めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

ウナギと共に私達も絶滅!?

2015-06-30 19:50:24 | 環境問題

最近、ウナギを食べていません。
一年ほど前に、牛問屋さんで小さなウナギを食べて以来、
全く食品として、私の食事リストには入っていません。

ずっと以前、スーパーで、サイズLと言う、パックからはみ出る程の

中国産ウナギが山と積まれていたのが、遠い記憶と成っています。
その頃、中国産は美味しくないけど、安いからと気軽に買っていたのに、
今では、超高級魚に成ってしまい、かつてのMサイズの物が
二倍以上の値段です。

絶滅危惧種に指定されたことにより、ただでさえ高かった物が

急激に庶民の味から遠ざかってしまいました。
日本人にとって、ウナギは、昔から精の付く食べ物として珍重され
体力が失われがちな夏場には、季節の食べ物として普通に
食べられていたのですが、様々な理由で獲れなくなった事も有り、
いずれ幻の食品と成ってしまうのでしょうか。

しかしながら、ウナギの様に私達にとってポピュラーな食品は

無くなるとなると、大騒ぎとなってしまうのですが、近年において
毎年4万種類以上の生物が絶滅しています。
過去100年の間に絶滅した生物の数も、ここ数十年の間に
恐ろしいスピードで増えていて、この絶滅数とスピードは、
かつて恐竜が絶滅したときよりもはるかに上回り、
学者たちの間では、第六の絶滅期と言われています。

要するに、ウナギだけでなく、私達人間も含めて、

地球上の生物すべてが、急激なスピードで説滅に向かって
進んでいるのは事実と言えます。
様々な生物が絶滅する事で、生物同士のバランスが崩れ、
今では、環境の変化だけでなく、生物同士の食物連鎖が
様々な所で破たんし、一気に大量の生物が死に絶える現象が
自然界で多発しています。

私達とて例外では有りません。

自然からの糧を頼りに生きている人類は、この急激な食料不足に
すでに対応できなくなっています。
世界の3分の1は飢えで苦しみ、先進国でさえ、食料調達が
最大の国家政策と成りつつあります。

ウナギの様に、ある意味、食べなくても大丈夫な食品は良いです。

しかし、これから、私たちの毎日の食卓に並ぶ食料の多くが
制限される可能性が有るのです。
自国民をいかに食料危機から守れるかが、世界中の国々の
政策の中心となって行く事は明らかです。

近い将来、世界中から私達が生きて行くための糧が無くなり、

全ての生物共々絶滅へと進んで行くとは考え難いのですが、
過去100年の地球の絶滅グラフは、確実にその日が急速に
訪れる事を示唆している事実を、私達はどの様に捕らえて
未来に繋げて言ったらいいのか、それこそ神に縋る気持ちです。


記憶力の良いカラスたち

2015-06-29 16:58:31 | ウォーキング

朝の日課であるウォーキングを数年ぶりに初めて、もう10日になります。
最初は、目新しい自然の風景に心を奪われ、カメラを片手に歩く、それこそ
朝の散歩に近いものでしたが、しだいに、コンディションが整ってくると、
歩く距離もスピードも一段と増して、カメラを構える余裕も無くなってしまいます。

それでも、初夏の美しい緑には心が癒され、毎日、色と緑の香りに心が癒されます。

しかしながら、今や1年の内でも一番昼の長さが長く、日の出の時間も早いとあって
私が目を覚ます頃には、すでに朝日がしっかりと顔を出し、早朝から頑張っている
多くの方々の間を、申し訳ないように片身を狭くしながら、そっと入り込んでいます。

