めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

被災された方々の心を察して

2016-04-25 18:45:54 | 地震

多くの友を失い、傷付き、日常の幸せを奪われ、どれ程深い悲しみの中で
苦しみもがいているか、被災者の方々の心を察するも、あまりにも悲惨で
痛々しく、とても言葉に表す事は出来ません。

どうしようもない災害に見舞われると、それまで、第三者の立場で想像した
考えられる状況とは全く異なっているものです。
特に、ほんの少し前まで、普通に暮らしていた肉親や友が、一夜にして
惨たらしい屍となった時、人は、恐れも怒りも全て通り越して、何も考えられず
しばらくの間は、一体何が起こっているのか理解できないものです。
私も幼い頃、伊勢湾台風で、前日、家の前で遊んでいた親友を亡くしました。
近所の方々も多く亡くなり、数日後、変わり果てた姿で、水面に浮いていました。

今や、ネットの発達で、世界中の出来事をライブで知ることができるようになりました。
地球のどこかで毎日行われる戦闘で、沢山の人々が傷つき殺されている光景を
茶の間で簡単に見る事が出来るようになりました。
更には、メディアの発達で、様々な映像がリアルに再現され、多くの映画やDVDが
製作される様になりました。

しかし、画面で見るどんなに残虐な行為も、悲惨な戦争も、災害も、実際の物とは
余りにもかけ離れているのです。
増して、そんな中に自らが投げ出されたとき、人は、この世で一番耐えられない
苦痛を味わうのです。
今や、被災地の方々は、そんな現実を生きているのです。

この事は、これまでの災害に於いても、常に人々を長く苦しめ、心に大きな
トラウマを抱いて生きて行かなければならないのです。
しかし、そんな悲しみを憂う方々ばかりではないのが残念です。
災害に乗じて、被災地から金品を奪う者、戦争に乗じて、多くの利益を生む人々
人間は、やはり、一番美しくも醜い動物なのでしょうか。

今、被災地では、優しい心を持つ多くの人々が集まる一方、どさくさに塗れて
悪事を働く人もいる様です。
多くの人が傷つき集まる場所で、御互いを疑う様な出来事が起こることは、
地震で傷つく以上に悲しい事です。

災害で身も心も傷付き、更には、人が信じられなくなってしまったら、
被災者たちは、一体何を信じて生きて行けばいいのでしょうか。
多くの人達が、苦しみの中で、何とか一筋の光を見出そうともがいています。
そんな人々の気持ちを少しでも癒し、未来への手助けと成ればと思うのが
多くのボランティアや災害地で復興に携わる人々の気持ちなのです。

人の不幸に付け込んで己の欲を満たそうとする人間は、
鬼畜にも劣ると言っても良いでしょう。
私達日本人は、そんな人を生まない、育てない社会を作り上げる事が
大切な事たと思われます。
災害に遭われた方は、今一時を生きる事にも大きな不安を抱き、
止む事の無い地震に、未来の夢も希望も失いかけています。
私達日本人は、そんな人たちを察して、経済的にも精神的にも
ずっと支援を続けて行く事が大切と思われます。


ハード面の援助重視が蹉跌を繰り返す

2016-04-19 15:57:19 | 地震

私達は、生きてく上で様々な経験を積みますが、その経験の元
蹉跌(失敗)を踏まないと言う事が大切です。
人は、失敗を重ねて成長して行くものなのですが、国の行方を
決める様な事、多くの人々が命を掛けたり、生活を掛けたりする事で
何度も間違ったり、過去の経験が生かされない事は、単に学ばないと
言うだけでなく、執行部の方々の怠慢としか言いようが有りません。

近年、神戸淡路大震災、東日本大震災、更には、その他多くの地震が

日本を襲っています。
その度に繰り返す、同じ苦しみが、行政サイドで殆ど教訓として生かされず、
またもや多くの失態により、より多くの被災した人達の苛立ちと憤りを増す事と
成っている事に気が付いていない現状に、この国の、国民に対するケアが
いかにいい加減で被災者目線に立っていないかが解ります。

大地震が来たら、先ず、食料と水を確保、と言うのは、確かに大切ですが、

最も大切な事は、家を奪われた人々が、全く異なった環境で、今までの様に
生活しなければならないと言う事です。
例え、避難しなければならない所が多くの人々で溢れたとしても、そんな中で、
一番人々が心を悩ます事は何なのかを、災害以前に考える事が必要です。

