めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

ファッションは、自分自身を育てる為に

2017-10-28 14:48:31 | ファッション

ここ2週間ほど、週末になると、台風に伴った雨に見舞われます。
今の時期は、秋晴れの青空の下、美しい紅葉を愛でる事が出来るのに、
今年の秋は、本当に心が晴れません。
日本中が活気づくと思われた選挙も、従来の大勢と何だ変わらず、
新たなる期待を抱くと言うより、またこれから混沌とした不信感に満ちた
政局が続くと思うと、これまた心が晴れません。

しかしながら、お天気が悪いとは言え、年末に向けてのイベントの一つとして
最近若い人達に定着して来たハロウィンが、多少なりとも街中を明るくしています。
月末の本番まで、今日明日は、仕事が休みの方が多いとあって、様々な職場から
学校関係から、この日の為に様々な衣装で繰り出してきます。

近年、若者たちのファションに対する感覚は、より綺麗によりファッショナブルに
そしてメイクは、如何に理想の美しさに近づくかに注目しています。
それ故、街を歩くと、若者たちは、衣装とメイクに気を配り、よりハイセンスな
出で立ちで颯爽と歩いていて、日本人の若者たちが随分ファッショナブルに成ったと
感動してしまいます。

この傾向は、メディアの発展により、より美しさを求める為の手段としとして、
自らの体形を理想的にすべく、多くの若者が、まるでモデルの様に、自らの身体を
シェイプアップしています。
中には、お隣の韓国の様に、整形をする事すら抵抗を感じず、日本の若者達の中には
完全に元の姿から変身してしまう者も増えています。

連日テレビに映される理想的な男女の姿は、若者達にとって憧れであり、
プレッシャーとも言えます。画面から伝わる様々な情報は、自分達の目的は
誰もが憧れる様な美男美女であり、多くのタレントの姿や仕草が理想であり
求める姿であるかのように思わせます。
様々な商品を使えば、その理想に近づくかの様に、メディアの情報操作は
商業目的とは言え、人々に、必要以上の理想に近づく事を求めます。

しかしながら、同じような商品を使ったり、同じような衣装を纏ったとしても
テレビタレントや俳優たちの様には成れません。
というより、そもそも、人は誰一人同じではなく、其々の個性で生きているからです。
如何なる格好で、いかなる化粧をし、衣装を身に付けるかは、答えが有る訳でなく
一人一人の感性に委ねられるべき事なのです。

専門のメイクや衣装の方々が作り上げた姿は、画面を通して見ると、自分の求める
美しさの様に錯覚してしまい、まんまと、商業的なトラップに掛かってしまうのです。
確かに、年々洗練化されるファッションや化粧を見て真似れば、それなりに巷の
若者達も美しさを増すと言えるのですが、毎年変わる流行は、人々を美しくする
というより、より商業的利益を生むための商法であり、流行に乗せられて、本来の
自分自身の美しさに気が付かなかったり、大切な個性を見失ってしまったりすると
本人は満足していても、次第に、端から見ると、残念な人に成ってしまいます。

その様な、人々を常につま先立ちさせている理想への憧れからすると、
ハロウィンは、全く逆の立場から若者達に受け入れられていると言えます。
そのメイクは、よりおぞましく、怪奇であり、見る人を驚かせます。
普段なら美しい顔立ちと出で立ちに人たちが、全く逆の立場の衣装と化粧で
街中を練り歩きます。
美しさや可愛さを強調する為に行っている普段の努力と真逆であると言うより
それ以上の、美とは真逆の方向に自分自身の存在を印象付けています。

所が、彼らの気持ちは、美しさを追求する以上にエキサイティングであり、
開放的なのです。
まるで、本来の若者の姿を見る様に、外見とは裏腹に、素直な心の笑顔が見られます。
悍ましく醜いメイクが、本当の若者達の心を出させている様で、ファッショナブルに
街を歩いている時の、見られている評価への緊張は有りません。

