めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

恋愛も出来ない寂しい日本社会

2016-01-23 14:49:59 | 結婚

人生を長くやっていると、男と女は本来全く違う生物であり、
御互いに異星人と言っても良いほど隔たりが有る様に思えます。
そんなにも違う生き物が、大恋愛の元に結ばれるという事は、
ただならぬ状態に理性を失って、本能的に結ばれた要素が強く
見えるべきものが見えなく、聞こえるべきことが聞こえなくなって
ある種、異常な状態にあったと言えます。

これは、人間と言うより、生物が太古の昔から種を繋げるための
本能の成せる業であり、例え、地球の生き物の頂点に立っている
人類の英知を持ってしても、言わば、恋は盲目状態なのでです。

しかしながら、恋愛しようが、結婚しようが、いずれ、当初程の熱は
あっと言う間に消え去り、今まで見えなかった事や聞こえなかった事が
いやが上にも感じられる様になるのです。
この時、こんなはずじゃなかった、以前はこんな人では無かったと
不満を並べる人は、その本能の力に玩ばれただけであり、人間の
男女の実体を理解していなかったのです。

私達が異性を好きになる時、それは、相手が自分の我儘を認めて
理想の相手として振る舞ってくれる時です。
もちろん、外見的要因も有り、相手から感じられる様々な事が
自分にとって喜びであり快感となる事が前提です。

御互いに、結ばれようとする時、人は、いかに相手に嫌われないか
嫌われる要素を見せない様にしようと努力し始めます。
普段とは違った言葉使い、素敵に思わせるファッション、化粧、姿
ありとあらゆる物に気を使い、相手に見える感じる部分を自分の
全てであるように振る舞います。

多少なりとも、相手に気にいられようと、別の自分を演ずれば
演ずるほど、二人の思いは、まるで磁石の様に引き合い、
絵に描いたような恋愛劇が作り上げられて行くのです。

でも、この時点で、結ばれた後の行く末が明確になって行く事に、
相手しか見えなくなった二人は気が付きません。

あれ程にも仲の良かった二人に破局が訪れる時、人は、驚き、様々な
原因を推測し、野次馬心をくすぐられるのですが、当の本人たちは
不幸が訪れれた時、ようやく自らの本音に立ち返り、安どの気持ちに
ホッとするのです。

つまり、どのペアも、異星人で有る事に変わりなく、それを相手と同じに
しようとする努力は、本能でしか有りえないのです。
もし、その後も、相手に対し、強い恋心を抱き続け、変わらぬ存在意味を
感じ続けるには、生物的な違いを理解できるかどうかに掛って来るのです。

とは言え、このトラブルを呼ぶ男女の要因こそが、実は、二人の間を

強く結びつける人間的優しさを生むのです。
自分とは違うものを感じた時、そこで排除するか、その違いを認めるかで
二人の未来は決まります。

恋愛当時の二人の思いはいつも同じ、といった本能が成せる錯覚は
結びつくまでの力しかなく、その後の二人を結び続けるだけの力は
差ほど期待できないのです。

男女の顔かたち、機能が違う様に、心は、決して相いれない部分が有り
この事が異星人のごとく二人に付いてまわるのです。
この違いは、容姿の様に、変えられるものではなく、御互いが、当たり前の
物として受け入れられない限り、平穏な日々は送れないのです。

しかしながら、この、異星人との付き合い方が出来ない若者が増えています。
相手の中に、長い人生を共にできる魅力を見つけられないで、自分の頭や
ネットの中に、憧れの理想像を描き続けます。
自分が探し出した架空の理想像は、映像としてメディアとして自分の欲求を
常に満たす事によって、そこから心が動かず、強い依存性を生みます。

今や、理想の異性像は、身近な生身の人間から得られるのではなく、
架空の作られたアイドルとして若者の心に住み続けます。
その為、周囲の人々や異性に対するセンスに欠け、自分のパートナーとして
異性が恋愛の対象にならないのが大きな社会問題と成りつつあります。

ここ20年程の若者の心理を調査した結果によると、若者たちが異性を求めず
一人で生きて行く事に抵抗が無く、生涯独身であっても気にならないと言う
高齢者社会の日本にとっては、困った傾向が数字に表れています。

くわえて、更に問題は、若者たちが、安心して結婚子育てを出来る環境が
今の社会から期待できず、家族を持つ事に、消極的になっている様です。
若者たちの経済状態も厳しく、正規雇用者の減少と、非正規雇用者の増加が
更に追い打ちと成り、より一層、日本社会における問題を深くしています。

何でも手に入り、あらゆる情報を瞬時に知ることが出来る現代、世界の情勢を
難なく知る事は出来ても、自分の周りの人間関係は、全く理解できず
自分の存在意味や価値が見いだせず悩む若者が増々増えています。

確実に私達の世代より能力が有り、今の社会を動かしている若者たちが、
自信を持って築き上げられない今の日本社会は、高齢者社会の問題より
遥かに致命的な日本の未来を暗示している様で、逆に、高齢者から、
若者たちの未来を案じられている事にも成っているのです。


ビビッと結婚は理想!?