自衛隊を派遣したり、大量の食料や水を送ることも重要ですが、多くの人々が

一番の苦しみを感じる事を考えなければならないのです。
例え、一日食事が無くても水が無くても人は我慢できるのです。
しかし、普段、無くすことが出来ない事が、実は、心に大きなストレスの原因と
成ることを知らなければなりません。

今や、日本中から溢れる程の救援物資が送られて来ています。

この事は、阪神淡路大震災の時も、東日本大震災の時も同じです。
多くの誠意が集まっても、それが、人々に行き渡るかどうかは別の問題です。
何故ならば、それを決める方々が、遠い所から今までの経験と想像で、
縦割りの感覚で指令をしているからです。

実際に、恐怖に慄いている多くの人々が、怪我をして自由がきかない人が

病に伏して不安と成っている人が、まだ自立できない乳飲み子達が、
そして、戦争や災害でいつも犠牲と成る女性たちが、一体何を求めているか
頭を突き合わせて、机の上で物事を決めている様な人たちには解からないのです。

どんなに悲惨な災害であっても、いずれ、人々は街を復興し、新たなる時代を

生きて行くものです。
しかしながら、一方的な復興計画が、また、地方の魅力的な街を勝手に作り変え
日本のどこにでもある、便利で機能的な望んでもいない大都市の様な姿の
近代的な?街に変えてしまうのでしょうか。

そんな故郷が消えた魅力の無い街は、個性を失い、単に、大都会の周辺の

衛生都市の役割と成ってしまいます。
きめ細やかな配慮は、災害が起こってから行うものでもありません。
もし、大災害が起こったら、日本全国から、水や物資を送れば良いと考えるのは
余りにも短絡であり、被災者たちは、水や食料が無くなったから苦しいのではなく、
日頃のプライベートな生活が出来なくなることが苦しいのです。

もし、日常的に、食料と水が2~3日亡くなったとしても、空腹で喉は渇くとしても

人々の間であっても、家族間であっても、心の苦しみは生まれません。
それは、日常のプライベートが守られているからです。

災害が起これば、多くの人々が一か所に集まる事は当たり前の事であり、

直ぐに食料や水が足りなくなる事は解りきっている事です。
しかし、人々の悩みは、口には出せない、身体の事、家族だけの事、病人の事と
極めて身近な事なのです。
水と食料を与えておけば大丈夫と言った、戦争中の軍隊の様な感覚では、
人々の苦しみは無くならないのです。

中国の北京には、天安門広場と言う、広大な場所が有ります。

ここは、国家規模の集まりが有ると、数十万の人々が集まり、何時間もその場で
様々な儀式を執り行います。
この時、これだけの人々の一番の問題は、誰にでも共通の生理現象です。
何十万の人に囲まれて、それぞれがどうやって用を足すのか。
人々の足元には、至る所に、大きな蓋が有ります。
それを取り除くと、そこは、溝になっていて、下は下水が流れています。
私達日本人にとっては、とても恥ずかしくて出来ない事ですが、現地の人達は
集会中はそれで用を足し、終わったら蓋をして、集会を継続します。

中国の方々はそんな状況でも用を足せるかもしれませんが、日本人の私達は

そこまでは、中々難しいと思えます。
しかし、同じようなシステムを街中に準備する事は出来るはずです。
プライベートな事ですから、簡単に枠組みを組んだり、周囲を遮断する術を
考える事は容易と思えます。

今の避難所は、飲む水が無ければ、用を足した後の水を流す事も出来ず

更には、あまりの人数で、施設が全く足らないのが現状です。
それまで、何十分の一の人達が使う様にしていたものですから、当然です。
また、病気で自分では何もできない方も多く、例えボランティアであっても
他人に触れられることに抵抗が有る高齢者も多いと言います。

何もかも我慢して、人に迷惑にならない様にと、病が酷くなる方も多いのです。

この事は、東日本大震災の時、食料も水も足りているのに、どんどん病人が増え
避難施設における大問題と成っていました。
今、手を差し伸べようとしている各地方自治体や行政機関の人々も
次は我が身であることをしっかりと理解すべきなのです。
どの様に被災者のケアを行うかを今すぐ考えないと、またもや、多くの不幸を呼び
地震の後も苦しむ人たちを生む事と成るのです。


予想もしない大地震に想う

2016-04-15 16:15:17 | 地震

昨晩、仕事中に、ドン!と突き上げる揺れに、嫌な気持ちになった後
30分もしない内に、九州の熊本で大地震が有りました。
私は、てっきり、先ほどの地震がどこかで起こったものと思いましたが、
家に帰ってニュースを見ると、そのひっ迫した状況は、とんでもない事が
起こっている事を示唆していました。

