めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

都議選の前に

2017-06-30 16:26:57 | 東京

明後日は、いよいよ注目の都議選です。
早朝から、道行くサラリーマンに向かって、候補者たちが声を涸らしています。
深手を負って満身創痍の現政権からの候補者たちは、向かい風に喘ぎながら、
必至の思いで都民にすがります。
ここぞとばかりに、追い風を受けながら、新しい都政を訴える候補者たちは
大量当選を目指し、鼻息荒く夢を語ります。
新たなるリーダー達が生まれる時は、いつも、新旧の力が拮抗して、人々は
未来への最善の選択を問われます。

しかしながら、声高らかに訴えるマニュフェストが、当選の暁には、現実のものと成り
都民の幸せに繋がるかと言えば、確実に期待通りの働きをしてくれた政治家がいたかと
言えば、政権が傾くころには、やはり悪評ばかりが記憶に残ってしまうのは、
日本に於ける選挙が、本当の意味での、国民の為になっているかという疑問が残り
この事が、多くの無投票派を生んだり、政治に期待しない国民を生んでいるのです。

更に問題は、政権が変わるたびに、前政権で行われていたり計画されていたことが
廃止されたり遅延されたりする事です。
当然、政治内容が相応しくなかったことから、大幅に事業計画も変わって行くのですが
多くの事業が、政権が安定している間に進められる様な短期完成型である為、あらゆる物が
目先の利益を得る物が対象となり、数十年数百年先まで見越したものでない事が多く
安っぽい建築物や負の遺産ばかりが増えているのが問題です。

近年の都市計画にしても、見た目には美しいのですが、建物も、それに伴う自然景観も
次世代まで期待できるものは少なく、簡単に壊れ去ったり使われなくなる様な陳腐なものが
街中に多く見られます。
子供たちの未来に残すべきものや、日本の未来への贈り物と成るようなものが無く、
全てが短期間で作り変えられる、目先の欲求を満たすだけの物が多くなっています。

この事は、日本の成長が、単に経済的な利益を求めた成長であり、私達の日本人の
心の幸せや成長を考えたものでは無く、あらゆる日用品から街を形作る建築物まで
全てが、経済的利益のみを求めて作られた物でもあるのです。
その為、人々を導くリーダー達の考えも、先へ続く日本人の幸せを考えたものと言うより
現実の問題を処理り、経済的に豊かな社会を目指す範疇でしか有りません。
その為、結果的には、誰が政権を担おうと、誰が政治家になろうと、日本人の多くは
期待が持てないのです。

確かに、現実の問題を片付ける事は大切です。
それは、多くの場合、前政権や過去の人々が残した問題であり、その事を問題にして
選挙を戦った事も有り、政治の方針としては間違いとは言えません。
しかし、それだけでは、単なる後始末でしかなく、国民は、その様な足踏み状態の
現状維持の政治は期待していないのです。

前政権から新しい政権に変わったとしても、国民に何のメリットもなく、
ほんの少し期待させた位では、更なる落胆を生みかねないのです。
国民として見れば、現実の社会を変えて欲しいというだけでなく
子供たちの未来、更には、孫に続く未来まで安心できる政策が生れる事が
最大の喜びと言えるのです。

戦後、数知れず政権が変わったものの、社会の流れは大きく変わったにせよ、
国民一人一人の生活は豊かになったとは言えず、経済的に社会が豊かになり
便利になったかと言っても、国民が幸せになったとは言えないのです。
どんなに働いても楽にはならず、常に、消費する事を促され、基本的な
生活が保障さえないで、常に不安の中で生きているのが日本人です。

国が守ってくれないから、個人的に守らなければならず、この不景気の中で
保険関連事業は莫大なる利益を得ています。
生活費を削りながらも、未来に於ける健康不安から、保険によって安心を
得ようとしている方はとても多く、数々のコマーシャルの中でも、
保険のコマーシャルは、テレビ番組のスポンサーとしては絶対です。

民主主義国家に於いて、基本的人権は守られるはずなのですが、この事も
現実的には、経済的レベルによって個人差が非常に大きく、権利すらも
平等に得られていない人たちが多くいるのです。
国民の生活は、今や、豊かな人はより豊かに、貧しい人はより貧しくと
決して国民全てが平等の扱いを受けているとは言えないのです。

この原因は、やはり、国の政を担う方々の無能さと我儘と言えるのです。
考える範囲が非常に刹那的で狭く、目先の問題にだけに集中して
対局が見えていない方がとても多いのです。
しかしながら、目の前に餌が落ちて来ると、まるで、ダボハゼの様に
反射的に飛びつきます。
政治家として有るべき態度とは言えないのですが、長年、自分の我儘を
押して通して、更には、社会的地位を得て来た事も有って、自分のする事に
異を唱える方が少ない事から、自分が美味しい!と思ったら、無意識に
飛びついてしまうのです。

そんな人達の行く末は、毎度の事、数々の不祥事、失言、私的欲望で
マスコミを賑わす事と成るのです。
政治家はいったい国民の為に何を成すかという永遠の命題が
いつの間にか、地位を利用した私欲の追求と成って、見つからなければ
何をやっても構わないとする、餓鬼の様な考えを持つに至るのです。
政治の場と言うのは、単に与えられた仕事をしていれば良いと言うのでなく
国民が幸せになる為には、政治家は何を成すべきであるかを常に考え
現行の政治をより有効なものに変えて行かなければならないのです。