2015-09-29 15:51:49 | 結婚

最近知り合いの男性が結婚する事と成りました。
彼は、もう50を過ぎていますが、バツイチであり、子供もいます。
相手は、同じく50過ぎですが、初婚です。

年齢を聞くと驚く方も多いかも知れませんが、このようなケースは

珍しくなく、週刊誌の芸能ネタの様に思われがちですが、
現実の結婚も多種多様の場合が有るのです。

結婚適齢期と言った言葉が有りますが、これは、経済的にも

生物学的にも、結婚生活を行なう上で、一番適当と思われる
統計的な事であり、誰もが、この時期に良き伴侶を得られると
考えていると、本当の自分に合った相手に出会うチャンスを
失ってしまう事も有るのです。

東京に於いても、毎日250組程がゴールインしていますが、

70組ほどが離婚しています。
結婚をすれば幸せになると言うのは短絡で、しない方が
良き人生を送れる事も多いのです。

しかしながら、理想の相手に巡り会う事に越した事は有りません。

昔結婚相手に巡り会った時、ビビッと来た!といった芸能人が
いましたが、この言葉は、あらがち間違ってはいません。
どんなに素敵な相手に有っても、ピンと来なかったり、
ハラハラドキドキして、燃える思いを抱いても、結婚に至るとは
言えないのが現状です。

恋愛で好きに成ったりしても、結婚に至らない理由の一つに

生物学的な反応が有ります。
人も動物も、長い進化の内に、自分たちの子孫を残すために
様々な能力を身に付けてきました。

一番原始的でいまだに続く能力が、家族や兄弟と言った、身近な

遺伝子を持った者とは子孫を残さない様に身体の感覚が変化し
より遠い遺伝に引かれる様に作られて来ました。

お父さんを年頃の娘が嫌うのも、身体に組み込まれた機能が

拒否するように仕向けていると言います。
しかしながら、沢山の人と関わる様になって来ると、自分の
遺伝子とは全く異なった、遺伝子を持つ相手に、突然魅力を感じ
一緒になる事の運命を感じる事が有ります。

これが、いわゆる、ビビッ!とであり、今までイケメンを追いかけていた

娘が、突然、似ても似つかない相手を連れてくる場合がそうです。
男性にしても女性にしても、本能的に、異性を求めるのは、知覚的理想です。
映画やテレビに出てくる俳優やタレントがその対象と成ります。

これは、社会的理想であり、ほとんどの人々が共通の条件を求めます。

しかし、この理想の相手が、自分の伴侶となる事は殆ど有りません。
つまり、太古から進化してきた遺伝子的感覚ではないからです。

結婚して、子孫を作ると言うことは、遺伝子が結ばれなければなりません。

それは、誰とでもという訳ではなく、自分の遺伝子に相応しい人でないと
いくら外見的に良くとも身体が反応しないのです。

今の時代、多くの若い人達は、様々な情報に邪魔をされて、

自分の理想の相手を見つける能力を失っています。
男女の性欲を満たすだけならば、外見だけで十分なので、より頭の中が
納得する世間的な理想の相手を求めます。

しかし、この社会基準で結婚すると、多くの場合、しばらくすると、選んだ相手が

自分の遺伝子の要求とは違う事が解り、残念な結果となってしまうのです。
中々ビビッと来る相手を見つけるのは大変ですが、見つかった時が本当の
結婚適齢期と言えるのです。

でも、ビビッと来る相手では無くても、幸せには成れるのです。

選んだ相手と自分との違いをしっかりと見極め、相手の気持を察して、御互いが
いかに幸せに成れるかをいつも考える事です。

実は、これが結婚生活を上手く続ける大切な事で有り、遺伝子を越えた愛情と

なって二人の結びつきを強くするのです。
夫婦は他人とも言われるのは、遺伝子的に理想的な相手はいない事によります。

結婚する時は、この世で一番と思われた相手が、次第に順位を落として行くのは

ビビッとの相手とは違う事を理解し始めるからです。
この時、更なる相手を探そうとすると、その生活は破綻して行くのです。

しかし、違っていても、人は、幸せを掴めるようになっているのです。

簡単な方法は、相手の好きな事楽しい事を自分が提供できるようにする事です。
つまり、これは、相手に対してしている様ですが、実は、相手にとって自分が
どれ程素敵な存在であるかを知らせる事となるのです。
つまり、ビビッとの存在に近づく事になるのです。

