めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

戦争を生む基盤

2017-04-29 18:13:01 | 環境問題

果たして、戦争は起こるのだろうか?
近年、戦争を体験した事のない世代が殆どとなった日本に於いて
国民の意識の中に、戦争に対する危機感は有りません。
ミサイルが発射されれば、たった10分そこそこで日本国土に
着弾すると言われても、恐怖にかられる日本人はまずいません。

しかし、それ程にも、日本は安全と言えるのでしょうか。
例え、アメリカ軍の強力な援護が有ったとしても、いざ戦いと成れば
全てのミサイルを阻止できるとは考えられません。
増して、着弾したミサイルに核爆弾が装着されていたら、間違いなく
戦後の災害史上最悪の犠牲者を生む事になります。
つまり、戦争が始まったら、全く無傷でいられる可能性は薄く、
地震などの天災で失う多くの命や財産を遥かに上回る犠牲を
生む可能性が高いのです。

戦争が終わって、平和な日々が戻って来ると思いきや、それは新たなる
苦しみと憎しみの始まりなのです。
一度戦争が始まれば、長きに渡り、人々の心に重い十字架を背負わせ、
直接戦いに関わらなくとも、憎しみの気持ちを抱かされる事と成るのです。

人間は、何故、これ程にもリスクの大きな戦争を起こそうとするのでしょう。
もし戦えば、どれ程の犠牲者を出すかは、想像出来たとしても、それでも
止めないその理由は、如何に人類が、地球上の生物に於いて、危険であり
存在すること自体がマイナスであるかとも言えます。

もし、この世に人類が存在せず、その他の生き物だけであったなら、
恐らく、地球環境は、はるかに快適であり、多くの生き物が絶滅を免れ
様々な生き物の環境が健全に存在したと思われます。

地球誕生以来、何回かの生物大絶滅が有ったにせよ、地球自体の環境を
破壊したり変えてしまったりする生き物は出現しませんでした。
生物は進化して来たものの、多くの生き物の環境を、自分達の生活に
都合の良い様に変えてしまった生き物は無く、如何に、人類が、
地球上の生物にとって、相応しくない生き物かと言えます。

とは言え、そんな人間の一人として、現在の地球環境、そして、
無くなる事のない戦争に心を痛めるのは、私だけではありません。
恐らく、世界中のほとんどの人は、争いなんかしたくないはずです。
一部の指導者たちの暴走によって、多くの人々が傷つき、更には
洗脳されて、危険な争いに向かって行くのです。

現に、北朝鮮の人民の99%は、食べるのにも事欠く、絶望の日々を
送っていると思われ、その苦しい胸の内を出すことも出来ず、
一日も早い援助を待ち望んでいると思われます。
そんな人たちに、戦争と言う追い打ちをかける事は有ってはならず、
戦争以前に、戦争に使われる膨大な資産を、国民の為に使う事が
一番大切と思われます。

何とか双方の矛先を納め、冷静に、私たち人類にとって、何が必要で
人類が平和に生きて行くにはどうしたら良いのかを考えることが
何にも増して重要と言えます。

今や、世界の資源は枯渇しはじめ、一部の国々がその資源を独占しようと
様々な強硬手段を講じています。
地球の国々は、富める国と、そうでない国の二極に分かれ始めていて、
この事が、様々な争いの原因とも成っています。
富める国は、より豊かになるべく、貧しい国々から更なる搾取を行い
その貧富の差が対立と成って、争いを生んでいます。

そんな世界情勢の中で、日本は、果たして、富める国と言えるので
しょうか。
確かに、国民総生産は、世界でも上位に位置していると言えますが、
その事が、国民の生活を豊かにしていると言えるかと言えば、
現実は、日々の暮らしにも事欠いている国民が多くいるのです。
例え、所得を多く得ても、それを散財する仕組みが多く有り、
余裕のある生活を送れる人が非常に少ないのです。

この国民総生産の内訳を見ても、その多くを大企業と言った、一部の
大手産業が担っていて、殆どの中小企業の生産性はとても低く
何とか生計を立てている企業も少なく有りません。
国民の生活も、未来を保証されるものでなく、生活を維持するだけで
精一杯の若者達も多く、自分達の未来設計もままならない状態です。
外見的には、日本は、先進国の様に思われていますが、実際の所は
一部の人達の利益で賄われているだけで、多くの国民生活は、
生活の余裕すらないのが現状です。