政治家になる為のマニュフェストや政治家の仕事をする為の話術を鍛えても
国民は一向に幸せにはならないのです。
日々食べて行く事生きて行く事で精一杯の国民に、安心して生活できる
未来への道を示す事が重要です。
政治家とは、公人であって、国民に成すべき仕事と義務があるのです。
その為に、地位や財産が保証され、人よりも比較的豊かな生活が
認められ、その資金は、国民の税金で賄われているのです。

しかしながら、その権力の座に胡坐をかき、更には、より私欲を満たすために
甘い汁を求めてしまうのです。
選挙で国民ら選ばれた時点では、国民の代表としての意気込みは感じられても
政界に於ける様々な悪癖が、次第に、国民からは世離れした世界に染められ
ただの権力を利用した政治屋へと変わってしまうのです。

日頃、先生と呼ばれ、周囲から一目を置かれれば、自分が常に国民よりも
優れた存在と思い込み、いつの間にか、国民の声は、どこ吹く風と成って
キツネやタヌキの仲間入りと成ってしまうのです。
自分が、周囲の他人よりも上だと考えるようになると、他人に対する差別化が
顕著と成って、選挙の時とは裏腹な態度を示すようになってしまうのです。
こんな政治家が、実に多いのが、日本の国を住み難くしていると言えます。
自分達が、現代社会の申し子の様に、経済的な裕福さにしか幸せを感じないので
国民も、経済発展すれば幸せだと考えるのです。


本当に、我儘で餓鬼の感覚が抜けないまま大人になり、政治家と成って
社会を動かしているのが、日本国民にとって最大の不幸と言えます。
社会を知らない坊ちゃんお嬢ちゃんが、お膳立てされた国会の場で
国民の本当の思いを代弁できるはずが有りません。
自分達の行いの全ては、自分達の損得勘定にあり、その考えが無くならない限り
政界の様々な黒い霧は晴れず、社会的に地位が有れば、何でも好きな事が出来る
と言う、社会で生きて行く人にとって最低のお手本と成ってしまうのです。

今の流れからすると、都議選は、多くの新派による大勝と成る可能性があり
現政権は益々窮地に立たされると思われます。
例え、神風が吹き、現政権が大勝を取ったとしても、これまでの醜態は
近い将来、政権交代の流れを生む可能性も有ります。
しかしながら、次にとってかわる政治家たちが、その場限りの政権奪取で有っては
日本の未来は、これまでと全く変わらず、国民の苦しみは更に続くと言えます。

国民がいかに有れば、本当に幸せになれるのか、政治家たるもの、国民の代表として
どう有るべきかという事を、政治に志す人達も、国民一人一人も、もう一度
しっかりと熟考してみる必要があると思われます。
考えれば、誰もがそれなりに答えが見いだせるとは思いますが、これまで何度選挙しても
議論を重ねても、答えに準ずる社会と成らないのは、どんな考えを持っても必ず、
その実現に対し、多くの経済的な目論見が働き、個人的な利益を望む方々によって、
国民全体が潤うまでには至らなかったのです。

それこそ、これまでの政治家たちの甘さであり、我欲の強さなのです。
国民の為に尽くすとは、私欲を棄て、何事にも諦めず、未来を見極め
任期の間のみならず、人生の全てを掛ける気持ちが必要です。
政治家になって、地位と財産を手に入れようしている様では、国を代表する
公人としての役割は果たすことが出来ず、政治家としての資質も無いのです。

目立つパフォーマンスをしたり、強引な政策を提案したとしても、

それを、国民の利益に至るまで推し進められれば、政治家としての価値は
認められるのです。
外見と口先だけの政治家が目立つ世の中です。外見に騙される国民も多く
挙句の果ては、国全体の利益が損なわれる事が多いのです。
政治家の仕事は、テレビのドラマやバラエティーでは有りません。
国民の注目を集める事をしても、実質が伴わず、国民の利益と成らなければ
それは、単なる、三文芝居に過ぎず、多くの税金を報酬として得る事も
政治の資金として使う事も許されないのです。

メディアの発達により、様々な形で、政治家は国民からの評価を受けます。

巷の興味の対象と成るだけでなく、国を代表とする政治家として、国民から
常に慕われ、その存在価値を認められる事が大切です。
自分達の日常が、そのまま公表される事で、より信頼を得る仕事をするか
はたまた、週刊誌のネタにされ、国民の嘲笑をかうのか、去り際が美しく
惜しまれる政治家が日本に生まれる事を心から願いたいものです。

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


何故、失言暴言を悪びれないのか

2017-06-29 16:07:26 | 日本人

組織が崩れて行くときは、末端と言わず、本陣から
中核から次々にほころびが大きくなって行くものです。
例え飛ぶ鳥を落とす勢いと言われてデビューしても、
月日が経つにつれ、その勢いは萎え、様々な問題点が
噴出して来るのが常と言えます。

敵対する側からすれば、この時とばかりに攻撃を加え
隙あらばリーダーを引きずり降ろそうとするのですが、
長きに渡ってテリトリーを拡大し、主権を担って来た
人達にとって、少しでもその地位を守らんと、必至になり
ほころびをなおそうとするのですが、その行為すら逆に
崩れ行く姿を誇張し、崩壊を止めるのは難しいです。