しかしながら、この、其々の気持ちが自然に現れる社会と言うのが大切と言えます。
現代社会は、自分の本当の姿を見せられるのは、プライベート以外には難しく、
常に周囲の事を気遣い、必要以上に自分の評価を高める努力をしなければいけません。
経済社会に於いては、如何に多くの所得を得て、他人よりも少しでも豊かな生活をし
より高い地位を確保する事がステイタスとされ、世の中のカラクリも、子供たちの
日々の勉強も、この経済社会で豊かに暮らすために有るのです。

とは言っても、どんなに頑張っても、常に自分より上の人が居る事で、多くの人達は
常に戦い続け、より豊かな生活を求める努力を強いられます。
この社会に於いては、より経済的に豊かな生活をしている人が、多くの人々の理想となり
外見的な姿も、人々が求める姿を理想としています。

しかし、どんなに努力しても、誰もが、同じように理想的な生活が出来る訳でなく

殆どの人が、自分の生活に常に疲れていると言ってもいい状態なのです。
毎日つま先立ちの生活をしていれば、心も身体も疲れてしまいます。
人は、大地にしっかりと足の裏を付け、時にしゃがんだり、横に成ったりすることで
新たなる力が湧いて来るものです。

その自分を支える大地は、人其々であるだけでなく、一生を通じて自分を育てて行く

大切な命の源を生み出すものと言えます。
現代社会は、常に、周囲を見渡し、自分より高きに居ると思われる人に近づくことが
幸せの道であるかのように人々に求めます。

多くの人達は、自分自身を見つめなおす事も無く、常に、社会の求めるままに

背伸びをする生活を強いられているのです。
そんな生活に耐えられなくなると、突然崩れ落ち、立ち直る事が出来ない人たちが
増えてくるのです。

人は、普段の生活においても、夜は身体をベッドや布団に長らえ、朝目が覚めると

自分の身長の高さを基準にして、様々な環境で身体を自由に動かして生きています。
しかし、心の中が、同じようなリズムを失い、背伸びをし続けると、いつの間にかに
自分自身の姿が見えなくなってしまうのです。

周囲を気にし、周りの環境に心を奪われてしまうと、心の居所を見失ってしまうのです。

もし、世の中に自分を映す鏡が無かったら、人々は、もっと自分自身の事を知り、
外見的な姿を求めるより、同じように人の心を気遣う様に成ったでしょう。
人は、鏡や自分の映像を見なければ、自分自身がどの様な顔をしていようと気にしません。
つまり、他人と自分の外見を気にしないのです。

もし誰かが、自分の顔は世界で一番美しいと言えば、そう信じるしかないのです。

しかし、自分の求める他人の顔が、一番美しいとすると、周囲の人達の思いはどうでしょう、
当然あなた自身に対する評価は、批判的と成ってしまうのです。
人は、その人の顔を通じてその人の人格を理解するのです。

いい悪いと言うのでなく、自分達が見た顔が一番その人を表していると思うのです。

顔が良い悪いと言う事で、評価をしているのではなく、その人の個性として外見を
見ているに過ぎないのです。
つまり、顔を通して人格評価をしているのであって、顔で人格評価をしていないのです。

美しい顔であろが醜い顔であろうが、その顔を通して現れて来るその人の個性が、

自分達にとって喜ばしい物かそうで無いかが重要なのです。
美しいメイクをして、綺麗な服を着たからと言って、その人の人格評価が変わるとは
言えないのです。というより、むしろ、外見的な美しさから、醜い心が見えた時は
評価は最悪であると言えるのです。

美女と野獣と言われる様に、世の中には、外見的に理想的と思われないペアが多くいます。

もちろんこの逆の場合も有ります。
しかし、多くの方は、幸せは、誰もが求める姿である事で得られると思ってしまいます。
同じく、経済的豊かな生活は幸せな生活と思い込んでいる方も多く居ます。
所が、現実では、こんなはずではなかったと後悔している方も非常に多いのです。

