一人で何かをするより二人で、二人でするより三人でと
私達は、多くの人達と助け合って生活する事で、より便利で
豊かな日常を送る事が出来ます。
その結果、様々な組織が生れ、その延長上に、現代の巨大産業も有り
国としての様々な事業が成り立っています。
人類の進化の成果として、文明の作り上げた巨大な建築物や歴史ある
建造物が人目を引きますが、それらを創り上げて来た多くの先人たちの
苦悩や挫折は中々後世に伝わっては来ません。
出来上がってしまえば、人類の功績として称えられるのですが、
人間が生み出すものの多くは、それに携わった人たちの苦労が有るのです。
現代社会に於いても、様々な行事や事業が進行中ですが、その為に、どれだけ
多くの人々の心労が伴い、人々の心の凌ぎ合いがある事でしょう。
誰かが利益を得て、誰かが、苦渋を舐めると言った事態が繰り返されていて
自由競争の世界とは言え、人間が生きて行く為の宿命とも言えます。
誰もが最初は、お互いの利益を図って目的に向かっているのですが、
いつの間にか個人的な欲望や願望が高く成り、利益の独占を図ったり
組織の私物化を考えたりする場合が有るのです。
特に、組織の長ともなると、その地位を利用して、私的な利益を増したり
自分の欲望を叶える為、仲間たちを利用したりすることが有ります。
日本における様々なトラブルの原因の多くが、この私的欲望が成せる業
と言う事が多く、特に、人の上に立ったり、リーダーとなったりすると
この傾向が強くなりがちです。
かつて、一般企業の事業展開に於ける企業間トラブルは多かったのですが、
最近、対人的なトラブルが頻発しています。
世の中が、対人的な問題に敏感に成って来た事も有って、様々な社会に於いて
隠された世界が、表の世界に暴露される事が多いです。
特に、社会が様々なハラスメントに対して過敏に反応する様に成って、
それまで、圏外の事と思われていた世界からの、醜い関係が発覚しています。
昨年末から盛んに取り上げられた角界に於けるダークな世界は、かつては
黙認されていたのですが、現実に社会評価されるまで明るみと成りました。
遠い昔、政界のトップが逮捕された時、社会は、日本のリーダが、
犯罪者として収監された事にショックを受けました。
地位を利用した膨大なる贈収賄は、トップの身ならず、日本中の政界の問題として
現代に至るまでメディアの中心的スクープと成っています。
しかしながら、近年、スポーツの世界にも、様々な疑惑が発覚して来ると
この人間の醜い欲望がもたらす事件は、全ての社会や組織に当てはまり、
今や、どんな事件が起ころうと、驚くには値しません。
オリンピックに於いて、優秀なる成績を上げ、多くの国民の期待を担っている
レスリングの世界であっても、事は同じと言えます。
全ての発端は、人間の個人的な欲望がトラブルの原因となっているのです。
共通の問題は、人は、どんなに地位や名誉が有っても、個人的欲望を募らせると
多くの人々を苦しませたり悲しませたりすると言う事です。
その影響は、地位が高く成れば成程大きく、組織が大きくなれば成程、
自分の置かれた立場を正しく認識していないと、簡単に欲望の芽が育ち始め、
いつの間にか、自分の行動や言動までをも正当化してしまいます。
世の中に、組織のトラブルが発覚すると、必ず、被害者加害者関係なく
お互いの主張を繰り返し、最終的には、組織を生かすために、痛み分けの様な
灰色の結果で締めくくってしまいます。
どんなに悪質な行為が行われても、まず、組織の安定安全を図る事が優先され
被害者は、力で抑え込まれ、加害者は、ひと時の世間の冷たい目に晒されるだけで
問題は一向に解決しないのが日本の現状と言えます。
日本の、トラブルみ収拾の方法として使われて来た、喧嘩両成敗と言う方法は、
雨降って地固まると同じく、双方の主張に白黒をつけないで、混ぜ合わせて
ただグレーにしてしまうだけのものなのです。
この事は、世間が注目する事件に発達する以前から、普段の生活の中で始まっていて
その場その場で、黙認をされたり、その場のリーダーや長に言いくるめられる事に依り
次第に、心の中で大きなしこりと成って育ってくるのです。
日本中の多くの学校で問題とされるいじめ問題も、発端は、組織の中に於ける
利益の独占と同じであり、特定の子供たちが、他の子供たちの心を支配します。
人々の上に立つ事で、下に居る者たちの利益を独占し、欲望を叶えようとします。
私達が生きる経済社会は、便利で豊かであるにも関わらず、人々が思った程
幸せに成らないのは、経済的に豊かな地位に付かなければ、自分の欲望は叶えられず
より上位の地位を得る事ができれば、私欲を叶えられると考えて居るからです。
しかし、どんなに経済的に豊かと成っても、自分以上に豊かな人は世の中に
幾らでも存在していて、果ての無い経済競争に心身ともに疲弊してしまうのです。
上を目指す事を辞めれば、敗者とみなされ、社会的に価値の低い人間になると
常に不安と恐れを抱いているのが、経済的に豊かと思われる日本人の状況です。
つまり、日本人は、日本人として生まれた時から、死ぬまで、経済的評価を得る事に
人生を費やしている民族とも言われ、果てしない山道を登り続けなければ
自分の存在価値は無いと思っているのです。
問題は、それでも、より地位の高い豊かな生活を手に入れられる人達ではなく
日本社会に付いて行けない、現実の生活を維持するだけで精一杯の
多くの国民と言えるます。
経済的豊かな生活が出来るようになると、独占意欲が生れ、組織を利用した
我儘な行動が目立ってくるのですが、生活するだけで精一杯の人達は
