めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

巨大な時代の渦に巻き込まれて行く日本人

2019-05-29 11:17:20 | 日本人

大学を卒業してから、数十年の自営業を経てから初めてサラリーマンと成り
早くも5か月と成りました。
早朝のラッシュアワーの凄さに驚き、こんな毎日を多くの日本人が送っている
と思うと頭が下がる思いでした。
しかしながら、最近では慣れてきたとはいえ、両足を上げても立っていられる
のではと思われる程の車内で、誰もが何の不満を行く事無く静かに耐えている
姿を見ると、これこそ日本経済が支えられているパワーの源の様に感じました。

とは言え、そんな彼らの心の内は、様々な問題がひしめいていて、不満や怒り
怖れや不安が常に付きまとっているのではと思われます。
高度成長期に誰もが自らの夢に向かって前向きに生きていた日本人が、いまや
何処に向かって行けば良いか、何を求めて生きて行けば良いか、心の中の不安が
尽きないのです。

その大きな原因は、自由平等の社会とは言え、国民間における経済格差が著しく
ほんの一部の人達が日本経済を支配し、殆どの国民が日々の生活に苦慮している
と言う現実が有るのです。
富裕層によってコントロールされている社会は、殆どの国民は彼らの敷いた
レールの上で生活する事を強いられ、生活所得を得られるものの、その殆どを
吸い上げられる生活を送らなければならないのです。

どんなに働いても、生活が楽にならない国民が多く、蟻の様に働き続け
富裕層が作り上げた社会に貢献する様に働く様は、正に、満員電車で
ジッと我慢しているサラリーマンの姿と言えます。
豊かさとは、如何に多くの消費が出来るかと言う事になり、他人よりも
より消費経済社会に貢献できる事とするリーダー達の思惑に在るのです。

確かに国民は高度成長期より経済的豊かな生活が出来る様に成りました。
しかし、誰もが満足しているかと言えば、殆どの国民が、豊かな生活を
送れば送る程、生活が苦しく成り、不安不信の心が膨らんでくるのです。
豊かな資本を持たない国民は、如何に国に将来を保障されるかで
本当の満足が得られるかどうかが決まります。
特に、衣食住に加え、医療保障が安心して得られる事が有って初めて
充実した幸せな人生が送れるのです。

現代日本は、あらゆる場で消費を求められ、常に散在する事を前提に
社会が作られています。つまり、お金がなければ、安心の生活は送れない
と言うのが実情なのです。
多くの所得を得て、豊かな消費生活を行ったとしても、生きて行く為の
安心安全の保障が得られず、日本人の将来に対する安心が無いのです。
働いたら働いただけ社会に消費と言う形で還元する事は良いのですが、
その一方、基本的人権が守られ、将来に渡って生活保障が成されなれば
成りません。

日本社会の問題は、一部の富裕層の為の社会で有って、国民一人一人の
豊かな生活を前提にしていない事です。と言うより、国民は、富裕層の
生活を維持するために存在していると言っても良いのです。
仕事を頑張り多くの所得を得て、欲しいものを手に入れると言うのは
一見幸せな生活と思いがちですが、消費する一方、自分の未来に対する
生活保障を自らが設定して行かなければならないのです。

揺りかごから墓場まで、と言う夢が、国が国民生活を守る事が出来ず
多くの国民に不安を抱えているのが日本社会と言えるのです。
日本人の家庭には、溢れんばかりの買い求めた商品が山積し、その多くが
今は使われず部屋を狭くしていくばかりです。

欲しいものを買い求める事が、本当に自分の幸せに繋がっているのかを
日本人は考えなおす事がとても大切と言えるのです。
メディアの情報などから、幸せになる為の消費を促され、まんまと散財を
してしまっているのが現状と言えます。
殆どの人達が、自らの行動を、自分の考えと考えがちですが、実際は
その多くが何だかのメディアからの情報によってコントロールされています。

日本人はいつの間にかに、自分自身の生活を自分自身の考えで行っている
とは言えず、流行と言う名の元であったり、日々降り注ぐ情報の雨に踊らされ
いつの間にか同じ商品を買い求める様に成っているのです。
より消費経済を推進するために、常に比較させ、より新しく高価なものを
買い求める様に洗脳されて行きます。
テレビから流れるコマーシャルは、言わば国民への洗脳番組と言え、いつの間にか
人々の生活は、リーダー達や富裕層の思うが儘になっているのです。

しかしながら、日本人の経済的な問題も有りますが、もっと大きな問題は
日本人のメンタル、つまり心の在り方が時代と共に大きく変わって来て
経済的に豊かな生活を得る為に、日本人が本来持っている豊かな感性が失われ
様々な価値観が経済力を中心に回っている事が問題です。

人と人が、心のやり取りで行われた時代は遠い昔と成り、経済性を伴った
利益を常に考えた人間関係が基準と成って来ている事が気になります。
子供から大人まで、あらゆる行動言動が損得で判断され、人間的な価値観が
経済性や経済力で判断される社会と成っているのが問題なのです。

いつの間にかに作られて行った格差社会は、あらゆる人間関係を社会的地位や
財産でしか判断する事が出来ず、人々が、お互いに、より多くの利益を追求し
対人的な心のやり取りが出来ない日本人が非常に増えているのです。
日常生活から社会生活まで、全ての場合に於いて、経済的豊かさで判断される
傾向が強い事から、経済力さえあれば、多少人間性が貧しくとも許されるとする
人々の判断が多く見られるのが大きな問題と言えます。

