのです。
幼い頃から人と競争することを強いられて育って来た日本人は
消費経済社会を続けるに連れて、次第に心に大きなストレスを
抱き始めるようになったのです。
外見的に豊かな暮らしをしているのに、現代の多くの日本人は、
常にストレスに晒されながら生きていると言えるのです。
しかし、社会は、人間の心の苦しみを他所に、人間の幸せは
経済的な豊かさにあるとし、政府の方針も、経済性の高さが
国民の幸せと考え、高度成長期と何だ変わらない社会政策を
主張しています。
多くの国民は、自分の心の気持ちを表に出さず、出来るだけ
トラブルがない様に社会の流れに合わせようとしていますが、
日本人の本心は、外見とは裏腹に、多くの方が病んでいるのです。
世の中が不況と成り、世界中から食料と資源が不足して来たと言えど
一番の問題は、このメディアが多く取り上げる地球の危機ではなく
私達人類の心の危機なのです。
地球温暖化になり、世界中が気象異変で苦しむも、乱獲汚染で
食糧危機と成ろうも、本当の危機感は人間の心の退化なのです。
太古の昔から、生きる為にお互いに助け合い労り有って生きてきたのが
消費経済社会と成ってから、本来の人と人との結びつきを失い
更には、長きになって生かされて来た大自然を破壊して来た事で
人類は、自らの首を絞める結果を生んでしまったのです。
これまで、地球上で500万年以上に渡って繁栄を続けられたのは
自然との関わり合い人間同士の関わり合いを大切にして来たからと
言えるのです。
今や、取り返しがつかない程地球は破壊され、人類は、その報復を
受ける事と成っているのです。
近い将来、やはり、人類は他の生き物と共に絶滅を迎える運命に
あるのかもしれません。
しかしながら、私達は生きている限り、私達を生かしてくれた大自然と
お互いに助け合ってきた人間関係を修復することが需要です。
身の回りの人と自然に対して、五感をフルに生かして、自分のできる
最大の役割りを果たして行く事が大切と思われます。