めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

原子力発電所と核ミサイル

2018-03-08 18:08:48 | 戦争

また、あの日がやって来ます。
7年の月日は、新たなる時代を生み、人々の歴史を生むはずなのに、
その時は止まったまま、悪魔が成せるような瞬間から、全く
時が止まったかのように、苦悩の日々が続いています。

遠い過去の様に思えて、全く同じ恐怖が消えていない苦しさは
ニュースでしか知らされない多く人々にとっては、想像もできない
悲しみの連続と言えます。
私たち人間は、長い歴史の中で、自分達の脅威となるもの、私達に
被害を及ぼすものと思われる物には、様々な方法を講じて対処して
来たのですが、近年の人類に対する脅威は、益々、目に見えない、
想像し得ないものとなって来ました。


文明社会の急激な進歩は、公害という形で人々を苦しめるだけでなく
その被害は、地球規模となり、今では、地球の気象を変えてしまう程と
なってしまいました。
地球温暖化と言っても、私達は、単に、地球の気温が暖かくなった
位にしか感じる事が出来ないのですが、ほんの数度、地球全体の
平均気温が上昇しただけで、多くの穀物が採れなくなり、一段と
砂漠化が進行すると言われています。

生活していく上では、何の問題の無い様に思える気温上昇が
私達が生きて行く為の食料を激減させると言う事実を、
豊かな先進国は、自覚する事が出来ません。
目の前に、世界中を巻き込む食糧危機が近づいていると言うのに
明日も明後日も、食べたいものは間違いなく手に入ると思っている
現代人はとても多いのです。

所で、人類の必要とする電気エネルギーを得る為に造られた
原子力発電所は、人類にとって、救世主といえる程の存在です。
化石燃料を使うよりも遥かに効率よく莫大なる電力を生む
原子力発電は、いまでは、世界中の国々の電力を大きく賄い
危険な核廃棄物を生むとしても、私達の環境に直接買被害を
及ぼさないとあって、人類の発展に大きく貢献すると
考えられてきました。

しかしながら、アメリカのスリーマイル島の原子力発電所事故
ロシアのチェルノブイリ原発事故、そして、福島第二原発の事故と
一度、原子力発電所が持つ危険なパンドラの箱を開けた時、
人類にとっては、もっとも攻略しにくい難敵を抱える事と成るのです。

これまで、原子力の負の力を封印する事で、人類に大きく貢献
して来たのですが、もし原子力発電所が人類の手を離れて暴走した時
果たして私達人類は太刀打ちできるのか、その明確な答えが出せず
事故の周辺の地域は、いまだに目に見えない恐怖に怯えているのです。

日本には、稼働している原子炉よりも遥かに多くの停止した原子炉が
全国に在ります。
止まっているから、何の問題も無いと思われがちですが、原子炉を
安全に停止させておくだけで、何兆円ものお金が必要であると
報じられています。
もし、何だかの異常が生じて、原子炉の温度が上昇する事で
核分裂反応が異常に高く成ったら、福島の二の舞と成ってしまい
またもや未曽有うの被害をもたらしてしまうのです。

しかしながら、原子力発電所が恐怖となる原因は、これだけでは
有りません。
今や、隣国からのミサイルの脅威に、我が国だけでなく、遠く
アメリカであっても戦々恐々としているのです。
ICBMの開発は、世界中を核戦争に巻き込む可能性が有り、
今後如何なる状況が生まれるか、南北の対話が有ったとは言え
何だ解決する保証はないのです。

最悪の事態が生じた時、ミサイルは、多くの人が生活する
都市部や軍事基地に向けられると思われる方が多いのですが、
最も恐ろしいのは、核ミサイルの標的が、原子力発電所に成る事です。
多くの原子力発電所は、メルトダウンによる内部からの破壊には
弱いのですが、外部からの攻撃には、極めて頑強に作られていて
通常兵器で原子炉が破壊されることは無いと言われています。

しかし、核攻撃を受けた時、果たして、原子炉を損傷しないかとは
言えないのです。
核爆発が起こると、その中心部の温度は、建造物を蒸発させる程高く
実際にその様な事態が覆った事が無い為、大丈夫だろうと言う想定で
世界中に多くの原子力発電所が作られているのですが、もし、
原子力発電所を核ミサイルで狙われた時、核爆発がメルトダウンを起こし
大きく環境を汚染してしまう可能性が有るのです。


福島第二原発が爆発して、広範囲に降り注いだ大量の放射能物質は、
除染されていない地域では相変わらずの高い線量であり、多くの
野生動物や植物は、高濃度の放射能物質を取り込み、生態系に
大きな問題を生んでいます。
除染が済んで安全と言われる地域は、居住地域のごく限られた場所で
殆どの土地はあの時のままの汚染状態に変わりは有りません。