結婚が長く続き、周囲から理想の夫婦と思われる多くの方々が、実は、ビビッと

感じて結婚はしていないのです。
結婚は、あくまで世間への儀式であり、きっかけに過ぎません。
ビビッと来る相手に巡り会う事は、宝くじの大当たりと同じようなものです。
しかし、そんな相手を探そうとすれば、一生かかっても不可能と言えます。
それならば、それらしき人に巡り合えたら、一緒に同じ屋根の下で生活して
相手を理想の人に変える努力をした方がずっと効率的と言えます。
方法は簡単、ただ一つ、自分の事より相手の事を考える事です。


日本の若者たちよ、本能を失うな!

2015-09-11 09:38:18 | 結婚

野性的、本能的と言う言葉は、今の日本では死語と成りつつあります。
特に、近年の若者たちの間では、むしろ、避けていると言うより
頭の中に存在していない言葉です。

極めて動物的なこの二つの言葉は、生き物が生きて行くうえで

非常に大切であり、生活の中心を成すものでもあります。
人類は、どんどん近代化するにつれ、増々、動物としての生き方から離れ
地球上の生物の中で、非常に特異な存在と成って来ました。
更に社会は、生物的な姿や行動を示す事を無くす傾向が有り、
いつの間にか、私達は、動物であることすら忘れてしまっています。

産業革命以降、世界中の文明が急速に発展し、それに伴い、

爆発的に人口も増えて来ました。
動物と同じく、大量の食料が手に入る様になれば、繁殖も盛んと成ります。
今や、これ以上の増加は、人類にとっても、地球上の他の生物にとっても
危機的な状況と成っています。

この事が、世界的に人口抑制という運動を生む事と成り、繁殖に於いて

様々な規制を設ける様になったのです。
しかし、この規制も、世界的なものではなく、一方では、いまだ爆発的人口増加に
将来が危ぶまれる状態の国々も出てきています。

そこで、我が国はと言うと、今や、高齢化社会と低出生率の代表的な国として

世界に知られる様になっています。
この事は、単に、子供達が減って、高齢者が増えたと言う、数字的な問題ではなく
行く末の日本が、急激な人口減少に伴う、日本民族消滅に危機もはらんでいるのです。

この原因が、結婚適齢期の若者の人口減少と言うものではなく、結婚と言う

種の保存に全く興味がない若者が非常に増えていることにも有るのです。
更には、男女の性と言うものにすら、全く関心が無い若者が非常に多くなっているのです。

社会的には、自立できない若者や、現代社会の様々な問題が、結婚に踏み切れない

若者を生んでいるとも言われますが、もし、この社会的条件が改善されれば
多くの若者が結婚するかと言えば、そうとも言えない問題も有るのです。

現代の結婚適齢期の若者たちの、人間としてと言うより、一つの生物としての

能力が低くなりつつある事が上げられます。
日本国民が末永く繋がって行くためには、基本的に、生物としてのDNAが男女を通し
受け渡されて行かなければならないのです。
その為には、人間と言うより、動物の一つとして、繁殖できる条件が満たされ
新たなる子孫を生んで行かなければなりません。

特に日本人の男子に於いて、極めて不安な事実が解って来ました。

過去、50年程の間に、男子の生殖能力が非常に落ちている事が解ったのです。
多くの大学生の男子を、数十年に渡って調査した結果、精子数が半分以下に減り
中には、妊娠が不可能な数まで落ちた若者も多く発見されたのです。

社会的にも、女性的な男子が増えただけでなく、実際、動物としての見地からも

男子の雄としての能力が格段に落ちている事実が判明したのです。
更には、女子の骨盤の大きさが体格が大きくなったにもかかわらず、胎児を育てるに
充分な大きさでない場合が増え、十分な期間胎児を自分の子宮で育てられない、
帝王切開や、早産を止む無きとする女性が増えているのです。

つまり、素晴らしい文明の進歩はしたものの、それを未来に繋ぐ子孫を作る為に

動物としての資質が無くなりつつあるのです。
男子の、子孫を作ろうとする強い気持ちは、男性ホルモンの量が多くて
野性的、本能的な思考を持たないと生まれてきません。
女子にしても、強い女性ホルモンの影響がないと、男性の本能を受け入れる
感覚にはならないのです。

人間社会において、様々なルールを設け、本能の成せる行動を抑制してきたのですが、

本来、失ってはならない、人類繁栄のための本能すらも無くして行っては
生物として未来に生きる事は不可能と言わざるを得ないのです。


自分の思いで結婚しよう!