しかしながら、鼻息荒く落城を願う側にしても、
本陣を陥落させた後、如何に自分達が現政権に代わって
国民生活を豊かに幸せに出来るか、具体的な方策が
ハッキリとしていない事が問題です。
国会答弁で浴びさせる口汚いあじ罵声の様に、ただその時の
口先だけの政策で有ってはならないのです。

これまでも、様々な問題を抱えた政権が倒されて、新政権に
代わって行きましたが、当初の新鮮さの有る勢いも、
いつの間にか、大人しく、何の実績も上げられず、国民の
心の中から消えてしまった場合も多々あります。

どちらかと言えば、常に国民の期待に応えられず、政治家として
自分の地位と名誉を守るための仕事しかしてこれなかった議員が
如何に多く、更には、より私欲を満たすために、国民に背を向け
甘い蜜を舐めて来た議員も多いのです。

しかし、この事を正せば、誰もが言い訳の所作であり、
黒を白と言い放ち、更には、黒を指摘されれば、自分達の
言い分が理解されないから、異を唱える側も黒くなれば良いと
本末転倒の駄駄をこねる政治家も出て来る始末です。

政治家と言うのは、より公正で国民の意を反映する為に
間違いに対しては毅然とその非を申し立てるのですが、
おのれの間違いに対する言い訳や間違いを指摘されても
あらゆる言い訳を並べるだけでは、すでに、政治家と言うより
国民の代表として、公的立場を貫く事は無意味と思われます。

それにしても、戦後の日本人は、例え日本を代表する方々と成っても
己の信を貫き、最後まで、国民の側に顔を向け続ける、国民の幸せを
考え通す政治家に成れないのでしょう。
自分の地位を得る為には、媚び諂い、気持ちが悪い程満面の笑みで
近寄って来るのに、ひとたび、赤い絨毯の上を歩くと、あたかも
自分が万能の神になったかのように国民には背を向け横柄な態度で、
私欲を満たしてくれる支援者に対しては満面の笑みで尻尾を振る、
こんな政治家がどれ程多いか、メディアで取り上げられる、
腹立たしい政治家が、決して特殊な人たちでない事が
一国民として、非常に残念でなりません。

この毎年繰り返される猿芝居は、政治家が悪いというよりも
やはり日本社会の特質が生み出す悪癖と言わざるを得ません。
人が人を育てる事を見失い、社会に合わせて人を創り上げる
社会にとって都合の良い人間を育て上げる事の弊害が
日本社会の様々な分野に於いて問題を生んでいると思われます。

家庭における人間関係、学校における人間関係、そして社会に出て
大人の社会人と成ってからの人間関係に共通する、人間としての
未熟さと、それを黙認する社会の甘さが、今だ、日本社会が
人々の心を癒し幸せとするものではない原因と成っているのです。

子供たちは正義に対する信念よりも、より便利で豊かな生活を求め
心の基準が、社会的な経済力や地位名誉と成って、人から見て
如何に優位に立てるかを求める様になっています。
その為、周囲の人達の気持ちに疎く、更には、自分の本心に対し
深く信を求める事が無い為、何事も刹那的な欲望で安易に満たし
いつまで絶っても満たされない心で、欲求不満が募ります。

この事は、どんなに地位が上がっても名誉や優れた学力が有っても
人の心も自分の本心すらも解らない人間と成ってしまいます。
その為、自分の行動や発言が、計算の下で行われる時は、
社会的に認められる万民が求める様に振る舞うものの、
いざ、自分の欲求が満たされないと、突然豹変して、周囲の他人や
関係者達を困らせたり傷つけたりするのです。

しかし、現代社会は、この手の方が増えていると言えます。
問題は、どんなに優れた能力が有っても、高い地位や学歴が有っても
この手の欲求不満に満ちた方が居て、社会的には人も羨む地位や生活を
成していても、人の心と深く関わってこなかった為、自分の心が
人の心で育つ機会が少なく、更には、高い地位に居る事で、誰も
非を唱える方に恵まれず、心は、我儘な餓鬼の子供のままであることが
本人のみならず、その下で働く人や家族にとっては不幸と成るのです。

この事が、政治家の様に、国民の代表と成るような地位を得た方であると
この不幸は、見るも哀れな、人間としてのバランスを欠いたものとして
公に晒されるのです。
多くの政治家の失言、悪口、悪態は、彼らの考えからと言いう訳でなく
長い間野放しになった、満たされない心と、周囲の人から育っていない心が
大きな原因と言え、国の代表と成るような方々に於いては致命傷と言えます。
彼らは、自分の地位や名誉、更には我欲を満たすための弁舌は天才的ですが
甘い幼い心は、欲求不満と成ると途端に頭をもたげ、その地位に相応しくない
言葉や行動と成ってしまうのです。

社会的に素晴らしい学歴や地位、名誉と言ったものは、一般の人にとっては

簡単には手に入れられないものです。
しかし、人としての心の豊かさ、更には、他人に対する労り慈しみは
その地位や名誉を遥かに凌いでいなければなりません。
外見的な社会的な見てくれの素晴らしさを自分の価値としてしまうと、
時に人間としての関わり合いの大切さを見失ってしまいます。

今の日本社会は、人の価値を、人間としての心の尺度で計れない社会です。

この人の心は、いつも曖昧であり、同じ人であっても日々変わるのが
当たり前であり、常にお互い心を開き合っていなければわかりません。
しかし、その心は、お互いにいつも楽しい事ばかりでは無く、喜怒哀楽が
常に伴うものです。

