めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

心の需要供給

2016-03-31 16:08:15 | 災害

自然界の仕組みも、私達人類の生活も、あらゆる物が
いわゆる需要供給の元に成り立っています。
自然界の食物連鎖に於いても、生きる為に必要な食料を
得ると言う需要に対し、供給にあたる多くの生き物が必要です。
私達人類も、他の生物と同じく、食料を得る事に因って生活し
命を繋いでいるのです。

しかし、動物たちに於いても、私達人間社会に於いても、

この需要と供給のバランスが上手く取れていないのが
近年の地球における大きな問題です。
特に、人間社会に於いては、誰もが平等に生きるための糧を
得られると言う訳でなく、最近では、世界的な大凶作もあって
食料危機に見舞われている国々も増えています。

更に、先進国に於いては、増々生活格差が広がり、近代的な

生活をしているにもかかわらず、極端な所得格差が広がり、
単に食を得るだけでも厳しい人々が増えています。
この事は、国と国との関係に於いても、富める国と窮する国が
以前にも増して分割される様になって来ました。

この傾向は、我が国においても、世界経済に於いても、

平等になるどころか、増々その差は広がり、貧しい国はより貧しく
将来の見えない生活を強いられています。
この事は、単に、経済格差と言うだけの問題ではなく、
その差は、人々の心の差と成って現れ、何時まで経っても貧しい
多くの国から、富める国へのジェラシーと成って、多くの争いを
生む原因を生んでいます。

今や、世界の至る所で頻発するテロや紛争の原点は、昔と同じく

貧しい国の人々の怒りの表れでもあるのです。
超大国は、かつての植民地の様に、世界中に拠点を築き、富や
資源を吸収しているのが現実であり、貧しい国々が先進国となる
道を遮っているのが実情です。

確かに、悲惨なテロや戦争は、人間としては決して行ってはいけない

悪行では有りますが、その道へと導いている原因が、存在している事を
知ることが大切です。

日本国内に於いても、世界の縮図のような事が起こり始めています。

一部の富める人達と毎日の生活に追われる多くの国民たち、
その国民の生み出した富を更に吸収する大手国内企業。
日本における経済のサイクルは、確実に富める人たちに優位に働き
何時まで経っても人々の生活は豊かになって来ません。

世界の動きは、日本人が思っているよりも遥かに過激で、様々な不満が

恐怖のテロになり、戦争を誘発しています。
日本人は違うと思っている人たちは過去の豊かな生活を経験してきた
いわゆるバブル世代です。
今や日本人も、世界の人々と気持ちを同調させ、同じように不満を
爆発させる可能性が有るのです。

世界中で頻発するテロは、決して、他山の石ではないのです。

かつて、戦国の世は、日本中が分割され、止むことない争いが続けられ
一年中、多くの人々が貧しい生活を強いられました。
権力を持った一部の武将たちの争いが、多くの庶民を巻き沿いにし、
日本の歴史上に於いても、一般の人々にとって最悪の時代でした。

ところが、徳川時代に入ると、巨大な権力を持って日本を制圧する事で

300年に渡って、戦争をしない時代が続いたのです。
その後、西洋から資本主義社会政策が入って来ると、経済力を持って
世の中を支配する体制が作られ、その方法は、いまだに続いています。

しかし、その時代もバブルを持って崩壊したと言っても過言では有りません。

ネットの発達により、人々はあらゆる情報を簡単に手に入れる事が出来、
単に経済力で押さえつける時代は終わりを告げたのです。
経済力軍事力で押さえつけようとしても、今の時代は、人々を押さえつけたり
足かせを付けたりすることは不可能なのです。

どんなに巨大な軍事力を持ってしても、人々の気持ちは変えられないのです。

なぜ、貧しい国の人達や、テロを行なう人たちが怒りの鉄槌を下す事を
止める事が出来ないのかを理解しないと、この問題は永遠に解決しないのです。

私達は、基本的に動物ですから、食事をしなければなりません。

しかし、食べ物が有れば幸せかと言えば、そうでは有りません。
食べ物は、生物としての生きる糧であり、目的ではないのです。
私達が日頃一番喜ぶ事は、自分の存在を認められ、他者から喜ばれた時です。
自分以外の人々にとって、自分の存在理由が有る事です。

