めぐろのめばる

目黒川近辺で日本の四季を楽しみ、未来の日本を憂う。
かつての美しい日本と日本人がいかに素晴らしかったかを思う。

四季の有る生活が消える

2016-04-08 20:11:24 | 大自然

あれ程までに美しかった桜並木が、色あせ、うな垂れる様にほころびた花弁を
風に揺らせています。
連日膨らみ続けたピンクの蕾に、多くの方が胸をときめかせ、春の訪れに
ワクワクしたものでしたが、本当に、花の命は短くて、、、と言う有名な詩が有る様に
桜の美しく感動的な日々は、アッと言う間に過ぎてしまいました。

ともあれ、川面に散った桜も、白い帯を成し、その流れのままに描かれる花模様に

私達日本人は、更なる美しさを感じるものです。
日本の美の美しさの一つは、やはり春夏秋冬の季節が有る事です。
季節季節が織りなす、美しい大自然の舞台は、私達日本人の心に躍動感を与え
物事の憐れを感じる繊細な思いを育てて来ました。

その為、私達の人生も、時に、季節の移り変わりの様に例えられ、様々な

大自然の季節の移り変わりが、人の一生として感じられたりするのです。
春と言えば、人間で言えば、この世に生を受けた時と言っても良いでしょう。
新しい命が生まれ、その喜びが桜の花の開花にも重なり、私達の社会生活の
始まりをこの時期としている訳でもあります。

そして新緑の季節から盛夏の時期まで、植物も動物も大自然の恵みを受けて

次々に成長して行きます。
人生で言う、子供時代から青春時代とも言って良いでしょう。
子供から大人に成長し、植物で言えば、立派な樹体を成していく時期と言えます。

次に、秋、実りの秋と成り、様々な成果を成し得る働き盛りと言えます。

人生の中でも、最も充実し、家族を持ったり、仕事に於いて昇進したりと、
言わば、心技体が充実してくる時期と言えます。

そんな自信漲る時期も、やがて冬を迎えます。

全ての生き物は凍りつき、命の活動を止めてしまい、じっと寒さに耐える時期と成ります。
私達人間で言うと、老齢期とでも言いましょうか、仕事から離れたり、第一線から
退く時期でもあります。

植物たちも、葉を落とし、幹の部分だけと成って、次の暖かい時期が来るまで

しばらくの間、まるで冬眠をしているかのように生命活動を見せなくなって行きます。
しかしながら、そんな寒い時期には、実は、多くの植物は、次の季節の為に
様々な準備を行なっています。

桜の木も、外見的には、黒い樹体のまま、何にも変わっていない様に見えますが、

冬の寒さが引き金と成って、春の花の咲くエネルギーが溜まって来るのです。
暖かくなれば、綺麗な桜が咲くものと思いがちですが、実は、寒い冬が無いと
桜の花が綺麗に咲かない事が、最近解って来ました。

暖冬の年には、桜の花の付き具合や色合いが今一と成り、在る一定の期間の間

開花に必要な寒さが続かないと春の素晴らしいお花見は出来ないとの事です。
自然とは、本当に不思議です。
寒さが無いと綺麗な桜が咲かないと言いますが、私達の気持ちも、よく似ていて、
寒い冬が有ればこそ、桜の花を見た時の感動は大きいのです。

とは言え、このように、日本の四季は、春夏秋冬、移り変わって行くのですが、

この四季に例えられるように、人生が進んで行かないのが最近の日本の問題です。
秋を迎えやがて冬を迎えた多くの人々と、春の喜びと共に生まれる若い人達との
間が、深くて長い冬の状態が続いているのです。

上手く、若い人へとリレーが繋がらず、更には、若さを発揮すべき社会が不況の為

多くの若者たちの受け皿と成れない状態が続いています。
更には、独り立ちしなければならない若者達の足かせとなる高齢者の問題、
また、逆に高齢者が何時までも若者たちの面倒を看なければならない
独り立ちできない子供達を世話し続けなければならない問題など、
季節の移り変わりの様に、スムーズに日本社会は繋がっていないのが現状です。
増え続ける働けない高齢の世代、少子化にも関わらず、そんな高齢者の生活を
守って行かなければならない若者たちの負担、今や、日本社会は、冬から春へ
移り変わろうにも変われない混とんとした状態となっているのです。

地球温暖化により、近年では、日本の四季も、昔の様にはっきりと移り変わらず

四季折々の風物も、季節を表わす特徴を示せなくなって来ています。
食べ物は、四季に関わらず、なんでも手に入る環境は、一見便利なように見えて
人々の感情を育てず、想像力と感動を生まない生活を作り上げています。