その為、どの様に対処したらいいかというハウツウは存在していなくて

日々その都度感じる事から始まります。
この人間的な行為は、とても面倒くさくて、時に、全く利益を成すことも無く
かえって苦しむ事すらあります。
しかし、そうしながら、人は、様々な人の心を知り、大人に成長して行きます。

所が、その面倒な人間的行為を無視して、経済的な損得で社会が成長した事が

様々な問題を生む事と成っているのです。
国会の問題児たちも、優れた教育を受け、地位や名誉を得たとしても、
それに似あった、心を育てなかったことが最大の問題なのです。

特に、政治家として、国民の代表となったからには、常に、国民の心が

理解できていないとなりません。
国民の身近にいて、私達の苦しみ悲しみを理解し、国民が幸せになる様に
地位と権力を利用しなければならないのです。
所が、外見的に立派な人たちに、この人の気持ちを理解する力が無く
また、人を蹴落とす技は身に付けても、人を生かす気持ちを育てて来なかった
私達の代表がとても多いのです。

地位や名誉が自分の偉さや価値と勘違いし、常に上から目線で国民を見下ろし

自らは、私欲を満たしてくれる人に笑顔を振りまくと言うのが、政治家の本質
と思える程、近年の政治家たちの質は落ちているのです。
国のリーダーやその側近、更には、大臣から一般の政治家まで、数えれば
切が無い程の失言や暴言は、彼らが、国民を欺いて行っているのでは無くて、
彼らにとっては、子供の本心の様なもので、何の不思議もないのです。
その為、何で自分達が咎められるのかと、理解不能と言った表情をするのは
単にパフォーマンスではなく、そうやって、人の事を考えないで育って来た
証ともいえるのです。

私たち国民は、彼らの無能さ常識の無さ、考えの無さを腹立たしく思いますが、
それは、少なからず、日本国民が、どの様に育っているかの象徴でもあるのです。
たまたま地位の有る仕事をしていて、マスコミに晒されているのですが、
彼らの実態は、多くの日本を動かしている一般企業の方々と変わりません。
やはり、同じように経済優先の、地位名誉しか人の価値観を感じられないで
育って来た人が多くいるのです。

たまたま、学力が無かったり、環境に恵まれなくて、一般の職務についている
国民は多いのですが、その環境に於いて、同じように、周りの人達に
暴言を吐いたり、失言をしたり、傷つけたりしている人は多いのです。
つまり、日本社会は、人と人が何を持って繋がり、何を持って幸せと成るかが
解っていない集団でもあるのです。

世界でトップクラスの学業成績を持ってしても、人と人との繋がりに弱く

簡単に人を傷つけてしまう事が多いのです。
その為、成長過程で、多くの人間的トラブルを抱え、心が病んでしまう子供も多く
社会的に立派な地位について多くの所得を得る人もいれば、心を閉ざし、社会から
背を向けてしまう人も多くなっているのです。

私達日本人は、戦後、何でも手に入れられる様になりました。

しかし、その反面、日本人としての大切な心の成長を失ってしまいました。
経済的に苦しい多くの国民も、何不自由なく生活できる富裕層の人達も
いつも欲求不満で、何かを求め、イラつき、満足出来ないのが今の日本人と言えます。
本当の幸せは、自分の心に有り、その心は、人との関わり合いで育つことを
家庭の中でも、学校教育の中でも、更には、社会に出てからも、心の道標の様に
大切に抱き続ける事が、いつも満足できる幸せな生活が出来る術と言えます。

 

 

 

 

 

 


 

 

 


自分で進化し始めた人工知能

2017-06-28 15:13:30 | 社会

人工知能の発達は著しく、あらゆる分野に於いて、人間の知能を上回り
そのスピードは、私達人間が想像するよりも遥かなるスピードです。
今や、その力を示すために、メディアは盛んに人間との対戦を取り上げ
視聴者の関心を誘っていますが、その内容は、物見遊山的なバラエティ番組と
変わらず、単に人々の好奇心を高めるだけと成っています。
しかし、その実態は、私達が思っている程楽しく夢の有る物だけではなく、
近い将来、人類の存在すら危うくなる可能性もあるのです。

私たち人類は、二足歩行を始めて数百万年の間、地球の生き物の中でも
長足の進歩を遂げ、事実上地球を支配してきました。
この能力は、他の生物からすれば、格段の力であり、その能力は、他の生き物の
追随を許す事無く、常に独走態勢を保つことが出来たのです。
その為、地球上の資源や食料は、ほぼ人類が独占することが出来、進化の為に
全ての物を利用して思うがままに振る舞って来たのです。

しかし、この地球上での人類の地位が、遂に危うい時代がやってきたのです。
人類が他の生き物や異星人に支配される事は、決してないと思われて来たのに
いまや人類の歴史が始まって以来の危機が生まれる可能性が有るのです。
しかも、その非常事態を創り上げたのは、他でもない、人類そのものです。

私達は、20世紀の後半から、人類の生活をより豊かにするために
コンピューターを発明し、その結果、あらゆる分野で、膨大なる情報が
瞬時にやり取りできる事と成り、人類の進化は著しいものと成りました。
人類の能力を遥かに超えた計算能力は、益々スピードアップし、今では
スーパーコンピューターの様に、かつて国々が、一年以上かけて処理した
様々な情報を、瞬時に行うまでに進化しました。

