私たち日本人に多くの感動を与えてくれた平昌オリンピックも
花粉の訪れと共に過ぎ去って行きましたが、次なる喜びは
今月末の桜の開花と言えます。
日本人にとって、桜は、心の故郷ともいえる、ノスタルジーをかき立てる
美しい日本の自然の1つと言えます。
毎年の事ながら、次第に膨らむ黒い蕾に期待が高まります。
ほかの植物と違って、黒い枝に緑の葉が茂る前に、突然、華やかなピンクの
花が広がって行く様は、とてもドラマチックであり、人々を興奮させます。
更には、あっと言う間に散ってしまう様は、人間の人生に当てはめられたりと
桜の開花は、日本人にとって、春の最大のエンターテインメントと言えます。
オリンピックで活躍した日本人選手を見ていると、長く苦しい練習を経て
世界の場で活躍する様は、まるで桜の様に華やかです。
しかしながら、桜の花の様に、その後は、あっと言う間に、メディアから消えて
多くの人の関心から遠のきます。
まさに、桜の様な華やかさと潔さの様にも思えますが、自然界はともかく
人間の世界に於いては、多くの問題が有ると言えます。
私達、多くの視聴者は、選手たちの華やかな部分しか見ていませんが、
彼らの、現実の厳しさを知りません。
スポーツですから厳しいのは当たり前なのですが、問題は、日本の選手達が
置かれている環境と言えます。
素晴らしい選手が育つには、それだけの環境が無ければなりません。
一部の選手を除いて、殆どの選手達は、スポーツに専念する事で、生活の
殆どを練習に依存しなければならず、良い選手が育つには、生活面での
豊かなサポートが必要です。
この点が、日本のスポーツ選手にとって、自分の競技練習をするよりも遥かに
問題であることが多く、スポーツをする事で、苦しい生活を強いられている選手が
非常に多いのです。
例え、国を代表する選手となっても、自分のスキルを維持し、より高きを目指すには
相当額の資金が必要です。
大手のスポンサーが付いている選手はともかく、個人的に費用を捻出しなければ
スポーツできない選手が殆どと言えるのです。
この事は、芸術芸能部門に於いても同じことが言え、日本に於いては、優れた選手や
芸術家役者が育つ環境は非常に厳しいと言えるのです。
メディアがとりあげ、大手のスポンサーが付いて初めて、実力が発揮できる場合が
殆どと言えますが、自分の生活を気にしないで、競技や芸術、芸能に専念できる人は
ほんの一握りと言えます。
今回のオリンピックは、記録的なメダル獲得数を誇ったとマスコミは伝えますが、
これは、日本国内における過去の記録との比較であり、今大会で、日本以外の国が
どれだけ多くのメダルを獲得したかを見れば、決して手放しでは喜べないのです。
メダルを獲得できる有能な選手が生れる確率は、日本の人口からすると非常に低く
日本が勝ったと喜んでいるのは、マスコミが作った謳い文句に過ぎないのです。
つまり、どの競技も、決して多くの競技人口によって支えられているのではなく、
日本人のほんの一部の人達が勤しんでいるに過ぎないのです。
冬のスポーツを多くの日本人が行っていて、その中から選手が選出されたと
言うのではなく、多くの種目が、日本人の殆どが関心を持たない状況で
ほんの一部人たちによって行われている現実を、しっかりと理解していないと
決してスポーツが広く国民に行き渡っている国とは言えず、日本人の多くが
身近なスポーツとしては感じられないのです。
日本代表として日の丸を背負わせる事で、あたかも、日本人の代表が出ている様な
錯覚を抱かせているだけで、選手達も応援する多くの国民も、先に続く思いを
実現する事は出来ないのです。
単に、商業的利益に利用されるだけのオリンピックでは、夏の大会と同じく
選手も国民も本当には幸せに成れないのです。
メダルを獲れた選手の下には、日本中にその道を目指す選手たちがいて、
その未来のメダリストを育てる各地の基盤、そして国の援助が有ってこそ
本当に子供たちが憧れる選手が育って来るのです。
