めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

ポケモンGOをインストール

2016-09-30 16:06:20 | ネット社会

近頃流行りのポケモンGOにとやらに、我が家の連中は
はまっていて、子供達はともかく、妻もいつの間にかに
スマホ片手に、近所を歩く様になりました。
子供たちと言っても、もう立派な社会人で、毎日仕事で
頑張っています。

しかし、彼らは、ゲームで子供時代から育っていて、

何の抵抗もなく、流行に乗って行くのは解るのですが、
妻も同じく、遊んでいるのを見ると、夫婦としてさほど
年齢差が無いのに、なぜか見えない溝を感じるものです。

都内を歩いていても、近所の公園を見ても、いつでも

誰かしらスマホの画面を見ている場面に出くわします。
時折、深夜に、コンビニに出かけて行くと、その道すがら
スマホの画面をのぞき込む若者たちに出くわします。

とは言うものの、私の戸惑いは、周囲の同世代の男性にも

当てはまっていて、長年、企業戦士として働いてきた人に
その傾向が有るようです。
聞けば、やはり、新しい物やゲームに奥さんは反応するも
自分も一緒にと言う方は少ないのです。

40代ぐらいまでの若い夫婦であれば、どちらも同じように

反応して、ゲームに没頭している様ですが、50代を過ぎると
とたんに、男性が置いてけぼりと成っている事が多いです。

理由の多くは、子供たちとの接触の仕方に有るようで、

多くの奥様方は、子育ての過程で、子供たちと一緒にゲームを
して遊んできたようです。
我が家の妻も、高齢とは言え、子供たちを育てる時、一緒に
漫画やゲームを見てきた様で、新しいものに対する反応は
子供たちと同じ様です。

しかしながら、日曜日と成ると、二人で都内を歩いたりする事が

いつものパターンである我が夫婦は、ほとんど共通の話題で
盛り上がっていたのですが、このポケモンGOが現れた途端
一緒に歩いている時、突然、妻が、別の世界へ飛んで行って
しまいます。

のんびりと、ウィンドーショッピングしている時、突然、

ヒトカゲ? ナゾノクサ? コイキング? コダック?が
現れたと色めき立ちます。
時には、今来た道を引き返したり、急ぎ足で先に行ったりと
行動が読めません。

ポケモンGOが、地図上に現れる怪獣をゲットするゲームであると

知ってはいても、二人の話が中断し、訳の分からない怪獣の名を
言われても感動を共有できません。
しかしながら、せっかく二人で歩く楽しい時間と思い、前回は
この怪獣ゲットの散歩道を妻のペースで歩く事と成りました。

渋谷から始まり、原宿、表参道、代々木公園と、歩き回る事4時間、

普段ならば、これくらいの時間は普通に歩くので大したこと無く
妻が楽しめばと思って付いて行ったのですが、この散歩は大変でした。
何しろ、どこに何が出没するか解らず、同じ場所をぐるぐる回ったり
行ったり来たりで、何を目指しているのかが解りません。

妻は、求める怪獣の事で頭が一杯で楽しそうでしたが、それに付き添う

私の身体はグッタリです。
我が家に変えれば、妻はにっこり、私はガタガタ、ポケモンゲットは
本当にハードでした。
何処に行き、何をするかの目的がはっきりしない散歩は本当に疲れます。
ポケモンの種類も名前も解らず、何に喜んでいるのかが全く解りません。

私のつまらない顔を見て、ついに、妻からのお説教、新しい物を前にした時

いつもの妻や子供たちの口癖、やってみないと解らないよ!
そんな訳で、三日前、ついに私のスマホにポケモンGOがインストール
されました。

物凄い種類のポケモンで知っているのはピカチュウ位、ほとんど全部が

未知の怪獣です。
言われるままに操作して、身近なところから、モンスターをゲットしていきます。
こんなものが面白いのか?と思いつつ、三日経ちました。

ゲットしたモンスターは、標本室の様な所で並べられています。

まるで、子供の時昆虫を捕まえて貼り付けた展翅板の様です。
仕事の行き帰り、そして、朝晩の時間の合間に家の周囲を徘徊しての収集です。

今日も、出勤前に近所の散歩道をスマホ片手に怪獣探しです。

とても珍しいと言う怪獣を見つけて、妻に見せに行くと、満面の笑みです。
まるで、カブトムシを捕まえた子供の様です。

シマッタ! さんざん否定していたのに、いつの間にか、ミイラ取りがミイラに!

