めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

被災地の復興は程遠く

2016-08-31 16:16:27 | 自然災害

関東をよける様に進んで、ほっとしたのもつかの間、
東北と北海道を縦断した台風は、またもや多くの傷跡を
残していきました。
この夏の台風をどうにか凌いで来た北国の人たちに、
止めを刺すかのように、多くの被害を与えました。

これまで、日本に被害をもたらした多くの災害は、
誰もが、次は我が身とは思ってもみません。
災害を免れると、被害にあった方々に心を痛めるも
いつか自分もそのような目に合うとは思わないのです。
しかし、災難は突然にやって来るものなのです。

テレビ画面を通して見るものとは、まったく異なり、
心も身体も、締め付けられる様な苦しさを覚えます。
特に、死を覚悟したときは、すべてに対して希望を失い
余りの無力さに、恐れも苦しみも消え、自分の存在すら
感じられない程の極限の感覚に陥ります。

どんなに恐ろしい災害の場面を見ても、自分が遭遇して
命の危険を感じない限り、人は、普段の日常的な感覚で
判断してしまいます。
その為、災害に合った人たちの感覚と、災害支援者達の
間の感覚には、大きな意識の違いが有るのです。

一番の問題は、心の問題であり、被災者たちの本音が

支援者たちに正しく伝わっていない事が多い事です。
助けてもらっていると言う負い目から、我がままを言ったり
不満を言う事は出来ず、支援者側の考えで復旧事業が作られ
被災者たちの心にやるせなさや憤りが生まれる事も
少なくありません。

巨大地震の後の復旧工事に於いても、被災者たちの意向が
中々反映されず、人々の思いとは裏腹に、単に、第三者の
思い込みで作られた新しい街は、便利で安全で機能的とは言え
元の思い出の詰まった街とは程遠い、日本中どこにでもある
愛着のわかない白々とした物となる事が多いです。

人々が何故悲しいか、それは、同じ地で、長い間生きて来た
家族や同胞が傷ついたり亡くなったりしただけでなく、
自分が育って来た、思い出の街並みや風景が変わってしまった事に
心から傷ついているのです。

しかしながら、復興計画は、ほとんどの場合、その地に関係ない
その街で住んだことも無い人たちによって、机の上で作られた
人々の思いとはかけ離れたものなのです。
確かに、二度と同じ被害をこうむらない様にと言う考えからの
しっかりとした都市計画なのでしょうが、その完成図は、
殆どの場合、被災者たちがもろ手を挙げて喜ぶものではなく、
新たなる知らない街に住むと言う、まったく心癒されない場合が
とても多いのです。

人工的な便利さを追求したような都会の町を基準にした街では、
故郷の先祖代々生きて来た魅力ある街とは言えないのです。
復興計画を行った人たちから見れば、助けてあげたのに、
喜ばない事は考えられないと思うのでしょうが、
新たなる街を見た住民の笑顔が、本心からと思っている様では
これからも多くの人々を苦しめる事と成ってしまうのです。

弱者に対する縦割り目線によって行われる復興計画は、
人々を助けると言うより、人々の心の中では、不幸計画とも言え
災害に対する根本を見直す事なくして、二重の災害とも
なりかねないのです。

私の故郷も、伊勢湾台風で多くの人が亡くなり、その後の
復興計画で、大幅に街の風景は変わってしまいました。
自然あふれた水郷の町は、単なる地方都市となり、
飲めるほど美しかった川の流れは、護岸工事でことごとく
下水道化され、今では、どこを見渡しても、故郷の形跡は有りません。

決壊した堤防は、倍以上の高さとなり、白い壁となって街を取り囲み
まるで刑務所の様な光景です。
街の自然は殆ど消え、宅地化と共に、都会の周辺都市の一部となって
帰省しても、一体どこの町なのか、地元の人間ですら首を傾げます。