多くの災害は、たとえ大地震の後であっても、月日が過ぎるにつれ
次第に復興し、新たなる街が作られ、人々も元の様な生活が出来る
可能性が高いのですが、この原子力関係の事故は、何年も復興せず
放射能によっては、数千年数万年もの半減期が必要である事も有ります。
つまり、私達人間の生活尺度では測れない、途方もない行く末まで
人間を含めあらゆる生き物に影響を与える可能性が高いのです。


我が国に於いても、原子力発電所の数だけ、核爆弾を持っているとも言え
正に、両刃の剣の様に、私達日本人を苦しめる結果となりかねません。
私達人類が、経済的に豊かになる為に、地球上のあらゆる食料と資源を
利用して来た事が、近年、次々に裏目に出てきていて、生活が豊かになる
その代償は、私達の未来を失う事になるかもしれないのです。

私たち人類は、地球の支配者になったとは言え、自分達の幸せだけを
考えて経済成長して来た事が、地球上のあらゆる生き物達を苦しめ
絶滅に追いやっている事を深く考える必要が有ります。
どんなに文明が進歩しても、私達は、地球の生き物の1つとして、
他の生き物を命の糧として利用しなければなりません。
しかし、その私達の命の綱を自ら切り捨てる行為は、自分達の未来を
閉じる事と成るのです。

目先の利益しか考えない人は、今が幸せであれば良いと思うかもしれませんが、
人類繁栄の影響は、年々顕著になり、私達の生活を苦しめている事を
理解しなければなりません。
多くの発展途上国の食料不足、世界で頻発するテロ、経済格差、戦争
その全ての根源は、私たち人類が、太古の昔から守って来た、
食物連鎖を無視して、一方的に食料と資源を搾取した事に有ります。
世界の人々に、大きな経済格差を作り、一部の人達が大多数の人々を
支配し、食料と資源を独占している事が、人間同士の諍いを多くし
地球環境を更に悪化させていると言えるのです。

 

 

 

 

 


リーダー達の我儘が世界を滅ぼす

2017-11-22 17:37:54 | 戦争

アメリカのトランプ大統領は、更なる強力な制裁を
北朝鮮に科す事で、核放棄に従わせようと考えていますが、
この行為は、北風が太陽と、旅人のコートを脱がせようと競う
物語と似ています。
どんなに北風が強く吹き付けても、旅人はコートを脱ぎ棄てず
太陽の暖かい光が旅人のコートを脱がすと言うものですが、
大統領は、本当に、核放棄が出来ると考えているのでしょうか。
北朝鮮のこれまでのかたくなな態度は、いかなる手段を持ってしても
屈服するとは言えず、ますます、軍事的解決にしか道を見いだせず
世界の人々にとって、余り好ましい方法とは言えません。

日本に於いても、戦国の世から、兵糧攻めと言う戦術が有り
敵を屈服させる方法として使われてきましたが、現代社会に於いて
果たして有効であるかと言えば、余り期待できないと言えるのです。
強力な制裁処置を行ったとして、一体、誰が利益を得ると言うのでしょう。
当然、北の幹部にはなんの効果も無いでしょうし、苦しむのは
一般の民でしかないのです。
また、この制裁に反発して、ミサイルを発射した時、大きな被害は
免れず、もし核ミサイルが使用されれば、長きに渡って、人々は
苦しむ事と成るのです。

制裁の苦しさのあまり、交渉の場に出て来ると考える事は出来ず、
窮鼠猫を嚙むと言った事態になりかねないのです。
問題は、このトランプ大統領の対北朝鮮政策に、日本政府が
準じた行動を取っている事です。
既に、我が国は、アメリカと同等とみられている事も有って、
もしもの事態となれば、韓国と共に我が国も、無事では有り得ません。

アメリカも日本の防衛省も、緊急事態に対する防衛策を考えていると
発言していますが、この言葉に安心している日本国民は、僅か
であることは否めません。
半世紀以上も戦争をした事も、戦争を想定した国家を作って来なかった
と言う事実は、例え準備が出来ていると言っても、実践に於いては
とても日本国民を守ると言うには程遠いと言えるのです。

もし戦争となった時、アメリカの利益の為にアメリカは戦い、
その為には、韓国も日本も戦場に成っても構わないと言うのが
トランプ大統領の本音と言えます。
アメリカ本土の防衛のために、日本や韓国に米軍を駐留させ
極東の地域で戦火を止めようとするのが意図と言えます。
日米安保の下、日本を守ると言うより、その前に、日本と
韓国に居る米軍を守ると言うのが真相と言えます。

何故、戦争が終わっても、アメリカ軍は、日本各地に
駐留し続けるのか、沖縄で米兵による卑劣な犯罪が
何度も起こっても、決して沖縄から撤収しようとしないのは、
日本人がどの様な目に合っても、自分達の利益が優先していて
たとえ戦争と成っても、この態度は変わらないのです。

沖縄は日本の国土でありながら、その大半がアメリカ軍の基地
であり、住民は、彼らの支配下でその横暴さに辟易しているのです。
日本でありながら、日本の法律は全く通用せず、何が起こっても、
アメリカに都合の良い様に処理されているのです。

