明後日は、いよいよ注目の都議選です。
早朝から、道行くサラリーマンに向かって、候補者たちが声を涸らしています。
深手を負って満身創痍の現政権からの候補者たちは、向かい風に喘ぎながら、
必至の思いで都民にすがります。
ここぞとばかりに、追い風を受けながら、新しい都政を訴える候補者たちは
大量当選を目指し、鼻息荒く夢を語ります。
新たなるリーダー達が生まれる時は、いつも、新旧の力が拮抗して、人々は
未来への最善の選択を問われます。
しかしながら、声高らかに訴えるマニュフェストが、当選の暁には、現実のものと成り
都民の幸せに繋がるかと言えば、確実に期待通りの働きをしてくれた政治家がいたかと
言えば、政権が傾くころには、やはり悪評ばかりが記憶に残ってしまうのは、
日本に於ける選挙が、本当の意味での、国民の為になっているかという疑問が残り
この事が、多くの無投票派を生んだり、政治に期待しない国民を生んでいるのです。
更に問題は、政権が変わるたびに、前政権で行われていたり計画されていたことが
廃止されたり遅延されたりする事です。
当然、政治内容が相応しくなかったことから、大幅に事業計画も変わって行くのですが
多くの事業が、政権が安定している間に進められる様な短期完成型である為、あらゆる物が
目先の利益を得る物が対象となり、数十年数百年先まで見越したものでない事が多く
安っぽい建築物や負の遺産ばかりが増えているのが問題です。
近年の都市計画にしても、見た目には美しいのですが、建物も、それに伴う自然景観も
次世代まで期待できるものは少なく、簡単に壊れ去ったり使われなくなる様な陳腐なものが
街中に多く見られます。
子供たちの未来に残すべきものや、日本の未来への贈り物と成るようなものが無く、
全てが短期間で作り変えられる、目先の欲求を満たすだけの物が多くなっています。
この事は、日本の成長が、単に経済的な利益を求めた成長であり、私達の日本人の
心の幸せや成長を考えたものでは無く、あらゆる日用品から街を形作る建築物まで
全てが、経済的利益のみを求めて作られた物でもあるのです。
その為、人々を導くリーダー達の考えも、先へ続く日本人の幸せを考えたものと言うより
現実の問題を処理り、経済的に豊かな社会を目指す範疇でしか有りません。
その為、結果的には、誰が政権を担おうと、誰が政治家になろうと、日本人の多くは
期待が持てないのです。
確かに、現実の問題を片付ける事は大切です。
それは、多くの場合、前政権や過去の人々が残した問題であり、その事を問題にして
選挙を戦った事も有り、政治の方針としては間違いとは言えません。
しかし、それだけでは、単なる後始末でしかなく、国民は、その様な足踏み状態の
現状維持の政治は期待していないのです。
前政権から新しい政権に変わったとしても、国民に何のメリットもなく、
ほんの少し期待させた位では、更なる落胆を生みかねないのです。
国民として見れば、現実の社会を変えて欲しいというだけでなく
子供たちの未来、更には、孫に続く未来まで安心できる政策が生れる事が
最大の喜びと言えるのです。
戦後、数知れず政権が変わったものの、社会の流れは大きく変わったにせよ、
国民一人一人の生活は豊かになったとは言えず、経済的に社会が豊かになり
便利になったかと言っても、国民が幸せになったとは言えないのです。
どんなに働いても楽にはならず、常に、消費する事を促され、基本的な
生活が保障さえないで、常に不安の中で生きているのが日本人です。
国が守ってくれないから、個人的に守らなければならず、この不景気の中で
保険関連事業は莫大なる利益を得ています。
生活費を削りながらも、未来に於ける健康不安から、保険によって安心を
得ようとしている方はとても多く、数々のコマーシャルの中でも、
保険のコマーシャルは、テレビ番組のスポンサーとしては絶対です。
民主主義国家に於いて、基本的人権は守られるはずなのですが、この事も
現実的には、経済的レベルによって個人差が非常に大きく、権利すらも
平等に得られていない人たちが多くいるのです。
国民の生活は、今や、豊かな人はより豊かに、貧しい人はより貧しくと
決して国民全てが平等の扱いを受けているとは言えないのです。
この原因は、やはり、国の政を担う方々の無能さと我儘と言えるのです。
考える範囲が非常に刹那的で狭く、目先の問題にだけに集中して
対局が見えていない方がとても多いのです。
しかしながら、目の前に餌が落ちて来ると、まるで、ダボハゼの様に
反射的に飛びつきます。
政治家として有るべき態度とは言えないのですが、長年、自分の我儘を
押して通して、更には、社会的地位を得て来た事も有って、自分のする事に
異を唱える方が少ない事から、自分が美味しい!と思ったら、無意識に
飛びついてしまうのです。
そんな人達の行く末は、毎度の事、数々の不祥事、失言、私的欲望で
マスコミを賑わす事と成るのです。
