めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

ハロウィンと日本人

2014-10-31 12:49:52 | お祭り

今日は、ハロウィンという事で、町中に奇抜な扮装をした人たちが闊歩します。
昔は一部の人達が、海外のお祭りを楽しんでいる様に思いましたが、
今では、クリスマスと並んで、多くの人々が心待ちにするお祭りとなっています。

今年のバレンタインデーの売り上げは今一だった事も有って、

ハロウィンの経済効果はそれを上回るとの予想も出ています。

ところで、私達日本人は、昔から海外の文化や風習をまねしたり、取り入れたりして

日本独特のものに育て上げるのが得意でした。
今では当たり前のクリスマスも、日本にはなかった風習ですが、発祥国の思いと異なり
国民全体のお祭りとなっています。
いずれハロウィンも、季節の風物詩の様に定着するのかも知れません。

私達日本人は、長い歴史の中で、日本人独特の文化を築いてきたかのように思いますが、

数百年の昔から、多くのお祭りが海外からもたらされた文化や風習を受け継いできています。
中国や東南アジアをルーツとするものから、遠くヨーロッパからもたらされた文化も
今では日本独特の文化の様に思われています。

新しい文化や風習が入ってくると、いつの世もそれに抵抗して、昔から受け継がれている

日本独特の文化を大切にしようという世論が生まれますが、長い目で見れば、いつの間にか
抵抗を感じていた異文化や風習がしっかりと日本の地に溶け込んでいくものです。

今や日本で若い人達と中高年の意識の違いに大きな溝が出来ているのが、結婚問題です。

古くからの習わし通り、家と家の繋がりを大切にする高齢者と、当人同士の結婚と考え
周囲の人達とは別に考える若者の感覚に、親子間でするら考えのギャップが生まれています。

伝統と言う考えからすると、結婚式程身近で古くからの習わしに従ってきた文化は有りません。

様々な家庭が有っても、結婚式となると、様々な制約が生まれ、当人同士以上に、両家同士の
深い関わり合いを求められます。

しかしながら、家というものに支配されていた日本人が、海外からの様々な文化風習により

次第に個人の存在に重みが置かれ、更には、核家族化によって、家族であっても
バラバラに住んでいることにより、結婚という家族にとっての一大行事が、いつも間にか
中高年の人たちにとって違和感のある結婚式が多くなっているのです。

とは言うものの、ハロウィンも最近の結婚式も、いずれ日本人が日本独特の文化として
育てて行く事になるのでしょう。
私達日本人には、伝統を重んじつつも、新たなる文化を受け入れるおもてなしの心が
長い歴史の中で培われて来ているのです。


深まる秋とホットココア

2014-10-30 14:01:09 | 

冬を間近にして、枯れた庭の草花を片付けていると、倉庫の上に残された
ゴーヤのツルに幾つかの実が生っていました。
早くに気が付いていれば、美味しい収穫となったのですが、
その色は、鮮やかな赤に変わり、まるで赤トウガラシを取っている様でした。
当然食べられはしないのですが、今年のゴーヤは数か月に渡って
我家族の食卓を賑わせてくれました。

今日、仕事場に着くと、昼から夕方まで来客は有りません。
不景気の所為か、週にこんな日が一日は有ります。
生活が掛かっているので喜んではいられないのですが、
今日は妻も用事で、別のところに出払っているので、
のんびりとキーボードをたたいています。

来るときに、ココアの粉末を買って来ました。
テレビの情報番組で、ココアの優れた栄養成分が語られ
久し振りに飲んでみようと思いました。
チョコレートとして食べてみるのもいいのですが、
市販のチョコレートには大量の砂糖が添加されていたり、
更には、ビターチョコレートは苦すぎるので、自分の味覚に合う
ホットココアとして味わっています。

いつもはコーヒーなのですが、ややマイルドな感じは
気持がゆったりとしてきます。
味だけでなく、実際に、脳を休める成分や、身体の酸化を
抑えるポリフィノール成分も多いとあって、コーヒーと共に
秋の飲み物としてテーブルに出されることとなりそうです。

