めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

昔は良かったと思う事

2016-10-24 16:15:24 | 昔良き時代

私たちは、時に、この今の時代に生きている事を悔やんで、
昔の頃がずっと良かったとか、あの時代に生まれていれば
もっと幸せだったのではと思う事が有ります。
特に、生活が苦しかったり、環境がよくなかったりすると、
かつての良い思い出がよみがえったりと、どうしようもない
閉塞した日常から回避したくもなるものです。

しかしながら、かつての楽しい思い出の日々も、現在と同じく
結構苦しい思いをしていたり、その時の生活を苦にしていたり
するものです。
人は、何を持って幸せと思うのでしょう。
何事も思うがままになったり、何でも手に入れば、幸せと思い
悔やむ事も無くなるのでしょうか。

でも、何でも出来、手に入れることが出来た時、次に何を目的に
生きて行けばいいのでしょう。
そんなこと、夢のような生活で考えるはずがないと思う方も
多い事でしょうが、それは、今の自分との比較をするからであり、
実際そこそこの夢を達成して、生活が豊かになったとしても、
相変わらず思い悩んでいる人は非常に多いのです。

一番の問題は、生活が向上し、日常的に接する人の層が変わり、
それまでの自分が接していた人との関係とは大きく変わって、
自分自身が変わっていかなければならない事です。
生活が豊かになり、何でもでき幸せになると思っていたのに、
意外と自分の思うような自由な生活が出来ず、より新たな、
仕事や友人関係が、自分自身の生活環境に大きく関わって来て
その環境に自分を慣らすことに苦労する場合も多いのです。

莫大な所得を得ても、人間関係を変える事なく、それまで通りの
心の安静を保てる人間は少なく、多くの場合、夢に見た生活を
より豊かに感じようと、必要以上の投資や行動を行おうとします。
それに伴い、お金の匂いを嗅ぎつける輩は非常に多くて、
少し有名になろうものなら、あっと言う間に、砂糖に集る蟻の様に
周囲の環境に群がってきます。

特に、生活の豊かさと便利さを目的としていた人にとっては、
美味しい話には目が向くものの、他人の欲に付け入る烏合の集の
心を見抜くことは難しく、あっと言う間に散財する事も多いです。

とはいうものの、今の世の中、お金さえあれば自分は向上すると
考える人はとても多く、生活を豊かにすれば、自分の存在価値も
社会的に上がると考える人が多いのは確かです。
その為、社会構造自体も、集客と集金を主体とした構造になっていて
資本主義経済の構造が、人々の考えの基盤となっている事が多く、
いつまで経っても心休まらない、他人の物を欲しがる荒っぽい人が
多くなっているのです。

教育の場においても、社会に出て、人間として立派な大人になる事を
目指すと言うより、誰より社会的に豊かな生活が出来るための
地位学歴所得を目的としたシステムが多くの子供たちの心を苦しめ
傷つける結果となっています。
例え、自分が思っていたような社会的地位に付いたとしても、実際は
自分より幾らでも上の人がいて、一生その上下関係に縛られて生きる、
どんなに頑張っても、心も身体も休まらない未来が待っているのです。

昔は良かったと思うのは、今と比較しての事であり、ひどい時代に
生きていると思っていても、将来、今の生活が素晴らしかったと
思う事も有るのです。
しかし、そんな時、自分の心の思いが一貫としていれば、どの時代でも
自分自身の価値観は変わらず、いつも一番安心できる自分自身に
満足できると言えます。

この心の価値観を満たすことは、そんなに大変な事ではなく、
誰にでも得られる、何時の時代にも、どの世代にでも感じることが出来、
環境の変化に対しても、心揺らぐことなく、安静でいられるものです。

それは、自分が心安らぐ様に、周囲の人達の心を安らかにすることです。
つまり、自分が周囲の人たちからして貰いたいこと、また、周囲の環境に
自分が快く感じる事を考えて、人だけでなく、自然に対しても思う事
です。

私達人類の文化の発展は、誰もが、このようであったら良いとか便利とか
自分の心を満たす所から始まっています。
衣食住すべてが、快い気持ちとなるための工夫であったのです。

