めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

核戦争がもたらすもの

2017-08-10 14:39:20 | 破滅

今や、二頭のオオカミが吠え合っています。
どちらも、相手が少しでも気に入らない行動を取れば、食い殺すと意気込みます。
一発触発ともいえる状態で、周りの森の動物たちは、彼らの動向に固唾を飲んでいます。
お互いに牙を磨き、自分に逆らうものは、一瞬にしてかみ殺すと吠え立てています。

彼らの最大の問題点は、自分達の背後には、自分を支持する多くの人達がその行為を
称え支持してくれていると思っている事です。
沢山の同胞や支持者の思いを、自分が彼らの思いを口にしているかのような錯覚を
している事です。
しかしながら、実際は恐怖政治におののき、心にとは裏腹の行動言動を行っていたり、
戦争による巨大な利益を目論んでいる人々に利用されている事も有るのです。

しかし、問題は、この威嚇の行動が、さらに一歩進んで、戦争の火蓋が切られた時です。
戦争が現実のものとなった時、自分達が想像する遥かに悲惨な結果が待っているのです。
どちらも、核戦争の被害を受けた事は在りません。
その惨状は、我が国の広島長崎の惨状を見れば解る様に、半世紀以上もたって、いまだ
悲しみや苦しみ怒りは消えていないのです。
お互いの国の同胞が、同じ惨禍を受けた時、国民は、どれ程苦しい思いを背負い、
長きに渡って、苦しみ続けるかが解っていません。

福島第一原発の事故で、放射能がばらまかれただけで、世界的な脅威となり、日本はこれからも
その重荷を背負い続けなければならないのです。
もし、核爆弾として都市部にさく裂した時、その惨状は、筆舌に尽くし難い人類全体の
重い苦しみの過去と成って消える事は無いのです。
その悲しみと怒りは、更なる憎しみと成って、残された人々の復讐の炎を大きくするかもしれません。
いつまでも絶える事のない殺りくが世界中に広がって行く可能性もあるのです。

たった一人の過ちが、世界中の人々を不幸にして行く可能性が有るのです。
戦う事で新たなる素晴らしい未来が有るのならまだしも、確実に、地球全体が人類絶滅の道を
辿るかもしれないのです。
ただでさえ、ここ数百年での、生き物達の絶滅スピードは驚異的です。
このままでは、地球の歴史で何度もあった、生物大絶滅の日が、急速に近づくかもしれないのです。
当然、これは、人類の地球環境を破壊した結果なのですが、更なる追い打ちをかける事に
なるかもしれないのが、この2頭のオオカミの威嚇行動です。

これまでも、様々な独裁者に依る虐殺行為や戦争行為が知られていますが、そのどれもが
終わってみれば、人類の生活を根本から変える物ではありませんでした。
過去の歴史として、人々の記憶に残る事が有っても、その事が未来まで影響するものでなく、
時代と共に新たなる社会が築かれて来たのです。

しかし、今回の危機は、未来の人達や地球環境にとって、最悪の影響を与えかねないのです。
残された人達も、多くが原爆症で苦しみ、私達が生きるために利用する動植物に対しても
どれ程想像できない程の問題を生むかも知れないのです。
例え彼らが戦争で生き残ったとしても、彼らの行動は、勝っても負けても、生き残った人々や
未来の人々には称賛されず、人類の恥部として、醜い歴史の1つとして記憶されるのです。

つまり、どんなに強力な兵器を使って相手の叩きのめしたとしても、その結果は、世界にとって
最悪のストーリーを生むのです。
これまで人類が経験した事のない苦しみを担う事になるかも知れないのです。
核兵器を使って相手を打ちのめしても、その後の世界は、人類が最も恐れる死の世界なのです。
そんな悍ましい世界を作った人間を、誰が認めるでしょう。
自分達の行為も、自分達も、人類全体から否定されると言う事実を背負う事になるのです。

もし、戦争が起こったら、この戦いは、間違いなく、全ての人々を不幸のどん底に陥れるのです。
一時の感情で振り下ろした斧が、自分の愛する人々の上にも惨禍をもたらすのです。
戦争は、その事で利益を目論む人達以外には、勝っても負けても不幸を呼ぶものなのです。
核戦争は、人類滅亡へのプロローグと成る可能性が高いのです。
どんなに考え方が違っていても、相手に対する怒りが有ったとしても、核戦争だけは
決して行ってはならないのです。
核戦争に勝者は無く、人類の未来を危うくするだけなのです。

しかしながら、両者の国民は、核の恐ろしさを体験していません。
より強力な兵器で戦えば、必ず勝利が得られるという、過去の戦争の様な単純な考えしか無く、
勝利した時の喜びしか考えていません。
日本人は、唯一、核の地獄を体験しました。
例え、同じ日本人であっても、その本当の悲惨さを知っている人は少なく、体験した方々は、
例え人々にその惨状を語ったとしても、口で言い表す事は殆ど不可能と言えるほどの
酷さなのです。