マスコミから伝えられる映像メッセージは、日本国民は、全てが
文化的で豊かな生活をしているかのように思わせますが、
画面のこちら側の庶民は、極めて質素で、苦しい毎日なのです。
それでも、私たち日本人は、お互いの気持ちを察しながら、
与えられた環境に於いても、幸せに生きたいと願っているもので、
この事は、太古の昔から培われた、日本人の魂とも言えるのもです。

和を持って尊し、とした日本文化が、近年の消費文化、経済至上主義の
考え方で、人々を苦しめているのです。
経済的に豊かであることは良い事では有るのですが、あくまでも
手段であって目的で有ってはならないのです。
一番大切な物は、一人一人の心の幸せです。
この部分を考えることで、日本文化は、世界でも有数の心豊かな文化と
成り得たのです。

しかしながら、現代社会は、人々に、経済的な豊かさを幸せとします。

子供たちの勉強の目的も、大人たちの労働の目的も、経済的豊かな生活を
目指すように作られていて、人々の心は、荒んでいくばかりです。

アジアの発展途上国の貧しい国々の人達の方が、幸せと感じている率が
日本人より遥かに高いのは、一体どうしてでしょう。
ひょっとしたら、食べることもままならない北の国民たちは、たとえ
独裁政治下に有っても、私達より幸せと感じているのかも知れません。

ミサイルが飛んできても、戦争と成るかも知れないとしても、幸せと
思えない人生を送っている人が多ければ、それ程危機感を感じられず、
諦めの境地と成っているのかも知れません。
もし、本当に豊かで幸せな日本が危険な目に合わされそうだとすれば、
国民の全てが、国を守ろうと行動に移すと思われます。

冷静沈着な国民と思っているのは、単に、自分の保身で忙しい、一部の

富裕層や政治家だけなのかも知れません。
国への期待も薄れ、更には、諸外国の侵略にも怒りすら忘れているのかも
知れないのです。

それ程にも、日本は、今や、閉塞状態であり、一部の大手企業の独占が
日本社会を動かしているに過ぎないのです。
働いても働いても、楽にはならず、人生の喜びも味わうことが出来ず、
刹那的な快楽で心を誤魔化し、高齢と成っても、余裕ある人生を歩めず、
日本人は、どの世代も、真綿で首を絞められている様な生活を強いられて
外面だけを豊かそうに見せているに過ぎないのです。

この原因は、高度成長の後、バブルが崩壊して、日本の経済成長が

止まってしまったからではなく、最初から、国民の本当の幸せを考えない
一部企業の暴走に身を任せ、国民も自然も傷つけてしまった結果なのです。

そんな中、経済的に豊かになれば国民は幸せになるなんて甘い考えは

甘い生活をしてきた人にしか考え付かない駄策に過ぎず、何年たっても
日本国民の心は癒されず、幸せを得ることは出来ないのです。

日本人のみならず、人類は、経済的な成長こそが、人類の幸せと思って

長きに渡って、世界中の資源や食料を浪費してきました。
その結果は、地球温暖化に代表される環境異変をもたらし、更には、
世界中の資源や食料を枯渇させるようになってしまったのです。
いわば、この結果が、世界の紛争の根っこでもあるのです。

今や、残り少なくなった資源を、何処の国が独占するかで、世界中の人々が

争っていると言って過言ではないのです。
北朝鮮が、原爆を作らざるを得ないのも、世界を挑発するのも、その裏に
国内のあらゆる資源食料不足が有るのです。
世界を震撼させることで、様々な援助を受けようとしているのです。

もちろん、この様な、卑怯な方法は許される事は有りません。

しかし、この脅しが本物となった時、世界の多くの人々が傷つき、
更には、その報復で、自国民が傷つくことを知らなければなりません。

今や、地球は、人類が、資源や食料を奪い合っている場合ではないのです。

全ての人類に危機が訪れる可能性があるほど、豊かさを失っているのです。
もちろん、この原因は人間に在るのですが、人間同士争っている場合では
無いのです。
争いの元と成る、飢餓を無くし、世界の人々の生活基準を生きて行く為の
最低レベルに上げる事が重要です。