今日の目黒川は、一段と紅葉が進み、緑のトンネルが
次第に色を帯びて来ました。
今や、東北の山や里は金糸銀糸で彩られ、沢山の観光客が訪れ
秋の訪れを満喫しています。

東京の秋は、大体一か月遅れです。
山々の紅葉の様にスケールが大きなものでは有りませんが、
各地の公園や散歩道の草木が色付き、無彩色の冬の自然の前に
もう一度艶やかな姿を見せます。

しかしながら、桜の紅葉は意外と知られていません。
桜で有名な中目黒周辺も、次第に色づいてきました。
緑の中に次第に色付く色模様を探しながら、
ゆっくりと川面も見ながらの散歩も素敵ですよ。


一向に豊かにならない庶民

2014-10-29 16:06:45 | 社会

秋も深まり、日陰から日なたに出た時、思わずホッとしてしまいます。
庭にグリーンカーテンを作っていたゴーヤの葉も、すっかりと葉を落とし、
針金の様に巻き付いたツルを取り去ると、ビルの谷間から青空が広がります。
季節の移り変わりは早いものですが、やはり、だんだん寒さを感じると、
心の中も、暖かいものを求めてしまいます。

世の中と言えば、相変わらずの不況状態。
繁華街に出れば、表向きは賑やかで、豊かな日本が目に飛び込んで来ますが、
都心部から離れると、相変わらずシャッター街が目立つ街が多いものです。
様々な景気回復対策がとられ、アベノミクスと共に、日本を豊かな方向に導こうと
努力がなされている様ですが、多くの人々にその実感が沸いてこない限り、
一部の人々の自己満足に終わっていると言わざるを得ません。

しかし、生活が豊かになり、バブルの頃の様に、お金が回ってくるようになれば
国民は幸せになると言えないのが問題です。
高度成長期の様に世の中に活気があり、様々な産業が発達すれば
日本は豊かな国に成ると思うのは錯覚としか言えません。

もちろん、一時的に満足感は得られるでしょう。
でも、人と言うのは、満足すれば幸せだとは感じない生き物なのです。
つまり、自分がこの世に存在する意味と価値を感じないと、本当の満足は得られず、
新たな不安の種が生まれてくるのが世の常なのです。

不景気が続くと、次第に、欲のみが幸せと感じる様になりがちです。
あらゆる欲が渦巻いたのがバブルです。しかし、欲が争いを起こしバブル崩壊への
原因になったともいえるのです。

ならば、中々自分の欲が満たされない今の時代は、理想の時代と言えるのでしょうか。
いえ、そうでは有りません。今、多くの方が苦しんでいるのは、生きて行くうえで
未来を心配することなく生活できる基盤を求めているからです。
欲を言えばきりが有りません。しかし、生活していくうえで最低限度の保証が欲しいのです。
現在苦しんでいる多くの日本人が、大金持ちになりたいと言ってるのでは有りません。
将来を憂うことなく、安心して生活できる日常が欲しいのです。

都内に次々と高層建築が立ち並び、巨大なショッピングモールができあがり、
近代的な街並みが人々の生活を変えて行きます。
しかし、その巨大な資本は、多くの国民には回って来ません。
テレビ番組の様に、表向きの豊かな表情の出演者も、近代的な都市の出で立ちも
しょせん表面的な華やかさであり、その陰の多くの人々の苦しみは見えてきません。

現実は、必死に歯を食いしばって生きている人達で溢れているのです。
世界一の借金国家である日本が、庶民にその実態を感じさせないことに
この悪循環を断ち切れない原因があると思われます。


体型維持は人生の難題

2014-10-28 15:57:19 | 健康

身体をいつまでも美しく保ちたいと思うのは
全ての人々の願いであり、年を重ねても
スタイルを保つという事は、長生きする以上に
大切と思われます。

特に女性にとっては、美しさを保つために
太らないように日頃から気を付ける事は
ごく当たり前の事となっています。

男性においても、あまり太りすぎて、メタボになると
社会人として、自己管理が疑われ、その結果
自分の昇進にも影響が出るとあって、
週末には、ジム通いやスポーツに汗を流す事が
社会人として日常になってきました。