とはいうものの、歩いている方々は、自分の事で精一杯で、私の事なんか

眼中には有りません。でも、時折声を掛けてくれる方々が居ると、やはり、気持ちよく
都会であっても何かお隣さんを感じるものです。

ところで、今日もいつもの様に歩いていると、何やら遠くから騒がしい声が聞こえます。

歩くコースの先から聞こえます。
次第に近づいていくと、突然、大きな木の上から、ギャー、ギャーと嫌な声がします。

まさか!?思いつつも、何事も無いかのようにその下を通過していくと、更に

複数の鳴き声が頭の上でします。見上げると、黒い羽ばたく羽が枝の間から見えます。
急いで、その場を離れ、大きく迂回して、別のコースに変更です。

足早にその場を離れると、後方で大きな声が何度も聞こえてきます。

その後は、幾つかあるコースの一つを選択し、都内の様々な街並みを眺めながら
ウォーキングを続けます。
30分程ぐるりと回った後、また、森の多い先ほどの場所に戻って来ました。

すでに声も無く、いつもの様に周回コースを歩いていると、

突然、左方の針葉樹の大木から、吠え立てる様な声がしてきました。
見ると、3m程の高さの大枝に、真っ黒の少し膨らませたような羽を上下している
1羽のカラスが大きく口を開き私を見ています。

ヤバイ!!奇襲か!!

私は、その大きな口の方を睨みつけながら、目を離さない様に、足早に進みます。
すると、羽をより広げ、ピョンピョンと枝伝いについてきます。
襲って来ないまでも、道路の周囲に植えられた木の枝に飛び移りながら付いてきます。

これは明らかに以前襲ってきたカラスに違いない!

しかしながら、少し広いくて大きな木が無い所まで来ると、もうついてきません。
後ろの方で、低い声で何度も鳴いています。
その辺りを振り返ってみると、そのずっと後ろの大木の上にもう1羽が居て、すこし
かん高い声で鳴いています。

やはりカラスは賢いのでしょうか。私がちょっと近づいて覗き込んだ雛はもう飛べるように

なったのでしょうが、親ガラスは私の顔を覚えていたようです。
襲われるまでは行きませんでしたが、私はカラスにとって要注意人物として
記憶されてしまっている様です。

今日のウォーキングは、途中でランニングも入れ、有酸素運動を取り入れてみました。

歩くだけなら、何キロも大丈夫なのですが、走るとなると少し勝手が違ってきます。
ウォーキングは、前進の筋肉バランスを作るには非常に有効なのですが、
その筋肉に、新鮮な酸素を送り込む血管系を育てるには、時々、インターバルとして
ランニングを挟むと、肺と心臓の機能が高まり、より中高年の運動としては
有効と言えます。


家族、親友を持つ素晴らしさ

2015-06-27 14:29:31 | 生きる力

かつて、大都会東京に住む事の孤独を伝えるドキュメンタリーが
有りました。
物凄い数の人々が集まる東京にあって、仕事に於いても街を歩いても
沢山の人に接しながらも、次第に孤立感を増す若者の番組でした。
この事は、現代においても、人々の心の闇として、大きな問題となって
解決されず、様々な世代の人々を苦しめています。

ネット社会になってからは、世界中の情報が瞬時に手に入り、

生活が便利になった半面、ネットの中でさえ孤立感を増し、現実の社会でも
ネットの社会に在っても、自分の居所を見つけられない方も多いです。

現実社会は増々巨大化し、どんどん機能の合理化が進んでいるにも関わらず

自分自身は全くついて行けず、蚊帳の外に居る様な孤独感を感じている若者も
少なくありません。

こんな人々に共通の感覚は、本当の自分の心を理解してくれる

身近な環境が存在していない事です。
共通の話題や仕事でやり取りできる人は多くとも、自分自身の
心の奥底を語れる人がいないのです。

出来るだけ、人との煩わしさを避けたり、トラブルを避けたりするために

当り障りの無い話題に終始する生活は、自分を見失いやすく
自分自身を癒す事が出来にくくなります。
確かに、人と付き合ったり、家族を持ったりすると、様々なトラブルが生じたり
思っても見ない人の気持ちに驚いたり心を痛めたりもします。
しかし、それは、人と関わることによって生じる当然の摩擦であり
それが無いという事は、より深い関係や喜びを得る事が出来ない事にも
なるのです。