関東地方に直下型の大地震が近々やって来ると、ネットで噂になっていて
心の中で、次は関東かと思っていましたが、思いもよらないところで起こり
驚きました。
過去の様々な記録からも、日本の地形からも、恐らくこの辺りが怪しいと
かねがね考えているのですが、いつも、その予想は覆され、被害が出た
過去10年程の間の地震でさえ、全く想像もしない場所で起こっています。

熊本は、学生時代の友人が何人もいて、震源地に近い所が故郷である
仲間も居る為、驚きと共に、その安否が気遣われました。
今まで、阿蘇と言う巨大火山が有るものの、比較的安定した場所であり、
地質学的に言うと沢山の断層が有るものの、巨大地震が発生した事は
近年では記録されていません。

しかしながら、テレビに映し出される熊本城の崩落状態を見ると、
日本に居る限り、何処にいても、大地震い見舞われる可能性がる事を
改めて思い知らされました。
今や、九州の人の流れも物の流れも真ん中で寸断され、例え被害の無い
周辺の各県にしても、今後様々な影響が心配されます。

東日本大震災の時もそうでしたが、突然の惨状を見せられて、
私達が出来る事と言えば、今後の復興に対する援助しか
出来ないのですが、この対岸の火事の様な出来事が
次は我身に起こるとは決して思わないのです。
その為、こういった惨事が起こる度に、多くの被害をもたらすのですが、
解っていても、中々その日の事を考える対策は考えないものです。
何かをしなければと思わなければならないのでしょうが、現実に起こるまで
多くの人々は、日頃の生活習慣を変える事は難しいのです。

とは言うものの、少しは、もしもの時に備えている事も、少なからずあります。
先ず、水が一番大切である事から、自宅の各部屋の隅には、ペットボトルに
2リットルの水が懐中電灯と共に置かれていますj。
更には、普段、仕事で持ち運びする通勤バッグには、水以外の救急用品、
ラジオ、サバイバルキット、常備薬等を入れているのですが、その意味を
殆ど忘れているのが現状です。

もっとしっかりと安心できる準備が必要なのでしょうが、家族で話し合うと
決まって出る言葉が、一体何処で遭遇するか解からない、という疑問です。
一番困るのが風呂に入っていて、裸で閉じ込められる事であり、
逃げられない状態で遭遇する事の可能性もあるのです。

安心できるビルの中や安定した広場にいる時に遭遇することなど、
宝くじに当たるより難しいとう意見も出ます。
更に、何だかの仕事やプライベートで、危険な古い雑居ビルにいた場合とか
一番危険と言われる地域に出かけている事も可能性として有ります。

つまり、何処で大地震に遭遇するかと言うのは、誰にも解からない事であり、
例え生き延びたとしても、その後に悲惨な生活を送らなければならないかも
知れないのです。
近年に起こった大地震の後の報道は月日と共に少なくなっていくものですが、
何年も何十年も生活が元に戻らない場合も多々あります。
ニュースとしては、人々が注目している時は取り上げられるのですが、
それも、次第に過去の出来事として忘れられて行きます。

地震は本当に恐ろしい事ですが、一番大変なのは、その後の生活が激変し
人生の設計が一瞬に破壊されてしまう事です。
多くの人々が亡くなり傷つけられる事は痛ましいですが、多くの人々の生活が
破壊されることは、長きにわたって人々の心を苦しめるのです。

今や、東日本大震災の後の日本列島の状況が大きく変化している事を
多くの科学者たちが注目しています。
これまで、穏やかな動きであった地殻変動が、一気に活発化をし、
日本の地下で様々な変化が起こりつつあるようです。

今までの記録や定説が全て覆される様な大異変が起こる可能性も有ると
言われています。
日本中の火山が活発化をし、それに伴い、地震の数も著しく増えています。
かつて日本が火山の噴火で形成された地球地質学的な事実が有りますが、
その頃の巨大火山や巨大地震がまたもや起こり、日本自体が変わってしまう
といったSF的な事が現実になるかもしれないと言う学者も出てきました。

今回の熊本の大地震と共に、心配される阿蘇山の噴火は、とりあえず
考えなくても良いと火山学者が伝えていますが、それもあくまで過去のデータや
太古からの歴史からの想定であり、絶対ないとは言い切れないのです。
かつて阿蘇山は、今の様に陥没したカルデラ火山ではなく、巨大な火山であり
遠い昔の大噴火で今の様に巨大なカルデラを残しているのです。
この時の噴火が九州の大地の基盤と成っている事は知られていて、
もし、同じような噴火が起これば、九州は全滅する事も考えられるのです。