心の中では、いまだ否定的なのですが、どうにか、家族全員の話題の中に
入れてもらえるようになったのは良かったです。
しかしながら、帰りの電車の中で、人に見られそうで、思わず隠してしまうのは
まだ、何処かに世代の差を感じているからでしょうか。

 


責任追及に怯える日本人

2016-09-29 13:45:47 | 日本人

何時からか、日本社会は、人の目を気にして、加害者にならない様
責任を取らされない様に、びくびくして生活するようになったのでしょうか。
欧米における、訴訟社会が日本でも広がっている為なのでしょうか。

かつては、人の目を気にする時は、自分の行いが相手にとって不愉快に

ならない様に、察する事に依って、人間関係をスムーズにする日本文化の
奥ゆかしさでした。
しかしながら、近年の気にする感覚は、自分が加害者と成ったり、問題の
中心と成ったりして、社会的にも金銭的にもリスクを負う事を恐れての場合が
非常に多いのです。

現在、揉めに揉めている豊洲問題も、本来の、地中に埋まっている危険な

化学薬品類の問題と言うより、このトラブルを作ったと思られる犯人探しが
もっぱらの論点と成っています。
身近なものを見ても、異常ともいえる過剰な反応が見られる所が有ります。

かつて、沢山の子供で溢れていた公園が、いつの間にか、誰も遊ばない

単なる緑地帯と成っている場合が多いのです。
公園に付き物の、シーソー、ジャングルジム、雲梯、と言ったものが全く消え
殆どが、健康器具の様な子供たちの遊び道具とは言い難いものと変わっています。
子供たちが、遊ぶことで、少しでも怪我の問題が有ると、異常に反応して
すぐに撤去する傾向が全国で見られます。

かつて、私たちが遊んだ遊具の殆どが無くなって、所によっては、登る木すら

一本もなく、何の魅力もない公園ばかりと成っています。
この原因のほとんどが、怪我をした時の責任逃れであり、何のために遊具が有るか
誰のための物なのかと言う事がまったく置き去りと成っています。

子供たちは、益々インドアにこもりがちとなり、勉強とゲームばかりが秀でて

やたら知識の多い、頭でっかちの大人の様な子供ばかりが増え続けています。
今の多くの大人たちが育てる子供たちは、大人たちの責任逃れからくる
自己防衛の為に、子供の頃に育てなければならない、様々な体験学習による
多くの知識を増やさないで、常識的な大衆知識や受験勉強の為だけの知識で
埋めようとする事で、将来の人間形成にどれ程の支障をきたかも知れません。

自分の言いなりになる、自分の頭の中で把握できる子供を創ろうとしても、

子供たちは、また新たなる世界に飛んで行ってしまうのです。
しかし、この時、小さい頃にしか体験できない事を身に付けていないと、
何時まで経っても、精神的に自立できない、外見と地位だけのつまらない人間となり
また新たなる、責任逃れの大人と成って行くにすぎないのです。
上手く責任逃れして、常に自分のテリトリーでしか物事を考えられないエリートが
今や、日本中にはびこっていて、多くの庶民が苦しむ原因ともなっているのです。

公共事業にしても、民間事業にしても、目先の事しか考えないで、私欲に走った
先を考えない人々によって、日本はつまらない国に成っているのです。
子供たちの教育にせよ、国家的な事業にせよ、将来の事を考えての計画遂行が
全ての問題を解決して行く事を常に考えて、リーダーたちは日本社会を創って
行ってほしいものです。


2045年問題の恐怖

2016-09-28 16:43:13 | ネット社会

かつて、2000年問題と言うので、世界中でコンピューターが
誤作動を起こし、世界経済が大混乱と成るのでは、と心配した
時期が有りましたが、今、世界の学者たちが憂慮しているのが、
2045年に起こるのはと言われている、シンギュラリティと言う
問題です。
聞きなれない言葉ですが、これは、技術的特異点とも訳されていて
2000年問題以上に恐れられています。

近年、私たちは、あらゆることをコンピューター技術に委ねて

より便利で豊かな生活を目指してきました。
国民も、総ナンバー制導入により、より個人の情報がスピーディに
やり取りされ、日常生活から、社会生活すべてが、ネットにより
管理される社会となって来ました。

縦社会が、コンピューターの力により、より平面化され、瞬時に

全ての機能が一元化され、様々な分野の情報が、驚くべくスピードで
伝わる様になりました。
本当に、便利な社会となったのですが、この、進歩は、今後思ってもみない
驚異の世界を生む可能性も出て来たのです。