この現実を、戦後長きに渡って、日本政府は無視続け、沖縄が
日本に返還されたと言っても、島民たちは一向に日本人としての
幸せは得れないのです。
この事は、日本各地に散らばる米軍基地についても同じ事が言え
いまだ日本は、アメリカの支配から独立していないのです。

これ程にも、国民全体の思いを無視続けられるのか、表向きの
リップサービスが得意な政治家は多くいても、本当に、
国民の事を考えている政治家が少ないのは、如何に国民と
向かい合うより、多くの利益を与えてくれる方々と繋がって
いた方が余程待遇が良いと言えるのでしょう。


とは言え、戦後、これ程にも日本人としての士気が低くなった
時代は有りません。
世の中が不景気で、人々の気持ちが暗くなっているだけでなく、
日本を変えてくれるべき人たちが余りにも情けなく、
未来を夢見る事が出来ない国民が増えています。

生活が豊かになっても、心は豊かに成らず、社会的に高い
地位や名誉、更には財産を得たとしても、その成果を喜ぶ人は
誰も居ません。
自分の欲望の為に築き上げた社会的なポジションは、自己満足で
納得しなければならず、妬み誹り、誹謗中傷の対象と成らない様に
目立たない様に生活しなければならない方が多くなりました。

努力をすれば報われる、と昔の人は言いました。
報われるとは、その努力を認め、褒めたたえる人が多くなると
言う事です。
地位が上がればそれだけ多くの人から自分の素晴らしさを
教えられるのです。

様々な環境の下で、多種多様の人格が生れ、それを認め有る事で、
本当の自由と幸せを得たいとする人たちが増えていいるのです。
教育界に於いても、子供たちは、いじめという差別から卒業し、
其々の個性を認め合う事で、同じ時代を生きて行こうとしています。
その為には、お互いに誰しもが、本音でやり取りができる社会が
求められているのです。

争いは、お互いの立場を認めないで、自分の思い通りにしようとする事で
生まれて来るものです。
家族に於いても、友達同士であっても、会社の様々な組織で有っても、
更には、国家間のやり取りに於いても、お互いの立場を認める事は
最も大切な事と言えるのです。

当然、制裁によって思い通りにしようとするのも、危険なミサイルによって
相手の口を封じようとすることも、その根本の問題は、人間のエゴが
生み出す醜い争いと言えるのです。
更なる問題は、お互いの違いを理解としないで、自分の狭い知識から
勝手に相手の価値や人格を見下し、人間としての低い評価を下す事です。

今や、世界中の人々が、このヒステリックな感情に苛まれて
お互いに傷つけあう事しか解決の意図を見い出せない状態なのです。
人と人との関わり合いが薄れ、外見的な地位や財産、経済力が
幅を利かせる社会は、多くの物を得る事で、多くの人々を傷つけ
争いを生む原因を生んでいるのです。

直接に人としての関わり合いからの解決策を見出す事をしないで、
膨大なる情報から判断する事で、安易に物事を進めようとして
利益のみが優先した社会が増えているのです。
ネットによる膨大なる情報処理は、他人との関わり合いを無くし
単に経済性を優先した社会を作る事と成ったのです。

便利になると思われるネット社会は、人々が、その機械による
判断で振り回される事と成り、次第に、対人的に相手の気持ちを
理解する術を失う様になってしまったのです。
人との関わり合う場で、自分の気持ちを入れないで、便利で早い
コンピューターの力を借りる事に依り、一段とスピードアップし
経済効率を増したのですが、全ての情報処理が、人の手を介せず
機械同士の情報処理で成される事に依り、人々は人としての成長を
止めてしまったと言えるのです。

情報を片手に、まるで子供の様な感情で罵り合うさまは、
既に、対人的なやり取りを見失った様と言えるのです。
この事は、国家間のやり取りだけでなく、消費経済国家である
日本に於いても、多くの国民を悩ませる原因とも成っているのです。

人々がいつも関心を寄せるのは、手の平に収まったスマホの画面です。
例え大統領であっても、その画面に、自分の感情をぶつけています。
多くの人が一斉にスマホに釘付けに成って、周囲の環境をシャットアウト
する様は、正に、目の前の人から得られる様々な情報を遮断して
自分だけの世界に正解を求めていると言えるのです。

自分の興味だけを見つけられるネットの世界は、人々から、対人的な
直接伝わる人からの感情を受け取る能力を失わせ、お互いの行動や
言動が的確に行われず、常に、傷つけ傷つけられる条件を高めました。
現代人は、便利なスマホを持つ事に依って、社会に居ながら
社会から逸脱した環境に生きる様に成っているのです。