戦争が終わって、国の至る所で核爆弾がさく裂した事で、数えきれない程の命が失われ、
残った人も自然も放射能で汚染され、長きに渡って苦しみ続けるのです。
国民も指導者達も、その苦しみを背負って生きて行かなければならないのです。
一時の過ちが、何十年も、何世代も、果てしなく人々に苦しみを与え続けるのです。
自分が守るべき国民が、何世代も苦しみ続けるのを解っているのでしょうか。
当然、その苦しみは、自らに返って来るのです。

争って白黒をつけて、先に進むことが出来る戦争ではないのです。
人類の未来を創る役割は全く無く、人類の滅亡を予感させる結果と成るのです。
勿論、戦争は、大小にかかわらず、決して行ってはならない物なのですが、
人類の歴史の中で数多く行われて来た戦争とは、意味が全く違うのです。
生き物全てを絶滅に追い込みかねない戦争が、核戦争なのです。

ーダーたるもの、いかなる場合も、破滅的な政策をとってはならないのです。
それがリーダーの役割であり、リーダーたる所以でもあるのです。
自分達の浅はかな行動が、全ての人類を破滅に導く可能性が有る事を考え、
まずは、矛先を納め、怒りを鎮め、しっかりと相手に耳を傾け、
お互いの利益を考え、リーダーとしての役割を果たす事が重要と言えます。


大絶滅はAIによって引き起こされる!?

2017-06-17 15:17:11 | 破滅

連日メディアを賑わせているのは、国民から選ばれた英知の塊
ともいえる方々の、余りにも幼稚で我儘な答弁ばかりです。
誰が見ても言い訳としか思えない事を、公共の電波を利用して
何度も繰り返す姿は、国民が期待しているリーダー達の姿ではなく
単なる無能者集団に過ぎません。

国民が出来ない事、望む事を代弁し、国民を幸せにする使命をもって
国内外の仕事に精を出す義務を担っていると思えるのに、外面だけは
期待感を持たせながら、陰でこそこそと私財を増し、我欲の達成に
努めているとは、本当に情けないと言うより、そんな彼らを日本の
代表としてしまった私たち日本国民の一生の不覚とも言えます。

しかしながら、人間は、もともと不完全で、様々な失敗を繰り返し
それを反省しながら進化してきました。
文化の発展と言うのは、不完全であるからゆえ成し得て来たと言え、
様々な事にチャレンジし、その結果を踏まえて、より豊かで幸せな
人生を送るべく努力した結果ともいえるのです。

どんなに優れていると思われる人でも、一人では成し得ない事が多く、
沢山の人々の助けを得て、誰もがより豊かな生活が出来る様に、
私達人類は長い歴史の中、努力してきたのです。
その為、人類が増えるにつれ、多くの人々が幸せに生活できる為には
人々の総意を反映できるリーダーが必要でした。
国民の思いを託されたリーダーの元、多くの人々が幸せになる道を
選んで、遂行していく役割が大切で有ったのです。

人々の未来は、このリーダーによって決まると言っても過言ではなく、
常に、リーダーは、国民の思いに敏感であり、リーダーの思いと行動は
国民の思いと同じでなければならないのです。
確かに、国民に注意を払って、常にに気にかけていると思える事もある
と言えない事も無いのですが、それは、ほんの一部の国民に対して、
しかも、殆どの国民が知り得ない所で行われているのが問題です。
大多数の国民には背を向け、自分の欲望を満たしてくれる人たちに対しては
尻尾を振っている実態がいつの世も国民を苦しめるのです。

政治家と富裕層の結びつきは、今に始まった事ではなく、その繋がりが
背景としてありながら歴史が動いて来た事実があるのです。
その一端が暴露されると、メディアがこぞって取り上げ、連日、紙面を
賑わせてきたのです。
つい数か月前の韓国大統領と企業家の問題は、日本においても同じで
多くの場合、氷山の一角であり、国民が知り得ないパンドラの箱なのです。

しかしながら、何故、同じような人が次から次へと生まれて来るのでしょう。
人間は、過去の過ちを改める事に依って、より豊かで便利な文化的な生活を
築いて来たはずなのですが、その陰で、いつも、人間の欲望が生み出す、
醜い部分が付いて回ります。

新たなる政権に就いた方々は、それまでの悪口を改めるべく、声を上げて

国民の代表となったはずです。
それが、しばらくすると、いつの間にか、私達から遠い存在と成り、
権力の座に胡坐をかくだけでなく、お金の臭いにだけ鼻が利く、
タヌキやキツネの仲間入りをしてしまいます。

