めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

無くなること無い不祥事

2018-03-26 17:17:23 | 日本人

 

お隣の韓国で、またもや、元大統領が逮捕されると言う非常事態が
起こっていますが、我が国に於いても、驚くべき政治の実態が暴露され
今や、国会は空転状態とも言えます。
日本政治史上、類を見ないともいえる程、政治家たちの醜い部分が暴かれ
如何に収拾するか、与党のみならず、国会議員全員にとっても、如何様にして
襟を正し、国民の信を取り戻すか、議会制民主主義の根幹にかかわる大問題
と成っていると言えます。

とは言え、いかなる審議を繰り返そうと、行った不正は、既に、国民の信頼を
完全に失うものであり、議論を繰り返し、その真偽を確かめると言う
玉虫色の決着をして、国民の追求の手を逃れようとする厚かましさは
これまでの政治家の逃げ口上と変わりません。
例え、今回の事件で責任を問われても、また月日が経てば、選挙に出馬し
またもや、政界に復帰する為の甘言を並べると言うのが常道であり、
どんなに悪徳行為を行っても、喉元過ぎれば、またもや受け入れてもらえる
という、我儘で国民の代表とは程遠い政治家を生み出す温床となっています。

しかし、何故、政治家の不祥事が無くならないのでしょうか。
国民の代表として、国民の為に働いているはずなのに、いつの間にか、
我々の代表とは程遠い存在となっています。
国民と向かい合うのは、唯一選挙だけと言ってもよく、当選してしまったら
その後は、雲の上の様な存在となり、私達とは遠い所で、私腹を肥やしている
そう思うと、腹が立つ以上に、この様な無能者を選んでしまった私たち自身を
悔いるしか有りません。

とは言え、この、国民の期待を裏切るのが日本政治の実態である事も事実なのです。
理想は、国民の代表として、私達を幸せで豊かな生活に導いてくれるのが、
彼らの役割であり、常に、国民と向き合って、国民の利益の為に働くのが
常道と言えるのですが、残念ながら、頑張ってはいるのでしょうが、
伝わって来るもの、目に見えて来るものは、国民に背を向けた、期待を裏切り
更には、不正行為を平気で行う様な悪徳な姿ばかりです。

どの世界でも、上に立つ者は、支持する人達の想いを反映させる義務が有り、
その為にも、多くの利益が得られる様に、生活が守られているのです。
国会議員にしても各官僚にしても、税金から、自分達の地位に相応しい
多くの所得を手にしているのです。
国民の多くが苦労する日常生活を体験する事無く、豊かな生活が保障され
様々な特権が与えられています。
にも拘わらず、更なる利益を求め、国民の思いを裏切るには、どれだけの
理由が有ると言えるのです。

この理由は、この資本主義社会、消費経済社会について回る、上に立つ者の意思が
下に付く者の意思とする、独裁的独占的権限です。
少しでも上に有る者の考えが優先され、時に絶対的な権限として行使される
つまり、相撲の番付の様なものであり、日本社会は、より経済的に豊かな人が
絶対権力を握れるのです。
最近メディアで盛んに取り上げられる社会問題の原点は、この日本社会が生む
縦社会の我儘と言えるのです。
角界の暴力問題、セクハラ、パワハラ、そして、政治家たちが起こす問題は全て
資本主義社会が生み出す、上下関係がトラブルの原因となっているのです。

幼い頃から、人と比べられ、経済的に人の上に立つことで我儘が認められ
個人の価値や評価は、人間的なものではなく、社会性経済性の高さであり
高ければ高い程欲望が叶えられると教え込まれます。
しかも他人の意思を支配でき、欲しいものが手に入れられるという考えを
小さい頃から植え付けられます。

個人評価は、社会的に如何なる地位にあるかによって決められ、人の評価というより
肩書きが、その人物の価値とするのが日本社会と言えるのです。
主権在民、国民主権、と言った民主国家を表す言葉は、日本に於いてはすでに死語であり
表向きは、平等社会と言われても、現実は、縦社会が本質なのです。

多くの指導者やリーダー達は、民主主義社会で法律に則て利益を得ていると言いますが、
殆どの場合、より上の地位にあるものの権限が行使される事が多く、民主主義の名を借りた
富裕層の独裁国家とも言えるのです。
その為、人々は、より我儘の効く社会的に高い地位を目指し、他人よりも経済的に豊かであり
社会的地位が高ければ、自分自身の価値が高いと誤解してしまうのです。