つまり、人として、この世に居る必要性を感じられることです。

例え、どんなに沢山の食料が有っても、生きている意味が無いと、
時には、自らの命を断つ事もあるのです。
今の、世界の争いの根源には、人としての差別が有り、存在否定が有るのです。

この事は、日本社会に於いても同じであり、人々の間の争いの原点とも言え

相手に、自分の存在理由が無い限り、争いは尽きないのです。
需要と供給は、単に、物品の問題ではなく、心の中に大きく存在しています。
どんなに巨大な軍事力で圧政しても、人々の心が変わらない限り、
決して勝利は得られないのです。

かつてのベトナム戦争は、アメリカがこの事実に行き当たり、ついには

撤退を余儀なくされたのです。
人種問題、宗教問題など、今の世界で争われる原因の多くが当てはまります。
相手の存在を受け入れられないで、自分の要求しかしないでいると、
御互いに人と人との信頼関係は生まれず、その結果、経済的にも断裂し
生活に必要な様々な物をやり取りできなくなるのです。

巨大な街を作り、インフラを整え、一流の国家となったとしても、そこで住む人々に

喜びが与えられなければ、見た目どんなに立派であっても、絵に描いた餅であり、
砂上の楼閣に過ぎません。
現在、東北の被災地に、以前にも増して立派な街が出来上がっています。
政府関係の人々や、様々な業者が考えた物でしょう、莫大な資金が動き
驚くほどの近代的な街並みと成って来ました。

これこそ、津波対策を万全にした、素晴らしい街と、街を作った人々は

自負する事でしょう。
しかし、そこに住む人たちの心は、それ程浮かれている人はいないでしょう。
せっかく作ってくれたのだから、文句は言えないと思っているのが実情です。

更に、そこに住むのは、それまで東北の地で長く住んできた人たちです。

津波が来ても絶対安全な巨大堤防が幸せを呼ぶのではないのです。
本当に幸せになるのは、その地に住む人たちでなければならないのです。
世界の紛争地で行なわれてきた過去の政策に不満があったから、
多くのテロや戦争が起こっているのです。
本当に、どんな国を求めているのか、部外者には解からないのです。
まして、植民地の様に支配してきた国の人達には理解できないのです。

私の故郷を取り囲む巨大堤防が出来て50年を過ぎました。

あの当時、東北の被災地の様に土地をかさ上げして、川を埋め、護岸を
コンクリートで固め、街中の自然を無くしてしまいました。
あの美しかった、無数の水路が広がる田園地帯は、どぶ川の流れる
単なる都会周辺の住宅街に変わってしまいました。

次に来る巨大台風の為と言い、自然に恵まれた土地を、砂漠の様に変え

人々の心をバラバラにしてしまった復興政策は、私の故郷を殺しました。
今でも言いたい、あの堤防を壊して、もとの、街に変えて欲しいです。

一方的な感覚で対処すれば、人々の気持ちを傷つけ、世界中に争いを

生んでしまうのに気が付かない限り、これからも戦争とテロは無くならず
人々の悲しみが生まれるだけなのです。
需要と供給は、物だけでなく、一番大切な事は、心と心の需要供給を
しっかりと見極める事なのです。


集団的自衛権と大堤防

2016-03-30 18:34:15 | 戦争

いよいよ集団的自衛権が行使され、日本は世界に対しハッキリとした
軍事行動の可能性を示す事になったのです。
国民感情を考え、政府としては、何とか玉虫色の見解で、その危険性を
否定しようとしていますが、こんな詭弁が通用するのは、何十年も
戦争を行なわず、安穏とした生活に慣れてしまった日本人にだけなのです。

日本が取った新たなる対外政策は、海外の方からすると、明かに、日本が

実弾入りの銃を世界に向けたのと同じ事であり、特に周辺の、かつて多大な
被害を被った国々からすれが、脅威以外何物でもありません。

国内の多くの反発に対し、日本人が偶発的に戦争やテロに巻き込まれたとき

自衛隊を派遣し戦えると説明していますが、これは、アクシデントが、常に
日本以外の所で発生すると言う、身勝手な甘い想定であり、そんな小さな出来事は
むしろまれであり、起こるとしたら、直接に日本国内が戦場と成る様な事の方が
可能性としては高いのです。