問題は、そういったトラブルではなく、様々な思いがけない事や

自分と違う考えや意見が出た時、いかに上手く対処して理解できるか
という事です。
人は、あなたと同じく、トラブルに巻き込まれたくないし、傷付きたくないと
思っています。そして、同じく不安な気持ちで一杯なのです。
自分が思うと同じく人は傷つく自分を恐れているのです。

人と関わる事で大切な事は、その深い心の弱さが誰にもあり、

そのデリケートな部分を認めてくれることを望んでいるのです。
生きて行くには非常に不安定で外には見せたくない弱い部分が
誰にでもあります。

しかし、その部分を認めてくれたり癒してくれる事を誰もが望んでいます。

大切な事は、人に関わらない事ではなく、人それぞれが持つ
その人だけの気持ちを理解しようとする事です。
胸襟を開けない相手と人は一緒に居られません。

この事は、素晴らしい友を得る事、生涯の伴侶を見つける事と同じです。

本当の人の心は、一般論で簡単に語る事は出来ません。
1人1人全く違っているのが当たり前なのです。
その、心の奥底の非常に傷つきやすい部分を理解しようとする努力が
家族を作り、親友を作り、そして、自分の癒される場所を見つける事に
繋がって行くのです。


便利な社会に冷える心

2015-06-26 20:21:52 | ネット社会

自然は、時のドラマティックな光景を私達に見せてくれます。
大都会に住んでいても、気を付けて観察していると、
思いがけない光景に出合う事が有ります。

以前、目黒川に、巨大な黒い影が動いていた時も、それが

小さなボラの群れであっても、ウミウやコサギに追われると
様々な形に変化し、あたかも、巨大生物が泳いでいる様で
橋の上から眺める多くの人達が歓声を上げていました。

更には、雨と風が強かった翌日には、木の根元に突然

何百と言う木の実が落ちて、その甘酸っぱい香りが
辺り一面に広がり、思いがけない自然のデザートを
味わう事が出来ました。

でも、こんな大自然の驚きの姿も、様々な条件が重なり

翌日にはもう殆ど見る事は出来ません。
しかし、かつての日本には、自然の驚きが毎日繰り広げられ
幼い頃の脳裏にしっかりと焼き付いています。

春夏秋冬、植物も動物も、その生き様は非常にドラマチックで

学校の登下校の際、友達と遊んでいる時も、常に何か
私達を感動させる出来事が在ったものです。

現在、私達は、ネットやマスコミから、膨大なる情報を得て

世界中の出来事や、自然、街、人々の暮らしを
瞬時に知ることが出来るようになりました。
居ながらにして、あらゆる情報を手にできる事は、
非常に便利であり、日常生活をより豊かに出来ると
信じていました。

しかし、情報が増えれば増える程、残念ながら、興味が薄れ

情報を得る喜びは次第に無くなって行くものです。
何故なら、それは、どんなに素晴らしい情報であっても
誰かの手を経て、更には、誰かの情報によって得られた
疑似体験に過ぎないからです。

私達の感情は、どんなにネット社会に成って、膨大な情報が

伝えられても、自らが体験して感じるものとは程遠く
しかも、自分の心に残るものではないのです。

私達は、生まれてからこれまで、自分以外との関わり合いで

自分の人格形成を行なって来ました。
その、心の成長は、それまでの生活で関わったものとの
やり取りで創られてきたのです。
しかし、知識を得る事と、自分が体験して身に付ける情報とは
全く異なっています。

人様が集めた情報を頭に沢山いれても、単に、本棚を並べた

様なもので、自分の身になり血になる心の栄養とは、思ったほど
役に立たないものです。
特に、人間関係に於いては、いくら沢山の知識を並べられても
何の感動も生まれず、お互いに心の対話にはならないのです。