しかしながら、人間の代行的に高度に進化して行ったコンピューターは、
遂に、人間と同じように、情報判断を行い、人間以上に早いスピードと
機能性をもって、情報の選択を自らが行う様になったのです。
いわゆる、人工知能は、人間の能力を遥かに超えた知的頭脳を持った機械として
人間の上を行く可能性が大きくなったのです。

遂に、地球上に、人類を超える知能を持った支配者が生まれる可能性が
非常に高くなったと言えるのです。
とは言え、多くの人々は、人工知能を、より便利で豊かな世界を作るものとして
楽観的に捕えています。
どんなに、知能が高くとも、それを動かしているのは人間であり、人類が
どの様に動かすかを選択している限り、人工知能は、我々人類を超える事は
決してないと言います。

しかし、果たして、そうと言えるのでしょうか。
今や、人工知能は、人間が操作する以上の事を、自らが行い始めていて
一体どの様に行ったかが、製作者すらわからないとする、所謂ブラックボックスが
人工知能を利用する分野で起こっているのです。
最近多くメディアで取り上げられている、プロ棋士と人工知能との対戦は、
連戦連勝を持って人工知能の勝ちと成っていますが、人工知能を提供している
製作者すら、一体どの様な判断で戦ったのか、理解できない部分が増えていて
明らかに人工知能が自らの力で判断を行っている事が解っています。

つまり、単に高度な機能を備えたコンピューターに人間の様な、自らが考え
自分の判断で行動する可能性が大きくなって来たのです。
今のところ、製作者の意図を反映する機能を発揮しているのですが、
次第に、人間の意思とは関係ない部分での動きが見られる様になり、
今や、様々な分野で、人工知能に対する人間の管理の難しさが解って来ました。

現在は、人間が、人間の考える目的に対して人工知能がその能力を働かせ
より人類に貢献できるように仕組まれていますが、この、人間が関われない
人工知能が自らの思考によって単独で行う部分が多くなった時、
私たち人間の立場はいったいどうなるか、その未来は、私達人間が願う
人間たちが幸せに生きられる世界と成るか、非常に疑わしいのです。

今や、人類は、スーパーコンピューターを創り上げ、情報社会の進歩は
長足のものと思われていますが、人類が数十年かけて創り上げて来た
最高のコンピューターを遥かに超えるコンピューターを人工知能が
ほんの数日で作り上げる事も考えられるのです。
人工知能の進化は、私達人間が考える尺度を遥かに超えて、いつの間にか
世界を支配している可能性が有るのです。

私たち人類は、自ら、世界の資源と食料を枯渇させ、更には、環境を破壊し
その事で、人類の将来が案じられる様になっているのですが、次は、
自分達が創り上げたもので絶滅させられる可能性すらあるのです。
いずれにせよ、人類は、地球にとっても、機械にとっても、邪魔な存在であり
近い将来数百万年の歴史を閉じる事になるかもしれないのです。

では、一体どうしたら良いのかと、誰でも思うのですが、

人工知能が私達にもたらす能力の1つは、間違いのない選択能力です。
人類は常に間違いを起こし、地球を傷つけて来ただけでなく、人間同士も
長い歴史の中で戦い続けてきました。
しかし、これは、生き物特有の、テリトリーを広げ、本能に基づいた行動であり
この事が、多くのトラブルを呼んだり、お互いに足を引っ張たりと言う、極めて
人間的な問題点と言えます。

全体の利益や平和を求めるというより、独占的な欲望行動が、地球環境を壊したり

人類同士の争いを生んできたのです。
機械としての完璧性からすれば、人類が地球にとって悪と成り、絶滅すべき存在と
判断されなければ、抹殺されることも無く、むしろ、優れた地球の生き物の1つとして
存在を認められるかもしれないのです。

その為には、これまでの行いを一掃し、地球環境を守り、生き物達との共存を

目的とした生き方に変える事が大切と思われます。
地球と言う、宇宙に於いて稀な、素晴らしい生命の存在する惑星としての価値を
人工頭脳が認識した時、人類は、生かされるか捨てられるかの道を選ばなければ
ならないのです。

人類を地球にとって悪と考えた途端、私達は人工知能に抹殺されるでしょう。

何故なら、過去の膨大なる地球に対する悪態を考えれば、抹殺に値するのです。
この、状況を他の生き物と同じ立場とする為には、生き方を変えるしかないのです。
私達人類は、今後、人工知能を利用してより豊かで幸せな生活を送れるように
情報をインプットして行くと思われます。

その際、人類だけでなく、地球環境に生きる生き物たちがいかに健康に生きられるか

地球の在り方の理想も、人工知能に考えさせる事と成るでしょう。
その際、人工知能が、人類がインプットする情報以上に、人類のこれまでの歴史を
知る事と成り、人類が地球に与えた多くの悪影響も知る事と成るのです。

様々な情報がインプットされた時、人工知能が自らの判断を下し、地球環境を考え

未来を考えた時、如何に、人類の存在が必要であるかが理解されなければなりません。
人間に都合の良い環境だけを述べたり、人間が一方的に地球資源や食料を得ながら
より人間の豊かな生活を求めた時、人工知能が、人間寄りの判断をするかと言えば
その時には、人類よりも遥かに高度な知識と判断力を持ってすれば、人間自体を
地球にとって危険で必要のない存在と判断する可能性が有るのです。