戦争と言うのは、少しでも早く、対戦国の息の根を止めるのが前提です。

もし、戦いと成れば、先ず考えられることは、我が国の首都が戦火を浴びると言う事を
第一に考えなければならないのです。
戦争は、いつの世も、自分たちの都合の良い様には起こらないのです。
一番悲惨で、人々を地獄の苦しみに陥れるのが戦争です。
議事場で想像できる様な、想定内で行われる戦争などないのです。

東日本大震災から五年がたち、今や着々と津波に強い街づくりが行なわれています。

その象徴として、津波から街を守ると言う大堤防が張り巡らされています。
いつかまた来るかもしれない大津波に対し、海と人々を隔てる大堤防が
人々の暮らしを守ると言う考えから、まるで巨大な刑務所の壁の様にそびえ立ちます。

しかし、この堤防が本当に人々の生活を守るのでしょうか。

何年何十年とその日が来たときの備えとして、海を隔てる堤防が人々の生活を
守っていき豊かにしていくのでしょうか。

かつて、三陸の海に、巨大な堤防が有りました。

日本でも有数のこの巨大堤防は、例え津波が来ても、人々の命と生活を守ると信じられ
その中で安心して人々は暮らしていました。
しかし、あの時がやって来ました。
多くの住民は、絶対大丈夫と言う言葉を信じて、津波の警報が出ても避難せず
その結果、沢山の命が失われました。
あの大堤防は、見るも無残に破壊されて海の藻屑と成ってしまったのです。
津波から守るための堤防が有ることで、避難をしなかった多くの住民が巻き込まれ、
守られているという慢心から多くの犠牲者を生んだ事は間違いありません。

未曾有の被害を受けて、政府は想定外と言う言葉を乱用しました。

絶対大丈夫と言っていながら、一度その自信が覆されると、他人事のように
想定外という安易な言葉に逃げてしまう今の執行部の甘さが、災害を大きくし
いまだに苦しむ人を減らせないのです。

今回、我が国は、自衛隊と言う大きな堤防を世界に向かって作りました。

しかし、その力は、あくまで、想定内であることが前提条件です。
想定内に起こることを取り上げて、言い訳をしているのが現状です。
もし、本当の有事となった時、その規模は、大堤防を破壊してしまう程の
大津波で有る可能性もあるのです。

大きな後ろ盾が有るからこその態度かも知れませんが、その後ろ盾も、自国にとって

プラスとならない戦いには決して参入はしてこないのです。
究極の戦いと成れば、自国を守るのが普通です。
役に立たないトカゲの尻尾は、簡単に切ってしまうのが世界の国々の実情です。

私達は、日本人を守るという前提条件で新たなる法案を可決し執行する事となりました。

しかし、本当に守るとなれば、あらゆる可能性を考えなければなりません。
当然守るための準備が必要です。更なる、予算が必要と成り、新たなる
武器が必要と成ります。
そうなると、歴史が示す通り、国中の流れは、軍事国家へ一直線と成って行きます。
世界に争いが無くならない理由の一つが、より安全を求める為の無制限の
軍事力増加です。

国民を守るために、より強固な軍事力を作り上げる事が経済の目的と成って行きます。

私達日本人が、六十数年前に経験した破滅への道は、こんな疑心暗鬼から始まり、
国民の不安を無くしより豊かな生活を得る為と言う口実で、危険な戦争への道へ
進んで行ったのです。

しかし、巨大堤防の様に、かつて幾つかの津波を退けてきた日本の軍事力は、

遂に、想定外の巨大軍事力によってねじ伏せられました。
その結果は、どうなったでしょう。
地震や津波の被害どころではない、日本中が破壊され、信じられない程多くの方が
殺され傷ついたのです。

私達日本人が、自らの欲望の元に始めた争いは、近隣国の人々を傷つけ殺りくし、

多くの街や村を破壊した事が、現在もなお近隣諸国との軋轢を生んでいる事は
誰もが知っている事です。
舌の根が乾かない内とでもいいますか、また新たなる悲しみと苦しみ、憤りや怒りを
国民だけでなく対戦国の人々にも与える可能性が一段と大きくなったのです。