発展途上国の中には、殆ど食料が無く、国民の多くが飢餓状態の国が

まだまだ多く有るのです。
貧富の差、食糧難と言った、人々の心を根本から苦しめる生活レベルは
争いを生み、テロを生み、独裁者を生むのです。

日本人の持つ、優しさや思いやりが、日本人にテロを起こさせない、

争いを起こさせない基盤を作っているのです。
そんな優しい日本人に胡坐をかいているリーダー達は、世界の国では、
抹殺されかねない事を考え、如何にしたら、本当に日本人を幸せに出来るか
真剣に考えることが、経済成長を図るより遥かに重要と言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 


次々に移り変わる四季に思う

2017-04-28 13:57:02 | 日本人

一体どこから、これだけ多くの人がやって来るのかと思ったのに、
今では、深い緑のトンネルに囲まれて、道行く人たちも疎らです。
黒い枝から、小さなピンクの塊が膨らんできたかと思いきや、
日に日に明るさを増し、あっと言う間にピンクのベールに包まれて
春爛漫と言った状況だったのに、それも遠い過去の様に、
緑の静寂の中で、極彩色のツツジが緑に映えています。

日本の四季は、驚く程の変化を見せ、私たち日本人は、大自然の
美しさ豊かさにいつも感動させられるのですが、その一方、
私達の性格も、その移り行く四季の様に、変わり易いと言えます。
この事は、私達が、様々な試練に有っても、乗り越える力があり
何度でも立ち直る力がある事にもなります。

有史以来、日本列島は、災害列島と言われるほど様々な自然の驚異に

さらされて行きました。
先人は、そんな厳しい環境の中で、生き抜く術を考え、何度打ちのめされ
被災しようとも、立ち直って来たのです。
この日本人の粘り強い精神と、順応性の高さは、現代社会の発展へと繋がり
世界でもトップクラスと言える有能な民族となったと言えます。

しかしながら、この、いかなる試練にも耐え、新たなる道へ進む力も

日常的には、熱しやすく冷めやすいと言う、日本人の気質も生む事と成り、
新しい物を取り入れる一方、すぐに諦める事で、目先の事にしか気持ちが
向いて行かないと言う、いわゆる典型的な消費国家と成っているのです。

自由主義社会であり、消費経済国家であることは、日本人の性格にマッチし

より発展を遂げてきたのですが、一方、無駄がとても多く、過去から
大切に守られて来た自然や生活様式を簡単に変化させ、一時しのぎの文化を
創り上げる原因とも成っています。

つまり、その場限りの消費社会は、あらゆる資源を消費し、便利で経済的と

言われる生活に置き換えることで、自分達の生き方すらも、刹那的と成り
人々の心に安らぎを失わせえています。
より、楽しい、豊かな生活にばかり目を向けることで、消費経済は発展しても
私たちにとって大切な、人間関係や大自然との関わりを見失いがちなのです。

欲しいものはすべて手に入れようと言う、自分の事しか考えない人生は、

トラブルは起こしても、ゆとりや安らぎは生まれません。
どんなに素晴らしいものを手に入れても、それ以上の物を発見した途端、
それまで心を満たしていたものは、突然色あせてしまいます。
この事は、物だけでなく、人間関係も同じです。

美しい桜の花は、誰もの心を豊かにします。しかし、緑の葉で覆われた

桜も同じ桜であり、秋に錦に輝く桜並木も同じ桜です。
そして、真冬の極寒に絶える、黒い枝だけの桜も桜も同じです。
様々な自然現象も、対人関係も、仕事も、遊びも、全て繋がっているのです。
決して、興味が有る物だけの価値ではないのです。

かつての日本人は、桜の花をめでるだけでなく、四季折々の桜の姿に

心を通わせ、人生を感じたものです。
私達は、世界的に見ても、豊かで便利な生活をしています。
しかし、この豊かさは、常に刹那的であり、社会的な価値観で左右されています。
メディアの情報で簡単にその価値観は変わり、自分の心も簡単に変わります。

自分の心を育てているのも満たしているのも、全てが、外見的な物であり、

社会的な価値観である事で、本当の満足が得られる訳が有りません。
心眼を持って物事に対処できなくなると、想像できない事が起こったり、
自分では対処できない事が起こると、パニクッテ何もできなく成ります。