私達の心は、日本の四季の様に、様々に変化をし、躍動感を持って育ってきました。

そんな魅力的な日本人の心は、日本の自然と大きく関わって育ってきたのです。
何時でも手に入る、なんでも見られると言った生活が、ともすると幸せで豊かな
人生を生むと思いがちですが、四季の様に、その時期に生まれる感動が有ってこそ
私達の心も豊かに育って来たのです。
私達日本人の心も、温暖化の様に、変化の無い四季の様になってしまったら
それこそ、日本人が日本人で無くなってしまい、大自然の移り変わりを楽しむことなど
無くなってしまうのです。


生き残る為の戦い

2015-08-28 11:25:31 | 大自然

早朝にウォーキングをしていると、様々な事に出くわします。
夏の終わりに多いのが、道路際に結構見つかる、まだ生きている
夏ゼミ達です。
木の上で鳴いていればいいのに、と思いつつも、何故、まだ飛べるのに
道に落ちているのか、とても不思議です。

でも、公園の植え込み等、よく見ると、結構虫の死骸が見つかります。
しかし、不思議な事に、翌日同じところを歩いても、殆ど見つかりません。
道路を清掃していらっしゃる近所の方が、落ち葉を掃くついでに、
昆虫の死骸を片付けているのかと思っていました。

真夏でも、桜の葉は、黄色く色付き、結構な量が一日で落ちているため
連日、近所の方々や、歩きながらゴミを拾う高齢者の方々によって
いつも綺麗な道路になっていると思っていました。

しかし、今日、少し雨の降る早朝に、意外な光景に出会いました。
数十m離れたところで、何やら黒い影が動いています。
だんだん近づくと、大きなカラスが何かを啄んでいます。
かなり接近すると、驚いたように、横っ飛びしたカラスの口ばしには
何と、アブラゼミが羽をばたつかせています。

その後、しばらく進むと、また同じ様な光景に出くわしました。
2羽のスズメが、何かを追いかけて、盛んに羽を広げています。
良く見ると、スズメの下で羽をブルブルと震わせているミンミンゼミが
必至で飛び立とうとしています。

しかし、次の瞬間、少し高い所で舞っていた一羽のスズメが
勢いよく滑降すると、自分の身体の半分ほどもある蝉を咥え
飛び立ちました。
直ぐ後を追いかける様に、もう一羽のスズメが飛び去ると、
遊歩道の上に、透き通った一枚の羽根が落ちていました。

そう言えば、幼い頃も、沢山の動物の死骸を見ましたが、しばらくすると
いつの間にか、どこかに消えてしまいました。

自然の摂理は、あらゆる生物が繋がって、お互いに生きているのを感じます。
私達は、直接自分の食を満たすために、狩りをしたりすることは殆ど無く、
多くの流通機関を通して、食品として摂取して居る為、自分たちは、
他の動物とは異なる生活を送っている様に思ってしまいがちですが、
地球上に生きる一生物として、この食物連鎖から逃れる事は出来ません。

しかしながら、私達の生活は、自分たちだけが生きながらえる様に創られ
他の生物を一方的に利用する事で発展してきました。
人類の歴史は、生物の頂点に立ち、他の生物を乱獲する歴史でした。

その結果、今や、世界的に、私達人類は食糧難にあえいでいます。
私達が便利さを求め続けた結果、地球の気象すら変えてしまっています。

どんなに、私達が進歩しても、生物の一つとして、他の生物から
生きる糧を得なければなりません。
私達の生き方は、今や、岐路に立たされています。

このまま地球の富を枯渇するまで利用し続け、多くの生物と共に
絶滅の道をたどるか、はたまた、生き物として原点に立ち返り
地球上に生きる多くの生物達と食物バランスを保った生活に
戻るか、選択を迫られています。

小雨の降る遊歩道を足早に歩いて行くと、何羽ものドバトが手すりに
羽を濡らしじっと佇んでいます。
時おり、公園の方から、ペアのキジバトが鳴く声が聞こえます。
しかし、目を下に落とすと、暗青色に濁った目黒川が流れることなく
澱んでいます。
殆ど底が見えることなく、様々な色に汚染されている水面を見ると、
そこには、生き物の生活が全く感じられません。

多くの動物たちは、自然が無くなり汚染されても、ただ必死に命を繋ぎ
生きています。
しかしながら、私達人間は、見た目の自然を求め、自分たちの生きている
生活環境すら、生物として生き辛くしているのに、いつ気が付くのか、
その時が、人類の末路にならない事を願わずにはいられません。


梅雨が明けたの、かな!?

