めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

石器時代の充電から救われる

2015-01-31 13:12:11 | ネット社会

最近、スマートフォンの接点不良の為か、充電が上手くいきません。
しかしながら、接点のジャンクに重しをすれば何とか一時的に
充電が出来、その重さがちょうど北アルプスの奥穂高山頂から
記念に持ち帰った石がピッタリで良かったのですが、次第に
重さが足りず、奥多摩の川苔山の石、更には一回大きい
八ヶ岳の石へと変わって行きました。

この最先端のネット社会において、まるで原始人の様に

石ころの重さを利用してスマホの充電をしていると、さすがに
家族の目は冷たく、私の超アナログな方法に呆れると言うより
関わりたくないと言う目をします。

しかしながら、何度も石の位置を置き換えて充電する姿を

息子が見るに見かね、修理をかって出てくれました。
幸い息子は家電関係の仕事をしている事も有って電気に詳しく
修理キットを買ってスマホを分解し始めました。

私にとっては、スマホを修理するなんて、専門業者の分野と

思っていましたから、息子の姿に驚きは隠せません。
私が仕事から帰って来た後、夜遅く帰って来た息子は
半分目がふさがっている私の前で早速修理を始めました。

夜食を食べた事と仕事の疲れでいつの間にかリビングで寝てしまい

寒さで目が覚めると、もう朝の光が窓から差し込んでいます。
息子も妻もまだ夢の中のです。

ふと、私の足元を見ると、スマホが充電コードに繋がれています。

何と重しが有りません。
私は思わず叫びました。ヤッタゼー!!
数週間振りの爽やかな気分です。
スマホの充電状態を気にしながら、重しの位置を変えながらの
悶々とした時間が無くなりました。
充電できる喜びがこんなにも大きいとは思ってもいませんでした。

一時間ほどして出勤する為に起きてきた息子に礼を言うと、

とんでもない法外の修理費を請求されました。
もちろん冗談ですが、口元が緩んでいることに親子の暖かさを
感じました。

それにしても、私達の生活は何でも手に入り便利なのですが、

非常に危ういバランスで成り立っている事を感じました。
もし電気が無くなったら、石油が無くなったら、水が無くなったら、
いつも当たり前に在るものが無くなったら、私達の生活は
一歩も前に進みません。

スマホの充電のみならず、電気が来なくなったら。

全ての日常生活は止まってしまい、太古に戻ってしまいます。
何の不安も無く使えるスマホに、私を石器時代から現代に
戻してくれた息子に、そして、私を生かしてくれているこの世の
全てに感謝したいと思います。


コーヒーに魅せられて

2015-01-30 13:26:02 | 家族

私と妻は一日に一度は必ずコーヒーを飲みながら
様々な話をします。
世の中の事、家族の事、最近の出来事、友達の事等
お互いのあらゆる事が話題に上ります。
お茶を飲みながらという事も時にはありますが、
殆どの場合、特に寒くなるとやはりコーヒーが恋しくなります。

ところで、昔はインスタントで飲んでいた時期もあったのですが、

最近では、忙しくてもペーパーフィルターを使って
コーヒーショップでひいてもらった粉を使います。
出来るだけ美味しく淹れようと紙のフィルターをお湯で濡らし
先ずは妻から必ず淹れます。別に妻が特別と言う訳でなく
単に猫舌であり、先に入れて少し冷えないと飲めないからです。

最近、私がコーヒー好きだという事もあって、誕生日のお祝いに

コーヒーメーカーを買ってもらいました。
これまで、ショップで豆を挽いてもらっていたのを、自分で挽くと
何故かより一層美味しくなった様に感じられます。
ショップで挽いてもらっても美味しいのですが、飲む時に
その都度挽くと、コーヒーの鼻の奥を快く刺激する香が
辺りに広がり、まるで素敵な喫茶店に居る様です。

私のお気に入りの豆は、モカマタリというエチオピアの品種です。

昔から有名な種類の豆ですが、私の学生時代の恩師が
遊びに行くといつも飲ませてくれたコーヒーで、本格的な味を
最初に味わったのがこのモカでした。

あれから30年以上になりますが、最初に飲んだ時の印象が

余りにも強烈で、いまだにこの味と香りが私のコーヒーのイメージです。
たった一杯のコーヒーですが、その香りと味に包まれる時間は
遠い昔の思い出を蘇らせ、2人の楽しい会話を盛り立ててくれます。

外に出かけて様々な自然に触れ、素敵な時間を過ごす時も良いですが、

熱いコーヒーを口に運びながら、様々な思いを巡らす事も
心の旅をしている様で、生きている喜びを実感させてくれるのです。


ライン、メールは親しい人への気遣い

2015-01-29 14:15:21 | ネット社会

私の妻が、先日、新年会で友達と楽しいひと時を過ごしました。
夜遅く帰宅して、少しほろ酔い状態で話す妻は、久しぶりに会った友人と
楽しく語り合ったことを、満面の笑みで私に報告しました。
同窓生が主体だった事も有って、昔話に花が咲き、とても楽しい時間を
過ごせたようです。

そんな話の中に、1人の単身赴任で東京に住んでいる男性の話がありました。
九州から上京して、かなりの年数が経っている事も有って、一人暮らしの大変さや
楽しさを周囲の友達と語り合ったようです。
そんな話の中で、残してきた家族との連絡や繋がりについての話題になった時
どれだけメールやラインをするかと言う話になったようです。

今の若い人達ならば話題にもならないかも知れませんが、中高年になって

コンピューターを体験した私達にとって、スマホや携帯で連絡するという事は
何かの用事がある時と思っている場合が多いのです。
大した用事もないのに、メールをしたりすることは滅多に無く、まして、
ラインをつかって、おしゃべりを楽しむ、またはスタンプを送り合うと言うことは
考えすらないのが現状です。

