今年も残り少なくなって、目黒川に沿って吹き降りてくる風が
冬の到来を告げている。
我が家のネズミ騒動もいつの間にか遠い過去の様に思え、ただ
ガムテープで簡単に塞いだ襖の穴を見ると思い出す位だ。
庭の壁に沿って緑の絨毯を作っていたゴーヤも、いつの間にか
その存在すらない程綺麗に無くなっている。
そんな殺風景な庭の中に、ただ一角だけが腰の高さほどに緑が
茂っている。
それは、春先に小さなポットに入って、弱弱しく小さな緑で
今にも枯れそうになったまま売られていたバジルだ。
ゴーヤが全盛期の頃、ビニールポットからプランターに植え替え
られたバジルの苗は、周りの夏草と比べても明らかに軟弱。
時折サラダの具として数枚の葉を利用しても、すぐに忘れ去られ
次第にその存在すら消えてしまっていた。
最近久しぶりに庭にでてみると、何やら背丈の高い緑に生い茂った
植物が目に飛び込んできた。しかも白い花まで咲いている。
そう、それは明らかにあの軟弱なバジルの苗だ。
私の腰の近くまでしっかりとした幹を伸ばし、さらにはかわいい
白い花をたくさん咲かせていた。
近づいてみると、その独特の香りが鼻腔をくすぐり、我目を疑った。
毎日サラダに入れても、いろんなオカズのトッピングにしても
食べ切れる量ではない。
驚きの体面をしてから、かつて食べたことが無いほど毎日料理に
緑の演出をしてくれるが、まだまだ枝を伸ばし勢力を拡大している。
人は見かけによらないと言うが、植物のエネルギーも凄い、
ただ一時の見た目の判断に陥らないよう、毎日の生活にもっと
深い洞察力の必要性を感じる事となった。
冬の到来を告げている。
我が家のネズミ騒動もいつの間にか遠い過去の様に思え、ただ
ガムテープで簡単に塞いだ襖の穴を見ると思い出す位だ。
庭の壁に沿って緑の絨毯を作っていたゴーヤも、いつの間にか
その存在すらない程綺麗に無くなっている。
そんな殺風景な庭の中に、ただ一角だけが腰の高さほどに緑が
茂っている。
それは、春先に小さなポットに入って、弱弱しく小さな緑で
今にも枯れそうになったまま売られていたバジルだ。
ゴーヤが全盛期の頃、ビニールポットからプランターに植え替え
られたバジルの苗は、周りの夏草と比べても明らかに軟弱。
時折サラダの具として数枚の葉を利用しても、すぐに忘れ去られ
次第にその存在すら消えてしまっていた。
最近久しぶりに庭にでてみると、何やら背丈の高い緑に生い茂った
植物が目に飛び込んできた。しかも白い花まで咲いている。
そう、それは明らかにあの軟弱なバジルの苗だ。
私の腰の近くまでしっかりとした幹を伸ばし、さらにはかわいい
白い花をたくさん咲かせていた。
近づいてみると、その独特の香りが鼻腔をくすぐり、我目を疑った。
毎日サラダに入れても、いろんなオカズのトッピングにしても
食べ切れる量ではない。
驚きの体面をしてから、かつて食べたことが無いほど毎日料理に
緑の演出をしてくれるが、まだまだ枝を伸ばし勢力を拡大している。
人は見かけによらないと言うが、植物のエネルギーも凄い、
ただ一時の見た目の判断に陥らないよう、毎日の生活にもっと
深い洞察力の必要性を感じる事となった。