新たなる法律が、国民を守る為と言うのはあくまで詭弁であり、どんな戦争も

有ってはならないし、起こしてはならないのです。
例え守る為と言っても、銃口を向ければ、向けられた相手は、自分の家族、国民を
守るために、銃口を向けてくるのが当たり前なのです。

何か事が有ったら、銃口を向ける可能性が有ると説明しても、それは、日本人からの

正当性であり、世界の人々からすれば、戦いの始まりでもあるのです。
トラブルを抑え、争いをが起こらない為に、銃を向けると言うのは、ナンセンスです。

絶対安心と言われていながら、ずたずたに壊され海の藻屑になった大堤防が

未来の我が国の姿としたら、決して想定外なんて言葉は出ないはずです。
短い政権担当期間の実績作りの様な政治活動は、未来へ続く日本人の幸せの
保障とは決してならない事を時のリーダーたちは解っていないのが残念です


中目黒の桜の見方

2016-03-29 16:12:12 | お月見

昨日は、夜の急な雨と雷に驚かされましたが、
都内全域と言う訳ではなく、全く雨が無かった地域が
多くあった様で、これから暖かくなるにつれ、今年も
ゲリラ豪雨に悩まされそうです。

所で、そんな気象変化から、多少桜の花への影響を
心配したのですが、今年は、開花宣言の後、寒気が
流れ込んだ事もあり、もう一週間に成ろうとしているのに
いまだ2~3分の咲きであり、この事が幸いしたのでしょう、
咲き始めた桜にはほとんど影響が無く、雨に濡れた
目黒河畔の遊歩道は、しっとりとした空気と、朝日の
美しい輝きに、早朝から多くの観光客が見られます。

中々咲いてくれない桜とは言え、今週末には、例年通り
美しい桜のトンネルを見せてくれると思います。
とは言え、最近の情報誌やマスコミの影響で、中目黒周辺の
交通事情は増々酷くなっています。

まだ満開とは言えないものの、周辺に集まる観光客は
日に日に増える一方で、中目黒駅には、沢山の交通
警察官の姿が見られ、週末にかけての大混雑が
予想されます。

何十年もこの地に住む者として、多くの方々に
目黒川の桜を見て頂きたいのですが、近年の
異常とも言える観光客の増え方に、多少なりとも
不安を感じざるを得ません。

特に、駅から直ぐの河畔は、まるで通勤ラッシュの
駅のホームの様で、とても、のんびりと桜を鑑賞すると
言った状態ではありません。
更に、最近は観光バスの周遊コースと成って居る為
山手通りは、大渋滞であり、せっかくの花見の時間が
少なくなってしまう状態です。

その様な訳でもあり、何とかお花見を楽しんで頂きたく
目黒川の桜を満喫できるコースをご紹介します。

先ず、公共機関を使って、中目黒まで来ることは
良いのですが、お花見を駅前の目黒河畔から
始めるのは最悪のパターンです。
大混乱に巻き込まれ、お花よりも人ごみを見るばかりで
疲れるだけと思われます。

スタートは、山手通りを渋谷方面に北上しましょう。
500m程歩くと、目黒川に到着します。
バス停で言うと、菅刈小学校という所からです。

目黒川がかなり狭くなっていて、両岸からの桜の枝が
交差して美しい光景が見られます。
50メートルほど川を下ると、赤い橋が掛っています。
ここが第一ビューポイントです。
赤い橋と桜が見事にマッチして、桜の写真を撮るには
絶好の場所です。

この橋を起点にして、川下に南下して行きましょう。
幾つのも橋を過ぎるに連れ、様々な桜模様が現れ
周辺の賑やかなお祭り気分と共に最高潮と成ります。

ゆっくりと桜を楽しみながら、中目黒駅のある東横線の
ガードまで来ると驚異的な人ごみに驚かされますが、
この場は、出来るだけ素通りしましょう。

そのまま、南下して行くと、広い世田谷通りに出ますが、
出来るだけ目黒川からそれない様に迂回路を取り、
もう一度川まで戻って来ると、目の前に大きな
共済病院が見えてきます。