最近は、様々な種目の成績優秀者には、報奨金制度が設けられたりして、
選手たちおモチベーションが上がっている様ですが、一時のお年玉だけでなく
スポーツ選手として長く生活が出来るサポートが充実する事が、選手たちが
安心して競技に取り組める本当の優しさと言えます。
エビで鯛を釣っても、その後は、何の餌も与えられず、ひもじい毎日で
トレーニングや稽古を行っていても、身体だけでなく心も続きません。
国は、定年退職した人たちに対して年金という形で、その後の生活を援助しますが
スポーツを行って来た人達に対しても、現役を引退した後もサポートが必要です。
多くの選手が、激しい選手生活により身体の至る所を痛めているのが普通です。
特に、日本を代表するような選手は、選手生活の間の身体のダメージは大きく
引退後や老後の生活は、一般の方以上に苦しい事が多いのです。
格闘系のスポーツ等は、早い時期に引退に追い込まれ、その後の生活も
病気や怪我との戦いである事が少なく無く、平均寿命も、日本人の平均よりも
遥かに低いと言う統計も出ています。
私達人間は、文化の発展と共に、様々な分野に進出し、衣食住とは関係ない
スポーツ芸術分野にその領域を広げて行きます。
しかしながら、日常生活から離れた分野は、それから収入を得ることが難しく
人間の能力を示すスポーツや芸術分野には、生きる為の苦しみが伴います。
世界と国の威信をかけて戦うスポーツ芸術部門は、国民の心を奮い立たせ
多くの人々に勇気を与えます。
幾ら経済的に豊かになったとしても、心が荒んでいたり躍動感を失っていては
国力が上がることは無いのです。
国民の心を奮い立たせる事は、一時的な経済効果よりも遥かに感動的で
長く人々の心の糧となるのです。
人は、心が豊かになると、自分のこと以上に、他の人が幸せに成る事を望み
苦労の末幸せを勝ち得た人に感動するのです。
人は、長く、集団で生活をして来た事から、人の喜びを自分の喜びと
感じる様に成っているのです。
何故、戦争は最も人々が嫌うものか、それは、戦争によって多くの人が
苦しむからです。
しかし、一方で、他人よりも豊かな生活をすれば、幸せに成ると
信じている人も多いのです。
しかし、どれだけ豊かになったとしても、それ以上の豊かさを求めるのは、
目指した経済的な豊かさを手に入れても、そこには本当の喜びが無いからです。
自分が豊かになった事で、周囲の人や多くの人達が幸せに成っていないから
幸せを感じられず、より豊かな生活を求め続けると言う果て無き欲求不満に
陥ってしまうのです。
自分とは全く関係の無い赤の他人であるオリンピック選手が活躍し、
メダルを取った事に感動するのです。
しかし、オリンピックが終わった途端、彼らの商業的価値は消えて
殆どの選手が、経済的に苦しい選手生活を強いられる事に成るのです。
例え、国を代表するオリンピック選手であっても、商業的価値が無くなれば、
多くの企業は見向きもせず、政府も、援助の手を差し伸べないのです。
今回のオリンピックに於いても、日本代表と言え、遠征費を含め様々な
関連準備品を全て仕舞いで行っている選手は多いのです。
韓国は近いと言え、年間何度も地球の裏側の外国に遠征している選手も多く
スポンサーを持たず、自費ですべて賄い、日常生活すら苦しい選手は
オリンピック代表選手以外にも無数にいるのが事実と言えます。
人間は、経済的に豊かであれば、何でも手に入るとは言えません。
スポーツや芸術に秀でるには、才能と全ての生活を犠牲にする程の努力が
必要です。
自分の力では成し得ない事をしてくれる選手達に、自分の代わりに戦い
夢を現実にしてくれる事は、多くの人々に感動を与えるのです。
メディアがとりあげる時だけチヤホヤしている様では、選手人口も増えず
国民の理解も次第に薄れて行くのが当たり前と言えます。
先進国になれば成程、国民は、メンタルな部分で満足する事を求めます。
今、日本で足りていない事は、経済的豊かさではなく、人々の心に
勇気と希望を与える為の、一人一人の心の満足を考えた政策なのです。