政治家はいったい国民の為に何を成すかという永遠の命題が
いつの間にか、地位を利用した私欲の追求と成って、見つからなければ
何をやっても構わないとする、餓鬼の様な考えを持つに至るのです。
政治の場と言うのは、単に与えられた仕事をしていれば良いと言うのでなく
国民が幸せになる為には、政治家は何を成すべきであるかを常に考え
現行の政治をより有効なものに変えて行かなければならないのです。
政治家になる為のマニュフェストや政治家の仕事をする為の話術を鍛えても
国民は一向に幸せにはならないのです。
日々食べて行く事生きて行く事で精一杯の国民に、安心して生活できる
未来への道を示す事が重要です。
政治家とは、公人であって、国民に成すべき仕事と義務があるのです。
その為に、地位や財産が保証され、人よりも比較的豊かな生活が
認められ、その資金は、国民の税金で賄われているのです。
しかしながら、その権力の座に胡坐をかき、更には、より私欲を満たすために
甘い汁を求めてしまうのです。
選挙で国民ら選ばれた時点では、国民の代表としての意気込みは感じられても
政界に於ける様々な悪癖が、次第に、国民からは世離れした世界に染められ
ただの権力を利用した政治屋へと変わってしまうのです。
日頃、先生と呼ばれ、周囲から一目を置かれれば、自分が常に国民よりも
優れた存在と思い込み、いつの間にか、国民の声は、どこ吹く風と成って
キツネやタヌキの仲間入りと成ってしまうのです。
自分が、周囲の他人よりも上だと考えるようになると、他人に対する差別化が
顕著と成って、選挙の時とは裏腹な態度を示すようになってしまうのです。
こんな政治家が、実に多いのが、日本の国を住み難くしていると言えます。
自分達が、現代社会の申し子の様に、経済的な裕福さにしか幸せを感じないので
国民も、経済発展すれば幸せだと考えるのです。
本当に、我儘で餓鬼の感覚が抜けないまま大人になり、政治家と成って
社会を動かしているのが、日本国民にとって最大の不幸と言えます。
社会を知らない坊ちゃんお嬢ちゃんが、お膳立てされた国会の場で
国民の本当の思いを代弁できるはずが有りません。
自分達の行いの全ては、自分達の損得勘定にあり、その考えが無くならない限り
政界の様々な黒い霧は晴れず、社会的に地位が有れば、何でも好きな事が出来る
と言う、社会で生きて行く人にとって最低のお手本と成ってしまうのです。
今の流れからすると、都議選は、多くの新派による大勝と成る可能性があり
現政権は益々窮地に立たされると思われます。
例え、神風が吹き、現政権が大勝を取ったとしても、これまでの醜態は
近い将来、政権交代の流れを生む可能性も有ります。
しかしながら、次にとってかわる政治家たちが、その場限りの政権奪取で有っては
日本の未来は、これまでと全く変わらず、国民の苦しみは更に続くと言えます。
国民がいかに有れば、本当に幸せになれるのか、政治家たるもの、国民の代表として
どう有るべきかという事を、政治に志す人達も、国民一人一人も、もう一度
しっかりと熟考してみる必要があると思われます。
考えれば、誰もがそれなりに答えが見いだせるとは思いますが、これまで何度選挙しても
議論を重ねても、答えに準ずる社会と成らないのは、どんな考えを持っても必ず、
その実現に対し、多くの経済的な目論見が働き、個人的な利益を望む方々によって、
国民全体が潤うまでには至らなかったのです。
それこそ、これまでの政治家たちの甘さであり、我欲の強さなのです。
国民の為に尽くすとは、私欲を棄て、何事にも諦めず、未来を見極め
任期の間のみならず、人生の全てを掛ける気持ちが必要です。
政治家になって、地位と財産を手に入れようしている様では、国を代表する
公人としての役割は果たすことが出来ず、政治家としての資質も無いのです。
目立つパフォーマンスをしたり、強引な政策を提案したとしても、
それを、国民の利益に至るまで推し進められれば、政治家としての価値は
認められるのです。
外見と口先だけの政治家が目立つ世の中です。外見に騙される国民も多く
挙句の果ては、国全体の利益が損なわれる事が多いのです。
政治家の仕事は、テレビのドラマやバラエティーでは有りません。
国民の注目を集める事をしても、実質が伴わず、国民の利益と成らなければ
それは、単なる、三文芝居に過ぎず、多くの税金を報酬として得る事も
政治の資金として使う事も許されないのです。
メディアの発達により、様々な形で、政治家は国民からの評価を受けます。
巷の興味の対象と成るだけでなく、国を代表とする政治家として、国民から
常に慕われ、その存在価値を認められる事が大切です。
自分達の日常が、そのまま公表される事で、より信頼を得る仕事をするか
はたまた、週刊誌のネタにされ、国民の嘲笑をかうのか、去り際が美しく
惜しまれる政治家が日本に生まれる事を心から願いたいものです。