2015-08-21 19:46:41 | 結婚

今、日本の社会は、超高齢化社会へと向かっています。
出生率が下がり、子供たちの数が減り、未来の日本に暗雲が掛かっているのは
周知の通りです。
このままでは確実に就労人口が減り、国内生産力も低くなり、働けない老人ばかりの
斜陽の国家に成ってしまうのも時間の問題とも言えます。

その為、国は、若者たちの結婚、出産を盛んに奨励するようになりましたが、
実際のところ、若者たちに、それ程結婚願望が無く、さらには、社会の情勢から
結婚する事のメリットよりも、一人でいる事のメリットを感じる傾向がしだいに
強くなっています。

若者たちも、決して、結婚したくないのではなく、出来ない条件が多い事にも
二の足を踏む理由の一つと成っています。
近年の、出生率の低さに対し、私達高齢者以上に敏感に感じているのが
今の若い人達です。
子供達が少なくなるという事は、自分たちが高齢になって来たときには、
更に厳しい条件が課せられる可能性が有ることを、心の中では感じています。

その為、個人的にも社会的にも、結婚に対する願望は非常に強いものです。

しかしながら、彼らにとって、結婚をする相手がいない訳ではないのです。
条件は様々ですが、今の社会はネットで繋がり、極端に言えば、世界中の
誰とでも付き合える可能性は有るのです。

昔の様に、お見合いで親や親せきが相手を探すという必要も無く、

その気になれば、異性と顔を合わせる機会は、昔に比べ、格段に多いのです。
しかし、それにも関わらず、中々、結婚までに至らないのは、
一つには、結婚に関する情報が、あまりにも多くなった事に因ります。

多くの出会いがあるにもかかわらず、結ばれる可能性が低くなっている原因に

求める条件が、若者たちの間で定着固定されつつあることに有ります。
それは、理想の相手に求める条件が、事細やかに、ネットやメディアから
特定され、その条件にあてはめようとする意識が、多く働いているからと言えます。

かつて結婚は、我慢をする事を求められました。

自分の相手に対する条件は、お互いの家同士の条件が前提にされていたり、
結婚するまで、表向きの少ない情報の元での見切り発車の様な場合が多く
結婚してから二人でその溝を埋めて行くような場合が普通でした。

ところが、最近は、情報がネットやメディアから溢れる程集まって来るようになり、

自分の条件と世間の理想の条件が錯綜し、いつの間にか、条件に合う人しか
一緒に成れない様な風潮も増えてきました。
男女とも、憧れる異性の条件は重なり、しかも、理想にあう相手は極端に少なく
多くの男女が相手のみならず、自分自身に対する自信も失っているのです。

とは言え、問題は、情報が増えた事だけでは有りません。

どんなに情報が増えようと、それをどの様に感じ利用するかは、本人の問題であり
実際の問題は、男女が、相手をしっかりと見て感じる力が無くなっている事に在ります。

どんな人も、この世に一人しかいません。

1人1人が、独自の個性を持ち、その人だけの考えを持っているものです。
外見的には、社会生活に適応する為に、誰もが同じ行動をとりがちですが、
実際の心の中は、全く外見と違っていて、極めて特殊特異で有るのです。

その、自分だけにしかないものを、認めて欲しいのが人間であり、また

その自分だけのものに不安を感じているのも人間であるのです。
つまり、誰もが、自分の存在を認めて欲しいものであり、自分の心を
癒してくれることを望んでいるのです。
その究極が恋愛から結婚であるのです。

単に、男女が結ばれて、家庭を築き、家族を増やして行くのでは有りません。

様々な境遇、環境の中で育った、全く考えも行動も違う二人が結ばれるのは
単に男女だからでは有りません。
根本は男と女の違いを深く認め合う事、そして、人として世界に一つの
特異な人格を理解する事なのです。
その理解できる力が有ると、結婚まで結びつき、幸せな家庭が築けるのです。

しかしながら、メディアからの提唱は、外見であったり、生活力であったり

環境であったりと、見た目の差を結婚の条件としています。
これでは、増々、若者たちの心は動かなくなってしまいます。

人は、どんなに若くとも、いずれ衰え死へと向かいます。

何でも出来た事が、一つ一つできなくなり、いずれ人の手を借りなければ
ならない時代がやって来ます。
結婚したときは、理想であっても、そのまま一生同じ条件であることはお互いに不可能です。
そんな時、いつも支えになるのは、唯一無二の相手に対する愛情と尊厳です。
結婚する時も、死が二人を分かつ時も、いつも二人の心の基準が不変であることが
素晴らしい結婚生活を送れる大切な条件とも言えるのです。

若者たちに言いたい、今、目の前にいる人を、心の目で見ているか!
いついかなる時も優しく見続ける事が出来るか!
自分にとって一番の相手は、君の心の目が見つけるものだよ!
愛されることも大切だが、愛し続ける事が出来る相手を見つけよう!