これが国家規模と成りますと、定番の言葉である、記憶にございません、とか

想定外の事です、と言った逃げ言葉が使われます。
今や日本人は、個人としての生き方を見失い、世の中の移り変わりに
右往左往している状態です。

テレビでは、コメンテイター真っ盛りで、様々な知識人の言葉に振り回され

一体自分は何者なのか、本当の自分はどのような考えなのかが解らない、
自分自身を見失った方が多くなりました。
自分の望む生き方は、メディアによって決められ、自分自身で探す事も
自分自身を育てることも出来なくなっています。

そうなると、生きる糧は、誰もが望む物、つまり、お金だけが頼りと成ります。

消費経済の象徴であるお金は、生活を豊かにしても、心を豊かにするとは
限りません。あるとしたら、持っていない人に対する優越感ぐらいでしょう。

私達は、生まれた時から、一人の求められる存在として生きて来たはずです。

両親に求められ、家族に求められ、すくすくと心も身体も成長したのです。
しかし、いつの日か、求める物が、本人から、本人が得られる様々な
付加価値へと変わってしまっているのです。
地位、名誉、財産、名声と言った、社会的な価値が、本人の価値と入れ替わり
人としての価値を感じられなくなってしまうのです。

その為、気が付くと、自分自身は何も満足できず、自分の周囲の人たちは

自分が作り上げた外見的な付加価値だけを求める様に成り、本当の自分を
理解する人が居なくなってしまうのです。
今や、国民の大きな悩みは、自分自身ではなく、自分の持っている外見的
付加価値で自分の価値を判断される事です。

と言うより、外見でしか判断できない日本人が急増しているのです。
この事は、日本を動かしている方々にも言えることであり、災害遭った人や
高齢者たちが、本当に欲しているのは何かが全く解っていません。
年金を奮発しても、高齢者は心から喜んではいないのです。
ただ、食べて行けると言う安心感は有っても、生き甲斐は感じられないのです。
被災者たちは、日常的な物品を多く与え、街を再生したとて、生活が楽に
なったとは言え、心から喜んでいる人はいないのです。

様々な援助をしているのだから、それで十分だろうと思うのは、経済的に

豊かになれば幸せだと感じている、坊ちゃんお嬢ちゃんだけなのです。
日本で豊かだと感じられる多くが、生活が便利で豊かになると言うだけであり
本当に人々の心を幸せにするとは言えないのです。

バブルの頂点になった時も、様々な福祉を受けた時も、日本人は、本当に

幸せと感じる人は少ないのです。
せっかくしてくれたのだから、感謝しなければ思っているだけです。
日本人が、本当に心から幸せと思う事に気が付かない限り、どんなに社会が
豊かになろうが、経済的に進歩しようが、人々の心は晴れることは無いのです。

 

 

 



 


自分が誰かを知る為に

2017-04-27 17:42:54 | 自分

人は、誰かに、貴方は誰なの?って聞かれた時、
中々自分を説明する事は出来ません。
いや、そんな事は無い、自分の名前、住所、年齢
仕事、家族等、様々な自分に関わる事を説明して
自分自身を知らせることが出来ると言う方もいます。

しかし、本当に、それがあなた自身を示すものなのでしょうか。
それは、社会的に、貴方を認識する番号の様なもので、
本当のあなたを示しているのではないのです。
同じように、地位や財産、学歴名誉と言ったものも、
決してあなた自身を説明するものでは無いのです。

これらの事は、全て、自分の周囲の他人が、貴方とほかの人を
区別するための道具の様なものであって、最近政府が使う
国民総ナンバー制度の内容と何だ変わらないのです。

解り易く言うと、私達は、テレビタレントや俳優の、本当の姿を
知りません。プライベートでは、一体何をしているのか、
どんな考えを持っているのかは解りませんが、画面に映る役柄として
その人を認識しているのです。

その為、時に、残忍な役柄をすると、途端に、周囲の見方が変わって
自分を犯罪者を見る様な目で視聴者が見るのに悩みます。
もちろん、役柄と同じ様な性格ではない事は解っているのですが、
演者としての姿が脳裏に刻み込まれると、人は、どうしても、
役柄を本人の実態と見てしまうのです。

この様に、外見的な役柄や、日常の姿、更には、仕事上の姿は、
決して自分の本心でない事が多く、たまたま、周囲との関係で
意としない行動や言動を行っている事が多いのです。
その為、本当の自分と、作られた自分との差にストレスを覚え、
精神的に参ってしまう事が有るのです。

