めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

新型コロナウイルスが生んだ先の見えない世界

2020-05-05 09:40:26 | 災害

今や世界中が新型コロナウイルスの汚染に依て、全く違った世界に
変わってしまいました。
私達の当たり前の日常が否定され、誰もが未来に不安と恐怖を抱いて
日々の生活を送っています。
そもそも、人類の歴史は、人が集まり英知を結して発展してきました。
何事をするにしても文明が生れる所には必ず多くの人々が集い
互いに助け合いながら新たなる未来への道を築いて来たのです。

文明の利器は、私達の思いの延長として発明され発展してきました。
より豊かで生産性のある生活は、人々の思いが集結し互いの力を
より大きくする事で生まれて来たのです。
しかしながら、今や、私達は集まる事を否定され、生産活動を止められ
人類としての基本的な生き方を放棄せざるを得なくなっています。
長い歴史の中でこれ程人々が不自由と不安を感じた事は有りません。

例え戦争の最中であっても、その先に平和な日々が訪れる事を
人々は知っていました。朝の来ない夜は無いと思って来ました。
しかし、今回の惨禍は、暗いトンネルの先に灯りが見えないのです。
人々の心の中にある、いずれ必ず元の暮らしが出来ると言う思いが
打ち消されるかも知れないのです。
毎年世界のどこかで生まれる危険なウイルスは、次第に凶暴さを増し
人類の存続を否定するかのような変異を見せています。
必ずや治療法が見つかり、汚染は無く成ると言う心からの願いは
長く続く戦いの間に消え去ってしまう可能性も有るのです。

街を歩けば、ただ多くの店が閉じていると言うだけでなく、マスクを
着けながら歩く人々の表情と行動にただならぬ気配を感じさせます。
閉められた多くの店がいずれ元通りに繁盛すると言う期待も予測も
頭に浮かんでこない程、繁華街の街並みはゴーストタウンへの気配を
漂わせています。
一か月程の自粛ならばまだしも、もし、このウイルスが更なる猛威を
ふるう事と成れば、私達の忍耐も限界に達し、耐えかねた人々が
予期せぬ行動に出たり様々な場所で争いが起こる事も考えられます。

数千年数万年に渡って続けられて来た基本的な人類の生き方を
変えなければならない時代と成って来たのかも知れません。
日常生活の場に於いても、これまでの様に多くの人々の中で
生産性を上げる社会を築く事を目的としていた衣食住の形態を
全く異なった形態に移行していく事が必要となるかも知れません。
学校や会社と言った人々が多く集まって社会生活を営む形式が
否定されると言う事は、これまでの文化形態を維持する事が
出来なくなると言う事です。

人類が集団で行動する事に依って様々な能力を発揮し素晴らしい
文明を築き上げて来たのですが、人類の生き方とも言える様々な
集団活動が出来ないと言う事は、人類の存続にも関わる事なのです。
この事は社会生活だけでなく、種を繋ぐ為の生き物としての行動も
制限され、生きる意欲も本能も否定されない由々しき事態と言えます。
一体何のために生きて行けば良いのか、ただ、食べて生命活動を
維持していくだけでは豊かなメンタル活動を行って来た人類は
生きて行く意欲も失われてしまいかねません。

地球の生き物の頂点に立ち、あらゆる資源と食料を我がものとして
君臨して来た人類は、今や最大の窮地に立たされたとも言えるのです。
近年の地球温暖化や環境汚染がいずれ私達人類の絶滅の引き金に成ると
考える学者の警告が、思いもしない目に見えない敵によってもたらされる
かも知れないのです。
大気汚染や海洋汚染に伴う食糧不足そして異常気象が私達の未来を脅かし
いずれ絶滅への道を辿ると言うシナリオに更なる脅威が加わる事で
そのデッドラインは一段と近づいて来たとも言えるのです。

多くの人々の努力でいずれこの不安な日々が解消されるかも知れませんが
近年の異常気象と同じく、次なる想定外の恐怖がやって来る可能性も
否定できないのです。
毎年繰り返される想定外の災害は、私達人類にもう安穏とした日々を送る
夢を持つ事すら許されないのかも知れません。
このまま多くの店が開く事も無く街がゴーストタウン化するとは誰も
思っていないのですが、想定外が現実と成る時代なのです。
私達人類の生活が一変する時代がやって来る可能性も有るのです。

既に地球温暖化や異常気象で地球で居住する事が出来なく成る事を想定し
火星移住計画を考える人々がいますが、それ以前に、地球に住む我々が
全く生活形態を変えなければならない事態になる可能性が出て来たのです。
毎年変異して生まれるコロナウイルスやインフルエンザウイルスが、
更なる脅威をもって世界中に蔓延するかも知れません。
感染すればその多くが命を落としかねない危険なウイルスが近い将来
現れる可能性は多分にあるのです。

戦争によって多くの命が奪われる以上に恐ろしい人類絶滅へのシナリオが
始まっているかも知れません。
いずれその日がくるにせよ、それは遠い未来の事と思っていた人々の脳裏に
明日にでも訪れるかも知れないと言う一抹の不安が次第に広がって来ます。
未来が見えないと言うより末期の世界が目の前にやって来ているとする
終末の時を私達が迎える可能性すらあるのです。

自粛をして汚染を止まらせ終息を期待する今の生活はまだまだ平和な時
なのかもしれません。
コロナウイルスで人々が亡くなるニュースを他人事のように思えている今は
私達の心はまだ余裕があり、夢を語る事が一番のカンフル剤と言えます。
しかし、身の回りの人達だけでなく自らの命も危うくなった時、私達は
一体どの様な気持ちで過したらいいのでしょうか。
それこそ神にでもすがりたい気持ちと成ってしまうのでしょうか。
恐怖は自らが被災する事で感じる以上に周囲の人達の惨状で高まります。
私達人間は、自分の心も身体も周囲の環境に反応して生きています。
文明を進歩させたのも人々が互いの寄り添いお互いに反応し合って
進化して来た証です。
自分が目の目の当たりにする惨状は、人類にとって最も不幸な事です。

ウイルスが蔓延しない様にする対策は当然な事なのですが、その事で
人類が築き上げて来た生活基盤を失っては成りません。
私達は互いに寄り添い思いを繋ぐ事に依てこれ程までに繁栄出来たのです。
今こそ私達が互いに寄り添い絆を強く保ち、更には生かされている
地球環境を真剣に危惧する時なのです。

新型コロナウイルスを蔓延させたのも私達人類の驕りで有り我儘なのです。
豊かな地球の富に生かされているのを忘れ自分達の喜びのみを求めた結果
次々に異常事態を生んでいるのです。
この機に、これからも地上の頂点の生き物として君臨したいのか
かつての恐竜の様に滅び去りたいのか試されているのかもしれません。

昨年の今頃、来年は東京オリンピックが開催されると日本中がその日を
期待していたものですが、今の世界を誰が想像できたでしょう。
一年後に延期されたとして、果たして、以前の様な安全な社会に成っている
誰が断言できるでしょう。
更なる想定外の惨禍が訪れるかも知れません。

人類滅亡の日は遠い未来の事と考えていたのに、その最中に自分がいる事を
一年後に思わないと言う保証は有りません。
想定外と言い訳できる時はまだ平和な世の中なのです。
いつかその時は必ずやって来ます。しかし、その時に遭遇すれば誰もが
思い返す事もやり直す事も新たなる日々を想像する事も出来ないのです。
それは突然やって来た恐竜時代の終わりの時と同じなのです。