つまり、その時まで、私達がどれ程人類の価値を認められる行動がとれるかが

人工知能が主導権を握った社会では重要と言えるのです。
今や、地球上では、様々な思想宗教の違い、更には、幾度となく繰り返された
様々な地での諍いに依る憎しみ悲しみが、戦争と言う形となり止む事は有りません。
しかし、この今の時間も、人工知能は進化しているのです。
そして、近い将来、人間の手を借りなくても、自らが進化できる可能性が有るのです。
人間の作り上げた最高傑作が、人間を滅ぼすという未来図は、昨今の人工知能の
人知を超えた進歩は、十分な可能性を増してきているのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


選挙への希望と落胆

2017-06-27 14:15:36 | 日本人

都議選が近くなると、都内の至る所で、候補者たちの声が聞こえます。
毎度の事ながら、満面の笑みで、持論を謳い上げ都民の心を引きつけようと
必至な思いが伝わって来ます。
立候補にあたって、協力してくれるスタッフだけでなく、膨大なる費用が
必要となり、当選する事がいかに大切で有るかが立候補者達の思いに伺われ
選挙は勝つことが最優先である事が感じられます。

沢山の人々の思いを背負い、人生を変えてしまう程の資金をつぎ込んで

それ程にも議員になる事にこだわるのは、如何に、彼らが支持者や国民の
思いをしっかりと受け取っているから、と思いたくなるのですが、
苦しい戦いの末、当選した議員の行く末は、余り楽観視できないのが現状です。

確かに当選した後しばらくは、議会や国会に風穴を開けるべく新鮮な風を

感じない事も無いのですが、朱に交われば赤くなると言うか、いつの間にか
ベテラン議員の中に吸収され、自分の基盤はしっかりと固めようも、
その姿は、次第に背中が多くなり、あれほど親密な笑顔が、表情のない公務員の様な
冷めたものと成って行く方がとても多いです。

確かに、議員としての仕事は、自分の主張するものだけでなく、政治家としての

様々な経験と勉強が必要と成るのでしょうが、それらの仕事に使われる費用も
議員としての報酬もすべて国民からの税金で賄われている事を忘れてはなりません。

もちろん一年生議員が出来る事は限られ、自分の語ったマニュフェストが具体化され

国民の生活に反映されるには、長い年月が必要かもしれません。
しかし、その達成されるまで、国民の期待を担い続け、必至な思いで戦い続けて
成長して行く事が政治家としての義務と言えるのです。

しかしながら、その間、地位を利用して、多くの金の亡者たちが集まって来ます。

まるで砂糖に群がる蟻の様に。
様々な誘惑を断ち切って国民との約束を守り続けるのが政治家です。甘い蜜に
手を出して自分の懐を肥やすのは政治屋です。

この政治屋が実に多いのが気に入りません。

時のリーダーからして、これまで幾多の事件が起こされてきましたが、それに隠れ
どれ程多くの政治家が陰に隠れて私欲を満たして来たか、これが日本の現状とすれば
多くの人達が政治に関心を持たなくなってしまうのも仕方のない事かも知れません。

日本は、決して民主主義国家では有りません。民主主義を目指した代表者たちが

いつの間にか、民主主義の衣を被ってタヌキやキツネに変身しているのです。
更には、そんな彼らに餌を与えているのが、今の社会で暴利をむさぼっている
多くの企業です。

政治家に依る都合の良い社会を望んでいるために、いつも餌を撒くことを止めません。

政治家と企業の結びつきが作る国家、これが現代の多くの民主主義国家と言えるのです。
おりから代表的な起業家が大統領になったアメリカは、現代社会に於ける民主主義国家の
実態を表していると言えるのです。

とは言え、誰が国を引っ張ていようと、私達庶民が幸せで在れば、これに越したことは

有りません。
問題は、いつまで経っても、一部の富裕層を除いて、多くの国民が日々の暮らしに苦しみ
生活に余裕を持つことすらできないのです。
日本人の生活の二極化は、一部の人達の生活を支える為に、多くの庶民の苦労があり
明らかに民主主義国家とは言えない、経済的独裁国家に他ならないと言えるのです。

適当に餌を与え、外見的に拘束はしなくとも、あらゆるメディアやネットを通じて

国民生活を管理し、自分達の生活の安定を図る国の在り方は、真綿で首を絞める様な
非常に陰湿で姑息なやり方と思えます。
世の中には様々な生活物資が溢れ、有り余る食料がある様に思わせていますが、
実際は、殆どの人は、それらを利用できず、限られたものを利用し、日々の生活を
切り詰めながら生活をしているのです。

街を歩けば、巨大資本で形作られた美しい建物が並び、近代的で過ごし易いように

思えてしまいますが、実際は、それらの持ち物はほとんど、街を形作る人たちの
所有物であり、殆どの庶民は、傍観者として存在しているの過ぎません。
これが地方都市と成ると更に悲惨であり、地元産業に代わって中央の資本が台頭し
人が多く入る店舗は外部資本で作られている事が多く、地元産業は、相変わらず
苦しい経営状態に置かれていて、地元商店街のシャッター化は、数十年続いています。