この事は、集団で協力して生きて行く人間社会に於いては、
様々なトラブルを生みやすく、便利とは言え、ネットの利用次第で
人を傷つけたり苦しめる事が非常に簡単に成ってしまうのです。
いまや、一国の大統領が、ツイッターで感情暴露をしています。
その安易な発言が、どれ程多くに人々に影響を与え、時に世界を
危機に陥れるかもしれないのに、本人は、その恐ろしさが全く解らず
まるで子供の様な感情で誹謗中傷の言葉を発信しています。
方や、核爆弾を搭載できるミサイルでおもちゃの様に遊ぶリーダー
どちらも、人間的に正しい判断を逸していると言えるのです。
どちらが正しいと言うより、どちらも世界の人々を不幸にしてしまう
可能性が高い事が一番の問題と言えるのです。

経済性を優先した社会は、人間の価値観を外見的なものとし、更には
あらゆる情報処理をコンピュータからの指示に従う事に依って
益々、人と人が関わり合って、お互いの思いを受け取りながら行う
人間の成長を兼ねた情報交換が失われてしまいました。
人間が自らの考えから創造して来た社会は、機械による判断により
更なる経済性と合理性を兼ね備え、究極のネット社会へと進んでいます。

当然、人間の判断より機械の判断が優先さえる事に依り、人が考え
人間にとって相応しいと思われる社会と言うより、AIが考える
機械と生物の最も適した社会が作られるかもしれません。
これまで、自分達の思うがままに利用して来た地球の資源や食料も
全て、機械によって管理され、人間としての考え方を否定される
と言うより、人間の存在自体を否定さえるかもしれません。

人類が、自分達の進歩の為に行って来た事が、地球環境に多大な
ダメージを与えた事に対する機械の判断が、果たして、私達を
この世に存在させるべきと考えるのか、地球生物の中で
もっとも危険で凶悪な生き物として処理されるか、最後の審判が
近い将来成される事になると考える学者も出てきました。

地球上に生まれた様々な生物は、幾度となく大絶滅を繰り返し、
様々な形態に進化して種を繋いで来ました。
そんな生き物の中で、人類は、あらゆる生物の頂点と成り
他の生き物達を利用して、自分達の種を繋ぎ、テリトリーを
広げてきました。

そして、その最高の知能を持った人類が創り上げたAIによって

人類は長足の進歩を遂げると思われていたのですが、
機械の能力は、私たち人類の英知を遥かに凌ぐように成ってしまい
今や、人類の未来を危ぶむ存在と考えられるまでになっているのです。

人類は、初めて、自然の力ではなく、自ら作り出した機械によって
絶滅させられるかも知れないのです。
その日は、遠い未来の様に思うのは人間だけの思いであり、
私たちの想像をはるかに超えたスピードで、機械の支配する世界が
間近と成っているとも言えます。

そんな非常事態に、人間同士が相変わらず罵り合って、自分勝手な

主張を繰り返し、世界中で醜い戦争やテロを続けています。
この醜い争いにも、多くのコンピューターが利用されているのですが、
ネットの世界は、人類の敵味方と言う考えに従い続けるとは限りません。
敵同士のコンピューターが優れたAIによって繋がってしまって、
どちらの人間も絶滅させる可能性すらあると言われています。

人間界で、お互いに内輪揉めをしている間に、私達がどんなに頑張っても

倒す事が出来ないとんでもない機械に世界を支配されるかも知れません。
一部の人達の身勝手な行動や考えが、世界中の人々を苦しめるだけでなく
人類存亡の危機を招きかねないとも言えるのです。








 

 

 

 

 


飛翔体ではなく、ミサイルであり、殺人兵器です

2017-08-29 14:15:27 | 戦争

またもや、日本の上空をミサイルが通過しました。
これまで何度も実験を行い、我々日本人も慣れっこに成っていますが、
ミサイルが日本国内に着弾しなかったとはいえ、この度重なる実験は
戦争と同じ事態であることを認識しなければなりません。
被害が無いから大丈夫と言えることではなく、日本は、常に射程距離にあり
爆弾が搭載されて、標的とされた途端、かつての火の海と成った恐ろしい過去が
現実のものと成るのです。

多くの日本人の今住んでいる地域が、既に、ミサイルの標的と成っていると言う
恐ろしい現実を実感していません。
たった一発のミサイルが飛んで来るのではありません。都市の数だけ、街の数だけ
一斉に私達の街に向かって飛んで来るのです。
アメリカ軍がその前に打ち落としてくれる、自衛隊が防衛してくれると言う幻想は
考えられない事態となっているのです。

そんな大げさな、と思える状態の時、突然やってくるのが戦争なのです。
東日本大震災の前日、誰があの未曾有の惨事を想像していたでしょうか。
戦争も大災害も、全く想像していない時に起るのです。
そして、甚大なる被害を受けた後、その被害から国民を守るべき人たちは
想定外という言葉を並べて、責任回避をするのが常なのです。

その結果は、いまだ多くの人々が悲しい過去を背負い、未来を見ることも無く
日々の生活に追われる毎日を送らざるを得ないのです。
大震災も戦争も、国民が避けることが出来ない悲劇と言えますが、起こる事を
止める事は出来ません。しかし、起こった時、どの様に備え、未来へ繋ぐかは
いつの時代に於いても出来るのです。