人は、生きていく上で安心を求めます。

その為に経済的に豊かな生活を求めるのでしょうが、美しさ、経済的豊かさは、安心に
繋がらない事が多いのです。
特に、つま先立ちの生活は、自分自身も辛いのですが、そんな生活をしている人を
多くの人は好みません。
大地にしっかりと足を付けた人を求めます。

その大地に足を付けた人と言うのは、自分自身をしっかりと理解していて、自らのペースで

自分の感覚を大切にして生きている人なのです。
つまり、外見的に美しさを身に付けても、例え整形をして、美しくなったとしても
その美しさを他人との比較として理解している人は、やはり、いずれ嫌われるのです。

溢れる世の中の情報の中で、如何に自分にとって相応しい物かの判断が出来ず、

ただ闇雲に、背伸びをしていると、いずれ足元をすくわれてしまうのです。
自分自身の五感がしっかりと働く為には、いつも、自分の心に向かい合っていなくては
成りません。周囲の環境に対して、センスある行動がとれる方は、どんな世界に居ても
周囲の人達から憧れられるものです。

素晴らしいファションで身を飾り、美しいメイクを施し、理想的な身体に仕上げても

そのどれをも、自分自身が欲するものとして選択できている方は、より素晴らしい
評価を周囲から受けるのです。
何が自分にとって本当に相応しく必要な物なのか、背伸びをしないで、じっくりと感じる
豊かなセンスを育てる事が、自分自身の人としての価値を増し、周囲から見ても
素敵な人生を送っている人と評価されるのです。

 

 

 

 


 

 

 

 

 




 

 


女性たちよ、美しくあれ!

2014-11-07 13:26:50 | ファッション

最近、街を歩いていても、公共機関を利用している時も、思う事は、
中高年と言うより、全体的に色の無い、無彩色のファションが目立つことです。
たとえ、若い人達でさえ、黒いパンツファッションや黒いストッキングの姿が
普通であり、中には、風邪でもないのに、マスクをして顔を隠す若者も多いです。

確かに、世の中が住み辛く、様々な凶悪な事件が増える中、周囲の人とできるだけ

関わり合いを持ちたくないと言う心理は有るかもしれませんが、最近の女性方は
ファッションに関して大切な女性を美しく魅力的に見せる事を忘れている様に
感じてしまいます。

目立つ格好をして、周囲のヒンシュクを買ったり、また犯罪に巻き込まれたりしないかと

消極的になっているのかも知れませんが、ファッションは継続していないと、しだいに
センスを失って行き、自分に合う化粧とか服装が解からなくなるものです。

昔から、中高年の人が、やたら奇抜な服装をしたり、年齢よりもかなり老けて見える

洋服を着て、せっかくの美貌を台無しにしているのを見かけます。
彼女たちは、多くが、生活や子育てに忙しくて、自分の事にかまっていられない時期があり
ファッションから遠ざかってきたことが原因として挙げられます。
自分を美しく見せる事が出来ず、本人とは似つかわしくないファションに身を包むのです

ファッションもスポーツと同じで、いつもトレーニングしていないと身に付きません。
別に高いものを求める必要は有りません。
タンスの肥やしになっているものとか、何年も前に来たものでも、少し組み合わせを変えたり
ヘアースタイルを変えたりして、人前に出てチャレンジする事です。
若い時は何を着ても様になっても、さすがに年を重ねると、思いもしない姿になってしまいます。
年を取ったとか、三十路四十路と嘆く前に、少しづつ、身の回りの衣類を工夫して
自分だけのファッションをトレーニングしていくと、幾つになっても魅力的な女性でいられると
思います。


