果たして、戦争は起こるのだろうか?
近年、戦争を体験した事のない世代が殆どとなった日本に於いて
国民の意識の中に、戦争に対する危機感は有りません。
ミサイルが発射されれば、たった10分そこそこで日本国土に
着弾すると言われても、恐怖にかられる日本人はまずいません。
しかし、それ程にも、日本は安全と言えるのでしょうか。
例え、アメリカ軍の強力な援護が有ったとしても、いざ戦いと成れば
全てのミサイルを阻止できるとは考えられません。
増して、着弾したミサイルに核爆弾が装着されていたら、間違いなく
戦後の災害史上最悪の犠牲者を生む事になります。
つまり、戦争が始まったら、全く無傷でいられる可能性は薄く、
地震などの天災で失う多くの命や財産を遥かに上回る犠牲を
生む可能性が高いのです。
戦争が終わって、平和な日々が戻って来ると思いきや、それは新たなる
苦しみと憎しみの始まりなのです。
一度戦争が始まれば、長きに渡り、人々の心に重い十字架を背負わせ、
直接戦いに関わらなくとも、憎しみの気持ちを抱かされる事と成るのです。
人間は、何故、これ程にもリスクの大きな戦争を起こそうとするのでしょう。
もし戦えば、どれ程の犠牲者を出すかは、想像出来たとしても、それでも
止めないその理由は、如何に人類が、地球上の生物に於いて、危険であり
存在すること自体がマイナスであるかとも言えます。
もし、この世に人類が存在せず、その他の生き物だけであったなら、
恐らく、地球環境は、はるかに快適であり、多くの生き物が絶滅を免れ
様々な生き物の環境が健全に存在したと思われます。
地球誕生以来、何回かの生物大絶滅が有ったにせよ、地球自体の環境を
破壊したり変えてしまったりする生き物は出現しませんでした。
生物は進化して来たものの、多くの生き物の環境を、自分達の生活に
都合の良い様に変えてしまった生き物は無く、如何に、人類が、
地球上の生物にとって、相応しくない生き物かと言えます。
とは言え、そんな人間の一人として、現在の地球環境、そして、
無くなる事のない戦争に心を痛めるのは、私だけではありません。
恐らく、世界中のほとんどの人は、争いなんかしたくないはずです。
一部の指導者たちの暴走によって、多くの人々が傷つき、更には
洗脳されて、危険な争いに向かって行くのです。
現に、北朝鮮の人民の99%は、食べるのにも事欠く、絶望の日々を
送っていると思われ、その苦しい胸の内を出すことも出来ず、
一日も早い援助を待ち望んでいると思われます。
そんな人たちに、戦争と言う追い打ちをかける事は有ってはならず、
戦争以前に、戦争に使われる膨大な資産を、国民の為に使う事が
一番大切と思われます。
何とか双方の矛先を納め、冷静に、私たち人類にとって、何が必要で
人類が平和に生きて行くにはどうしたら良いのかを考えることが
何にも増して重要と言えます。
今や、世界の資源は枯渇しはじめ、一部の国々がその資源を独占しようと
様々な強硬手段を講じています。
地球の国々は、富める国と、そうでない国の二極に分かれ始めていて、
この事が、様々な争いの原因とも成っています。
富める国は、より豊かになるべく、貧しい国々から更なる搾取を行い
その貧富の差が対立と成って、争いを生んでいます。
そんな世界情勢の中で、日本は、果たして、富める国と言えるので
しょうか。
確かに、国民総生産は、世界でも上位に位置していると言えますが、
その事が、国民の生活を豊かにしていると言えるかと言えば、
現実は、日々の暮らしにも事欠いている国民が多くいるのです。
例え、所得を多く得ても、それを散財する仕組みが多く有り、
余裕のある生活を送れる人が非常に少ないのです。
この国民総生産の内訳を見ても、その多くを大企業と言った、一部の
大手産業が担っていて、殆どの中小企業の生産性はとても低く
何とか生計を立てている企業も少なく有りません。
国民の生活も、未来を保証されるものでなく、生活を維持するだけで
精一杯の若者達も多く、自分達の未来設計もままならない状態です。
外見的には、日本は、先進国の様に思われていますが、実際の所は
一部の人達の利益で賄われているだけで、多くの国民生活は、
生活の余裕すらないのが現状です。
マスコミから伝えられる映像メッセージは、日本国民は、全てが
文化的で豊かな生活をしているかのように思わせますが、
画面のこちら側の庶民は、極めて質素で、苦しい毎日なのです。