昨今、世界のニュースからすると、コンピューターと人間が戦ったら

果たしてその結果はどうだろうかと言う、現代ならではの興味深い
番組が有りました。
何度も戦って、一時は五分五分であったのですが、最終的には、
コンピューターに人間が負けると言う結果となりました。
この戦いは、知的な要素を持つ、チェスと囲碁による対戦でしたが
今後の予想では、もう、人間が勝つ望みは、ほとんど無いのではと言う
学者の意見が多くなって来ました。

コンピューターの性能は、ここ数年であっても、驚くべきスピードであり、

今や人工頭脳として、人間の能力を凌駕しかねない状態なのです。
かつては、人間がプログラミングしたものを、超スピードで解析し
結果を導き出す能力が伝えられていたのですが、人間がプログラミング
していた部分を、コンピューターが自ら行う様になって来たのです。
いわゆる、人間型の人工頭脳が生まれて来たのです。

しかしながら、かと言っても、人間には複雑な感情が有り、その心の

やり取りは、とてもコンピューターと言え、理解し創り上げる事は
不可能と考えられていました。
何しろ、人間の頭脳は、140億個の神経細胞の集合体であり、それだけの
数のやり取りが出来るとは考えられなかったのです。
ところが、この数を上回る電気的で同じやり取りが出来る可能性が
考えられる様になって来たのです。

例え、人間の頭脳活動とは言え、それは、電気的なパルス信号であり、

同じようなやり取りが出来れば、人間と変わらない感情すらも持つことが
可能な人工頭脳が生まれる可能性があると科学者は言い始めたのです。
この、人間と変わらない頭脳を持った、更には人類以上の頭脳を持った
人工頭脳が生まれる時が、2045年と予想しているのです。

私たち以上の頭脳を持った人工頭脳が、人類を支配し、人工頭脳の考えが

人類と地球の未来を決めて行く様になるかも知れないのです。
私の様にアナログ世代の人間にとって、機械に人間の複雑で不可解な感情は
とても理解できないと思えるのですが、その人間すらも解明できないような
感情すら理解できる人工頭脳が生まれると言うのです。

これは、アニメの世界や映画の世界ではなく、現実の世界であると

科学者たちは考えているのです。
私達人類は、地球上の生き物の支配者として、優れた頭脳を持って
自分たちの生活を創り上げ、進化して来ました。
とは言え、誰もが不完全であるのが人間であり、様々な失敗を重ね
お互いに協力し合って文化を築いて来たのです。

しかし、人間と同等の能力を持ち、失敗をしない人工頭脳で作られる

未来の社会で、この人類の不完全さは認められるのでしょうか。
100%正に完璧でない物が否定される時代が来るとしたら、
人類にとって、こんなに恐ろしい世界は有りません。

便利で、より豊かな生活が出来る事を望み作られてきたネット社会が

いつの間にかに人類を支配するという、SF小説の世界が現実になる
考えたくもない未来が待っているのでしょうか。

最近の映画にも、その危険性を題材にした作品が幾つかありました。

その突飛な内容が、見る人々を引きつけ、世界的なヒットとなった
作品も有りますが、これが現実にならないと思っているから、
娯楽として楽しく映画を楽しむのですが、近い将来そんな世界に
成って行く可能性が、学者たちによって信憑性をもって語られると
それこそ、人類の滅亡であり、恐ろしい未来絵図と言えます。

私たちは、これまで、人類の歴史の中で、如何に便利で豊かな暮らしを

創り上げるかと言う事で進歩して来たのですが、自分たちの生活が
地球の生き物たちの絶滅を生み、更には、環境すら変えてしまう事になり
異常気象で毎年苦しめられる様になって来たのですが、
便利さの極致である、ネット社会の頂点が、人類を破滅に追いやる結果と
成るとは思ってもみない事です。

今、私たちが利用しているネット社会が、人工頭脳で支配されたとき、

人類の存在は、肯定されるのか、否定されるのか、SF小説以上に
興味深く恐ろしいものと言えます。


潔癖社会に物申す

2016-09-27 14:34:38 | 日本人

戦後、焦土と化した大地から立ち直り、私たちの日本社会は
奇跡的と言うべく急成長を遂げました。
世界でも有数の近代国家となり、経済力の高まりと共に
便利で豊かな先進国として、世界中から注目を浴びる程となりました。

日常生活は、衣食住すべてに於いて、機能的であり衛生的であり
私達日本人は、世界的に見ても、環境的に綺麗な生活を送る事が
出来る様になりました。
街を歩く人も、誰もが小奇麗でファッショナブルになり、そんな
足元には、ゴミ一つ落ちていません。