素敵な洋服を着こなす

2014-04-11 15:10:50 | ファッション

ハナミズキの新芽が出始め、いよいよ初夏の彩となってきました。
桜の花が咲く頃は、時たまビックリする程寒くなったりするのですが、
今や、寒さよりも暑さや紫外線を心配する様になりました。

暖かくなるにつれて目立つのは、お花だけでなく、街を歩く人々の
出で立ちに爽やかな服装が目立ってきます。
若い方々は流行のファッションに爽やかな初夏を思わせますが、
高齢の方々も負けていてはいけません。

近年、特に、都会に住んでいるお年寄りが、ファッションに興味を持ち
実年齢よりもかなり若く着飾る様になってきました。
街に乱立する有名ブランド店には、季節を彩る美しいハイセンスな服が
人々の目をくぎ付けにしています。

しかしながら、沢山の諸先輩を見て、思わず見とれてしまう方を見るのは
滅多にありません。決して服装が悪かったり、お化粧が似合わなかったり
という訳ではなく、自分の本来の姿と着た衣装が合っていないのです。

テレビや雑誌で有名人やモデルが着ていると、あたかも、同じものを着れば
同じように美しくなると思ってしまうのが人の性です。
ファッションブランドで着飾っても、大衆店で買ったリーゾナブルな服を着ても
残念ながら合わないものは合わないのです。

多くの方が、新しい衣装を買うと、以前と比べて一段と美しくなったと思います。
でも、冠婚葬祭の時の人々が、黒い衣装以外殆ど似合っていないのです。
特に、結婚式ともなると、まるでファッション関係の学校の卒業式です。

何故、そんなに違和感が生まれるのでしょう。
それは、普段着慣れていないからです。冠婚葬祭がしょっちゅう有っても
困ってしまいますが、多少違和感があっても、箪笥の肥しになっている服を
普段から着る機会を見つける事です。

どんなに素晴らしい衣装でも、時たま着ると貸衣装にしか見えないのです。
着こなすと言う言葉が有ります。それは、衣装と一体化して、しかも、周囲に
違和感なく溶け込めるという事です。

特に高齢になると、ファッションに関して無頓着になりがちです。
自分を演出する衣装にするには、その衣装が似合う場所に出かける事です。
着るものが無くても、唇に少し色を差すだけでもいいです。

私の行きつけのマーケットでお会いする推定80歳前後の女性がいます。
今時は麻のサラリとした清々しいパンツルックで買い物かごを下げて
颯爽と入店してきます。
彼女の素晴らしいのは、決して派手ではない服装で有りながら
見事に体型と顔立ちに合っているのです。
真っ白のロングヘアーを丸く頭に留めて、少し明るいルージュを差して
野菜を品定めする姿は絵になっています。

もう一人の方は、ほとんど毎日、バスに乗る時にお会いします。
小柄で少し太めでいらっしゃいますが、いつもお似合いのファッションで
バスを待っていらっしょいます。この方のファッションポイントは
日本人には難しい帽子を粋に被っている事です。

どんな方も工夫をして着こなしていけば、その方に合う衣装が見つかります。
幾つになっても女性は美しくあって欲しいものです。

季節が変われば、自分のお気に入りの場所に一番お気に入りの服装で
出かけてみては如何でしょうか。


ヒートテックの暖かさ

2014-03-08 13:14:10 | ファッション

この時期、何を着て外出しようか迷ってしまいます。
一日ごとに気温が大きく上下して、冬の格好では重そうだし、
かと言って春の服装は寒そうです。

今日は日差しがまぶしくて、思わず目を細めてしまいました。
気温は低めですが、春の光は、北風と太陽の物語のように
思わずコートを脱ぎたくなる程です。

でも、最近、どうしても外せないものが有ります。
それは、ヒートテックという下着です。
二十代の頃は、たとえ外で雪に降られようとも、コートの下は
シャツとジャケット、ズボンはペラペラの夏と大してかわらない
薄手のズボンでした。
それでも、そんなに寒さは感じず、運動をすると体中から汗が
吹き出し、外気に身体から白い湯気が上がったものでした。