恋愛下手で結婚できない若者たち

2015-06-25 13:35:22 | 結婚

ネットやマスコミからの情報が誰にでも簡単に手にする事が出来、
私達の生活は、膨大なる知識からの選択に終始しています。
毎日飛び込むテレビからのあらゆるコメント、ネットを開けば
その規模は世界的なレベルと成ります。
何か解からない事が有れば、瞬時に様々な解決策が検索され、
思い悩む前に答えが出てしまいます。

恋愛に関しても、その情報は読み尽くせぬほどの量であり、

思い悩む以前に答えが出てしまったりします。
しかし、日常の生活に於いても、仕事に於いても、プライベート
に於いても、あまりにも簡単に情報が手に入ることにより、
思い悩む以前に、解決策や手段が選べてしまいます。

確かに、社会生活や仕事上は非常に便利になりましたが、

ことメンタルな問題となると、非常に便利ゆえに、ビジネスライクに
なってしまったり、お互いに深く踏み込めなくなったりと、
心が燃える、情熱的な愛が芽生えなくなっています。

しかも、あまりの情報から、恋愛対象や結婚対象の異性の

条件やパターンが決められてしまい、それにあてはめる事により
自分自身のからの判断基準が無くなり、せっかくの機会を
逃してしまったり、異性への感覚が薄れたりしてしまいます。

以前は、憧れと実際は異なるものだと言う事が、人々の心の

根底にあったのですが、膨大なる情報の洗脳により、あたかも
自分が欲する人は、情報から得られる対象となっているのです。

この事は、特に若い女性に多く見られ、現実の恋愛を求めず

異性に対する興味も失っている方も多く見られます。
更には、女性が社会進出して、一人でも生活できるようになったり
1人でいる事のプレシャーが昔ほど強く無くなっている事にも因ります。

しかし、私達人間は、本来、社会性のある動物として、お互いに

関わり合って生活し成長していくものです。
つまり、多くの人と関わりあり、異性と関わり合う事によって
人間として社会人として、身も心も成長していくのです。

中でも、異性から受ける様々な影響は、例えネットの情報と比べても

比べものにならない程濃密で豊かなものなのです。
同じ空間で、五感を通じて感じ取るお互いの情報は、
マスコミ情報で得られる知識よりもはるかに膨大なのです。

そして、その情報は、お互いに共有する事によって、より豊かに

オリジナリティを持って成長していくのです。
情報と言うのは非常に断片的であり、例えそれが沢山集まっても
自分自身の本当の解決策とはなりえないのです。

今の若者たちは、非常に博学で、クールで、大人の様に見えます。

しかし、それは、若者に共通の社会判断であり、周囲と上手く
やり取りするための手段に過ぎません。
これは、かつて私達が使い分けていた公私の公と言う部分であり
時代の違いは有れど、社会人としてのたしなみの様なものでした。

しかし、問題は、私の部分にあたるプライベートの部分です。

このプライベートにも、情報からくる基準が働いているのです。
社会的な顔とプライベートの顔が有ってこそ、一人の人間として
成長していくのです。
恋愛は究極のプライベートとも言えます。
この先には結婚と続く、大切な入り口とも言えるのです。

素晴らしい知識を持ち、なんでも冷静に判断できる若者が、

異性に対峙したとき、知識が邪魔をして、本来の自分が持っている
沢山のセンサーが働きません。
見た目と知識が邪魔をして、本当の相手の姿が見えません。

人は、太古の昔から、大自然の中で、五感を磨き、

人との間で心を育ててきました。
その時、一番大切な事は、人や自然と対峙したときに、瞬時に
最適な方法を感じ取る能力でした。
それが無ければ、自然に負け、子孫を作ることも出来なかったのです。

どんなに豊かな知識が有っても、それは道具に過ぎず、

その道具を瞬時に使いこなすのは、瞬間の状況判断です。
今の若い人に求める事は、原始人の様な身体全身で感じる
状況判断力です。
誰かの判断に任せる情報判断は、どんなに多くても無駄なゴミです。
仕事にもプライベートにも、自分を信じて、五感で感じられる
若者に成って欲しいものです。