常に、国民の上に立っていると言う驕りが、自分達の欲望を叶える

引き金と成って、次第に、我儘で狡猾に成って行きます。
どんなに人々の代表と言われる程の能力が有ると認められていても、
自分達の使命を簡単に捨ててしまい、権力の座に就いたとたん
私欲に走るとは、とても日本人の代表とは言えません。

とは言う物の、歴史を紐解けば、この、情けない繰り返しが、人類の歴史

とも言え、彼らだけでなく、人間そのものに欠陥があるのではと思えて
彼らを責めるだけでは、何の進展が無い事も思い知らされます。
と成ると、この先、今の方々に変わるリーダーが現れたとしても、 
この繰り返しではないのかと言う、大いなる落胆を抱いてしまいます。

この現実を変える事は、永久に無理なのでは、貧乏人は永久に貧しく

裕福な方々は、何時までも裕福と言う歴史が繰り返されると
思われてしまいます。
しかし、遂に、この歴史が大きく変わる時代がやって来るかも知れません。
人々は、全て平等に、そして、これ程にも傷め付けれれて来た大自然も
人間によって傷め付けれれる事のない時代が訪れるかもしれません。

そう、人類に変わる、AIが新たなる時代を作るのかもしれません。

私達の生活を便利で豊かにするために発明されたコンピューターは、
長足の進歩によって、今や、人類のあらゆる部門の中心で働くようになり
私達の生活は、コンピューターを使う事に依って、時間的にも経済的にも
よりスピーディに様々な仕事をこなす事が出来る様になりました。

その事で、人間が行って来た様々な業務が、一手にコンピューターで代行され

多くの人々は、様々な仕事から解放され、より多くの夢を満たす事が
出来る様になったのです。
この事は、人類の夢の時代として、大いに歓迎する人々も多いのですが
彼らの考えは、今までと同じく、AIを人類が管理支配するものとして
考えている事が心配です。

つまり、どんなにコンピューターが進化しても、人間が作った物ゆえ

人類を超える事が出来ないと思っているのです。
しかしながら、私達が思っているよりも遥かに急速に事態は変わっていて
私達が生活を豊かにする為に利用しようと思っていたAIが、私達以上に
能力を身に付けて来たのです。

機械では考えられないとした、人間的感情や、自己修正機能が、日々

著しく進化し、ここ数年もすれば、一人の人間の機能と変わらない
思考回路を持ったAIが生まれると世界中の学者に囁き始められたのです。

完璧な頭脳と、修正能力、更には、感情を持った機械は、人間の能力を

遥かに超えて、常に、自らを進化させていくと言うのです。
人間がコンピューターを使って様々な事をスピーディに機能的に行うより
機械が機械自体により優れた情報を与える事に依り、人間が扱うよりも
遥かに高速で、目的を達成できるのです。

簡単に言えば、人類は必要が無いとも言えるのです。

しかし、全てを機械が行ってくれれば、人類はより自由に幸せに生きられる
かと言えば、機械は、これまでの人類の蛮行を見て、どの様に判断するか
この部分を多くの学者が一番恐れているのです。

人類の僕としての存在ならまだしも、人類よりもより優って、しかも

過去の失敗は繰り返さない英知が有るとしたら、常に、過去を顧みず
失敗を繰り返し、更には、地球の生き物達にとっては、諸悪の根源とも
言える人類の存在は、AIにとって、どの様に判断されるか、考えただけで
SF映画にでもなりそうな恐ろしい事態が考えられます。

これまで、地球の歴史の中で、幾度となく、大絶滅という、地球規模の

生物絶滅の時期が有りました。
大気の変動であったり、火山や地震と言った天変地異であったり、
はたまた、地球外からの隕石襲来で、殆どの生き物が死に絶えた時期が
有ったのです。

しかし、次の大絶滅は、人類自体が創り上げた、人類に限った大絶滅

と言う可能性が有るのです。
自分達の事だけしか考えない人類に遂に天罰が下るのかもしれません。
しかしながら、これまでの歴史を見ても、人類が地球の環境に与えた
様々な行為は、決して、地球の生き物達にとっては相応しいとは言えず、
むしろ、多くの生物を絶滅させてきた悪の業績とも言っても良いのです。

今や、世界はテロや戦争で、人々の心は怯え悲しんでいます。

しかし、これらの行為も、人間が長い歴史で行って来た蛮行の1つであり
人間が何時まで経っても進化できない部分でも有るのです。
人間同士が幸せになる為と言うより、今こそ、地球全体にとって
人類はどう有るべきかを考える時代かもしれません。
いずれ、AIによって天誅が下されるかもしれませんが、それまでに
人類全体が、生き方考え方を変えない限り、私達の未来は、
抹殺される運命に有るのかもしれません。