この事は、対人関係に於いても同じであり、自分だけの欲望達成では
周囲の人からの喜びが得られず、結果、本当に自分の行いが良かったのか
悪かったかのかも解らず、より、大きな欲求を達成する事に依り、
満足できると思う、資本主義社会の落とし穴に陥ってしまうのです。

私が長年飼っている金魚が、朝、目を覚ますと、一斉に私の方を見て
餌の催促をします。
そんな時、いつも通り、水面に餌を落としてあげると、盛んに啄み
元気に泳ぎ回ります。
たったこれだけのことですが、金魚が喜び、元気でいてくれるだけで、
早朝の一時が幸せの気分となります。

私たちは、誰かの為になっている、誰かが喜んでいると思うだけで、
幸せになる様になっているのです。
一人勝ちして、自分だけが喜んでも、誰もうれしくはないのです。
自分の行いが、人を喜ばせることが出来た時、自分の存在価値を感じ
生きて来た喜びをかみしめるのです。

昔を想い、当時は良かったと思う時、それは、自分が、周囲の人や
環境に守られ癒されている時で有ったのです。
どんなに辛い環境に有っても、誰かの為に頑張ったり、誰かの幸せを
作り出したとき、心に残るいい時を過ごせているのです。

今や、人のことなど構っていられない厳しい時代となっています。
明日の生活、仕事、更には、食事すら保証されない方も多いです。
だからと言って、自分の不満を人に与えたり、自分の欲求のみを
示したからと言って、幸せには慣れないのです。
自分が苦しいと思っている以上に周囲の人々や他人は苦しい生活を
毎日送っている事も多いのです。

ほんの少しでも、自らが出来る、人に対する思いが有れば、必ずや
その思いが自分を生かすために還って来るものです。
いつの時代も、人に対し、環境に対し、優しくなれる事が、
その中で幸せに生きて行ける条件となるのです。


素晴らし思い出を作る為の人生

2016-08-30 16:08:23 | 昔良き時代

心配された台風は、関東直撃を免れましたが、
青森、北海道方面は、その進路にあたり、より一層の
警戒が必要となっているようです。

所で、今回の台風は、非常に不可解なコースをたどり、

東北地方に、初めて海から上陸する台風となるのでは
と言われるほど、予想を覆す進路を辿りました。

今月は立て続けに同じようなコースで東北地方に

近づいた台風は、今年発生した台風の少なさと共に
いずれも予想が立て辛く、最新のコンピューター予報を
屈指しても、予想予測が困難となっているようです。

この事は、近年の地球温暖化による異常気象が根底にあり

今や予測不能の事態が地球に起こりつつあるとも言えます。
近年の異常気象や地震などの大災害が、従来の予想を超えて
新たなる想定外の時代となっているようです。

私たち日本人の祖先を育てて来た、豊かな日本の四季は

もう過去の時代となっているのかもしれません。
季節を巡る日本の美しさは、過去のものとなり、
新たな、まったく別の日本の自然が作られているのかも
知れません。

日本中の至る所で異変が起こり、異常気象が頻繁に起こります。

しかし、この異常とか想定外と言いう言葉を出すとき
私たちは、かつての日本の自然、日々の生活を基準として
現実を受け入れない事から、悩み苦しむのかも知れません。

あの頃、あの時代はどんなに素晴らしかったかと、

思い出すのは、自分の心を喜ばせ震わせたことばかりです。
しかし、現実には、それと同じく、苦しく悲しい事も
沢山有ったのです。

もし、後数十年経って、今を振り返れば、同じように

バラ色の日々を想うかも知れないのです。
つまり、いつの世も、私たちは過去に縛られ、過去の楽しさ
過去の自分の存在を認めたいのです。

ならば、今の時代今の生活は、未来に於いては、

素晴らしい過去となるのです。
自分が生きた記憶はすべて素敵な過去に変わって行くのです。

次々に訪れる想定外の出来事、異常な出来事、これすべては

新たなる自分の思い出に変えられるチャンスでもあるのです。
問題は、一つ、何も行動に移さず、反応せず、過去の想いに
自分の心を向け続ける事です。
過去への郷愁は、心を和ませ、気持ちを癒します。
しかし、前には進みません。

新たなる現実を受け入れ、そこで生きる事を目指す事、そして

新たなる歴史を刻むことが、不安不信から逃れる事になるのです。
これから、地球は益々私たちの想定を超えた表情を見せるでしょう。
そして、私たちの生活も、想定外の出来事が起こるはずです。