この事は、明日の日本を担う子供達の成長に大きな影響を与え、学校生活の
多くの部分が子供達の心と身体を育てる為と言いながら、結局は、日本経済社会を
維持する為の歯車の1つを創り上げているとも言えるのです。

現代社会では、物よりも心を大切にすると言う傾向が強くなる一方、
企業の目論見は、この極めて人間的な取り組みを利用し、逆に生産性を増し
経済力をより高める為の隠れ蓑に使われている事が多いのです。
あらゆる商品がネイチャー指向に傾き、人々の心の安心を得る事に依って
更なる利益を得る戦略で人々の心を引き付けようとしているのが明らかです。

その為安心安全を前面に出すも、その陰で、国民の期待を裏切る商品を生んだり
いつの間にかに大量に購入させられたりと、相変わらず消費者は、企業成長に
利用されている事実は隠せません。
しかし、その事実は、暗黙の元、多くの国民の心に、不安と不信を抱かせていて
自分達が決して中心ではなく、上手く利用されている事実に気が付いているのです。
ただ、その事実を暴露したり、社会を更生する力がない為、満員電車のララリーマン
の様にひたすら我慢していると言えるのです。

とは言え、欧米の社会福祉が進んでいる国家に於いては、日本とは比べ物にならない
国民中心の政治が行われているのです。
多くの税金を支払う事になっているとは言え、その支出額に応じた社会的貢献を
国が率先して行っている事から、国民の中に不信不満は余り生まれず、むしろ
世界に胸を張って幸せを訴える人々を多くしているのです。

豊かな社会とは、経済的に発展しているだけでは、決して国民を幸せに出来ず、
むしろ一部の富裕層や独裁的な支配者によって、限られた人たちの支配する
格差社会を作ってしまうのです。
日本政府は、いまだ、経済成長を国民の幸せと考えていて、その陰で疎かになった
国民一人一人の不安不信が消えないのです。

経済的に豊かな生活を基準としている人達によって運営されている国家政策は
一部の人達をより豊かにする事は有っても、殆どの国民の幸せを保証する事は出来ず
ただ、必要以上の物に溢れた部屋で、より狭くなった余裕のない生活を強いられる
心貧しき国民を多くするだけなのです。

当然、多くの人達の不満が募るのですが、全ての国民を管理する為に様々な規制を
行うだけでなく、国民一人一人をコンピューター管理する事に依って、この社会を
変えようとする分子の目を摘む事も忘れません。
あらゆる日常生活をカード化する事は、一見便利なように見えて、支配者にとって
最も管理しやすく、自分達の社会を継続する大きな力と成っているのです。

国民は、便利さと引き換えに、全てのプライバシーが丸裸にされ、最も相応しい
方法で、国に従う様に全てを管理される様に成って来ているのです。
日本中何処にいても、一人一人の行動と考えが手に取る様に知られてしまう社会は
もはや国民が幸せを夢見る社会では有りません。
日本のみならず、世界は、一部の支配者によって動かされていると言っても過言でなく
食糧危機、地球汚染、戦争と、人々を苦しみに追い立てる事は全てが、この一部の
支配者層によって仕組まれたものであり、世界中の人々の幸不幸は、彼らの手中に
有るのです。

日々戦争に明け暮れる国々と日本は全く違っていると考えがちですが、その違いは
本質的には全く変わらず、経済力によって支配しているのか軍事力によって
人々を支配しているのかの違いに過ぎません。
人類の歴史を紐解いても、この傾向は数千年前から何だ変わらず、
人々が生きて行く過程で、いかなる支配者の元で管理されているかで
幸不幸が決まってしまうのです。

日本における幸せは、適度に餌を与えられて、狭い池の中で飼われている
金魚達の様なもので、食糧を与えられ生きて行けるのですが、池の中からは
出る事を許されず、和を乱すものは、簡単に管理者によって排除されるのです。
日本に於いて、如何に勝ち組に成るかが、多くの若者の夢でもあるのです。
つまり、支配されれば一生、自分の思い通りの生活は出来ず、更には
管理者に生活の全てを覗かれる事になるのです。

ネット社会が便利さを増すにつれて、人々は、自由になれないと言う事に成ります。
衣食住だけでなく、心まで全て管理される社会は、時代が違うとはいえ、かつての
奴隷制社会と変わらないのです。
目先の幸せに心を奪われ、本当の幸せを目指せない社会が存在しているのです。

人類が未来永劫本当に幸せな生活を送れるのは、自由平等の世界であり
管理者の思うが儘に動かされない社会と言えます。
現代社会は、ほんの一部の人達によって動かされ、殆どの富が
その人達に集まっています。
しかし、ネットの発展は、その管理者を機械に委ねる可能性が
出てきているのです。これまで、自分達の英知で社会を支配できた
と過信している世界のリーダー達は、一瞬にして、自分達が見下していた
大多数の人々と同等に扱われる時代が迫っている事を信じません。
決してSF映画の世界ではなく、もっと早いスピードで、機械が人間を
管理する時代が迫っているのです。

便利であるはずの未来社会が、自分達の意思ではどうにもならない社会に
変えられようとしている事実を知らなければ成りません。
マイナンバーが国から発行されるのではなく、冷たい機械から有無を言わさず
告げられる日々が来た時、人類は、地球の支配者ではなく、物と同じく
簡単に捨てられる運命と成る可能性があるのです。

 



 

 

 



 

 

 

 

 

 



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