一番の問題は、ただ街を再建し、人々が生活できる様にする事だけなく、
戦争が災害が、悲しい思いとして暗い過去の足かせに成らない様に
様々な心のケアをする体制を整える事です。
戦争を行う期間より、終わってからの月日の方がずっと長いのです。
その間、戦争を正しく理解し、二度と悲劇を繰り返さない様な政策を
立案していかなければなりません。
ただ、憎しみと悲しいを背負って行く国民を育てる事と成れば、
人々の心は益々荒み、新たなる争いの火種を生む事にもなるのです。

今回の様な非常事態となっても、リーダー達は、国民の未来を考えた
名案が一向に浮かびません。
ただ、如何に戦争を回避するか、防衛を行い、被害を食い止めるかと言う
目先の事しか考えられません。
空しくサイレンの音を聞いても、突然鳴り響くネット情報を見たとして
一体国民の誰が守られると言うのでしょう。

今の状態で何とか事態の収拾をしようと考えても、もし、開戦と成ったら
次の一手は、アメリカと共同して国民を守ると言うのでしょうか。
今の防衛体制で、日本中の人々の命と財産を守れると言うのでしょうか。
もし、大きな被害が出た時、更なる策は、やはり、日本人を守る為には
軍隊の必要性を説くのでしょうか。
未来を考えれば考える程、我が国は、戦前の悲しい時代に逆戻りして
更なる争いに突入して行く様に思えてなりません。

第二次世界大戦後、近隣諸国は、我が国を憎む方向で国民を教育してきました。
確かに、日本人が犯した様々な蛮行は、多くの人々に耐えがたい苦しみと悲しみを
与える事と成りました。
その事に関して、我が国は、なんの言い逃れも出来ません。
ただ、戦争の不幸は、勝ち負けに関係なく、戦った国の人々に悲しい過去を生みます。
その悲しい気持ちを何かで癒す事は大切です。
とは言え、その気持ちを憎しみに変える事は、新たなる争いを生むだけでなく、
人々の心を人間として豊かに成長させる人生を歩めなくしてしまうのです。

考えの違う人の気持ちを理解したり癒したりする心を育てられなくなるのです。

争い傷つけば、傷つけた相手を憎みたくなるのは解るのですが、人を憎み続け
生きて行く事は、心に大きな負担を与え、周囲に暗い影を落としかねません。
戦争も災害も、人々の心が復興し、人間としての優しさや思いやりのある人生が
歩めるようにする事が大切なのです。
お互いに思いやり、慈しみ合う喜びを知る事に依って、戦争が如何に劣悪で有り
人間にとって最も醜い行為と言えるかが解って来るのです。

これから戦争に成ろうがなるまいが、今の政府の国民に対するケアと言えば、

戦争による直接的な被害を防ぐことしか有りません。
そして、戦争で大きな被害が出たら、大地震の後と同じく、街を復興させ、
前と同じような生活が出来る様にすることしか出来ません。
戦争によって受ける国民の心をどれだけケアできるか、具体的策が無いのが
現実なのです。人が住む街を再建しても、人々が望む街も人間関係も考えられず
その後長きに渡って、国民を悲しい過去の思いから癒す事は出来ないのです。

今の日本国民が置かれている生活環境と同じく、国民は、消費経済を維持するための

消費者であり、新たなる経済社会を作る為の人材に過ぎないのです。
便利で豊かと言われる今の社会で、どれだけ人々の心は荒み苦しんでいるかが
解る政治家が非常に少ないのです。
経済的に豊かになれば、国民は幸せと思っている大人になれない、物でしか満足できない
経済社会の申し子の様な政治家では、国民の幸せは理解できないのです。

大災害が有っても、戦争が起こっても、前よりも立派な街を再建すれば、

国民は、元の様な幸せな日々を送れると思ってること自体、ゲスな考えと言えます。
いまだ、金でほっぺたを叩く様な感覚の人達には、人と人の心の関わり合いは、
理解できないのでしょう。
少なくとも、ミサイルが飛んできても、彼らは、経済力で作り上げた立派な壕に逃げ
事なきを得るのでしょうが、自分達の命と未来を独裁者の一存で決められる国民は
たまった物では有りません。

現在の日本国民は、戦争に成ろうが、このまま事態が収まろうが、どちらにしても

心から満足できる社会に生きていないことは確かなのです。
経済社会を維持するために、働いただけ消費をさせられ、多くの社会的価値が有ると
されるものを身に付ける事で自分の心を慰めている悲しい国民であることを、
時のリーダー達が理解できない限り、この世のシステムを作っている人たちと
彼らに操られる政治家の世界は続いて行かざるを得ないのです。


開戦を肯定するデッドライン

2017-08-17 16:19:13 | 戦争

いよいよきな臭いにおいがプンプンしてきましたが、最近メディアで目に付く
デッドラインと言うのが有ります。
お互いに吠え立てるオオカミのデッドラインは、開戦を意味します。
様々な挑発行為に対し、具体的な軍事行動を指していますが、その基準を
何処に設けるかで、双方の戦う意味が変わって来ます。