これからが、後半の桜めぐりの旅と成ります。
川幅も少し広がり、遊歩道も整備されて歩きやすく
ゆっくりとした下り坂を川の流れに沿って歩きます。

この辺りから、幾つもの橋を越え、川の左右に繋がる
美しい桜の帯を楽しみます。
中目黒の駅から、川沿いに2km程が、ゆっくりと楽しめる
第二のビューポイントです。

最後の目黒新橋まで来ると、左手の方向にJRの目黒駅です。
スタート地点からゆっくり歩いても、1時間程の距離です。
途中には、桜以外にも様々な春の花が咲いていて、
終始下り坂なので、思ったほど疲れないで歩けます。

今週末は一番の人ごみが予想されています。
出来るだけ、ゆっくりと見られる時間を見つけて、
目黒川の桜を満喫して下さることを心から願っています。

    
中目黒駅から山手通りを北上、目黒川に突き当たった
直ぐ50メートル程下流の赤い橋


桜を愛でる日本人

2016-03-28 16:46:14 | お花見

暖かくなったり、寒くなったりと、今年の春の陽気は、
すんなりとお花見を楽しめるかと思いきや、なかなか
華やかな姿を見せてくれません。
開花宣言がなされてから、早一週間に成りますが、
目黒川の桜は、一部ではかなり咲き誇っているものの
全体的には、ややピンクがかった蕾が目立っている
状態です。

また、場所によって開花状態が著しく違っていて、

特に下流の川幅が広い目黒駅の辺りでは、かろうじて
白っぽくなっているに過ぎず、満開にはまだまだ先の様に
思えてしまいます。
しかしながら、中目黒を越えて上流に移ると、川幅は細まり
左右から木々が迫っているだけでなく、周辺の建物が
冷たい風を防ぐのか、五分咲き以上の枝も多くて、
充分に楽しめる様です。

ところで、この時期、誰もがソメイヨシノに囚われがちですが、

他にも沢山の種類の桜が有って、数は少ないものの
それぞれ楽しめます。
今の時期、白い花を咲かせている桜が公園などで見られます。
花と葉が同時に見られるのですが、この緑の大きな葉は
桜餅に使われるもので、食べられる桜として知られています。
名前は、オオシマザクラと言い、かなりの長生きで、ソメイヨシノが
50~60年生きるのに対し、数百年の長寿の株も全国で
銘木として知られています。

また、一際目を引くのが、華やかな濃いピンクの花色で、

密生して咲く姿が、中々ゴージャスなのが、陽光と言う桜です。
ソメイヨシノが横に広がった枝を形作るのに対し、この桜は
空に向かって炎のように立ち上がり、その姿は遠くから見ても
非常に力強く、並んで咲く姿は迫力満点です。
この桜は、今がピークで、目黒川から少し離れた、
世田谷通りの交差点近辺でその美しさが見られます。

桜も綺麗なのですが、近くの公園や、道路の生垣を覗いてみると

また華やかな春の花を見つけます。
遠くからも直ぐ目に付くのは、菜の花の黄色です。
田舎の畑や田んぼに有るのも綺麗ですが、都会で見つけると
その派手さに思わずシャッターを切ってしまいます。

そして、そんな草花が植えられている近辺で異彩を放つのが

紫色の美しい花です。
最近都内でも至る所で見られ、花大根として知られていますが、
群落を見つけると、誰もが見とれてしまいます。

でも、足下ばかりではありません。

同じく、やや紫の色を付けている大きな花が春風に揺れると
まるで作り物の様なモダンな造形美を感じるのが、木蓮の花です。
白いコブシの花と共に、枝に大きな花をぶら下げて、時折やってくる
ムクドリやキジバトが枝に乗ると、ゆさゆさと揺れて、桜とちがった
春の優雅さを感じさせます。

本当にこの時期は、外を歩くとワクワクします。

春を待っていたかの様に、次々と花が咲き始め、それに伴い
多くの鳥たちが集まって来ます。
人だけでなく動物たちにとっても春は子育てのシーズンであり、
都会で住んでいても、様々な野鳥を観察する事が出来ます。
後数日もすれば、桜が満開と成り、多くの人々でに賑わいます。
その後は、数種類の八重桜が来月末程まで目を楽しませてくれ
更には、初夏のツツジの季節と成って行きます。