 

 

 

 

 


人の心を狂わせるパンドラの箱

2015-06-24 15:28:03 | 破滅

大自然の営みは、私達に様々な恩恵を与えてくれます。
春夏秋冬、その移り変わりの素晴らしさに感動し、
そこから得られる命の糧は、心も身体も豊かにしてくれます。

文明の進歩は、この大自然から得られる様々な恵みを得て、

今では、地球の未来を決めてしまう程、強大になってしまいました。
求める事を止めない人類のエゴは、あらゆる資源を枯渇させ、
多くの生物を滅亡させ、更には、太古から営まれてきた大自然の
リズムすら壊し始めました。

人類の英知が私達を成長させ発展させてきましたが、その反面

多くの負の影響を地球に与えてきました。
かつては、人類がどれ程自然からその富を搾取しようとも、地球の持つ
その懐の深さと豊かさは、十分に答える事が出来ました。
しかしながら、その許容量が今でははるかに超えて、地球自体が
異変を唱える事態となっているのです。

私達は、ややもすると、日常生活に囚われ、大自然との関わりを忘れ

事の重大性を認識できないでいます。
多くの人々が、今地球がいかに危険な状態にあるか、客観的には
知ることが出来ても、我身として感じる事は無いのです。

異常気象による、台風や天変地異、更には、足下を揺るがす地震や

火山噴火と、様々な事が急速に増えてきています。
しかし、これは、あくまで序章に過ぎないのです。
何故なら、どんな惨事も、自分が直面しなければ、単なるニュースに過ぎず
殆どの事が、一過性の出来事として捕らえられるからです。

あの東日本大震災でさえ、多くの日本人にとって、過去の出来事であり

自分自身の事として心を震わす事とはなっていないのです。
しかし、本当に怖い事は、これから起こりつつあるのです。
それは、一度起これば人類すべて、地球に住むすべての生物に影響し
行く末は、滅亡の文字があてはめられるほどの事です。
それは、一体、何でしょう。

巨大隕石が地球に衝突しする様な、地球規模の大災害がやって来るのしょうか。

それとも、新たに世界が戦争に巻き込まれ、地球全体が争いの場になるのでしょうか。
今まで私達や地球の生物が体験した大参事が思い浮かぶかもしれません。
しかし、それは、もっと静かで思いがけない所から始まるのです。

私達は、地球上で、あらゆる物と関わり合い生きています。

地球資源を利用したり、人々がお互い協力し合ったり、生物同士が
食物連鎖で関わったりして存在しています。
これは、どんな惨事が起こっても、無くなる事が無かったため、いずれ復活し
また、文明が発達し、生物が繁栄してきたのです。

つまり、最大の危機は、この繋がりがいつの間にかに断ち切られて行く事です。

まずは、食料の不足が、世界の紛争をより複雑に大きくしています。
地球上の生き物の一つである人類が、生きるための糧を失い始めたのです。
同じように、世界では、水が非常に不足しています。
日本は、四季を通じて降水量に恵まれて居る為、水不足は夏に一時期ほどしか
体験しません。しかし、今や、世界は、水の確保が国の安定を図るほどと
成っているのです。

そして、いつも意識の無い、空気の存在です。

大気の異常な変化として、嵐や大雨を感じても、生きて居る為に不可欠な空気の
心配は誰もしません。せいぜい、大気汚染位でしょう。
しかし、今や、大気を完全に有毒化する施設武器を私達は手に入れました。

かつて武器として利用されることに懸念されましたが、今や、世界の大都市周辺に

地球資源に変わるエネルギー源として、設置されるのが当たり前となった施設が
問題です。ちょっとした地殻の変動の結果、容易く壊れ、世界の命を縮める危険な
空気をばらまく様になりました。
無毒化するまでは、悠久の時間が必要であるにもかかわらず、世界はこの便利な
施設を相変わらず使用して、目先の電力源として利用し続けています。

そして、最後に、人々の心を簡単に操れる便利な情報機器が生まれた事です。

世界中の人々を簡単に洗脳し、世界の人々を戦慄の恐怖へ陥れるのも簡単であり、
人々の心を自由に変えられる可能性が出てきました。
これまで、様々な災害や争いも、終われば元に戻りました。
しかし、心を変えられてしまえば、もうそこに、元の人間関係は生まれません。

私達は、自然を変えて来ただけでなく、ついには、自分たちの心をも操り

破滅の道へ進む可能性が生まれてきたのです。
自然への思いやり、人間同士の関わり合いがこの地球の平和を維持する
根本の条件と言えます。
この、生き物にとって根本を揺るがす事態にまで、私達人類は踏み入っている事を
知らなければなりません。