そんな訳で、この単身赴任の男性がどれだけ家族にメールをするのかと言えば

一日一回か二回の業務連絡?というのが答えでした。
この事に対して、周囲の、特に女性群からの突っ込みは激しく、何故、そんなにも
家族と連絡しないのかと、攻め立てたそうです。

特に、中高年や前期高齢者の男性にとっては、妻や家族と頻繁に連絡し合うと

言うのはかなりの抵抗があるようです。
まして、最近流行のライン上のスタンプによる意思表示は、全く理解できず、
ますます親近者との意思の疎通は希薄となってしまいます。

私達夫婦にしても、やはり、高齢者の領域に入っているので、あまり言えませんが

妻が一日のメールのやり取りやラインの会話を見せると、今度は妻が周囲から
浮いてしまったことに驚いた様です。
我が家の子供たちが小さい頃からゲームやコンピューターにはまっていた事から
妻も普通に今の子供達と同じような感覚でスマホの遊びを覚えてしまった様で、
私もいつの間にか、その影響を多分に受けてしまった様です。

そして、今度は妻からの周りの仲間に逆襲となったようです。

一見意味のないやり取りが、お互いの気遣いを生み、2人の距離を短くすると
力説したようです。
その様な訳で、結局単身赴任の男性は、用が無くてもメールをすることの意味が
解ったようです。
コンピューターもスマホも、訳の分からない機械と向き合うと思うと
中高年は敷居が高く感じる様です。
ラインもメールも隣の親しい人と軽くおしゃべりをする様なものと考えると
もっと気楽に生活の一部と考える様になると思います。


悲しみは悲しみしか生まない

2015-01-28 16:25:42 | 戦争

私達はこの世に生まれて死ぬまで、様々な環境の中で
多くの人々のお蔭で生きて行きます。
誰一人として自分だけの力で生きているのでは無くて
母親の胎内からこの世に出でて、あの世に旅立つまで
一生を通じて生かされているのです。

生きているという事は、誰でも誰からかの思いを託され

生きる価値を見出されて存在しているのです。
つまり、一人の命は多くの人々の思いによって生かされ
この世に存在するという事です。

ならば、この命を絶つという事は、その多くの思いを断つこと

さらには、この思いを抱く人々の心も絶つという事です。
人には生物としての運命が有り、誰もが何時かはこの世を去り
一生を終えなければなりません。
これは運命であって避ける事は出来ません。
この時、多くの思いが引き離され悲しみとなって人々の心に
残るのです。

しかし、この最後の運命を待たずしてその命が絶たれるとしたら。

誰にとっても、運命と言うより、大きな傷となり思いの大きさだけ
重く圧し掛かってくるのです。

何時の世でも、自分の欲を満たすために、多くの人々を傷つけたり

殺したりすることで人類は暗い歴史を作ってきました。
しかし、そのことで物事が解決したり、人々が幸せになった事は
いまだかつて有りません。
一時の安楽は得られるかも知れません。
しかし、傷つけられた人々は、その苦しみを与えた人たちに
同じ思いをさせようと、いずれ憎しみを持って刃を向けます。

人類の一番醜い歴史が戦争です。

憎しみは憎しみを、戦争は戦争しか生みません。
私達が望む、一日も早い解放は、殺されずに生還する事
だけでは有りません。
殺さない事による憎しみの歴史を生まない事です。
今、この時も世界中の至る所で醜い争いが絶えません。
誰もが人を傷つけず、人生を全うできる日が来ることを
心から願わずにはいられません。


ゴミ箱が消えた東京

2015-01-27 13:44:36 | 環境問題

最近、東京の街からゴミが減って、道路や公園が綺麗になりました。
様々な公共施設から、テロ対策や、様々な理由からゴミ箱が撤去され
周囲の住民の努力もあって、歩道の生垣や花壇からもゴミが減り、
ゴミの無い美しい街へと変わって来ています。

しかしながら、その反面問題も多くなっています。

私達が街を歩き、様々な施設や販売機を利用したときに、食べたり
飲んだりした後のゴミや缶、更には、レシートやティッシュに至るまで
一体何処に捨てればいいのか迷ってしまいます。

区や都の方針としては、自分出したゴミは、自分で持ち帰って

処分するように勧めていますが、一日中外出している時などは
バッグやポケットに大量のゴミが溜まり、あまり良い気持ちでは
有りません。

もう一つ気になる事は、誰もが自分の出したゴミを持ち帰るとは限らず、

以前と変わらず周辺に投棄する人も少なくない事です。
もちろん、目に付くようなものは滅多に投げ捨てたりはしないのですが、
一番多いのがタバコのポイ捨てとチューインガムの吐き捨てです。

タバコは、近ごろ、簡易吸い殻入れが普及してきて、外で吸ってっも

その中に入れて持ち帰る人が多いのですが、特に目立つのが
中高年の方々の手持ち歩きと何の気兼ねもない投げ捨てです。

若い人達にはあまり見られないのですが、高齢者に対する注意が

成されず、更には痰の吐き捨ても見苦しいものです。
公共の場におけるマナーの浸透が先進国家の象徴でもあり
ヨーロッパ等の多くの国々では、公共の場でのマナー教育が
行き届いていて、誰もが美しくゴミのない環境で生活出来る様に
行政も民間もしっかりとした対策を取っています。

近々東京でオリンピックが開催され、これから増々多くの観光客が

日本中を訪れるでしょう。
彼らが多くの文化遺産や自然を見て感動する様に、日本の街を見て
自分たちも住んでみたいと思う様な都市作りをして行きたいものです。