それでも、私たち日本人は、お互いの気持ちを察しながら、
与えられた環境に於いても、幸せに生きたいと願っているもので、
この事は、太古の昔から培われた、日本人の魂とも言えるのもです。
和を持って尊し、とした日本文化が、近年の消費文化、経済至上主義の
考え方で、人々を苦しめているのです。
経済的に豊かであることは良い事では有るのですが、あくまでも
手段であって目的で有ってはならないのです。
一番大切な物は、一人一人の心の幸せです。
この部分を考えることで、日本文化は、世界でも有数の心豊かな文化と
成り得たのです。
しかしながら、現代社会は、人々に、経済的な豊かさを幸せとします。
子供たちの勉強の目的も、大人たちの労働の目的も、経済的豊かな生活を
目指すように作られていて、人々の心は、荒んでいくばかりです。
アジアの発展途上国の貧しい国々の人達の方が、幸せと感じている率が
日本人より遥かに高いのは、一体どうしてでしょう。
ひょっとしたら、食べることもままならない北の国民たちは、たとえ
独裁政治下に有っても、私達より幸せと感じているのかも知れません。
ミサイルが飛んできても、戦争と成るかも知れないとしても、幸せと
思えない人生を送っている人が多ければ、それ程危機感を感じられず、
諦めの境地と成っているのかも知れません。
もし、本当に豊かで幸せな日本が危険な目に合わされそうだとすれば、
国民の全てが、国を守ろうと行動に移すと思われます。
冷静沈着な国民と思っているのは、単に、自分の保身で忙しい、一部の
富裕層や政治家だけなのかも知れません。
国への期待も薄れ、更には、諸外国の侵略にも怒りすら忘れているのかも
知れないのです。
それ程にも、日本は、今や、閉塞状態であり、一部の大手企業の独占が
日本社会を動かしているに過ぎないのです。
働いても働いても、楽にはならず、人生の喜びも味わうことが出来ず、
刹那的な快楽で心を誤魔化し、高齢と成っても、余裕ある人生を歩めず、
日本人は、どの世代も、真綿で首を絞められている様な生活を強いられて
外面だけを豊かそうに見せているに過ぎないのです。
この原因は、高度成長の後、バブルが崩壊して、日本の経済成長が
止まってしまったからではなく、最初から、国民の本当の幸せを考えない
一部企業の暴走に身を任せ、国民も自然も傷つけてしまった結果なのです。
そんな中、経済的に豊かになれば国民は幸せになるなんて甘い考えは
甘い生活をしてきた人にしか考え付かない駄策に過ぎず、何年たっても
日本国民の心は癒されず、幸せを得ることは出来ないのです。
日本人のみならず、人類は、経済的な成長こそが、人類の幸せと思って
長きに渡って、世界中の資源や食料を浪費してきました。
その結果は、地球温暖化に代表される環境異変をもたらし、更には、
世界中の資源や食料を枯渇させるようになってしまったのです。
いわば、この結果が、世界の紛争の根っこでもあるのです。
今や、残り少なくなった資源を、何処の国が独占するかで、世界中の人々が
争っていると言って過言ではないのです。
北朝鮮が、原爆を作らざるを得ないのも、世界を挑発するのも、その裏に
国内のあらゆる資源食料不足が有るのです。
世界を震撼させることで、様々な援助を受けようとしているのです。
もちろん、この様な、卑怯な方法は許される事は有りません。
しかし、この脅しが本物となった時、世界の多くの人々が傷つき、
更には、その報復で、自国民が傷つくことを知らなければなりません。
今や、地球は、人類が、資源や食料を奪い合っている場合ではないのです。
全ての人類に危機が訪れる可能性があるほど、豊かさを失っているのです。
もちろん、この原因は人間に在るのですが、人間同士争っている場合では
無いのです。
争いの元と成る、飢餓を無くし、世界の人々の生活基準を生きて行く為の
最低レベルに上げる事が重要です。
発展途上国の中には、殆ど食料が無く、国民の多くが飢餓状態の国が
まだまだ多く有るのです。
貧富の差、食糧難と言った、人々の心を根本から苦しめる生活レベルは
争いを生み、テロを生み、独裁者を生むのです。
日本人の持つ、優しさや思いやりが、日本人にテロを起こさせない、
争いを起こさせない基盤を作っているのです。
そんな優しい日本人に胡坐をかいているリーダー達は、世界の国では、
抹殺されかねない事を考え、如何にしたら、本当に日本人を幸せに出来るか
真剣に考えることが、経済成長を図るより遥かに重要と言えます。