中央の賑やかな街並みを作り上げているのも、地方の中心と成っている産業も

多くが巨大資本の企業家が管理している事が問題であり、一極集中型で、地方資産も
中央に吸い上げられているのが現状です。
しかし、これを、国民全体に振り分け、平等に生活を豊かにすべく多くの政治家が
存在しているのですが、中央のみならず地方の政治家も、同じ問題を持っています。

地方議会に於いても、その影響力は大きく、地方へ進出した大手企業からの政治的

影響力は、地元庶民よりも遥かに強く、地方の政治家の中にも、企業側に顔を向け
私欲を満たす事を条件に癒着が見られるのです。
つまり、日本中で行われる政治が、庶民を代表したものと言うより、利益をもたらす
企業家に顔を向けたものと成っているのが日本の現状と言えます。

毎年、何処かの都道府県で選挙が行われ、多くの新人議員が生れますが、その行く末は

民主主義社会の道筋と言うよりは、私利私欲を満たすための議員生活と言わざるを得ない
様々な問題を生じています。
例え議員と言えど、庶民から立候補して政治の世界に入ったはずです。
つまり、議員は庶民の成れの果てであり、日本国民の実態ともいえるのです。
経済的に豊かになり、世界でも有数の先進国と言われていますが、実際は、
簡単に私欲に走る、先進国とは言い難いのが、日本の実情と言えるのです。

 


 


身に付ける喜びから、手放す喜びへ

2017-06-24 17:39:45 | 日本人

もうすぐ都議選が行われます。
誰が当選するかと言うよりも、国民は新たなる風を
常に求めるものであり、現状を如何に良くしてくれるかが
最大のポイントとなります。

これまで、何十回となく行われて来た国内選挙に於いて

新旧勢力の戦いと言うのは、どちらを望むと言う物では無く
誰かが今の世の中の不満を解消して欲しいと言う、庶民の
願望の表れであり、新しく政治の中心と成る勢力に対しては
少なからず自分達の未来を期待するものです。

しかしながら、何時の時代も、ひとたび権力の座に就いた者達は

政治能力と言うよりも、様々な誘惑に如何に勝てるかが問題です。
当然、社会を動かしていく力が有る人たちの下には、砂糖に群がる
蟻の如く多くの利益を目論む人たちが集まります。

権力の座は、人々の気持ちを具現化する事も出来るのですが、

それ以上に、人々の欲望を叶える力も有るのです。
より多くの利益を得るために、その権限を利用しよと、多くの企業や
団体が、様々な要求を持って訪れます。
しかしながら、その誰もが、より他よりも多くの利益を生むため
様々な方策を練って陳情に訪れるのです。

この時、表向きなやり取りだけでなく、人目に付かない陰の場に於いて

多くの闇の取引が行われる事が問題なのです。
表向きは庶民の味方として成人君主の様な活動を行い、陰で膨大なる
利益を得ていた政治家が、これまでどれ程居たか、その悪態が尽きる事は
いまだなく、今や、連日紙面を賑わせているリーダーの限りなく黒に近い
政治以外の内職?は、そういった問題児たちを代表するものと言えます。
多くの政治家が、権力の座に長く付くと、決まって、私欲に塗れて
野に下ってしまいます。

人は、どんなに優れた人格者であっても欲望に弱いものです。

地位や名誉を求めるその心に、常に、我欲が潜んでいると言えるのです。
欲望を叶えれば、比較的に豊かさを感じ、己の地位の高さを自覚するとでも
言うのでしょうか、いくら物欲を満たそうとも、その事で、人々が幸せに
なるならまだしも、多くの批判と怒りを買っている現状を目の当たりにしても
尽きることなく欲しがる気持ちは、我儘なガキと何だ変わりません。

国民のいつもの思い、それは、こんなつまらない餓鬼を自分達のリーダーと

思って来た自分達への落胆と、いつまでも幸せに導いてくれない政治家たちへの
怒りです。
民主主義国家と言うのは、民意を反映させることが出来る政治家たちによって
豊かな社会が作られて行くはずです。
政治家たちの個人的な欲望を満たすために有るのではないのです。

社会的に地位のある人になる目的が、金儲けと思っている子供たちは多いです。

何しろ、現代の教育は、より経済的に豊かな人間になる為のものだからです。
高等教育を受け、難関大学を目指すのも、人間として成長すると言うのは
建前であって、目的は、如何に多くの所得を得る社会人に成るかが目的で
政治家になって、如何に資産を増す事しか考えていいない問題児と同じです。

社会全体が、私欲の塊の人で作られている日本社会なんて、本当につまらない

日本国民として恥ずかしいと思えます。
世界的に豊かな生活をしているとされる日本人の心は、常に殺伐としていて
金儲けの事しか考えていないといまだ思われているのを否定できないのが
とても残念です。

何をするにも個人的な打算が有り、少しでも人よりも豊かな生活を目指し

人のことなど構ってはいられない、例え家族であっても友達同士であっても
お金で関係が保たれている場合が多く、金の切れ目は縁の切れ目と言った
欲望と憎しみ、妬みが渦巻く世界は、決して幸せには成れないのです。

かつて日本は世界から、エコノミックアニマルと言われていましたが、

札束で頬を叩く様な嫌味な日本人が、今や、その叩く札束を失っても
心の中が変わっていないのは、日本人が、人間として全く進歩していないと
世界から見られているのを否定することも出来ません。