多くの海外からの旅行者が驚くことの一つに、街にゴミが殆どなく
何処に行っても綺麗に掃除されていて、非常に衛生的な事です。
海外旅行すると、いかに日本の街が綺麗であるか、特に、ゴミの
存在を感じる事が殆ど無いのが解ります。

それと共に、日本人の汚れに対する潔癖度の高さも年々高くなり、
日常的に抗菌グッズは当たり前の社会となりました。
街も人も綺麗になり、一見、益々素敵な社会に成って来たと思いきや
この潔癖性が、異常なほど人々に浸透し、中には、汚れに対しし
ストレスを抱えやすい人が増えています。

日常的に、常に清潔である事を望み、それを自分だけでなく他人にまで
要求し、社会生活に様々なトラブルを生んでいる人も多いです。
他人が触れたものに対する嫌悪感は、心のゆがみを生じ、対人的にも
ストレスを感じてしまい、人を傷つけたりまた傷つけられたりして
苦しんでいる人も少なくありません。

汚れだけでなく、体臭や体毛に対しても異常なまでに反応し、
無味無臭無菌と言った、感情が入る事がない世界でしか生きられない人が
確実に増えているのです。
しかし、人間は、動物であり、外界から食物を摂りいれたり、空気を吸ったり
更には、それらを排出して生きているのです。

特に、体外に出すものに関しては、本能的に新たに摂りいれない様に
腐臭を感じさせたりして、自分だけでなく周囲にも知らせる様になっています。
また、この、外に出る臭いの中には、異性に対して本能を目覚めさせる物質が
溶け込んでいたりして、雄と雌の大切なコミュニケーションの力と成っています。
人は、様々な方法で、自分の存在を周囲に知らせ、お互いにトラブルの無い様に
子孫を繋いできたのす。

異性を求める時も、自分の身内や家族に対しては違和感を感じる様に働き、
一番自分とは遺伝子的に遠いものに惹かれるようになっています。
また、汚れる事に対する耐性が免疫力を増し、様々な機能を高めると共に
生き物としての生命力を強化する役目をしています。

衛生管理が悪い発展途上国を旅行すると、現地ですぐにお腹を壊すのは
日本人であると言うのが定番です。
水を飲んでも、現地の食べ物を食べても、すぐに体調不備となりやすく、
日本人は、現地の風土や食物にすぐに溶け込むと言うのは難しいのです。

しかしながら、更に問題は、日本国内に於いても、自分が摂取する食物に
沢山のアレルギーを持っている人が多く、沢山の食物が有っても、
そのほとんどが食べられないと言う人も増えています。

戦後、生活は豊かになり、日本人の体形も欧米並みに大きくなったものの

体質的には、非常に弱くなっている事が解っています。
一生を通じて、様々な免疫不全による病に苦しむ人も多く、普段の生活すら
身を削る思いの人もいます。

更に、生物的な男女の弱体化が多く見られ、特に、男子の精子量の激減は

医学的にも問題と成っていて、男女共受精しにくい条件が増えています。
近年は、益々少子化が進む原因の一つとして挙げられますが、男女すら
接触を好まない世代が増えている事も事実です。

結婚適齢期の男女が、異性を求めない場合も多く、あえて独身を選ぶ人も

年々多くなっていると言われます。
日本中が自分以外の物に対し潔癖性を持ち、更には、対人的に接触を
否定するように成れば、いずれ民族として滅びて行くのは間違いありません。

戦後しばらくは、男女の出会いが人を通じて、お見合いでと言った傾向が

多く有りましたが、しだいに男女が自由に恋愛を楽しむようになったのが
高度成長期でした。そして、バブルが始まる事、若者たちは、結婚や恋愛を
ハウツウ本にゆだねました。お決まりのコース、食事と言った段取りで
結びつけるきっかけとしました。

しかし、近年は、結びつこうにも、お互いに相手の存在を受け入れられない

自分の主義主張に合わない限り、付き合っていても、個人の意思を貫く
接触と容認を受け入れられない世代が多くなりました。

男女がまるで友達同士の様に生活し、結婚と言うシステムを求めないペアが

年々増えているのが気になります。
日本人は、太古の昔から、万物を身体で感じ、人と人の間であっても
五感を駆使して相手の存在を感じ取ったものです。

その結果、日本人の奥ゆかしさの原点である、人の気持ちを察すると言う

海外の方々が褒めたたえる文化が育ったのです。
もちろん、すべての日本人が昔と変わってしまったとはいえないのですが、
少なくとも、メディアの影響で、多くの日本人の感覚が同じように潔癖で
他を受け入れられない体質に変わりつつあることは事実です。