誰もが、日常的に、本当の自分を見せる事は少なく、自分の本心を
偽って、周囲との関わり合いをスムーズにするために努力します。
これは、大人の行動とも言えますが、自由に自分の思いを
発することが出来ないと、本当の自分の存在が感じられず、
一体自分は誰なのか、と思い悩んでしまうのです。

この世に自分が存在する意味や価値が見いだせないと、
人は、生き甲斐を失い、未来を夢見ることが出来なくなります。
そこで、何とか、自分の存在を知らせるために、社会的に
認められる学歴や地位、財産名誉と言ったものに憧れるのです。

誰もが望む物を持てば、自分の存在が認められると思い、
幼い頃から勉学に勤しみ、有名校に通い、有名企業に勤めようと
努力するのです。
そして、誰もが羨む生活を手に入れた時、子供が欲しがる玩具が
手に入った時の様に喜ぶのです。
しかし、もう少し自分自身の存在理由に疑問を持つ人は、
欲しいものを手に入れた途端、全てが砂上の楼閣の様に価値を失い
自分自身の存在価値も消えてしまうのです。

とは言うものの、このオモチャを手に入れた時点で満足せず、より
沢山のオモチャを求めようとする方が、今の社会にはとても多いのです。
消費経済を進める日本社会は、正に、人々の欲望を象徴する社会と言え
人々の目的は、より便利で豊かな生活を得る事と成っています。

この事は、資本主義社会の特性とも言えますが、誰もが、ただ上を向き
落ちて来る餌に飛びつく事しか考えない、自己満足の社会とも言えます。
政治家であろうと、医者であろうと、企業家であろうと、社会を動かす
中心と成る者であっても、目的は私欲が示すものと成り、連日メディアを
賑わす不祥事やスキャンダルは、人間の止まる事のない欲望が示すもので
どんなに地位のある人でも、その腹の内が明かされると、途端に地位も
名誉も剥がれ落ち、みじめな人としての醜い姿をさらすのです。

しかしながら、これも氷山の一角であり、表に出ない事が山積しているのが
資本主義社会の実態とも言えるのです。
確かに、経済的に豊かな生活が出来るのかもしれませんが、その外見だけを
求めた結果、自らの本当の姿を見失い、人として全く成長していません。
社会的地位の有る方々が、余りにも見苦しい失態で世間にさらされると
驚かれる方も多いのですが、実態は、多くの隠れた人たちのほんの断片
が暴露されただけなのです。

問題は、暴露されようが隠されていようが、本人は、長きに渡って、
自分自身の存在に疑問を持たず、世間的な価値に自分の存在価値を
感じ取っていたことです。
つまり、長きに渡って、自分を見失った生活をして来たと言う事です。

例え、人の羨む生活をしていたとしても、人は、生まれてから死ぬまで

変わらないのです。人類として、1生物として生きているだけなのです。
ただ、動物と違うのは、自分自身を知る事が出来るのです。
ただ、餌を求めて生きている動物とは違うのです。

大切な事は、自分の生きざまは、人が決めていると言う事なのです。

素晴らしい人格者とするのも他人であり、魅力的な人間と思うのも
他人なのです。
人が、自分の心の在り方も、他人からの価値観も決めているのです。
自分の存在価値は、他人の心から生まれる事を知っていなければ
成りません。

つまり、肩書がどの様に付けられるかで、存在価値がきまるのです。

大金持ちの誰々と言われれば、大金持ちが主人公で、名前は、単に
後付けに過ぎません。
政治家の誰々と言われても同じです。
それは、社会的な番号と同じであり、その人そのものを示すもの
ではないのです。

命の恩人の誰々と言えば、誰もが尊敬する命の恩人がその人の姿を示し

誰かの大切な人と成って、存在価値が生まれるのです。
要は、どれだけ、他人にとって、価値を感じられるか幸せを感じられるかが
生きている存在価値と言えるのです。

お金や地位や名誉と言ったものは、誰にでも置き換えられ、その人で

無くても良い事であり、個人的な存在価値とは言えません。
私は、一体誰なのと考えた時、様々な経済的付加価値を取り除いて
その人にしかない価値を認められた時、初めて、生きている価値が生まれ
自分が社会に於いて無くてはならない価値のある人間となるのです。