日本の美しい四季も、豊かな資源も、その元と成っているのは、かつての
日本を形作った大噴火によるものです。
何度となく形を変えた日本列島が今の形になってから、地球の歴史からすると
ほんの短い時間と言えます。
いつまた、日本列島の形を変えてしまう大変動が起こらないとの言えないのです。

数十年前には、殆どの出来事がもしかしたらと言う非現実的な想定から
多くのメディアでか語られてきたのですが、ここ10年程の日本の変化は
言わば想定外の連続であり、誰もが信じない事が現実になっても不思議でない
様々な地球規模の現象が起こっています。

かつて、日本沈没と言うフィクションが小説になり、映画になりました。
当時は、そんなことは絶対にありえない夢物語として、娯楽作品として
結構多くの方が楽しんだものですが、今見れば、恐らく手放しで笑う人は
少なくなっていると思われます。

地球温暖化と共に、世界の自然が大きく変わってしまい、動物植物の分布が
著しく変わって来ている様です。
更には、地球自体もプレートの動きが活発化していて、正に、地球大変動の
脅威の時代に私達は遭遇しているのかも知れません。

これからの時代、私達の力ではどうにもならない事が起こるかもしれません。
地球全体が変わってしまうかもしれません。
しかし、生きて行く為には、それでも前に進まなければならないのです。

そんな状況で、やはり、一番大切な事は、私達人間同士の信頼と強い絆です。
御互いにしっかりと支え合う事でこの難局を切り抜けなければならないのです。
次の時代は、人間同士が争っている場合ではなく、人類が存続するために
助け合う事が最大の力と成るのかも知れません。




東京防災冊子の効果

2015-09-25 13:57:43 | 地震

一週間ほど前に我が家に送られてきた、東京防災の冊子が
仕事場にも送られてきました。
毎日、様々な広告がポストに投函される中、黄色い段ボールの
ケースに入ったこの防災推進の書籍は、これまでの、広告とは違い
明らかに、都としても、東京を巻き組むかも知れない災害に、ようやく
本腰を入れて来たと言う事にもなるのでしょうか。

20年ほど前は、天変地異と言ったたぐいのものは、テレビに於いて

極めて、視聴率を稼ぐ為の、色物のイメージが強かったのですが、
数年前の東日本大震災や、ニューヨークの国際貿易センターへのテロ等
のんびりとした日本人にも、かなり危機感をあおるには十分すぎる災害が
身近になって来たとも言えます。

火山噴火、巨大地震、スーパー台風、異常気象と、私達の住む地球は

新たなる激動の時代に突入したと言っても過言ではないでしょう。
東京都が都民に向けて、これまでにない程の危機感を訴えているこの冊子は、
少なからず、近い将来、夢ではない、極めて現実的な大災害が起こると言う
警告でもあるようです。

しかしながら、毎日の生活に追われる私達は、殆ど一日中、危機感を抱く事は

無いと言ってもいいでしょう。
行政が、その日に備えて、様々な公共施設や公共機関を整備する事が、
災害に対する準備と言ってもいいのですが、私達都民は、単に便利になって
街が機能的になって来たと言うくらいにしか感じないものです。

その為、特に、地震ともなると、予知が殆ど期待できない事から、やはり

寝耳に水の様に、その時が来た時にしか、自分の危機感は感じないのです。
しかし、この防災冊子にしても、様々なメディアの情報にしても、
私達は、知らず知らずのうちに、その対策が刷り込まれていて、いざと言う時には
何だかの行動を無意識の内に取ると思われます。

起こった瞬間は、誰もが運命の様に、その脅威にさらされるのですが、

その数分後には、災害の後の行動として、それまで蓄積された知識や行動方法が
自然に私達を動かして行くのです。
私達日本人は、有史以来様々な災害に見舞われ、何千年に渡って、知識と経験が
伝えられ、防災と言う事に関しては、世界のどの国よりも冷静に対処できるのです。

東日本大震災の時、首都圏は、未曾有の交通マヒに襲われました。

直接の被害は少なかったものの、都内を移動する人々の足はことごとく失われ
多くの人々が自宅まで歩いて帰ると言う事態になりました。
しかしながら、その川の流れの様に続く人々の動きには、整然とした落ち着きが見られ
暴動も混乱も起こらないその姿に、世界のメディアは驚きの声を挙げました。

