めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

待ち遠しい、心踊る季節

2016-03-16 16:40:34 | 早春

三寒四温のごとく、最近は、寒暖の差が激しい日が続きます。
とは言え、いよいよ、華やかなシーズンがやって来ます。
今年の開花予想は、21日頃との事で、日々、黒い枝にならぶ
小さな蕾が気になって来ます。

今は、冷たい風が吹き下ろす川面に、あと一週間もすれば。
美しいピンクの花弁が咲き始めると思うと、この寒さも苦にはならず、
もうすぐ重いコートを片付ける日がやって来るのが楽しみです。

所で、毎年の事ながら、この桜狂想曲の間、多くの観光客がやって来て
家の周りから遊歩道に人波が続きますが、この桜の美しさに隠れて、
その下に流れる目黒川の現状に心が沈みます。

桜が美しい故、余計に、その現実を考えると、本当の自然の美しさとは
考え辛い様に思えてなりません。
満開の桜ともなると、黒い川面に鮮やかなピンクの色が浮き上がり、
ますます美しさを感じるのですが、これは、本来の美しさでは有りません。

かつて、目黒川の護岸工事が成される30年以上前は、都会の川とは言え
川面に続く土手には、緑の草が生い茂り、春ともなれば、菜の花や水仙が
美しく咲き、タンポポと共に至る所に生える土筆を子供達と採ったものです。

当時としても、決して綺麗な川では無かったのですが、今の様に、完全に
鉄板とコンクリートに囲まれた無機質の下水道では有りませんでした。
大雨が降ると、下流の五反田では、多くの住宅地が川から溢れた水により
床下浸水となったのですが、今では、川面は深くえぐられ、深い川底まで
四角くえぐられて下水路にする事に因って、その様な被害も無くなりました。

しかしながら、目黒川は、もう、自然の川とは言えません。
単に、都会に降った雨や、家庭からや工場から出る汚水の排水路に過ぎず、
そんな周囲を彩る桜の華やかさゆえに、増々違和感を覚えるのです。

日本は、平地が少なく、7割が山間部であり、多くの河川が海に流れ出ています。
降水量の多さもあって、山から沢山の栄養が海に流れ出て、削られた山の土砂は
肥沃な平地を作り、栄養豊かな川の水は、海や川の生物を多く育て、昔から
日本人が自然に恵まれ、多くの生きる糧を得らえてきた所以でもあるのです。

しかしながら、近年、日本の周辺が都市化工業化されるにつれ、この大自然の
システムが壊れてしまいました。
日本中の海岸や河川は護岸で固められ、川は、山からの栄養を流すことなく
私達の生活汚水を流す事が多くなりました。
その為、日本中で水質汚染が生じ、その事が、今では、海産物の漁獲量の激減と
私達の生活環境の悪化を招いているのです。

太古の昔から、文明は、川の周辺に起こりました。
私達の祖先は、川やその河口に広がる栄養豊かな海で命の糧を得て来ました。
この、大自然からの命を頂く事で生きて行くのは、今も昔も変わっていません。
しかし、私達は、自分たちの生活の便利さ豊かさだけを考え、私達を育てている
大自然を破壊し蔑にしてきたのです。

この事は、今や、地球温暖化に代表される、地球規模の異変と成って、私達のみならず
地球上のすべての生き物の危機を生んでいます。
食料自給率の悪い日本は、昔から、足りない物は、輸入すれば良いと思っていましたが、
今や、世界中が食料を求める時代と成り、いかに自国の自給率を上げるかに躍起となり
その為のトラブルも多く生まれています。

私達の住む日本は、昔から大自然に恵まれ、その中で、私達日本人は育てられ
命を繋いできました。
しかしながら、その命を育む元と成る、大自然のサイクルを破壊してきました。
私達が食するすべての物は、このサイクルが有ってこそ成り立っています。
日本は、山も海も非常に恵まれた条件に有り、太古の昔からこの恩恵に預かって
生きてきたのです。

