北朝鮮の金正恩総書記と韓国の特使の直接会談は、
世界に大きな衝撃を与え、今後の東アジアの動向を左右する
目が離せない状況となっています。
何十年もいがみ合って来たとは言え、もともとは同じ民族の国、
内心では、何時か南北統一を願っているのだから、内心では
このまま争わない方向に行けば良いと、両国民は願っている
と思われます。
しかし、核開発の凍結やミサイル開発が無くなれば、日本の様な
周辺国にとっては願っても無い事なのですが、南北朝鮮が
結びつく事を最も嫌っているのは、米国である事は明らかです。
韓国は、日本ともに、アメリカ防衛の最重要基地であり、もし、
統一されて、アメリカ軍が撤退となれば、東アジアへ防衛線は
日本だけに成ってしまいます。
我が国に於いても、様々な問題を起こしつつも、決して軍事基地を
無くさないのは、北朝鮮だけでなく、中国、ロシアへの大切な
防衛基地としての存在を無くしたくない事は言うまでもないのです。
もし統一され、中国やロシアとの関係が、今以上に親密に成れば、
東アジアに於ける米国の存在力は著しく低下し、グアムやハワイ
その他の太平洋上の孤島だけでは、有事の対応に不安が有るのです。
今や、発展途上国と思われていた中国やインドの台頭は、アメリカ社会に
大きな影響を与えていて、アメリカ経済は、中国無くしては成り立たず、
もし、中国や東アジア諸国が一体となって力を付ければ、世界のポリス
世界一の経済大国の肩書も色あせてしまうのは明らかです。
中国の北朝鮮に対する優柔不断な対応も、アメリカにとっては腹立たしく
大国の力を示して欲しいとしながらも、アメリカとの関わりを悪くしては
元も子も無くなってしまう為、その対応も非常に歯切れが悪いのです。
かつて、欧米社会が世界の市場を牛耳っていたのは、遠い過去の話であり
今や、アジア諸国の急速な発展、中でも、中国とインドの世界経済に於ける
存在は、年々大きくなって来ているのです。
巨大なアメリカ経済が、世界中の投資家たちによって成り立って来たのが
今や、その巨大資本の流れが、中国やインドと言った、アジアの台頭国に
移って来た事は、アメリカ経済にとって、非常に前途不安な状態です。
余裕の無くなった象徴が、トランプ大統領の、アメリカファーストの言葉であり
なりふり構わない身勝手な政策です。
負け犬や、弱いものほど吠えるものであり、アメリカは、決して豊かな国ではなく
世界中の国々によって支えられて、その地位を誇示しているに過ぎません。
その事が解っている中国は、次のリーダーはチャイニーズとばかりに、
アメリカを差し押さえて、強気な発言を、国際社会で行っているのです。
しかし、中国とて、10億を超える民を満足させる事は容易でなく、様々な圧力や
支配者層安定の為の策略を講じるのですが、国民が、次第に世界の情勢に
詳しくなるにつれ、自分達の置かれている環境が、如何に差別的であり
不公平である事が解って来ているのが、リーダー達の不安でも有ります。
リーダーの任期を無制限にする法律を定めようとするのも、アメリカ大統領の
アメリカファーストの発言と同じく、自分達の立場が、決して安定したもの
とは言えない事から、その様な強硬策を講じる事と成っているのです。
地球の資源がまだ十分にあった頃はまだしも、現在の様に、資源も食料も
限りあるものとなってくれば、多くの人々を、安心して生活させる事は
非常に難しくなって来ているのです。
ただでさえ、地球温暖化に伴う食糧危機は、アフリカ諸国を代表として、
世界中の国々に飢餓の不安を呼んでいます。
例え先進国であっても、このまま、国民が豊かさを保てるとは言えず、
一度、気象変動によって、現在の食糧増産国の穀物が採れなくなったとしたら
日本の様に、多くの食料を輸入に頼っている国は、途端に、食糧危機となり
国民は、飢餓が現実のものとなってしまうのです。
栄養失調で、多くの子供たちが死んでいるアフリカの飢餓地帯の映像を見て
日本とは程遠い世界と、多くの人が思うでしょうが、今や、先進国であっても
それが現実になる可能性が出てきているのです。
日本の食料自給率の低さは、先進国の中でもトップクラスであり、もし、
これ以上地球が温暖化して、世界の穀物地帯がダメージを受ける事と成ったら
日本の将来は、戦時中の様に、食料配給の時代に成るかもしれません。
多くの日本人は、子供の頃から、日本は、工業国であり、食物の多くは
世界中から輸入する事で豊かな生活が出来ると習って来ているのですが、
そんな国家体制は、一気に、覆される可能性が出てきているのです。
しかし、リーダー達は、経済力を増せば、日本社会は安定して行くと言います。
一体どこから、そんな自信が生まれるのでしょう。
そう、それは、彼らが、たとえ、食糧危機に成っても、飢える事が無いからです。
つまり、異常気象と成って、世界中から食べ物が無くなったとしても、自分達は
これまでと変わらない豊かな生活を続けられるとしているから、日本の自給率が