本来の、人間同士の協力を行う事すらできなくなって、組織としての力が無くなり
経済的に貧窮するだけでなく、社会からの孤立化が目立ってくるのです。
多くの日本人が、世間的には、元気に生きている様に見せて、家計は火の車であり
心と身体が疲弊している事が多いのです。
経済的に豊かに成れば、幸せに成ると言われても、現実では、豊かに成れ無い人が多く
かつて、自活して、しっかりとした組織の元で生活していた人達が、大企業によって
吸収されたり廃業に追い込まれてしまった場合が多いのです。
巨大組織は、合併を繰り返し経済危機を乗り越えても、一般中小企業は、自力で
再生する事は難しく、日本の底辺に当たる多くの国民が、食べる為にしか生きられず
安定した生活を送っている人達からすると、想像もできない苦難の毎日を送っていて
経済大国の恩恵を全く受けていない場合が非常に多いのです。
最近のマスコミを賑わす政治家の贈収賄問題、各界の暴力問題、レスリング界の
ハラスメントは、全て、経済的に満たされていいる人達の問題なのです。
満たされた生活をより豊かにする為の欲望が成せる業であり、たまたま、
世間が、暴力問題や、ハラスメント問題に敏感に成っている事から、
ニュースソースとしてマスコミが頻繁に取り上げているに過ぎず、
その内容は、とうの昔から在った事であり、良しも悪しくも、
一般の国民にとっては、何の腹の足しにもならず、単なる内輪揉め
に過ぎないとも言えるのです。
今、日本の大きな問題は、内輪もめできる人達の事ではなく、
日本国中の庶民が置かれている、先が見えない未来なのです。
多くの高齢者は、国からの援助が無ければ生活する事も、
健康に生きて行くことも出来ません。
若い人達も、思う様な職に就く事が出来ず、自分の生活を豊かにする利益も
得る事が出来ず、まして、家族と共に健康で豊かな生活を夢見る事も出来ません。
結婚する事も、家族を持つ事も、たとえ、相手が居たとしても、二人の未来を
安心して進める保証がないのです。
この現実を、マスコミは中々世間に伝えません。
老後の生活、より豊かな生活が出来る仕事の選択、健康になる方法と言った
現実を変えると言うより、様々な方法論しか取り上げません。
つまり、多くの苦しむ人達の生活は、改善すると言うより、様々な方法で
乗り切ると言う、極めて無責任な記事しか乗せません。
どんなに豊かな生活をしている人を紹介しても、様々な豊かなグッズを
載せても、それは、現実に、安定した生活をしている人達の紹介に過ぎず、
根本の問題を解決するものでは無いのです。
もし、誰もが、安心して生活できる為には、低所得であっても、衣食住が
十分に保障される社会である事が先決なのです。
働いただけ、いやそれ以上、支払いを要求される現在の社会構造は、
多くの日本人にとって、常に、つま先立ちの苦しい生活を強いる事と成るのです。
そのくせ、社会的には、誰もが幸せに暮らしていると言うパフォーマンスを要求され
若い人の中には、仕事やプライベートで周囲の人とのバランスを保つ為に殆どの
生活費を費やし、食事すら殆ど取る事が出来ない人が多くいます。
高齢者が安心して老後を過ごせる様にする事も大切ですが、これから日本を支える
若き労働者たちが、悲惨な生活を強いられる様では、日本の将来は危ういと言えます。
そんな中、スポーツや角界は、唯一、誰でもが実力で地位を獲得できる世界として
多くの国民の支持が有るのです。
一般の仕事とは違って、誰にも解るスポーツの世界で、努力は報われると言った
多くの人達を勇気づける姿は、誰もが感動するのです。
しかしながら、その世界に於いても、ドーピング問題、スポンサー問題
更には暴力からハラスメントとなると、何も取り得が無いと思いがちな
多くの国民の心の場所が無くなってしまうのです。
かつて、子供たちの夢に、大人に成ったら、総理大臣、スポーツ選手
と言った憧れの職業が有りました。
しかし、次々に暴露される醜い現実は、決して、多くの子供達に
夢や希望を抱かせないし、大人たちの心が癒されることは無いのです。
昔は、社会の頂点に立つ人たちに対する憧れが、国民の夢でも有りました。
様々な社会で活躍する人達が居る事で、新たなる戦力が育って来たのです。
その大人であり、代表であると思われる人たちの不祥事や不始末、そして
人間的な価値の低さが目に付けば、一体に日本の未来はどうなるのでしょうか。
やはり人は信じられない物であり、自分の利益を守り、自分の生活を守るには
他人を蹴落とし、より豊かな生活をし、最終的には、我が身と家族を守る為
アメリカの様に、銃社会と成ってしまうの知れません。
ネットが発達し、様々な事実が発覚し、社会の醜い部分が世間に晒されれば
一体何を目指して人々は生きて行けば良いのでしょうか。
人間は、集団で生きて行く動物です。
様々な知恵や知識を持って、地球上のトップに君臨しました。
しかし、上に立つ事の意味と役割を考えず、自分達の欲望だけを
目指したことで現在の地球の危機を生んでしまいました。
この事は、私達の人間社会に於いても同じことが言えて
自分の欲望を満たす事だけを考えた競争社会の行く先が
今の日本の苦悩に繋がっているのです。
日本を変える事は、そんなに容易いたものでは有りません。
日本人全体の意識を変えるには、私達が本当に望む物を
国民誰もが再認識しなければなりません。
子供から大人まで、経済的な豊かさではなく、人間として
日本人としてどうあるべきか、もう一度自ら問い直さなければ
未来の日本は、今以上に苦しく住みずらい社会と成るのです。