毎年、本当に心踊る季節がやって来るのが楽しみなのですが、

最近、一つ気になることが有ります。
これだけの花が咲き誇っているのに、一匹も昆虫が見らえません。
虫なんか必要ないし、気持ち悪いからいない方がいいと思われる
かもしれませんが、花と虫とは密接な関係が有って、沢山の花に
全く虫がいないと言う事は、自然界に於いては異常な事なのです。

50年ほど前のこの時期には、花の数と変わらない位多くの虫がいて

花の咲くところは、何十匹もの蝶が群れていたのを思い出します。
特に、モンシロチョウが群れていると、菜の花の色が、白と黄色になって
近づくと白い蝶が飛び立って、菜の花の黄色が目に鮮やかでした。

今、世界で問題と成っている事の一つが、昆虫が減っている事です。

多くの種類が絶滅し、世界中の昆虫学者が地球の未来を案じています。
虫が減った位で、と思われるかもしれませんが、実は、世界の植物は
殆どが虫によって受粉しているのです。
つまり、虫がいなくなると、穀物や野菜の多くが収穫できなくなり、
私達の食料が消えてしまうのです。

この事は、すでに、日本の農家で問題と成っていて、様々な作物を

受粉させるための虫をわざわざ業者から購入している状態であり、
日本で獲れる果物の中には、虫がいないと収穫できないものも有るのです。
私達は、生活を豊かに便利にするために、必要以外の動植物を
長年にわたって絶滅させて来ました。

ところが、最近、人類が一方的に選んだ動植物のみを育てていると

様々な問題が生じ、自然界のバランスのみならず、私達が利用している
多くの動植物に異変が生じる事が解って来ました。
この事は、昔から知られていて、何か問題が起こると、科学の力で
補ったり、人工的に育て上げたりして、解決してきたのですが、
その結果、生産量が減ってしまたり、その種類そのものの生命力が衰え
継続的に利用できない事が判明してきているのです。

つまり、今まで、私達人類にとって、無駄と思われたり、邪魔と思われた

多くの生き物が、御互いに繋がってバランスを取り合っている事が
世界中の動植物の間で解って来たのです。
当然、私達人類も、そのバランスの中に有って、私達人類だけが
特別の存在ではなく、食物連鎖の中に組み込まれているのです。

私達日本人にとって、健康を害するものの代表として駆逐されてきた

寄生虫の仲間が、私達の身体から駆逐された後、様々なアレルギーが
日本人の身体を苦しめているという事実も明らかになって来ました。
私達の周りに存在する様々な動植物は、関わりが解からない場合でも
後に、私達が生きる為に大きく影響を与えている事が、次々に
解って来ています。

地球上の動植物との関わり合いを、私達の都合で決めて行く様になって、

私達の身体は、考えもしない様な病に苦しめられる様になってきたのです。
日本人の美しい心も身体も、長い歴史の中で、日本の大自然と関わって
培われてきたのです。
日本の自然や街が、人工的に換えられるにつれ、私達の生活は
一見豊かになったように思われますが、私達の身体も心も安らぐどころか
増々苦しみが多くなっている様に思えてなりません。

自然界の気にいらないものは排除する感覚が、人間同士の間に於いても

御互いに相手を感じられず、自分の欲望しか考えられない、殺伐とした
人間関係を生んでいる様にも思えます。
私達日本人は、桜や様々な花を見て、更には春夏秋冬の美しい自然を観て
優しい心を育ててきました。

しかし、この美しさは、あくまで大自然のバランスある美しさが有ってこそです。

目黒川に咲く美しい桜も、四季折々咲く緑地帯の花々も、美しく剪定された
公園の樹木も、殆どが、人工的に私達が美しいと思われる部分だけを満たし
大自然とは全く異なった美しさであることを知らなければなりません。
私達が楽しむ桜の美しさは、本当の自然の美しさでない事を後世に伝え
自然と一体となった、大自然の春の喜びを感じられる目黒河畔に成ることを
未来の日本人たちに託したいものです。


目黒川上流域の桜


どうしてこんな所から!?