2015-07-12 08:16:46 | 大自然

朝から青空が広がり、多少蒸し暑いものの、真夏の日差しです。
一週間の予報を見ても、もう、梅雨の兆候は有りません。
しかしながら、これは南からの台風の影響か、また、台風の動きから
新たに前線が発生するかもしれません。
とは言うものの、久し振りの青空に、洗濯物がよく乾きそうです。
最近、生乾きの衣類が、ちょっと臭う事も有ったため、この青空は
貴重です。

少し寒い位の天気が続いていたため、このまま真夏の暑さがやって来ると
身体が上手く付いて行けるか、毎度ながら、熱中症や夏バテが心配です。
さらに、最近では、蚊にも注意が必要で、近所の公園では、デング熱を
媒介するハマダラ蚊への注意の掲示が目に付きます。

昔の日本の夏は、はっきりとした季節の移り変わりが感じられて、

ちょうど今の時期は、梅雨明けと共に、ニイニイゼミがうるさく鳴き始めます。
そして、何処から飛んで来るのか、沢山の種類のトンボが空を舞い
海も川も夏の生き物で溢れていました。

子供達は、夏休みが待ちきれず、川や海に遊びに行き、春先に生まれた

沢山の稚魚が大きく成長し、群れを成して泳ぐ姿に感動したものです。
都会に住んでいると、人工的に作られた公園や緑に、多少なりとも心が
癒されるものですが、やはり、自然の雄大さや豊かさを見せるには
少し無理があります。

今の子供達は、昔の日本を知らないので、今の都会の自然が当たり前と

感じるのかも知れませんが、人間の都合だけで作りあげられた自然は
ファッションと同じく、いずれ価値を失って行くものです。

私達は、生活が豊かになり、様々な物を手に入れられる様になると

幸せだと感じる事が多いですが、もっと感動的でエキサイティングな
喜びは、溢れるばかりの大自然の命を感じる時に得られるものです。

この感覚は、太古の昔から私達の身体に影響を与え続けて来たもので

人間が作った物をはるかに上回る地球規模の感動と言えます。
私達は、かつて、人知が及ばない大自然の驚異を神のものとして
恐れ称えたものですが、今や、人類の作り物が基準となってしまった為
大自然に対する敬意も恐れも無くなってしまったのです。

その結果、取り返しのつかない異変が地球に起こる様になり、

自らが苦しむ事態となって来ているのです。
地球上のあらゆる生物は、同じ大気の元で、お互いにバランスを取りあい
関わり合って生きて来ました。
その関係を壊してしまったのが、他ならぬ人類なのです。

しかし、人類の進歩として行った行為が、実は、自分たちの首を絞めている

そう思えるようになるにはまだまだ時間が掛かりそうです。
もし、このまま、私達人間のエゴが続けば、いずれ私達の未来は
無くなることを、世界中の人々が理解できることが大切です。

あと、数十年楽しく生きられればいいと言うなら、今のままでもいいでしょう。

しかし、私達の孫や未来の日本人に、そんな地獄の世界を体験させたいと
思う人はいないでしょう。
私達が、これから健康で幸せな未来を築いて行くには、もうあまり選択肢は
ないという事を知っていなければなりません。


海と川の綺麗な東京をアピールしたい!

2015-06-22 19:43:56 | 大自然

日本を訪れる海外の旅行者が驚く事の一つに、
観光地のみならず、都会でも田舎でもゴミが少なく、
特に、人通りが多い所に捨てられているゴミが
極端に少ない事が上げられます。

もちろん、多くの人々の努力が有ってこその事ですが、

昔から、日本人は、自分の家のみならず、地域全体の
美しさに対して気を使って来ました。

かつて、マルコポーロが日本を訪れた時、長崎から

江戸までの道中、ゴミが全くなく、人々は、質素な生活とはいえ
清潔で礼儀正しい事に驚いたものです。

当時、ヨーロッパは、ゴミを公道に捨てる事は当たり前であり、

パリでは、朝目が覚めると、自宅の前の石畳に、家人が
排泄した糞尿を捨てる事すら当たり前の生活をしていました。

その為、都会には異様なにおいが漂い、人々も身体を清潔に

する事を気にしなかったため、日本を訪れた欧州人は、我目を疑い
日本人の清潔でエコな生活に驚いたのです。
ヨーロッパで香水が流行したのは、この臭いをごまかす為とも言われ
私達は、昔から世界に誇る清潔な民族と言えるのです。

しかしながら、この事は、今の時代では少し違っていて、

確かに、街も綺麗で、人々も清潔で礼儀正しいとは言えますが、
実際のところは、そうとも言えない様です。
特に、高度成長期に日本中が汚染されて、海も川も多くの生物が
死に絶える程でした。

