めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

男女が結ばれない心の溝

2016-08-12 16:17:13 | 男女同権

学校では教えてくれなかったことの中に、
男女の関わり合いが有ります。
特に私たち日本人は、昔から男女に関する事を
秘め事として考えたり、タブー視することで、
お互いに、異性に対する感覚が育っていません。

医学的な違いや、メンタル的な違いは、知識として

十分知っているものの、現実的に、目の前の異性に対し
的確な言動や行動が取れない人が多いものです。

その為第三者を通じてみたり、ハウツウものの情報を

当てはめたりするため、ギクシャクしたり、真意が
上手く伝わらず、お互いの気持ちが解らないで
苦労する人たちが多いのです。

特に、男子の女子に対する感覚は、今も昔も変わらず、

自分の持ち合わせている知識に当てはめようとして、
女性の気持ちを理解できない場合が多いようです。

そもそも、日本人は、昔から、男女が平等と言えど

実際は、まったく水と油の様な存在で、単に社会的な
扱いとして平等を謳っているに過ぎません。

現実の男女は、相変わらずの格差が有り、男子の

女子に対する扱いも、周囲から目を気にして女子を同等に
見ているに過ぎないのです。
その為、会社のみならず、友達関係、恋人同士、更には
家族の間ですら、その溝は深いものが有ります。

では、女子を男子と同じものとして扱えと言うのではなく

女子を男子とは違った別の能力を持った人間として
理解する事が大切なのです。

特に、雌雄としての動物学的な違いはもちろんのことですが、

メンタルな部分では、まったく別の動物と言っていいのです。
しかしながら、男子にとって、この異なる部分は、頭で考え
知識を持ち合わせても解らない事なのです。

女子にとって、物事の正解は有っても無いようなものであり、

その時の状況によって、男子が頭を抱えてしまう行動や発言が
ある事は、その女子の特異な感覚から生じるものです。

その為、昔から、何故、女子が様々な仕事から排除されて

男子が優先されてきた原因でもあるのです。
これは、女性蔑視と言う事ではなく、仕事に於いて、確実な
答えを要求する社会は、女子の受け入れを拒んで来たのです。

長い間、この問題は多くの学者や有識者によって論議されて

いまだ、解決とはいかないのですが、少なくとも、男女は
全く違うものと言う観点から考えると理解しやすいと言えます。

女子は、太古の昔から、子供を産み育てて来たことから、

自分の生んだ子供を、見た目のみならず、触れる事に依って
感じる習慣が付いて来ました。

子供の事ですから、思い通り、計画通り育ってくれません。

その為、常に、子供と触れ、身体を通して何を求め何を
嫌がっているのかを知る様になりました。
この事は、外見的に元気そうな子供が、触れる事に依って、
何か別の事で苦しんでいたり悩んでいるかを知る事と成りました。

つまり、女子は、目の前の答えが、決して正しいと言えないと言う

前提の下で生きて来たのです。
つまり、感覚的に違っていると、たとえ正論を言われても
否定してしまうのです。
女子が、男子の行動に対して、極めて敏感で懐疑的である所以が
そこにあります。

この点、欧米社会では、男子が女子を上手く扱える人が多いです。

彼らは、小さいころから、異性に触れる習慣が有り、女子と同じく
相手の気持ちを察する能力に、日本男子よりも長けているのです。
日本では、よほどの間柄にならないと、男女が頻繁に肌を触れたり
身体を接触することはありません。

その為、相手を感じる力をもともと持っている女子と、小さい頃から

全く学ばない男子の差が大きくなったのです。
その結果、女子の身体に触れた途端、自分の思いが叶うと錯覚する
愚かな男子がとても多く、多くの女子の逆鱗に触れてしまうのです。

しかしながら、今の日本社会は、究極の潔癖化と男女が接触できない

社会風潮が有ります。
少し触れただけで、セクハラとなり、世の男性たちは、女性に触れる事に
ひどく抵抗を覚えていると言えます。
その為、本来、自然に結びつく男女の仲であっても、頭の中は妄想で
一杯であっても、実際は、それ以上発展できない男女が多いのです。