この事は、親子関係や血縁関係に於いてはよく言われる事であり、

家族の強い絆は、お互いに自分の生きる為の存在価値を見出している事で
成り立っていると言えるのです。
しかし、現代社会は、例え家族であっても、その絆が薄れている事が有り
社会全体の繋がりが、単に、個人的な欲望で繋がっているのが問題です。

何時まで経っても、満足できない休まらない心を抱えた人が実に多く

外見ではとてもわからない心の闇を抱えている人が増えているのです。
世界的な経済大国になった日本に於いて、日々の生活に苦しむ
発展途上国の人々よりも、幸せを感じられない、日夜上を見る事しか
許されない苦しい人々がとても多いのです。
本当の幸せとは、一体何なのだろうか。
自分自身の存在を意識できない人は、日夜悩む事しか出来ないのです。

 

 

 



 


戦争となった時

2017-04-25 18:02:55 | 東京

一発触発、と言う言葉が、今や日本を取り巻く状況と言えます。
近年、世界で様々な争いが起こり、更には、頻発するテロに
眉を顰める方も多かったと思われますが、今回ばかりは、他人ごとで
済ましている場合では有りません。

正に、お互いにタイマンを張ったヤクザの喧嘩の様に、周囲の制止には
耳を貸さず、お互いに牙を剝き出しにしている状態です。
挑発を繰り返し、けしたてる姿は、もはや、誰も止められない事態まで
進んでいて、よもやの事態が、現実と成る可能性も十分出てきました。

しかしながら、お互いに、何処かの遠い南の島でやってくれればいいのですが、
その戦場となりかねないのが、今の日本が置かれた立場と言えます。
日本に、米軍基地が在る限り、日本にミサイルを放つ理由は十分です。
もし、その様な事態と成ったら、それこそ、日本社会は、平和な時代から
一気に戦争の地獄へと叩き落されるのです。


次第にその危険性と回避方を説く政府広報がメディアに登場し、その可能性が
ある事を国民に伝え始めています。
もしもの時の、身の守り方が指示されるも、多くの日本人にとっては、今だ
他人事の様に思えているのです。
避難の方法を説明されても、いざ、その様な状況が起こらない限り、具体的に
イメージすることが出来ない国民が殆どであり、何とか、現実とならない事を
祈る事しか有りません。

とは言え、この危うい状況に不安を覚えているのは、日本人だけでは有りません。
様々な噂が流れ、日本国内に生活する在日朝鮮人の人達も、不安が募っています。
第二次世界大戦の時も、やはり同じく、在日の欧米人や中国韓国系の人々は
不安を抱かざるをえなかったのです。
現実問題として、多くの悪質な噂話が流れ、そのせいで、危害を加えられた
海外の方々は多く居たのです。

今回も、巷では、日本人に紛れた特殊工作員が、水道水に毒を混ぜるとか、
有毒ガスを撒く準備をしているとか、よかなぬ噂が流れてきています。
また、韓国に住む多くの欧米人や日本人、更には、北朝鮮に住む残留孤児
取材陣、拉致された人々に対する危害と、多くの不安材料が上がっています。
日本に住む多くの在日朝鮮人へのバッシングも強まると思われ、戦争は
直接人々を傷つけるだけでなく、様々な立場の人達の生活を破壊してしまう
可能性も十分に考えられるのです。

メディアは、一番ニュースソースと成る直接的な戦いを取り上げたがります。
派手な戦いの模様は、世界に対する強烈なアピールと成り、如何に、お互いが
激しく争うかに注目します。
しかし、一般の人々の事に関しては、なおざりと成りがちです。
もし、戦争が起こったら、ただでさえ、飢餓状態である北朝鮮の国民の多くは
戦う以前に、自ら命を縮めてしまう可能性が高いのです。

日本に於いても、ミサイルで都市が破壊されると言う恐怖だけでなく、
あらゆる生活を繋ぐ流通網が無くなる事で、日本中の人々の生活が苦境に
立たされる事と成り、国民の生活が成り立たなくなる可能性が大きいのです。
ネットの進歩により、何でも手に入る生活が、一気に、何も手に入らない
生きて行く術を失う危険性があるのです。

例え、直接被害を受けなかった地域にしても、流通網が遮断されれば、
次第に生活は滞り、日本中が被災地と成るとも考えられるのです。
日本は、世界でも有数の世界経済の中心であり、世界の流通の流れの
重要な国でもあります。
輸出入だけでなく、日本を経由して多くの物品が世界に流れ、日本経済が
多くの国の経済を支えているとも言えるのです。