しかし、これは、私達がこのように歩こうと決めたのではなく、突然の災害に襲われたとき

私達日本人の心には、無意識の内に、周囲を気遣い、協力し合い、誰もが安全に
動ける様配慮する気持ちが現れるのです。
今回送られてきた冊子をどれだけの人が読むかはわかりませんが、殆どの人が
自分の好きな本を観たり、番組を観たりする時よりも、はるかに気乗りしないで
読むと言うより覗く程度と思われます。

ならば、こんな冊子は効果が無いかと思われるかも知れませんが、読む以前に

この黄色い本が送られてきたという事で、各自の心の中の防災のギアが一つ上がって
もしもの時の心構えとなっているのです。

最初のページを開くと、後30年内に、首都圏直下の大地震が来る確率が70%と

書かれています。
これは、30年後に来るかもと言うのではなく、明日来ても不思議ではなく、
首都圏に今住むほとんどの人が被災すると言う予言の様な警告です。
本来、人々の心を落ち着かせなければならない行政が、不安をかき立てる様な
極めて強烈な文を送りつけるという事は、本当に危機が迫っていると考えるのが
正解とも言えます。

でも、この冊子を手にしたから命が救われるとは言えません。

消防庁が発表した予想数字の中には、恐ろしい数の命が失われると書かれています。
その痛ましい犠牲者になる可能性が有るのです。
しかし、災害に巻き込まれた時、少しでも助かる為の知識が有れば、その犠牲者の中に
自分が入る確率が低くなるのです。

何処でその惨禍に見舞われるかは、誰にも解からない事ですが、その時、いかに冷静に

対処できるかが、その後の生きる道を決めると言っても過言では有りません。
首都圏直下型の大震災が起これば、東日本大震災の時の首都圏の時とは
比べものにならない想定外の事態が起こると考えられます。
どんな事態に巻き込まれても、そこから無事生還する為にも、日頃から冷静に対処できる
心構えだけはしておきたいものです。


行き詰まる地震対策

2015-09-13 10:15:08 | 地震

今年は、一月早々台風が発生して驚いたのですが、
思った以上に上陸する台風も多く、日本近海の気象が
確実に変わってきたのを感じます。

中でも、近い将来、日本を襲うかも知れないと言う、
スーパー台風は、少し前には、パニック映画に出てくる
架空のものと思っていましたが、近年の異常気象が
その現実味をより一層増している様に思えます。

災害列島と言われる程、様々な自然現象に襲われる
日本列島は、これから私達が想像すらできない程の
大参事が起こらないとも限りません。

しかしながら、私達は、例え近々危険が迫っていると言っても
なかなかピンとこないのが現状です。
東京に大地震が来ると言われる様になって、もう10年以上に
成りますが、明日かも知れないその時を、いまだに、まだ
先の様に感じるのは、その悪夢の日を迎えたくないから
なのでしょうか。

我が家を見渡すと、各部屋にはペットボトルが埃をかぶり、
懐中電灯と靴が荷物にまみれて転がっています。
非常用の食料は、すでに何度も家族の胃袋に収まり、
今では、非常用と言うより、お腹が空いたときの
夜食用になって、終始増減を繰り返しています。

家具が倒れたりしても良いように、転倒防止策を試みたり
ガラスが飛び散っても良いようにと、ガラス面にビニールを
貼ったりと、それなりに対策はしているのですが、
大自然の力が、この程度で抑えられるとは思っていません。

我が家で、この手の問題を話すと、地震は自分たちが安全と
思っている所で遭うとは考えられないと言う壁にあたります。
都心の雑居ビルの中にいるかもしれないし、たまたま、
火事で危険と言う江東区や台東区に出かけているかもしれない
と言った話が出始めると、もう、地震対策は進みません。

知り合いの方は、庭に、極秘で、核シェルターを10年程前に
埋めました。大地震が来ても、火事で家が焼けても絶対
安全と言われ設置したようですが、直ぐに、カラオケルームに
変わり、今では、足の踏み場もないほどの荷物倉庫になって
入る事すらできないと言います。

やはり、私達はその日が来ないと自覚出来ないのでしょうか。
昔から、必ず大きな地震はやって来るのは確実であり、
日本に住んでいたら、必ずどこかで遭遇するとも言われます。

しかしながら、こんなにもひっ迫している状況にあっても
なかなか対策をしようとしない私達日本人は、その日が来て
初めて大慌てするのでしょうか。

さらに、熱しやすく冷めやすいと言われることから、直ぐに
喉元過ぎれば熱さ忘れる、となってしまうのでしょうか。
でも、そんな性格だからこそ、日本人は何度も立ち直れたのかも
知れません。

いずれにせよ、例え災害に遭っても、安心して援助を受けられる
被災者側に立った対策が取られることを心から願っています。