また、古き日本の時代の男女は、異性同士が手を触れただけで結構しなければ

ならないと思うくらい、男女の関わり合いが無知でした。
しかし、この事は、現代においても、別の感覚で男女の溝が大きく
男女が結びつくまでには、数々の難関が待ち構えているのです。

その最大の問題は、余りにも多い知識と、余りにも少ない現実の

男女の関わり合いに於ける生の感覚です。
万の知識が合っても、男女を確実に結びつけるものではありません。
お互いが、相手の気持ちをしっかりと理解し、男女の違いを感じ
その違いをしっかりと受け止めなければならないのです。

その気持ちとは、ハウツー物の本やネット知識では、何の役にも立たず

いかに多くの異性と関わって来たかに依ります。
しかし、このように書くと、多くの短絡的な古いタイプの日本人は、
直接的な雌雄の結びつきのように考え、やはり、その重要性を理解せず、
学校でも、家庭でも、習う事が出来ない事としてしまいます。

男女の付き合いと言うものは、年齢により世代によりさまざまであり、

その人の人生の中でも、様々に変化していくものです。
一生の間、各時代でその都度、異性に対する思いは変わり、多くの
異性を通じて、男女の違いを学んでいかなければならないのです。

立派な大人になり、男子を女子をそれぞれがしっかりと理解するには

それまでに沢山の心と体の接触がなければならないのです。
大人になるまで、膨大なる知識は詰め込まれても、男として
女としての大切な知識と経験がないのが多くの日本人です。

教育と言うのは、単に学問であってはならず、人の心と身体を育て

男女の正しいあり方を教えていかなければならないのです。
男女がお互いに相手の事を深く知る事に依り、異性の存在を
心から尊敬し、相手の事を思い癒すことが大切なのです。
その結果、最も自分の心とあった人を選ぶことが重要です。
単に雄雌を結び付けて出生率を上げようとするような政策では
本当に幸せな結びつきを持った日本の家庭は生まれないのです。


弱き者、汝の名は女でなく、男なり

2014-07-30 20:43:20 | 男女同権

男と女はどちらが優れているかという問いに、
様々な見解が語られてきましたが、我が家においては
間違いなく女が優れています。

何か問題が生じると、その問題をいかに処置したらいいかと
あれやこれやと考え、中々前に進まない間に、いつの間にか
スタートしています。

いつも計画性を持って、先の事を考えて、最適なプランをイメージ、
更には、実行する為に、時間と予算、更には人的物的な事まで
全て考えている時、さらに先を走っています。

ひょっとしたらその先は断崖になっているかも知れない。
もしかしたら、大きな川があって渡れないかも知れない。
突発的なアクシデントに見舞われるかも知れない。
そんな事を考えていると、すでに問題は片付いて、その先を歩いている。
いつもうまくいっている訳ではなく、ときおり壁にぶつかって
泣きを見る事もあります。

しかし、振り返ってみると、処理した数は断然女に軍配が上がります。
今回、父が倒れて、兄弟全員が様々な行動を示しました。

お互いの意見の食い違いから、いさかいが生じたり、嫌な思いをしたり
簡単に協力し合えると思ったことが、お互いの主張が壁となって
思いがけなく時間がかかったりしました。

短期間でさまざまな事が次々に起こり、思い返すと、どっと疲れてしまいます。
でも、そんなトラブルの最中も、女たちは確実に前に進んでいます。
石橋を叩いて渡るかと思いきや、対岸に飛び越えたり、
川に落ちて、大変な思いをしたと思いきや、何事も無かったかのように
対岸に泳ぎ着き次の目的に向かっています。

考えると、小さい頃から私達男に見せる、弱くて何もできない様な、
男が助けなければ何もできない様な素振りや身振りは、明らかに
男をしのぐ逞しさや強靭さを隠すカモフラージュではないかと思います。

男女同権とは言え、実際は男が社会の中心となって動いていて、
女性からの不満の声が聞こえてきます。
でも、その前に出て自分を主張し会社を動かし、家族を守っていると
信じている男の後ろで、しっかりと手のひらで転がしているのは
間違いなく女であると思われます。