めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

本当に美しい海と川、そして日本

2013-06-26 18:31:28 | 日記
私はかつて大学のクラブで沖縄に行っていたことがある。
透明度の高い沖縄の海はまるで竜宮城の世界で
色とりどりのサンゴの周りを極彩色の魚たちが
何百匹もお花畑に蝶が舞う様に思えて感動したものだ。

当時は透き通った海が本来の自然な海で、濁った
底も見えない様な日本の多くの沿岸部の海は
汚れてまるで濁った貯水池の様に感じていた。
時は高度成長の真っただ中、日本の沿岸には
多くの工場が建てられ、そこから流れ出る汚染水と
家庭から出る生活排水で汚れきっていた。
その反動からか沖縄の海はまるで天国。海と空が
我々の心を強く引き付けたのは言うまでもない。

その後数十年が経ち、汚染された日本沿岸も
次第に元の様な美しい海に変わって行った。
しかし、今の日本人の多くが感ずる美しい海とは
沖縄や海外の美しいリゾートの海だ。
底までプールの様に透き通った海が理想の
海であると信じている。

汚れた海の汚染物質を取り除くために、下水道の
全国普及を目指し工場排水を著しく規制して
海や川の水質向上を果たしてきた。
努力の甲斐があって海も川も次第に透明度が増し
東京湾内であっても岸から覗くと海の底が綺麗に
見えるようになった地区が多くなってきた。

我が家の前を流れる目黒川も時々底がしっかり
見えるほど透き通っている日も少なくない。
少し足を伸ばして横浜港あたりまで行くと
観光客が多く訪れる山下公園の前の海も
シッカリと底が見えるほどの透明度だ。

しかし、目黒川にしても横浜の海にしても
少しおかしいのが解る。
まるでプールの底を覗いているかの様なのだ。
水の中や底に生命活動を感じられる動きや
姿が全く見えない。

今の子供たちの多くは知らないだろうが、
かつて日本の海川は生命に満ち溢れていた。
水族館で見られるような魚の大きな群れも
ごく普通に見られ、子供の頃に遠浅の海で
泳いでいると周りを小魚に取り囲まれたり
足の裏でカレイを踏みつけたりしたものだ。

そして今の綺麗な海と大きな違いは
四季に応じて海の色が様々に変わることだ。
その原因の多くはプランクトンの発生と
海洋生物の生活形態の違いからくる。
春先の日本の沿岸は多くの動物の産卵と
成長を助ける多くの植物プランクトンと
動物プランクトンの発生で冬の海と違って
様々な色に変わってくる。
沿岸部の浅い海は、水温の上昇と共に
生物に溢れ、まるで揺り籠の様な状態になる。

最近の海も川も護岸で固められ、砂地が無くなり
太陽の光が十分到達する浅瀬も減ってしまった。
プールの様な海や川を美しいと感じる様では
日本の本当に美しい海は帰ってこない。
こんな偽物の海や川を子供達や子孫に残して
良いのだろうか。

全ての生物は繋がっているいる。
それが本当に感じられるフィールドが
日本にはかつてどこにでもあった。
人の都合だけの美しい自然はもういらない。






菖蒲園とお菓子の日

2013-06-17 17:15:16 | 日記
日曜日の昼頃はのんびりと渋谷をぶらついて
カラオケをしたりして寛ぐことが多いが、
今回は冷房に因るためか、朝から喉が痛くて
歌うことも出来そうにない。

しかも、お天気は梅雨特有の今にも降りそうな
空模様。家でごろごろしていても食べて太りそう。
思い切って以前誘われていた明治神宮に行ってみた。

ちょうど季節は紫陽花や菖蒲の見ごろな時、そんな
風情を期待して渋谷から山手線に乗って原宿に向かった。
お天気が思わしくないこともあってか、思ったよりも
参道に人数が少ない。

程なく歩くと菖蒲園への脇道へと入る。
神宮特有のうっそうとした木立の道を下ると、ぽっかりと
小さな池が見えてきた。遠くからも飼われている鯉の群れが
ゆったりと泳ぐ様が見える。