戦争は、この重要な起点をも破壊してまうのです。
つまり、世界の流通を止めてしまう可能性があるのです。
今や、グローバル社会と言われ、世界中が繋がって便利な社会を築いている
と言うだけでなく、その繋がりが、何処で滞っても、世界中の生活が
麻痺してしまう可能性が高いのです。

これ程にも大きな影響を与えると言うのに、何故、戦争をしたがるのか、
誰もが首をひねるのですが、多くの人々が忌み嫌う争いを、いつも
心待ちにしている人たちがいる事も事実です。
戦争関連産業に携わる人たちです。
中でも、武器商人と言われる人たちは、世界中で争いが起こる事を
常日頃から願っているのです。

争いの陰には、殆どの場合、武器商人が、まるでハイエナの様に
舌なめずりして身構えているのです。
大国の殆どは、武器に依る利益を戦争から得ています。
アメリカが、世界中の争いに頭を突っ込むのも、国内に溢れる武器を
消費し、莫大なる収益を得る為といえます。

日本が、高度成長で急速な進歩を見せたのも、韓国と北朝鮮の争いが
戦争景気として日本に莫大なる金を生んだからです。
今回の争いも、この商人たちの目論見が陰に潜んでいる事は明らかです。
何しろ、国が一番利益を得られるのは、戦争関連商品を売る時なのですから。

当然、紛争国の背後には、武士商人が徘徊し、彼らから買った多くの武器が
人々の生活を破壊し、多くの人々を傷つけているのです。
問題は、武器を作れない様に、様々な経済制裁を行って来たにも関わらず、
北朝鮮が原爆まで作り上げてしまった事です。
しかも、近隣諸国のみならず、アメリカにまで到達しそうなミサイルも
開発されつつあるのです。

この脅威は、今や世界中の国々に対する脅威と成って広がり、
地球全体の平和が脅かされる事態と成っているのです。
この非常事態に在って、我が国は、国民を守るべく力を持たず、
防衛をアメリカに託さなければならない事で、対応があいまいと成って
国民に不安を高めているのです。

アメリカの防衛戦線として置かれている韓国と日本の米軍基地は、
北朝鮮のミサイルの標的にに成らざるを得ず、戦争を放棄している
にもかかわらず、とんだとばっちりを受ける可能性があるのです。
当然、自衛隊と米軍は共同戦線を張るのでしょうが、果たして、
完全に日本国民を守れるのかが、一番の不安材料と言えるのです。

有事が起こらない事を前提に、アメリカの傘の下で守られていたのですが、
まさかの事態が生じるとは、多くの日本の政治家は考えていなかったのです。
所謂、想定外が起こっているのです。
日本の政治家は、本当に国民の事を考えていないと言うか、一部の、
自分達の利益と成る人たちの事だけを考えて来た結果とも言えます。

何故、曖昧な、何の役にも立たない様な避難公報を出しているのかと言えば、
戦争が起こる前に、自分達と自分達を育ててくれる輩の安全を計っている
に過ぎないからです。
戦争が起こっても、自分達は生き残り、更には、その後の復興の為に
必要な人々や企業の安全を考える事が第一なのです。
この事は、第二次世界大戦が起こった時も何だ変わらず、
多くの犠牲を被るのは、一般の国民なのです。

大切な事は、私たち国民の安全が守られる事なのです。
ミサイルが飛んで来たら、各自安全な所逃げなさいと言った
無責任なリーダーであってはならないのです。
国民一人一人の安全を守るために、自分達は何を成すべきかを
ハッキリと自覚し、それを国民に示す事が政治家の役目です。
安全対策を国民に丸投げするようでは、リーダーの資格は
有りません。

とはいっても、アメリカの力を借りなければ何もできない日本にした
責任は大きいと言えます。
今回の戦争は、云わば、アメリカと北朝鮮の戦争です。
日本がとばっちりを受ける筋合いはないのです。
何故、この様な、国民を危機に陥らせる事態となったのか、
長年に渡って、政権の座に就く事の意味を考えず、私欲に走った
日本の政治の末路とも言えます。

今回、戦争に巻き込まれようと逃れようと、日本は、アメリカから
しっかりと独立し、日本としての、独自の道を進まなければ、
いずれまた、他国の犠牲と成らざるを得ないと言えるのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最期の審判