低くとも何ともないのです。
格差社会から階級社会に変わりつつある日本にあって、常に、何でも手に入れられ
将来を保証された階級に居る事から、全く心配はしていないのです。
と言うより、より経済的に豊かになる事で、更なる収益を得る事が出来る為
例え、庶民が、食べる事、生活する事で日々苦しんでいても、何んの心の痛みも
後ろめたさも感じないのです。
日本は、表向きは、誰もが平等な自由主義社会と謳っていますが、実際は、
一部の巨大組織の人達や富裕層の方々が、より豊かになる様に作られた、
あらゆる富が、上層に流れる様に作られた社会なのです。
かつて、江戸時代に、平民は、多くの年貢を納める為に働き、どんなに頑張っても
それ以上の生活が出来なかったのと同じ状況が生まれてきているのです。
作られた華やかな社会で生きる事で、自由な楽しみを得ているかのように思っても
それらの全ては、国民から、多くの私財を吸収する為のトラップに過ぎません。
表面的な豊かさを感じさせる為の餌は多くばらまかれても、自分達の地位が
決して上がる事が無い様に世の中は作られているのです。
努力すれば、何にでもなれると言うのは、高度成長期の、まだ、社会的に
シッカリと階層が出来てない頃の事であり、今や、農民と武士の様に、
自分の階層から秀でて出世すると言うのは、殆ど稀な事であり、まるで
宝くじで一等を中てるかの如くなのです。
確かに、勉強をして努力をして世間的に名の知れた企業に入る事は出来ても
それで、天下を動かす様な事は出来ません。
既に、社会の動きをコントロールしている階層は決まっていて、せいぜい
彼らの下にある会社に就職できるぐらいのものです。
富裕層とは、社会のトップクラスというのではなく、お金を自由に使えて
欲しい物が何でも手に入ると言うクラスなのです。
中には、成金的な富裕層も多く含まれます。
しかし、その多くは、やはり成り上がり的な物であり、時たま、メディアに
取り上げられて、庶民に羨ましがられる程度のものです。
本当に豊かな人達は、現実に社会の流れを変え、日本経済の行方を変え
自分達の理想とする国にする事が出来る人達であり、彼らの存在は
現在も過去も差ほど変わりません。
戦争をする事も辞める事も、経済を発展させる事も、彼らの手の中であり
例え政治家と言え、彼らの力でどうにでもなってしまう程なのです。
問題は、彼らが、日本国民を、どれだけ考えて居るかです。
全ての国民を幸せにしたいとするのか、日本の経済を牛耳っている
一部の人達を中心に組み立てて行くのか、その考え次第で、
日本の将来は、大きく変わって行くと言えるのです。
明治以降、何度となく行った戦争も、最終的な決断は、表向きの
政治家やその周囲の有識者ではなく、やはり、日本の中で、昔から
絶大な権力を持って来た方々でした。
戦争をした事も、戦後、日本が戦争放棄をして、民主主義国家を
目指したことも、日本社会を動かす大きな力が有ったのです。
とは言うものの、近年の日本は、余りにも先が見えて来ません。
政治家や企業家たちも、どの様に歩を進めるかが解らず、唯現状維持で
社会は、相変わらずの牛歩状態です。
良い悪いと言うよりも、一体日本は何処に向かっているのかが
政治家も企業家も解っていないのです。
ただ、経済を発展させ消費を促せばお金が回り、国民は豊かになると言う
一時しのぎの様な政策しか浮かんできません。
ここ数年、日本周辺の国々は、大幅に国内状況が変わっています。
周辺国との力関係、国内経済の変化、世界との関わり合いに於いて
次々に新たなる政策が生れ、中には、発展途上国であった国が
いつの間にかアジアを牽引するまでの力をつけ始めています。
かつて、世界でもトップクラスの力を持った経済大国であった日本は、
一体どうしてしまったのでしょう。
企業家は、自分達の業績を上げる事しか考えず、政治家は、政治屋として
ノルマを果たしているだけで、目立つのは、私欲に満ちた金銭のやり取りや
企業との癒着ばかりです。
日本中に在るあらゆる企業や組織が、個人的な欲望ばかりに囚われて、
毎日、お互いに足を引っ張るような記事が目立ちます。
自分達が生きて行く社会や日本を代表する人達が、私欲に走る姿を見て
国民に夢を見させる事は不可能と言えます。
多くの国民は、今の生活を守る事で精一杯で、更なる節約摂生に励み
自分だけでも、家族だけでも幸せでいたいと、人と人との力を信ぜず
ますます、孤立化して弱体化しています。
今の日本国民は、個人的に一番軟弱に成っていると言えます。
例え、経済的に豊かと成ったとしても、個人的な満足に過ぎず
その不安定さに、いつも怯え、人を信ずることが出来なくなっています。
豊かな日本人の心が失われ、日本人同士の絆が無くなれば、もう
日本人の存在価値は有りません。
お金や地位や財産でしか、人間の価値を計れない人間たちは
地獄の底で、蜘蛛の糸に飛びつこうと喘いでいる餓鬼たちと同じです。