急進な山から流れ出る、命の動脈である日本の河川を元の様な豊かな自然を
育む清流とする事が、未来の日本人を生かす大切な事業と言えます。
栄養豊かな山からの水が、海に流れ出て、多くの魚介類を育てる事が、
私達日本人が、末永く生きながらえて行く大切な仕事と言えます。

世界は、異常気象と共に、確実に食料危機に陥って行きます。
世界中の海で、食料を得るための争いが起こっています。
食料を得る海が無い国も多くあります。
しかし、我が国は、素晴らしい海に囲まれ、豊かな自然の中に有ります。
そんな海を枯渇させて良いものでしょうか。

日本の沿岸漁業は、乱獲や汚染で危機的な状況にあります。
せっかくの自然を壊して、自らの命を危うくして良いのでしょうか。
先祖が命を繋いだように、もう一度、私達を生かしてくれた自然を復活する事が
今を生きる私達の使命と思います。

春は、産卵の為に、多くの魚が川を遡上し、川の中は命が溢れているものです。
コンクリートで囲まれた、生命反応を感じない、暗く澱んだ川の上に
どんなに美しい花が咲いても、心から喜べないのです。



嵐の東京、春の湘南江の島

2016-02-15 17:06:44 | 早春

昨日は、春を求めて、久し振りに湘南へ行ってきました。
しかしながら、朝から酷い雨、昼ごろ家を出ると、駅に着く頃
まるで台風の豪雨の様に激しい雨と風に襲われました。
傘を差しても、下半身はびっしょりと濡れてしまい、
何とか駅のホームについた頃は、果たして、この日の計画は
無謀だったのかと思える程でした。

絶対大丈夫と言う私の顔を、疑いの眼差しで覗き込む妻を
笑顔で電車にエスコートすると、いつもなら超満員の電車は
信じられない程の空き様です。

やはり、こんな日に外出する者、しかも、観光を計画する者と言った
酔狂な連中は少ないのかも知れません。
しかし、今回は、天気予報と、自分の直感で、絶対大丈夫と思い、
強引に妻を道連れとしました。

東京から列車に乗って、40分程で目的の鎌倉駅に着きました。
列車から降りると、何と、青空が広がり始めています。
いつもの小町通りも、悪天候とあって、スムーズに歩けます。

観光客で賑わうこの通りは、殆どの場合、人を避け人に押され
覗きたいお店を横目に流される様に歩く事が多いのですが、
この日は、ゆっくりと一軒一軒物色して覗き込みます。

数件のお店で試食ををしながら行き着くと、そこは、鶴岡天満宮。
参道も人が少なく、参拝するまでのんびり歩けます。
参拝した後、少し暑くなってきた参道を引き返しながら、
次の目的地である江ノ電駅の長谷に向かいます。

この時期は、多くの観光客で賑わい、江ノ電も超満員なのですが、
何処に行っても本当にスムーズです。
長谷駅で降りると、近くの長谷寺に向かいます。
ここは、何度も通う、鎌倉でもお薦めのお寺です。
巨大なお釈迦様だけでなく、園内は季節の花が咲き乱れ、
見晴らし台からは、鎌倉の街と海が見渡せます。

江ノ電の停車駅でお寺を巡り、最終目的である江ノ島駅に付くと、
もうすっかり日が暮れ、江の島の灯台の灯が道すがら明るい
電飾で光り輝いています。

この日は、バレンタインデーの特別企画として、様々な光の作品が
灯台周辺に展示されます。
電飾を使った芸術作品が、屋外に様々な光の世界を創ります。
一月の半ばごろまでは、灯台の周囲は様々な春の花が咲き、
中でも、チューリップの花壇は見応えがあったのですが、
今回は光の芸術で江の島の夜を照らします。

灯台周辺の公園は全てLEDによる光の作品で覆われ、
まるで夢の世界の様です。
あいにく、光の風船を揚げるイベントは、強風のため中止と成りましたが、
関東三大イルミネーションと言われるだけあって圧巻でした。

朝、悪天候の中家を出る時は、余り機嫌が良くなかった妻でしたが、
帰る頃には、心から癒された一日だったようで、思い切って連れてきて
大正解でした。
江ノ島駅からモノレールに乗り、その後JRに乗り換えると家まで
一時間もかかりません。