素晴らしい料理を目の前にしても、食べなければ本当の美味しさは解りません。

対人関係に於いても、相手の中に入れてこそ、本当に理解し合えるものです。
自分の頭の中での判断をする生活は、自分だけでなく周囲の人たちをも
不快な気持ちにさせるものと思われます。
清潔、綺麗と言うのは、潔癖とは違うものです。
時と場合にしっかりと反応して、その時一番相応しい対応が出来る事が
社会で生きて行く為に一番大切な事ではないでしょうか。

 


東京は人種のるつぼ

2016-09-26 20:26:19 | 東京

東京の街は、本当に国際化が進み、どこに行っても様々な言葉が
耳に飛び込んできます。
少なくとも、英語ぐらいは喋れればとかつては思ったものですが、
今や、まったく聞いたことのない言葉を話す外国の方が多いです。

店に入れば、働いている人の半数以上が外人と言うのも珍しく無く

東洋人に関しては、韓国や中国の方の中には、日本人と見分けがつかず
話しかけて初めて日本人ではないのに驚かされる事も少なく有りません。

また、最近は、顔かたち容姿からは、明らかに海外の方と思えても

放す言葉は日本人より流暢であり、中には、日本人より日本の地理歴史
文化に詳しい方も増えています。
かつて、異国の方と話すには、かなりプレッシャーを感じたものですが、
今や、日本人より日本人に見える異国の方の凄さに驚かされます。

所で、このように国際化が進むと、私たち日本人としても、今までの様に

異国の人と言う感覚では、とても対処できない様に思えます。
しっかりと語学の勉強をして、相手が何を考えているのかを理解する事が
非常に大切、と思うのが今までの一般的な日本人の考えかもしれませんが、
これほどにも言葉の違う人たちが増えると、そんな小手先のテクニックを
いくら覚えても役に立たないのです。

もちろん、語学に堪能であれば、それに越したことは無いのですが、

大切な事は、如何に自分の意思を伝えるかと言う事です。
相手の事を理解する事も大切ですが、自分の意思表示がもっと大切で有り
例え語学が堪能でなくとも、身振り手振りでも自分の思いを伝える努力が
一番大切となって来ます。

かつて、私が学生の頃、日本人の英会話力は、ネイティブの5歳児よりも

劣ると言われていました。
語学としての知識は、海外の大人よりもはるかに優れているのに、実際
意思の疎通は子供にも劣ると言われました。

特に、今の中高年あたりの年代層になると、様々な場で、その場に相応しい

構文を頭に浮かべて話そうとして、自分の意思が伝わらず、海外の方に
怪訝そうな表情をされる場合が多く有ります。

大学生の頃、友人の一人で、世界中を旅行した男が居ました。

いわゆる、今でいう、バッグパッカーなのですが、数年かけて30か国以上を
一人旅していました。
しかし、彼は、まったく語学が苦手で、簡単な中学英語すら上手く使えず、
殆どの国で、英語が役に立たなかったと言います。

では、何語で話したのかと言えば、知っている単語を並べ、その間を

日本語で繋いで身振り手振りでしゃべったそうです。
しかし、英語圏以外は英語は全く通じず、ほとんど日本語で押し通したと
言います。

しかし、帰って来た時には、沢山のメール友達ができ、訪れた沢山の国では

アルバイトすら行って来たと言います。
自分以外は異国の人、更には、言葉が通じなければ、生活すらできないでしょう。
しかし、彼は、臆することなく、誰にでもほとんど日本語主体で身振り手振りで
押し通したそうです。
すると、面白い事に、日本語が解らなかった周囲の外国人が、日本語を覚えてくれて
その結果、ほとんどの場所で言葉に困らなかったといいます。

今や、日本の状態が彼が世界旅行している時と同じと言えるのです。

解らない言葉を放す人たちに、その言葉が理解できなくとも、日本語だけでも
話しかける事が大切なのです。
中には、日本語をかなり出来る人も多く、話しかける事で、逆に日本語で
話しかけられる事も少なくないのです。

同じ日本人でも、様々な人がいて、街を歩いていると、その違いに驚かされ

彼ら一人一人の人生が有り、考え方が有るのだと、思い知らされます。
日本人と言っても、住む環境や地域によって、まったく考えが違っている事は
珍しくないのです。

沢山の海外の方からすれば、日本人こそ外人であり、立場としては同じなのです。

まずは話しかけ、言葉の違いで戸惑うより、言葉の違いを楽しんで、
新たに触れた異文化から、自分の心に驚きと感動の躍動感を感じる事は
今までにない新しい世界が広がる可能性が非常に大きいのです。