新しい町並みには、他の地域からの移住者が入居し、今では、
殆どが地元民ではありません。
数百年続いた城下町の商店街は、あっと言う間に過疎化と共に消え、
目立つのは、周辺に一日中光絶えない中央から進出したコンビニ位です。

現在復興中の東日本大震災の被災地も、同じような雰囲気が漂っています。
連日土煙を上げトラックが行き交い、新しい街と新しい堤防が作られ
故郷の地が変わって行くのが、とても悲しいです。

いつか、街が完成して、その地を見た時、多くの人々が本当に喜び
新たなる街に住める事を誇りに思うでしょうか。
また、かつての素晴らしい自然に囲まれた美しい街や優しい人々を
知っている日本中の多くの方が、新しい地を心から喜ぶでしょうか。
地震に強い津波の害を受けない街として、胸を張るのは政府関係と
建築を請け負った関係者だけではないでしょうか。

我が故郷は、伊勢湾台風の様な大型台風が来ても絶対大丈夫な堤防が
作り上げられたと、当時の新聞には、大きくその素晴らしさを称えた
文面が載りました。
あれから半世紀を過ぎます。
半世紀の間、我が町は、一体どうなったでしょう。

堤防と復興計画で、故郷の全てを失い、人々の絆も消えてしまいました。

台風から町は守られたかもしれませんが、半世紀に渡り、街はさびれ
多くの人々が去って行きました。
所々に残されたお寺の鐘が時折鳴らされると、見慣れない新し街並みに
不釣り合いな響きとなって響き渡っているのが、一層物悲し気に聞こえます。


素晴らし思い出を作る為の人生

2016-08-30 16:08:23 | 昔良き時代

心配された台風は、関東直撃を免れましたが、
青森、北海道方面は、その進路にあたり、より一層の
警戒が必要となっているようです。

所で、今回の台風は、非常に不可解なコースをたどり、

東北地方に、初めて海から上陸する台風となるのでは
と言われるほど、予想を覆す進路を辿りました。

今月は立て続けに同じようなコースで東北地方に

近づいた台風は、今年発生した台風の少なさと共に
いずれも予想が立て辛く、最新のコンピューター予報を
屈指しても、予想予測が困難となっているようです。

この事は、近年の地球温暖化による異常気象が根底にあり

今や予測不能の事態が地球に起こりつつあるとも言えます。
近年の異常気象や地震などの大災害が、従来の予想を超えて
新たなる想定外の時代となっているようです。

私たち日本人の祖先を育てて来た、豊かな日本の四季は

もう過去の時代となっているのかもしれません。
季節を巡る日本の美しさは、過去のものとなり、
新たな、まったく別の日本の自然が作られているのかも
知れません。

日本中の至る所で異変が起こり、異常気象が頻繁に起こります。

しかし、この異常とか想定外と言いう言葉を出すとき
私たちは、かつての日本の自然、日々の生活を基準として
現実を受け入れない事から、悩み苦しむのかも知れません。

あの頃、あの時代はどんなに素晴らしかったかと、

思い出すのは、自分の心を喜ばせ震わせたことばかりです。
しかし、現実には、それと同じく、苦しく悲しい事も
沢山有ったのです。

もし、後数十年経って、今を振り返れば、同じように

バラ色の日々を想うかも知れないのです。
つまり、いつの世も、私たちは過去に縛られ、過去の楽しさ
過去の自分の存在を認めたいのです。

ならば、今の時代今の生活は、未来に於いては、

素晴らしい過去となるのです。
自分が生きた記憶はすべて素敵な過去に変わって行くのです。

次々に訪れる想定外の出来事、異常な出来事、これすべては

新たなる自分の思い出に変えられるチャンスでもあるのです。
問題は、一つ、何も行動に移さず、反応せず、過去の想いに
自分の心を向け続ける事です。
過去への郷愁は、心を和ませ、気持ちを癒します。
しかし、前には進みません。