池を横目に歩くと直ぐにお目当ての菖蒲園が新緑の谷間に
見えてきた。雨が降っていたためか少し花弁が垂れて
ぐったりと見えたが、そんな姿もこの季節風情があって
思ったよりも花の可憐さを感じさせた。

帰り道、参道にテントが張られ沢山の人々が列をなしていた。
この日はお菓子の日とのことで和菓子職人が目の前で
伝統的な和菓子を手作り、なんと無料で作り立てを味わう
ことができた。

体調が今一で天候も憂鬱。こんな日が一転して良い一日に。
やっぱり何事も一歩踏み出してみるもんだと思った。












生きる意味をちょっと考える

2013-06-13 13:14:42 | 日記
今日は昨日に続き鬱陶しい雨。
梅雨だからしょうがないのだが、これはあくまで
私の勝手な考え。雨が降らずに不安な気持ちで
毎日空を眺める農家の人や、夏の水不足を懸念する
ダム関係者からすれば何と我ままな考えだろう。

今中部地方から西日本にかけてはとんでもない猛暑。
ニュースから流れる画面がピンとこないのも、まさに
他山の石の感覚なのだろう。

人生の後半になっても未だ人の痛みや苦しみを理解
できない、いや他人事として理解しようとしない自分が
情けないというよりもいったい今まで何をやってきたのか
、かつて人生の前半で思っていた大人のイメージと
ほど遠い自分がいる。

ひょっとして何をしてもどんなに勉強をしても人は
大して変わっていないのかも知れない。
それに自分の評価は自分では決められないのかも知れない。
この世に存在している理由は周囲の環境によって
どの様にも変わってしまうのかもしれない。

私が自分の周囲に関心を持たなくなると、そのもの達は
存在の価値がなくなってしまう。逆に言えば、自分に
周囲が関心しなければ自分の価値はなくなってしまう。
自分が孤独感や焦燥感を感じる時、それは自分が周囲に
関心を持たなくなった結果でもあると言える。

人は一人では生きてはいけないとよく言われる。
かつてはこの言葉は多くの人のお蔭で生きていけると
理解していた。だが、最近は1人でも多くの人の為に
生きていくことが生きる意味なのではと思う様になった。


横浜開港祭り

2013-06-06 16:51:53 | 日記
ぶらりと東急線に乗って横浜に出かけると
今日は横浜開港祭りだった。
横浜に来るといつもノビノビとした気持ちに
なって、肩の重荷がすっきりと抜けていく様に
感じる。海に開けた観光地であることがそんな
気分にさせるのかも知れない。

いつもの様に一日乗車券を買って、みなとみらいの
駅を行き来する。
海岸伝いにビューポイントを巡るのもいいし、駅で降りては
海に向かい視界が開けてくるのを楽しむのもいい。

大桟橋はとても広い丘の様で私が大好きな場所の一つだ。
久し振りにクルーズ中の立ち寄りか、日本丸が寄港していた。
この桟橋を利用する船舶の中では大型で見栄えもなかなかだ。
大型客船を見るといつも外国の空気を感じる。
いつかこんな船で世界を旅してみたいものだ。

山下公園の前の海でドラゴンボートレースが行われていた。
ドラの音と共に一斉にゴールへ向かう姿は勇壮で楽しい。
色とりどりの色彩をまとったボートは中国のエネルギーを感じる。

春から夏へと向かい公園の花壇には様々な花が咲き誇り
開港祭りを楽しむ人々の熱気でいつになく活気にあふれている。
そんな中で港の一角にその実態が想像できない程の緑で覆われた
建物があった。屋根も壁もすべてがツタに覆われている。
かつて家として人々が生活していたのであろうが、月日の
移り変わりを感じさせる、また一つの横浜なのだろう。

東京はいつも爪先立ちで生きているような街だ。
横浜は踵を下して、時には座って立ち止まらせてくれる
そんなゆとりを感じる街の様に私は思える。