どちらかが先に手を出す事で、出された側は、戦争への理由を定める事が出来

国民や支持者たちからの支持を得られやすくなります。
本来誰もが嫌う戦争への加担理由が、相手国の暴挙となると、正当防衛と言った
国民を納得させる便利な口実とも成るのです。

かつて、日本軍がハワイの真珠湾を奇襲した時も、一説では、アメリカは、

日本が先に手を出す事を待っていたとも言われています。
東アジアの脅威としてアメリカの世界支配を脅かすものと成りつつあった
日本を、兵糧攻めで孤立させながら、叩く機会を待っていたアメリカにとって
真珠湾攻撃は、絶好の口実となったのです。

どんなに軍事力が有っても、国民の支持が無ければ、単なる軍の暴走であり

下手をすれば政権交代ともなりかねません。
中国、韓国、北朝鮮と言った国々が、兼ねがね日本を敵対視し、小さい頃から
日本を蔑視する教育を行うのは、新たなる日本との争いや交渉事に於いて
自国の判断が常に正当化され、その時の政権が維持されるために他なりません。
国民の敵を、常に海外に向ける事に依って、国内に生まれる反対組織や
反乱組織の芽を摘む事にもなるのです。

しかしながら、国民が、正しい情報を得られない社会は、不幸な社会と言えます。

かつて、日本は、軍から発表される情報を信じた事に依り、国民の多くの命を失い
自分達の自由と未来を失ってしまいました。
戦争に負けて、事実を知った時、日本人は、軍事国家の恐ろしさ、戦争の悲惨さを
嫌と言う程学びました。その結果が戦争放棄であり、国民主権の尊重でした。

デッドラインに達しようとしている国々は、お互いの主張を崩しませんが、

この背景には、巨大な軍事力と、それに伴う巨大資本が蠢いています。
戦争による膨大なる利益が有るからこそ、危険な賭けに出ていると言えるのです。
方や、世界トップの軍事大国に対抗できるとする軍事力を作る事で、
自分の存在価値を国民に納得させようとする意図が有るのですが、その為に取られた
国内での数々の弾圧凶行、恐怖政治は、例え軍事力が高まろうと、国民の未来を
明るくすることは無いのです。

どちらにせよ、デッドラインは、国民にとって何の利益も無く、そのラインを越えて

開戦に踏み切った途端、両国の国民だけでなく、周辺国の多くの人々を傷つけ苦しめ
暗い未来を作る事と成るのです。
戦争は、基本的に、決定をした本人や周辺の支持者にとっては、安全が確保されていて
相手国に占領され、首脳部が攻撃されない限り、トップの人々には、危険は及ばず、
その代わりに、国民の多くが命を奪われ、生活の場を失ってしまうのです。

もし、戦争と成れば、どちらかの指導者が、必ず悲惨な最期を遂げるとなっていたら、

中々戦争は起こらないのです。
何処にデッドラインを設けるかは、国民にとっては何の意味もなく、被害を受ける日が
近くなるか遠くなるかであり、結局は、膨大なる国民が死の淵をさまよい、悲しみと
怒りで戦いの後もその記憶に苦しめられ続けるのです。

日本に於いても、デッドラインが、リーダー達や彼らを支持する企業人にはあっても

国民には在りません。
彼らが生き残り、良い思いをする為に戦いを選択し、国民は、その陰で捨て駒と成るのです。
そんなに戦いたいならば、首脳陣だけが、お互いの国から集まって、何処か南の島で、
殴り合いでもして決着を付ければ良いと思ってしまいます。

戦争は、殆どの国民にとって、とんだとばっちりとしか言いようが無いのです。

第二次世界大戦においても、日本国民が数百万人もとばっちりを受けて命を失いました。
戦う事でしか仕事が出来ない政治家は、そもそも外交的な交渉に関わってはならないのです。
戦いを決めたほんの一部の人々によって、膨大なる国民が殺され、多くの国々が、その影響を
強く受け、戦った国だけでなく、世界中の国々の人々に苦しみと悲しみと、怒りを生むのです。

戦争は、今や、その周辺国だけで片付くものでなく、使われた兵器により、人類の未来にも

悲惨な結果をもたらしかねないのです。
戦争は、戦争決定者のエゴイズムで成されるのであって、国民の意思ではないのです。
国民が開戦を祝福するのは、それまでの、メディアにおける洗脳の結果であり、
戦いは、国民を、事の正義、嘘、誠に関係なく、圧倒的な支持が有ってこそ意味を成すのです。

今の日本は、開戦と成っても、国民の圧倒的支持は得られません。

何故なら、国民の心に、諸外国を憎み嫌う心が育っていないからです。
戦争放棄と共に、国民の意識は、常に、正しいものに素直に目を向ける様になっているからです。
これこそ、日本が諸外国に胸を張れる事であり、近隣国が、子供達に、反日教育をしているのとは
雲泥の差であり、日本人が誇るべきものと言えるのです。