この事は、政治家として毎度メディアを騒がせる人達は、その典型と言え、地位が上がれば
我欲を押し通せると思ってしまうのです。
しかし、問題は、政治家よりも更なる社会的に豊かな方々が、政治家と繋がりやすい事です。
財界が政治家にどれ程大きな影響を与えているかは、表向きには問題にされないものの、
政治家の多くが、国民よりも国の経済を支えている方々に頭が上がらない事からも解ります。

しかも、問題の多くは、彼らから政治家への利益供与が成される事が多いのです。
政治家は、国民からの税金を国の資金として使うだけでなく、企業からの莫大なる資金で
国の方針を決めているのも事実です。
国民の同意を得る為にも、財界の実力者たちは、政治家に盛んに影響を与えるのです。

韓国に於いて、大統領を始め、多くの政治家が逮捕される異常事態も、一つには、
韓国政治が、財界との密接な繋がりで成り立っている事が原因とも言えます。
日本に於いても、滅多に発覚しないものの、政治家と財界人の繋がりはとても強く、
日本政治の行方は、国民の意思と言うより、政治家のバックに控える方々の意思で
決まると言っても過言ではないのです。

残念ながら、自由主義社会というのは、国民にとって理想的としか言えず、
国民は自由な生活が出来ていると言うのは表向きであり、消費者として
豊かな人々をより豊かにする為に存在していると言えるのです。
つまり、現代社会は、庶民にとって息苦しくとも、この社会を作っている人達にとっては
常に理想的であり、この社会を維持するために作られる社会システムを維持する事で
いつまで経っても多くの国民は幸せに成れないのです。

ピラミッドの頂点を生かす為守る為、その下の多くの国民が存在しているのです。
国民から不満が出ない程度に、社会を華やかに豊かにすることで、いつまでも
金の流れが富裕層に集まる様に出来ているのです。
現代日本に在って、国民が、何故、いつまで経っても幸せに成れず、生きる事で
常に大きなストレスを強いられるのは、自分達の幸せの為に働いているのでなく
一部の人達の豊かな生活を守るために働いているから苦しいのです。

経済的に豊かになれば幸せに成るとする政治家の弁は、自分達が経済的に満たされ
何不自由なく暮らせるから、豊かになれば幸せに成るとする、自分勝手な考えであり
その言葉に準じているからこそ、いつまで経っても、日本国民は幸せに成れず、
一生懸命働いた身銭を使う事に精を出さなければならないのです。

今日は、朝から、証人喚問が行われ、問題の当事者が弁明をしていましたが、
この事で、どれだけ国民に利益が有ると言えるのでしょう。
どんなに話し合っても、お互いにすねに傷の有る者同士が、持論を述べるだけで
無駄な税金を使っているに過ぎません。
どんなに議論しても、悪者とされるものが出てくるわけが有りません。
何故なら、疑惑の人間が政治をしているのですから。

この身に成らない討論を何度聞いて来た事か、確信に迫れば、記憶にない、
資料が無いと知らぬ存ぜぬを通し居直るのが落ちです。
戦後半世紀以上過ぎても、この政治家の体質は変わっていないのです。
と言うより、議会制民主主義の名を借りたキツネとタヌキの騙し合いなのです。

少し我慢をして禊をすれば、また、国政の場に顔を出してくるのが常なのです。
国民の前で時間稼ぎをし、如何にも、しっかりと議論をしたと言うのが
彼らの言い分であり、しばらくすれば、そんな事どこ吹く風と言った調子で
次の選挙に向かうと言うのが日本政治の在り方と言えるのです。

つまり、日本の政治家は、国民を守る力も幸せにする力も無いのです。
地位と財産を得られる政治家という仕事を行っているに過ぎず、
他人の心配が出来る程の器の広い政治家は非常に少ないと言えるのです。
不正を正してくれる、国民の為の政治をしてくれると言う期待をする事は
時期早々であり、日本国民は、日本の政治家に対して期待する事は無駄なのです。

世界的な経済大国と言え、日本には国民の期待を一手に引き受ける政治家は
まだ表れていないと思えば、それ程腹も立たないのかもしれません。
経済的に豊かになったとは言え、日本人は、いまだに、人間的には進歩せず
まして、リーダーと言われる程の人材がいない国なのかもしれません。