米朝首脳会談が有り、大阪の震災があり、ワールドカップで日本が活躍すると
マスコミの注目は、まるで猫の目の様に変わって行きます。
ニュースの内容はともかく、世の中の人が注目するものを取り上げる事が第一で、
どんなに大きなニュースで有っても、過去のものと成れば、直ぐに忘れられるのが
世間の姿と言えます。
しかし、この事を良い事として、人々の疑惑の矢面に立たされた人や、不祥事、不義、
更には、パワハラ、セクハラと、民衆が眉をひそめたニュースですら、直ぐに
忘れ去られて行くのが問題です。
この傾向は、日本人の生活の中で生まれた、何かトラブルが有っても、水に流せば
後は何もなかったかのように考える、物事を前に進める為の方法です。
しかし、この考えの中で、何か悪い事をしても、時が経てば、人々が忘れれば大丈夫
とする方に解釈してしまう人達が居る事が、後に様々な問題を生んでしまう原因でも有り
日本が、近隣諸国から嫌われる理由でも有るのです。
日本は、昔から天災が多く、人々の力ではどうしようもない自然の力に苦しめられて
来ました。
年間を通して幾度となく自然災害に見舞われると、そのたびごとに落ち込んでいては
生きていけせん。その為、どんなに酷い被害に見舞われても、直ぐに先の事を考える
前向きな考え方が生れました。
食料を得られるときには出来るだけ多く確保して、例え、災害で生活必需品を失っても
落ち込むことなく前に進む様に成ったのです。
この災害列島で生きる事で、日本人は、熱しやすく冷めやすいと言う性格に成った
とも言われますが、何かトラブルを起こしても、しばらくすれば許されるとか
前に進むために、水に流してもらえると言った、困った考えを生む事にも成りました。
時のリーダーと民間団体との黒い疑惑が取り立たされ、誰もがグレーゾーンから
ブラックゾーンを確信していたのに、今では、多くの日本国民は、地震やサッカーに
興味を映しています。
この時とばかりに、息を吹き返した当事者たちですが、だからと言って、疑惑が消え
罪が無くなったとは言えないのです。
しかしながら、このパターンは、戦後、幾度となく繰り返されてきました。
政治家であり企業で有り、日本を導く人達の欲望は、自分達の利益をより増すために
日本の自然を破壊し、国民を利用し傷つけて来ました。
欲望のままに日本中を巻き込んだ高度成長期は、いまだに、多くの負の遺産を生み、
豊かに幸せに成ったはずの日本人を疲弊させ、多くの負担を強いる様になりました。
今では、国の力ではとても国民生活を豊かにする事は出来ず、ただ、企業の力を借り
より、消費経済を推し進めようとしますが、その事で、国民が幸せに成るとする
余りにも単純で自分達の事しか考えない政策は、国民の生活を豊かにするどころか
ますます、生きる為の負担を増す事と成っています。
企業が推し進める豊かな暮らしをする為には、消費するための費用を捻出する事で
精一杯の国民が多く、一部の人達を豊かにする事は有っても、多くの国民を
豊かにするには程遠い状態です。
マスコミを利用した企業戦術に則た豊かな生活を行える人は良いのですが、
多くの人達は、ただ散財するだけで、個人的な幸せを得る事はとても難しいのです。
今や、豊かな人はより豊かに、貧しい人はより貧しくと言った、両極端の生活が
国民を苦しめます。
一段と格差が広がった階級社会は、お互いに合い入れる事は無く、自由平等と言っても
誰もが比較をする事で生きていて、社会的な地位でしか、人の価値を見出せません。
経済社会で育つ事で、事の善悪よりも、経済的な良し悪しで人を判断する事で、
対人的なトラブルは問題とされず、経済的地位の高いものが、常に主導権を握り
社会を動かしていく事に、多くの人達は憤りと諦めを感じているのです。
正々堂々と、己の実力の身で戦うスポーツの祭典であるオリンピックでさえ、
どんな手を使っても、勝利すればよいと言う考えが広がる事で、オリンピックは
正に商業スポーツの為に有ると言っても過言では有りません。
オリンピックを主宰する国は、オリンピックに依り国内経済を安定させようとし
多くの企業は、ここぞとばかりに、莫大なる利益を目論むために、世界的戦術を図ります。
多くの国民にとって、素晴らしいスポーツの祭典は、戦争とは真逆のものであると
その開催を心から喜ぶのですが、今や、その名誉ある大会に出場する選手ですら
その背後に、膨大なる利益を得んとする大企業が蠢いていて、選手を広告塔として
業績を上げようとする為、スポーツマンシップに則てと言う、クーベルタン男爵の
思いとは裏腹に、ドーピングに手を染めてしまう事が多くなっているのです
名誉の為に金メダルを目指すと言うのは建前の世界と成りつつあり、メダルを獲得すれば
多くのお金を手に入れる事が出来る為、スポーツの世界は、最早、賞金獲得レースの様に
人々の欲望を叶える錬金術の様に成っているのです。
正々堂々と、自分の実力のみで戦うと言うのは理想の世界で有って、様々な企業の力を借り
実力では成し得ない成績を得る選手も増えているのです。
ルールに則て、勝敗を決めるとは言うものの、その陰には、莫大なるお金が動いている事が多く