家に帰りつくと、いつもの様に2人共グッタリです。
早々に風呂の準備をしつつ、今日の想い出に浸ります。
悪天候で諦めて、家でゴロゴロしていたら、こんな充実した一日は
得られませんでした。
こうして、また、思い出のⅠページが描けた事に感謝いたしました。

       

 


春を求めて千葉の山旅

2015-01-26 20:49:57 | 早春

先日、妻と一緒に千葉に春を求めてぶらりと行ってきました。
前回の江の島と同様、この日も一月とは思えない様な
ポカポカ陽気で、田んぼのあぜ道に咲く、清々しい
水仙の香りが鼻をくすぐり、早くも咲いている菜の花の黄色が
もう春の風景です。

小さな駅から小路をゆっくりと登って行くと、目の前に城壁の様な

岩の壁が近づいてきます。
昔、石切り場だった山の遊歩道は、いたるところで切り立った
包丁で切ったような岸壁がそそり立ち、不思議な空間を作っています。

30分程登って振り返ると、長い登山道の石段の向こうに、ついさっき

歩き始めた街がジオラマの様に山に包まれ、更にその先には
青い東京湾が広がっています。
良く目を凝らすと、微かに曇る西の空に、東京湾から浮き上がる様な
富士山が見えます。前回の江の島からよりはるかに離れていて
二回りほど小さく見えますが、さすがに富士山の存在は偉大で、
美しい早春の景色がグッと引き締まります。

一時間ほど登ってようやく見晴らしの良い山頂の近くに来ました。

東京湾と太平洋がパノラマの様に広がって、高山ではないものの
素晴らしい景色が360度広がっています。
この区域は、お寺の敷地内とあって、入場料を払って展望台に向かいます。
方や山の斜面が長年の石切りで断崖となり、スリル満点の光景です。
房総半島にある山々と殆ど変らない低山なのですが、この景色は
非常に特異で、多くの観光客が周年訪れます。

しかしながら、上りも下りも数百段の階段が続き、気持ちとしては

高山に登るより辛く感じます。
参道の至る所に石仏が祭られていて、中には、10メートルを超える
お釈迦様が岩に掘られていたりして、見応えは十分です。
更には、奈良の大仏様より2倍近く大きい、岩から掘り出した大仏様は
日本一の大きさで見る人を圧倒します。
300m程の低山とは言え、見応えのある景色が連なり、更には
歴史的にも貴重な石仏も多く、千葉の観光名所の中でも秀逸と思えます。

のんびりと一日美味しい空気を吸い、地元の美味い物を味わい

とても有意義な旅行でした。
東京から日帰りで行けるこの地は、15年程前に家族で登って以来です。
子供達も大人に成り、今では夫婦で重い足を持ち上げながらの登山です。
久し振りの山登りに今日はふくらはぎが張っています。
思い出の地は、一瞬にして当時の光景を思い起こしてくれます。
懐かしさと共に、時の立つ速さと歳を重ねる事の意味を噛みしめました。



振り返ると街並みと東京湾が美しい



不思議な空間



地獄覗き



日本一の大仏様


早春の江の島

2015-01-19 17:52:18 | 早春

昨日は、お天気も良くて、暖かさにつられて海を眺めに行きました。
東京湾の海も良いのですが、やはり春を感じるには湘南がお薦めです。
毎年この時期になると、ぶらり小旅行と言った感じで、光眩しい海辺に
出かけたくなります。

日曜の朝、少し早めに目を覚ますと、山手線から直通で行ける電車に乗り

春を探しに一人旅です。
この時期、妻は決まって学生時代の友達と集まりが有り、私のぶらり旅が
恒例となっています。

JR線の大船駅からモノレールに乗りかえると、直ぐに多くの観光客で賑わう

江の島へと着きます。
この前来た時は、あまりの観光客の数でどこもゆっくりと見る事が出来ず、
足早に帰ったのですが、今回は朝早い事も有って、人通りは多いものの
誰もが暖かい潮風に吹かれながら、のんびりと歩いています。