ここ、40年ほどで、かなり浄化されているとはいえ、いまだ、日本の

自然は復活せず、特に、住宅地や工業用地が密集する都会に於いては
海も川も相変わらず汚染が進んでいます。

東京に於いても、街並みは美しく、ウォーターフロントに次々につくられる

高層マンションやレジャー施設は、夜ともなると、美しい夜景を創り上げ
多くの観光客を楽しませています。

しかし、その足元に広がる東京湾は、いまだ汚水の溜まった水たまりであり

多くの生物が死に絶え、海洋生物の生活と繁殖が難しい環境です。
また、都心部を流れる川に於いても、コンクリートの側溝と変わらず、
雨や汚水の排水溝でしかありません。

美しい目黒川の桜も、川を見れば、とても桜と同じく手放しでは喜べません。

時たま飛来するカモや鵜を除いて、魚などの生命反応は極めて少なく、
風向きによっては、下水の酷い匂いが周囲の住宅街を襲います。

後数年もすれば東京オリンピックです。

この時、私達は、何を世界に示すべきでしょうか。
近代的な街並みと、トップクラスのオリンピック施設を見せればいいのでしょうか。

東京湾は、世界でも類を見ない程の沢山の生命が発見されています。

大都会の前で、これ程の種類の海洋生物が生息する湾は珍しく、
遠く江戸時代から沢山の人々の生活を支えてきました。

でも、ここ数十年で、そんな素晴らしい海も、死の海となっているのです。

高度成長期よりは多少綺麗になったと言われますが、生物達にとっては
とても、生活繁殖をしていくには酷過ぎる環境と言われます。

江戸時代には、東京湾とそこに流れ込む河川は、江戸の人々の

命の糧を提供して来ました。
オリンピックを成功させるのも大切かも知れません。
しかしながら、表向きの美しい街を世界にアピールするだけでは、
日本人としてご先祖様に恥ずかしい思いです。
時間が掛かっても、かつての様な、美しい、命溢れる東京湾と、
そこに流れ込む清流がある、本当に美しい東京を目指して欲しいものです。


地球の一生物として生きる

2015-06-20 16:43:09 | 大自然

私達の周囲の環境は、よく注意してみると、様々な生き物に溢れ
季節季節に感動的な姿で、日本の自然の美しさを教えてくれます。
特に、日本の自然は、春夏秋冬、太古の昔から日本人の心を感動させ
豊かな感性を育てて来たのです。

しかしながら、その美しい自然も、ここ100年程で、急速に破壊され、

世界規模でも、異常気象を伴う程の変貌ぶりです。
長い時代、大自然は世界の人々に豊かな食料を供給し、人類の発展に
大きな役割を果たしてきました。
そんな豊かな恩恵に預かり、私達人類は、地球上の頂点を成す存在となり、
今や、地球自体を変えてしまう程の、驚異の存在となってしまったのです。

世界中の富を自由に手に入れ、人類の発展の為に浪費してきました。

その結果、今や、世界的にあらゆる資源が枯渇し、残り少なくなった富を
獲得するべく、世界的に争いが生じています。
そんな中、かつては、争いに勝てば多くの富や資源が得られ、買った国は
多くの国民に豊かな生活を保障出来ていましたが、近年では、戦争の勝者が
豊かになると言う構図は描けなくなってしまいました。

つまり、世界の食料、物資、資源が枯渇し始めて来たからです。

多くの財を成す国は、その力の元、世界中から食料や資源を
手に入れられたのは、もう、過去の時代の出来事であり、
今や、手に入れる資源や食料自体が不足している時代となっているのです。

領土や資源を奪い合った戦争はもう過去のものであり、争う理由が、単に

民族同士の宗教や思想の違い等による、意地の張り合いやプライドの
ぶつかり合いと言った、メンタル面での戦いとなり、何の利益も生まず
人々の苦しを増長しているに過ぎません。

何の利益も生まない現代の戦いは、人類の、動物にない、醜い心の争い

でしか有りません。
つまり、人間が動物と違う一番大切な部分の醜さだけが残った争いです。
そんな、先の見えない戦いの間に、私達は、生きる原点を失い、
生物としての繋がりを忘れているのです。

生きるという事は、例え地球の頂点に立った人類と言えど、あらゆる生物と

食物連鎖の元、繋がっていなければならないのです。
人同士のお互いの思いやりや絆が必要なように、私達と地球上の生物との
繋がりが必要なのです。

大都会であっても、ちょっと耳を澄まし、目を見開いてみると、

様々な生物が生きている事を感じます。
そして、そんな沢山の生物と共に生きている事を感じる時
私達は、地球上の一生物として、命の存在を感じる事が出来るのです。