今の社会、便利になって、人同士がお互いに接触しなくても

ネット上でやり取りが出来たり、交渉が出来たりします。
その為、非常に仕事が早く便利になった反面、お互いの心が
繋がらない、上辺だけの繋がりが多くなっています。

沢山の情報とマニュアルが有っても、中々求め合う事が出来ない

男女が増えるのもうなずけます。
セクハラ、モラハラと、人と人を過敏に遠ざける社会情勢が
極端な潔癖主義を生んでいる現状も有ります。

本来、人は、お互いに繋がり合って成長してきました。

様々なトラブルが有っても、その場その場で相手の事を考え
一番良い繋がりを育てて来たのです。

しかし、今や、人同士も、自然に対しても、全く感じられない

無為反応の人間が増えつつあります。
どんな事件が起ころうと、自分に関係なければ、目の前の事でも
冷たく見守る事しかしない、いや、出来ない人々が増えています。

人同士であっても、自然の中にあっても、ほんの些細な事でも

感じられる社会が次第に無くなり、人工の、心が動かない
外見だけが美しい環境が増えて行くのに、昔の日本の豊かな
自然と人々の生活を知っているゆえに、残念と言うより、むしろ
寂しさが募ってしまいます。


美しいウォーキング

2015-06-25 14:29:02 | ウォーキング

数年ぶりにウォーキングを始めて一週間程に成ります。
ジョギングをしたり、マラソンをしたりと、かつては
積極的に身体を鍛えたものですが、仕事柄朝トレが難しく
しばらく遠ざかっていました。

長い間スポーツに関わってきたとはいえ、数年振りとなると

先ずはウォーキングで身体のコンディションを整える事から
スタートする事と成りました。

走る事とは違い、ウォーキングは、周囲の状況や自分の

身体の中を十分感じる事が出来ます。
その為、身体の状態を知ったり、運動したときの筋肉の繋がりが
冷静に感じられて、あらゆるスポーツの基礎運動として有効です。

久し振りに歩き始めると、あらゆる世代の方が、早朝から行き交います。

見るからにスポーツをしていると思われる人から、健康のために
一生懸命歩いている高齢者も多く見られます。

そんな中、やはり気になるのは、多くの人が、健康と言うより、

いずれ身体を壊したり、筋肉を傷めるのでは、と思える歩き方や
走り方をしています。

一番気になる事は、振り込む足にしっかりと体重を加えながら歩いたり

走ったりしている方が非常に多い事です。
高齢者に多いのですが、前傾で頭を突出し、足早に歩いています。
前方の足に体重がしっかりと掛かり、力強く運動していると思いがですが、
この様な歩き方は、長距離に成ったり、走ったりとなると、確実に
膝と腰を痛めます。

私達の身の回りに有る、移動手段として便利な道具に、自転車が有ります。

自転車は、人間の歩行動作に近い理想的な機器です。
前後の地面の接地部分が私達の歩く前後の足にあたり
重心を真ん中に置く事で、非常にスムーズに進むことが出来ます。

この自転車に乗っている時、前方のブレーキをかけ続けているのが

前足に体重を掛けて歩いている方々なのです。
もし、自転車で通行中、突然前ブレーキをかけたら、どうなるでしょう。
前方につんのめって、危険な目に合う事は明らかです。

ウォーキングをする時、前方の足は、柔らかく振りだされ、

足の裏で地面をキャッチしたら、自転車のタイヤの様に、
地面を後方に引く様に進みます。すると、足の接地部分が
重心の真下に来ると、自然に地面を押し、次の足を振り込む事と
成ります。

この一連の動作の時、イメージは、姿勢よく自転車に乗っている姿であり

身体を前に出して、競争している様にしてはいけません。
足の運動は、最初地面に対するキャッチ、そして、プル、プッシュと
自然に移りかわります。

決して前の足を体重で押し付けたり、むやみに前傾に成ってはいけません。

例えジョギングに成っても同じ原理です。
そして、この、三つの足の裏に関わる運動が、前方から後方に
重心を真っ直ぐに通って行なわれると、綺麗な脚さばきと成ります。
この時、大切な事は、骨盤から脊椎を通って頭骨までが
自転車のサドルに腰かけて、真っ直ぐに伸び、肩と頭の重さを感じながら
バランスを取りながら走っている場合と同じです。