とは言うものの、この難しさは人生の難題の一つであり
多くの人が何度も挑戦し、何度も打ち負かされています。

そもそも、食欲と言うのは人間の代表的な欲であり、
それを節制するという事は、生きる事を否定する程
難しい事なのです。

痩身の為の書物は本屋さんに行けば数えきれないほど
並んでいて、いかに、私達が理想の身体を手に入れ
保つことが難しいかを示しています。

私もこの難題に長きに渡って苦しんで来ました。
20代の頃は、基礎代謝が盛んであり、
運動をしていればまず太る心配はなかったのですが、
年を重ねるにつれて、動くだけでは消費しない、
一度付いたら中々取れない脂肪に悩まされています。

50代を過ぎると、困った事に痩せる機能が衰えてきて、
摂取したカロリーを消費する力が弱くなって来ます。
そのため、20代の頃よりも、沢山運動しても、
体温の上りが遅く、時間を掛けても中々汗が出ません。

となると、次は食事制限しかありません。
カロリーを減らせば当然太る事は無くなっていくのですが、
この、食欲の制限と言うのが、これまた難解なのです。

そこで、行き着いたのが、精神的ストレスを駆ける事となりました。
具体的に言うと、公の場に出る時の服装を決めるのです。
私の場合は、30代前半に作った上下のスーツです。

まだ、太る前に作ったもので、当時はウエストも十分余裕があり
食事をしても難なく着る事が出来ました。

しかしながら、40代、50代と年を重ねてくると、このサイズに
戻すまでが一苦労です。
諦めて、一回り大きいサイズの服装にすればいいのでしょうが、
自分の中で最後の砦として決めているので変えられません。

現在、数日後の用事に使用する為に減量に汗を流す毎日です。
しかしながら、夏の間の油断がサイズオーバーとなって苦しめます。
後3㎝、この3㎝が非常に難しいです。
かと言って、絶食状態では身体が持ちません。
食事をした状態で着られる様にこれからが正念場です。


幼少期の想い出

2014-10-27 16:44:44 | 家族

小さい頃、骨折をして痛い思いをした事は覚えていますが、
病気で寝た記憶は殆どありません。
しかし、何かの病気で寝ると、我が家には病人の特権があり、
その時食べたものは、いまだに鮮明に覚えています。

それは、セイゴと言う、スズキの子供の煮つけです。

脂の無い、さっぱりとした柔らかい肉質で、弱った身体には
うってつけのタンパク補給でした。

周囲は見渡す限りの田園地帯で、近辺には大きな漁港も無く、

新鮮な魚が手に入りにくい地域でした。
今の様にスーパーに行けば何でも手に入る時代とは異なって、
時々行商の魚屋さんが回ってくる位でした。

そんな訳で、魚は肉に並びかなり価格が高く、増して、新鮮な

尾頭付きの魚は、お盆か正月くらいしか手に入りませんでした。
しかし、病に伏して食べ物が思う様に食べられないと、我が家では
セイゴを一匹買って、尾頭付きでお皿に並んだのです。

今の時代では、殆ど食べない魚になってしまいましたが、

釣りに行くと、結構良く釣れるものです。
東京湾においても、護岸からや釣り公園で頻繁に釣る事が出来ます。

スズキの様に大きい魚体は、和洋なんでも料理になるのですが、

セイゴは煮つけ塩焼き位にしかなりません。
それでもきちんと料理して味付けすると、柔らかくとても美味しいものです。

今の時期、沢山群れを成し東京湾の至る所で釣れます。

釣り人の特権ともいえる新鮮な魚料理は、お店で買う魚より
自分で釣った魚がいかに美味しいか感じられます。

でも、釣った後の処理が悪いと、生臭かったりして釣った魚はまずいと

勘違いしがちです。
釣った魚は、その場で直ぐナイフや包丁で鰓や脊椎を切断します。
しっかりと、血を抜いた魚は、身が透き通って臭みは全くなく、
煮ても焼いても驚く美味さです。



左下のアジを除いてセイゴ