スポーツは、最早、市場経済の一角を占める、巨大な営利事業と成っているのです。
その為、本当に素晴らしい才能と実力が有ったとしても、強大なバックを持たなければ、
日頃の練習も、遠征も、更には、日常生活を安定させる事すらできないのです。
この事は、あらゆるメディアの世界と共通と言え、視聴者が楽しみにするテレビ番組が
出演者の思いと裏腹に、企業の思惑で内容を変えられたり、視聴率の上下で、簡単に
番組の長さが決められたりと、素晴らしい番組を期待する視聴者達の思いとは裏腹に
全く面白くもない番組が多くなってしまっています。
若者のテレビ離れを懸念して、出来るだけ興味を引く番組を作ったり、視聴者の不安を利用する
健康番組を作ったりと、余りにもスポンサー中心の番組が多くなり、テレビ番組を好んで
見る人達にも飽きられている現状が有ります。
当然、オリンピックや世界選手権と言った世界的なスポーツの祭典に於いても同じ事が言え
企業の広告塔と成った選手が、何を目的に戦っているかと考えると、多くの方がスポーツを
心から応援できなくなってしまうのです。
今や、日本に於いても世界に於いても、国民が行うあらゆるものを自分達の利益の対象と
考える一部の富裕層が人々の生活を苦しめる結果と成っています。
世界経済も日本経済も、一部の富裕層が握っているのが現実であり、その利益が、世界中に
還元されるならばまだしも、より豊かになるべく、多くの人々から利益を搾取するという
一方的な世の中の流れが様々な問題を起こしていると言えるのです。
過去100年程の間に起こった世界中の戦争も、その原因の多くは、世界の列強が、より利益を
得ようとしての侵略戦争が始まりで有ったのです。
一部の人達の我欲だけの暴挙が、多くの人を苦しめ、更には、その悲しみや怒りや憤りが
更なる争いを生み、いつまで経っても世界中からテロや戦争が無くならないのです。
しかも、この悲しみの輪廻を、更に繰り返そうとしているのが、世界を動かす先進国で有り
世界平和を目指すと言いながら、自国の利益を優先する、現代社会の現実を見るのです。
この世界の体質は、日本の体質で有り、日本人の多くが、決して心から豊かに成れない理由です。
豊かな消費経済という餌を与えられながら、その一方、膨大なる私財を失っていくのが日本人です。
働いただけ吸い取られ、与えられた消費物資に囲まれ、ただ、死ぬまで、生活必需品として
消費物質を買い求める事が幸せと思わされている日本人は、やはり、不幸と言えるのです。
他人と比較してより豊かな生活を目指す様に仕組まれ、豊かな人間関係を築く事が出来ず、
人々は常に心がバラバラで、経済的に豊かな方々から与えられる消費物質を買い求める
口を開いて常に餌を求める池の鯉と同じです。
そんな社会を否定する人が出てこない様に法令を定め、出来るだけ国民を孤立した状態に置けば
後は、個人的に利益を吸い上げて行けば、リーダー達の生活は安定するのです。
これが、資本主義経済を目指す富裕層の考えで有り、より豊かな生活を目指し、自分達の生活を
潤してくれる国民は、単なる消費者の階級に留めておくことが重要となるのです。
今や、日本も世界も、一部の富裕層と大多数の日々の暮らしで精一杯の人々に分けられているのです。
そして、それは、差別をもって、常に自分達の世界を守るべく存在するように出来ているのです。
頑張れば、努力すれば夢が叶うと言うのは、殆どの人にとっては不可能と言え、同じ階層の人の中では
叶えられても、底辺の人達が、トップになる事は非常に難しく、一部の人が豊かであると言う事は
利益の分散に成らず、より豊かさを得やすい事から、その形態を堅持しようとするのです。
豊かな人達は、貧しい人達が豊かに成る事を望みません。
例え、選挙により、一般の人から選ばれても、その豊かさに簡単に心変わりし、豊かな人達とのみ
心を通わせるのが、日本における政界の問題を生む原因と言えるのです。
彼らは、選挙で当選する事を、豊かな人達の仲間と成る事の登竜門と考えて居ます。
その為、選挙の時の国民に対する熱意は、当選すれば、豊かな人達へと向かってしまうのです。
この事は、世界中の傾向と言え、貧しい人達は、如何に豊かな人達の仲間入りするかという事が
生涯の夢となるのです。
国民を、世界の人々を動かせる人は、その力を自分の欲望の為に使う事に依って
単なる独裁者の一人に成ってしまうだけなのです。
つまり、人としての価値が失われ、多くの人から憎まれ嫌われる存在と成ってしまうのです。
国民の代表となった人がいつの間にか、戦いを挑んだ人達の仲間になる事は珍しく無く
自分の生活を豊かにするには、国民側に就くより、富裕層に就いた方が楽だからです。
つまり、口先では立派な事を言っても、どんな高い地位についても、本性が我欲にある人は
国民の代表とはなり得ないのです。
庶民の気持ちを背負ってリーダーと成って、その後も国民に常に顔を向けている人は、
世界でも珍しく、そんな人が滅多に出てこない事から、地球上の多くの人々は、
常に苦しみや悲しみ、怒りや諦めから逃れられないのです。