新たなる現実を受け入れ、そこで生きる事を目指す事、そして

新たなる歴史を刻むことが、不安不信から逃れる事になるのです。
これから、地球は益々私たちの想定を超えた表情を見せるでしょう。
そして、私たちの生活も、想定外の出来事が起こるはずです。

その時、受け入れるか、過去を見るかで、生き方が決まります。

新たなる事に足を踏み入れた時、その行動の結果が如何であれ
進めば、また、思いめぐらす楽しかった過去が生まれます。
どんな時代が来ようと、歩む事進むことを止めなければ、
道は出来、その過ぎた過去は新たなる想いと変わるのです。


日本人にとっての自然は、何?

2016-08-29 18:03:44 | 日本人

八月になって、急に日本本土に近づく台風が多くなりました。
今日も、東日本や北海道をめがけて大型の台風が北上しています。
断続的に降ったり止んだりする空模様は、台風が近づいているのを感じさせ
また、どこかで、被害が出るのではと心配になります。

日本は、昔から自然災害に見舞われることが多く、歴史的に見ても
繰り返し、天災ともいえる大きな災害に、止むことなく見舞われ
私たち日本人の歴史は、自然災害と共に作られて来たとも言えます。

度重なる大災害に、私たち日本人に与えて来た影響は極めて大きく
人々は、如何に災害から免れるかと言う事に頭を使ってきました。
しかしながら、私たちの祖先も、大自然の猛威に立ち向かおうも
幾度となく跳ね返され、その度に、沢山の犠牲に苦しみました。

とは言うものの、自然がもたらす脅威は、人々に多くの犠牲を
強いるだけでなく、様々な恩恵を授けてくれる事を学びました。
大雨の後、濁流は、山から多くの栄養を運び、大地を潤しました。
河川の氾濫は、土地を広げ、豊かな土壌を生みました。

人々は、自然の猛威を恐れるものの、大自然からの豊かな恩恵に
心から感謝し、人と自然が如何に同調して生きて行くかを学び
人々が、自然に生かされている事を知りました。
その為、災害が起こっても、心の底から災害を憎しんだりせず
災害を次の生活に生かすことを考える様になりました。

所が、この自然と人間とのバランスが壊れて、本来の日本人の
姿が失われて、自然を作り変え利用するとする西洋の資本主義思想が、
先祖伝来守られてきた日本の美しい自然を破壊してしまったのです。

日本中が工業化に向かい、海や山の自然はことごとく破壊され、
それまで日本人の身体と心を育てて来た美しい日本の自然は
至る所で無残にも傷つき壊されて行ったのです。

自然をねじ伏せ、自分たちの物として利用する事を前提とした国策は
大地と水界を人工的な護岸で仕切り、海と陸を繋げる命のベルトを
消し去ってしまいました。
海洋生物の多くは、浅い光の届く酸素の多い水域で生まれ育ちます。
日本が世界的に豊かな水産資源を誇っていたのは、山から生まれる
豊かな栄養やミネラルが、浅い海に多くの水生生物を育て、育った
水産資源が私たちの食を守って来たのです。

護岸で仕切られた沿岸は、工場廃液や生活汚染で死の海と化し
いまだ日本の沿岸のほとんどが生物たちにとって苦しい環境となっています。
日本人の生活は、便利で豊かになったとは言え、私たちの住む国土は、
生き物たちが生きて行くには厳しい環境で有り、実は、私たち人間にとっても
非常に厳しい環境であるのです。

あらゆる人工物は、人々の心を悩ませ、ストレスは溜める事はあっても
心を癒す場は、非常に少なくなっています。
見てくれの自然は、外見的には美しくとも、本当に人々の心を癒すとは言えず
万物に神を感じる生活を長きにわたってして来た日本人にとっては、
非常に息苦しく、多くの病を生むことにしかならないのです。