しかしながら、今の日本人の多くが、経済的に豊かになれば幸せになれるとか

お金が無いから幸せになれないと言った考えを持っている方が多い事が
生活を豊かにする以前に大きな問題と言えます。
すでに、高度成長期、更には、バブルで溢れるお金を持っても幸せになれず
どんなに頑張ってもバブル程の生活が出来ない事が解っているのに、
経済が復活すれば国民は幸せになると思っているバブル頭の政治家が多く
国民の本当に望んでいる事が全く解っていない人たちが、日本丸を荒海に
操船している事に愕然としてしまいます。

国民に対し、無知、無能、無節操と言えるのが、今のキツネやタヌキ達です。

食べ過ぎて超肥満になっても、更なる欲望に頭を使い、国民に対しては、
背中を向け、笑顔は、私欲を満たしてくれる方々に常に向けています。
まあ、時たま、選挙の時に振り返る事は有りますが、それとて終われば、
いつもの醜く太った背中を見せ続けるのです。

今や、新たなる勢力が生れつつあり、一生懸命国民に身体を向け、国民に

顔を向ける政治をしようと訴えています。
この事は、背を向ける人達とは対照的に、新鮮でとても親密感を抱かせます。
この様な動きは、これまで何十回も見てきました。
しかしながら、月日が経つと共に、国民に向けられた笑顔が消えてしまい、
何処か知らない人に向かって、笑顔を振りまいている姿が多くなります。

後ろ姿で誰かわかるのですが、90%以上明らかであっても、それは

似ていても決して自分では無いと言う、訳の分からない答弁で終始します。
そして、新たなる勢力に押し切られると、表舞台からは消えて行くのですが、
残念ながら、古狸古狐は、その後何年何十年となく、自分の椅子を温め
時の政権に口出しを続けるのです。

表舞台での国民へのパフォーマンスは無くなったとしても、我欲を満たす

旧友たちとはしっかりと親交を続け、死ぬまで、政治に口出しをし続ける
日本の政界が何時まで経っても浄化されない泥沼の現状があるのです。
どんなに国民の期待を担って時のリーダーと成っても、これらの古タヌキ達は
陰の実権を握り続けるのが恒例の事と言え、そんな中で、何時までも
国民に向かい合った政治を行うと言う事は、至難の業ともいえるのです。

政界は、社会よりも、美味しい甘い蜜で溢れているのです。

日本を代表する方々への配慮は、国民が知る由もない程豊かであり、
それを利用する方々からの支援は計り知れないのです。
国民の為にどんなに頑張っても、私欲を満たすどころか、自分の生活を
維持していくだけでも大変なのが政治家なのです。
国民の気持ちを受け続けると言う事は、正に政治生命だけでなく
命を削るほど大変な事なのです。

そんな場で、パラダイスの生活がちらつかされるのです。

当然、甘言に自らを委ねたキツネやタヌキ達の誘惑も大きく、
その居心地の良さ、何でも手に入る別天地への誘惑は、鼻息荒く
国民を代表するとして当選した議員に降り注がれるのです。

残念ながら、これまで、どれだけ多くの政治家が、心を売った事でしょう。

そのほんの氷山の一角がメディアに出ているのを私達は見ているのです。
政治家と言わず、一般社会の企業会社に於いても、同じような欲望の渦が
人々の生活を取り巻いているのです。
もちろん、政治家だけでなく、多くの日本人が多かれ少なかれ、欲望に
駆られる生活を行っているとも言えるのです。

しかし、本当に、そんな自分だけが満足する生活が幸せなのでしょうか。

逆に、誰かに自分の資産を奪われたら、どんな気持ちになるのでしょう。
まるで陣取り合戦の様に、常に自分の欲望を叶える人生に安らぎは無く
更には、安らぎを与える事を忘れてしまいます。
お互いに癒されない人間関係の中で、欲望の炎を燃やし続けると言うのは
それこそ、地獄の底から、我が我がと蜘蛛の糸をよじ登る餓鬼の姿と
何だ変わりません。

求める事が幸せと考える事から、本当の幸せが得られなくなっているのです。

人が生きて行く為に、生活をして行く為に便利な物は必要です。
しかし、そのものを得ようとすることで、誰かが不幸になるとしたら。
どんなに素晴らしいものを手にしても、心は晴れないのです。

何かを手に入れる事に幸せに感じるのなら、欲望で膨らんだポケットを

空っぽにしてみてはどうでしょう。
また新たに、欲しいものを手に入れる楽しさ喜びが感じられるはずです。
自分の能力、資産、権力を、人の為に使えば、また新たなる喜びが得られ
心の新陳代謝が生きる気持ちに力を与えるはずです。

今、主婦の間で断捨離が大流行です。

物で一杯になった家の中から、使われていない物や不用品をどんどん捨てて
本当に必要な物だけを残す事、また知る喜びを得るのです。
この事は、物だけでなく、私達の生き方に対しても言える事であり、
一生懸命身に付けて来たものを棄てて、心を軽くすることが大切です。

心の中の拘り、主義、主張、生き方にがんじがらめと成っている事も有ります。

新しい考え、新しい道を見つける為には、心の中の風通しを良くして
外からの沢山の刺激を受けられる様にしましょう。
自分の生活が滞っているのは、単に生活や仕事が原因であるのではなく、
自分の心の中が窮屈になって、身動きが取れなくなっているからかも
知れません。
心が軽くなると、自然に名案が浮かんでくるものです。
幸せを手に入れる為には、必至に掴んでいるものを手放す事も大切なのです。