その時、受け入れるか、過去を見るかで、生き方が決まります。

新たなる事に足を踏み入れた時、その行動の結果が如何であれ
進めば、また、思いめぐらす楽しかった過去が生まれます。
どんな時代が来ようと、歩む事進むことを止めなければ、
道は出来、その過ぎた過去は新たなる想いと変わるのです。


朋あり遠方より来る、また楽しからずや

2015-11-06 15:22:01 | 昔良き時代

数年ぶりに同級生に合う事と成りました。
突然の電話に、懐かしい声が聞こえてきました。
数年前、大学以来数十年ぶりの再会が有ってから
中々合う事が出来ず、久し振りに上京するとの事です。

以前会った時は、かつての仲間が10人ほど集まって、

懐かしい昔話に、夜遅くまで酔いしれたのですが、
今回は、高校生を数十人引き連れての、観光旅行との事で
いつの間にか、そんな歳になったのかと、感慨深くなりました。

しかも、彼は、校長と言う、かつての姿からは想像もつかない

立場になっていて、改めて人は変わるもんだと苦笑しました。
夜の新宿を歩きながら、昔話に花を咲かせ、一軒の居酒屋で
再会の祝杯を挙げる事となりました。

今では、直接生徒を教える事は無くなったとの事ですが、

この数十年の教員生活は、波乱に満ちていたようです。
今の日本の教育は、私達第三者が思うよりも、はるかに問題があり、
その根の深さは、マスコミすら立ち入れない複雑な事情が有るようです。

最近世間を騒がせているマンションのくい打ちに対する手抜きや改ざんも

氷山の一角であることは明らかであり、どの世界も外には出せない話が
いくらでもあるようです。
取りとめのない話から、家族の話まで、御互いに酒を酌み交わしながら
夜が更けるまで、昔の楽しい時間が戻って来たようでした。

大学を卒業して、様々な世界に身を投じ、社会の荒波にもまれながらも

顔を合わせると、あっという間に時間が巻き戻り、あの頃の奴に戻ります。
バカ話と大笑いで、時間はいつの間にかに過ぎて行き、また、別れの時と
なりました。

男女の別れではないので、胸の痛みは無いのですが、遠い田舎からの

親友との一時は、新たなる胸の高鳴りと勇気が生まれてくるものです。
私との、タイムスリップしたような時間を過ごしたものの、帰る姿は、
また、彼の生きる世界の顔となって、宿泊先に戻って行きました。

若さと夢で一杯の情熱を傾けていたあの頃は、誰もが同じ様に考え、

集まれば、皆の目がキラキラと輝いていたものです。
様々な疑問に真っ直ぐ立ち向かい、自分たちが解決できるかのような
熱い思いに満ち溢れていたものですが、人生の半ばを過ぎると、
残念ながら、成し得なかった夢や、破れなかった壁に、自分の無力を
実感するものです。

しかしながら、中には、思いを遂げた人もいる様で、そんな人達が作った

大都会の喧騒が更に人々の気持ちをかき立てる様です。
都会やマスコミから感じる事の多くが、前向きの成功者の姿です。
その華やかさに魅かれ、多くの若者たちが都会を目指します。

しかしながら、その多くが、大都会の渦に巻き込まれ、志半ばにして

自分の夢を諦めていくのです。
自分の能力の無さ、不甲斐なさに、自分の描く人生を諦める人々も
数多くいます。

でも、都会と言うところはとても面白い所で、目を見張る数々の建築物や

圧倒的に多い人達がいても、殆ど、誰一人、自分とは関わっていないのです。
例え、自分が思いを成したとしても、殆どの人には関係ない事ですし、
東京の流れを変える事も無いのです。

また、逆に、自分がどんなに苦しんでも悲しんでも、周囲は何も変わらず

淡々と時が過ぎて行くのです。
つまり、誰も喜んでくれないし、悲しんでくれないのが東京と言う大都会です。

もちろん、友達や家族は、それなりに自分に関わってくれるのですが、

自分自身が思っている程、周りの人は関心は無いのです。
ならば、一人で悲しんでも苦しんでも、なんの得もないのです。
都会の大きな流れは、一個人に関わっている暇はないのです。