自然の驚異に対しても、力を持って対抗しようと、日本中の自然を破壊して
見るからに殺風景な護岸や堤防を延々と作り上げました。
美しい白浜も全国から消え、海と陸を繋ぐ日本の美しさはいたるところで
醜い人工物に変わっています。

そんな人工物で囲まれて育った人間がどうなるか、いやと言うほど見てきました。
自然のみならず、人々の心も渇き、かつての美しい日本の自然と暖かい人の輪が
遠い昔となってしまった我が故郷が、今では悲しく思えててなりません。

地球温暖化に伴い、自然災害も多くなって、我が国の未来が危ぶまれます。
頻繁に起こる大地震、如何に対処するかでリーダーたちは必至です。
そして、国を挙げて、自然に立ち向かうべく、日本中の海と陸を高い堤防で
仕切ろうと考えています。
そうすれば、想定通り、被害を被らないと考えているのです。

しかし、このまま日本は、巨大な堤防で陸と水界が仕切られて行くのでしょうか。
その様な対策が、本当に国民を幸せにするのでしょうか。
潤うのは、工事関係者だけではないのでしょうか。

今も、日本の海岸は、どもまで行っても、見苦しい護岸で覆われています。
特に人々が住んでいる地域は、完全に海や川とは、高い護岸で仕切られています。
しかも、その前の海は、高度成長期と変わらず汚染された海水が打ち寄せています。

何故、日本人が本当に幸せになれないのか。
豊かになる事は、経済的な事でしかないのか、人の上に立つことしか自分の存在を
感じられない愚かな人間が多くなっているのか。
太古の昔から私たち日本人の心と身体を作り上げて来たDNAが、私たちに警鐘を与え
身体も生活もすべてにトラブルとストレスを与えている様に思えてなりません。


 


日本人が知らされない危機

2016-08-27 19:18:33 | 東京

久し振りに弟と会い、つかの間の食事とおしゃべりでしたが
遠く離れた兄弟が訪ねて来ると、とても楽しいものです。
東京に仕事で訪れた為、二人の時間調整が出来ず、仕事の合間に
自宅の近くの店で会う事と成りました。

4年振りぐらいでしょうか、久し振りに会ったとは言え、

本当に短い時間で、じっくりと話すこともできず、足早に
お互いの仕事場に分かれました。

弟は、一年の内のほとんどを仕事で香港に住んでいて、

時たま帰国するも、東京までは足を伸ばすことは少ないです。
その為、最近では、日本人と話すことが少ないせいか、
兄弟の中でも、異国人と思われ、立ち振る舞いは殆ど中国人です。

そんな彼は、血液関係の仕事をしていて、長い間、多くの人の

体液や血液の研究をしています。
その為、私たちの身体に取り込まれる食品や食品添加物に対し
異常なくらいうるさく、自分の食べるものから、他人の食べるものまで
神経をとがらせます。

その為、東京に来てレストランに入っても、何を食べるかは、

食べたいものと言うより、何が使われているかが気になります。
私たちが、日頃食べる、パック詰めの食品の裏に書いてある表示には
ことのほかうるさく、食べたものの毒性から、身体に与える影響まで
事細やかに説明します。

まあ、それが仕事なのですから、仕方がないのですが、そんなことを

気にしていたら、何も食べられなくなってしまうと言って、
笑いながら何でも食べる私を怪訝そうな目で見ています。

所で、彼のもっぱらの心配事は、福島第一原発事故による放射能汚染です。

この事は、日本よりも香港、台湾、韓国と言ったところでは、はるかに
危険性を感じていて、台湾や韓国では、日本からかつて多く輸入していた
沢山の食材が今では全く流通していないそうです。
香港も同じく、日本政府が大丈夫とお墨付きを付けた食品の多くが
輸入されていなとのことです。