しかしながら、近頃、日本社会も、あらゆる場面で、国家への服従を示唆する流れが生まれています。

国民全員に番号を付けたり、様々な集会を監視したり、軍事力を持つことの正当性を訴えたりと
平等社会と言う理念から、より、確実な縦社会への移行の意思が感じられます。
つまり、トップの意向は絶対であり、ピラミッド構造の様に、国民は、リーダーの考えに
有無を云わず従わざるを得ない社会に向かっているともいえるのです。

戦後72年、対外的な争いを免れたものの、またもや戦前の閉ざされた社会が頭をもたげ、

国民が、生活だけでなく、心まで支配される恐ろしい時代がやって来るかも知れません。
ミサイルが日本に着弾するかもと言う恐怖を持って、我が国もその脅威に対抗すべき力を持つべきと
軍事力に期待する方々も多く、昔の戦争成金と言う嫌な言葉が思い出されます。

また、もしも、戦争と成って、日本の街が大きな被害を受けたとすると、当然、その怒りは未来への

報復へと向かい、それを利用する軍事国家へのたくらみを抱く方々も増えるのです。
戦争は悲惨であることが一番の問題ですが、戦争は、膨大なる利益を目論む人たちにとっては
喉から手が出る程楽しみとも言えるのです。

日本に有る大手企業に於いても、これまでの戦争で会社を大きくしてきた事実もあり、国民の犠牲が

企業の発展に繋がっているともいえるのです。
これは、世界の歴史を紐解いてみても、戦争によって、産業が発展した例は数知れず有るのです。
第一次世界大戦も第二次世界大戦も、膨大なる数の戦死者が出て、傷ついた人々は、数千万とも言われ
その人的被害や物的被害を見れば、世界中の人々が眉を顰める物と言えるのですが、その反面
戦争によって発展した産業は、現代の大手企業にまで続く巨大企業を生む事にもなっているのです。

これまで、アメリカは、世界中に派兵して、多くの戦争に関わって来ました。

表向きは、世界のポリスとして、戦争を制圧し、平和な国を創るとして来ましたが、その裏では
まるで植民地の様にその地に駐留し、多くの利益をアメリカに吸い上げるシステムを構築して来ました。
当然、今回戦争になった後、どんなに悲惨な結果となっても、その後の利益のイニシアティブを
目論んでいるのは明らかなのです。

そんな、商人そのもののアメリカに、腰ぎんちゃくの様にくっついていれば、安全を守られ、更には

おこぼれを頂戴できると考えている様では、日本は、これまでと変わらず、アメリカ資本に支配され
戦後72年と言わず、100年以上も植民地化され続けると言えるのです。
自分の利益しか考えられない様な人は、リーダーと成ってはいけないのです。
幾らパフォーマンスが上手でも、弁舌が豊かであっても、実質、国民の苦しみが癒されなければ
無能の政治家と言わざるを得ないのです。

日本国民は、国民同士、心のやり取りができ、大自然と共に共存できる民族です。

目先の便利さや経済力で満足するような器の浅い民族では有りません。
もっと国民の意思に基づいた、日本国民全員を幸せに導くことを考えられる政治家や企業人が
生れない限り、いつまでも、アメリカ経済大国の尻尾にしがみついていなければならないのです。

 

 

 

 

 

 


地球破滅を呼ぶ核戦争

2017-08-16 12:36:41 | 戦争

人と人との関わり合いは、お互いに相手の非ををののしり合っても、
思い通りの展開となる事はほとんど無く、増して、非を見つける事で
相手が心を動かす時の思いを理解できなければ、自分が思う様な利益も
目的も達成できないのは明らかです。

人は、自分の思い通りにならない時、無理やり力を持って相手を動かしたり
ひれ伏させようとして、個人的にも国際的にも、果てしなく争いの歴史を
作って来ました。
人間ほど、同じ種でありながら争いを好む生き物は居ません。
生き物の中で最高の英知を持ち合わせていると言いながら、お互いに争い
苦しみ憎しみ合いながら、多くの不幸を知る事で、争いの無意味さ
悲しさ苦しさが解っていながら、何度も繰り返すと言う事は、実際は
生き物としては、かなり低いレベルと言わざるを得ません。

しかしながら、この面倒な人間が、地球を支配しようとすることで、
様々な問題が起こってくるのです。
余りにも人口が増えてしまった事で、当然、生き物としての食料調達が
争いの始まりとなり、更には、快適な生活を送る為に、他よりも多くの
資源を獲得しようとします。
エネルギーを得るための手段も、今や、原子力エネルギーに頼るまでになり
膨大なエネルギー消費が、人類の未来を危うくしているのです。