今日のお目当ては、島の頂上の公園に咲くチューリップを見るためです。

直接行ってもいいのですが、一旦船で島の南側にある海岸に向かいます。
ここは岩礁地帯が続き、海と岩が美しい景勝地を造っていて、観光客のみならず
多くの釣り人に親しまれてます。
遠くに富士を眺め、春先の磯はキラキラと光り、もうそこまで春が来ている事を
感じさせます。

長い階段を登って頂上まで上がると、そこは、美しく整備された公園に

色とりどりのチューリップが咲き乱れ、いたるところで観光客の歓声と
カメラを向ける人々で大賑わいでした。

更に日が落ちると、灯台周辺は美しくイルミネーションで飾られ、

昼とはまた違った、光の美しさにため息が出てしまいます。
私が住む目黒川周辺も最近美しいイルミネーションで多くの観光客が訪れ
春のお花見の様な賑わいですが、様々な色を使った江の島の光の演出は
華やかであり暖かさが感じられました。
丸一日、江の島周辺で春を満喫し、夜遅く帰宅となりましたが、
前回が不本意な旅行であった事も有り、今回は春に向けて
私の心を前向きに暖かくしてくれました。



江の島から富士を望む



波しぶきも暖かい



光輝く海に釣る



頂上に広がるチューリップ畑



夜の灯台は神秘の世界


早春の桜並木とスマホ充電

2015-01-13 13:10:11 | 早春

底冷えの我が家は、クーラーを使わないので、
基本的に暖房はホットカーペットです。
しかし、昔ながらの日本建築と違って、
我が家の床は地面と直結しているので
カーペットが無ければツンドラです。

普通、外出から帰ってくると、軽い部屋着に着替え

リラックスするのですが、ストーブを使わない為
帰ってくると、薄着と言うより、着慣れた?冬着に
着替えます。
それでも寒い時は、各自持参で膝掛けや毛布で
暖を取ります。

先日、久しぶりに整髪に行くために、目黒河畔を歩くと、

朝の斜めの光に桜の枝が光っていました。
いつも陽が落ちたり、冬の曇った日に眺めているからか、
眩しい光に包まれた桜並木を眺めるのは久し振りです。

太陽に向かって下流に歩いていくと、キラキラと光る

水面の上に、沢山の小枝を広げた桜の木が
一杯の光を浴びて気持ちよさそうです。

良く見ると、先月に比べ枝の先が色づいてる様にも

思え、なんとなく春の予感がします。
冬の寒い曇った日には、凍り付いたようにしか見えず、
春はまだ遠いと思われていたのに、季節は確実に
次のステージを用意している様です。

ところで、私も昨年からスマートフォンを持ち歩く様になり

ようやく我が家のメンバーと同じレベルで会話が
出来るようになったのですが、最近、そのスマホの調子が
今一良くありません。

機能は十分なのですが、うまく充電ができません。

息子が気をきかして、新しい充電コードを買ってくれたのですが、
ジャンクを差し込んでも、充電が開始されません。
なんだかんだ調べてみると、どうも充電器のせいではなく、
スマホ本体の接触不良であることが解りました。
しかも、しっかりと差し込んでも接点が上手く合わないのか
直ぐに充電ができなくなります。

そこで、差し込みを上下左右に動かしてみると、

有る角度で充電を始めるのです。
しかしながら困った事に、片手で押さえておかなければ
充電が継続できないと言う、コンピューターの時代には
極めてアナログな状態です。

何とか手の代わりにその角度を保てる物を探していると、

やっと、重さと大きさが合うものが見つかりました。
それは、私がかつて登った、北アルプスの奥穂高岳の
頂上の石でした。

何ともはや、不思議な充電光景となりました。

でも、今やそれが一番の方法であり、たとえ新しい充電コードを
買ったとしても、やはり、この石を乗せなければならず、
次なる解決策を思案中です。



朝の桜並木



すでに蕾らしきものが



スマホの上に奥穂高の石