この事は、日本に比べ、余りにも周辺国が過敏に成りすぎているのではと

思ってしまうのですが、その安全基準が、日本と周辺国とは全く違い
中には、日本のどこで採れたものでも輸入禁止となっているものもあるそうです。

実際、安全基準はどの程度が一番良いのかは、日本政府にとっても、簡単に

決められず、日本の値は、流通に支障をきたさない為に決められた値でもあり
周辺国の心配が現実となるかも知れないのです。

特に、東京近辺は何の被害もなかったかのように発表され、関東の至る所で

高濃度の放射能汚染が見つかっても、今では、その事自体を議論する事は
全くありません。
つまり、放射能による影響は、関東、特に東京では全く心配ないとしています。
この事は、政治的配慮による数字であり、その数字を信じる私たちは、本当に
案ずる必要がないのか、それとも、社会の流通の為に飲まなければいけない
数字なのかは、ある意味博打の様なもので、もし、なにかあれば、お決まりの
想定外、と言う言葉で逃げられるのかも知れません。

しかし、個人的な見解を言えば、間違いなく大きな影響が有ります。

あの事故の後、東京湾の状況がまったく変わってしまった事を、多くの人が
知りません。
東京湾は、高度成長期の汚染で、かなり生き物たちが痛めつけられ、その回復に
多くの時間が掛かっています。

見た目の美しさは戻ってきましたが、水質は殆ど変わらず、湾内に流れ込む

生活汚水や工場排水は、多くの生き物たちの生活を脅かしています。
化学的な調査をしたのではないので、極めて個人的な見解ですが、
気になる変化が続いていて、いつも心のどこかに引っかかっています。

私の趣味が釣りであり、東京湾の有る場所に、20年来出かけています。
そこは、工場地帯の近くにある護岸であり、潮通しがよく、東京湾でも

多くの釣り人が通う場所です。
年間を通して様々な魚が釣れ、種類も多く、帰る時はそこそこの大漁になることも
珍しくありませんでした。

しかし、あの時から、海の状態が激変したままなのです。

地震の一か月後位から釣りに出かけているのですが、4月の半ばに言った時、
急にまったく釣れなくなりました。
問題は、釣っている時、頻繁に水面下を泳ぐ様様な小魚が全くいなくなったのです。

この時期、春の魚が水温上昇と共に頻繁に竿を曲げるのですが、その日は全く釣れず、

空のクーラーを肩にして帰ったものです。
しかし、この年、10回ほど同じポイントに出かけるも、半分は全く釣れず、
水面を見ても、小魚も様々な海洋生物もまったく泳いではいませんでした。

更に、事故前に、沢山群れていた海鳥は、何か月も姿を見せず、波打ち際には

当たり前にいた磯ガニの仲間も見られません。
こんな状況が4年程続きました。

5年目となる昨年は、少しづつ釣れ始めたとはいえ、今度は、釣れる魚がすべて

以前釣れたものより一回りも小さく、身体の成長具合が悪いものばかりです。
事故以前から釣果を記し、写真も撮って来たのですが、前後の状態を比べると
同じところで釣ったものとはとても信じられない程です。
この不漁の状態は、いまだ続いています。

本来ならば、陸も海も川も、詳しく調査されるべきことであり、一介の釣り人の

つたない記録を見たとて、それが放射能の影響とは言えないでしょうが、
東京湾のこのピンポイントであっても、これほどにも変化がある事を
なんと理解したら良いのでしょうか。

店のメニューから、一番安全と言うものを頼んで食事をした後、

弟とは土砂降りの雨の中を別れました。
今私たち日本人は、本当に安全なのか、私たちの未来は生活はどうなるのか
日本人にとっての未来は、まるでブラックボックスの様に、国民から閉ざされ
ただ、他国の人たちからその危険性を心配されている様に思えてなりません。


生きるために必要な事

2016-08-26 11:44:47 | 日本

東京に住んでいると、世界中からあらゆる物が集まって来て
お金さえあれば、何でも手に入る様に思ってしまいます。
衣食住に関わるものは町中に溢れ、特に、食料に関しては
どこに行っても、日本中から世界中からあらゆる食品が集められ
正に飽食日本と言った感じです。

