人生を長くやっていると、男と女は本来全く違う生物であり、
御互いに異星人と言っても良いほど隔たりが有る様に思えます。
そんなにも違う生き物が、大恋愛の元に結ばれるという事は、
ただならぬ状態に理性を失って、本能的に結ばれた要素が強く
見えるべきものが見えなく、聞こえるべきことが聞こえなくなって
ある種、異常な状態にあったと言えます。
これは、人間と言うより、生物が太古の昔から種を繋げるための
本能の成せる業であり、例え、地球の生き物の頂点に立っている
人類の英知を持ってしても、言わば、恋は盲目状態なのでです。
しかしながら、恋愛しようが、結婚しようが、いずれ、当初程の熱は
あっと言う間に消え去り、今まで見えなかった事や聞こえなかった事が
いやが上にも感じられる様になるのです。
この時、こんなはずじゃなかった、以前はこんな人では無かったと
不満を並べる人は、その本能の力に玩ばれただけであり、人間の
男女の実体を理解していなかったのです。
私達が異性を好きになる時、それは、相手が自分の我儘を認めて
理想の相手として振る舞ってくれる時です。
もちろん、外見的要因も有り、相手から感じられる様々な事が
自分にとって喜びであり快感となる事が前提です。
御互いに、結ばれようとする時、人は、いかに相手に嫌われないか
嫌われる要素を見せない様にしようと努力し始めます。
普段とは違った言葉使い、素敵に思わせるファッション、化粧、姿
ありとあらゆる物に気を使い、相手に見える感じる部分を自分の
全てであるように振る舞います。
多少なりとも、相手に気にいられようと、別の自分を演ずれば
演ずるほど、二人の思いは、まるで磁石の様に引き合い、
絵に描いたような恋愛劇が作り上げられて行くのです。
でも、この時点で、結ばれた後の行く末が明確になって行く事に、
相手しか見えなくなった二人は気が付きません。
あれ程にも仲の良かった二人に破局が訪れる時、人は、驚き、様々な
原因を推測し、野次馬心をくすぐられるのですが、当の本人たちは
不幸が訪れれた時、ようやく自らの本音に立ち返り、安どの気持ちに
ホッとするのです。
つまり、どのペアも、異星人で有る事に変わりなく、それを相手と同じに
しようとする努力は、本能でしか有りえないのです。
もし、その後も、相手に対し、強い恋心を抱き続け、変わらぬ存在意味を
感じ続けるには、生物的な違いを理解できるかどうかに掛って来るのです。
とは言え、このトラブルを呼ぶ男女の要因こそが、実は、二人の間を
強く結びつける人間的優しさを生むのです。
自分とは違うものを感じた時、そこで排除するか、その違いを認めるかで
二人の未来は決まります。
恋愛当時の二人の思いはいつも同じ、といった本能が成せる錯覚は
結びつくまでの力しかなく、その後の二人を結び続けるだけの力は
差ほど期待できないのです。
男女の顔かたち、機能が違う様に、心は、決して相いれない部分が有り
この事が異星人のごとく二人に付いてまわるのです。
この違いは、容姿の様に、変えられるものではなく、御互いが、当たり前の
物として受け入れられない限り、平穏な日々は送れないのです。
しかしながら、この、異星人との付き合い方が出来ない若者が増えています。
相手の中に、長い人生を共にできる魅力を見つけられないで、自分の頭や
ネットの中に、憧れの理想像を描き続けます。
自分が探し出した架空の理想像は、映像としてメディアとして自分の欲求を
常に満たす事によって、そこから心が動かず、強い依存性を生みます。
今や、理想の異性像は、身近な生身の人間から得られるのではなく、
架空の作られたアイドルとして若者の心に住み続けます。
その為、周囲の人々や異性に対するセンスに欠け、自分のパートナーとして
異性が恋愛の対象にならないのが大きな社会問題と成りつつあります。
ここ20年程の若者の心理を調査した結果によると、若者たちが異性を求めず
一人で生きて行く事に抵抗が無く、生涯独身であっても気にならないと言う
高齢者社会の日本にとっては、困った傾向が数字に表れています。
くわえて、更に問題は、若者たちが、安心して結婚子育てを出来る環境が
今の社会から期待できず、家族を持つ事に、消極的になっている様です。
若者たちの経済状態も厳しく、正規雇用者の減少と、非正規雇用者の増加が
更に追い打ちと成り、より一層、日本社会における問題を深くしています。
何でも手に入り、あらゆる情報を瞬時に知ることが出来る現代、世界の情勢を
難なく知る事は出来ても、自分の周りの人間関係は、全く理解できず
自分の存在意味や価値が見いだせず悩む若者が増々増えています。
確実に私達の世代より能力が有り、今の社会を動かしている若者たちが、
自信を持って築き上げられない今の日本社会は、高齢者社会の問題より
遥かに致命的な日本の未来を暗示している様で、逆に、高齢者から、
若者たちの未来を案じられている事にも成っているのです。