2017-04-24 17:57:00 | 日本人

近年、これほどまでに、危機感を感じた事は、有りません。
戦後、太平の世を謳歌して来た多くの日本人にとって、
自然災害以外に、身の危険を感じたことは有りませんでした。
少なくなった戦争体験者にすれば、忘れたくとも忘れられない
あの忌まわしい時代がまたやって来ると思うだけで、身の毛のよだつ
苦い思いを抱く事でしょう。

降ってわいたような災難と言いますが、この事態は、日本人全体が
まるで、絞首刑台に立たされるような、恐ろしさと言えます。
ただ、余りにも実感が無く、こんなに平和な日本に、突然、地獄の
光景が展開されるなど、想像すらできないのです。
その為、政府からの避難手段の公報も、全く実感することが出来ず、
余りにも夢物語の様に感じている日本人が殆どと思われます。

しかし、戦争とは、そんな日常に突然訪れ、人々を、不幸のどん底に
突き落とし、人々の未来を破壊してしまうのです。
平和は、戦争の合間とも言われますが、その平和が正に終わろうと
しているのかもしれないのです。
月日が経てば、歴史の1ページに過ぎないかも知れませんが、
その1ページは、人々の人生を変えてしまうページと成ってしまうのです。

何故、人は、自ら、苦しみの歴史を作ろうとするのでしょうか。
何度も繰り返せば、少しは学習して、その悲惨さ、醜さ、苦しさを
2度と繰り返さない様に思うのですが、しばらくすると、また、
同じ過ちを繰り返す、やはり、人は、生き物として未成熟であり
地球環境にとっては相応しくない生き物なのかも知れません。

私達は、集団で生きる為、お互いに相手の事を思いやる気持ちを持ち、
其々が、違った考えのもとに生きている事を知る事が出来る様に
成りました。
その事は、人類の進化の過程で、お互いに助け合い、より豊かな
生活を送れる為の条件と成り、地球上に生きるあらゆる生物の
頂点と成る事が出来たのです。

しかしながら、実際は、周囲の事や相手の事を構わず、自分の
欲望のままに生きる人が増える事と成り、地球上のあらゆる場所で
争いが絶えない様に成りました。
頭脳の発達と共に、より、欲望の気持ちは高鳴り、必要以上の物を
手に入れる事で満足を得ようとする人々が増えて来ました。

特に、地球上の資源が限られるようになると、争いは益々エスカレートし
人々は、争いによって思いを達成する様に成ったのです。
人類が進歩する為の英知が、人類を苦しめる事と成り、より豊かな生活を
獲得する為には、他の人を苦しめる事も厭わないとする人間も多いのです。

やはり、人類は終末に向かっていると言っても良いのかも知れません。
地球上での人類の存在がそれ程周囲に影響のない時代の頃はいざ知らず
余りにも増えすぎたこの身勝手な生き物は、存在する事で、地球上の
あらゆる生き物達に害を与え、地球の生き物達同士のバランスすら変え
生物全ての絶滅すら導きかねません。

戦争は、共食いならず、共倒れのパターンを生むのです。
その最終段階が、人類があみ出した、核兵器の使用と言えます。
今や、人類を数十回絶滅させるだけの核兵器が世界には存在します。
余りにも危険な為、抑止力と成り戦争を起こさないための武器として
これまで世界中に存在していたのですが、それを、何のためらいもなく
戦争に使用しようとする国が現れたと言えるのです。

この対象国に日本が挙げられる事に、日本国民の滅亡すら感じさせ
その脅威は、これまでの戦争より遥かに大きな恐怖と成っているのです。
しかも、一度使用されれば、その報復として、更に連鎖的に使われる
最も危険なパターンが考えられ、それこそ、地球全体を破壊する
人類滅亡の可能性を示唆しているのです。

大量の核兵器で破壊された大地は、長きに渡って人類が生活する事は
非常に難しく、国家規模の大地が、放射能で汚染され、人類の未来に
大きな不安を抱かせる事と成るのです。
極東の国々が放射能で汚染されるだけでなく、一度兵器として使われた
この忌まわしき核爆弾は、その後の争いで使われ続ける可能性もあり、
人類のみならず、地球上の生き物の多くを絶滅させる可能性があるのです。