オオシマサクラ 
桜餅の葉は、この桜の葉を塩漬けにしたもの


濃く艶やかな、陽光


美しいモクレンンの花


紫ハナダイコン


一際目を引く、菜の花


春の東京都内散歩

2016-03-26 16:37:42 | ウォーキング

今日は、かねてから計画していた、都内で行われる
集団ウォーキングに参加しました。
青山霊園の近くの公園から、都内を縦断し、お台場に至る
約10キロ程のウォーキングです。

朝から、3つのグループで出発し、総勢3000人の人達が
ウォーターフロントを目指しました。
これほど多くの集団で歩くのは初めてであり、途中を楽しめるのか
多少心配でしたが、マラソンと違って、誰もが観光地巡りの様で
のんびりとした春散歩と成りました。

最初に訪れたのは、有名な青山墓地です。
墓地と言っても、田舎の不気味な雰囲気とは違い、明るくて広くて
中心を貫く道は、左右から桜の木がトンネル状に被さっていて、
桜が綺麗なはずでしたが、ここ数日の寒気の所為で、殆どの枝が
蕾が並んでいるに過ぎず、枯れ枝のトンネルをくぐっている様で
いささか残念、と言った感じでした。
しかしながら、至る所で、早咲きの八重桜が真っ盛りで、墓地とは言え
まるで公園の様な雰囲気でした。

青山墓地を抜けると、早くも麻布の街に入って行きます。
左手に国立美術館を見ながら道なりに進むと、目の前に大きな建物が
門番の様に立ちはだかります。
この界隈の象徴でもある、六本木ヒルズ、言わばヒルズ族の拠点です。
さぞかし各界の盟主が住んでいるのだろうと仰ぎ見ながら六本木を越えると
眼の前に東京タワーがそそり立っています。
高さこそスカイツリーに大きく差を付けられますが、知名度といい、姿といい
登った時の見晴らしといい、全てがスカイツリーを越えていて、あらためて
その素晴らしさを感じます。

東京タワーの御膝元の増上寺の横を過ぎ、そのまま直進すると、いよいよ
東京湾が見えてきます。
護岸に沿って倉庫街を歩くと、目の前に巨大なレインボーブリッジの橋脚が
迫って来ます。
久し振りにこの場所に訪れましたが、湾奥に弓を成す様に掛るその姿は
東京湾のアクセントとして素晴らしい造形美を見せています。
今日は、この橋を歩いて渡ります。

エレベーターで遊歩道まで上がると、目の前にお台場に続く巨大な吊り橋と
湾奥の大都会が見えてきます。
海からそそり立つように、東京の高層建築が立ち並び、その中に象徴的な
赤い東京タワーが目を引きます。
スカイツリーはと言えば、遠くビルの陰に隠れ、余り高さを感じません。

ゆっくりと緩やかな上りの遊歩道を登って行くと、途中に見晴らし台が有り
180度、東京を海から見渡せます。
夜は、八時頃までこの歩道を歩く事が出来るそうです。
夏の暑い夜、海風にあたりながら、夜景を見れば、さぞや美しいと思います。

レインボーブリッジを渡りきってしばらく歩くと、いよいよ完歩と成ります。
3時間弱のウォーキングは、お台場の気持の良い海風の中で
静かな東京湾に浮かぶレインボーブリッジを見ながらフィニッシュと成りました。
普段からウォーキングをしている事から、殆ど疲れる事はなかったのですが、
朝が早かったことから十分な食事が摂れず、ゴール近くのファミレスで
お昼と成りました。

ほんの数時間の春の都内散歩でしたが、今まで気が付かなかった風景や
春の自然を感じられて、新たなる東京を知る事が出来ました。
その後、急いで仕事場に引きかえし、夜まで一仕事です。
妻は、少し疲れた様で、今日は、自宅でゆっくりとくつろいでいる様です。
東京に長く居ても、知らないことだらけです。
また機会を見つけて、散歩してみたいものです。


六本木の象徴、六本木ヒルズ


東京のど真ん中で見つけた土筆の群落


遊歩道から振り返って


お台場の静かな海辺にユリカモメ