となれば、自分が楽しくなる喜ぶ事を考えましょう。

人は、他人から喜びを与えられる時、大きな自分の価値観を抱くものです。
自己満足の器は、誰もがとても小さく、直ぐに、一杯になり、その後は
何を手に入れても満足しないものです。

しかし、都会には、沢山の人がいて、その人たちが欲する喜びの器は

無限です。その器を満たしてあげると、器の数だけ、喜びが返ってきます。
要するに、自分が行き詰ったら、行き詰った人を楽にしてあげ
自分が欲求不満となったら、欲求不満の人の心を満たしてあげると
その姿に、自分が癒され幸せになるのです。

人は、愛する人になんでもしてあげたいと思います。

愛してあげた事による喜びが、自分を喜ばせるのです。
世の中、見渡せば不満ばかり、生活苦に苦しむ人たちに溢れています。
愛されたいと思う人たちで溢れています。

しかし、この人たちが満足する日は来ないのです。

何故なら、自分が愛したり癒したりする対象が無いからです。
求める事が先行し、自分を癒し幸せにするものばかりを求める為
自分の心は一杯で、それ以上幸せを感じなくなっているのです。
世の中のシステムは、人が喜ぶ事幸せになる事を作りあげた人たちが
多くの人々から多くの利益を得る様に出来ているのです。



近所に笑顔が溢れていた頃

2015-07-18 15:59:14 | 昔良き時代

昭和30年前後の日本の街は、今より木造家屋が多く、
戦後間もなくの事も有って、公共事業もなかなか進まず、
人々は、町々で昔からの伝統を守り、今で言う
良き日本の原風景の様な街並みが多くありました。

道路も、地方ともなると、舗装されている事は、国道以外

非常に少なくて、定期的に陥没した土の道路に、砂利を
撒いたり、砂を入れたりと言うのが現状でした。
そんな訳で、車が通ると、砂埃が激しくて、民家の軒先から
庭まで砂が舞い込む事は普通の状態でした。

しかしながら、当時の日本は、娯楽こそ少なかったものの

隣近所との繋がりは強く、いつも助け合って生活していたのを
覚えています。

ちょうど今の時期は、夕方ともなると、各家の前には縁台が置かれ

夕食前に、近所のお年寄りや子供達が座って、井戸端会議ならぬ
世代を超えたコミュニケーションが日常でした。

縁台に置かれた将棋や囲碁に興じる大人たち、周囲でコマを回したり

縄跳びをしたり、カケッコをしたりする子供達、そして、誰かが
持ってきた井戸で冷やしたスイカが切られると、誰もがそこに釘付けです。

強い日差しを避けるために軒に立てかけられたヨシズが、強い夏の日を

柔らかな日差しに変え、金魚鉢の水を怪しげに揺らせます。

次第に、太陽が傾いて来ると、西の空から茜色に染まり始めます。

各家の煙突から夕飯の煙がゆっくりと上がるのが見える様になると
近所のどこかの夕食の匂いが漂って来ます。

日中の強い光に赤や青の原色の花弁で夏を象徴していた朝顔が、

西日で茜色に染まって行く頃、親に呼ばれた子供達が足早に帰って行きます。

縁台の将棋も片付けられ、年寄りや大人たちも自宅に帰り始めると、

真っ赤に染まった西の空に、黒い物が盛んに飛び交います。
夕方に多く集まる蛾を求めて、コウモリたちが沢山集まって来ます。

次第に、空の色が暗赤色から濃い藍色に成り、次第に真っ黒の帳が降りると、

空一面に、満天の星空と成ります。

こんな毎日が続いていた昭和の時代は、今の日本では考えられない世界です。

その頃を懐かしむ私達の世代だからという訳ではなく、当時の日本は
確実に世代間の繋がりがありました。

まだ生活は豊かでは有りませんでしたが、人々の心はいつも暖かく

街全体がゆったりとした時の流れの中にありました。

様々な物が手に入り、世界の情報を瞬時に知ることが出来るようになった現代

あれだけの幸福感を感じた事は有りません。
機能的で便利な事が幸せであると錯覚してしまうと、大切な物を見失い
いつも心が休まらない毎日を過ごす事になるような気がしてしまいます。