ところが、近年、年を重ねた事もありますが、ヒートテックなるものが
巷で流行り始め、一度身に着けるともう一枚の皮膚の様で
暖かさに一日中脱ぐことが出来なくなってしまいました。

外出する時のみならず、室内にいる時も、はたまた寝ると時も
肌身離さず、これが無いと寒くていられない程となってしまいました。

決して私は企業の回し者では有りませんが、それまで厚い冬服を
重ね着していたものが、薄手の下着で最低一枚分は減らすことができ
キグルミのパンダ状態がちょっとはスマートになったように思えます。

しかしながら、このヒートテックは、春になって来たとき、暖かい日に
外出した時は困ったもので、バスや電車に乗っている時、やたらと
体中が熱くなってしまいます。しかも、汗を含むと更に発熱する事から
暖房衣類を纏っているようで、帰りにはびっしょりと汗をかいてしまいます。

梅の花や桜の花を見て春を感じるものですが、私自身の感覚として
もう一つの春は、ヒートテックを身に付けなくなる時です。
花にも食べ物にも春は感じますが、衣類の変化に春を感じると
いよいよ本格的な暖かい季節がやってきます。

後半月ほどすると、またあの桜狂騒曲がやって来ます。
我が家の周辺は一日中沢山の人で溢れ、春を愛でる人々の声が
夜遅くまで聞こえてきます。
一時の騒がしさですが、平和な日本が続く限り、毎年の楽しい騒動です。
いつまでも変化にとんだ美しい日本の四季を感じられるよう
心から願いたいものです。


妻の変身

2014-03-07 17:13:26 | ファッション

もうすぐ震災から3年が経ち、毎日あの日の恐怖を思い出させる番組や
いまだ復興しない東北の現状を伝える番組が増えてきています。
東京で仕事中に感じたあの言いようのない恐怖は、思い出すだけで
身震いを覚えてしまいます。

今日は朝からかなり空気が冷えています。もうすぐ桜が咲くと言うのに

窓際の寒暖計は室内と言うのに、真冬の様な12度を指しています。
重い話題が増えそうなので、今日は我が家の春模様を書きましょう。
近くの目黒川の桜も日に日に膨らみ始め、一見硬く見えるものの
近づいて見てみると、確実に先月よりも膨らみを増しています。

最近、妻が今まで身につけた事のない、明るいカラーのパンツを

履いて外出するようになりました。
以前は、いつも真っ黒なパンツで、流行とは言えピッチピッチに細い
その身なりは、私がかつてお祭りで履いていた黒い祭り衣装にそっくりで
誰もが履いているとはいえ、ファッショナブルとは言い難いものでした。

そこで、二人で渋谷に行った時、色物の明るい物を買うこととなりました。

年を重ねると、だんだんファッションに疎くなり、黒っぽい色の服装に
なりがちで、ただでさえ華やかさにかけて来るのに(失礼!)
全身無彩色では女性としてはあまり好ましくありません。

最初は派手で恥ずかしいと言っていましたが、上半身の服の色と

意外と何でも合い、全身を見ても若々しくなりました。
妻が若返って私がそのままでは今一と思い、
今日は髪の頭頂部から前髪にかけてドライヤーで2センチ程いつもより持ち上げ
気分的には自分も若返った気持ちで出勤となりました。

見てくれが少し明るくなると気持ちも軽くなるもので

近所を歩けば、二人にも春がやってきそうです。

でも、自分たちはアゲアゲでも、周りから見れば

少し派手な中年夫婦位にしか見えないのは否めないでしょう。

とは言うものの、妻は上半身にも明るい春物を纏い
全身若者の様にコーディネイト。
明るくなったものの、次は暴走を止めなければと
心ひそかに思い始めました。