とは言うものの、これほどまでに人類が地球環境を破壊しているにも関わらず
今や、争いは、人間同士だけでなく、全ての生き物達の生活にも関わるほど
深刻な事態が予想されるのです。
もし、核戦争が起こった場合、その未来は、如何に悲惨であり、地球全体の
様々な生き物の絶滅をも考えられるのです。
この圧倒的な破壊力は、多くの人々を殺傷するだけでなく、人間を含めた
地球上のあらゆる生き物達をも地獄の世界へと撒き込む可能性が有るのです。

つまり、核戦争の可能性は、地球の生き物全体を破滅に導くとも言え、
お互いの挑発から、どちらかが火蓋を切った時、人類の未来への危機が
一段と高まると言えるのです。
それ程にも大きな意味が有る事に、どれだけ彼らは気が付いているのでしょう。
単に、感情に任せて、安易に戦争を始めれば、自分達もまた、核の洗礼を
免れないのです。

たとえ生残ったとして、世界中の人々や生き物達が次々に死に絶えて行く事を
自分の望んだ事として納得するのでしょうか。
地球に於ける生き物達のバランスは、非常にデリケートで巧妙に出来ています。
あらゆる生き物が様々な環境で食物連鎖の下、お互いにテリトリーを保ち
バランスを取りながら種を繋いでいるのです。

私達は、生き物の頂点として、自分達に都合の良い環境を作って来ましたが
それでも、絶対多数のその他の生き物達の食物バランスが無ければ、
人類の存続は考えられないのです。
私達人類が生き物の頂点であるなら、それを支える一番下の大切な生き物は
殆ど私達が目にすることが出来ない、微小生物でありプランクトン類なのです。

あの巨大なシロナガスクジラでさえ、オキアミや小さなプランクトン類が無ければ
あれ程の巨大な身体を維持できないのです。
この小さな生き物を捕食するより大きな生き物や魚たちがピラミッド状に在って
その頂点に人類が居るのです。
私たち人類は、私達より少し手前で生きている魚介類を獲って食料としています。
多くの人が、魚介類を増やせば私達の食は大丈夫と思っていますが、私達が
簡単に口に入れる魚一匹が食料となる為には、その前に、卵から生まれて
大人になるまで、天文学的な生き物達が餌として存在しなければならないのです。

問題は、私達の生活が、食料と成る魚介類を汚染や乱獲で減らした、と言うよりも
その魚介類を育てる多くの小さな生き物達の環境を壊したことなのです。
東京湾の湾岸の海は、近年、透明度が増し、綺麗になったと言われます。
しかしながら、生き物達の姿は増えていません。綺麗になれば、魚たちは増えると
安易に考えていると、いつの間にかにプールの様な死の海になってしまうのです。

東京湾には、様々な化学物質が流れ込んでいて、浄化された排水が流れている
と言っても、それは、人間の都合で決められた値であり、大型の魚介類が
生きて行ける程度の浄化なのです。
当然、魚達が食料としているプランクトン類にとっては、生活繁殖できない為
小魚が生活する、命の揺りかごと言われる浅い水域には、餌が足りなくなるのです。

山からの栄養は、多くのダムや水利工事で海まで流れ下る事無く、更には、
小魚たちを育てるプランクトンが増えないとなれば、いくら外見的に綺麗でも
そこは、生き物達にとっては死の海と言えるのです。
こんな海や川が日本中に多いのです。
海に遊びに行っても、殆ど生き物が見られない、綺麗に透き通った水際は、
生き物達にとっては、好ましい環境とは言えないのです。

人類の進化は、私達の生活に長足の進歩を与えましたが、多くの生き物にとって
単に環境を破壊し、繁殖生活が出来ない生き難い場を作ったに過ぎません。
世界中の人類が生活する場の近くにある自然環境が、如何に破壊されて来たか
そして、その結果、私達の生きる糧が急激に失われているのです。

しかし、これに更なる追い打ちを掛けそうなのが、近代戦争です。
特に、核戦争とも成れば、地球の広範囲の生き物達に、多大な影響を与え
危険な放射能は、生き物自体の復活すら不可能とするかも知れません。
戦争をした後は、平和が訪れると言うのは過去の話であり、ひとたび
核のボタンを押した途端、人類のみならず、地球に生きる全ての生物に
絶滅のカウントダウンが始まると言っても過言ではないのです。

人類は長きに渡って地球を破壊してきました。
自分達が繁栄する為に、地球上のあらゆる物のを利用し、多くの生き物を
食として来ました。
しかしながら、今や、限界に達していると言えます。
生きる為の基本的な食を得る為の戦いが始まっているのです。
しかも、世界的な食糧危機が懸念されています。
こんな非常事態に、益々地球環境を悪くする戦争に踏み切る事は
人類にとっても地球にとっても最悪の手段と言えます。
今にも戦争になるかもしれない程ひっ迫していますが、今回は、
人類にとって戦争選択は、破滅を意味するのです。
如何なる双方の考えの違いが有ろうと、お互いに手を引く事しか
人類の未来を守る手段は無いと言えるのです。