しかし、世界に目を向けると、今や、多くの国や地域の人々が
日々の食料すら得られない状況にあります。
その事に依る争いも頻発し、各地の紛争は、基本的に資源と
食料の不足が原因となっている場合が多いものです。
この事は、ここ数十年の世界の紛争を見ても、食料を得るため
資源を得るための土地の奪い合いに依る場合が多いのです。
更には、現在問題になっている、領海侵犯、領海外進出も、
根本には、国内における将来的な食料資源不足を考えての
行動とみられます。

私たちの国は、先進国であり、何でも手に入ると思っている方が
多いかと思いますが、日本の立場は、非常に厳しく危うい状態です。
食料に関しても、自給率の悪さは相変わらずで、諸外国からの
輸入が途絶えれば、我が国の食は、すぐにパニックとなります。
もともと、資源の少ない国であり、輸入に頼っていたのですが、
近年の世界的な食糧危機や資源不足で、日本の未来は不穏な空気が
漂い始めているのです。

特に、食料に関しては、自給率の悪さは深刻で、大都会の店舗に
溢れる食料品は、正に砂上の楼閣の様なもので、もし、輸入が
途絶えれば、その様子は惨憺たるものになるのです。

私たちが、将来的に食を確保するには、自給率を上げるしかないのです。
その可能性が見いだせるのが、我が国の周りを取り囲む領海です。
本来、我が国は、世界的な漁業資源を持った国でした。
しかしながら、過去100年程の間に、資本主義国家を目指し、
ありとあらゆる我が国の資源を枯渇させてしまったのです。

この事は、特に、漁業生産高を見れば顕著であり、我が国の領海内で
私たちの食料の糧を得られなくなってきているのです。
原因は近海の汚染と乱獲に他なりません。
生き物たちが生まれ育つ浅い海をことごとく汚し、更には、食料となる
親魚を乱獲したため、著しい水産資源減少を招いたのです。

昔の日本の海は、豊穣の海と言われ、浅い海には、様々な海洋生物が
溢れていたものです。
夏に海水浴に行けば、波打ち際には、ヨコエビが足元で飛び跳ね、
膝程の波打ち際は、小魚がいたるところで群れていました。
腰ほどの深さで遊んでいると、頻繁に、砂に隠れたカレイの子供を
踏みつけたり、周囲を巡る魚の群れを普通に見たものです。

今では、サーファーでにぎわう砂浜には、ほとんど生き物は見られず、
例え潜ってみたとしても、サーファーの足とボードが見えるだけです。
少し岩の多い浜に行けば、沢山のタイドプールが有り、そこに居る
多くの生き物に驚かされたものです。
簡単に言えば、今、水族館で見られる多種類の生き物が泳ぐ水槽が
そのまま幾つもあるのです。

私たち人類は、多くの生き物と共に、食物連鎖の下で生きてきました。
生き物と言えば、目に見える魚や動物の様なものを思い浮かべるかも
知れませんが、あらゆる生き物の中には、私たちの体内で生きている
微生物もその一つなのです。
全てがバランスを取り合って生活できる事が、人類が健康に種を繋げる
要因でもあるのです。

今や、世界中の生き物が絶滅に向かっていると言われます。
100年前には、一年で一種類が絶滅していました。
しかし、現在、一日に100種類が絶滅しています。
その種類が、人類と深くかかわっている動植物にまで及び始めているのです。
そのスピードは、地球の歴史が始まって以来の速さと言われています。

何でも手に入ると思われる生活は、実は、幻想であり、目の前に
何も手に入らない生活が迫っているのかも知れません。
もう一度、自らの周囲を見渡し、自分にとって本当に必要なものか
しっかりと見極め、世界の人々とだけでなく、あらゆる生物と関わって
生活している事をあらためて考える必要がある様に思えます。